■節子への挽歌5549:気の持ちようで世界は明るくも暗くもなる
節子
昨夜、とてもいいことがありました。
それで元気が回復しました。
元気を損なう原因も他者であれば、元気をもらえるのも他者からです。
時評編に書いたのですが、このブログに沖縄の人がコメントをくださいました。
まあそれだけの話なのですが、それがとてもうれしく、めげていた状況から脱することができました。
まあ人はこんな風に、単純なのです。私だけかもしれませんが。
元気になると、他者の言葉の受け取り方も違ってきます。
たとえば、今朝見たメールのひとつにこんな書き出しのメールがあります。
私のつたない思いを気にかけていただきありがとうございます。
とにかく、私はいつも言葉が足りず、皆さんに伝わらない会話が多いのでいつも反省ばかりです。
これでは何のことかわからないでしょうが、あることをこの人に提案した返信です。
このやりとりからきっと新しい物語が生まれそうです。
そう思ってフェイスブックを開いたら、いつも最初に私の記事に反応してくださる、まだお会いしたこともない人が、いつもは一言コメントなのに、ご自身の思いを込めたコメントを書き込んでくださっていました。
なぜかフェイスブックで知り合った人で、一度もお会いしたことはないのですが、なにやら急に会いたくなってきました。
おそらく私よりもご高齢なので、なかなかお会いするのは難しそうですが、なんだか会えるような気になってきました。
気の持ちようで、世界は明るくも暗くもなる。
今日はあまり天気が良くなく、午後は雨のようです。
でもめげずに今日は出かけようと思います。
湯島でリンカーンクラブの例会サロンなのです。
また論争でめげてしまいかねませんが、まあ元気を出して。
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