■節子への挽歌5561:25歳の私に出合いました
節子
今日はもう一つうれしいことがありました。
また昔の私に出会ったのです。
「花と機械とゲシタルト」の感想を岡和田晃さんに送ったのですが、それに関して岡和田さんから思ってもいなかったものが送られてきたのです。
それは、私が25歳の時に「SFマガジン」に投稿した記事です。
私自身、投稿したことさえ忘れていたのですが、岡和田さんはどうやって見つけたのでしょうか。
データバンク化されているわけではないでしょうし、驚くほかありません。
それにしても実になつかしい。
読んでみました。
偉そうな物言いが恥ずかしいですが、この頃、私がどんな気持ちでSFを読んでいたかを思い出しました。
岡和田さんは、実に好意的にこの投稿を読んでくれて、「「単なる娯楽」としての「現実逃避」ではない「身近」な思弁性としてのSFを求めていた佐藤さんが、自然と読まなくなったというのは当然でしょう」と書いてきてくれました。
たしかに、次第に私はSF離れをしていったのです。
岡和田さんは好意的に書いてくれていますが、私自身が現実にどんどん慣れていってしまい、社会への批判姿勢が弱まっていったのも一因かもしれません。
その後、たぶん読み続けたのは光瀬龍の宇宙年代記くらいでしょうか。
それも次第についていけなくなってしまいましたが。
今もむかし書いた文章はいろんなところに残っているでしょう。
それを読み直してみるのも面白いかもしれません。
でもあの頃の私と会っても、たぶんあまりいいことはないでしょう。
それに探すのも大変ですから。
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