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2023/03/02

■湯島サロン「看取られながら人生を終わりたくないですか」報告

「善く生きる」をテーマにしたサロンの3回目は、「看取られながら人生を終わりたくないですか」の呼びかけで、「孤独死」について話し合うことにしました。

話題提供してくださったのは、無縁化防止団体OMUSUBI代表の北原千香子さん。
北原さんは、近くの人の孤独死に遭遇し、孤独死がいろんな人にいろんな傷を残していくことを実感。人のつながりの大切さを改めて強く感じ、無縁化防止活動を始めたそうです。人のつながりは、家族に限らず、信頼できる良い人間関係を育てていくことだと言います。
困難に陥ると人は閉じてしまい、他者の手を離してしまう。しかし困難な時こそ人の手を離してはいけない、と北原さんは言います。そして、そうさせないために、あなたのことを心配している人がいるんだということを、わかってもらうことが無縁化防止にとって大切なことだと言います。

しかし、つながりは大切だとしても、面倒でもある。
参加者の一人が、私はむしろつながりは希薄にしておきたい。つながりは自分だけではなく、相手にも負担をかけることもあると発言しました。たしかに、「絆」という言葉に象徴されるように、「つながり」はお互いを縛りあってしまい、逆に生きにくさを生み出すこともある。どういうつながり方がいいのか、を考え直していく必要があると言うのです。コミュニティのあり方を考え直す時期だとも。

別の人が、自殺率が低い地域の話を紹介してくれました。そこではお互いに声をかけ合おうとか縁側での付き合いとか、いわゆるスモールトークが多い。お互いに気遣い合いながらも、そう深くは付き合わない。そうした軽いつながりが心地よく、自殺も少ない。
北原さんも、つながりという言葉は、人によって意味合いが違う。付き合いが深かったり、数が多ければいいというわけでもない。数ではなく質だと言います。そして、ちょっとした「スモールトーク」、ささやかなやりとりだけでも心の中に幸せが生まれる。

ご自分の体験を語ってくれた人もいます。
小さい時は死が怖かった。でも夫が亡くなった時には何もしてやれなかったことを悔いて、自分も死にたい、いつ死んでもいいと思っていたが、子どもたちのことを考えると死ねなかった。いまは幸せに生きているが、そのせいか最近また、死が怖くなったというのです。また親が寝たきりになってしまい、「なんで死ねないのか」と言い出したという話もしてくれました。
そして、みんなに「死ぬのは怖いですか?」と問いかけました。

死ぬのは怖いか。
難しい問いです。今回、サロンに参加していた人たちは、死への恐れはあまりないようでしたが、「死はともかく、そこへのプロセスで苦しかったり痛かったりするのは嫌だ」「死ぬよりも死なれるのが怖い」という声がありました。
死への恐怖は、死後の世界が全くわからないことからくる不安ではないかという意見もありましたが、逆に死後の世界はわからないのでワクワクするという人もいました。

捉え方はいろいろですが、こんな意見もありました。
私たちは、いろんな体験をするためにこの地球に生を受けている、と考えると、死は怖くなくなる。孤独死に対しても、良い悪いはない。悪いとか良いとか判断して悩むのではなく、もっと高い視点で、すべては魂の成長のためと捉えれば、死について不安に思うことがなくなる、というのです。
その人は、ホームホスピスづくりに取り組んでいる看護師で、おそらく様々な死に触れて来ているので、死に対する接し方としてもとても説得力を感じました。
死は怖くないという思いを持った人に囲まれて、私も死を迎えたいと思います。

死が怖いか、という問いは私たちの生き方への問いでもあります。
もし、誰もが行き着く死が怖くてネガティブのものであれば、人生は不安で不幸ではないか、と私は思います。そうではなく、人生を明るく肯定的に生きるためにも、死をどう捉えるかはやはりとても大切だと思いました。心穏やかに見送ることは、看取られる人にとってもいいのではないか。少なくとも私はそういう思いで見送られたい。

まあこんな感じで、話はいろいろと飛び交いましたが、最後に、サロンの呼びかけにある「最後は誰かに看取られたいですか」という問いに対しては、私以外の人はあまりこだわっていないようでした。これは意外でした。私だけが寂しがり屋なのかもしれません。

しかし、私はこう思います。孤独死は孤独生の結果ではないか。問題は孤独死ではなく、生き方が孤独になってきていることではないか。
看取られながら人生を終われるように、周りの人たちとつながっている生き方を心がけたい。孤独死を起こさないように、ぜひまわりの人たちとのスモールトークに心がけたいと思いますし、できれば気になっている人には、なんとなく気にしているよというシグナルを送りたい。気にしている人にそれを伝えれば、相手もまたこちらを気にしてくれるはずですから。そういう小さな心掛けが、孤独死も孤独生もなくしていくように思います。
そして、湯島のサロンも、そうした人のつながりを育むような場にしていきたい。

孤独死を考えることは生き方を考えることで、死に方の問題ではない。問題は生き方なのです。「そろそろ「善く生きる」のテーマに、死からではなく、生から考えだそうと思います。

まあその手始めに、明日ですが、「人生のたのしみは」を気楽に話し合うサロンを開きます。
よかったら気楽にご参加ください。

Kitahara20230225100

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