■第26回万葉集サロン「〈恋〉を歌わぬ憶良。老・病・死の先に顕われてくる自己の象〈かたち〉」報告
憶良が晩年に詠んだ「恋男子名古日(男子(おのこ)の名を古日(ふるひ)といふに恋ふる歌)三首」が今回の主題です。
歌の本質とも言える「恋」を歌わない憶良が、「恋ふる」と言う表現を使っているところに升田さんは注目します。幼子の死への思いを詠った歌なのに、なぜ「哀しむ」や「悼む」ではなく「恋」なのか。升田さんは、そこに憶良の最晩年の心境を読み取ります。
升田さんは、先ず長歌を朗誦しながらていねいに読み解いてくれました。そして、この歌の表現のなかに(たとえば「カタチ」「トバス」などに)、憶良の「いのち」や「死」に対する想いが読み取れるというのです。
もうひとつ升田さんが指摘したのは、「・・・を恋ふ」ではなく「・・・に恋ふ」。「を」ではなく「に」という表現です。
「・・・を恋う」と言えば、主語が自分の能動態になりますが、「・・・に恋う」となると、むしろ主語は自分ではなくなり、対象からの働きかけという感じになります。これは古代特有の助詞の使い方だそうですが、そこに以前サロンでも取り上げた「二分心」につながるものを感ずると升田さんは言います。
憶良が主体的に古日を恋うのではなく、古日のほうから何か感じさせるものが発せられ、憶良を動かしている、というわけです。そして、そうした表現の中に、これまでこのサロンで話題になってきている、「な」「わ」「た」の関係、つまり個人の覚醒や社会の形成を考えさせられる示唆があると言うのです。
ちなみに、「二分心」に関しては以前一度、サロンをやっていますので、関心のある人はその報告をお読みください。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2022/04/post-ac0b9d.html
憶良の歌は、具体的で写実的、叙事的で、近代詩歌を思わせるところがあるが、どうも近代詩歌とは違う。升田さんは、その謎はもしかしたら、二分心仮説によって解けるかもしれないと考えているのです。それで、今回も古代ギリシアの長編叙事詩「イリアス」の一部を紹介してくれました。
人間の身体と霊魂など、とても興味深い話も出たのですが、中途半端には紹介しにくいので省略します。しかし、時々話題になるように、万葉集の世界とイリアスの世界はつながっているように思います。いつか、「万葉集とイリアス」をテーマにした万葉集サロン番外編をお願いしたいと思っています。
話を戻します。
升田さんは、内なる自分と対峙しつづけながら、しかしまだ古代の「わ」の中で、自己の顕現に苦悩している憶良を見ているのです。
渡来人としての理性的な憶良がそこにある。にもかかわらず、憶良にはまだ「神の時代」が残っている。
憶良が生きていた時代は、いわゆる天平の世でした。
天平期は、華やかでありながらドロドロした時代だった。しかも、唐と新羅との交流も盛んで、いろんな意味で、激しく厳しく目まぐるしい時代だったようです。そんななかで、「社会(世間)」や「人の生き方」への意識も生まれ、個人意識も生まれだした。さらには、「た(多)」の最小単位としての「家族」も顕現しだした。しかし、そうしたものを支える、たとえば仏教のような人のつながりを支える「世間(よのなか)の道」という意識はまだ広がってはいなかったのです。
そうした憶良の生きた時代について、升田さんは「続日本紀」を引用しながら話してくれましたが、いまの社会にもつながるところもあって、とても興味深い話でした。たとえば、「女医の博士」などという話が出てくるのです。
そして升田さんは、最後に憶良の「沈痾(やまひおも)りし時の歌」を、憶良と交流のあった大伴旅人の「凶問に報ふる歌」と並べて読んでくれました。
旅人が、「世間(よのなか)は 空しきものと 知る時し いよいよますます 哀しかりけり」と詠っているのに対し、憶良は「世間(よのなか)は 空しかるべき 万代に 語り継ぐべき 名は立てずして」と詠っているのです。
旅人は素直に空しさを詠い、憶良は生きることに執着している。
そこにも憶良の人間像を読み取れます。
そして升田さんは、憶良についてこう総括してくれました。
柿本人麻呂のように宇宙的霊的な大きさで「た」と融即することはなかった山上憶良は、激しく変動する天平期の中で「家族」の単位に帰属して行く。その中で自己と対峙し続ける憶良はまた「教理」と「情」の対峙を見続ける人でもあった。
現実を直視した歌は歌人としての評価・理解は得られなかったかも知れないけれど、一貫したテーマや表現方法を曲げることはなかった。それは憶良の孤独を意味するけれど、憶良は倭歌に憧れながらも自分の歌に生きることを全うしたのだと思う。
話し合いでは、憶良の人間像をめぐって、さまざまな意見が出ました。憶良が人間らしく生きていた証しかもしれません。
古日の歌も、感動して涙が出たという人もいれば、何か白々しさを感じてしまうと言う人までいろいろでした。
4回にわたる憶良は、とりあえず今回で終了ですが、憶良の歌を通して、時代の大きな変化を読み取れ、万葉の時代への理解も深まったと思います。
ちなみに、憶良が開いた世界は、そのまま、新しい文化、新しい歌の世界を開いていったわけではありませんが、しばらくの空白期を経て、平安期の歌や物語へとつながっていくわけです。
改めて万葉に時代の面白さに気づかされたサロンでした。
次回の万葉集サロンは6月18日の予定です。
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