■節子への挽歌5642:資産は生きている間だけの「預かりもの」
節子
昨日、最近湯島のサロンに来るようになった人からゆっくりと話をしたのでと連絡がありました。
最近、いささか時間破産状態なので、本当は避けたかったのですが、これまでも2回ほど会って、その人がかなり切羽詰まっているようなので、なんとか時間をやりくりして、湯島で会うことにしました。
いろいろと自らの状況をさらけ出してくれましたが、問題は家族間の関係です
解決策はそう簡単には見つからないようです。
私なりの解決策(私ならこうするだろうということ)は話しましたが。
今回の話はともかく、最近、家族間の仲違いや諍いの話をよく聞きます。
お互いに心を開いて支え合う「生きるための基礎集団」が家族だと思っている私にとって、家族の諍いはなかなか理解しがたいものがあります。ましてや、そこにお金や資産が絡んでくるとますます理解できない。
そもそもお金や資産は、彼岸にまで持ってはいけませんから、所詮は生きている間だけの「預かりもの」でしかありません。
そんなもののために、親子や兄弟姉妹で争ったり、悩んだりすることがまったく理解できない。
ちなみに私の持ち物は、死後は娘たちのものになり、娘たちが死んだら孫のものになるわけです。そう考えれば、できるだけ早く自分の持ち物は娘や孫に渡しておいた方がいい。いささかずるいかもしれませんが、そうすればそうしたものに煩わせられることも少なくなる。
断捨離という発想もそれに繋がりますし、法頂の無所有の思想もそれにつながる。
そう思っていますので、家族問題の話を聞くたびに、どうしてそんな些末なことに振り回されるのかと思うのです。
でも当事者はどうも深刻なようです。
多くの場合、家族関係を壊すのはお金や資産のようです。
それもたかだか数千万円とか数百万円の話です。いや数十万円の時さえある。
私には数十万円も数千万円もあまり違いが感じられません。お金など金額の多寡に限らず価値などあるはずもないと思っているのです。
もちろんお金があればできることも少なくないですが、煩わしいことも少なくない。そう思っていますので、お金や資産が家族関係をおかしくしている話を聞けば、お金や資産をすべて相手にあげればいいだけの話なのにとついつい思ってしまいます。
書いているうちにだんだん面倒になってきたので、この辺でやますが、世の中の多くの人は本当につまらないことで悩んでいる気がしてなりません。
まあ、悩むことが生きる意味なのかもしれませんが。
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