■ホジャの話を思い出します
袴田さんの再審決定の判決が出ました。無罪、つまり冤罪の可能性が大きくなりました。
それにしてもなんでこんなに時間がかかるのか。当事者にとってはにやりきれないことでしょう。
しかし、それは決して他人事ではありません。私にもそうした冤罪が襲ってくるかもしれないことに気づくと、恐ろしくなります。
冤罪が発覚した時にいつも考えるのは、真の加害者のことです。
あるいは怒りを別の人に向けていた被害者関係者のことです。
そうした人たちのことを、警察や検査の関係者どう考えているのか。
冤罪が引き起こす影響は、冤罪被害者関係者だけではないのです。
治安の仕組みや安全や信頼への劣化こそが一番大きな問題です。
言い換えれば警察や検察、あるいは司法の責任こそが問われるべきです。
冤罪のでっち上げにエネルギーを向けずに、真実の究明にこそ、私たちの税金を向けてほしいものです。
冤罪の話に触れる度に、私はトルコ寓話のホジャの話を思い出します。
ある日、ホジャは地下室で指輪を落としてしまいました。
探したけれど見つかりません。
そこで今度は庭に出て探し始めました。
近所の人が見て「ホジャ、どうしたんだい?」と聞くと、
「地下室で指輪を落としたんだよ」。
「地下室で落としたのに、どうしてそんなところを探しまわるのさ?」
「あそこは暗くてよく見えないからね…」。
探し物は、光の当たっている探しやすい場所で探す。
これはもしかしたら、近代社会の精神かもしれません。
しかし、そうしているうちに、どんどん探し物から遠のいてしまい、結局は「探し物」を創らなければいけなくなってしまう。
これは、別に殺人などの刑事事件に限った話ではありません。
さまざまな分野で似たような「虚構づくり」が取り組まれている。
そしてそれに私たちの大事な税金が使われているとしたら、私たちもまた、そうした動きに加担していることになりかねません。
冤罪に出合うたびに、私にも罪の意識が高まります。
国家に所属することの罪深さを感じないわけにはいきません。
贖罪のためにできることを探さなければいけません。
たとえ、それが暗闇の中にあろうとも。
袴田さんご家族には、心から深謝し、感謝しています。
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