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2023年4月

2023/04/30

■節子への挽歌5600:1日中、椅子に座っていました

節子

今日は荒れた1日でした。
荒れたのは私ではなく、天気ですが。
最近の天気は実に変化が激しい。
その天気に強く影響される私はたまったものではありません。

一昨日、脳神経外科の定期検査でした。
病院は名戸ヶ谷あびこ病院ですが、脳神経外科の葛綿医師とは相性がいいので、行くのがむしろ楽しみです。
今回は血液検査だけでしたが、データは改善されてきているようで、薬も一つ減りました。ただまだ水分の接種は不足のようです。
薬を減らしたので、その様子を見るために次回もまた血液検査もやることになりましたが、血管年齢も調べることになりました。
最近、歩いていますが、その結果が楽しみです。

葛綿医師に、ついでに胆嚢のMRI写真も見せてもらいました。
ここの外科医とは相性が悪いこともあって、きちんと写真も説明してくれないのです。
それに説明も3人の医師がそれぞれ違うのです。
結局、胆嚢は摘出しようと思いますが、今日、写真を見たら胆石はさほど大きくないので、急ぐこともないでしょう。

ついでに背中に突起物が出て着てきたので皮膚科にもよりました。
紛瘤(ふんりゅう)というのだそうです。
形成外科で処置してもらうのがいいと言われました。

まあこんな感じで、私の身体も順調に壊れだしているようです。
そういえば、その前に見てもらった歯科医でも、レントゲンを撮ったら少しあやしい部分があったので、そこを改めて検査することになりました。
まあ早くこの身体から離脱したいと思いますが、離脱後、どうなるのかわからないので、まあ天命を待つしかありません。
長生きはしたくないのですが、なんだか身体はもう少し持ちそうです。

今日は1日中、椅子に座ってパソコンと読書とテレビで過ごしました。
こうして動かいでいると、夕方になると身体がつらくなります。

明日は晴れるようですので、歩こうと思っていますが、なんだかいろんな問題が次々と起こり、元気がなかなか出てこない。
困ったものです。

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■5月オープンサロンのご案内

大型連休明けの58日(月曜日)に久しぶりにオープンサロンを開催します。

いつものようにテーマのない、出入り自由のサロンです。
オープンサロンは何でもありですので、誰でも歓迎です。
オープンサロンは申し込み不要です。
気楽にご参加ください。

開始時間の15分前には開場していますので、どうぞ。

〇日時:2023年5月8日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■湯島サロン「みんなの習慣や日課を出し合ってみませんか」のお誘い

「しっかり自分を生きている」(と私が思っている)歌う作家の杉原白秋さんに、「善く生きる」のサロンをお願いしたら、こんなメールが来ました。

最近、習慣や日課の大切さを改めて感じています。
「習慣がその人自身をつくる」とよく言われますし、よい習慣を身につけて、悪い習慣を捨てたいと思ってもいます。もちろん、それがすんなりできれば苦労しないのですが(笑)。
その人の習慣には、その人の価値観や考え方が否応なく反映されているようにも感じます。

たしかにそうですね。
それに、ルーチンを入れこむことで、話題になったスポーツ選手も少なくありません。

杉原さんは、他人の日課や習慣を聞く機会というのは意外とあまりないような気もするので、みんなの習慣や日課をシェアしあって、自分の習慣や日課を見直すような集まりはどうか、と提案してきました。
ただ、なかには自分の生活をそんなに話したくない人もいるでしょう。
そこは杉原さんらしく、こう言ってきました。

自分の習慣や日課を話したい人も、ただ他人の習慣や日課を聞きたいという人も、みんなで適当に話せたらいいかなと思います。
もちろん僕の日課や習慣も話しますが、むしろ話題提供と進行役がメインになるかなと思います。

杉原さんにお願いすることにしました。

自らの日課を話し、他者の日課を聴く、そんなサロンが何を生み出すか。
面白いサロンになりそうです。
善く生きるを目指している方、ぜひ参加されませんか。もちろん、目指していない方も。

私もこれを機会に、自らの日課や習慣を考えてみました。意外とあります。
みなさんはいかがですか?

杉原さんの著書と楽曲の一覧は次をご覧ください。
著書一覧→ amzn.to/2HGdGf0
楽曲一覧→ https://goo.gl/y2am9Y

〇日時:2023年5月20日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「みんなの習慣や日課を出し合ってみませんか」
〇話題提供者:杉原白秋さん(高等遊民会議主宰/歌う作家)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2023/04/29

■5599:風のなかの畑仕事

節子

5月の大型連休が始まりました。
と言っても、私には全く関係のない話ですが。
私が会社を辞めてから、わが家には連休ということは全く無意味になりました。

カレンダーから解放され、連休は観光地もレストランも混雑するので、在宅するか湯島の仕事場に行くかという生活になったのです。
そして、そもそも「休暇」をもらうという発想がなくなり、カレンダーの祝日が全く気にならなくなってきてしまいました。
そのうちに曜日さえ意味を失ってきました。

私は昔から腕時計をしませんが、カレンダーさえ不要になってきた。
そういう生き方をしていると、時間感覚も変わってきます。
記念日の捉え方も変わりますが、これは私だけのことかもしれません。
誕生日を祝う気持ちがなくなり、ましてや人為的なバレンタインデーなどのプレゼント交換には否定的な気分が生まれてしまうほどです。

とこう書いていて、いまハッと気づいたのですが、先日、ボストンから送られてきたチョコレートはもしかしたらバレンタインデーのプレゼントだったのかもしれません。とすると、さらにもしかするとですが、送ってきてくださったSさんは、この挽歌を読むかもしれません。
とすると、なんだかSさんの善意を逆なでするようなことを書いているような気がしてきました。Sさん、すみません。気づきませんでした。

節子からは、あなたは無神経に思ったことをすぐ口に出す、しかも善意のつもりが相手を傷つけるような表現が多いから気をつけたほうがいいとよく言われていました。
節子も当初はそれでだいぶ傷つけられたようですが、私と一緒に暮らしているうちに、同じ言葉に悪意ではなく善意を読み取るようになった。それでも時々、ムッとすると言っていました。

今はサロンで複数の人から佐藤さんの言葉は無神経で、乱暴すぎるとよく言われます。発言者に悪意がないかどうかは関係なく、発せられた言葉はそれ自身で相手には突き刺さります。だから私は人を傷つけることが多いようです。
困ったものです。
最近はそれなりに気をつけていますが、なかなか直りません。

話がそれてしまいました。
今日は連休初日ですが、私は風の強い中、畑で土を耕していたということを書こうと思ったのですが、なんだか全く違う内容になってしまいました。
でも畑作業は順調に進んでいます。

畑づくりは実に楽しい。巡礼以上に、俗事を超えさせてくれます。

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■湯島サロン「中国に存在する『日本人公墓』を知ってますか?」報告

「中国の人たちのことをもっと知ろう」という趣旨のサロンの第1回目は、方正友好交流の会理事長の大類善啓さんに、中国ハルピン市郊外の方正県にある『日本人公墓』の話をしていただきました。

大類さんは、なぜ自分が『日本人公墓』に関わることになったのかの話から始めました。その話も、とても興味深いものがあり、大類さんならではの興味深い話でした。
そこから方正の日本人公墓の話にはいり、そういう活動を通して大類さんが感じていることや「友好」についての思いなどを話してくださいました。

旧満州の「開拓民」たちの死者が眠る公墓が、なぜ中国の方正の地にあるのか。
そしてなぜ、加害者である日本人の墓がこんなに立派につくられたのか。
さらに、いまなお日本人との交流が続いているのはなぜか。

大類さんは、それをご自分の体験を踏まえながら、話してくれました。
大類さんたちの活動が契機になって日本人公募の存在を知った記録映画作家の羽田澄子さんが制作した「鳴呼 満蒙開拓団」という映画、そしてそこから生まれた意外なエピソードの話も出ました。

日本人公墓が生まれた経緯に関する部分は大類さんの了解を得たので下記にアップします。
https://youtu.be/Gw3jVEq4rE4
なお、全体の動画記録もありますので、関心のある方はお問い合わせください。
大類善啓さんが理事長を務める方正友好交流の会のサイトにも詳しい経緯やそれにまつわる話も紹介されていますので、ぜひご覧ください。http://www.houmasa.com/

公募が建立された背景には、中国政府の国家の枠を超えた「国際主義」の精神がありました。大類さんは当時の周恩来首相が「開拓民といえども日本軍団主義の犠牲者だ。丁重に葬りなさい」と言って公募建立を許可したと話してくれました。
しかし、その後、中国政府からはそうした「国際主義」の精神は失われ、「人民日報」からも「国際主義」という言葉が消え、「愛国主義」という言葉がそれに代わってきたと言います。

大類さんがいま感じているのは、国家を前提にした国際主義には限界があるということです。大類さんは、人類人主義というザメンホフ(エスペラント語の創案者)の思想である「我々は人類の一員である」という考えに共感して、ご自分でも「エスペラント」という本をお書きになっています。そして、国際主義より人類人主義をもっと広めたいという話もしてくれました。

「友好」という言葉も、「国家間の友好関係」か「個人同士の友好関係」かによって、まったく違うものになります。旧満州の「開拓民」の歴史は、そのことを生々しく教えてくれます。

大類さんは、日本作家代表団が1960年に訪中した時の陳毅副総理とのやりとりも紹介してくれました。
団長の野間宏が「過去のことは過ぎ去ったことにしようと陳毅副総理は言われるが、我々は責任を負わないといけない。過去を忘れてはいけないし、水に流すことはできません」と言うと、陳毅副総理は即座に「そう言われることは素晴らしい。我々は過去のことは過ぎ去ったものにしようと言い、あなたがたは日本人として過去を忘れてはいけないと言われる。そうであるなら両国人民は本当の友好を実現することができるでしょう。逆に、我々が日本をずっと恨み、日本人が中国を傷つけたことをきれいさっぱり忘れてしまうようなことになったら、中日両国はいつまでたっても友好関係を実現することはできないでしょう」と返したそうです。

これこそ「友好関係」を育てていく基本だと思いますが、残念ながら今の日中や日韓などの関係はその反対のような気がします。そしてそれが個人間の関係にまで影響しているように思います。

参加者は6人だったのですが、それぞれの「中国」への思いも語りながら、いろいろなところに飛び火しました。
いずれにしろ、私も国家を離れた生活者同士の交流が大切だと改めて感じました。

6月から中国現代小説をテーマにしたサロンがスタートします。
日程が決まり次第ご案内差し上げますが、私たちはもっと近隣諸国との人間同士の交流の機会を増やしていくことが大切な気がします。
「中国の人たちのことをもっと知ろう」サロンに話題提供してくださる中国の方をぜひご紹介ください。

Ohrui20230422

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2023/04/28

■節子への挽歌5598:毎週月曜日にメッセージが届くことになりました

節子

ちょっと気になる若者がいます。
精神を少し病んでいて、昨年末からまた入院していました。
2年ほど前、ある人の紹介で湯島のサロンにやってきました。
なぜか私に心を開いてくれました。

それからいろいろとあったのですが、結局、また入院してしまいました。
それでも時々、病院を抜け出してサロンにも来てくれました。
サロンと言うよりも、私に会いに来てくれたのです。

私はこういう人にも特別な対応はしません。
すべての人にできるだけ同じように対応しようとするのが、私の信条にしているのです。
中途半端なに肩入れしてしまい、自分がダメになりそうになった経験が一度ならずあるからです。

また半月程連絡が途絶えていましたが、メールが来ました。
しばらくは長野県の祖母の家近くに住むことにしたと言います。
サロンに行けないのが寂しいと書いてありました。

それで提案しました。
週に1回、定期的に週間生活記録でも考えたことでも、なんでもいいので、私にメールすることをルーチンにしたらどうかと。
彼は素直にそれを受け入れて、毎週月曜日にメールを書くと言ってきました。

感受性の強い若者です。
毎週、彼のメッセージを受けとるのはそれなりに大変そうです。
なにしろ、最初に会った時に、佐藤さんたち大人たちがこんな社会にしてしまった。早くいなくなってほしいと言うほどに、今の大人への不信感が強いのです。

さてさてどうなるでしょうか。
でも彼の心の平安に少しでも役立つなら、と思っています。

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■湯島サロン「私がなぜ長南町でお百姓さんのような暮らしをしているのか」のご案内

別々にスタートした「善く生きる」と「働く」のサロンが次第につながってきているのですが、今回もその2つを見事に重ねて生きている(と私が思っている)千葉県の長南町でお百姓さんのような暮らしをしている木原千賀子さんにサロンをお願いしました。

なぜ長南町に転居し(東京から転居されたようです)、百姓暮らしをしているのか。木原さんは「自分の人生を使ってみたいというテーマを持ち始めたことが今の暮らしの原動力」だと言います。

「自分の人生を使ってみたい」!
こういう発想の人に、私は初めて会いました。
しかも、行き着いたのが「百姓暮らし」。

百姓暮らしは、私には憧れの生き方なのですが、今生では実現できませんでした。
サロンをぜひお願いしたいと思っていましたが、それが実現したのです。

木原さんは、仕事とは生きることだと考えています。
問題は、どう生きるか、です。
その問いの答えを求めて長南町に引っ越したようです。

引っ越しする前、つまり百姓暮らしの前には、木原さんは仕事(会社勤務)をしている時と生活をしている時との間に生じる、何か埋められない溝のようなものを感じていたようです。生きるために生活をしているはずなのに何だかその本来の目的のための行動がすっぽり抜けている。そんな気がしていたのです。

その溝を無視することができなくなってしまい、生活環境を変えようと転居。そこで「お百姓さんという存在」が自分の望んでいる生き方と気づいたそうです。そして、いまは「仕事=生きること」と確信をもって言えるようになった。

でも、仕事とか生きるに関して、いま十分に納得できているわけではありません。それに、生活費をどう確保するかも解決していない。「百姓暮らし」もまだまだ納得できるところにまでは至っていないようで、試行錯誤が相変わらず続いている。
今でも何か新しいことに踏み出す時や目の前に選ぶ道が現れる時、必ず無視できないモヤモヤする気持ちもが現れる。木原さんは、その「モヤモヤの声」は、何か過去や未来からのメッセージではないかと言います。過去や未来からのメッセージ? これもとても気になる話です。

とまあ、そんな木原さんの体験からの気づきや木原さんのモヤモヤ感などをお聞きしながら、それぞれが生き方をちょっと問い直すようなサロンになればと思っています。
今の生き方にちょっとモヤモヤしている方や反対にまったく何のモヤモヤ感もなく生きている方には、特にお勧めのサロンです。

〇日時:2023年5月21日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「私がなぜ長南町でお百姓さんのような暮らしをしているのか」
〇話題提供者:木原千賀子さん(百姓暮らし模索中)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2023/04/27

■節子への挽歌5597:四半世紀ほど前の話

節子

おそらく節子も会ったら思い出すような人が最近湯島のサロンに時々やってきます。
今日のサロンにやってきた3人は、まさに四半世紀前によく湯島にもやってきていた人です。
しかも話題が、当時のことを思い出させるものでした。

サロンで話していたら、どうもいずれもそれに私が関わっていたようです。
そういう話を聞いていると、まるで昔の私に、会うような気がします。
私はもう記憶を薄れさせていますが、佐藤さんの紹介でとか、佐藤さんから言われてとか、と言う話を聞くとなんだかそこに懐かしい自分が見えるような気がします。

しかしそうやって話を聞いていると、私が何も変わっていないような気もします。
相変わらず人間として成長していないのです。
困ったものです。

四半世紀前の私は、ともかく毎日が面白かった。
その面白さにかまけて、節子への気遣いがあまりなかったことに最近ようやく気付きだしています。
そしてその面白さを満喫した生き方ができたのは、おそらく節子の支えがあったからです。当時は人生を四半世紀に分けて、生き方を変えようと考えていました。
ですから、75歳からの人生の第4期は、節子との2人だけの隠棲生活を意図していたのです。だからそれまでのわがままな生き方を節子も許してくれていたのです。

でも、その人生第4期がやってくることはありませんでした。

いまここをしっかりと生きることがどれほど大切なことなのか。
気づくのが遅すぎました。
もし四半世紀前に、それに気づいていたら、と思うと、自らの愚かさに腹がたちます。

せめて同じ間違いは繰り返さないようにしようと思いますが、「いまここ」をしっかりと生きることは、とても難しい。
私の愚かさは、何も変わっていないのかもしれません。

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2023/04/26

■節子への挽歌5596:巡礼の気分で

節子

鈴木さんが、昨日、スペインのサンチャゴ巡礼に出かけました。
コロナで3年ほど、行けなかったので、サンチャゴ代わりに湯島サロンの足しげく通っていたのですが、ようやく、また行けるようになったのです。
今回は40日ほど、歩いてくるそうです。

その鈴木さんから、出かける前に沢木耕太郎の新著「天路の旅人」を借りました。
第二次大戦末期、中国大陸の奥深くまで「密偵」として潜入した若者西川一三をテーマにしたノンフィクションです。
彼は、敗戦後もラマ僧に扮したまま、8年間にわたり、未知なる世界への歩みを止められず、帰国後、それを「秘境西域8年の潜行」として出版。以来、そのことを語ることなく、ひっそりと生き抜いた人です。

沢木耕太郎は、生前、西川に会ってインタビューをしていますが、その時には結局、本にできませんでしたが、その時のやりとりも少しこの本に出てきますが、そのわずかなやりとりを読んで、私は西川という人物に惚れてしまった気がします。
巡礼者はどこかに人を惹くものが生まれるのでしょうか。

私は本はどんなに厚い本でも原則2~3日で読むことにしています。

この本も読みだしたら、面白く、一気に読みそうになったのですが、鈴木さんがサンチャゴを歩くと言うので、それに合わせてゆっくりと読むことにしました。
と言っても40日はかけられないのですが、1日50頁前後を読むことにしました。
570頁ほどですので、それだと10日ほどかけられそうです。

西川の場合は、巡礼ではなく、むしろ危険な密行なので状況は違いますが、歩くという意味では繋がるところがあります。
鈴木さんからお聞きしている巡礼体験と重なるところがあるような気がします。
たとえば、こんな文章が出てきます。

西川は歩きながら思っていた。旅に出ると、生活が単純化されていく。その結果、旅人は生きる上で何が大切なのか、どんなことが重要なのかを思い知らされることになる。火がおきてくれれば湯が沸き、太陽の光を浴びれば体が暖かくなる。たったそれだけで幸せになる……。幸せとはこういうことを言うのか…。

私は巡礼はしていませんが、最近、こうしたことがわかるようになってきている気がします。
まあ私も、節子と別れて以来、どこか旅をしている気がいつもしているのです。
そのおかげかもしれません。

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2023/04/25

■節子への挽歌5595:久しぶりにジーパン

節子
久しぶりにジーパンをはきました。

畑作業のためです。
先日、衣服の整理をしていて出てきたのですが、もう吐くこともないだろうと廃棄するつもりだったのですが。どうも捨てる気になれずに残していたのです。
それを思い出して、畑作業用にすることにしたのです。

私はジーパンが好きでした。
大学もジーパンで行くことが多かったですし、卒業後も30代までは普段はジーパンだった気がします。
さすが会社ではジーパンは着用していませんでしたが、休日に節子と一緒にジーパンの上下で、日本橋の三越に買い物に行ったのを当時の上司に見られて、月曜日に会社に行ったら、いつもと全く違ってなかなかよかったと言われたことがあります。しかし、それを聞いた同僚の先輩には、ヒッピーみたいな汚い格好だったでしょうと茶化されましたが。

久しぶりのジーパンは、しかしいかにも合いません。
身体的にではなく、気分的にです。
もっとも最近は何を着てもなぜか気分的に合わないのです。
それでいつもユニクロのシャツに決めていますが、それも年々なんとなく気分的にしっくりこない。
なぜでしょうか。

ユカからは、もう少しちゃんとした服装をしたらと言われますが、お店に買いに行っても、着たいと思う服が全くないのです。
と言うよりも、何かを持ちたいと思う気さえなくなっています。

でも畑では、所かまわず地面に座ったりしまうので、ジーパンは好都合です。
虫よけにもなります。
当分、畑作業はジーパンにしようと思います。

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■畑作業もどき記録20230425

今日は9時過ぎに畑に行きました。
先日整理していたら出てきた昔はいていたジーパンで作業です。
久しぶりのジーパンです。全く似合わない。

30分で帰宅する予定が、気がついたら11時。
畑作業をしていると時間を忘れます。
今日はまた畑面積を拡大し、さらに夏大根と葉ねぎを播く準備の畝をつくりました。
加えてかなり広い畑候補地も作りました。ここにはモロヘイヤやニンジンを予定。すでに植えているキュウリやナスもいささか危ういので、これも植え直そうと思います。
着々と収穫農業に向けて準備が進んでいます。

ところで、笹の生い茂っていたところを開墾するのは大変なのです。
その一部を写真に撮りました。かなり太い根っこがわかると思いますが、こうした根っこが地中に張り巡っているのです。
それと開墾作業をしていると、光合成に陽光は不要なのではないかなどという非常識の考えが生まれます。土中に青い葉を見つけることがあるからです。
まあ書籍で学んだ知識にはこだわりませんので、面白い発見がたくさんあるのです。

上から見ると空き地の緑が茶色に代わってきています。
これがまた緑になると畑作業も成果があったということです。
同じ色でも意味合いは全く違うのです。
茶色で覆われだしている日本の社会も、なんとか新しい緑の社会に代えたいものです。

 

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■湯島サロン「自閉症の若者が感じているいまの社会」報告

平日の開催にもかかわらず、18人が参加しました。
世代も20代から80代。それもみんな大きな関心を持っての参加でした。

話題提供者の南さんは、自らが5年前に攻撃性の自閉スペクトラム症と診断されたばかりか、昨年は視覚障害者とも言われたと自己開示し、それにつづいてこれまでの生活を、時に自省的に、しかしストレートに語ってくれました。

その話に、おそらく多くの参加者が圧倒されたと思います。
そこには、嘘や恨みや妬みも感じなければ、悲惨な内容にもかかわらず暗さも感じられないもので、むしろ聴く人に元気と勇気を与えてくれたように思います。
実際に、サロンが終わった後、最近、うつで落ち込んでいた参加者の一人が、今日思い切って参加してよかった、彼女の話を聞いて、うつが吹っ飛んでしまったと私に話してくれました。

そうは言っても、彼女の話は、実に重い内容で、私たち一人ひとりが考えなければいけないメッセージがたくさん含まれていました。
サロンでもコメントさせてもらいましたが、福祉問題や生活支援などの話し合いでは、よく制度が不十分とか施設はできてもそれを活かすスタッフや人材が不足しているとかいう話になるのですが、そうした問題の原因探しも大切ですが、それ以上に大切なのは、「ないもの探し」ではなく、私たち一人ひとりが自分の問題として、想像力を高めて、自分ができることを考えることだと私は思っています。
社会にもし問題があれば、専門家や制度や施設に期待するだけではなく、自分でできることに取り組むという「当事者意識」(それを私は「コモンズ意識」と呼んでいます)をみんながもてば、社会は全く変わってくるように思います。

南さんはサロンの前にこう言っていました。

私の姿、語り口を見てもらい耳で聴いてもらい、こんな人生でこんなタイプの障害者がいるのかと驚いてほしい。それか気付きやきっかけ、閃き、当日来られる方のヒントや光明になればと思います。

この言葉に、南さんの生き方が象徴されているようにも思います。
彼女の世界はいつも外に広がっているのです。

南さんはこうも言っていました。問題を投げてただ議論しても何も解決してこなかった。私のように、問題を知らせて、解決策を自分で見出せる人が、ひとりでも多く増えてほしい。彼女は考えるだけでなく、常に解決を目指している。いいかえれば、いつも現実を踏まえて前向きに生きているのです。

 障害を持つとされている人だけのことではありません。そもそも「障害」は時代によって広がってきています。南さん自身、自閉症と言われたのは5年前、視覚障害者と言われたのは、つい最近。でも5年前も最近も、南さんが変わったわけではないのです。社会が「障害者」と認定しただけなのです。
ということは、誰もがいつ「障害者になるかもしれません。いやそもそも「障害者」と「健常者」と言う捉え方が固定的なものではなく、制度的なものでしかないのかもしれません。「言葉」に負けてはいけません。もちろん「甘えて」もいけない。
いずれにしろ、誰もが「問題」に気づいたら、社会に問いかけながら、解決に向かって動き出さなければいけない。南さんは、それを実践しているのです。

突然、自分が「自閉症」とか「視覚障害者」とか診断されてどう思ったか、というぶしつけな私の質問に対して、彼女はなにもかわらない、と言いました。
予想していた通りの答でした。彼女にはしっかりした自分の生き方がある。
たとえば、彼女は仕事をしていますが、障害者雇用制度などは利用せずに就職活動をしています。障害者雇用制度のおかしさに気づいているからです。
もちろん、「自閉症」や「視覚障害者」と言われたことは、彼女は素直に受け入れ、生き方に前向きに取り入れている。そんな気がします。

南さんは、生活費を稼ぐために南さんは介護職として仕事をしていますが、その忙しい合間に格闘技団体マネージャーとしてのボランティア活動もしています。いやそれだけではありません。困っている人がいたら、支援活動までしている。自分のやりたいことをするために借金までして資格を取り、人生を豊かにしようとしている。

ちなみに、みんなの前で今回のような話をするのは初めてだったそうです。サロンの後、南さんは思い切って話すことであそこまで反応をもらえるとは思っていなかったと言ってきました。そして、「思い切って話すこと」で、自分自身にも変化が起きそうな気がする、とも。まさに南さんらしいです。

南さんの話したことは、ほとんど何も報告できませんでしたが、南さんからのメッセージは少し伝わったでしょうか。参加者はそれぞれに感ずるものがあったと思います。

最後に南さんに、今回、みんなに一番言いたいことは何かと訊きました。南さんは、みんながもっとおかしなことに声をあげてほしい。そうなれば社会は変わっていくだろう」と応えてくれました。私もまったく同感です。
自分の世界に閉じこもらずに、社会に向けて声をあげていきたい。そう思います。

南さんは、今度は白杖を持って歩いている視覚障害者「弱視の南」として話すサロンをやってもいいと言ってくれています。
6月にまた南さんのサロンを企画したいと思います。

参加された方、もしよかったら感想などを投稿してください。
南さんはもっとたくさんのメッセージを発していたはずですが、私が受け止められたのはほんの一部でしかありませんので。

Minamisalon2023042100

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2023/04/24

■節子への挽歌5594:場所の記憶

節子

テレビドラマの「グレースの履歴」を毎週観ています。
8話ですが、今日見たのは第6話です。
毎回、涙ぐむのですが、今回は特に思いにふけってしまいました。

主人公が亡き妻の残した車に残った走行記録の跡をたどって旅をする話ですが、第6話の舞台は、大津の唐橋の近くでした。
節子とよく歩いた街並みも出てきました。
節子と同棲を始めた最初の場所が、この唐橋のすぐ近くだったのです。

主人公には幼いころに両親の離婚で離ればなれになった弟と母親がいましたが、事故で無くなった妻が、弟と母親に再会させようとしていたのです。
兄弟の出会いも感動的ですが、母親との出合いも感動的です。
いや並行して語られるヒッチハイクで同乗させた若者が、別れた兄と再会するエピソードも涙が出てしまいます。

しかし、私の涙は、そうした感動的なエピソードというよりも、亡妻が遺した、「存在しない想い」なのです。そこにいつも節子を感じてしまうのですが、今回は場所が場所だけに、そうした思いがどっと押し寄せてきてしまい、ついつい涙ぐむではなく、涙を出してしまいました。できれば嗚咽したいほどに、です。

石山にも瀬田の唐橋にもさまざまな思い出がある。
私が自宅から出て最初に住んだのが滋賀県の大津の石山であり、節子と同棲し始めたのは、瀬田だったのです。
瀬田に住んでいたのは1年足らずでしたが、思い出が山のようになる。

あの半年は、私の人生では最高に幸せな時でした。
6畳一間の生活でしたが、日曜日はいつも奈良か京都に行っていました。あるいは近くの野原で飛び回っていました。
テレビもなく、エアコンなどあるはずもなく、寒い冬でしたが、私にはそういう同棲生活が夢だったのです。
ドラマを観ていて、そんな記憶がどっとよみがえってきたのです。

哀しさと嬉しさ、何かとても不思議な、でもどこかあたたかな気持に、包まれました。
私にとっての、一番記憶の深い場所は、もしかしたらここかもしれないと、思いました。

でも一人で、そこを訪ねる勇気は全くありません。
いつかまた節子と一緒に行けるといいのですが。
もちろん来世の話ですが。

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■第26回万葉集サロン「〈恋〉を歌わぬ憶良。老・病・死の先に顕われてくる自己の象〈かたち〉」報告

憶良が晩年に詠んだ「恋男子名古日(男子(おのこ)の名を古日(ふるひ)といふに恋ふる歌)三首」が今回の主題です。

歌の本質とも言える「恋」を歌わない憶良が、「恋ふる」と言う表現を使っているところに升田さんは注目します。幼子の死への思いを詠った歌なのに、なぜ「哀しむ」や「悼む」ではなく「恋」なのか。升田さんは、そこに憶良の最晩年の心境を読み取ります。

升田さんは、先ず長歌を朗誦しながらていねいに読み解いてくれました。そして、この歌の表現のなかに(たとえば「カタチ」「トバス」などに)、憶良の「いのち」や「死」に対する想いが読み取れるというのです。

もうひとつ升田さんが指摘したのは、「・・・を恋ふ」ではなく「・・・に恋ふ」。「を」ではなく「に」という表現です。
「・・・を恋う」と言えば、主語が自分の能動態になりますが、「・・・に恋う」となると、むしろ主語は自分ではなくなり、対象からの働きかけという感じになります。これは古代特有の助詞の使い方だそうですが、そこに以前サロンでも取り上げた「二分心」につながるものを感ずると升田さんは言います。

憶良が主体的に古日を恋うのではなく、古日のほうから何か感じさせるものが発せられ、憶良を動かしている、というわけです。そして、そうした表現の中に、これまでこのサロンで話題になってきている、「な」「わ」「た」の関係、つまり個人の覚醒や社会の形成を考えさせられる示唆があると言うのです。

ちなみに、「二分心」に関しては以前一度、サロンをやっていますので、関心のある人はその報告をお読みください。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2022/04/post-ac0b9d.html

憶良の歌は、具体的で写実的、叙事的で、近代詩歌を思わせるところがあるが、どうも近代詩歌とは違う。升田さんは、その謎はもしかしたら、二分心仮説によって解けるかもしれないと考えているのです。それで、今回も古代ギリシアの長編叙事詩「イリアス」の一部を紹介してくれました。

人間の身体と霊魂など、とても興味深い話も出たのですが、中途半端には紹介しにくいので省略します。しかし、時々話題になるように、万葉集の世界とイリアスの世界はつながっているように思います。いつか、「万葉集とイリアス」をテーマにした万葉集サロン番外編をお願いしたいと思っています。

話を戻します。
升田さんは、内なる自分と対峙しつづけながら、しかしまだ古代の「わ」の中で、自己の顕現に苦悩している憶良を見ているのです。
渡来人としての理性的な憶良がそこにある。にもかかわらず、憶良にはまだ「神の時代」が残っている。

憶良が生きていた時代は、いわゆる天平の世でした。
天平期は、華やかでありながらドロドロした時代だった。しかも、唐と新羅との交流も盛んで、いろんな意味で、激しく厳しく目まぐるしい時代だったようです。そんななかで、「社会(世間)」や「人の生き方」への意識も生まれ、個人意識も生まれだした。さらには、「た(多)」の最小単位としての「家族」も顕現しだした。しかし、そうしたものを支える、たとえば仏教のような人のつながりを支える「世間(よのなか)の道」という意識はまだ広がってはいなかったのです。

そうした憶良の生きた時代について、升田さんは「続日本紀」を引用しながら話してくれましたが、いまの社会にもつながるところもあって、とても興味深い話でした。たとえば、「女医の博士」などという話が出てくるのです。

そして升田さんは、最後に憶良の「沈痾(やまひおも)りし時の歌」を、憶良と交流のあった大伴旅人の「凶問に報ふる歌」と並べて読んでくれました。

旅人が、「世間(よのなか)は 空しきものと 知る時し いよいよますます 哀しかりけり」と詠っているのに対し、憶良は「世間(よのなか)は 空しかるべき 万代に 語り継ぐべき 名は立てずして」と詠っているのです。
旅人は素直に空しさを詠い、憶良は生きることに執着している。
そこにも憶良の人間像を読み取れます。

そして升田さんは、憶良についてこう総括してくれました。

柿本人麻呂のように宇宙的霊的な大きさで「た」と融即することはなかった山上憶良は、激しく変動する天平期の中で「家族」の単位に帰属して行く。その中で自己と対峙し続ける憶良はまた「教理」と「情」の対峙を見続ける人でもあった。

現実を直視した歌は歌人としての評価・理解は得られなかったかも知れないけれど、一貫したテーマや表現方法を曲げることはなかった。それは憶良の孤独を意味するけれど、憶良は倭歌に憧れながらも自分の歌に生きることを全うしたのだと思う。

話し合いでは、憶良の人間像をめぐって、さまざまな意見が出ました。憶良が人間らしく生きていた証しかもしれません。
古日の歌も、感動して涙が出たという人もいれば、何か白々しさを感じてしまうと言う人までいろいろでした。

4回にわたる憶良は、とりあえず今回で終了ですが、憶良の歌を通して、時代の大きな変化を読み取れ、万葉の時代への理解も深まったと思います。

ちなみに、憶良が開いた世界は、そのまま、新しい文化、新しい歌の世界を開いていったわけではありませんが、しばらくの空白期を経て、平安期の歌や物語へとつながっていくわけです。
改めて万葉に時代の面白さに気づかされたサロンでした。

次回の万葉集サロンは618日の予定です。

Manyou26100

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2023/04/23

■節子への挽歌5593:陽光をあびるだけで人は幸せになる

節子

挽歌を書いた後、畑に水をやりに行きましたが、やはり作業がしたくなって、また畑を一面、掘り起こしました。だいぶ広くなりました。
今年は野菜をわが家の食材のために収穫を目指します。これまでは自然に返していたのですが。

今日は午後から石灰を買ってきて、耕した土を中性化して、畑に仕立てようと思っていたのですが、午後から急に疲れがどっと襲ってきて、買いに行く気力を失いました。たまっているサロンの報告も書かなくてはいけないのですが、これも全く気力がでない。

それで、鈴木章弘さんから借りていた沢木耕太郎の「天路の旅人」を開いたのですが、面白くてそのまま100頁ほど一気に読んでしまいました。
「秘境西域8年の潜行」を書いた西川一三をテーマにしたノンフィクションです。
そこにこんな文章が出てきました。

旅に出ると、生活が単純化されていく。その結果、旅人は生きる上で何が大切なのか、どんなことが重要なのかを思い知らされることになる。火がおきてくれれば湯が沸き、太陽の光を浴びれば体が暖かくなる。たったそれだけで幸せになる……。幸せとはこういうことを言うのか…。

本を貸してくれた鈴木さんは、明後日から数年ぶりにスペインのサンチャゴ巡礼に出かけます。
その鈴木さんがよく言っていたことにつながる言葉です。
私も最近、つくづくそう思います。

陽光をあびるだけで、あるいは風にふかれるだけで、人はどんなに幸せになれるのか。
畑で作業をしているだけで、どんなに幸せになれるのか。

「天路の旅人」はゆっくり読むことにしました。
私はいつも本を一気に読む習癖があるのですが、今回は1週間くらいかけようと思っています。

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■節子への挽歌5592:サロン続きでしたがなんとか通り抜けました

節子

この1週間、ほぼ毎日、湯島のサロンで、いささか疲れました。
なか2日サロン休みは会ったのですが、なんと6回のサロン。しかも中日は地元の集まりやらなにやらあって、ゆっくりする時がありませんでした。
以前はサロンはむしろ休息に当たったくらいですが、最近は、休むどころか疲れるようになってしまっています。

もちろん心やすまるサロンもありますが、そうとばかりは言えません。
それにサロンの前後は、やはりいろいろとある。
なかにはいささか深刻な相談もあるのです。

そんなわけで、今回は、なんとか通り抜けできたというほど、疲れました。
精神的な疲れと言うよりも、体力的な疲れなのですが。

それに最近、湯島の往復はできるだけ上野駅経由で、歩くようにしています。
それもかなりの速足で歩くようにしています。
その上、お気に入りのサンダルの調子があまりよくありません。
新しいサンダルは、前のと同じものを購入したにもかかわらず、なぜか足にフィットしないのです。

まあそんなわけで、今日は久しぶりにのんびりできます。
と言いながらも、午前中は地元の友人からの相談で、近くのサイゼリアで会うことになっています。
声がかかるとどうしても心身が動いてしまう。
この性癖からは抜け出せそうもないのです。

まあその前に畑に行ってこようと思います。
3日ほど行っていないのですが、どうなっているか心配です。

でも畑に行くと元気が出てしまい、ついつい作業をしてしまう。
でも10時半にはサイゼリアに行かなければいけないので、没入することにはならないでしょう。

あったかでのどかな日です。
なぜか鳥の声が全くしないのが気になりますが。

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2023/04/22

■節子への挽歌5591:メダカがまたやってきました

節子

湯島の若いメダカが昨年全滅し、いまは老メダカ2匹だけになってしまいました。
このメダカはもう4年目くらいなのですが、とても元気です。
老メダカなので、テーブルの上に置く水槽に入れるのはかわいそうなので、吉本さんがつくってきてくれたFRP製の水槽に入れています。

そのため、この半年、テーブルの上が寂しいです。
やはり子メダカが泳ぎ回っているのをいつも目にしていたい気がします。
わが家のメダカも今は3匹しかいないのですが、これも子メダカを生んでくれるかもしれません。
そのうち、またメダカだらけになりかねませんが、とりあえず今はテーブルの上が寂しいのです。

そこでまた坪倉さんに頼んで、小さなメダカを6匹ほどわけてもらいました。
うまく育てれば、このメダカが子メダカをどんどん増やしてくれるはずです。
問題は、なぜか湯島では水草がうまく育たないのです。
水草がなければ産卵できません。
今回はうまく育つといいのですが。

いずれにしろ、久しぶりにテーブルの上のメダカが復活しました。
これだけのことですが、湯島の雰囲気は変わります。

ちなみに、湯島をご利用の方、餌は勝手にやらないようにお願いします。
ただ、できれば、メダカに声をかけてやってください。
動物も植物も、声をかけてやるのHが一番、相手を元気にすることですから。

 

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2023/04/21

■節子への挽歌5590:村長!

節子

私を「村長」と呼ぶ人が現れました。
今日、湯島でサロンをやってくれた女性です。
本人は自閉症で視覚障碍者だと診断されている、波乱万丈の人生を送ってきた女性です。

私は、CWSコモンズ村の村長を自称していますが、これまで誰も私を「村長」と呼んでくれた人はいませんでしたが、彼女はみんなの前でも私を「村長!」と呼ぶのです。
こんなうれしいことはありません。
それに実際に、彼女は私を村長的存在だと思っている節もあるのです。

昨日は彼女のサロンでしたが、すさまじいほどのこれまでの自分の人生を語ってくれました。
参加者はなんと16人、久しぶりに湯島が一杯になりました。
みんなそれぞれに大きな刺激をもらったはずです。

コロナで3年ほど、湯島のサロンに来れなかった人がいます。
その間、友人2人を自殺で亡くし、知と矢を見送るという大変な目にあい、今年初めから「うつ」になっていたそうです。彼は発達障害とされていて、自分自身の生活自立も大変なのです。
彼がサロン終了後、彼女の話を聞いて、うつがすっ飛んだと笑顔になりました。

また精神障害家族会にも入って言うある男性は、終了後、メールで「天を見上げるような逸材のお話を伺えた気がします」と書いてきてくれました。
天を見上げるとは、また大仰ですが、その気持ちは私にもわかります。

彼女も、またサロンをやりたいと言ってきました。
村民の願いはかなえるのが村長の役目なので、はい、そうしましょうと応えましたが、彼女も大きな元気をもらえたのかもしれません。

サロンをやっていると、こういうこともあるのです。
それにしても節子がいたらなあと、つくづく思います。

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2023/04/20

■節子への挽歌5589:「久しぶりに親父と議論した心持ちです」

節子

今日、湯島に川辺さん親子が来てくれました。
川辺さんは、農福連携などに取り組んでいる学究肌の人ですが、様々な事例などにも触れていて、一度、湯島でもサロンをしてもらったことがあります。
ただこれまであまりその背景などを知りませんでした。

私は、「いまここ」のその人と付き合うことが好きなので、その人の過去や周辺の人間関係はあまり気にならないのです。
ただ前回、川辺さんがサロンをやってくれた時に、彼が私に「親父と話しているような気がした」と言ったのが印象的でした。

その川辺さんが、最近の活動の報告に行きたいと連絡してきました。そこに「親父に報告するような心持ちです」ともまた書いてありました。
川辺さんの活動そのものにも関心がありますので、早速会うことにしました。

湯島で待っていたら、なんと川辺さんは母親と一緒にやってきました。
聞けば、母親も農業や食の分野で長年活動され、たとえば「ふるさと薬膳料理」の普及などに関わってきているそうです。いまは息子の会社にも関わっているようで、今日もたまたま出社していて、湯島近くに来ていたので、一緒にやってきたのです。
その活動も、私にはとても興味あるもので、いつかサロンをしてもらいたいとお願いしました。

川辺さんの活動報告の話は興味深いものであり、なかには聞いていて感動する事例もありました。
しかし、私の悪い癖で、共感する話であればあるほど、辛口で批判したくなるのです。
ついついまた余計なコメントをしてしまいました。
そうしたら母親の方が、まるで主人のようだと笑いながら言うのです。
川辺さんの、私があることを否定したのに、なぜかうれしそうです。
むっとしてもおかしくないところなのですが。

帰宅後、ふたりからメールが届いていました。
川辺さんからは「久しぶりに親父と議論した心持ちです」。
母親からは「楽しいお話を伺って夫が居た頃に戻ったような気が致しました」。
私も、「親父」さんに会いたい気分になりました。

私と同世代だったようです。
大学でもしかしたら、すれ違っていたかもしれません。
私もなんだかうれしい気分になれました。

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■節子への挽歌5588:湯島改装提案

節子

今日は湯島で箸技サロンでした。
節子もよく知っている小宮山さんも参加しました。

小宮山さんは、なぜか来た途端に節子の話をし始めました。
今年は17回忌だと言うと、もうそんなになるかと言いながら、湯島はその時から大掃除をしていないだろうから改装したらと言い出しました。
その意図がわからなかったのですが、たしかに湯島はいま、かなり荒れています。

椅子ももう33年も使っているので、破れたりしています。
節子が病気になってから、せめて室内をきれいにしておこうと改装に取り組んでくれましたが、途中でがんが再発し、結局、途中で止まっているのです。
カーペットだけは変えてくれたのですが、その後、誰かがかなり汚してしまったのですが、その掃除も終わっていません。
時々、誰かが掃除してくれていますが、私が掃除嫌いなので、いまもそのままです。
困ったものです。

小宮山さんは、そこをきれいにしようというのです。
もちろん私がお金を持っていないことは知っているので自分でやってやろうという趣旨ですが、シュウさん(私のことです)がいなくなっても、ここを使えるようにしようと言うのです。ここを私のお墓にするのかと訊いたら、そうだと言う。
困ったものです。

まあそんな話をしているうちにいろんな人がき出したので、話はそこでストップ。
小宮山さんは表現が不器用な人ですから、その趣旨はよくわかりませんが、しかしこういうことを言ってくれるのはうれしい話です。
まあそのうち、湯島はきれいになるかもしれません。

問題は、その前に私か小宮山さんが死んでしまうことですが、まあ1~2年は大丈夫でしょう。でも1~2年のために、面倒な改装をやるのも、それこそ面倒です。
さてどうするか。

また小宮山さんと一度ゆっくりと話し合おうと思います。
せめてトイレくらいは改装したいとは思っていますが、これはかなり費用が関わりそうです。ここは小宮山さんの支援を受けなければ実現できませんので。

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2023/04/19

■節子への挽歌5587:久しぶりの市役所

節子

久しぶりに市役所に行きました。
10年ほど前に市役所に貸した資料を返してもらいに行ったのです。
資料は美野里町の文化センター「みの~れ」づくりに関わった時の、私が関わった時の記録などです。
副市長たちと一緒に、見学に行った時に、お貸ししたのですが、私自身返してもらう意識もなく、そのままになっていたのです。

ところがまた船橋のあるグループが、自分たちでアートスペースをつくりたいとプロジェクトを起こしたのですが、その人たちと一緒にまた「みの~れ」に見学に行くことになったのです。
それでもしやと思い、関係者に聴いたら、なんと残っていたのです。
さすが行政は資料保管がしっかりしています。

当時一緒に行った高見澤さんは、いまは企画政策課長です。
久しぶりでしたが、高見澤さんがせっかくなので副市長にもあって行きませんかと言うので、突然でしたが、来客と会議の合間のわずかな時間でしたが副市長室に立ち寄りました。

まあそうなるとは思ってもいなかったので、いつもの通りサンダルとTシャツ姿です。
まあ青木さんも、そういう私にはなれているので驚きはしませんでしたが。

コロナ以来、市役所は初めてでした。
まだ職員はみんなマスクをしていましたが、私はもちろんマスクなしでした。

市役所の職員もだんだん知らない人ばかりになってきました。
高見澤さんと久しぶりに交流を復活できてよかったです。

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■湯島サロン「ある氷河期世代の死生観」報告

「最近、死に対する考え方が変わりました」という書き出しで始まった文章に出合って、ぜひお話を聴きたいとお願いした落合正和さんのサロンは、私たちの生き方を根底から問い質すような示唆といまの社会がどんなに人の生き方をゆがめているかを気づかせてくれる刺激的なサロンになりました。
20代から80代、男女半々、立場も多様なら関心も多様な人が11人が参加。それぞれの反応もまたとても興味深いものでした。

Ochiai20230415

最初に落合さんは、案内文にも書いたFBの記事を改めて読み上げてくれました。

そしてこの発言に至った経緯を、自己紹介も含めて、実にストレートに(本人も翌日少し本音で話し過ぎたかなと言ってきたほどです)話してくれました。その生々しいメッセージは、いまの社会のあり様とそこに生きている私たちの生き方の、隠されている実相を可視化(意識化)してくれたような気がします。

つづいて、いまの心境や生き方、そして「死生観」を、これも実践も含めながら話してくれたのです。

就職氷河期世代とは、197084年生まれで、新卒として就活していた時期が1990年代初頭~2000年代半ばにあたる世代を指すそうです。落合さんは、その世代は「時代に翻弄され、我慢を強いられた世代」だと言います。
そしてご自分の人生を「或る事例」として紹介しながら、それがどういうことかを生々しく語ってくれました。

落合さんは、そうした状況から抜け出して、2006年に独立し、WEBメディア関係の会社を立ち上げ、評論家としてもマスコミで活躍し、大学での教鞭や公益活動などでも活躍しています。

しかし、独立して生活も安定し社会的にも活躍できるようになってからも、「我慢する生き方」は続いていたと言います。落合さんの「我慢話」は実に具体的で、いろいろと考えさせられる問題提起を含む、示唆に富むものでした。

そうした落合さんも、我慢して生きているけれどこれでほんとにいいのか、と思うようになったようです。我慢しつづけていては幸せを感じられないようにも思えてきて、昨年10月に仲間に問いかけて、幸せとは何かを語り合ったそうです。

そして落合さんが行き着いた「人が幸せを感じる時」は、「いまより豊かな未来が待っていると感じた時」「右肩上がりの人生を感じた時」「未来に期待できる時」、つまりまとめれば、「希望を持てる時」だったそうです。

言葉で捉えれば、これは新しい話ではありません。しかし、落合さんのなかでは、たとえば「豊か」とか「右肩上がり」とか「希望」ということの捉え方が、たぶん一新されているのです。そのことは、注意深く落合さんの話を聞いていると気づいたと思いますが、参加者の多くはまだ従来の発想、たとえば「右肩上がり」と言うと経済成長をどうしてもイメージしてしまうようで、話し合いでは多くの人から違和感が出されました。私自身はその話し合いそのものにいまの社会の実相を感じました。
人は、他者を語りながら、いつも自らを、あるいは「社会」を語っているのです。

落合さんはこういう言い方もしました。
「他人の言葉に左右されるのはもうイヤだ」「これからは自分の価値観と想いを最優先に生きよう」「自分の人生を自分のものとし、自らの価値観で生きる」。
まさに「我慢」をやめて、「我がまま」に生きるということです。
これこそが落合さんの「幸せ」のカギだと思います。
ここにも価値観の反転を感じます。

豊かさも右肩上がりの尺度も、与えられた基準でではなく、自分の尺度で考えようというわけですから、右肩上がりの基準も落合さん自らの尺度なのです。決して経済的な右肩上がりではない。そういう発想から落合さんは抜け出した。つまり基準(言葉の意味)が全く変わってしまったのです。
ここも、「身勝手な生き方」などと短絡的に考えてしまうと落合さんの真意が見えなくなってしまうような気がします。

そんな時、落合さんは映画「エルネスト」を観て、一つの言葉に出合います。
「私は行きたい場所に行き、言いたいことを言う」。
実は落合さんがこの映画を観た背景には、落合さんの人柄や生き方を象徴する面白いエピソードもあるのですが、報告ではそうしたことが紹介できないので残念です。これは落合さんのサロンに限らずで、そこに直接話し合うサロンの魅力があります。

それはともかく、落合さんにとっての今の幸せは、「行きたい場所に行き、言いたいことを言う」ことなのです。そして、家族や周辺の人たちに、そういう生き方をすると公言し、実際にそう生きだした。
そうしたら、霧がかかった人生から晴れ晴れした人生へと変わったそうです。そして、まるで、違った人格を生きているような気さえしてきたと言います。
たぶん、幸せも見つかった。というよりも、幸せになった。
「青い鳥」は、「いまここ」にいたのです。

「死に対する考え方」も変わったのです。いつ死んでもいい。つまり、いまをしっかり生きることに生き方の基軸が移った。それが案内文にも引用させてもらった、FBへの書き込み記事になったのでしょう。

落合さんの話を聞いていて、なぜ私がこの文章に魅かれたかの意味が改めてわかった気がしました。
同時に、そこからもっとたくさんのメッセージも感じました。

落合さんは「いまここ」をしっかりと生きている。明日のために今日を我慢するのではなく、「いまここ」を真摯に誠実に生きることで、幸せな「明日」を創り出している。それは、まさに落合さんの今の「いまここ」が、落合さんのこれまでの生き方が創り出してきたように、です。
これは最近の多くの人たちが忘れてしまった生き方のように思います。

明日のために我慢した生き方から抜け出さない限り、その「明日」は永遠に来ないでしょう。来たとしても「ゆがんだ明日」になってしまっているでしょう。
逆に、「いまここ」をしっかりと生きていれば、明日は心配しなくても開けてくる。
大切なのは、明日ではなく、今日なのだという思いを確信させてもらいました。

サロンに参加した一人がサロン終了後、たまたまサロンの後で読んだ本にこんな文章があったと送ってきてくれました。

「自己の生命に対する防衛的配慮が一切必要でなくなったときこそひとはもっとも自由になる。もはやあらゆる虚飾は不要となり、現世で生きていくための功利的な配慮もいらなくなる。自分のほんとうにしたいこと、ほんとうにしなければならないと思うことだけすればいい。そのときこそひとはなんの気がねもなく、その「生きた挙動」へむかう。そのなかからはおどろくほど純粋なよろこびが湧きあがりうる」(神谷美恵子『生きがいについて』)

そしてその人はこう書いてきました。

落合さんが「いつ死んでもいい」というときの解放感、自由の感覚は、上記の「自己の生命に対する防衛的配慮が一切必要でなくなったときこそひとはもっとも自由になる」に当たるのではないかと思いました。
そしてその感覚は落合さんが「行きたいところへ行く、言いたいことを言う」方向へ変容したこと、つまり「虚飾が不要になった」こと、「現世で生きていくための功利的な配慮」をしなくなったこととセットになっているように思います。

私もそう思います。

落合さんが描く、右肩上がりの先にあるものは、まだ落合さんにも見えていないのかもしれません。あるいはそこには何もないのかもしれません。
でもたぶん、落合さんの生きる喜びはまわりを幸せにしていくだろうなと思います。少なくとも私は、今回のサロンで落合さんから幸せをもらった気がします。
最近少し滅入り気味の私には、とても元気づけられたサロンでした。

最後に、改めて、落合さんのFB書き込みの文章を再掲させてもらいます。

最近、死に対する考え方が変わりました。
周りの人がどう思うかはわからないが、自分の人生を振り返ってみると、よくやってきたほうだと思っています。
誘いがあっても悪い方向になびくこともなく、人のために尽くしてきたし、見たこともない、全く知らない子供の為にお金も使ってきた。耐えるべきことに耐え、必死に働いて、それなりの実績も残したと思っています。他人の評価なんて聞きたくもありませんが、少しも恥ずべきところはありません。波はあれど、ここまでよくやってきた。上出来です。悔いも無い。

人間何があるかわかりません。これから先、間違いを犯し、失敗して落ちていくくらいなら、いま、自分にとって上出来だと思えるところで、人生を終わらせたほうが楽だろうなと思えるようになりました。

そう考えるようになったのは昨年末くらいからですが、それ以来、死は怖いものではなくなり、もっと好きなように生きても良いのではないかと思うようになりました。

私は今年のテーマとして、
「行きたい場所に行き、言いたいことを言う」
を挙げました。仕事仲間にも、友人にも、お客様にも、部下にも、この宣言をしました。自分勝手のように聞こえるかもしれませんが、自分自身で納得しており、今年のテーマではなく、残りの人生のテーマとしていこうと思っています。

誰かの作ったルールに従うことなく、自分の正義と倫理観で生きるし、誰かの為に我慢することも、もうしません。やりたくないことはやらないし、嫌いな人とは会いません。
少なくとも後半に入った私の人生。それほど長くはないでしょう。自分が思うように、好きなように生きていこうと思います。

さぁ3月のスタート。

 

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2023/04/18

■節子への挽歌5586:湯島での節子の気配

節子

今日はリンカーンクラブの定例会でした。
節子もよく知っている活動ですが、いま4回目の取り組みですが、相変わらず風前の灯火のように荒れています。
日本の政治を変えて生きたという思いは共通しているのですが、どの考えや方向は違っているので、いつも話し合いはもめてしまうのです。

私としては理念的には次元を違ったところで考えているので、伽圧巻的な整理くらいしか関わり様はないのですが、武田さんとの長い付き合い上、むげにはできません。
まあいつも胃が痛くなるとまでは行かないのですが、疲れます。

武田さんに限りませんが、そして私もそうなのでしょうが、人の思考はある年齢から収縮に反転するような気がします。
つまり自らの考えを発展させるのではなく、守りに入ってく。
発展させるとは、言い換えれば「壊す」ことですから、他者の意見を真摯に聴いて理解しようとする。

しかし守りに入るとノイズは無意識に拒否してしまう。
武田さんを見ていると、そういうことを感じるのですが、実はこれは私の姿なあのかもしれません。
だから疲れるのかもしれない。

そうは言っても、今日、集まった人で節子が知っているのは3人だけです。
私の周りの人もどんどん変わっている。
最近湯島に集まる人のほとんどはもう節子は知らないかもしれません。

しかし不思議なのは、にもかかわらず、時々、節子の話題が出る。
やはり湯島には節子がまだ生きているのかもしれません。

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2023/04/17

■第23回益田サロン「生物と環境の役割関係を捉え直す」のご案内

細菌学者の益田昭吾さんによるサロンでは、この2回、改めて「生物と環境」をテーマにさせてもらっていますが、もうしばらくこのテーマを続けようと思います。
今回の切り口は、「生物と環境の役割関係を捉え直す」です。

前回のサロンの後、益田さんから次のようなメールをもらいました。

体を環境として心が生まれるのは良いのですが、心を環境として生まれる欲は確かに生物のようなものですが、心はこの欲を環境としているというように生物と環境の役割が逆転しているのではないかという事に気が付きました。また心は自分と考えてよいのではないか。さらに欲から生まれる名誉欲のようなものも、欲を環境としてとして生まれる生物のようなものですが、同時に心にとっては環境のようなものになっていないでしょうか。つまり名誉あっての自分ということです。大切なのはこの場合、名誉欲は欲と違って、心(自分)にとって本来の環境ではないということです。

このように同心円の構造は心(自分)からは二次元ではなくなっているのではないか。横から見れば、2つのジョウゴを上下逆さまつないだような大きなX状の構造で、交点に心(自分)があり、心から生まれる欲や名誉欲は心より半径が大きいということです。半径が心より大きいことが心の環境になっているということですね。また、これは二次元でなく三次元を考えることになります。

これを本来の関係を合わせて考えると前回の3種の破壊も新しい面が見えてくるようにも思います。

以上が益田さんからの問題提起です。

いささかややこしいですが、体・心・欲・名誉欲を、内側に向かって同心円で描いてみると関係がわかりやすくなります。直接接している外側の円にあるものを、これまで「本来の環境」と呼んでいましたが、「生物(のようなもの)」に影響を与えるものを「環境」と捉えると「生物と環境」の関係が違って見えてきます。

益田さんは、さらにこう言います。

「食欲あっての私」と「体あっての私」の対比はどうでしょう。
体あっての私では環境に相当するのは体ですが、食欲あっての私では、環境に相当するのは食欲になります。食欲は心から生まれた生物のようなものであるはずが、ここで心が産んだ生物が環境へ変身しているように思います。ここに前提が帰結を産むと同時に帰結が前提を産むという相互依存的な閉鎖回路が作られているように思います。
見ている自分と見られている自分の間にも同じことが起こっていないでしょうか。

ますます話はややこしくなってきそうな気もしますが、いろいろな示唆が含まれているような気がします。「3つの破壊の新しい面」にも関心があります。

今回はそんなことを最初に益田さんから話してもらい、改めて「生物と環境」について話し合えればと思います。
私は、もし益田さんが言うように、生物と環境とが相互依存的な閉鎖回路にあるのであれば、それもまた大きな意味での「生物(のようなもの)」であり、そこからも何か大きな示唆が得られるのではないかという気もしています。

文字で書いてしまうとややこしくて頭がこんがりますが、サロンですから、まあ話し合いを楽しむ感じで、気楽にご参加ください。
前回参加していなくても大丈夫です。勉強会ではなく、会話を楽しむサロンなのですから。でもきっと何かに気づかせてもらえます。それが益田サロンの面白さです。

今回も益田さん手づくりのものでのゲームタイムがあるかもしれません。

〇日時:2023年5月13日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「生物と環境の役割関係を捉え直す」
〇話題提供者:益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■節子への挽歌5585:毎日、タケノコ

節子

この頃、毎日、タケノコ料理です。

私はタケノコが大好きなのですが、最初に届くのが福岡からの柔らかなタケノコです。
それが届くとしばらくして地元でタケノコが販売されだします。
ユカに頼んで買ってきてもらい、それからほぼ毎日、タケノコ料理です。
今年は近くの人からももらったりして、いろんなタケノコを味わせてもらいました。
節子の姉からも毎年大きなタケノコが送られてきます。

私は、どちらかと言うと硬いタケノコが好きなのです。
ですから大きなタケノコを選んで買ってきてもらいます。

ユカはいろいろメニューを考えてくれますが、私は単純にタケノコの煮物料理が好きです。ただそこにフキを入れてほしいのですが、フキはユカの好みではないので入れてもらえません。そもそも買ってこない。
それで畑に生えているフキを収穫して来ようと思いますが、細いので調理も大変ですし、あんまりおいしくないので、ユカからは断られています。
以前、自分でやってみたこともありますが、たしかに大変な割においしくない。

まあしかしそんな贅沢は不要です。
ただ私はタケノコが食べられればいいのです。

昨日もタケノコご飯でしたが、タケノコの煮物も毎日あります。
タケノコパスタやタケノコのお吸い物、なんでもいいのです。

畑作業を再開しましたが、そこで野草を刈り取っていると、これは食べられるのではないかと思うようなものに出合います。
しかしなかには有毒のものもありますから、おいしそうでも収穫しては来ません。
でも食べてみたいものにはよく出合います。
節子がいたら、うまくいかせたかもしれません。

ところで、問題は毎日タケノコ料理が続くと飽きはしないのですが、胃の調子が悪くなることがあります。
胃の薬を飲みながら食べ続けるのは私の趣味ではありませんので、そんなことはしませんが、ちょっと我慢してしまうこともあります。
ですから毎日、タケノコと言っても、食べすぎてはいないのです。
だから、毎日食べられるとも言えます。

しかし、食べたいものを食べすぎることなく自重するというのは結構難しい。
そういう生き方をしてこなかったことを、最近少し反省しています。

最近、ちょっとしたことで、これまでの生き方に思いがいくことが多いです。
そうするとだいたい、反省につながっていく。
その反省を口にし謝る相手である節子がいないのが、いささか寂しいです。

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2023/04/16

■節子への挽歌5584:「おさむはいるか」

昨日、私が留守だった時に、にこの友だちが遊びに来ていたのですが、ユカが遊んでいるところに顔を出したら、その後、まわとぁざわざ2回までにこがやってきて、「おさむはいる?」と質問したそうです。

孫には、「おさむさん」ではなく「おさむ」と呼ぶようにずっと言っているのですが、そして一度は話し合いで合意ができたのですが、いまもまだ「おさむさん」が続いています。
ですから「おさむはいる?」というのは、私にはうれしい発言だったのです。

それで今朝、にこに、何か用事だったのかと質問したら、用事はないというのです。
そこで、じゃあ、どうして昨日、「おさむはいるか」と訊いたのかと質問したら、「いたら最低だったから」というのです。
「最低」ってどういう意味か、もしかして「うれしい」ってことか、と訊いたら、「うれしくない」ということだと応えるのです。
まったくもう困ったものです。

それにしても「最低」という言葉をまたどうも覚えたようです。
誰が教えたのか知りませんが、これまた困ったものです。
言葉は人間の思考を創っていきます。ですからどういう言葉に囲まれて育っていくかはとても大切です。
しかし残念ながら、にこの言葉環境は私にはどうしようもない。
それに私の言葉遣いは、世間から見たらとても異質で間違っているかもしれません。

そもそもにこは、私を「変なじいさん」と友だちに紹介し、娘は私によく「まともな親」が欲しかったと言いますので、私の言葉遣いはよほどおかしいのでしょう。
しかしいまさらもうなおせない。
困ったものです。

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■「からだの会}(仮称)がはじまりました

高齢の私の健康を気にかけてくれる人たちがいます。

昨年、入院した時には、退院後、「深呼吸歩き」を勧めにわざわざ湯島まで来てくださった人もいますし、以前体調が悪そうだった時に、遠隔で治療をしてくださった人もいます。これを飲むと元気になるとわざわざ健康食を送ってきてくれる方もいます。
みんなそれぞれに自分で取り組んだり、愛用している方です。

私は単なる書籍の「知識」には全く心を動かせないタイプですが、実際に自分で実践していたり施術したりしている人の話には、無条件に共感してしまうのです。だからと言って、怠惰な私は、せっかくの好意を活かせないことが多いのです。

そういう人たちの話の中に、とても共感できることも少なくありません。
私だけではなく、もっと多くの人にも教えたいと思うことも少なくありません。
同時に、そうした個々の取り組みをつなげていったら、新しいものが生まれてくるのではないかという関心もあります。

そこで今回、深呼吸歩きをやっている永田さん、リバランスマッサージや武道に取り組んでいる川端さん、ピラティスやカウンセリングなどに取り組んでいるあかりさん、そうしたことに関心を持ってくださっている近藤さんに声をかけて、気楽な話し合いの場を持ちました。
今回は「呼吸」をテーマにしていましたが、「歩き方」の話も出て、あまり知識のない私にも、刺激的な話し合いでした。

そこで、実際に「からだ」にまつわる施術や実践をしている人たちの、ゆるやかな話し合いの場を定期的にもったら、何か新しい物語が生まれるような気がしてきました。
幸いに参加者みんなから同意が得られたので、隔月程度で、「からだ」を主題にした実践的な会を持つことにしました。

会の名称として、「からだのゆるやかなつながりの会」という提案もありましたが、なんだか誤解されそうなので、とりあえず、単に「からだの会」と仮称することに、私が勝手に決めてしまいました。ですから「仮称」なのです。
「からだの会」と言っても、広い意味での「からだ」で、単に身体だけではなく、スピリチュアルやマインドなども含めていく予定です。たぶん、昨日集まった全員は実践者なので、身心二元論には同意していないでしょうから。

以上は私の勝手な説明ですが、まあ隔月でそういう会を持つことは全員の合意です。
もしこうしたことに関心を持って実践している人がいたら、そしてその実践に必ずしも満足していない方がいたら、ご連絡ください。

ただし、単なる勉強会や話し合いだけではなく、そこから新たな実践活動が起こっていくことを目指しています。

 

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2023/04/15

■節子への挽歌5583:人間としての優先順序(2023年4月15日)

節子

今日は「或る氷河期世代の死生観」をテーマにしたサロンを開催しました。
ある人のFB記事に感動して、サロンをお願いしたのですが、快く引き受けてくださり、サロンをしてくださったのです。

サロンの報告は改めてしますが、とても共感できる話をお聴きできました。
こんなに誠実な人もいるのだと、なんだかとても明るい気分にもなれました。
話してくださったのは、柏に住む落合さんです。

落合さんは話の中で、自分の娘たちがコロナのせいで、修学旅行に行けなかったこと事を話してくれました。
落合さんもこの数年のコロナ騒動には疑問をお持ちのようです。
コロナのせいで、子どもたちにとってはかけがえのない体験になるはずの修学旅行などを取りやめにしたことに疑問を持ったと言います。

まったくその通りで、私も人間としての優先順序を間違えているように思えてなりません。
お葬式やお見舞い、結婚式や寄りあいの文化も、これでかなり壊されてしまいました。
そもそもマスク文化が悪用されたような気もします。

人間として大切なことは何なのか。
改めてそれを考えさせられたサロンでした。
そして私自身、改めて節子に謝らなければいけないような気分になったサロンでもありました。
私の場合、「人生の優先順位」が間違っていたことを最近思いしらされています。

サロンをやっている、自分の未熟さ、間違い、無知加減、愚鈍さに、いつも気づかされます。
時に滅入ることもありますが、今日のように元気をもらうこともあります。

来週はサロンが続きます。

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2023/04/14

■憲法サロン「統治行為論をどう思いますか?」のお誘い

湯島では毎年、5月の憲法記念日前後に、せめて1年に1度は日本国憲法を思い出す日にしたいと、憲法サロンを開催していますが、今年は54日に開催します。3日の憲法記念日にはいろいろな集まりもあるので、今年は1日ずらすことにしました。

今年のテーマは、9条にしようかと思ったのですが、9条論議はむしろいろんなところで広がっているので、その奥にある「統治行為論」にすることにしました。

「統治行為論」といっても専門的な議論をするつもりはありませんので、気楽にご参加ください。いつものように、あくまでも生活者視点を基軸にしたいと思います。

統治行為論とは、「高度の政治性ある事柄に関しては司法審査の対象から除外する」という考えで、日本では日米安保条約の合憲性判断が争われた1959年の砂川事件最高裁判決で採用されて以来、定着しています。そして、日本は主権国家ではないのではないのかという論拠のひとつになっています。

生活者目線を基軸に置いた湯島サロンにしては専門的なテーマですが、難しい理屈の議論にはしたくないので、統治行為論に関しての事実を少し学び合って、それをベースに改めて、生活者目線で憲法の意義を考えるような話し合いになればと思います。

気楽に参加してもらえるとうれしいです。

〇日時:2021年5月4日(木曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:統治行為論をどう思いますか?
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

 

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■節子への挽歌5582:孫たちと回転寿司

節子

小学校3日目の孫と娘たちと回転寿司に行きました。
にこは回転寿司が好きで、食欲も旺盛です。

今日は何が好きなのかを中心に、「自己紹介」を学んだのだそうです。
まあそういう時代なのでしょうが、違和感があります。
にこは、「みんなと笑顔で遊ぶのが好き」だと話したそうですが、先生の反応はあまりよくなかったようで少しがっかりしている感じでした。
たぶん「笑顔」が余計だったのでしょう。

「笑顔」に限りませんが、子どもが語彙を増やしていく速度には驚きます。
時に難しい言葉を使うので、驚きます。
それもまた時代なのかもしれません。

節子がいたら、つまり祖母がいたら、子どもの育ちもまた変わってくるだろうなといつも思います。
核家族が一般化した結果、社会は大きく変わってきたのだろうなと思うことが最近多いです。
孫のためにも、節子は元気でいてほしかったと、この頃、痛切に思います。

子供にとって、育児経験のある祖母の存在は、大きいようです。
残念ながらその役割は、祖父には果たせません。

にこは私よりもたくさんのお寿司を平らげました。
つられて私もいつも以上に食べてしまいました。

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2023/04/13

■節子への挽歌5581:畑にいると不安や悩みは浮かんできません

節子

にこの小学校生活2日目は楽しかったようです。
元気に帰ってきました。

私は今日も畑でした。
昨日から東京も黄砂がすごくて、ユカからは畑作業はやめた方がいいと言われていましたが、とてもいい天気になったので、行かないわけにはいきません。
それにこの2日間、風が強いのと水もやりに行っていなかったので心配でした。
案の定、キュウリとトマトは、風でやられて折れてしまっていました。
すごい風でしたから。

今日は畑をもう一面つくりました。
その途中でミョウガが芽を出しているのに気づきました。
ミョウガ畑が復活です。

作業をしていたらまた青木さんがやってきて、そのミョウガ畑にどさっと座ってしまいました。私が刈り取ったミョウガの数よりは被害は少なかったですが。

昨年と違い、笹が少ないので助かります。
この2年の開墾作業でだいぶ畑らしくなってきたのです。
この調子でいくと本当に畑になりそうです。
まあまだ気は許せませんが。

畑に寝転ぶといろんな虫がやってきます。
土に暖かさは何とも言えません。
畑作業をしていると、悩みや不安は忘れてしまいます。
人生はこうありたいものです。

できるだけ畑通いをしようと思います。

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■節子への挽歌5580:孫が小学生になりました

節子

昨日から孫のにこは小学生です。
昨日は両親と一緒に入学式でした。
大きなカバンをかついで出かけましたが、帰宅はお昼過ぎ。
入学式は楽しかったか、と訊いたら「つまんなかった」と言います。
どうしてというと、写真を撮るだけでも30分もまたされたというのです。

でもまあ写真などを見ると楽しんでいたようです。
友だちとの写真では飛び上がっていましたし。

並んで待つのが嫌いと言うのは、私と共通しています。
私も並んで待つのがどうも好きになれません。
だからユカからは、お父さんはおいしいものを食べられないね、と言われています。
美味しいお店は、並んで待つのが最近の常識のようです。
困った時代です。

あれはたぶん、並んでじらされるから、みんな「おいしい」と思うのではないかと私は思っています。
つまりほんとはおいしくないのです。
まあこういうと、なんだかイソップ童話の手の届かないブドウの話みたいですが。

そもそも昨今のテレビ番組で、タレントがおいしいと言っていたカップ麺やカレーなど、実際に食べてみて、おいしかったことは一度もありません。
タレントの演技なのだとは思いたくありませんが、味覚というのは状況の中でつくられていくのでしょう。
おいしいと思い込めば、おいしくなるのでしょう。

今日からにこは一人で通学です。
出際に、今日は何にも勉強はないらしいと不満そうでした。
小学校も今やいろいろと手続きが増えているのでしょう。
さて今日はどういって帰ってくるでしょうか。

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2023/04/12

■節子への挽歌5579:みの~れに行くことになりました

今日はうれしいこともありました。

船橋でアート活動で地域を元気にしようとしている演出家の半田さんが、小美玉市の文化センターみの~れを仲間と一緒に見に行きたいと連絡してきたのです。
昨年の生活事業研究会に半田さんは参加してくださったのですが、その時の彼女の夢は、自分たちのアートスペースをみんなで創るということでした。

しかしそのためにはお金も土地も必要です。まさに夢なのです。
でも夢は動きだせばなんとかなるというのが私の姿勢なので、ともかく動き出そうと勧めたのです。

そのプロジェクトが動き出しそうになっているようです。
それで仲間とみの~れに見学に行きたいというのです。
昨年のみの~れの20周年祭に私は入院直後で行かれず気になっていました。ちょうどいい機会なので私も同行することにしました。

中本さんに連絡したら、当時のみんなにも声をかけると張り切ってくれました。
そして早速に日程もセットしてくれたのです。
おかげで思わぬ人にも会えるかもしれません。

みの~れのオープニングには、節子と一緒に招待されて行きましたが、節子が元気だったら、もう少し通ったはずです。
ともかく節子が元気だったころは、面白いプロジェクトがたくさんあって、私は超忙しかったのです。節子との時間もあるようでなかった。
そうした生き方にふと気づいて、仕事もサロンもやめて、節子と一緒に少しのんびりしようと思った時に、節子の胃がんが見つかったのです。

人生は皮肉なものです。
いつも遅すぎる。

そんなことも少し思い出しながら、みの~れに関わっていたころを思い出してしまいました。
久しぶりにみんなに会えるのが楽しみです。

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■節子への挽歌5578:付き合いが多いほど悲しみはたくさんやってくる

節子

新潟の金田さんから電話がありました。
毎年贈ってくれているチューリップをこと祖は届けられなかったというお詫びの電話です。
金田さんは私よりも7歳ほど年上ですが、まあいろいろとあって、昨年は大変だったのですが、今年は奥さんが入院でチュッリップの手配ができなかったのだそうです。
まあこの歳になるとお互い何があってもおかしくありません。

金田さんとは古代ギリシアの会パウサニアス・ジャパンを立ち上げたのですが、その時の話がいつも出てきます。
その会からも、金田さんはいよいよ退会したそうで、その話になりました。
代表の吉田さん(金田さんと吉田さんと私で立ち上げました)も今や車椅子生活。コアメンバーだった大西さんも今や外には出られない状況、などと次から次に出てくる消息はみんなもう大変なのです。
まあそれもまた人間の宿命ですから、仕方がありませんが、そういう話を聞くとなんだか元気が出てこなくなります。

私はそういうことはあまり気にせず、こちらから接点をとることはほとんどありません。

思い出すのは、節子のことです。
節子ががんを再発させ、体調が悪くなり、ほとんど寝たきりになった時に、花かご会の仲間がみんなで見舞いに来てくれたことがあります。
私はてっきり節子が喜んで会うと思っていたのですが、取り次いだら、節子は今日は会いたくないので悪いけれど帰ってもらってほしいというのです。
意外なことに驚いて再確認しましたが、やはり会いたくないと言う。

元気でない自分をみんなには見せたくなかったのでしょうか。
元気になったら理由をもう一度訊こうと思っていましたが、残念ながら節子に改めて訊く機会は来ませんでした。

みんなには元気な姿の自分のまま、記憶しておいてほしいと思ったのかもしれません。
あの時、すでに節子は自分の定めがわかっていたのでしょう。

その体験後、私は連絡のなくなった人に連絡することをやめました。
時々、例外はあるのですが、基本的にはこちらからは連絡はしないのです。
お見舞いも高齢者に関しては、基本的にはやめることにしました。
いずれにしろどうせまた来世で会えるでしょうから。
それに寝たきりになった姿を記憶にはとどめたくないからです。

だから本当は金田さんからも、そういう話は聞きたくはないのです。
しかし金田さんは、そういう話をしないとため込んでしまうのでしょう。
人それぞれです。
聞きたくない話も、聞かなければいけないこともある。
困ったものです。

高齢になったら、やはり付き合いは減らした方がいいのかもしれません。
付き合いが多いほど、悲しみがたくさんやってきますから。

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■「模倣の罠」を読んで、プーチンやトランプへの理解が深まりました

最近、民主主義も自由主義も世界的にあまり人気がなく、どちらかと言うと、反民主主義や反自由主義が世界を覆いだしてきていますが、それがとても気になっています。

昨日、イワン・クラステフとスティーヴン・ホームズの共著「模倣の罠」を読んで、その背景がよくわかりました。
2021年発行の本ですが、最近のプーチンやトランプ、さらには習近平の行動も、この本を読むと理解が進むように思います。
このふたりの最近の言動には、私もかなり違和感を強めているのですが、あまりに単純に非難する人が多いのがむしろ不安です。
非難する前に行動を理解することが大切です。

基本は、グローバリストとナショナリストの対立構図で描かれています。それには若干の違和感はありますが、本書の立場に立てば、それら3人のリーダーに対して、非難しているだけでいいのかという気になります。彼らのメッセージはしっかりと受け止めることが大切ではないかと思うのです。

著者は、1989年から始まった「模倣の時代」(共産主義世界が終焉し、自由主義社会が唯一の目指すべきモデルになり、みんなが欧米の民主主義・自由主義を模倣するようになった)が、最近の習近平中国によって終わりを迎えていると分析しています。
その間、プーチンはいち早く、そのモデルの問題点を可視化するために「鏡映し」戦略をとり、西側の民主主義体制の不安定さと弱さを明らかにしてくれたと言います。
西洋の模倣を中心に組織された世界は、アメリカの利益に従順に従う自由主義の世界になることを意味していた、とも書いています。

しかも、冷戦の終焉によって、敵を失ったアメリカは傲慢に振る舞いだした。ちょうど野党を失った日本の自民党が傲慢になってひどい政治をつづけているのと同じです。
どんな場合も、自らにとって脅威となる「ライバル」の存在は必要なのかもしれません。

さらに著者は。「西洋がプーチンのロシアに似始めている」とも書いています。
「模倣」は「模倣される側」にも「模倣」を誘発するのです。
それ以外にも、とても示唆に富む本です。

民主主義や自由主義を大切にしたい方には、ぜひお薦めします。

 

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2023/04/11

■節子への挽歌5577:今年は畑づくりから始めました

節子

今年も畑作業をすることにしたのですが、ユカが手伝ってくれると言うので、先ず畑から作ることにしました。
朝、野菜の苗を買いに行き、空き地の真ん中に畑をつくり、そこに買ってきた野菜の苗を植えました。
キュウリ、トマト、ナス、ピーマン、レタス。
それに家で目を出してきていたジャガイモも植えました。

あいにく午後から風が強くなり、いささか心配ですが、一挙に畑らしくなりました。
やはり手伝いが一人でもいると作業ははかどります。

昨年までは収穫には全く無頓着で、ともかく土と自然に触れ合うのを目的にしていましたが、今年は収穫も目指すことにしました。

作業をしていたら近くの青木さんがやってきました。
しばらく姿を見ていなかったので心配していたが、まだ生きている様で何よりとのこと。
今年も作業するので、もし畑で私が倒れていたらよろしくと頼んでおきました。
草刈り機で草を刈ろうかと言ってくれましたが、私の趣味ではないので辞退しました。

花壇部分はまだまったくの手つかずですが、紫蘭が咲いていました。
チューリップなどは掘り返してないのでどうやら全滅のようです。
昨秋、今年の春のためにと播いていた花のタネも芽を出していません。
琉球朝顔は広がりすぎたので昨年ほとんど球根を抜いてしまったのですが、何本かが芽を出していました。
花壇部分の手入れは大変そうです。

ユカが時々手伝ってくれるといいのですが、あまり期待はできそうもありません。
でもまあ私にとっては、身体を動かし自然と触れ合えるので、健康維持には効果的です。

しかし節子が残した文化を守るのも結構大変です。

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■湯島サロン「〈自分を生き、笑って旅立つ〉コミュニティホーム」報告

今回の「生と死」をテーマにしたサロンは、今年はじめに地域の人たちの居場所も目指したコミュニティホーム「はじまりの家 そら」を開設した冨澤文絵さん(NPO法人コミュニティケア・ライフ代表)にお願いしました。

冨澤さんの活動や思いは、次のサイトをぜひお読みください。
https://community-home.jp/company/message/

冨澤さんが大切にしているのは、「自分を生き、笑って旅立つ」ということです。
その根底には、みんなそれぞれに素晴らしい「自分」をもって生まれてきているという思いがあります。そういう視点から見ると、「障がい」とか「病気」とかいう発想は後ろに退きます。そして世界は変わって見えてくるのでしょう。たぶん輝いて見えてくる(と私は思います)。

もちろん冨澤さんは現実から離れて理念を語っているだけではありません。そういう視点を持てば、これまでとは違った「人のつながり方」や「支え合い方」が見えてくる。そこから自らのやりたいことが見えてくる。それが見えてきたら、ともかく実現に向かって行動していく。行動すれば道は開けてくる。
そんな冨澤さんの生き方に、圧倒されたサロンでした。

冨澤さんの熱い思いのお話に聞き入ってしまっていたため、正確に報告する自信がいつも以上にないので、以下は私の勝手な感想的な報告です。

冨澤さんは、まず自己紹介も兼ねて、これまでの病院や在宅での看護や介護、看取りに関わってきた体験を話してくださいました。
そのなかで、冨澤さんが「訪問看護にはまってしまった」と言われたのがとても印象的でした。その言葉に、いまの医療や福祉の問題点が凝縮されているように感じたのです。それが、制度や論理からではない人間や生活から考える冨澤さんの活動の起点になっているのかもしれないと思いました。

そして、長年の様々な立場から冨澤さんが行き着いたのが「コミュニティホーム」。
単に医療看護や介護福祉を考えるのではなく、それぞれの人が生きていく上での「最高の環境」をつくりたい。そしてそれこそが「安心して旅立てる場」につながるのではないか。冨澤さんは「生きている環境」に焦点を当てたのです。もちろん「人とのつながり」も含めた環境です。生きる環境や生き方を考えていくと、「死」をどう迎えるかにもつながっていく。

その背景には、病院から家族のいる住み慣れた自宅に戻ると病状が大きく好転する人を見てきた体験があるようです。死の迎え方も、病院と在宅では違います。
ただそうは言っても、最近の家族・家庭環境では、たとえば独り暮らしのように、自宅が「最高の環境」とも言えません。

そこで冨澤さんが考えたのが、「コミュニティホーム」です。
多世代の人の交流もあり、いろんな関わり方ができるホーム。
病床もあるので、「入院(入居?)」もでき、「旅立ちの場」にもなる。
独り暮らしの人でも、仲間と支えながら暮らせ、仲間に見送られて旅立てる。

コミュニティホーム「はじまりの家 そら」を拠点にして、そんなコミュニティが生まれてくる。それが冨澤さんのビジョンのように感じました。
実はそれは、湯島のサロン活動への私の思いともつながっています。

コミュニティホーム「はじまりの家 そら」が閉じられた施設ではないように、そのコミュニティは決して閉じられたものではなく、広い意味での地域に開かれている。
それはよく言われる「居場所」(最近はあまりに安易に使われる言葉になってしまっています)というよりも「安息地」というのがふさわしい気がします。しかも単なる閉じられた場所ではなく、時空間的にも開かれ、場所そのものが生きている。
それこそが、冨澤さんの考える〈自分を生き、笑って旅立つ〉ための環境であり、旅立った後もまた戻ってこられるような場所なのかもしれません。

いささか情緒的に書いてしまいましたが、冨澤さんが目指しているのは、スピリチュアルな要素も入った、そんな環境のような気がしました。

こうした構想を実現していくためには、当然ながら資金が必要になります。
運営にも資金が必要になる。
それに関しても話し合いで少し話題になりましたが、冨澤さんは資金からは発想していないように感じました。

すぐには方策は思いつきませんが、資金ありきでの発想からはコミュニティは生まれてこないでしょう。資金問題をどう解決していくか、あるいは資金問題からどう抜け出していくか、が冨澤さんの構想の実現の要かもしれません。つまりそれも含めてみんなで取り組んでいくことがコミュニティを生み出すことなのかもしれません。
そこではたぶんこれまでの「施設運営」「利用料金」というような発想も見直されていき、さらには「利用者と運営者の関係」も変わっていくような気がします。

いささか私自身の思いを広げすぎてしまい、冨澤さんには叱られそうです。
しかし、そんなことを考えさせられるお話でした。

でもこんな報告だとせっかくの冨澤さんのお話や参加者のみなさんの話し合いが伝わりません。すみません。
もし当日のサロンではどんな話があったのか知りたい方がいたら、ご連絡下さい。
当日の動画記録がありますので、冨澤さんの了解を得て、ご覧いただけるように検討します。また特にこうした点を知りたいという方がいたら、冨澤さんにお伝えするようにします。

また、現場を見ながら改めて冨澤さんの話を聞きたいという方がいたら、「はじまりの家 そら」見学会も企画しますので、関心をお持ちの方はご連絡下さい。

コミュニティとは意図的につくるものではなく、結果的に生まれ育っていくものだということを、改めて確信できたサロンでした。

Tomizawa20230408

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2023/04/10

■節子への挽歌5576:逃げの一日

節子

昨日の夕方のメールで、なんだか急に気分が滅入ってしまい、今日はどうもまた元気が出ません。
実に些細なことなのですが、なぜか最近気分があまり安定していないせいか、気分の上下が激しいような気もします。
もしかしたら「やらなければいけないこと」がまたたまりすぎてきているのも一因かもしれませんし、経済的な不安が遠因かもしれません。
この歳になって、経済的な不安から解放されていないというのはあまりに恥ずかしいのですが、この時期はいつもそれなりに大変なのです。
節子がいたらこんなことにはなっていないのでしょうが。

今日はにこ家族はデズニーランドに行っています。
私は「やらなければいけないことリスト」を目の前において、取り組もうと思いながらも、なかか手が付けられません。
ほとんどはそんなに難しいことではないので、やればすぐに終わることなのですが、それができない。困ったものです。

結局、やったのは、テレビの録画を見たり本を読んだりと、逃げてばかりでした。
結局、今時点では何一つリストは減っていないのです。

さて明日は元気が戻るといいのですが。

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2023/04/09

■節子への挽歌5575:ギター談議に付き合いました

今日は午前中は我孫子はじまり場サロンでしたが、午後は、そこで提案された「我孫子らしいギターをつくってそれをまちづくりにつながたい」という佐藤矩方さんの話に共感し、宮内さんと3人で会いました。

宮内さんは、音楽で我孫子を元気にしたという活動を長年取り組んでいて、休日はほとんどそうした活動に取り組んでいますので、最近はなかなか会えません。
まあそれもあっておふたりに声をかけたのですが。

矩方さんは自分で作ったけやきの木(我孫子市の木です)製のギターを持参、宮内さんはウクレレ持参で、話し合いが始まりました。
おふたりの話は、マニアックな内容もあって、私には着いていくのが大変でしたが、それに気づいておふたりが時々、言葉の解説をしてくれました。

でもまあ音楽好きなおふたりのうれしそうな表情が伝わってきて、それだけで意味もなくワクワクするような時間でした。
まあ近いうちに、矩方さんのけやき製エレキギターは宮内さんの演奏でデビューするでしょう。
それにしても矩方さんのけやき製エレキギターは実に美しい。

話はいろいろと広がり沢山の夢が生まれてきたように思います。

宮内さんは、節子を見送って気力を失くしていた私を元気づけようと、いろんな音楽仲間を連れてわが家まで何回か来てくれました。
それが縁での付き合いが始まったのですが、宮内さんに会うとどうしてもその頃のことが思いだされてしまいます。

宮内さんが始めた我孫子音楽という緩やかなグループも、いまや500人を越えるメンバーになっているそうです。
改めて継続の力を感じます。

私のように、拡散的な生き方をしていると、そうした蓄積ができず、核とな居場所が育ってこない。
これはまあ生き方の違いなのでどうしようもできない。
でも今から思えば、どこか本籍地をつくっておけばよかったと時に思うことがあります。
あまりに拡散的に生きていると、人との付き合いのわずらわしさも多いからです。

今日は夕方、いささか滅入るメールが届きました。
その人からの要望に応えるために、いろいろとやっていたのに、突然にそういうつもりでメールしたのではないなどというメールが届いたのです。
他者をすでに巻き込んでしまったので、さてどう収めるか。

今日はうれしいこともたくさんありましたが、最後はいささか輶つなことで終わる羽目になりました。
それにしてもどうして私は人を見る目がないのか。
やはりどこかに欠陥があるようです。

 

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■節子への挽歌5574:我孫子はじまり場サロン

節子

今日は地元の我孫子で2つの集まりをやりました。
いずれも呼びかけ人は私ですが、活動の主役は私ではありません。
以前は自分のやりたいことに共感者を呼び込んで取り組んだのですが、もうこの20年ほどは、そういう活動姿勢もだんだん抑えて、誰かがやりたいことが実現できるようにすることに主眼を置いた活動になってきています。
自分の思いだけで活動に取り組んでも、責任がとれませんし、

午前中のあつまりは、我孫子はじまり場サロンです。
今回は6回目ですが、これはまちづくり編集会議のプログラムのひとつです。
自分の地域で何かをやりたいという人が、そうした夢ややりたいことを気楽に話し合う場です。

今回は8人が参加。いつも何日課の初参加者がいるのですが、今回は我孫子に転居してきた「食と農」に取り組んでいる勝田さんが参加してくれました。
いつものように各自のやりたいことを発表したり、それに関して話し合ったりしましたが、やはり何かをやりたいと思っている人が複数集まると新しいアイデアが生まれてきます。新しいアイデアは新しい物語につながっていく。こうして、はじまり場サロンでは、まちづくりの原点をいつも感じます。

8月には佃さんによるヘチマの花に囲まれた野外パーティの話も出ました。新たに参加した勝田さんの美味しい料理付きのようです。
最後はいつものように、村上さんのウクレレでの我孫子の歌かと思ったら、今回は坂本龍一さんの追悼を込めての「戦場のクリスマス」でした。

まあ、こんな感じで隔月で行っていますが、そこで提案されるプログラムはほぼすべてに興味が起こり関わりたくなってしまいます。
それを自制しないとまた身が持たなくなりますので、注意しなければいけません。

ともかくいろんな話が出てくる。
地域には本当にたくさんの宝物や知恵や活動が溢れています。

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2023/04/08

■節子への挽歌5573:最後を看取り合うつながり

節子

昨年から「コミュニティホーム」づくりに取り組んでいる冨澤さんに湯島のサロンでお話ししてもらいました。
冨澤さんとは一度しかお会いしたことがないのですが、思いを共有しているような気がしてお願いしたのです。
サロンの話はまた時評編で報告しますが、昨日話しを聞いていて、やはり改めて「コミュニティ」の捉え方を考え直したくなりました。

昨日はまた「患者学」という言葉も話題になっていました。
ついつい柳原和子さんのことを思い出してしまい、そこでちょっと思考停止してしまったのですが、その時に、「コミュニティとは最後を看取り合うつながり」かもしれないという気がしたのです。
言い方を変えれば、最後を看取り合うつながりが生まれるような人のつながりがコミュニティと言ってもいいかもしれません。

これまでの私の「コミュニティ」の定義は、「重荷を背負い合う人のつながり」でした。それがコムケア活動の出発点であり、いまの湯島のサロンにもつながっています。
これも言い方を変えれば、重荷を分かち合うことで軽くしようということですが、これは簡単なようで難しい。
なぜなら軽い重荷も多くなればへこたれてしまいかねないからです。

事実私は時々へこたれてしまい、手を抜いてしまう。
困ったものですが、どうもまだ逃げようとする意識が残っています。

しかし、「最期を看取り合う」というのも決して簡単ではありません。
ここでの「最後」とは、別に息を引き取る瞬間の意味ではなく、その前後、特に「後」に重点がある。
簡単に言えば、逝ってしまった後も、ずっと付き合い続けるということです。
「死んでお別れ」という付き合いではなく、「死を超えての付き合い」という意味です。

これは少ししっかりと考えてみようと思います。

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2023/04/07

■節子への挽歌5571:高齢になると怠惰になっていく

節子

最近、入浴がどうも面倒になってきました。
いや入浴というよりも、生きていく上での必要作業、ハンナ・アレントの言う「生存のためのワーク」が、面倒になってきたと言った方がいいかもしれません。
もしかしたらそれは「生き続ける価値」の低下かもしれません。
これはまあ健全な生命現象ではないかと思います。

以前は、入浴も食事も苦にはなりませんでした。
私にとっては、しかしいずれもあまり「価値」を感じられないことですから、できるだけ時間をかけずにすまそうという意識がどこかで働いていた気がします。
ただ仕事(レイバー)や行動(アクション)をしていくためには、体力が必要だという認識のもとに、「ワーク」にもそれなりに意欲的だったという気がします。
でもまあいまは、もうこれと言って仕事も行動も新たに起こす気にはあまりなれません。
ほどほどに生存できればいいという思いがどこかにあるのでしょう。
だから「ワーク」が面倒になってきているのです。

やはり誤解されそうな文章になっていますね。
また「そんなさびしいことを言うな」とお𠮟りを受けそうです。
私はただ正直に今の感覚を書いているだけなのですが。

もっとも最近の入浴時間はむしろ以前より長くなっています。
というのも浴槽でいろいろと考えたり、時には気持ちよく眠ったりしているからです。
時にユカが心配して、ブザーを鳴らしたりすることさえあります。

入浴時間は長いのですが、どうも身体を洗う手間が面倒で、時には浴槽で浸かっただけで出てきてしまうこともあります。
ユカからは、高齢であればこそ身体はよく洗い、清潔にしておかないといけないと言われているのですが、どうも手を抜きがちなのです。

服装もそうです。
ユカは服装くらいはちゃんとしろと言いますが、この数年、きちんとした衣服を買ったこともありません。
ユニクロで以前、まとめ買いしたシャツとスラックスがまだあるので、そればかり着ています。ユカはそれを見て、どうもだらしなくてみっともないと言いますが、今日は何を着ようかなどと悩まなくてもいいので、私にとっては便利です。

こうしてどんどんと心身共に、土に戻っていく。
でもまあ人とも会わないといけないので、そう勝手な生き方ばかりはできません。
せめて洗顔後、乳液くらいはつけろとユカに言われて、最近はつけるようになりました。

歳をとってくると、身体の手入れも大変です。
早くこの身体から自由になりたいものです。

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2023/04/06

■第26回万葉集サロン「〈恋〉を歌わぬ憶良。老・病・死の先に顕われてくる自己の象〈かたち〉」のご案内

万葉集は、今回も山上憶良を読みます。

今回、とりあげるのは「恋男子名古日」(巻五ー904906)
古日は憶良が筑前国司のころに交流のあった人の子のようですが、父親の立場に立って、その死の哀しみを憶良が詠んだ歌と言われている歌3首です。
升田さんは、この「恋」という文字に注目して、こう言います。

歌の本質とも言える「恋」を歌わない憶良が、晩年に「恋男子名古日」を残しています。集中に例を見ない激しい表現で(「わが子飛ばしつ」)古日の死を歌い、それを「恋ふる」と言うのですが、「老・病・死」の歌からここにいたる道すじが見えたらと思います。
近代詩歌を思わせる憶良の歌ですが、近代とは大きな隔たりがあります。
一人の天平歌人〈山上憶良〉を見つめ直してみたいと思います。

憶良の表現の問題に焦点をあてて、憶良にさらに迫ろうというわけです。
さて今回はどんな読み方をしてくれるでしょうか。

これまでも話題になっていた、憶良の、長序や漢文にある理を受容する態度と歌に見せる生への執着のギャップ。2つはどこで繋がっているのか。
憶良がさらに一歩、蘇ってくるのを楽しみたいと思います。

升田さんの万葉集サロンは、歌を読みながら、当時の社会やそこでの人間の生き方に思いを馳せ、時には今の自分の生き方も問い直す示唆をもらえます。
私のように歌心など全くない人でも楽しめるのが升田万葉集サロンです。
みなさんの気楽なご参加をお待ちしています。

〇テーマ:「〈恋〉を歌わぬ憶良。老・病・死の先に顕われてくる自己の象〈かたち〉」
〇日時:2023年4月16日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

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■第22回益田サロン「人間が行う三重の破壊から生物と環境を考える」報告

今回のテーマは「人間が行う三重の破壊」。人間が行う自然破壊、体の破壊、心の破壊を、病原体やウイルスの行動を参考に考えてみようという試みです。

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益田さんは、まず「本来の関係」がキーワードだと言います。

生物は、本来の関係にある環境(本来の環境)を壊すことはありません。自らを守ってくれる存在だからです。そうした本来の関係にある環境の中では病原体は「常在菌」として、環境とはむしろ「互恵的」に存在しています。「環境あっての生物」ですから、生物は環境を壊さないのです。

しかし、その環境が本来の関係ではない場合、病原体は常在性から病原性に変わり、環境を壊すこと(病気)も起こります。
ウイルスについても同じことが言えるわけで、本来の宿主に存在していたウイルスが、状況の変化で別の宿主に移ってしまうとその宿主に災いを起こしてしまいかねません。今回のコロナ騒ぎはそのおかげで起こったと言ってもいいでしょう。本来の関係にないために、双方が互恵的ではない関係になってしまったのです。

つまり、「環境」と言っても、「本来の関係にある環境」と「非本来の関係にある環境」とでは、生物との関係は変わってしまうわけです。なお、益田サロンで「環境」という場合、「本来の関係にある環境」を指すことが基本です。

こういうことをベースにして、益田さんは人間のおこなう3つの破壊について説明してくれました。

人間は自分の存在を守ってくれる自然環境をなぜ破壊するのか。
「身心」という言葉があるように、人間は「身」と「心」から成り立っています。
自然環境を本来の環境としているのは人間の身体です。そして「心」は人間の「身体」を環境としていると捉えられます。自然環境と本来の関係にあるのは身体で、人間の心にとっての本来の環境は身体と言ってもいいでしょう。
つまり、自然破壊を起こしているのは、人間の心であって、心にとって自然環境は本来の環境ではないので破壊することができるのです。
これがいま問題になっている自然環境破壊の話です。身体にとっては迷惑ですが、心にとっては不都合は起きてこないのです。

次に、人間の心が身体を本来の環境とするような関係を心について考えてみるとどうでしょう。つまり、心を環境とする存在、たとえばそれを「欲」と言ってもいいでしょう。「欲」の本来の環境は心になりますので、「欲」は心を壊すようには働きませんが、しかし、身体には時に悪さをします。
たとえば糖尿病を考えてみましょう。甘いものを食べすぎると身体を壊しかねませんが、身体を本来の環境とは考えない「食欲」はドクターストップがかかっていてもついつい食べてしまいます。そして身体を壊してしまうわけです。知識欲で身体を壊すこともあるでしょう。「欲」は本来の関係にない身体には無頓着なのです。
これが第2の破壊です。

こう考えていくと、環境は、自らの中に「生物のようなもの」を生み出していくという言い方もできます。人間が心を生み出し、心が欲を生み出す。
では「欲」が生み出す「生物のようなもの」とは何か。
益田さんは、それは「人間独特の欲」、たとえば名誉欲や金銭欲だと言います。
「人間独特の欲」が本来の環境とするのは「欲」であって、心ではありません。ですから「人間独特の欲」は自らの心を壊すこともいとわないのです。心が破壊され、時には自殺へとつながっていく。これを益田さんは第3の破壊というわけです。

生物は環境を壊さないように存在するにもかかわらず、人間が3つの破壊を起こしてしまうのは、本来の関係ではない環境と複雑に付き合っているからです。言い方を変えれば、人間は自らの中に、「生物のようなもの」を幾層にも生み出してしまったのです。
そこを変えていかなければ、破壊は止められないのではないかと益田さんは示唆しています。やみくもに対処療法しているだけでは問題は解決しない。

うまく伝わったかどうか心配ですが、これが今回の益田さんの話の概要です。詳しく知りたい方は益田さんの著書「病原体から見た人間」(ちくま新書)の第5章をお読みください。

今回、改めて確認できたのは、「本来の関係にある環境」という捉え方と「環境は生物のようなものを生み出すとともに、生物もまた環境になっていく」ということです。
この視点で、環境破壊や健康維持、人間関係などを考えていくと、新しいヒントが得られるように思います。

話し合いでも示唆に富む話がたくさん出ました。
報告が長くなったので紹介できないのが残念ですが、特に気になったテーマを3つだけ紹介しておきます。いつかまた益田サロンでテーマにしてもらおうと思います。

1つ目は、本来の関係にある生物と環境とを「2個1(にこいち)」(発言者の表現)で考えて家族やコミュニティを捉えるとすごくわかりやすくなると参加者のおひとりが話されたことです。
益田さんはそれに関連して「イエ」の話もしましたが、個体としての「生物と環境」ではなく、「生物と生物」の関係を包み込むような環境の話がそこから見えてくるような気がしました。

2つ目は、もし環境がさらなる生物のようなものを生むのであれば、「人間独特の欲」が生み出す「生物のようなもの」は何なのか。そしてそうした先には、もしかしてすべてを支える何か素晴らしいものがあるのではないか。

3つ目は、2つ目ともつながるのですが、「破壊」というとどうしてもネガティブなイメージがあるが、時空間的に俯瞰したらそこには大きな意味でのポジティブな価値があるのではないか、ということです。


いずれも少しだけ話し合いになりましたが、なんだかとてつもなく大きなビジョンを感じさせられました。
他にも、空腹感と食欲の話とか、もう少し具体的な話も出ましたが、いずれにしろいろんな示唆をもらえたサロンでした。
次回は今回のサロンをもう一歩進められればと思います。

 

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■節子への挽歌5570:「今生最後」

節子

3日前の挽歌のタイトルは「今生最後の成田山新勝寺」でした。
ほぼ同じ記事をFBにもアップしたのですが、それを読んで3人の人から、「今生最後」とは…というメールやコメントをもらいました。
なんだか死期が近いというイメージを持ったようです。

今年最後の京都旅行とかこの夏最後の海水浴などという表現なら何ともないのでしょうが、「今生最後」には別に意味を感ずるのでしょう。
しかしそういう悲哀感は私には全くないのです。
なにしろ私には来世も来来世もありますから。
まあ、たまたま今生は十分通ったのでもう卒業という程度の意味なのですが。
でもやはり「表現」が適切ではなかったようです。

湯島にやってくる人も、時に、これが最後かもね、という人がいます。
最近は私はそういう言葉を否定はしませんし、私自身、また会うのを楽しみにしています、などとは言いません。保証の限りではないからです。
でもだからと言って、そこに惜別感は全くありません。
いつかまた会えると思っていれば、別れは悲しくないからです。

節子を見送って、もう2度と会えないのかと思っていたころは、寂しさと哀しさに陥っていたことはあります。
でもいまでは会えるかどうかはあまり問題ではなくなっています。
会えると思えるかどうかが問題なのです。

そういうように問題を組み替えれば、事態は変わります。
「会える」と思えばいいのですから。
来世も来来世もあると思えばいい。
そうなれば「今生最後」という言葉も気楽に使えます。
「この夏最後」と同じ意味で使えるからです。

でもまあ、節子と一緒に笑ったり悲しんだりすることが、今できないのは、やはりちょっと寂しくはありますが。

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2023/04/05

■節子への挽歌5569:私の人生は一つなので第1も第2もありません

節子

しばらく連絡がなかった人から、メールが来ました。
父親が亡くなったことを知りました。
私は一度も会ったことはありませんが、彼を支えていてくれた存在だったことは何となく感じていました。

そればかりではなく、彼の知人が2人も自殺で亡くなったようです。
大変だったでしょうに、連絡をする元気さえなくなっていたのかもしれません。
この3年で3人の死に直面したとは、今度会った時にどう声をかければいいでしょうか。

昨年、伴侶を失くした友人からはこんなメールがきました。

知り合い見送る迄60年近く 共に生きて 色々ありました。
でも添い遂げられて本当に良かったです
残り何年元気で居られるかは分かりませんが 第二の人生を楽しく生きたいと 婆さんなんて呼ばせない!😅

まあ彼女もいろいろとあったようですが、「第2の人生」を楽しく生きたいと言えるであれば、もう大丈夫でしょう。
私には、「第2の人生」など考えることもできません。
でも彼女は、メールの最後にこんな文章をつけていました。

佐藤さんも第2の人生に踏み出して下さいね 大丈夫です!

この一文で、さすがにむっとしてしまい、いささか反発してしまいました。
こういうメールを送ってしまったのです。

私の人生は一つなので、第1も第2もありません。

どう受け止められたでしょうか。
まだまだ私も人間ができていない。
困ったものです。

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2023/04/04

■節子への挽歌5568:今年も畑をやろうと思います

節子

今年もまた畑もどき作業をしようと思います。
今年は畑作業はもうできないだろうと思っていましたが、状況がまた少し変わってきたので、やろうと思えばやれそうです。
迷っていましたが、ユカに手伝いを頼んだらやってくれるというので、やってみる気になりました。
最近、ユカはベランダ花壇を始めているので、もしかしたら手伝ってくれるかもしれません。

そんなわけで、半年ぶりに畑に行ってみました。
すでに春になってしまったため、もう野草がかなり生え出しています。
この23年で、かなり土壌をよくしたので、逆に放っておけば、野草は急速に成長します。

そこで、まずはユカに手伝ってもらい、一部にビニールで地面を覆い、草の成長を止めるようにしました。うまくいくかどうかはわかりません。
次に2年ほど前から育ち出した桑の木を伐採することにしました。
すでに直径が10センチくらいになっているのでのこぎりで切りましたが、もうそれだけで疲れ切ってしまいました。

にこにも手伝いを頼みましたが、「お断りします」と妙にはっきり言われてしまいました。
にこは、どうも畑が好きではないようです。
今日も自宅から見下ろして、メガホンで時々声をかける監視役だけでした。

放置していた大根が花を咲かせていました。
食べられるかもしれないと抜いてきましたが、ユカに試してもらったら、もう固くなって皮をむくだけでも大変だそうです。
でもお味噌汁にしてもら食べてみました。
まあ食べられないことはない。
食べたのは私だけですが。

野草はもうすでに延びだしていましたが、いまなら何とか畑状に持っていけるでしょう。
ユカの手伝いはあまり期待できませんが、少しずつやっていこうと思います。

しかし、久しぶりに作業だったためか、途中で立ち眩みがして、ダウンしてしまいました。
しばらく畑にあおむけになって寝ていましたが、気を失うほどではなく、むしろいい気分でした。
水分補給に飲み物を届けてもらい、何とか回復。
半年ぶりの畑作業はやはり大変です。

でもバッタや蝶やテントウムシ、あるいはトカゲやなどにたくさん出合いました。
さてまた野菜の苗を買ってこなければいけません。

ユカはもう手伝わないからやめろと言いますが、なんとか頑張ってみようかと思います。
なにしろ「百姓人生」は私にとっては夢の生き方なのです。
自分では全くできませんでしたし、できないことも今はもうわかっているのですが。

節子がいたらずっと畑をやれたかもしれません。

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2023/04/03

■節子への挽歌5567:今生最後の成田山新勝寺

節子

今日は久しぶりに家族みんなで成田山新勝寺に行きました。
コロナ騒ぎもあったこともあり、この3年間、一度も行きませんでした。
新勝寺もさることながら、川豊の鰻も食べたくなったのです。

節子がいた頃は、毎年初詣にも行っていましたが、それもなくなり数年に一度、新勝寺にお詣りに行くくらいでした。行けば必ず川豊で鰻を食べていましたが、最近は整理券をもらうほどの人気になっています。
今回も目的の半分は鰻です。

まずは早めに行って、整理券をもらってからお詣りと考えていましたが、意外なことについたのが11時半、いまならすぐ食べられるというので食事を先にすることにしました。こんなことは滅多にありません。

にこも一人前を注文。残すだろうと思っていたら、半分くらい食べました。
にこの食欲はすごいです。間食をしないのがいいのかもしれません。
ちなみに最近、私の味覚が劣化したのか、どうもどこで食べてもうなぎの味が落ちているような気がしていますが、ここ川豊の鰻も例外ではなく、以前よりも美味しく感じませんでした。

おそらく成田山にはもう来ないだろうなという思いもあって、今回は成田山庭園も含めて全部回ってきました。
節子は鯉こく料理も好きで、以前はここで食べたなあと思いだしたりしましたし、義姉夫婦と一緒に来た時には護摩焚きでの「御火加持」をしてもらったなあ、などと思いだしました。
今回も孫と一緒に護摩焚きに参加しました。

成田山に来るのも、最後にしようと思います。
川豊の鰻ももういいでしょう。

今日はとてもあったかな春日和。
いい一日でした。

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2023/04/02

■節子への挽歌5566:昔の世界に時に戻るということは大切なようです

節子

25歳の時の投稿を読んだわけではないのですが、昔読んだSFを少し読んでみようと思い、昨夜は山田正紀「神狩り」を読んでみました。読み終えたのは、今朝ですが。

当時、かなり衝撃を受けた記憶が残っていたのですが、読み直してみるとあっけないほど驚きのない小説でした。
これは、この作品に驚きがないという意味ではなく、その解説で、伊藤典夫さんがスタニスラフ・レムの「ソラリスの陽のもとに」を引き合いに出しているように、当時はとても新鮮だったのでしょう。私も当時はかなりワクワクした記憶がりますし。

でもいまやもう「よくある話」のような気がします。
私の思考世界が大きく変わってしまっているのでしょう。
あまり意識していませんでしたが、世界は50年前とは様相を一変させているのです。

感度が鈍ってしまっているとも言えます。
やはり昔の世界に時に戻るということは大切なようです。
あの、生きるワクワク感を取り戻せるかもしれません。

そんなわけで、同じ著者の「弥勒戦争」も読もうと思います。
私のSFの記憶で一番強く残っているのは、この小説だったような気がします。
にもかかわらず、この頃から私はたぶんSFもミステリーもあまり読まなくなったような気がします。なぜでしょうか。

もしかしたらSFやミステリーから離れたのは、節子が関係しているかもしれないと思っていました。
節子はリアリストでしたから、あまり空想の世界は好きではなかったのです。

しかし、「弥勒戦争」の後付けを見ると、1976年になっています。私が35歳の時です。
私の記憶ではもうその頃はSFから卒業していたと思っていましたが、どうもまだ読んでいたようです。これは意外でした。
かくの如く、記憶の時間軸と事実とはかなり違うことが多い気がします。

最後に読んだSFが「ソラリスの陽のもとに」だったような気さえしていましたが、今調べたら、こちらはなんと私が大学を卒業した年だったようです。SFマガジンの連載で読んでいましたから、間違いありません。
なにやら時間軸がめちゃくちゃになっています。

まあ記憶の世界に限らず、私の時間軸はいつもかなり複雑ではありますが。
そういえば、世界SF全集も全冊購入したはずですが、その頃はすでにSFへの関心は後退していて、結局、全集はほとんど読まなかったような気もします。
これはまだどこかに残っているはずですが。

こんなことを調べていたら、「ソラリスの陽のもとに」も読み直したくなってきました。
もちろん最初の訳で、です。見つかるといいのですが。

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■節子への挽歌5565:「反精神病院」の湯島サロン

節子

昨日も湯島のサロンでした。
久しぶりに、遠方からの参加者も含めて、実に多彩な人が参加しました。

先日、書きましたが、最近、湯島のサロンは「花と機械とデシタルト」に出てくる「反精神病院」とますます重なってきました。こんな風に書くと、サロンの参加者に失礼ではないかと思われるかもしれませんが、私の価値観はいささか世間とは違うので許してもらえると思って、素直に書いてしまいます。

節子がまだサロンの手伝いをしてくれていたころにも、節子に時々、どうしてみんなサロンに来るのかなあと不思議に思っていたのですが、その答えがやっと見つかったような気がします。
ここは、まさに反精神病院、つまり精神を癒す場だったのです。
癒すのは、私ではなく、この「場所」で、私もまた癒されているのです。
そう考えるとなぜ人が集まるのかが理解できるような気がします。
ここでは自らに素直になれるのです。

そういう場ですから、みんな話し合っているようで、話していないのかもしれません。
そう思ってみんなの話を聞いていると、話し合いはあんまり行われていないことに気づきます。
しかし、それはこの場所に限ったことではなく、社会の至るところで、実は誰も話し合いなどしていないことにも気づかされます。

私は大学生の時に、人と人はわかり合えないものという思いを持っていました。そして、いつか「ディスコミュニケーション」をテーマに小説を書きたいと思っていた時期もあります。
一昨日、25歳の私の投稿記事を読んで、そんなことも思い出しました。

その後、コミュニケーションとはわかり合うことではなく、自分が変わることだという思いにたどり着き、そもそも自己と非自己は相対的なものと思うようになり、華厳経のインドラネットに溶融するような感覚さえ、時にもてるようになりました。
47歳で会社を辞めた時にも、言葉としてはこういうことを話していたと思いますが、気づいてみたら、今まさにそうした心境になってきています。

時評編で報告する予定ですが、昨日のサロンでの話も、こうした私の思いを実感させてくれたのです。

サロンが終わった後、思ってもいなかった人が私に「私も自閉症です」と話しかけてきました。言わなければまったくと言っていいほどわからないのですが、言われてみると心当たります。
改めて「異常」と「正常」とはいったいどう違うのだろうか、と考えてしまいました。

ちなみに、湯島が「反精神病院」ということは、世間は逆に「精神病院」だということに通じます。
いまやほとんどの人が「精神」を失ってしまってきている理由も、それでわかるような気がします。

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2023/04/01

■節子への挽歌5564:穏やかな無為の時間

節子

家をリフォームして、じゅん家族と同居するようになったのですが、私が普段いる場所も2階に移りました。
以前は娘の部屋だったところをLDにしたのです。
最近は在宅時間のほとんどをそこで過ごすようになりました。

そこから冬は日の出も見えますが、樹々も見えます。
その一角の山桜も咲いています。
いままだほぼ満開です。

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その景色がとても好きです。
特に風の強い日に、樹々が大きく揺れているのを見ているのが好きです。
すべてが生きている。そう実感できるからです。

その風景を見ていると時間の流れが決して一方向ではないのではないかと思ったりもします。いつ、むかしが明日に入れ替わっているかもしれない。
そんな気がするのです。

大きな欅の樹があって、そこに時々鳥が止まっています。
私は目がよくないのでそうはっきり見えるわけではありませんが、感じるのです。
自然を見ていると、飽きることはありません。

背景が青いと、つまり晴天の日だと、幸せな気分に浸れます。
不安も消えて、ただあたたかな幸せな気分になる。
今日はまさにその晴天。青い空が気持ちいい。

節子と一緒だったころ、こんなに穏やかな時間があったでしょうか。
楽しい時間はありましたが、無為に浸る時間はあったでしょうか。
いつも何かをしていたような気がします。
こういう時間を過ごせるのは、やはり年齢が関係しているのかもしれません。

こんなに穏やかで無為の時間を、節子と一緒に過ごせなかったのが、てても残念です。
気づくのがあまりに遅すぎた。

この頃、そんなことを時々感じます。

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■節子への挽歌5563:出会いの大切さ

節子

今朝の我孫子は濃霧であけました。
でも今はすっかり晴れて、春らしい日になりそうです。
こうなると気分も明るくなります。

気が明るくなると明るいメールも来る。
高校の時の友人からメールが届いていました。

佐藤さんとの出会いは実に大切なものでした。
しかし西高時代は私にとって光でもあり影でもありました。
要するに大人の常識を知る時期だった。

その前後の文章から、なんとなく意味が伝わってきますが、私と違って彼は人生をしっかりと考えていたのでしょう。いや、いまもそうなのです。
高校時代にはあまり付き合いはなかったのですが、なぜかどこかの時点から付き合いが始まりました。そしていまも続いている。どこで付き合いを再開したのか、私にはまったく記憶がありません。彼なら覚えているかもしれないですが。

人との付き合いは本当に不思議です。
いや正確に言えば、その出会いをどう活かすかの方が大切なのかもしれません。
多くの場合、大切な出会いを見過ごしていることが多いからです。
いまから思えば、私にもそうした出合いはたくさんありました。
その出会いをもし活かしていたら、私の人生は全く変わっていたでしょう。

しかし、もしそうしていたら今の私はいないとも言えます。
だとしたら、「見過ごす」とか「活かす」というのも、意味のないことかもしれません。
いまの私をつくり上げるために、「見過ごす」も「活かす」もいずれも必要だったのですから。

今日も彼に会います。
どうして彼が今朝、こんなメールをくれたのか。

ちょっとわかるような気がするのは、私も最近そういうことを考えることがあるからです。人生を振り返ると、実にいろんなことがある。そしてそれをふと誰かに話したくなることもある。
この気分は一体どこから来るのでしょうか。

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