■湯島サロン「死刑制度はなぜ必要か」報告
死刑制度を考えるサロンの2回目は、死刑制度賛成必要の立場から北原千香子さんに問題提起をお願いしました。
参加者は10人。前回参加した人もいましたが、過半は今回が初めてでした。
北原さんはまず、死刑制度に関する世界的な動きをデータで説明してくれました。
大きな流れから言えば、世界は死刑制度を廃止する潮流にあります。2020年末の時点で、死刑制度を廃止した国は108、制度は残しているが実際の死刑は執行されていない国が28、死刑制度を存置している国が55、という状況になっています。
死刑制度のある日本での死刑判決は2012年以降激減し、2012年以降は毎年2~5件になっています。ただし、実際の死刑執行数は2018年にオウム事件に関連して多数の死刑が執行されたのを別にすれば、傾向はそう変わっていないようです。
死刑制度への国民意識も、この10年ほどはあまり変化していません。死刑制度存続はやむを得ないというのが圧倒的に多く80%強に対して、廃止すべきが10%前後、残り10%がわからない、もしくは一概には言えないという意見です。
興味深いのは、若い世代(18~29歳)の17%が最近(令和元年)では死刑制度を廃止すべきだと回答していることです。
もっともこの意識調査に関して、北原さんは設問の表現から考えて、この数字が死刑制度賛成・反対の数値とは必ずしも言えないと説明してくれました。
さらに日本の死刑執行の方法が非人道的で憲法違反であると死刑囚が国を提訴した話など、最近の死刑制度にまつわる話もしてくれました。
こうした世界の潮流や日本の状況を踏まえて、北原さんは、なぜ自分が死刑制度に賛成なのかの話をしてくれました。
その理由の背景には、北原さんご自身の被害者遺族との生々しい接触体験もあるのですが、そうした被害者遺族の思いを考えれば、極刑である死刑がなければならないというのが北原さんの死刑制度必要論の最大の理由です。
それは単なる怨念を晴らすという復讐ではありません。そこには贖罪という意識もあって、(被害者の無念を考えると)死には死をもってあがなわせるしかないという思いがあるようです。
そこから話し合いが始まりました。
死刑制度には反対だという人が多かったので、北原さんへの質問や異論もたくさん出ました。死刑を執行することで、被害者遺族は二重の殺人被害者になるのではないかとか、死刑制度の存在そのものが人道に反するのではないか、などなど。しかし、北原さんの信念はみじんも揺らぎません。
なにしろ北原さんの考えは、ただ頭で組み立てただけではなく、心理カウンセラーとして当事者と生々しく触れあっている体験によって組み立てられているからでしょう。
私自身も友人が殺害された経験がありますし、身近な人の不条理な死に加害者を殺したいと思ったこともありますから、北原さんの心情は少しわかる気もします。
ちなみに「冤罪」による死刑に関しては、今回は大きな論点にはなりませんでした。それに関しては、北原さんももちろん問題視していますが、それは死刑制度の話というよりも、死刑制度執行の話だからです。つまり死刑制度が間違った運営にならないような手続きをしっかりすることを前提として北原さんは死刑制度の必要性を説いているのです。
参加者の近藤さんが、立脚点が論理的か情動的かの違いがあるので、なかなか話し合いがかみ合わないと整理してくれましたが、たしかにうまくかみ合いません。
しかし話しているうちに、問題の所在がかなり整理されてきたような気がします。
それは、被害者遺族の気持ちを支え、被害者遺族への支援の仕組みこそが大切なのではないか、それこそが一番考えなければいけない「問題」なのではないか、ということです。この点に関しては、死刑制度反対論者にも共通していたように思います。
日本では、犯罪に巻き込まれた人を支える仕組みもあたたかく見守る社会の目もとても弱いと私も思っています。むしろ関係者を追い込む雰囲気さえある。
私自身、いつ関係者になるかわからないですから、このことは私もずっと気になっています。弱い者いじめの風潮は建前はともかく、実質的にはむしろ強まっているような気さえしています。
そうした状況が変われば、北原さんの考えも変わるかもしれませんが、むしろそうだからこそ、死刑制度には反対という立場もあります。
犯人の死刑ですべてを終わりにするのではなく、被害者遺族の救済で終わりにしたい、と思う人もいるでしょう。犯人も当然、その救済の責務を負うべきだと私は思います。死んでその責務を果たせるのか。遺族それぞれの考えがあるでしょうから、一概には言えない話だと思います。
死刑が「極刑」かどうかということも意見が分かれるところです。
たとえば私も北原さんと同じく、加害者には「極刑」をもって罪をあがなってほしいと思いますが、北原さんと違うのは、死刑は極刑とは思えないということです。俗な言い方をすれば、死んだら終わりというようなことは許したくない、簡単に死んでほしくない、そう思うのです。
遺族の怒りを、加害者に向けさせて、死刑で終わりにしてほしくない。
むしろその事件を切り口にして、なぜそんなことが起こったのかを明らかにして、そんなことが繰り返されないようにしてほしい。そして加害者には、死ではなく、生であがなってほしいと思います。
こういうことに関して北原さんは反対しているわけではないでしょう。
死刑制度の賛否を超えて共有できる問題が浮かび上がってきましたから、今度はそこに視点を置いて、また死刑制度を話し合うことにしたいと思います。
問題の立て方を変えて、そこから考え直していけば、死刑制度の捉え方も変わってくるかもしれません。
このサロンはもう少し続けていくことにします。
どなたか問題提起をしたいという方がいたら、ご連絡下さい。
今回のサロンで、升田さんが、死刑制度を考えるともっと大きな問題が見えてくると話してくれましたが、まさに「人のいのち」をどう考えるかに関わっていますから、社会のありようや私たちの生き方に深くつながっています。
殺人事件や死刑は、私たちの日常には無縁な特殊な話ではありません。
とつぜん自分に降りかかってくるかもしれない問題です。
このサロンでは、難しい議論ではなく、私たちの日々の生活につなげて考えていきたいと思っています。
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