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2023/04/02

■節子への挽歌5566:昔の世界に時に戻るということは大切なようです

節子

25歳の時の投稿を読んだわけではないのですが、昔読んだSFを少し読んでみようと思い、昨夜は山田正紀「神狩り」を読んでみました。読み終えたのは、今朝ですが。

当時、かなり衝撃を受けた記憶が残っていたのですが、読み直してみるとあっけないほど驚きのない小説でした。
これは、この作品に驚きがないという意味ではなく、その解説で、伊藤典夫さんがスタニスラフ・レムの「ソラリスの陽のもとに」を引き合いに出しているように、当時はとても新鮮だったのでしょう。私も当時はかなりワクワクした記憶がりますし。

でもいまやもう「よくある話」のような気がします。
私の思考世界が大きく変わってしまっているのでしょう。
あまり意識していませんでしたが、世界は50年前とは様相を一変させているのです。

感度が鈍ってしまっているとも言えます。
やはり昔の世界に時に戻るということは大切なようです。
あの、生きるワクワク感を取り戻せるかもしれません。

そんなわけで、同じ著者の「弥勒戦争」も読もうと思います。
私のSFの記憶で一番強く残っているのは、この小説だったような気がします。
にもかかわらず、この頃から私はたぶんSFもミステリーもあまり読まなくなったような気がします。なぜでしょうか。

もしかしたらSFやミステリーから離れたのは、節子が関係しているかもしれないと思っていました。
節子はリアリストでしたから、あまり空想の世界は好きではなかったのです。

しかし、「弥勒戦争」の後付けを見ると、1976年になっています。私が35歳の時です。
私の記憶ではもうその頃はSFから卒業していたと思っていましたが、どうもまだ読んでいたようです。これは意外でした。
かくの如く、記憶の時間軸と事実とはかなり違うことが多い気がします。

最後に読んだSFが「ソラリスの陽のもとに」だったような気さえしていましたが、今調べたら、こちらはなんと私が大学を卒業した年だったようです。SFマガジンの連載で読んでいましたから、間違いありません。
なにやら時間軸がめちゃくちゃになっています。

まあ記憶の世界に限らず、私の時間軸はいつもかなり複雑ではありますが。
そういえば、世界SF全集も全冊購入したはずですが、その頃はすでにSFへの関心は後退していて、結局、全集はほとんど読まなかったような気もします。
これはまだどこかに残っているはずですが。

こんなことを調べていたら、「ソラリスの陽のもとに」も読み直したくなってきました。
もちろん最初の訳で、です。見つかるといいのですが。

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