■節子への挽歌5527:山田寺の仏頭
節子
先日久しぶりにサロンに参加したNTさんが、サロンの時に私を見たら、山田寺の仏頭のような表情に見えたというメールをくれました。
まあ長いメールの中に、そういう表現があったのですが、なんで山田寺の仏頭に私が見えたのでしょうか。
山田寺と言えば、数年前に奈良に行った時、上野から東京駅に向かう電車の中で、私も会ったことがあります。
女性でしたが、まさに山田寺の仏頭と瓜二つでした。あの時の驚愕は今でも忘れられません。
あまりにも似ていたので、奈良に行った時に、興福寺によって、仏頭に会いました。
たしかにそこにいました。東京に出張中とは書かれていませんでした。
もう長いこと会っていませんでしたが、この仏は高校時代からしっかりと心に残っていて、いつでも思い出せます。いつかああいう表情になりたいとずっと思い続けているのです。ですから、こう言われた時にはとてもうれしかったのですが、実際にはまだまだあの表情には至っていないことは自分でよくわかっています。
しかしどうして彼が突然に「山田寺の仏頭」を持ち出したのか、不思議です。
ちなみに、友人は「興福寺の仏頭」と書いてきていますが、私には「山田寺の仏頭」として生きています。いまは収納庫にありますが私には飛鳥寺の大仏のように、山田寺にいる時の姿が何となく感じられるのです。
彼はその時に、湯島駅から湯島の私のオフィスに着くまで30分近くかかったそうです。
まあその話は、また改めて書こうと思いますが。
| 固定リンク
「妻への挽歌21」カテゴリの記事
- ■節子への挽歌5930:半田さん、いや、N'da haさん(2024.03.30)
- ■節子への挽歌5928:悔やんでも悔やみきれないミス(2024.03.29)
- ■節子への挽歌5927:治療9日目(2024.03.28)
- ■節子への挽歌5926:最近どうも歯の調子もよくありません(2024.03.27)
- ■節子への挽歌5924:サロンな仲間がまた一人、サンチャゴに行きます(2024.03.24)
コメント