■重田園江さんの「真理の語り手 アーレントとウクライナ戦争」を一気に読みました
ウクライナ戦争に関して、視野を広げてくれる本を読みました。
これまで私は、ロシアもウクライナも、国民が戦わなければ戦争はおさまるのではないかなどと考えたりしていましたが(その考えは今も変わりませんが)、どうももう少し視野を広げなければいけないと痛感しました。
ウクライナに関する本も何冊か読んではいますし、「ブラッドランド」も読んで、ソ連の歴史も少しは知っているつもりでしたし、「カティンの森」の映画も見ていますが、まだまだ身心に入ってきていないことを思い知らされました。
軽々にロシアやプーチンを語るのも注意しなければいけません。
読んだ本は、重田園江さんの「真理の語り手 アーレントとウクライナ戦争」(白水社)です。昨夜読みだしたのですが、一気に読み終えました。
久しぶりの睡眠不足で、おかげで朝からもう眠いです。
この本で面白かったのは、アーレントの「真理と政治」につなげての話とウクライナの映画人、とくにロズニツァ(私は全く知りませんでした)の作品にまつわる話ですが、それは読んでもらうとして、その本の最後に掲載されていた、昨年5月30日のニューヨークタイムズに掲載されたイェゴール・フィルソフさん(ウクライナ軍の医療班員)の投稿記事の一部を紹介したいです。
よく言われている話なのですが、重い本を読み終えて気が滅入ったところで読んだので、元気が取り戻せました。
長いですが、引用させてもらいます。
死がありふれているところでは、人々は頑強になると思われるでしょう。ところがそうではないのです。人は繊細になり、また以前よりオープンになるのです。どこででも爆撃が起こり、見知らぬ人と遮蔽物の下に隠れていると、心から率直な会話ができます。自分だけの秘密や個人的な経験、そして大切な記憶を分かち合うことができるのです。死が荒れ狂う場所を、なるべく多くの生で満たそうとしているのでしょう。
ここでは皆がすべてのものを分かち合い、助け合っています。軍や警察、当局者すらもです。食べ物がないと分かると、与えてくれます。服が破れて汚くなっていたら、自分たちの服をくれます。タバコがなかったら、半分分けてくれます。平和なときには、私はこのような互いへのケアや配慮を見たことがないです。
以上がフィルソフの投稿記事です。
あの悲惨なブチャにおいても、こうなのです。
やはり私は、すべての人が本来、性善であることを確信します。
もちろんプーチンもゼレンスキーもです。
それにしても、「平和」とはいったい何なのか。
平和は幸せにつながっているものなのか。
一昨日、引きこもりの親の会で話したことにも、少し自信が持てました。
アーレントの「真理と政治」も久しぶりに読み直そうと思っています。
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