■節子への挽歌5622:黒岩比佐子さん
節子
今度、當麻寺に行くことにしたので、五木寛之の『百寺巡礼』第1巻「奈良」の當麻寺を読み直しました。
この本のシリーズは黒岩比佐子さんが協力していました。
同書のあとがきで五木さん自身が黒岩さんのことに言及しています。
資料の収集から確認、単行本の構成からメモ類の整理まで、すべての作業をつねに同行しておこなってくれた黒岩比佐子さんにこころからお礼を申しあげたい。車内の勝手なおしゃべりから、私の仏像を前にしての独白、そして食事中の片言隻句まで、すべてを記録し、私のコメントの間違いや記憶ミスをその場で訂正し、寺々にまつわるエピソードをレクチュアしてくれた献身的な協力があって、この一冊は誕生したのである。
黒岩さんの姿が目に浮かびます。
まさに黒岩さんは、そういう人でした。
この本を読むたびに、私も黒岩さんのことを思い出します。
黒岩さんは節子よりも少し遅れて旅立ちました。
節子がまだ発病しない時に、3人で食事をしましたが、節子は黒岩さんの活躍をとても楽しみにしていました。
葬儀の後、黒岩さんは紀陸さんと一緒に自宅に献花に来てくださいました。
黒岩さんは湯島のサロンの常連でもありました。
黒岩さんは、サロンでの話し合いが一つの契機になって、「音のない記憶」が出版され、それがとても好評で、次々と本を書き出しました。
しかし、黒岩さんが大きくデビューし始めようとした時に、黒岩さんから電話があったのです。そして膵臓癌を打ち明けられたのです。節子が逝ってからしばらくしてでした。
そしてその後、間もなく、最後の作品を書きあげて、黒岩さんは逝ってしまいました。
お見舞いに、ジュンにスペインタイルで焼いたもらったマリア像のプレートを届けましたが、マリアは守ってくれたでしょうか。
そんなことを思い出してしまったために當麻寺に行こうかどうかちょっと迷いだしました。當麻寺には五木さんが「大和のモナ・リザ」と名付けた中将姫像がありますが、私はこの像が昔から苦手なのです。
でもまあせっかくの娘の薦めでもあります。久しぶりに奈良もいいでしょう。
黒岩さんに会えるかもしれません。
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