■節子への挽歌5637:引きこもりの親の会で話をしました
節子
久しぶりに集まりで話をさせてもらいました。
ひきこもりの親の会をベースに設立された楽の会リーラです。
前日にハッと気づいたのですが、来ているものがあるだろうかと心配になりました。
幸いに今どきのジャケットがありましたので、ホッとしました。
何しろ最近はユニクロのシャツしか着ていませんので。
そんなわけで、久しぶりにジャケットも来て、靴で出かけました。
ところが、午前中の孫の運動会で疲れてしまい電車を乗り越し、しかも会場をきちんと確認していなかったため、道に迷ったりして時間ぎりぎりに会場に着きました。
もう久しく講演もしていないため、このていたらくです。
緊張感が全くない。困ったものです。
参加者は引きこもりの親たちが中心ですが、私自身はそもそも世間での「引きこもり問題」の捉え方がまったく間違っていると思っているので、今回の話のメインメッセージは「引きこもりのどこが悪いのか?」というものです。
行政や福祉業界の「引きこもり対策」には私は否定的なので(引きこもりに限らず、行政や専門家の福祉対策には違和感があります)、まずは「引きこもりがよくない」という発想を捨てましょうという話をさせてもらったのです。
問題の立て方を間違ってしまうと、対策はむしろ逆作用を起こしかねません。
いささか挑発的なので、反発も多いだろうと思っていましたが、意外と共感を得てしまいました。
それでさらに、余計なことも行ってしまいました。
そもそも人生には問題はつきものです。
いや、問題があればこそ、人生は意味がある。
悩みのない人の不幸もわかってやらなければいけません。
それに、引きこもりは一人でできるものではありません。引きこもらせる人たちが必ずいる。問題は、引きこもらせる人の方にこそあるのかもしれません。
それに当事者を支援したり、寄り添ったりすることなどできるはずもない、とまで言ってしまいました。
それでも怒り出す人はいません。褒めてくれる人までいる始末です。
一波乱を期待していたのですが、そんなわけで平和裏に終わってしまいました。
参加者のグループ討議もグループを回って少しずつ聞いてみました。
やはりみんな問題の捉え方を間違えているとしか思えない。
そこで、たとえば、そこでも時々余計案問いかけをしてしまいました。
「息子さんを信頼しているのですか?」
「引きこもっているのはむしろ親の方ではないですか?」
参加者の何人かが、湯島のサロンに行きたいと言ってくれました。
何人かには私のメッセージは伝わったようです。
うれしいメールももらいました。
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