■節子への挽歌5555:今日はまたいやに寒いです
節子
また寒い雨の日になってしまいました。
せっかく昨日、元気に向かいだしたのに、また落ちそうです。
今朝、メールを開いたら、また長いメールが届いていました。
とても長くて読む気にはなれませんが、読むことを期待してのメールですので、読まないわけにはいきません。困ったものです。
人と付き合うのはこれだから面倒なのです。
今日は読めないけれど明日は読むと返信だけしておきました。
いろんな人がなぜか論文や本を送ってくる。
以前はすべてきちんと読んで、本は必ずホームページなどで感想を書いて広く紹介していました。論文にも詳しくコメントを送っていた。それが私の世界を広げてくれ、私を豊かにしてくれると実感できたからです。
でも最近はその気力がなくなっているというよりも、消化力がなくなっているのです。
紹介するホームページも、最近は更新を止めてしまっているので、せいぜいがフェイスブックで紹介するくらいです。なかにはせっかく送ってもらっても、読まないこともある。
言い換えれば、私自身、自分の世界を広げ豊かにしようという気を失ってしまっているのかもしれません。
以前は、テーマが何であれ、送られてきたものは必ず読んでいましたから、世界は当然広がっていった。でも最近は自らの好みで、読む気がしないものはもう読めなくなった。
読む気が起きるかどうか、それはテーマというよりも、思考の方向性がその基準です。
その基準がどんどん狭くなってきているような気もします。
今朝のテレビで五木寛之さんが、人生100年時代の生き方を語っている中で、長生きすれば世界が広がるというようなことを言っていましたが、私の感覚では、ある時期から世界は狭くなっていくような気がします。
狭い世界に閉じこもりだした同世代の知人友人は少なくない。
私もたぶん他者から見たら、そうなのでしょう。いや、自分でも世界が狭くなっているのはよくわかる。そもそも最近は飛行機にも新幹線にも乗っていませんから。
寒いと思考も内向きになってしまう。
それにしても今日はまた寒いです。出かけるのも億劫なほどです。
自宅で怠惰にテレビで映画でも見ていたい気分です。
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