■節子への挽歌5563:出会いの大切さ
節子
今朝の我孫子は濃霧であけました。
でも今はすっかり晴れて、春らしい日になりそうです。
こうなると気分も明るくなります。
気が明るくなると明るいメールも来る。
高校の時の友人からメールが届いていました。
佐藤さんとの出会いは実に大切なものでした。
しかし西高時代は私にとって光でもあり影でもありました。
要するに大人の常識を知る時期だった。
その前後の文章から、なんとなく意味が伝わってきますが、私と違って彼は人生をしっかりと考えていたのでしょう。いや、いまもそうなのです。
高校時代にはあまり付き合いはなかったのですが、なぜかどこかの時点から付き合いが始まりました。そしていまも続いている。どこで付き合いを再開したのか、私にはまったく記憶がありません。彼なら覚えているかもしれないですが。
人との付き合いは本当に不思議です。
いや正確に言えば、その出会いをどう活かすかの方が大切なのかもしれません。
多くの場合、大切な出会いを見過ごしていることが多いからです。
いまから思えば、私にもそうした出合いはたくさんありました。
その出会いをもし活かしていたら、私の人生は全く変わっていたでしょう。
しかし、もしそうしていたら今の私はいないとも言えます。
だとしたら、「見過ごす」とか「活かす」というのも、意味のないことかもしれません。
いまの私をつくり上げるために、「見過ごす」も「活かす」もいずれも必要だったのですから。
今日も彼に会います。
どうして彼が今朝、こんなメールをくれたのか。
ちょっとわかるような気がするのは、私も最近そういうことを考えることがあるからです。人生を振り返ると、実にいろんなことがある。そしてそれをふと誰かに話したくなることもある。
この気分は一体どこから来るのでしょうか。
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