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2023/02/28

■湯島サロン「復学して考えたこと」報告

1年半の大学休学後、昨年秋に復学した川端さんのサロンは、高校生も含めて、8人が参加しました。

川端さんは、なぜ休学したのか、そしてなぜまた復学したのか、からはじめて、休学中の自分の生活の様子、また復学してからの学内の様子や自分が受講した科目の話などをていねいに話してくれました。
もう少し強いメッセージの話があるかと思っていたのですが、川端さんは肩に力を入れることなく、淡々と話してくれました。いささか意外でしたが、そうした話の中に、参加者それぞれにとっていろいろと気づかされたことがあったのではないかと思います。
川端さんは、いつもサロンで、それぞれが自分で気づいていくことが大事だという姿勢で発言されていますが、今回もそれを実践し、あえて自分からのメッセージはあまり出さなかったようです。私は自分の学生時代も思い出しながら、いろいろと考えさせられる材料をもらった気がします。おそらく彼が意識していなかったようなことも考えさせてもらった気がします。

川端さんは復学して感じたことをまずいくつか話してくれましたが、たとえば、「授業が(コロナ前の時に比べて)静かになったこと」「満員電車に乗っている自分や周りの雰囲気が気になるようになったこと」「授業内容に主語がないこと(誰の視点からの知見?先生はそれについてどう思うの?みんなはどう思うの?)が気になりだしたこと」
「学食が殺伐としていること」など、コロナ騒ぎによる変化もありますが、それまでは気づかなかったことへの気づきがいろいろとあったようです。

休学前とは講座の選び方や授業の受け方も変わってきたそうです。
そればかりではなく、毎日の生活も変わってきたようで、休学中には散歩などで近隣の人との会話も増えていたようですが、それもすっかり定着して、いまも大学から帰宅した後の犬の散歩時の近隣の人たちとの交流がつづいているようです。

さらに、復学と同時に、韓氏意拳(かんしいけん)、尹雄大(ユンウンデ)さんの「話すこと・聞くこと」ワークショップ、身体技法などの講座を受講するなど、いくつかのことを新たに始めたそうです。
復学したことで時間的な制約は増えたはずなのに、むしろそうした活動は増えているようです。ここにも何か生き方に関する大きなヒントがあるような気がします。
もちろん、休学中に始めたリバランスワークの講座活動は引き続き取り組んでいるそうです。

最近起こった事件として、川端さんはこんな話もしてくれました。
鳥インフルエンザの発生で、父親がその殺処分の仕事に関わったことがあったそうですが、その時の様子がとても印象的だったようで、川端さん自身も父親とそれを共体験したようです。そのおかげで、これまでは単なる「ニュース」でしかなかった「鳥の殺処分」を自分の生き方にもつなげて捉えられるようになったと言います。つまり社会を見る目が変わったのです。

また八ヶ岳に移住した友人が鹿を捌けるようになったとか長野の山の麓に住む動物を捌いて暮らしてきたおじいさんの話を聞いたとかいうこともあり、大学ではおそらく体験できなかったことの体験が、川端さんの学びの視点に影響を与え、選考している「経済学」の捉え方が大きく変わったようです。
もちろん授業の受け方も変化し、教授への質問の切り口も姿勢も変わったと言います。
彼の話を聞いていて、まさに「大学での教授」は「学び合い」なのだと改めて思いましたが、そうした学び方は仕組みとしても増えてきているようです。

私が今回改めて強く感じたのは、「休学することの意味」です。
小学校から高校まで、先生から「教わる」という受け身的な学びに慣れてきたままで大学に行ってもなかなか学べないのではないかと思っていましたが、川端さんもおそらく休学によって、そうした「忙しい学び」から解放され、自らを確認する時期を得たおかげで、それまでの受け身的な学びから自らが学ぶ積極的な学びへと主軸を移せたような気がします。

それは同時に、学ぶ場所は大学構内だけではないことへの気づきでもあり、満員電車さえもが刺激的な学びの場になったわけです。満員電車からでも、その気になれば社会の実相は見えてきます。それに気づけば、あらためて大学での学びの価値がわかってくる。
そんな気がします。
これは以前サロンも行った不登校の話にもつながっていきます。大学に限らず、人によってはそれを中学校であっても感じてしまう子供もいるのです。

3年ほど前に、お茶の水大学学生の安藤さんにも、休学によって学びの姿勢が一変したというサロンをやってもらったことがありますが、大学や学校という仕組み自体を見直すヒントがそこにあるような気がします。

同時に、川端さんは実際の体験からの言葉と知識からの言葉の違いにも気づいたのかもしれません。それに気づけば、実体のない言葉に惑わされることは少なくなります。ただ時に逆に実体験だけが正しいと思ってしまう落とし穴に陥ることもないわけではありませんが。まあそんなやりとりも少しありました。

今回参加された最年少の高校生はどう感じたでしょうか。
おそらく彼が感じたことと私が感じたこと(ここに書いたこと)は大きく違うでしょう。
もう少し生々しく語り合いたかったのですが、今回はそこまではいけませんでした。
もっと多くの大学生たちや高校生たちに来てもらってのサロンを企画したくなりました。

サロンでは実際には、かなりの激論もあったのですが、それは省略させてもらいました。
それも含めていろいろと考えさせられるサロンでした。
今回も報告が難しいサロンでした。

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