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2023年5月

2023/05/31

■節子への挽歌5642:資産は生きている間だけの「預かりもの」

節子

昨日、最近湯島のサロンに来るようになった人からゆっくりと話をしたのでと連絡がありました。
最近、いささか時間破産状態なので、本当は避けたかったのですが、これまでも2回ほど会って、その人がかなり切羽詰まっているようなので、なんとか時間をやりくりして、湯島で会うことにしました。

いろいろと自らの状況をさらけ出してくれましたが、問題は家族間の関係です
解決策はそう簡単には見つからないようです。
私なりの解決策(私ならこうするだろうということ)は話しましたが。

今回の話はともかく、最近、家族間の仲違いや諍いの話をよく聞きます。
お互いに心を開いて支え合う「生きるための基礎集団」が家族だと思っている私にとって、家族の諍いはなかなか理解しがたいものがあります。ましてや、そこにお金や資産が絡んでくるとますます理解できない。

そもそもお金や資産は、彼岸にまで持ってはいけませんから、所詮は生きている間だけの「預かりもの」でしかありません。
そんなもののために、親子や兄弟姉妹で争ったり、悩んだりすることがまったく理解できない。

ちなみに私の持ち物は、死後は娘たちのものになり、娘たちが死んだら孫のものになるわけです。そう考えれば、できるだけ早く自分の持ち物は娘や孫に渡しておいた方がいい。いささかずるいかもしれませんが、そうすればそうしたものに煩わせられることも少なくなる。
断捨離という発想もそれに繋がりますし、法頂の無所有の思想もそれにつながる。
そう思っていますので、家族問題の話を聞くたびに、どうしてそんな些末なことに振り回されるのかと思うのです。
でも当事者はどうも深刻なようです。

多くの場合、家族関係を壊すのはお金や資産のようです。
それもたかだか数千万円とか数百万円の話です。いや数十万円の時さえある。
私には数十万円も数千万円もあまり違いが感じられません。お金など金額の多寡に限らず価値などあるはずもないと思っているのです。
もちろんお金があればできることも少なくないですが、煩わしいことも少なくない。そう思っていますので、お金や資産が家族関係をおかしくしている話を聞けば、お金や資産をすべて相手にあげればいいだけの話なのにとついつい思ってしまいます。

書いているうちにだんだん面倒になってきたので、この辺でやますが、世の中の多くの人は本当につまらないことで悩んでいる気がしてなりません。
まあ、悩むことが生きる意味なのかもしれませんが。

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2023/05/30

■重田園江さんの「真理の語り手 アーレントとウクライナ戦争」を一気に読みました

ウクライナ戦争に関して、視野を広げてくれる本を読みました。

これまで私は、ロシアもウクライナも、国民が戦わなければ戦争はおさまるのではないかなどと考えたりしていましたが(その考えは今も変わりませんが)、どうももう少し視野を広げなければいけないと痛感しました。
ウクライナに関する本も何冊か読んではいますし、「ブラッドランド」も読んで、ソ連の歴史も少しは知っているつもりでしたし、「カティンの森」の映画も見ていますが、まだまだ身心に入ってきていないことを思い知らされました。
軽々にロシアやプーチンを語るのも注意しなければいけません。

読んだ本は、重田園江さんの「真理の語り手 アーレントとウクライナ戦争」(白水社)です。昨夜読みだしたのですが、一気に読み終えました。
久しぶりの睡眠不足で、おかげで朝からもう眠いです。

この本で面白かったのは、アーレントの「真理と政治」につなげての話とウクライナの映画人、とくにロズニツァ(私は全く知りませんでした)の作品にまつわる話ですが、それは読んでもらうとして、その本の最後に掲載されていた、昨年530日のニューヨークタイムズに掲載されたイェゴール・フィルソフさん(ウクライナ軍の医療班員)の投稿記事の一部を紹介したいです。

よく言われている話なのですが、重い本を読み終えて気が滅入ったところで読んだので、元気が取り戻せました。
長いですが、引用させてもらいます。

死がありふれているところでは、人々は頑強になると思われるでしょう。ところがそうではないのです。人は繊細になり、また以前よりオープンになるのです。どこででも爆撃が起こり、見知らぬ人と遮蔽物の下に隠れていると、心から率直な会話ができます。自分だけの秘密や個人的な経験、そして大切な記憶を分かち合うことができるのです。死が荒れ狂う場所を、なるべく多くの生で満たそうとしているのでしょう。

ここでは皆がすべてのものを分かち合い、助け合っています。軍や警察、当局者すらもです。食べ物がないと分かると、与えてくれます。服が破れて汚くなっていたら、自分たちの服をくれます。タバコがなかったら、半分分けてくれます。平和なときには、私はこのような互いへのケアや配慮を見たことがないです。

以上がフィルソフの投稿記事です。
あの悲惨なブチャにおいても、こうなのです。
やはり私は、すべての人が本来、性善であることを確信します。
もちろんプーチンもゼレンスキーもです。

それにしても、「平和」とはいったい何なのか。
平和は幸せにつながっているものなのか。

一昨日、引きこもりの親の会で話したことにも、少し自信が持てました。
アーレントの「真理と政治」も久しぶりに読み直そうと思っています。

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■節子への挽歌5641:久しぶりに企業系に関して少しだけ話しました

節子

節子も知っているトヨタに勤めていた北川さんが久しぶりに湯島に寄りました。
北川さんは、いまはまた豊田市に住んでいますが、昨日、東京の大学での講演で来たついでに、湯島によってくれたのです。
北川さんはトヨタ時代に湯島にも来ていて、節子とも会っています。
節子の好きなタイプの人で、エンジニアでありながら、関心がとても広いうえに、実際に行動もする生活者でもあります。

今はある会社の社外重役もしていますが、最近はコロナで東京に来る機会も減っていたそうです。
北川さんからは著書も2冊ほど送られてきていて、いずれも興味深いものであり、いつかサロンをお願いしたいと思っていましたが、最近の湯島は企業関係者が激減しているので、迷っていたところです。
それに日本の企業には私としては心底、失望しつつありますので、とりわけ大企業関係者には興味を失いつつあります。

しかし、久しぶりに北川さんとちょっとだけ日本の企業経営の話になりました。
自分でも驚いたのですが、やはりどうも話し出すとついつい感情が入って話してしまうのです。
やはりどこかにまだ「期待」しているところがあるのでしょう。

北川さんの経営観や人生観には、以前からとても共感しているところがあります。
それもあって、北川さんのこれからの活動には関心があります。
まあそんなことをいろいろと話しました。

たまには企業関係者と話すのもいいものです。
まあ北川さんのような、まともな企業関係者の話ですが。

 

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■節子への挽歌5640:得難い存在の超リベラルな方

節子

82歳になりました。
まさかのまさかです。
節子もまさか私がこんなに長生きするとは思ってもいなかったでしょう。
私自身もまったく思ってもいませんでした。

でも82歳になってしまいました。
でも無駄に年取ったわけではありません。
たとえば、こんなメッセージをもらいました。

佐藤さんという超リベラルな方にお会いでき、感謝です。
得難い存在ですから、ながーく生きてほしいのです。

「超リベラル」はともかく、私は少し変わった存在のようです。
だからもう少し現世にいてほしいと言ってくれる人が何人かいるのです。

中にはこんなメッセージもある。

いつまでもおさむさんが私たちに呼びかけてくれる筈もないので、湯島のサロンの今後について早めに話しておいたり、お互いの連絡先交換につとめます。若い世代がたまにおさむさん面白かったねー、という感想を話すのは許してくださいね。

この人は私がいなくなった後のことを言っていますが、でももう少しはいてほしいとも言っています。
とまあ、そんなわけで、もうしばらくは現世滞在することになりそうです。
待たせてばかりですみません。

しかし彼岸にはたぶん「時間」はないでしょうから、あまり気にすることもないでしょう。
待ちくたびれた節子の方で、現世に戻ってくればいいのですが、それはやはり難しいのでしょうか。

私も早く、彼岸を体験してみたいと思っています。

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■湯島サロン「私がなぜ長南町でお百姓さんのような暮らしをしているのか」報告

サロンの翌日からめずらしく旅行に出かけてしまい、報告が遅れてしまいました。
とても刺激的なサロンだったので、早くシェアしたいと思いながら、旅行から戻ったらいろいろとあって、さらにいつも使っている年季入りのパソコンが不調をきたし(まだ動きがよくありません)、報告が遅れてしまいました。
言い訳ですみません。

Kihara20230521

仕事とは生きることだと考えている木原さんのサロンには、木原さんのパートナーのテツさんも参加してくれ、さらにそのテツさんの20年ぶりの友人が現れるといったハプニングまであっての、とても元気が出るにぎやかなサロンになりました。
また久し振りに参加してくださったご夫妻の方と縁のある家が、木原さんたちがいま住んでいる長南町の家のすぐ近くだともわかりました。
どうも木原さんのまわりでは、いろんなハプニングがいつも起こっているようです。

生きるっていうことは、そういうことなんだろうなと奇妙に納得してしまいました。でも、そういう面白さに私たちはなかなか気づかない。木原さんたちのように、時の流れに、いい意味で身を任せずに、小賢しく生きているからかもしれません。

木原さんの話も、サロンでの話し合いも、私にはあまりにもすんなりと身心に入ってきてしまい、報告を書こうと思ったら、逆になにも思い出せなくなってしまいました。
何か思いだそうと思っていたら、参加者のおひとりがこんなメールをくれているのに気づきました。

〈仕事=生きること〉。
仕事を失って、生きるハリを失った私には、天啓のような言葉だと感ぜられます。

「天啓」
木原さんもそのパートナーのテツさんも、天啓を素直に受けながら生きているのかもしれません。そんな気がしてきました。

おふたりは沖縄で会っていますが、そこからまるで天啓を受けたように、いまの長南町に転居したのです。
町役場に相談したら、600万円程度の資金が必要だというようなことを言われたそうですが、そんな資金はなかったふたりはともかく転居してしまったそうです。資金をためてからなどという生き方は、おふたりには縁遠いのでしょう。
相談に行った長南町の役場の人からは、どんな仕事をされているのかというような問いかけがあったそうですが、木原さんは「生きることを仕事にしたい」と答えたそうです。相手の戸惑いが伝わってきますが、木原さんの答には心底共感します。

とまあ、こんな感じで木原さんはこれまでの生き方やいまの生活、そしてそうしたことから得た気付きや思いを話してくれました。
現代の「常識」では成り立ちそうもない話もありましたが、実際にそれが起こっているのです。現実は理屈とは違うのです。
そうしたことを私が書いてもうまく伝わらないでしょう。

木原さんのところでは、田植えや稲刈りのような忙しい時には人手を求めていますので、木原さんに連絡して木原さんたちの生活を体験しに行ってみるのもいいです。
そうしたプログラムも用意されているようです。
関心のある人は木原さんに連絡してみてください。

きちんとしたサロン内容の報告は無理ですので(木原さんたちの生きるエネルギーや輝きは文字にするのは難しい)、いつものように私が思い出したことを3つだけ書くことにします。文責は私にあります。

第1は、仕事の話です。
現代の社会は仕事の結果を重視するけれど、課程はできるだけ効率化しようとしてしまうので、仕事が楽しくないのではないか。でも個人にとっては、その過程こそが大切なのではないか。木原さんはそう言います。無駄かどうかを考える基準を見直すと全く違った働き方が見えてくる。仕事の捉え方も変わってくる。
湯島のサロンでも「仕事とは何か」を大きなテーマにしていますが、お金を稼ぐことと働く仕事とは別のものと考えると、仕事観も生き方も大きく変わってくるはずです。木原さんたちは、それをまさに実践しています。

第2は、お金のことを考えると動きにくくなるので、まずはお金を横において動いてみよう、という生き方です。そうした、お金に縛られずに生きている木原さんたちの生き方は、たしかに勇気のいる生き方かもしれません。でも実際に木原さんたちは、そうやって生きていて、楽しくやれている。お金に困ることもあるようですが、困るとなぜか救いの手がやってくる。そんな話もありました。
参加者の一人が、木原さんたちの話を聞いて、わらしべ長者を思い出したと言いましたが、しっかりと生きていると誰かが助けてくれるのかもしれません。そもそも、いまの日本は、お金は偏在していますが、物はむしろ溢ふれるほど遍在している時代です。それを忘れてはいけません。

第3はバタフライ効果、つまり、一人のささやかな行動が社会を変えていくという話です。
木原さんたちが長南町に転居して1年半、木原さんたちのまわりが少しずつ変わり始めているようです。まちづくりの世界ではよく言われることですが、地域社会が変わっていくのは、多くの場合、一人のヨソ者やバカ者からなのです。社会が変わっていくのも、同じことだろうと私は思います。

これが、木原さんの生き方から、私が受け取った3つのメッセージです。
いずれもとても共感できますし、湯島サロンの精神にもつながっています。

木原さんはこんな話もされました。
モヤモヤして答がわからないときにはともかく動いてみるのがいい。
人に会うのもいい。それも楽しそうにしている人と。
断捨離して身軽になることも大切だ。
ともかく、モヤモヤは先に導いてくれるための大切なもの。

そして木原さんはこうも言いました。
魂が喜ぶようなことをしたい。
みんなが楽しんで生きている世界をみたい。
思い込みを解けば新しい世界が見えてくる。
木原さんたちが見ている世界が少し見えてくる気がします。

なんとかここまで書いてきましたが、生きる輝きを感じさせてくれた木原さんたちのメッセージをうまく伝えられません。また、木原さんたちにサロンをやってもらって、直接、木原さんたちの生きざまに触れてもらうことをいつか企画したいと思います。その後の話もお聞きしたいですし。

そういえば、木原さんを私につなげてくれたのは、サロンにも時々参加してくれる増田さん(一般社団法人地湧の杜)ですが、増田さんが主催する「小屋の学び舎」というプロジェクトも長南町で予定されています。
関心のある方は次のサイトをのぞいてみてください。

https://chiwakinomori.com/2023/04/12/%e5%b0%8f%e5%b1%8b%e3%81%ae%e5%ad%a6%e3%81%b3%e8%88%8e%ef%bc%92%ef%bc%90%ef%bc%92%ef%bc%93%e3%80%80in%e3%80%80%e5%8d%83%e8%91%89%e7%9c%8c%e9%95%b7%e5%8d%97%e7%94%ba%e3%80%80%e3%80%9c%e6%9c%aa%e6%9d%a5/

 

 

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2023/05/29

■節子への挽歌5639:にこからの誕生日プレゼント

節子

部屋でパソコンをしていたら、にこが「おさむさん、いる?」とやってきました。
いま畑に行っているよと返事をしたのですが、そんなことは無視して入ってきました。
そして、「おたんじょうび、おめでとう」と言って、手づくりバッジをくれました。
そして「あしただけどね」と付け加えました。

Dsc_0896 手づくりで一生懸命つくったのだそうです。
「がんばったね」と言ったら、「がんばっていないよ」と言います。
私と似て天邪鬼です。困ったものです。

バッジのおまけに、たい焼きも買ってきてくれました。
たい焼きを食べながら、少し話しましたが、話は噛み合わない。
おさむさんは280歳まで生きるというので、いや来年はもう死ぬかもしれないと言いましたが、相手にされません。

私自身、誕生日のことを忘れていましたが、明日は誕生日のようです。
82歳、みんなが気にしてくれるはずです。
そういえば、昨日も隣のご夫妻からお気をつけてと言われたので、いなくなったら後をよろしくと頼んでおきました。

でもいなくなっても誰にも気づかれないような終わり方をしたいものです。
にことの関係も、そういう関係を育てておきたいと思いますが、それが難しい。
まだ妙案が浮かびません。

自分の死が誰かの人生に影響を当てるような終わり方は避けたいと思いますが、長生きもできれば避けたい。そのふたつをどう両立させるかがいまの私の課題です。

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2023/05/27

■節子への挽歌5637:引きこもりの親の会で話をしました

節子

久しぶりに集まりで話をさせてもらいました。
ひきこもりの親の会をベースに設立された楽の会リーラです。
前日にハッと気づいたのですが、来ているものがあるだろうかと心配になりました。
幸いに今どきのジャケットがありましたので、ホッとしました。
何しろ最近はユニクロのシャツしか着ていませんので。

そんなわけで、久しぶりにジャケットも来て、靴で出かけました。
ところが、午前中の孫の運動会で疲れてしまい電車を乗り越し、しかも会場をきちんと確認していなかったため、道に迷ったりして時間ぎりぎりに会場に着きました。
もう久しく講演もしていないため、このていたらくです。
緊張感が全くない。困ったものです。

参加者は引きこもりの親たちが中心ですが、私自身はそもそも世間での「引きこもり問題」の捉え方がまったく間違っていると思っているので、今回の話のメインメッセージは「引きこもりのどこが悪いのか?」というものです。
行政や福祉業界の「引きこもり対策」には私は否定的なので(引きこもりに限らず、行政や専門家の福祉対策には違和感があります)、まずは「引きこもりがよくない」という発想を捨てましょうという話をさせてもらったのです。
問題の立て方を間違ってしまうと、対策はむしろ逆作用を起こしかねません。

いささか挑発的なので、反発も多いだろうと思っていましたが、意外と共感を得てしまいました。
それでさらに、余計なことも行ってしまいました。
そもそも人生には問題はつきものです。
いや、問題があればこそ、人生は意味がある。
悩みのない人の不幸もわかってやらなければいけません。
それに、引きこもりは一人でできるものではありません。引きこもらせる人たちが必ずいる。問題は、引きこもらせる人の方にこそあるのかもしれません。
それに当事者を支援したり、寄り添ったりすることなどできるはずもない、とまで言ってしまいました。

それでも怒り出す人はいません。褒めてくれる人までいる始末です。
一波乱を期待していたのですが、そんなわけで平和裏に終わってしまいました。

参加者のグループ討議もグループを回って少しずつ聞いてみました。
やはりみんな問題の捉え方を間違えているとしか思えない。
そこで、たとえば、そこでも時々余計案問いかけをしてしまいました。

「息子さんを信頼しているのですか?」
「引きこもっているのはむしろ親の方ではないですか?」

参加者の何人かが、湯島のサロンに行きたいと言ってくれました。
何人かには私のメッセージは伝わったようです。
うれしいメールももらいました。

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■節子への挽歌5636:にこの運動会

節子
今日はにこの運動会でした。コロナ騒ぎもおさまり、家族も自由に行けるようになったそうなので、見に行きました。
最初に1年生のダンスと徒競走がプログラムされていたので、それだけを見に、ですが。

ちょうど、ダンスは目の前ににこがやってきました。
にこは新体操やチアダンスをやっているので、得意の分野です。
つづいて徒競走。
これもユカは得意で、ずば抜けて早いのです。

陽射しが強かったので、小一時間でしたがすっかり疲れてしまいました。
しかし、運動会と言っても学年単位に時間配分されていて、自分の子供の時間が終わると家族の多くも入れ替わるようです。
子どもたちも自分たちの時間でないときには教室で映像観戦のようです。
なんだか私の記憶の運動会とは似て非なるもののような気がしました。

さすがにマスクをしている子供はいなかったですが、学校は子どもたちを相変わらず「訓練」する文化の中にいるようです。
これでは人間はどんどん病弱になっていくでしょう。
やはり学校制度は根本から組み替えないといけないと思いました。

にこが大きくなったころの社会は、私にはとても住めそうもありません。
そんなことを感じた運動会観戦でした。

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2023/05/26

■湯島サロン「庶民の資産防衛-今起きていること、これから起きること」のご案内

今回は湯島サロンではちょっとめずらしい内容のサロンです。
テーマは「資産防衛」。

私が、その生き方に関心を持っている佐藤裕さんという友人がいます。
新潟にお住まいなのでサロンにはめったに来られませんが、時々、わざわざサロンのために新潟から出てきてくれます。
その佐藤裕さんに、サロンを一度やってほしいと言ったら、なんとこのテーマが提案されてきました。

裕さんからは、金融の動きをきちんと見ていないと社会は見えてこないと、いつも私は指摘されているのですが、制度論としてはともかく、私自身は金融資産もありませんし、投資とか投機とか資産運用には縁がないため、体験知が皆無です。
しかし、裕さんはいろいろな体験もされています。にもかかわらず、金銭への執着がほとんどないのです。それにマスコミ情報などは全く信じていないため、いろんなことを自らで調べ上げるのです。

その裕さんに、金融の視点から時代の流れを読み解いてもらうというのが今回のサロンの趣旨です。
もっとも裕さんは、話し出すとどこに話が行くかわからない、私の手に負えないタイプでもあります。DSの陰謀論の話や日本古来の宗教の話も、出てこないとは限りません。なにしろそういう人だからです。
どんな話になるかは、まったく保証できません。

でも裕さんは、こういうのです。

もう危機は目の前!
庶民も生活防衛のためにも資産防衛が必要。
資産防衛のためゆるい人的ネットワークが必要。これが湯島のサロン?

だからきっと最後は、湯島のサロンにつながる話になるでしょう。
そんなわけで、裕さんにサロンをお願いすることにしました。
よかったらご参加ください。

〇日時:2023年6月27日(火曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http:/cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「庶民の資産防衛-今起きていること、これから起きること」
〇話題提供者:佐藤裕さん(天路の旅人)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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■湯島サロン「みんなの習慣や日課を出し合ってみませんか」報告

身近なテーマだったせいか、たくさんの人が参加し、話し合いもとてもにぎやかでした。参加者の感想を一言で言えば、「こんな身近なテーマでこんな深い議論ができるのか」という気づきだったような気がします。
それぞれにいろんな気づきを得たサロンになったと思います。

習慣や日課の大切さは意外と意識されませんが、そもそも「文化」は人々の習慣や日課で形成されていきますし、個人の人生も習慣や日課によって大きく変わってきます。
スポーツ選手のルーチンが時々話題になりますが、別にスポーツ選手に限った話ではありません。
私もこれまで、思ってもいなかった事件で「生活破綻」しそうになったことが2回ありますが、そこから抜け出せたのは、生活に「ルーチン」を意識したおかげです。

杉原さんはまずみんなに1日の生活を書き出す円形の時間表を配ってくれました。子どもの頃の夏休みの日課表を思い出しました。参加者はそれに記入しながら、毎日の日課や生活リズムなどを振り返ったと思いますが、こうしたことは普段あまりすることはないでしょう。それだけでも私にはとても新鮮でした。

その後、参加者一人ひとりが、自分の平均的な1日の生活を発表。杉原さんは、それをホワイトボードに書き並べてくれました。杉原さんの問いかけで、それぞれの「お気に入り」も書きだされました。

生活は人によってこんなにも違うのかと驚きましたが、同時に、その人の生活リズムを意外と知らないでいることにも気づきました。肩書やキャリアよりも、生活日課(パターン)を知るほうがお互いに理解を深められるようです。参加者への距離感がずっと近づいたような気もしました。

参加者みんなの日課を並べてみると、あまりに多様なのに驚かされます。
今回の参加者は、組織に所属して生活リズムが拘束されている人は少なかったのですが、それが逆に多様な生活リズムにつながっているのかもしれません。
しかし、睡眠時間や食事の回数もこんなに違うのか驚きました。
3時間しか寝ていない人もいれば、10時間以上寝ている人もいる。食事も1回だけという人が複数いましたし、食事時間もさまざまです。
もちろん夜型の人も朝型の人もいますが、昼夜逆転の人もいる。
最近では、標準的な生活パターンというものなどはもうなくなっているようです。人との付き合いが難しくなってきているわけです。

仕事時間と自由時間との配置も興味がありましたが、自由時間と言わずに創作時間と表現した人もいる。仕事の捉え方もさまざまですが、それも生活パターンにはっきりと表れてくる。
いずれにしろ、人によって1日の過ごし方はこんなにも違うものかと驚きました。
写真ではわからないでしょうが、杉原さんが書き上げてくれた写真を添付しますので、その違いや多様さを何となく感じとってください。

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まさに人の生活は、その人それぞれであり、そこにこそその人の価値観や生き方が象徴されているのです。
それにしても、こんなにもみんな違った時間の過ごし方をしているのです。ちょっと生活パターンを変えるだけで人生が変わってくるかもしれません。
習慣や日課があればこそ、生き方を変えることも可能になってくる。改めてそのことにも気づかされました。たまにはルーチンを意識して変えてみるのもいいかもしれません。

参加者のなかには、プロセス志向心理学のワークショップに参加していたときのような体験だったと話してくれた人もいます。
自らの生き方に閉じこもってしまっているとなかなかまわりが見えなくなりがちですが、それを一度棚卸してみたり、他者の生き方を聞かせてもらったりするだけで、気づかされることはたくさんあります。
いずれにしろみんな軽い気持ちで参加したでしょうが、得たものは大きかったようです。

私もちょっと「ルーチン」の一つを変えてみようかと思います。
何かが始まるかもしれませんので。

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2023/05/24

■節子への挽歌5633:瀬田の唐橋

節子

京都からの帰路の新幹線で、久しぶりに瀬田の唐橋を見ました。
懐かしい風景です。
新幹線からですので、一瞬でしたが、あの懐かしい風景を思い出します。

節子と同棲し始めた時はこの唐橋のすぐ近くに住んでいました。
毎日、この橋を渡って会社に行っていました。

先日、テレビドラマの「グレースの遺言」で唐橋の場面が出てきたことも書きましたが、この唐橋にはたくさんの思い出があります。

節子と一緒に暮らし始めたのは、唐橋を渡った瀬田の神領です。
以前書いた記憶がありますが、まさに6畳一間的な部屋から同棲生活は始まりました。
そこに大学時代の友人が泊まりにきたり、お金がなくて暖房機も変えずに寒い冬を過ごしたり、別れた前の女友達が東京からやってきたり、まあドラマのような話もありました。

瀬田の花火の思い出もあります。
最初に節子と一緒に見た花火も、瀬田だったと思います。
あの頃は、節子も私も輝いていた気がします。
毎日が実に楽しかった。
外部からどう噂されていたかなどには全く関心もありませんでした。

そんな輝いていた時代を語り合う節子がいないのが寂しいです。
いつかまた、歩いてこの唐橋を渡ってみようと思います。
いつになるでしょうか。

会社で一緒だった級友たちにも、なんだか会いたくなりました。
もうみんな会社は卒業しているでしょうが。

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■節子への挽歌5632:3日目は京都市内をいくつか回りました

京都旅行3日です。

朝食はイノダコーヒーは開店していないので、小川珈琲のモーニングでした。
まあ私にはいつもの朝食とそう変わりませんでしたが。

まずは泉涌寺に行こうということになりました。
3年前にも泉涌寺の雲龍院に行ったのですが、今回は被災ぶりの泉涌寺です。
節子と一緒にったのはもう半世紀近く前でしょうか。

電車で東福寺まで行って、歩いて泉涌寺に向かいました。
途中、いま熊野観音寺と戒光寺に寄りましたが、戒光寺の丈六の釈迦像に出合いました。これは素晴らしい。いい仏でした。
そこから久しぶりに泉涌寺でしたが、ここは半世紀前と全く変わっていない感じでした。
京都や奈良は、行くたびになんだか観光地化されて、私の好みではなくなっているのですが、ここはさすがに変化がない。
ただ入り口近くに楊貴妃観音が祀られていましたが、これは記憶がありません。どうも最近人気があるそうですが、やはり私好みではありません。
仏殿で、阿弥陀仏、釈迦仏、弥勒仏に会い、その奥の舎利殿の裏の階段でこっそろと休みました。なにしろ毎日2万歩も歩いているためヘトヘトなのです。

それからまた京都駅に戻りましたが、昼食には早いので、今度は嵯峨野線で花園に行って、妙心寺に行くことにしました。妙心寺は前回も行こうと思っていたところなので、今回はと考えたのですが、行ってみたら、前回来ていることに気づきました。
近くのお寺を探したら、竜安寺と仁和寺があるので、その両方に行くことになりました。
1か所くらいは、参拝客でにぎわっているところに行くのもいいでしょう。

もちろんいずれにも歩いてです。
妙心寺は大きいですから、北門から外に出るだけでもかなり歩かないといけません。
教もまた2万歩いきそうです。

竜安寺も、私もユカも久しぶりです。
私は10年ほど前に一人で来た記憶がありますが、あの時も混んでいた気がします。
竜安寺の石庭前で少し休んで、そこから仁和寺に向かいました。

両寺をつなぐのは「きぬかけの路」ですが、ユカは節子と最後に京都に来た時に、ジュンも一緒にこの道を歩いたそうです。私は竜安寺と仁和寺を歩いたことはないので今回が初めてです。

仁和寺は記憶と大きく違っていました。
有名な徒然草の話から、なじみのあるお寺ですが、今回は宸殿の庭がすばらしかったです。回廊を歩く時の床板がきしむ音もよかったです。

仁和寺からバスでまた京都駅に戻りましたが、もう動き元気が出ません。
和食で羽ないものを食べたくなり、さっぱりラーメンを食べたくなって、お店に入ったのですが、今様のラーメンで、最初の一口は美味しかったのですが、スープが濃すぎて失敗でした。惜しかったのですが、せっかくの床の食事アレンジを壊してしまったようで反省しました。

そこから時間がたっぷりあったので、にこから頼まれていたお土産探しなどをして時間を過ごしました。
結局、帰宅したのは9時頃でした。

3日間で8万5000歩以上、歩きました。
疲れましたが、とてもいい旅行でした。

娘に感謝です。

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2023/05/23

■節子への挽歌5631:2日目の食事もおいしかったです

節子

京都奈良旅行の2日目もよく歩きました。
2日目の食事もユカがいろいろと考えていてくれました。

もっとも朝は予定していたイノダコーヒーが開店する前に當麻に向かったので予定を変えてユカの好きな志津屋のパンを購入してどこかで食べることにしました。
志津屋は3年前に京都に来た時にもお店に言って購入したところですが、京都駅ビルにも出店しています。
というかいまはどこにもあり、駅構内のコンビニも志津屋のパンが並んでいます。

ところで今回はそのパンを食べるところがなく、結局は當麻駅の待合室で食べることになりました。
昼食は、西大寺駅前のお魚屋さん「かいち」。
夕食は、ユカが気にいっているという、料亭和久傳が出している「はしたて」というお店の八条店に行きました。
ここは、リーズナブルの価格で美味しい料亭料理が食べられるので評判なお店だそうで、ユカは京都では毎回、ここで一度は食事をするそうです。
私は初めてです。

私はめずらしく鯖寿司セットを頼みました。
節子が好きだった鯖寿司は私はむしろかつては苦手でしたが、最近は私も好きになってきています。
しかしお店によってではありますが。
幸いに「はしたて」の鯖寿司セットは私の好みでした。

私に合わせて食事を決めてくれた娘に感謝しなければいけません。
節子がいたら、もっと喜ぶでしょうが、私は食事にはほとんど無頓着なので、ユカも張り合いがないでしょう。
申し訳ない気もします。

2日目は昨日よりも早くホテルに戻り、また大浴場の後、早く寝てしまいました。
3日目はまだ何も予定が決まっていませんが、朝は少しゆっくりして、朝食時に予定を決めることになりました。

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■節子への挽歌5630:秋篠寺と西大寺

當麻寺の後、秋篠寺と西大寺によりました。

いずれも拝観は初めてです。
滋賀にいた頃、私は奈良の佐保路を歩くのが好きでしたので、西大寺あたりには何回か来ていたのですが、当時は拝観はできませんでした。
節子と一緒に来たこともありますが、秋篠寺も西大寺も参拝したことはないのです。

秋篠寺に行く前に、西大寺の駅近くで昼食をとることにしたのですが、西大寺の駅構内にはお店がたくさんありますが、前回はそこで食事したので今回は駅から出てみよことになりました。
ところが駅を出たら、なんとお店がないのです。

むかしとはどうも駅の場所が少し動いたようで、昔の駅前商店街が見当たらない。
なんとか最近できたばかりのお店があったので、そこに入りました。

魚屋「かいち」。開店まだ間もないようで、にぎわっていましたが、なんとか入れました。
一番早い海鮮丼を頼みましたが、なかなか出てこない。
どうも前のお客様のグループがたくさん頼んだようです。
でもまあ30分ほどで海鮮丼が出てきました。
お待たせしたのでと言って、特別に中トロをいれてくれました。
内陸の奈良なのになぜか具材が新鮮でおいしかったです。

そこからバスで秋篠寺へ。
話題の伎芸天は、これも私はこれまであまり興味はなかったのですが、実際に見てみると印象が全く変わりました。
いい仏です。
でも配置場所があまりよくない気がしました。
帝釈天と逆においた方が落ち着くような気がしました。
まあそれは私の好みだけの話ですが、伎芸天の隣ににぎやかな五大力菩薩が飛び跳ねていたのが印象的でした。

秋篠寺から歴史の道をたどって西大寺に。
西大寺は予想以上によかったです。

まあそんなこんなで今日もよく歩きました。
時間はまだ早かったので、せっかくなので、岡寺とか平城宮跡に再建された大極殿とかに行くことも考えられたのですが、ふたりとも疲れ切っていたので、京都に帰ることにしました。

むかし、節子と奈良をよく歩いたことを思い出しました。
あの頃は薄暗くなるまでよく歩いたものです。
もうその元気はありません。

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■節子への挽歌5629:はじめての當麻寺

節子

京都2日目は私の希望もあって、當麻まで足を延ばすことにしました。
當麻と言えば、節子と一緒に行った橿原神宮の近くです。
橿原神宮に寄ろうとも思ったのですが、やめました。

途中で西の京も通りました。
このあたりには節子との思い出もたくさんあります。

當麻寺は私も初めてです。
當麻寺では中条姫とその曼荼羅が有名ですが、私には全く興味がなかったのです。
今回行ってみようと思った理由は自分でもわからないのです。
節子が働きかけているのでしょうか。
たまたまユカも當麻寺に興味があったようで、今回のメインの一つになったのです。

橿原神宮駅のあたりで雨が降り出しました。
節子と会話ら神宮に行った時と同じです。
あの時も雨が途中で降ってきました。

當麻駅から當麻寺は一直線の小道を歩きます。
とても鄙びた道ですが、それぞれの家の庭木の立派さに驚きました。
みんな豊かなに暮らしているのでしょう。
もちろん経済的な意味で裕と言っているわけではありません。
當麻のまちの人たちの豊かな暮らしぶりが伝わってきます。

當麻寺の参拝客は私たちの他は若い二人組しかいませんでした。
そのおかげで、ゆっくりと見せてもらいました。
ご住職もわざわざ受付の場所から離れて、講堂などまで説明に同行してくれました。その話もとてもよかったです。

フェイスブックにも書きましたが。昨今の問いつ境界問題に対しても仏教会が何も言わないでいいはずがないと話してくれました。この方はそれなりにできることをやっている。それがとても好感が持てました。
それで、一緒に写真も撮らせてもらいました。

まあそれはともかく、このお寺には日本最古の鐘楼や石灯籠があります。
東塔と西塔がしっかりと残っているのもめずしい。

残念ながらそうした全体像をしっかりと見られる場所がないのですが、講堂からは何とか2つの塔を同時に見ることもできます。
山門と本堂がずれている理由も、わかりました。
これも説明してくださった僧のおかげです。

當麻の人はみんな樹木や花が好きそうですが、當麻寺の中にも花をメインにしたいテラがいくつかありました。中之坊の大庭も拝見しましたが、いまは季節外れですが、花の季節はさぞかしきれいなことでしょう。

説明してくださった僧の方が、曼荼羅堂で阿弥陀に10回、「ナムアミダブツ」と唱えると25人の仏が迎えに来てくれるというので、もう一度、阿弥陀堂に入れてもらい、10回念仏を唱えてきました。
まあ私の場合は、節子一人が迎えに来てくれるだけでいいのですが、節子も一緒に来てくれる仲間がいるほうが楽しいでしょうから。

朝早い出発でしたので、当麻寺の拝観は午前中で終わりました。
當麻寺に来てよかったです。
やはり中将姫は好きにはなれませんでしたが。

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2023/05/22

■節子への挽歌5628:漬物食べ放題

節子

京都での食事は和食をユカが設定してくれていました。
昼食は貴船での川床料理。
川床料理と言えば、節子と一緒に食べた高尾を思い出します。
あの時はたしか高雄・槇尾・栂尾を夏に歩いた時だったと思いますが、暑かったので川床はぴったりでした。しかし、今日はいささか寒かった。

夕食も和食ですが、今度は私の好みを配慮してくれての「漬物食べ放題」のお店でした。
私は着飾った料理よりも、どちらかと言えば素朴な料理が好きで、おいしいご飯とお味噌汁、それに漬物があればもう十分なのです。
それでおいしいごはんと漬物の組み合わせの「竈炊き立てごはん土井」を選んでくれたのです。
ご飯は美味しかったのですが、漬物は私はどちらかと言えば、京漬けよりも江戸風が好みなのです。お味噌汁も味噌の味がやはり違う。
それでも10種類ほどの漬物を食べられたので満足です。
メイン料理の西京漬けのお魚は残してしまいましたが。

あすの朝は、京都駅ビルのイノダコーヒーを予定していたようですが、確認したら朝は8時から。それでは間に合いません。
さてどうするか。
まあそれを考えるのも面倒なので、ともかく明日は明日次第ということにしてホテルに戻りました。

大浴場でゆっくり休んですぐ寝ました。
大浴場も私一人でした。時間が早かったおかげです。

 

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■節子への挽歌5627:鞍馬と相国寺

節子

朝、5時に起きて、東京駅に向かいました。
朝早い新幹線で、ユカと京都旅行です。
3年ぶりの京都・奈良です。

今回は仏に会うよりも、歩くことにしました。
私が出した希望は當麻、ユカの提案は鞍馬でした。

京都に着いたのが10時前です。
久しぶりに京都は、思ったほど混んでいませんでしたが、そこからすぐ、鞍馬に向かいました。

鞍馬は観光客も少なく、空気もとてもおいしく感じました。
歩こうかと思いましたが、ユカが無理だというので、のぼりは途中までケーブルカーを使いましたが、その急傾斜に驚きました。
とても歩いては無理だったでしょう。

そこから歩きだしましたが、これまた階段が多く急坂です。
ユカは2回目ですが、私は初めて。予想以上に厳しく、しかし何とか山頂に当たる「背比べ石」に到着しました。
そこから貴船に向けてはさらに急坂ですが、下り坂なので何とか貴船神社に行き着きました。しかしもう足がふらふらです。

せっかくなので川床で遅い昼食。寒いほどでしたが、一番安い川床料理をお願いしました。少し元気が出て、貴船神社をおまいりして市内に戻りました。
市内に戻ったら少し元気が出たので、ふたりともまだ行ったことがない相国寺で特別拝観で雲龍が見られるというので、がんばって行くことにしました。

ここも参拝者はほとんどいなかったのでゆっくりと雲龍の鳴き声を体験させてもらいました。
5時頃、ホテルに到着。

ホテルは、私が大浴場のあるホテルをいつも希望しているため、駅から少し離れたところになってしまいました。
すこし休んで夕食に出かけました。
今回の食事もすべてユカ任せです。

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2023/05/21

■湯島サロン「歯と人権、民主主義 ?!?」のお誘い

今回サロンをお願いしたのは、長年、草の根歯科研究会など幅広い活動に取り組んでいる歯科医の岡田弥生さんです。

草の根歯科研究会では20年前から「はのねくさのね」という会報誌を発行していますが、そこに掲載されている記事は、とても多様です。
たとえば最新号では、岡田さんが、中村哲さんの「平和には戦争以上の努力と忍耐が必要」という言葉について書いています。「歯の平和」と「社会の平和」が、岡田さんのなかではしっかりとつながっているようです。

岡田さんからは「歯との付き合い方、歯科医院との付き合い方」というサロンの提案もあったのですが、むしろ岡田さんの平和観や社会観のようなことをお聞きしたいと相談したら、「歯と人権、民主主義 ?!?」が提案されてきました。
岡田さんはこう書いてきました。

「歯と人権、民主主義」と言うたびに、自分でも「なんじゃ、それ?」と思ってしまう。しかし、関係ないように見えても繋がっていることは多い。もともとは歯科医療界の狭量さ、医療・福祉の問題を考える上でも、共通言語すら無いような状態で、従来の歯科の常識を超える視点が必要ではないかと考えた。歯科医として臨床に役立つ勉強も必要だが、もっと広く、歯科医以外の講師から、立場を超えて共に学び合うことが
できたらと考えた。これからも、歯に関係あるような、無いような、人権や平和、民主主義や憲法など、一市民として学ぶべきことを続けていきたい。

岡田さんはこうも書いてきました。

従順で「物わかりが良い」ことが、知らず知らずのうちに他者の人権を踏みつけているということに気付いた時、自分の驚愕を伝えていかなければと思ったことがコアにあります。踏まれた痛みには踏んだ側には解らない「公害に第三者はいない」という宇井純さんの言葉も「はのねくさのね」の原動力です。
丸山眞男の「民主主義とは横に繋がること」も、ずっと気になっています。「ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する」ために、国家も家庭もお口の中も、暴力を隠蔽し、見て見ぬふりをしてきたのではないか。
所詮は一歯科医、誰に、何を伝えたいのか、この方法で伝わるのか、いつも悶々と考えています。

とても共感できます。そこでこのタイトルでのサロンをお願いしました。
岡田さんが「日々悶々と考えている」ことなどをお聴きして、みんなで話し合えればと思います。

しばらくやっていない茶色の朝サロンにもつながります。
最近の日本の「軍国主義化」や「政治の暴走」に不安をお持ちの方にはぜひ参加していただきたいと思っています。
もちろん歯痛に苦労している方も。

〇日時:2023年6月22日(木曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「歯と人権、民主主義 ?!?」
〇話題提供者:岡田弥生さん(歯科医/草の根歯科研究会主宰)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■節子への挽歌5626:人生は疲れます

節子

パソコンがまた動きが悪くなってしまいました。
今回はどうもハードに問題が起きたようで、いよいよだめかもしれません。
坂谷さんに直してもらったパソコンがもう2台もあるのですが、最近は今のパソコンを使いこんでいるので、私用にカスタマイズされているので、他のパソコンに切り替えるのが億劫なのです。

でもそれだと動きができないので、今回を機にパソコンを一新してもいいかなと思いだしています。
作業効率は大げさかもしれませんが、10分の1以下になっていますから。

今朝も何もできないまま、パソコンを10分近くもにらんでいました。
何しろ動かない。マウスまで使えない。
すでに起きてから1時間近くたちますが、ようやくパソコンも目覚めたようで動き出していますが、マウスはあまり作動しません。

あすから京都なのですが、準備は何もできていません。
手ぶらで行ってもいいのですが、着替えくらいは持っていかねばいけません。
でもまあ予定はすべてユカに任せています。

私としては、當麻寺の中将姫と秋篠寺の伎芸天に会えればと思いますが、このふたりはこれまで私には全く関心のなかった仏たちです。
今回、なぜ会いに行く気になったのか自分でもわかりませんが、まあ一度くらいは会ってもいいかなと思ったのです。
でも実際に行ったら、やはり観音や仏に会いたくなるかもしれません。
ホテルは京都駅の近くだそうなので、当時までなら歩いていけるでしょうから、空海の曼荼羅の世界に行きたくなるかもしれません。

今日もまたサロンです。
昨日のサロンの報告も書かなければいけませんが、パソコンの具合が悪いので書く気が起きません。
旅行からもだったら書こうと思いますが、忘れてしまいそうで、やや不安です。

昨日もいろいろなことがありました。
昨日サロンに初参加の人は、数年前に夫を亡くし、生きるよすがを失っていたようです。
そういう人に会うと、やはり17年前を思い出してしまいます。

人生は、やはり疲れます。
だから人生なのでしょうが。

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2023/05/20

■節子への挽歌5625:今回のサンチャゴは大変のようです

節子

サンチャゴを歩いている鈴木さんからハガキが届きました。
58日の投函ですので、ほぼ2週間前に書かれたものです。
歩き始めて12日目、ブルゴスからです。

Img100

 コロナのためにしばらく休んでいたサンチャゴ巡礼ですが、今回は巡礼者が多く、宿をとるのが大変だそうです。
鈴木さんはいつも予約など全くしていきませんが、「泊るところを確保するために毎朝早起きしないといけません。そしてなるべく早く目的地に着き宿の順番待ちの列に並ぶ必要があります。早い日は午前9時で歩くのを止めます」とあります。

9時に歩くのを止める!?
巡礼までも、行列で並ぶとは。

鈴木さんは、「ある意味で過去最難関の巡礼になっています」と書いていますが、今回は大変そうです。でもまあ、それがまた巡礼の面白さでもあるのでしょう。
何もない平安もいいですが、問題のある人生もまた、いいものです。

何が幸せか、決めることなどできません。
最近つくづくそう思います。

さんはもう2週間ほどで帰国です。
帰国したらすぐにでもサロンをやってもらおうと思います。さて今回はどんな話を聴けるか楽しみです。

 

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2023/05/19

■節子への挽歌5624:兄が89歳になりました

節子

兄が89歳の誕生日です。
本人もそうでしょうが、まさか89歳までとは思っていなかったでしょう。
でも今も元気で、まだ松戸の小学校にボランティアで行き続けているのです。

昨年は叙勲まで受けて気持ちはますます元気なほどですが、それでも最近はいろいろと身体に障害が出ています。
先日も救急車で運ばれましたし、予定している叙勲祝いの従兄弟たちの会食もなかなか実現しません。
でも学校には毎週通っているのです。

今回はちと難しいかなと思いましたが、無事誕生日を迎えました、とメールが届きました。
ユカは兄がまだ元気なので、私もまだ当分は元気だろうと思っています。
しかしそうは言いきれません。

兄の方が私よりもずっと生きがいをもって生きていますし、なによりも姿勢がいい。
それにまだ伴侶も元気ですので、旅立つ理由もない。

しかし長生きもそれなりに辛いものです。
いろいろと複雑な思いがあります。

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2023/05/18

■節子への挽歌5623:久しぶりの時間破産

節子

久しぶりに時間破産していました。
と言っても睡眠時間は確保して、での話ではありますが。

それでもなんとかほぼ完了。一昨日はちょっと体調が危なかったのですが、なんとか乗り越えました。
体調は何とか戻したのですが、なぜかまたパソコンがぐずっています。どうも私の体調と私のパソコンは同期していますが、微妙にずれています。

ところでそんななか、また胃のあたりがおかしくなってしまいました。
どうも不安があります。
注意しなければいけません。
ストレス性のものであればいいのですが、胆石がらみだといささか心配です。

来週は旅行ですが、何もないといいのですが。
旅行から戻ったら胆嚢摘出手術に病院に行こうと思います。

まあこの一週間だけ、なんとか守ってください。
節子、お願いしますよ。

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2023/05/17

■節子への挽歌5622:黒岩比佐子さん

節子

今度、當麻寺に行くことにしたので、五木寛之の『百寺巡礼』第1巻「奈良」の當麻寺を読み直しました。
この本のシリーズは黒岩比佐子さんが協力していました。
同書のあとがきで五木さん自身が黒岩さんのことに言及しています。

資料の収集から確認、単行本の構成からメモ類の整理まで、すべての作業をつねに同行しておこなってくれた黒岩比佐子さんにこころからお礼を申しあげたい。車内の勝手なおしゃべりから、私の仏像を前にしての独白、そして食事中の片言隻句まで、すべてを記録し、私のコメントの間違いや記憶ミスをその場で訂正し、寺々にまつわるエピソードをレクチュアしてくれた献身的な協力があって、この一冊は誕生したのである。

黒岩さんの姿が目に浮かびます。
まさに黒岩さんは、そういう人でした。
この本を読むたびに、私も黒岩さんのことを思い出します。

黒岩さんは節子よりも少し遅れて旅立ちました。
節子がまだ発病しない時に、3人で食事をしましたが、節子は黒岩さんの活躍をとても楽しみにしていました。
葬儀の後、黒岩さんは紀陸さんと一緒に自宅に献花に来てくださいました。
黒岩さんは湯島のサロンの常連でもありました。

黒岩さんは、サロンでの話し合いが一つの契機になって、「音のない記憶」が出版され、それがとても好評で、次々と本を書き出しました。
しかし、黒岩さんが大きくデビューし始めようとした時に、黒岩さんから電話があったのです。そして膵臓癌を打ち明けられたのです。節子が逝ってからしばらくしてでした。
そしてその後、間もなく、最後の作品を書きあげて、黒岩さんは逝ってしまいました。

お見舞いに、ジュンにスペインタイルで焼いたもらったマリア像のプレートを届けましたが、マリアは守ってくれたでしょうか。
そんなことを思い出してしまったために當麻寺に行こうかどうかちょっと迷いだしました。當麻寺には五木さんが「大和のモナ・リザ」と名付けた中将姫像がありますが、私はこの像が昔から苦手なのです。

でもまあせっかくの娘の薦めでもあります。久しぶりに奈良もいいでしょう。
黒岩さんに会えるかもしれません。

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2023/05/16

■節子への挽歌5621:3年ぶりに京都に行くことにしました

節子

3年ぶりに京都に行くことにしました。
ユカが誘ってくれたのです。

節子がいなくなってから、旅行に行く気が皆無になってしまいました。
それでいろんな人が私を誘いだしてくれるのですが、なかなかその気になれません。
しかしたまには出かけないといけなというので、ユカが京都か奈良ならば私が行くだろうというので時々企画してくれるのです。

今回は、京都の鞍馬と奈良の當麻寺に行くことになりました。
當麻寺か佐保路か迷ったのですが、まだ行ったことのない當麻寺を選びました。
鞍馬はユカが勧めてくれたのです。
ただし鞍馬に行くのであればサンダルはやめろというので少し躊躇しましたが、まあサンダルにこだわることもないでしょう。
しかし本当はサンダルの方が危なくないのですが。

當麻寺というので橿原神宮を思い出しました。
たぶんまだ節子と同棲していなかった頃に、橿原神宮に行ったことがあります。
雨が降って来た。それしか記憶はありませんが。
あの頃は休日はいつも京都や奈良に行っていました。
いずれも今と違って素朴でした。

特に私が好きだったのは、佐保路でした。
その週店は西大寺でしたが、当時は中に入れませんでした。
今回、もし時間があれば、西大寺か秋篠寺に寄ってみたいと思っています。

ところで来週行くのですが、まだまったく準備をしていません。
まあ京都と言っても、準備はすべてユカがしてくれていますので、私にとっては、近くのコンビニに行くのとそう違わないのです。ただ靴を履かないといけない。2泊3日ですから、特別の支度も不要です。それに今回は誰にも会わない予定ですし。

しかしなんだかどうも旅行に行くという気分が起きてきません。
今回は特に会いたい仏もいませんし。
まあ娘に付き合うだけの話です。
娘は私に付き合うと思っての企画でしょうが。

節子がいない今は、なにをやっても楽しくないのです。
この気分はなかなか誰にもわかってもらえないでしょう。

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■湯島サロン「統治行為論から考える日本」報告

「統治行為論から考える日本」を切り口にしたサロンは、参加者は私を入れて4人と少なかったのですが、じっくりした議論ができました。
時間もなんと4時間。パート2を開催してよかったです。

そもそもこの問題のきっかけになった砂川裁判の直後に、私は検事志望で大学の法学部に入り、憲法の小林直樹さんの講義でこのことを知ったのです。
私にとって、それが日本の司法界に失望した直接の理由ではないのですが、ずっと引っかかっていた問題です。最近、話題になってきたことには、何をいまさらという気もある一方で、やっと問題にされだしたといううれしさもあります。

最初に参加者が私の考えを引き出してくれました。
簡単に言えば、統治行為論の採用によって、日本政府は主権(統治権)がないことを明らかにしたこと、言い換えれば日本国憲法は、最上位の法律であって憲法ではないこと、憲法制定権力がないということは主権在民とは言えないこと、本来的な意味での国家のかたちを決めるものではないので、日本国憲法の改憲・護憲は行政事項でしかないわけで、私にはあまり重要な問題ではないこと…。

とまあ、そんな話をさせてもらいましたが、そこからさまざまな問題が浮かび上がってきます。たとえば、主権国家とは何か、そもそも主権とは何か。さらには政治とは何か。

参加者のおひとりはアメリカ公法が専門の研究者ですので、こうした私の素人論議など聞くに足りない暴論だと思うのですが、誠実に聴いてくださいました。
またたぶん私以上に日本の政治に対して実践で対峙していた参加者もいましたが、その人も私の暴論に付き合ってくれました。
しかし、手前みそになりますが、暴論が問題を可視化することもあるかもしれません。私の暴論から、さまざまな話題へと話は広がりました。

話は、政治だけではなく経済の話、さらには文化の問題にも広がりました。
私も多くのことに気づかされましたし、私がサロンをやっている意味も参加者には少しわかってもらえたような気がします。

私の話を理解しようという参加者のみなさんの好意に甘えて、いささか余計なことまで話してしまいましたし、逆に参加者のみなさんの思いに対して否定的な発言をしてしまった気もして、終了後、大いに反省しました。

でも、新たなプロジェクト起こしまで話は進みましたので、話し合いでは終わらないでしょう。事実をもっと明らかにする方策を出し合おうという意見も出ましたし。
こういうサロンを時々またやりたいです。

話し合いの内容が報告できずにすみません。
また続きをやりたいです。もちろんそろそろ統治行為論からは離れて、ですが。

参加者のみなさんに感謝します。

Touchi22

 

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2023/05/15

■節子への挽歌5620:長い旅立ちの見送り

節子

湯島のサロンの常連の一人だったOKさんが、今朝5時に亡くなりました。
癌でした。
癌が判明してからも、抗ガン治療や入院をしながらも、これが最後かなと言いながらもサロンに参加していてくれました。
一昨日のサロンでも、OKさんのことが話題になったのですが、残念なニュースです。

サロンの常連が亡くなったのは、もう何回目でしょうか。
基本的にはなくなったことをメーリングリストで知らせることは一切しません。
知らせるとなんだか「死んでしまう」ような気がするからです。

おかしな言い方ですが、知らせなければ、みんなの心の中にOKさんは生き続けているような気がするからです。
最近特にそう考えるようになってきました。
今回も、聞かれたら知らせるというスタイルをとろうと思います。
OKさんもたぶんそれを望んでいるでしょう。

サロンの常連で一番早く亡くなったのは、30代の若い友人でした。
その時にはさすがにショックでしたが、最近は訃報に花れつぃまい、ショックはほとんどありません。
むしろ訃報を聞いても、その人が死んだとは思わないようにしているのです。
生死には関係なく、友人知人はいつまでも私のなかでは生きているのです。

ですから、最近は葬儀の意味も、私のなかでは大きく変化しています。
まあ長い旅立ちの見送りに行くという感じでしょうか。

そういえば、OKさんとも関わりの深い鈴木さんは、今日もOKさんの訃報など知ることもなくサンチャゴ巡礼路を歩いていることでしょう。
そんなことを考えると、なにやら不思議な気がします。

こんな風に考えていくと、OKさんのご冥福を祈るというのもなんだかふさわしくないような気もします。
私のなかで、今も変わりなく、OKさんはにこやかに生きていますので。

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■第23回益田サロン「生物と環境の役割関係を捉え直す」報告

今回のテーマは、「生物と環境の役割関係を捉え直す」です。
案内文が難しかったせいか、参加者はちょっと少なかったのですが、話し合いはしっかりとできた気がします。

Masuda2023051300

益田サロンは、益田教授が講義するというのではなく、益田さんの仮説を参加者も一緒に話し合おうというスタイルなのですが、これになれると「わからないこと」と「わかること」とは結局同じではないかということに気づかされます。
こういう言い方をするので、私の報告や案内はわかりにくいと言われるのですが。

今回、益田さんは「我を忘れる我」「我に返る我」という話からスタートしました。
そして案内文に書いたように、環境が生み出すものと生物が生み出す環境に関して、図解したり、糖尿病やジフテリア菌の話を持ち出したりしながら説明してくれました。
私にはとても面白かったのですが、サロンに参加されない人に説明するのは至難の業なので省略します。すみません。

ただそこから「生物」と「環境」とは切り離せないものであること、(本来の)環境は生物の復元性を守る役割を持っていること、同心円で描いていた生物と環境との関係図は、空間的かつ物質的な次元では通用するが、心から先を考えていくと時間軸を入れて4次元で考えないと整理できないのではないかということが明らかになってきました。

そこで案内文にも書きましたが、益田さんは、2つのジョウゴを上下逆さまつないだような大きなX状の図を書き、その交点に心(自分)があり、心から生まれる欲や名誉欲は心より半径が大きいと説明してくれました。
そう考えていくと、生物と環境との関係の捉え方が変わってきます。そしてそこから、前回話題になった3種の破壊に関しても新しい面が見えてくるというのです。

この説明ではなかなか理解しにくいでしょうが、たとえばこんな話が出ました。
体が生み出す空腹感は、身体機能の一部ですが、それを体にとっての生物のようなものである「心」が取り込んで、体から分離された「欲」という、新たな「生物のようなもの」を生み出します。これを16回目の益田サロンで話題になった東京湾モデルで図示してくれました。このモデル図は私は気にいっているので、再登場はうれしい話です。

欲にとっては、心は本来の環境ですから大事にしますが、体までには思いは行きません。ですからついつい体を壊してまで好きなものを食べてしまう。体あっての自分であること忘れて糖尿病になってしまう。
しかし、心もまた、欲のなかに同じようにして別の「生物のようなもの」、たとえば「名誉欲」を生み出し、それが「自立」して本来の環境である「欲」を壊さないようにと働きかける。
こうして考えていくと3つの破壊を防ぐ方策へのヒントが見つかるかもしれないというわけです。

とまあ、こんな話し合いをしているうちに、参加者から、結局、「心は一体どこにあるのか」という問いかけが出てきました。
心の段階から次元を超えるとすれば、その心は一体どこにあるのか。
本来の環境である体の中にあるのか、体とは異次元な環境のなかにあるのか。あるいは、何と何をつなぐ接点なのか。そもそも「心とは何か」という問題に行き着いてしまったのです。

益田さんはそこでこんな話をしました。

満員電車の中でなぜ人はケンカをしないでいられるか。頭の中に自分だけの環境を作っているから。つまり人間は頭の中に新しい環境を発見できたのではないか。
環境が生物のようなものを生み出すと同時に、生物のようなものもまた環境を創り出すというわけです。

益田さんはそれに関連してこんな話もしました。
たとえば、引きこもりの人は頭の中に環境を作らないのではないのか。
さらにまた、体からうまれた心が生き延びるためには知能が必要だったのではないか。それは、ジフテリアファージが毒素遺伝子を持っていないと存続ができないこととぴったり重なる。

そう言われるとそうかなと思う反面、なんだか違うような気もして、いまはまだ私自身は消化できずにいます。
しかし、いろいろと考えているときっとまた先に進む道が見えてくるでしょう。

しかし、問題は「心はどこにあるのか」です。
これが今回の益田さんへの宿題です。

次回の益田サロンは、益田さんがこの問いへの答に通じそうな道を見つけたら開催することになりました。
さて何時になりますか。
私の予想ではそう遠くないはずです。
今回の話し合いで、益田さんの世界もだいぶ明るくなってきたような気がしますので。

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■湯島サロン「視覚障害者が感じているいまの社会」のご案内

先日、「自閉症の若者が感じているいまの社会」で話題提供してくださった南さんは、視覚障害者でもあります。
最近、南さんは交通事故を体験しました。そこでもいろいろなことを感じたようです。
そこで、今度は視覚障害の立場から、南さんが感じていること、考えていることを問題提起してもらおうと思います。

前回の南さんのサロンに参加された方はご存知でしょうが、南さんはただ不満や愚痴を話すのではありません。自閉症や視覚障害者にとっての問題点を正すことは誰にとっても住みよい社会につながるはずだと考えているのです。
それに「障害」をもっていればこそ見えてくることもある。その「当事者」がきちんと声をあげなければいけないと考えているのです。
ですから南さんはいつも前向きです。
その姿勢にとても共感します。私も、南さんに見倣わなければいけません。

前回も南さんから大きな示唆と刺激をもらいましたが、今度はどんな示唆と刺激をもらえるか、いささか心配でもありますが(反省を促されますので)、楽しみです。
前回参加された方も、参加できなかった方も、ぜひ南さんの生き方に触れに来てください。自分の生き方を問い質したくなることもありますが、きっと新しい世界が見えてきます。

〇日時:2023年6月15日(木曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「視覚障害者が感じているいまの社会」
〇話題提供者:視覚障害を持つ自閉症の南さん(格闘技団体マネージャー兼介護職)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2023/05/14

■節子への挽歌5619:にこのチアダンス

節子

今日はにこがチアダンスを水の館の親水広場で開催されているエンジョイ手賀沼のイベントで披露していました。
時々、どこかでやっているのですが、私はこれまで一度も行ったことがありません。

今日はたまたま同じ頃、私も水の館である会をやっていたのですが、にこが発表する時間だけ抜けさせてもらいました。
会場に行くと娘たちも来ていました。

にこのダンスは動画でいつも見せてもらっていますが、動きが実にいいのです。
まあこれがひいき目ということでしょうか。
でも足の揚げ方はずば抜けていいのです。
まあ、だから何だという話ですが。

手を挙げたらにこも気づいたようで、これで少しはにことの関係がよくなるかもしれません。
節子がいたら、にこの育ち方もまた大きく違っているだろうなといつも思います。

ちなみに私は水の館で、まちづくり編集会議の定例会をやっていました。
7月2日に公開のフォーラムを開催することになりました。
実行委員長を村上さんにお願いしたのですが、いろいろと新しい物語が始まりそうです。

今日はその後、また湯島に行きました。
統治行為論をテーマにした2回めのサロンでしたが参加者は私を入れて4人でしたが、予定を大幅に超えて4時間もつづきました。
ここからもまた2つほどの物語が生まれそうです。

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■湯島サロン「中国現代文学を読もう」のお誘い

すでにご案内していたように、今年から中国をもっと知るためのサロンを継続的に開催したいと思っていますが、そのひとつとして、中国の現代文学を通して、中国の人たちの現代の生活に触れるような会を定期的に開催することにしました。
案内役は中国現代文学翻訳会の葉紅(ようこう)さんです。

中国現代文学翻訳会は、「いま中国に、こんなに豊かな言語空間を有する作品があることを日本の読者に伝えたい、との思いを共有する中国現代文学研究者・翻訳者の集まり」です。
その活動の一つとして、年2回、小説、詩、随筆等、現代中国の作品を翻訳・紹介する『中国現代文学』を発行しています。
https://www.hituzi.co.jp/kotoba/syokai.html

案内役をお願いした葉紅さんは、そのメンバーで、駿河台大学でも教鞭をとられています。
第1回目は,葉紅さんに中国の近代文学の流れ、とりわけ小説の分野にフォーカスして話していただき、概説していただきます。
これからの進め方なども話しあえればと思います。
2回目以降は、中国の現代文学を読みながら、いまの中国の人たちの暮らしや考え方に触れていければと思います。

どなたでも歓迎の、気楽で楽しい会にしたいと思っていますので、よろしくお願いします。

〇日時:2023年6月25日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「中国現代文学を読もう」
〇案内役:葉紅さん(中国現代文学翻訳会会員/駿河台大学教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2023/05/13

■節子への挽歌5618:サロンをつづけていると人の本性が見えてきてしまう

節子

いささか心配でしたが、サロンのために湯島に行きました。
なんとか無事でしたが、まあどこかにまだなんとなく違和感があります。

今日は高校時代の同級生の益田さんのサロンでした。
益田サロンももう23回目です。
彼も伴侶の体調があまりよくないため、聞けば食事作りもやっているそうです。
湯島でのサロンも楽しみにしてくれています。

そういえば、湯島のサロンを維持するためにという呼びかけに応じて、彼も口座に振り込んでくれました。しかも自分のサロンの時にもきちんと参加費を入れていくのです。
こういう人によって湯島のサロンは支えられているわけです。

サロンをつづけていると、それぞれの人の本性が見えてくる。
見えてくると時に寂しくなることもある。
でも益田さんのように、不器用ながらも誠実に生きている人に気づくと心が休まります。
口だけの人が多い中で、特にそう思うのですが、考えてみると私もどちらかと言えば、口だけの人かもしれません。
注意しなければいけません。

身体の調子が戻ってきたのと同時に、パソコンも復調しました。
実に不思議です。

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■節子への挽歌5617:突然の胃痛

節子

昨日は畑に行くどころではありませんでした。
早目に昼食を食べて畑に行こうと思ったのですが、食べている途中に急に胃のあたりが痛くなりだし、これはひどくなりそうだなというような状況に陥りました。
思った通り、痛みと苦しさが高まり立っていられなくなりました。
横になったものの痛みは増してきます。

胆嚢の手術など、先延ばしにしていたことが裏目に出たのでしょうか。
そういえば、この1か月、いろんな違和感がありました。しかし横になっていたら10分ほどで痛みが増す状況はおさまり、山を越えました。
これなら何とかなるでしょう。
痛みは次第に治まり30分後にはほぼ解消されました。

しかし畑に行く元気はなく、テレビをぼんやりと見ていました。
でかけていたユカが帰宅し、シュークリームを買ってきたので、お昼を完食していないこともあって食べてしまいました。
と、また胃のあたりがおかしくなってきたのです。

これはいけないとすぐベッドで横になりました。
そのまま2時間近く寝てしまいました。
起きたら胃の痛みもなくなっていました。

まあそれだけのことなのですが、なんだか心配になってきました。
何か爆弾を抱えているような気分になってしまったのです。

実は私の体調とまさに動きを同じくするように、パソコンも調子を崩したのです。
まあこれに関しても書きたいことがありますが、それはいつかまた。

ちなみに、胃が痛くなる少し前に、「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を読みおえました。どうもそれが関係しているような気もしています。
これだけだとわけがわからないでしょうが。

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2023/05/12

■節子への挽歌5616:朝の不安感

節子

いささか疲れてしまいました。
その上、何か心のどこかに穴が開いたように落ち着かない。
しばらく畑にも行けていないのも一因かもしれません。

朝早く起きたのでみんなが寝ているうちに行こうかと思ったのですが、そういう元気もまだ出てこない。
無理をしないのが、私の信条なので、すなおに滅入りながら、パソコンに向かっています。
でもやることがない。

この数日に起きていることが、いささか多様過ぎました。
いずれも別にどうということのないことなのですが、何かが弱っていると大きく響くのです。
何が弱っているのか?
「不安感」が抜けない。
「不安」ではなく、「不安感」です。その実体が全く見えないのです。

この文章を読むと、ちょっと危ないのではないかと思われそうです。
でも太陽の光を浴びると、そういう不安感は消えてしまいますので、そう心配はないのです。
でも何かが起きそうな気配が、最近またしてなりません。
別に私の身の上にということではないのです。

今日はやはり畑に行こうと思います。
畑は私を安心させてくれるエネルギーをくれるからです。
朝は曇っていたのですが、先ほど陽光が一瞬ですが、私の身を包んでくれたので、少し元気が出てきた。

変な書き出しで始まってしまいましたが、今日は善い日になるでしょう。
朗報も届くような予感がしてきました。
さてめげずに今日も1日を始めます。

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2023/05/11

■節子への挽歌5615:憂鬱な時期

節子

今日もバタバタの日でした。
その前に、たまっていたメール処理などをしようと思ったのですが、パソコンがまた調子を崩してしまいました。パソコンも私と同調することも多いのです。
困ったものですが。

そうしたら次はスキャナーまで動かなくなってしまいました。
予定の合間に処理しようとして事はほぼなにもできませんでした。

今朝は4時過ぎに大きな地震がありました。
いよいよ来たかなと思いましたが、津波は発生せず。ホッとしました。
しかし、昨日から何かまわりが変調している。
すべて私の気持ちが起こしているような気さえしてきました。
それで5時に起床し、パソコンを始めたら、パソコンが動かなくなってしまったのです。
そしてスキャナーまで。

こういう時は無理をしないほうがいいでしょう。
朝食は、娘が起きてくるまで待って、ホットケーキを焼いてもらいました。
パソコン作業はやめて、パソコンの自動クリーンアップなどをし、出かける前に読書することにしました。読書は先日、上巻を読んだところで止まっていた「プロジェクト・ヘイル・メアリー」の下巻です。

要はパソコンから離れ、俗事も忘れるということです。
幸いに、歯医者さんに出かける前までにはパソコンのクリーンアップも完了し、パソコンは何とか復活。スキャナーは何もしないのに、私の気分が平安になったら動き出したのです。
帰宅後、予定していたパソコン作業の急ぎだけを完了、午後はまた出かけていました。
予定は7割方対応完了できました。

というわけで、今日もまた大忙し。
夕方帰宅したものの、何かまた不安感が生まれてきています。

2通の納税通知書が届いていました。
お金から解放されて生きようと思っていますが、バブル時代の負の遺産のおかげで、この時期は憂鬱な時期なのです。
毎年、不思議と「幸運」が舞い込むのですが、今年は無事乗り越えられるでしょうか。

念のため、明日にでも宝くじを買いに行こうと思います。
いま3000万円手に入れば、やりたいことがあるのです。
まわりの人のために、できれば4000万円が最近はほしくなっています。

友人がくれると言った時にもらっておけばよかったと時々思います。
ただそれが手に入れば、私はたぶん今よりは不幸になるでしょうが。

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■5月オープンサロンの報告

大型連休明けの、久しぶりのオープンサロンは8人が参加しました。
オープンサロンの常連の一人、鷹取さんは最近出版された新著「地方創生:デジタルで救う地域社会・経済」を持参し、紹介してくれました。
湯島にも預かっていますので、関心のある方は声をかけてください。

久しぶりに参加した柿嶋さんは、ここしばらく取り組んでいた、これまたとんでもなく大きな話を少しだけ紹介。これからの取り組みにも少し言及。政治にもつながる話で、いつかじっくりとサロンで話し合いたい問題がたくさん含まれていましたが、何せオープンサロンなので、それに集中するわけにはいきませんでした。

つづいてオープンサロン初参加の山田さんは、自己紹介のなかで、いま抱えている問題を話してくださいましたが、個人的とはいえ深い社会問題につながる話題でもあり、みんなもそれに引き込まれて、話し合いもいささか深入りしすぎだと思うほどでした。

とまあ、そんな感じで、それぞれの自己紹介から始まった話し合いで、時間も予定より1時間も伸びてしまいました。

サロンでも話題になりましたが、いわゆるプラスチックワード中心の話し合いではなく、自分の体験を軸にした、生きた言葉での話し合いなので、考えさせられることが多かったです。
最近、知識や「情報」ベースの話し合いには退屈しきっているので、今回のような生々しいライブのやりとりは、とても楽しいのですが、結構疲れます。
でも柿嶋さんが、とてもおいしいチョコレート菓子を持ってきてくださいましたので、疲労感もやわらぎました。

最近はなかなかオープンサロンを開けずにいますが、誰でも気楽に自らを開けるようなので、できるだけ毎月開くようにしたいと思います。

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2023/05/10

■節子への挽歌5614:気の重い1日

節子

今日は大忙しの日になりました。
昨日、友人からメールがあり、交通事故にあったことで相談したいと連絡がありました。
運悪く次の日曜日までぎっしりと予定が入ってしまっていました。

その友人のことも気になっていたので、日程調整できないかと思って関係者に働きかけていましたが、それどころではなくなったのです。
予定していた用件から抜けるどころか、その会を呼びかけていた本人もっと大きな事件が起こり、むしろ私に代役をやってほしいとメールがきたり、まったく別の地元の知人から相談が舞い込んだり、あげくの果てに同じ我孫子市に住んでいる兄が救急車騒ぎになったりと、次々と事件が起こったのです。

そのほとんどが、あまりいい話ではありません。
病気やら介護やら、生活相談やら、いろいろとあります。
そして不思議なことに、なにかよくないことが起こると、連鎖的に似たようなことが続くのです。
それで滅入ってしまうと、自分自身がおかしくなってしまう。
ですから周辺の何か気の重いことが起こった時には、せめて私自身の気持ちを明るく持たなければいけません。

でもなんだか気持ちが重いです。
もうこれ以上、不幸は舞い込んできてほしくないのですが。
昨日とは真反対の、気の重い1日でした。

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2023/05/09

■節子への挽歌5613:にこの宝探し

節子

今日は孫ににこの誕生日です。
うっかり美野里町に出かけてしまう約束をしてしまったので、一緒にケーキを食べる機会を失ってしまいました。
それでもプレゼントを約束していました。
にこからの要望は、人形の「げんくん」です。

約束は果たさなければいけません。
美野里町から帰宅した時は、案の定、にこは遊びに行っていましたが、帰宅したので、「げんくんの居場所を示す地図」を渡しました。
昨年、プレゼントをそのまま渡したら、面白くない、どこかに隠して地図に書けと言われたので、今年はそうしたのです。
しかし、今年はむしろ早くプレゼントが欲しかったようです。
子どもの気持ちはどんどん変わるのです。

にこはまさか屋外に隠したとは思わないので、家のなかだろうと探していましたが、見つかりません。ヒントがほしいというので、外だよと言ったのですが、最初はどうも納得できないようでした。どうも私はにこには信頼されていないのです。困ったものですが。
結局、家の下の畑だとわかって、探しに行って、「げんくん引換券」を見つけてきました。
今朝、美野里町に出かける前に、畑に置いておいたのです。

Photo_20230511160401

それを持ってきたので、テーブルの下に隠しておいた「げんくん」をさっと出したら、にこは驚いて、どこから出てきたのかというのです。
その場所は、にこが畑に行く前に探して何もなかったはずだからです。
しかし、にこが畑に出かけている間にうまく隠していたのですが、にこにはなかったところから突然現れたように感じたのでしょう。
にこは「わけがわからない」と言いながらも、ほしかったげんくんが手に入ったのがうれしくて、詮索することなく、「でもありがとう」と言って、喜んでいました。

さて、これでにことの関係が少しよくなるというのはあまり期待できません。

ちなみに、げんくんのお返しは、前にも書きましたが、「スイカの種」です。
もう少しいいものにしてほしいですが、これもあんまり期待はできません。
困ったものです。

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■節子への挽歌5612:久しぶりのみの~れに感激しました

節子

美野里町の文化センター「みの~れ」に久し振りに行きました。
船橋で活動しているNPOまちアート・夢虫のみなさんが訪問したいというので、同行したのです。

みの~れに着いたら、入り口に「佐藤さん、おかえりなさい」と表示されていました。
いささか驚いたのですが、いままたみの~れに戻ってきた中本さんの思いを、聞かせてもらいました。
とてもうれしい話です。
https://www.facebook.com/masaki.nakamoto.96/posts/pfbid02WBuRYFKzqQGXBQ3zK31Y42SCYgeoWQKfmAyFP51aBpnG5y9nPe65mP4x42tkCv5fl

昨年のみの~20周年の成人式には招待されていながら、私自身の入院騒ぎで参加できなかったのです。
その時には、20年前に書いた「文化がみの~れ物語」の冒頭に書いた20年後のメッセージが最初に流れたそうです。
まさにそこで予想していた通りの展開がみの~れを舞台に実現したのです。

中本さんの心遣いで、建設当時の関係者の沼田さんや中村さん、野手さんにもお会いできて、とてもうれしい1日になりました。
みの~れには、数年前に我孫子の青木副市長や企画財政部長たちと一緒に、伺ったことがありますが、その時からもまた大きく成長していました。

私は平成の市町村合併騒ぎ以前は、いくつかの地域での「まちづくり」活動に関わらせてもらっていたのですが、私の思いを込めた「共創のまちづくり」にささやかに関われたのは、小美玉市(当時は美野里町)と山形市です。
みの~れは、まさにまちづくりの拠点になっているなと、改めて今日は実感させてもらいました。「住民主役・行政支援」が見事に根付いていると実感しました。

山形はどうでしょうか。山形にもまた行ってみたくなりました。
我孫子でもがんばらないといけません。

ちなみに往復はNPOまちアート・夢虫のみなさんと一緒でしたが、半田さんたちとの話もとても面白く、いろんな刺激をもらった1日でした。
みの~れの開館時のこけら落としの住民ミュージカルには、節子と一緒に招待されました。みの~れの舞台からは、あの日のことを思い出しました。座っていた場所も覚えていました。

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■節子への挽歌5611:朝から忙しかったです

節子

昨日とは打って変わって
9時過ぎから久しぶりに小美玉の文化センターみの~れに行く予定ですが、早朝からいろいろとまた相談が届いています。

一番の急ぎは、交通事故にあった知人が今後のことに関して相談したいという連絡です。
若いころならすぐにでも飛んでいくのですが、最近はその瞬発力がありません。
その上、今週からしばらくスケジュール表がめずらしく埋まりつくしているのです。
まあこんなことはめずらしいのですが。こういう時に限って何かが起こる。

連休明けのせいか、連休中に出して置いたメールの返事もどさっと届いています。
うれしいメールもあれば、悩ましいメールもある。
そういうことを全て受け止めてしまうと身が持たないことはわかっていますが、見過ごすわけにはいかないのが私の性癖です。
でも最近は軽く流すことができるようになってきました。

一応、ほとんどに対応しました。
まあそれで終わりというわけではないのですが、当面は対応できました。

先週の暇な1週間とは違う、なにやら忙しそうな1週間になりそうです。
それではそろそろ小美玉へ。
いつものように、サンダル、ユニクロのシャツスタイルですが。
手ぶらなのもちょっと不安な気もしますが、まあいいでしょう。
ちょっとそこのコンビニまでという感じですが。

 

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2023/05/08

■節子への挽歌5610:「グレースの履歴」

節子

この2か月、テレビドラマ「グレースの履歴」を毎週観ていました。
https://www.nhk.jp/p/ts/88ZGN5PJ1Q/list/

意に反して、人生の伴侶を失うことは人生を大きく変えてしまいます。
私の人生は、30年前まで考えていたのとは全く違ったものになってしまいました。
しかし17年も経つと、悲しみも変質し、別れを別れと感じなくなり、節子がいつも近くにいるように感ずるとともに、間もなくまた会えるだろうという気持ちが生まれてきます。
でも、孤独感はどうにもなりません。

そのドラマを観て、そうした思いを強めていたのですが、先々週(つまり第6話)、話が滋賀県の大津の瀬田の唐橋の近くで展開されました。
節子と同棲を始めたのは、そのすぐ近くの瀬田の神領でした。
当時、節子とよく歩いた場所が映し出されました。 
唐橋そのものはだいぶ変わっていましたが。

その風景を観た途端に、当時の風景が鮮明に思い出され、奇妙にドラマの登場人物に重なってしまいました。もちろん私も節子妻も、ドラマの主人公とは重なるところはほぼ皆無ですが、なぜか奇妙につながってしまったのです。
いや、大きな枠組みで考えると、似ていないとも言えないのです。

昨日はその最終回。
前回同様、涙が止まりませんでした。歳を取ると涙もろくなってしまいます。
それにしても主人公のセリフが、いまの自分の気持ちを恐ろしいほど、代弁しているのです。節子の言動も、なぜか重なっている。

いろんな思いが広がってしまいました。
見終わったのに、録画消去せずにいます。

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■節子への挽歌5609:節子は物事を評価する基準のひとつでした

節子

初夏のような暑い日もあるかと思えば、今日はまた冬に戻ったような寒い朝です。
雨風もあって、元気の出ない朝です。

大型連休も終わりました。
私にとっては、なにもなく、ただゆったりした1週間でしたが。

昨日、柿嶋さんから、NHKETV特集で放映された「誰のための司法か〜團藤重光 最高裁・事件ノート〜」を観たかと久しぶりにメールがありました。
彼女は今年初めからある行動に取り組んでいたのですが、どうも方針を変えたようです。
まあそれはよかったと思うのですが、統治行為論のサロンの報告を読んで、私と話したくなったのでしょう。
彼女は、東大法学部の教授でしたが、いまは退官しています。

この番組は、統治行為論にもつながっています。
私も見ましたが、日本政府のおぞましい実態を垣間見させてくれます。

團藤重光さんは私が大学時代に、最優先で授業を聞いた教授のおひとりです。
そして、私が信頼する数少ない日本の法学者のおひとりです。
その講義ぶりは今でも思い出すほどです。
言葉に迫力がありましたし、講義する時の團藤さんの姿勢が見事でした。

田中耕太郎はじめ、私の裁判官への信頼感は極めて低いのですが、團藤さんは最後まで、私が思っていた通りの人だったことが確信できて、とてもうれしい番組でした。

節子も知っている通り、私は検事になりたくて法学部に入学しましたが、いち早く脱落した人間です。だから司法の堕落に対してはものを言う資格はないのですが、それにしても今の日本の司法には失望しかありません。
自らの生活は、自らでしか守るほかないと思うほどです。

報道の締め付けが強まる一方で、それでもNHKのテレビは時にがんばっています。
民法はほぼ完全に商業主義の前に屈服してしまっていますが。

節子がいたらどういうでしょうか。
私にとっては、節子はいつも、物事を評価する基準のひとつでもありました。

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2023/05/07

■節子への挽歌5608:孫との連休は不発でした

節子

最近、にことの関係がますますよくありません。
この連休、一度、どこかに一緒に行こうと提案しましたが、すべて断られてしまいました。

アメリカでも月でもどこでも好きなところに連れて行ってやると言ったのが災いしたのかもしれません。誕生日プレゼントは、畑に埋まっているので、一緒に掘りに行こうと誘ったのもよくなかった。ネットで買えるでしょうと言われてしまいました。
最近の子どもは現実的です。

ところが、昨日、近くの道の駅で評判のピーナツのソフトクリームを食べに行こうかと言ったら、その時は即座に「行きません!」と断ったのに、後でジュンを介して、行くと言ってきました。にこは、ここのソフトが好きなのだそうです。
関係の悪さはともかく、ソフトクリームの魅力にはかてなかったようです。
ただし母親同行でした。全く信頼されていないようです。

というわけで、結局、連休はにことの遠出はありませんでした。
上野に連れていきたかったのですが、実現しませんでした。

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■湯島サロン「長崎の原爆をもっと思い出してほしい」のお誘い

毎年、8月9日は長崎の人たちには特別の日です。
「県民祈りの日」と定め、原爆犠牲者の冥福を祈り、平和への誓いを新たにするため、午前112分に全県民が一斉に1分間の黙祷を捧げるそうです。
そうしたなかで育った人は、東京などに来て、みんなそんなことをしていないことに驚くようです。

今回、サロンでの話題提供をお願いした鐘ヶ江さんもそういう一人です。
原爆は長崎だけの問題ではないはずなのに、広島に比べてもどうも長崎への原爆投下のことは忘れられがちではないか。

私も長崎の人たちが、いまもなお毎年黙禱していることを知りませんでした。
子どもの頃は、むしろ「長崎の鐘」の映画や歌もあって、原爆と言えば長崎だったのですが、長崎平和公園の平和祈念像への嫌悪感(これは私の主観です)もあって、原爆投下と言えば広島を思い出し、長崎への思いは薄れてしまっています。私自身の黙禱も8月6日の朝だけです。

鐘ヶ江さんは長崎の原爆のこともしっかりと思いだしていてほしいと考えています。長崎にいる頃から、原爆のことを途切れないように伝えていきたいと思っていたそうですが、東京に出てきてからはその思いを強めているようです。
でもどうやったらいいのか。

鐘ヶ江さんのそんな思いに、サロンで少し触れさせてもらいました。
そして私自身も長崎への関心が薄れていることに気づかされました。
改めて長崎の原爆投下やその後の展開を知りたくなりました。
長崎には、広島とはまた別の物語があるはずです。

そこでまずは鐘ヶ江さんに長崎で行われている平和教育の話やご自身の体験、そしていま思っていることなどを話していただき、「長崎の原爆」をみんなで思い出し、そういう悲劇が繰り返されないためにいま何ができるかを考えてみたいと思います。
少なくとも、今年の89日は、長崎を思い出す日になればと思っています。
そこから何か新しいプロジェクトや活動が生まれるかもしれません。

ちなみに今年の89日は、湯島で長崎を思い出すサロンを、できれば午前中に開催したいと思っています。

〇日時:2023年6月10日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「長崎の原爆をもっと思い出してほしい」
〇話題提供者:鐘ヶ江泰子さん(長崎出身の普通の人)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2023/05/06

■憲法サロン「統治行為論をどう思いますか?」報告

毎年開催している憲法サロンですが、今年は「統治行為論」をタイトルにしたせいか、参加者も少なく、議論もなかなか憲法につなげられませんでした。
責任は、ひとえに私にあります。私が思っている以上に、統治権という概念は生活から遠い概念のようです。すみません。

私が今回、話し合いたかったのは、「統治行為論」そのものではなく(その意味はあまりに明白だという思い込みが私にはありました)、そこから「日本国憲法は誰が誰のためにつくったのか」、そして「いまの日本の主権者は国民なのか」「そもそも日本は主権国家なのか」ということです。

一応、議論のベースにするための資料を作成しました。
添付しますので、もしよかったら目を通してください。

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「統治行為論」に関しては添付資料にゆだねますが、私はこの議論が起きた直後に大学に入り、安保闘争での樺さんの死の直後の大学に通い、翌年、憲法の講義で、この話を「統治行為説」という名称で学びました。ですからそれなりの「思い」もあるのです。日本の憲法学者への不信感はそれ以来です。

今回、当時のテキスト(唯一廃棄せずに持っている大学時代の教科書です)を改めて引っ張り出してきて読み直しました。著者の小林直樹さんは、明らかに最高裁判決に否定的です。その後に「憲法第9条と政治的現実」という文章を置いて、つじつまを合わせていますが。

話し合いで、私は「主権とは何か」と訊いてみました。選挙権のことではないかという人もいましたが、だとしたら素直に「選挙権がある」と言えばいいだけです。
私には国民に主権があるということの意味がわかりません。参加者の一人がルソーの「一般意思」の話をしてくれましたが、それは「説明のための仮説概念」です。ちょうど「社会契約」という概念がそうであるように。

「主権」を「統治権」だと置き換えれば、私にもよくわかります。
しかし、国民みんなが自らに対する統治権だけではなく、自らが生きる社会に対する統治権を持つことなど、私には想像ができません。そこで、統治の仕組みが課題になるわけでしょう。それこそが「政治の基本」のような気がします。
つまり、日本を統治しているのは誰か、そしてそれはどういう仕組みで正統性を得ているのか、「国民主権」原理とどうつながっているのか。それが大切なわけです。

まあこんなことを書いていると報告が長くなりますので、結論だけを書けば、日本という国家の統治権者は日本政府にはないと宣言したのが統治行為論を根拠にした砂川裁判の最高裁判決だったような気がします。重要な問題は日本政府では決められない。憲法を超えた「統治者」が存在するということです。

そしてそこから逆に考えれば、日本国憲法の宛先は、統治権者ではなく、政府と国民双方なのです。そう考えれば、日本国憲法に「国民の義務」という言葉が出てくるのもわかりますし、統治行為論で三権の上位の権力を認めたことも理解できます。
いささか飛躍しますが、サロンでも話題になっていた源泉徴収による徴税など、いろんなことが理解できるような気がします。

さらに言えば、日本国憲法は、統治権者が定めた「法律」なのではないかと思います。ですから、日本国憲法は条文も多いですし、国際条約の下位概念として位置づけられてもいるわけです。硬性憲法である理由も説明がつきます。

こうした認識に立てば、改憲や護憲など、たいした問題ではなくなります。サロンでも「憲法を一文字でも変えたら9条が変えられる」という話がありましたが、これも全くの茶番でしょう。問題の立て方も議論の取り組み方も間違っているとしか思えない。
そもそも日本国憲法は憲法と言えるのか。論点がずれているのではないのか。
本当の憲法はいったいどこにあるのか。それこそが憲法問題のキモなのではないのか。

サロンでは、憲法や統治権は、直接、話題の中心にはなりませんでしたが、話はいろいろと広がりました。いや広がりすぎてしまった感もあります。
幸いに、社会はよくなってきているといういまの政治を支持する人と社会は劣化しているといういまの政治に否定的な人とがいたため、適度に刺激的な対論もできました。

また憲法の捉え方も人によって大きく違っていました。空気のように当然のことと受け止めている世代もあるようですが、目指すべき理想や法を生み出す「法源」という捉え方もあります。でもいずれにしろ、自分の生活とつなげて考えている人はあまりいないのかもしれません。

私は、いまの私の生活があるのは日本国憲法のおかげだと思っていますので、その憲法が法律の位置へと貶められているのには不安を感じます。最近は戦争さえ見えてきているようで落ち着きません。

ウクライナ戦争やら台湾有事やら、私たちの生活はじわじわと戦争に巻き込まれているような気もします。でもGWの観光地やレストランにはそんな空気はみじんもない。

企画したものとしては、やはりどこかに中途半端な気分が残りました。
もう一度、統治行為論から何を考えるかのサロンパート2を開催することにしました。
案内は別にまた出しますが5月14日(日曜日)の午後2~4時を予定しています。
よかったらご参加ください。

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■節子への挽歌5607:最近また気に萎える夢を見出しました

節子

昨日、能登半島で大きな地震が起きました。

2か月ほど前から、また時々、洪水の夢を見出したのですが、一昨日、久しぶりに大きな地震の夢を見ました。
いささかいやな気持になっていたので宇Sが、昨日大きな地震が起きました。
まあ最近、地震がよく起こりますので因果関係は逆かもしれませんが、3.11の時を思い出します。

3.11の前の半年くらい、洪水の夢を繰り返し見ました。
それも同じ風景も何回か見ましたし、山の上に逃げている私を大波が襲ってくる夢も何回か見ました。
それが3.11以後、まったく見なくなったのです。

そして2か月ほど前に久しぶりに津波に夢を見ました。
なんとなく嫌な気分になっていたわけです。
でも昨日の能登半島の地震は大きな被害はなかったようでホッとしました。

ところで、今日もまた海に行った夢を見ました。
海岸にいたのですが、いつの間にか私が立っている岩が陸地から離れてしまい、急いで陸に戻り急階段を上っていく夢でした。

その後、ますます奇妙な経過を経て、30年以上、会ってない人に会いました。
なんだか3.11の前に見たような夢をまた見るようになってきたのが気になります。

何事も良ければいいのですが。
今朝は5時前に起きてしまいました。
風の叫びが大きいです。

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2023/05/05

■節子への挽歌5606:大学時代のテキストを読み直しました

節子

昨日の憲法サロンは、あまり憲法に関する論議になりませんでした。
昨年もいささか欲求不満が残り、改めて2回目の憲法サロンをやったのですが、どうも湯島での憲法サロンは難しいような気がしてきました。

そこで今日は、一人で、大学時代の小林直樹さんのテキスト「憲法講義」の統治行為論関係のあたりを読み直しました。
大学時代の教科書は3冊だけずっと捨てずに持っていました。
「憲法講義」「刑法総論」「社会思想史」です。

昨年の図書の整理で、20箱くらいの書籍を処分した時に「刑法総論」「社会思想史」は廃棄しましたが、「憲法講義」だけは残してしまっていたのです。
改めて読んだのですが、定規で赤と青の線が引かれていました。
当時は几帳面だったようです。

伊達判決と田中耕太郎最高裁判決についての論考が中期として詳しく論考されています。司法がアメリカの統治権の服従したことへの批判は示唆されています。
なぜ小林さんはこの論をもっと発展させなかったのか。

小林さんと団藤さん(刑法)は、私が共感した数少ない東大での先生です。
60年安保の時に、彼らは何をしていたのでしょうか。いや私は、その頃、なにをしていたのでしょうか。悔いが残ります。

今日は、あらためて憲法について少し考えました。
節子がいたら話し相手になってもらえたのでしょうが、いささか元気の出ない今年の憲法を思い出す数日は終わりました。

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2023/05/04

■節子への挽歌5605:西川一三の生き方には魅かれます

節子

昨日は畑作業を少しやりすぎてしまいました。
そのせいか、疲労感が強く、せっかく午後、にこの誘いを受けたのですが、私だけパスさせてもらいました。
この数日の畑作業がよくなかったのかもしれません。
しかし畑面積はかなり広くなりました。
こまめに草取りをすれば、もう野草対策も大丈夫でしょう。

今日は連休中、唯一のサロンです。
毎年開催している憲法サロンです。

今年は統治行為論を取り上げましたが、日本の憲法学者たちの誠実さには以前から違和感がありましたが、それを少し話そうかと思います。
その案内をフェイスブックに書いたら、ある知人から「こんなことを書いて大丈夫ですが。ご無事を祈ります」と言う書き込みがありました。
その人のことを少し知っているので、その書き込みの意味は分かりましたが、今朝、フェイスブックを観たら、そのコメントは削除されていました。
彼もまたいろいろと悩んだことがあるのでしょう。
しかし私の場合は、まったくのただの人なので、失うものもなければ、得るものもない。
ただただ思うがままに生きればいいだけなので、そんな余計な詮索は無用です。
そういう生き方ができることをみんなあまり知らないのでしょうか。

昨日、「天路の旅人」を読み終えてしまいました。
もう少しゆっくり読もうと思ったのですが、結局、10日もかからずに終わってしまいました。
最後は、無理やり帰国されてからの「密偵」西川一三の生き方が紹介されています。

同時期に、やはり西域やインドを歩いていた木村肥佐夫と対照的な生き方だったようですが、外から見たら木村の方が幸せだったと思われるでしょうが、私はやはり西川の生き方の共感します。私もどちらかと言えば、西川的生き方をしてしまってきたなと、いまにして思えば、そういう気がします。やはり私もまた、社会的ではないということなのかもしれません。いや、家族思いでないのかもしれません。そう考えていくと、つまりは、節子には大きな迷惑をかけていたということになります。
節子はどう思っていたでしょうか。

「天路の旅人」はいろいろと考えさせられる本でした。
サンチャゴ巡礼の鈴木さんは、今頃、どこを歩いているでしょうか。
節子がもし元気だったら、ふたりでサンチャゴを歩けたかもしれません。
そうしたらもっとお互いに理解し合えただろうなと思います。

今日はいい天気になりそうです。
畑に水をやりに行ってから、朝食です。

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2023/05/03

■日本国憲法は誰が誰のためにつくったのか

今日は憲法記念日です。

毎年、憲法記念日には、日本国憲法の前文を読むようにしています。
いつもはほとんど忘れている憲法ですが、この時期は毎年、前文を読み、3日前後に湯島で憲法関係のサロンを開催しています。

今年は明日54日に「統治行為論」をテーマに憲法サロンを開催します。
切り口は「統治行為論」ですが、話し合いたいテーマは「日本国憲法は誰が誰のためにつくったのか」ということです。
日本国憲法の制定者と宛先を考えることで、「日本国憲法の意味」を考えたいと思っています。
もう一つは、「憲法と法律と条約(と私の生活)」の関係を整理してみたいと思っています。そしてそもそも「法治国家」とはなにかも考えられればと思っています。

まあこう書くと何やら難しそうですが、湯島のサロンですから、こうしたことを気楽に生活レベルで考えてみようと思っています。
もしお時間があれば、ぜひご参加ください。

気楽な集まりですので、どなたでも歓迎です。

案内は下記にあります。
https://www.facebook.com/events/246904891037474?acontext=%7B%22event_action_history%22%3A[%7B%22mechanism%22%3A%22group_featured_unit%22%2C%22surface%22%3A%22group%22%7D]%2C%22ref_notif_type%22%3Anull%7D

 

 

 

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■節子への挽歌5604:にことの誕生日プレゼント交換

節子

にこから誕生日のプレゼントの指示がありました。
最近、にこは家族全員にプレゼントを指示するようになりました。
いささか甘やかしすぎではないかと思いますが、娘の子育てには口を出しにくいのです。節子ならズバッと言うでしょうが、なにしろ私自身があまり子育て体験をしていないので負い目があるのです。

いささか抵抗はありますが、以前、指定されたリカちゃん人形関係のプレゼントは私の趣味ではないと思って断って以来、にことの関係が悪化したので、昨年から指示に従うことにしました。
しかしただ従うだけでは「屈辱」的なので、代わりに私には何をプレゼントしてくれるのか質問しました。
私もにこと同じく今月が誕生日ですから。

にこは、少し考えてから、プレゼントは夏にあげるというのです。
それはいいけど、何をくれるのかと聞くと、「夏にスカイを食べたらそのタネをあげる」と言うのです。
サルカニ合戦か?
にこが、その話を知っているのかもしれません。
それに最近私が畑をやっていて、昨年は食べたスイカの種から小玉スイカまで育てたのを覚えていたようです。

ちなみににこは、畑作業を手伝ってほしいと言っても「行きません!」と即座に断ります。
畑から学ぶこと多いので、なんとか連れ出そうとしてはいるのですが。

にこは今日から4連休です。
友だちと遊ぶのが大好きなので、私がどこかに連れて行ってやろうと言っても全く乗ってきません。
困ったものです。

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2023/05/02

■畑作業もどき記録20230502

今年のGWは畑作業にしました。

雨の場合は別として、基本的に毎日、畑に行こうと思います。
最近、畑面積拡大にはまっているのです。
どうも私もまた、人間の持つ哀しき強欲性から抜け出せないようです。
なにしろ頑張ると頑張るだけ畑面積が拡大するのですから、まさに目の前に人参をぶら下げられて前に進む馬のようです。
「成長の経済」から抜けなければいけないとえらそうなことを言っていても、まあこれが私の本性かと思うと、いささか寂しい気もしますが、しかし畑作業というか開墾作業は実に楽しいのです。

昨年と違い今年は野菜を育てることにしました。
「働く農作業」から「稼ぐ農作業」への宗旨替えです。

最初に植えた野菜の半分は強風でダメになってしまったの、今日また100円野菜を買ってきて植え直しました。
キュウリ、ナス、トマト、それぞれ5本ずつ。
他に前回植えたレタスやオクラ、それにジャガイモ、さらになぜか芽が出てきたニンジン、他にも耕していたら出てきた里芋など、にぎやかになってきています。
写真を見ても何となく畑らしく見えるようになりました。

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今日はまたかなり広い畑候補地を耕しました。
そこに葉物を植えようと思います。
いささか遅くなってしまいましたが、まだ間に合うでしょう。
昨年食べたスイカとメロンのタネも播きましたさてこれはどうなるでしょうか。

この空き地の「開墾作業」も4年目です。
土壌の様子はかなり変わってきました。
土壌がとてもあったかな(温度もそうですが、感触がです)気がします。
笹の根っこはだいぶ後退し、地下10センチほどにはあまり見当たらなくなりました。
しかし20センチほど掘ると直系2センチほどの太い根っこに出合うことがあります。
ちょっと気を許すと笹はすぐ復活するでしょう。

気になるのは、野草をかなり徹底的に排除し、土を耕してしまったので、虫に出合う機会が少なくなったことです。まだ野草が生い茂っている部分が残っているので、そこにみんな避難しているのかもしれません。
彼らから見れば、私はロシア軍のような存在なのでしょうか。

そんなこんな、いろんなことを考えながら、畑作業もどきのGWです。
観光地もおいしいレストランも、私には遠い世界です。
畑から戻って食べたのは、娘がスーパーから買ってきたかしわ餅でした。
でもまあ、幸せなGWです。

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■節子への挽歌5603:敬愛する佐藤様

節子

こんなメールが届きました。

昨年は父が他界して、佐藤様と懇談できなく残念でございました。
今年は再度チャレンジ致します。
よろしくお願いします。 
敬愛する佐藤様

うれしいメールです。
そういえば、この人とはしばらく会っていません。
私よりもずっと若い人で、たぶん私のホームページを見て湯島に訪ねてきてくれた人です。話が合ったのでしょう。

ホームページやブログを見て、湯島に来てくださる方が、以前は少なくありませんでした。当時は、ホームページも毎週しっかりと更新していましたらから。
そういう人はだいたい共感し合うことが多かったように気がします。
誰かの紹介でやってくる人の場合は、なかには怒って帰る人もいましたが。
他者の紹介ほど、いい加減なことはありません。
みんな思い込みが多くて、私のことを自分流に紹介してくれるからです。

でも私の書くホームページやブログには、基本的に嘘はありません。
もっとも気づかずに書いている「嘘」はあるかもしれません。
自分のことは意外とわからないものですから。

でもどこかで私のことを気にしている人がいるということは、うれしいことです。
「敬愛」とまではいかなくとも、「気にしている」人がいることで、私の生きている世界は広がっているのですから。
節子がまだ、私の世界に生きているように。

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2023/05/01

■節子への挽歌5602:畑にいると時間を忘れます

節子

今日も畑で時間を過ごしました。
今日は大した作業はしなかったのですが、畑にいると時間が経つのを忘れます。
別に作業をし続けているわけではなく、時にただ土に座ってボーっとしているだけですが。福岡で自然エネルギーと農業に取り組んでいる中川さんが、私のフェイスブックの記事を見て、こんなコメントをくれました。

土の上に足を置いてると気が循環する様です。
大地=地球に繋がっていることが感じられちゃうんです。

その通りです。実に平安な気持ちに包まれる。

ところで、今日、野草を刈り取っていたら、ニンジンらしいものが育っているのに気づきました。昨年、タネを播いていたのでしょうか。私の記憶では違う場所だったような気がしますが、たしかにニンジンです。
ていねいに野草を抜いていったら、10本くらいありました。気づかずにかなり刈り取ってしまったようですが、残ったものは育てようと思います。育つかどうかわかりませんが。

まあこういう気付きによく出合います。
家にあった芽の出かかったジャガイモを埋めていたのも、順調に芽が出だしました。
風でダメになっていたキュウリを植え替えましたが、節約して接ぎ木ではないのを買ってきたので、あまり期待はできません。ウドンコ病に注意しないといけません。

というわけで、畑は順調に広がっています。
そろそろ道沿いの斜面の花壇部分に取り組もうと思います。
昨年播いておいた今春芽が出る予定だった花は、どうやらみんなだめのようです。
野草には勝てないようです。

節子が遺してくれた畑作業は、負担でもあり元気の素でもあります。

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■節子への挽歌5601:生きるとは托鉢とか乞食とかの積み重ね

節子

「天路の旅人」を毎日少しずつ読んでいます。
サンチャゴを歩いている鈴木さんを思い出しながらです。

「天路の旅人」の西川一三は、ようやくラサに到着です。
ラダック人が出てきたり、ポタラ宮が出てきたり、興味深い内容が多いのですが、一番の気づきは「巡礼」に対するイメージが豊かになっていくことです。
同時に、托鉢とか乞食ということへの理解も深まりました。
いささか大仰に言えば、生きるとは要するに托鉢とか乞食とかの積み重ねなのだという思いも生まれてきました。

サンチャゴから戻ってきたら、鈴木さんにできるだけ早く、湯島でサロンをしてもらおうと思いますが、これまでとは違った聴き方ができるような気がしてきました。

西川はこの後、インドを経由して日本に戻ってきます。
その後、西川がひっそりと暮らした気持が、なんだか少しわかるような気もします。

こんなに時間をかけての読書は久しぶりです。
これまでの私の読書の仕方は、単なる作業だったのかもしれません。
何時からそんな読み方に代わってしまったのでしょうか。
たぶん昔はそうではなかったような気もします。

今日もあまりいい天気ではありません。
昨日は雨だったので、畑には行けませんが、座る生活から今日は抜け出ようと思います。

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■湯島サロン「越境体験のすすめ」報告

櫻田周三さんの「越境体験のすすめ」のサロンは、いつもとはちょっと違った顔ぶれのサロンになりました。

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それぞれ「越境」というテーマに関心を持っている人が多く、その顔ぶれを見て、櫻田さんは用意してきた話を急遽変更して、ご自分の「越境体験」や越境支援活動について、体験的な話に切り替えました。
用意してきた話も是非聞きたかったのですが、生々しい櫻田さんの体験談はとても興味深いもので、改めて「越境とは何か」、そして「なぜ越境なのか」を考えさせてくれるものでした。

たまたま櫻田さんが越境体験支援プロジェクトを立ち上げた頃、その活動を「社会教育」という雑誌に投稿した記事を思い出した同誌の編集長の近藤さんも参加してくれました。近藤さんが取り組んでいる社会教育もまた、ある意味での「越境体験支援プログラム」と言ってもいいでしょう。

櫻田さんが考えている「越境体験」とは、単なる異体験ではなく、「自分の所属する組織やグループとは異なる背景や文化の組織やグループに一定期間身を置き、そこに所属する人たちと何らかの活動を行うこと」です。

越境するプロセスもまたとても重要な意味を持っていますし、越境体験後の見返りや変容への気づきも大きな意味を持っている。そういうことも含めて、櫻田さんは「人間力」を高めるプログラムを構想しているのかもしれません。

櫻田さんは、長年、大学で主に学生を対象にそういうプログラムを展開し、越境体験が、人を育て、人生を豊かにしていくことを体験しています。ですから、学生だけではなく、さまざまな人たちに対して、そういうプログラムを展開したいと思っているのです。

しかし時代の流れは、「越境」どころか、むしろそれぞれが自らの世界に閉じこもり、タコツボのなかでさらに仲間内の、時には自分だけの居場所や「似非コミュニティ」をつくっていくという「分断社会」へと向かっているような気もします。まさにソーシャルキャピタル(社会関係資本)が失われてきている。
であればこそ、櫻田さんの構想は今まさに求められていることではないか。

自分が安住できる「コンフォートゾーン」に閉じこもるのではなく、外の世界をしっかりと体験し、世界を広げていく支援プログラムが必要なのではないか。

最近では、ちょっとした異質な世界を体験できるビジネスも増えていますが、櫻田さんが考えているのは、そういういわば体験レジャーではないのです。しっかりと自らの人生をかけての「越境体験」なのです。

私も「越境体験」には魅力と意義を感じます。
ただ、「意図した越境体験」「仕組まれた越境体験」よりも「偶発した越境体験」が、私の人生を豊かにしてきてくれた気がします。そういう視点からは、偶発性を引き寄せる仕組みや偶発性を活かす仕組みが大切なような気もします。
櫻田さんからも、キャリア形成にとっての「偶然性」の話題も出ました。

ちなみに、湯島のサロンは、そういう偶発的な越境への道を引き寄せる場を意識していますが、道が見つかっても、そこにどう入ればいいかはそう簡単ではありません。ですから、櫻田さんの構想にはとても関心があります。

参加者はみんな、越境に関心が強かったので、話し合いでは、櫻田さんの思いや構想への具体的な提案やエールも多かったような気がします。

サロンの後、櫻田さんから参加者みんなにメールが届きました。

私がやりたかったことは越境体験というよりは、ざっくり言えば人間力発揮につながる体験との遭遇支援であり、そのために大学で行っているような社会参加をテーマとした経験学習の場づくりができたら、というものでした。
今日のもう一つの気づきである「自分こそコンフォートゾーンに居座っている」という自覚により、確信のない一歩の踏み出しもやむを得ないと思い始めたところです。
ですので、自らを奮い立たせて何かやってみようと思います。

「越境」は新しい物語を生みだすのかもしれません。
櫻田さんのサロンは続きそうです。
櫻田さんの構想に関心のある方、ぜひご連絡ください。櫻田さんにつなげます。
私が現世から越境する前に、櫻田さんのプログラムが動き出すことを楽しみにしています。

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