« ■中国の現代小説を読んだことはありますか? | トップページ | ■節子への挽歌5535:八千代新川千本桜まつりの桜 »

2023/03/07

■茶色の朝サロン「新しい戦前を感じますか」報告

久しぶりの茶色の朝サロン「新しい戦前を感じますか」には、あふれるほどの人が参加するだろうと思っていたのですが、その予想は見事にはずれてしまい、参加者は7人でした。日本はすでに「戦前」ではなく、すでに「戦中」に入ってしまっているのか、と思ってしまうほど落胆しました。

とまあ、これはきわめて個人的な私の主観ですが、参加者のおひとりが私以上に危機感をお持ちなのを知って、少し気が静まりました。でもまあ、正直、やはり湯島のサロン活動はあんまり意味がないなという思いがまた強くなりました。

今回の報告は、いつも以上に個人的な感想になりますが、お許しください。

今回は何も用意せずに最初から話し合いに入ろうと思っていました。どんどんと意見が出てくると思っていたからです。でも参加者が少なかったこともあって、落胆したついでに最初に2~3分話をさせてもらいました。

私が中学生の頃、経済白書で「もはや戦後ではない」という有名な文章が話題になりました。たしかにその頃から日本は高度成長経済に向けて動き出していきました。しかしその後も、世間では「戦後○○年」という言葉が使われ続けました。「戦争」基準で思考することから抜け出せなかったとも言えますが、戦争から自由になろうという意志が働いていた気もします。時代もその方向に向かっていたと思っていました。

ところが突然「新しい戦前」へと基準が変わりました。これによって、「戦争」がやってくるという方向に社会の言動は反転していくことになるでしょう。それでいいのか。

と、そんなことを少しだけお話しさせてもらったうえで、自由な話し合いに入りました。

おひとりが、危機感を訴えた後、自分で何ができるかを考えて、いまの流れを食い止めるためのメッセージを書いたステッカーを門に貼ろうと思うと話してくれました。問題は、どういうメッセージがいいかです。メッセージ入りのシャツも考えているそうです。
そうした各人のアイデアを出し合う方向に進めばよかったのですが、私の進行の不手際でそういう方向には向かいませんでした。私が落胆の罠に陥ってしまっていたからです。

メッセージ・シャツはカント主義者の私の好みではないのですが、ステッカーができたら私も玄関に貼りたいです。以前にもやっていたことがあります。。

いずれにしろ、戦争を避けたいと思っている人がそれぞれできることを始めれば、社会は変わるかもしれません。もし変わらなければ、それはみんなが戦争を望んでいる社会だっただけのことです。
ステッカー提案者は、その時は投獄されて獄死を想定しているようですが、まあ私も甘んじてその定めに従おうと思います。でも参加者の多くの人はそういうところまでイメージできないようでした。戦争のリアル感が違うのでしょうか。

人間は本能的に戦争をする存在だという議論もありました。私はそうは思っていませんが、多くの人はそういう議論にも異を唱えません。今回は私以外にも異を唱える人はいましたが、やはりどうも少数派のようです。もしかしたらみんな戦争をしたいのかもしれません。事実、今回のサロンでも議論がいささか論争になりそうな局面もありました。私に対しても、では佐藤さんは何をやっているのか、と厳しい追及もありました。
自らが何をするかではなく、誰かが何をやっているかに焦点を向ける風潮が、「戦前状況」の特徴のような気がしますが、この数年、ますますそうなってきているのをサロンを通じて感じています。もちろん私はそれに抗って、発言するようにしていますが。

私もかつてはデモやピースウォークなどに参加しましたが、いまの流れを食い止められませんでした。私はそこから、自分なりの活動を模索し、かつてはコムケア活動、いまはサロン活動を基軸に言動していますが、どうも自己満足なだけかもしれません。しかし、自己満足でもいいので、みんながそれぞれに行動を起こすことが大切です。

社会のベクトルを戦争に向けようという動きに対しては、以前から警告を発していた人は少なからずいました。そのおかげもあってか、政治の動きは何とか踏みとどまっていましたが、もうこれからは堰を切ったように動き出すでしょう。なにしろ「新しい戦前」という発言に大きな批判は出なかったのですから。もう状況がほぼ出来上がったのかもしれません。その上、口実をつくる材料も今やたくさんあります。

政府が外出を控えろと言えば外出を控え、ワクチンを打てと言えばワクチンを打ち、ウクライナを支援しろと言えば支援するように、いまや日本人の多くは、戦争だと言えば戦場に出ていくような気がしてなりません。1年前の日本の状況は、9.11事件後のアメリカの世論を思い出させました。

でも戦争は戦場で戦う人がいてこそ起こるのです。戦争を起こすのへ権力者ではありません。権力者に従う「戦う人たち」です。国のためにったかう人たちです。しかし、愛国精神などという時の「国」とは何でしょうか。

こう書いていたらだんだん腹が立ってきて、またまた余分なことを書きそうなので、これ以上書くのはやめることにします。どうもまだ人間ができていなくて、時々感情を止められなくなるのです。困ったものです。
それに読んでいる人のなかには、私と逆の意味でだんだん腹が立ってきている人もいるかもしれません。そうした「怒り」が、もしかしたら「戦争」につながっていくのかもしれません。だとしたら、私自身、「新しい戦前」に加担しているとも言えそうです。

しかし、戦争を起こすのはやはり私たち国民なのです。
そう思うとなんだか気力が心底萎えてしまうサロンでした。
もう茶色の朝サロンはやりたくない気がします。
誰かやりたいという人が出てまで、しばらくお休みします。

寓話「茶色の朝」を読んで、新しい茶色の朝サロンを再開してくれる人が出てきてくれるとうれしいのですが。どなたかやってもいいという方がいたら、私は必ず参加します。

ちなみに、「茶色の朝」サロンについては次をご参照ください。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2018/01/post-dd3c.html

Bms20230300

|

« ■中国の現代小説を読んだことはありますか? | トップページ | ■節子への挽歌5535:八千代新川千本桜まつりの桜 »

サロン報告」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ■中国の現代小説を読んだことはありますか? | トップページ | ■節子への挽歌5535:八千代新川千本桜まつりの桜 »