■湯島サロン「仕事の対価をどう考えるか」報告
「働く」を考えるサロンの5回目は、「仕事の(金銭)対価をどう考えるか」という難しいテーマでした。
案内したら数人の方からメールをいただきました。なかには、自分もそういった問題を抱えているが、なかなかオープンには話すことができません、というものもありました。対価としてのお金の問題は話しづらいのかもしれません。しかし、そこにこそ問題があるのかもしれません。
意外だったのは、最近企業で働きだした若い人が参加したことです。対価をもらって働きだしたことで、改めて「対価としてのお金」の意味を考え出したようです。参加者の顔ぶれだけからでも、いろいろなことに気づかせてもらったような気がします。
まず、仕事の対価を決めるのは誰か、ということが話題になりました。
仕事をするほうが価格を決めるのか、仕事を頼むほうが価格を決めるのか。
経済学の世界では、需要側と供給側の合意点で価格が決まると言われますが、実際の社会ではそう簡単な話ではありません。とりわけ属人性の強い「相談事業」のようなものは、生み出される価値が人によってさまざまですから、特に難しいでしょう。
これに関して、実際にそうした事業に取り組んでいる人から、予め価格を設定する方式、価格を顧客に任せる布施方式、さらに顧客と事業者が相談して価格を決める方式などの経験を話してくれました。それぞれにやはり難しさはありそうです。
また、相手の状況で価格に差をつける「応能主義」や「状況主義」も話題になりました。これは仕事そのものの価値で「対価」は決まるわけではなく、金銭の価値そのものが人によって違っていることから成り立つ考えのように思います。つまり「金銭」は、一見、客観的な価値基準のようで実はこれもまた極めて主観的な価値基準であることを示唆しているように思います。お金も決して、客観的な基準ではないのです。
さらに時代環境によって、仕事の対価は大きく変化するということも話題になりました。経済環境の違いによって仕事対価の関係は大きく変わる。となると、ますます「仕事対価の金銭評価」は難しい問題です。
金銭対価に煩わされることなく、納得できる仕事をしたいというのが、誠実に仕事をしている人にとっては共通の思いでしょうが、仕事を持続させていくためには生活基盤の安定が必要で、そのためにはお金が必要になるという現実があります。
ここから「稼ぎの活動」と「働く活動」とは、実はまったく別のことであることが明らかなように思います。いまの時代、稼ぐ人は多いですが、働く人はとても少ない。だからいわゆる「ブルシットジョブ(無意味な仕事)」が増えていく。そんな気がしてなりません。その意味でも、「働く」とは何かをみんなもっときちんと考える必要がある、と私は考えています。
組織で働いてみて感ずるのは個人の相談事業はあまりにも安すぎることだ、という趣旨の発言がありました。実際にやってみればわかりますが、たしかに私もそう思います。しかし、多くの人は「組織」だから、「公的な資格」があるからと、仕事の「内容」ではなく、そうした「仕組み」に対する時と個人に対する時とでは金銭感覚が違ってくることが多いように思います。作業をやる時間給と相談業務とはまったく別のものですが、そこも混同されがちです。「動く」ことと「働く」ことはまったく違うのです。
しかも最近は、「公的資格」がないと「仕事」さえもできないような状況も広がっています。まさに「働きにくい社会」になってきています。
簡単に金銭評価できるような仕事は、むしろ価値がないのではないか。
対価に応じて仕事に取り組む姿勢は変わるものかどうか。
そもそも仕事を金銭評価しなければいけないのはなぜか。
仕事の報酬は金銭対価以外にもいろいろとあるのではないか。
などなど他にも話題はいろいろと出ましたが、最後に一つだけ私の印象に残った話を紹介させてもらいます。
それは参加者が出してくれた「覚悟」という言葉です。
相談などの仕事の場合、頼むほうも受けるほうも「覚悟」が「価格」を決めるのではない、あるいは価格の呪縛から解放してくれるのではないかというのです。
死を避けるためなら金に糸目はつけないという言葉がありますが、本当にその問題を解決する気があるのであれば、金銭を優先することなく、問題解決の視点から料金の捉え方は変わってくるはずだというわけです。たしかに納得できます。
本気で解決したいのであれば、相談者にとっては金銭が高い安いは二の次でしょうし、相談に乗るほうも本気で解決に取り組もうというのであれば、金銭など気にはならないでしょう。もちろん「弱みに付け込む」ようなことは、覚悟とは無縁の世界です。
しかし、ここで前述の「自らも生活していかないとその仕事さえも継続できなくなる」という現実がある。そこで、この問題は、社会のあり方につながっていきます。
以前、霜里農場をテーマにしたサロンで、農産物の売り手と買い手の「もろとも関係」が話題になったことがありますが、そうした問題につながっていく。これは今度の日曜日に開催する「ソーシャル・キャピタル」の問題にもつながっていくでしょう。
サロンではもっといろいろな示唆をもらいました。
覚悟を表す指標のわかりやすい手段がお金かもしれない、とか、お金は多義的な言葉以上に効果的なコミュニケーションメディアではないかなど、いろんな気づきをもらえたサロンでした。
しかし、その一方で、対価をもらうと仕事が楽しくなくなる、という若い世代の人の意見にも考えさせられました。
次回の「働くを考える」サロンでは、もう一度、仕事とお金の関係を掘り下げて議論したいと思います。3月12日を予定しています。詳しくはまた案内させてもらいます。
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