■節子への挽歌5601:生きるとは托鉢とか乞食とかの積み重ね
節子
「天路の旅人」を毎日少しずつ読んでいます。
サンチャゴを歩いている鈴木さんを思い出しながらです。
「天路の旅人」の西川一三は、ようやくラサに到着です。
ラダック人が出てきたり、ポタラ宮が出てきたり、興味深い内容が多いのですが、一番の気づきは「巡礼」に対するイメージが豊かになっていくことです。
同時に、托鉢とか乞食ということへの理解も深まりました。
いささか大仰に言えば、生きるとは要するに托鉢とか乞食とかの積み重ねなのだという思いも生まれてきました。
サンチャゴから戻ってきたら、鈴木さんにできるだけ早く、湯島でサロンをしてもらおうと思いますが、これまでとは違った聴き方ができるような気がしてきました。
西川はこの後、インドを経由して日本に戻ってきます。
その後、西川がひっそりと暮らした気持が、なんだか少しわかるような気もします。
こんなに時間をかけての読書は久しぶりです。
これまでの私の読書の仕方は、単なる作業だったのかもしれません。
何時からそんな読み方に代わってしまったのでしょうか。
たぶん昔はそうではなかったような気もします。
今日もあまりいい天気ではありません。
昨日は雨だったので、畑には行けませんが、座る生活から今日は抜け出ようと思います。
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