■湯島サロン「〈自分を生き、笑って旅立つ〉コミュニティホーム」報告
今回の「生と死」をテーマにしたサロンは、今年はじめに地域の人たちの居場所も目指したコミュニティホーム「はじまりの家 そら」を開設した冨澤文絵さん(NPO法人コミュニティケア・ライフ代表)にお願いしました。
冨澤さんの活動や思いは、次のサイトをぜひお読みください。
https://community-home.jp/company/message/
冨澤さんが大切にしているのは、「自分を生き、笑って旅立つ」ということです。
その根底には、みんなそれぞれに素晴らしい「自分」をもって生まれてきているという思いがあります。そういう視点から見ると、「障がい」とか「病気」とかいう発想は後ろに退きます。そして世界は変わって見えてくるのでしょう。たぶん輝いて見えてくる(と私は思います)。
もちろん冨澤さんは現実から離れて理念を語っているだけではありません。そういう視点を持てば、これまでとは違った「人のつながり方」や「支え合い方」が見えてくる。そこから自らのやりたいことが見えてくる。それが見えてきたら、ともかく実現に向かって行動していく。行動すれば道は開けてくる。
そんな冨澤さんの生き方に、圧倒されたサロンでした。
冨澤さんの熱い思いのお話に聞き入ってしまっていたため、正確に報告する自信がいつも以上にないので、以下は私の勝手な感想的な報告です。
冨澤さんは、まず自己紹介も兼ねて、これまでの病院や在宅での看護や介護、看取りに関わってきた体験を話してくださいました。
そのなかで、冨澤さんが「訪問看護にはまってしまった」と言われたのがとても印象的でした。その言葉に、いまの医療や福祉の問題点が凝縮されているように感じたのです。それが、制度や論理からではない人間や生活から考える冨澤さんの活動の起点になっているのかもしれないと思いました。
そして、長年の様々な立場から冨澤さんが行き着いたのが「コミュニティホーム」。
単に医療看護や介護福祉を考えるのではなく、それぞれの人が生きていく上での「最高の環境」をつくりたい。そしてそれこそが「安心して旅立てる場」につながるのではないか。冨澤さんは「生きている環境」に焦点を当てたのです。もちろん「人とのつながり」も含めた環境です。生きる環境や生き方を考えていくと、「死」をどう迎えるかにもつながっていく。
その背景には、病院から家族のいる住み慣れた自宅に戻ると病状が大きく好転する人を見てきた体験があるようです。死の迎え方も、病院と在宅では違います。
ただそうは言っても、最近の家族・家庭環境では、たとえば独り暮らしのように、自宅が「最高の環境」とも言えません。
そこで冨澤さんが考えたのが、「コミュニティホーム」です。
多世代の人の交流もあり、いろんな関わり方ができるホーム。
病床もあるので、「入院(入居?)」もでき、「旅立ちの場」にもなる。
独り暮らしの人でも、仲間と支えながら暮らせ、仲間に見送られて旅立てる。
コミュニティホーム「はじまりの家 そら」を拠点にして、そんなコミュニティが生まれてくる。それが冨澤さんのビジョンのように感じました。
実はそれは、湯島のサロン活動への私の思いともつながっています。
コミュニティホーム「はじまりの家 そら」が閉じられた施設ではないように、そのコミュニティは決して閉じられたものではなく、広い意味での地域に開かれている。
それはよく言われる「居場所」(最近はあまりに安易に使われる言葉になってしまっています)というよりも「安息地」というのがふさわしい気がします。しかも単なる閉じられた場所ではなく、時空間的にも開かれ、場所そのものが生きている。
それこそが、冨澤さんの考える〈自分を生き、笑って旅立つ〉ための環境であり、旅立った後もまた戻ってこられるような場所なのかもしれません。
いささか情緒的に書いてしまいましたが、冨澤さんが目指しているのは、スピリチュアルな要素も入った、そんな環境のような気がしました。
こうした構想を実現していくためには、当然ながら資金が必要になります。
運営にも資金が必要になる。
それに関しても話し合いで少し話題になりましたが、冨澤さんは資金からは発想していないように感じました。
すぐには方策は思いつきませんが、資金ありきでの発想からはコミュニティは生まれてこないでしょう。資金問題をどう解決していくか、あるいは資金問題からどう抜け出していくか、が冨澤さんの構想の実現の要かもしれません。つまりそれも含めてみんなで取り組んでいくことがコミュニティを生み出すことなのかもしれません。
そこではたぶんこれまでの「施設運営」「利用料金」というような発想も見直されていき、さらには「利用者と運営者の関係」も変わっていくような気がします。
いささか私自身の思いを広げすぎてしまい、冨澤さんには叱られそうです。
しかし、そんなことを考えさせられるお話でした。
でもこんな報告だとせっかくの冨澤さんのお話や参加者のみなさんの話し合いが伝わりません。すみません。
もし当日のサロンではどんな話があったのか知りたい方がいたら、ご連絡下さい。
当日の動画記録がありますので、冨澤さんの了解を得て、ご覧いただけるように検討します。また特にこうした点を知りたいという方がいたら、冨澤さんにお伝えするようにします。
また、現場を見ながら改めて冨澤さんの話を聞きたいという方がいたら、「はじまりの家 そら」見学会も企画しますので、関心をお持ちの方はご連絡下さい。
コミュニティとは意図的につくるものではなく、結果的に生まれ育っていくものだということを、改めて確信できたサロンでした。
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