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2023/05/30

■湯島サロン「私がなぜ長南町でお百姓さんのような暮らしをしているのか」報告

サロンの翌日からめずらしく旅行に出かけてしまい、報告が遅れてしまいました。
とても刺激的なサロンだったので、早くシェアしたいと思いながら、旅行から戻ったらいろいろとあって、さらにいつも使っている年季入りのパソコンが不調をきたし(まだ動きがよくありません)、報告が遅れてしまいました。
言い訳ですみません。

Kihara20230521

仕事とは生きることだと考えている木原さんのサロンには、木原さんのパートナーのテツさんも参加してくれ、さらにそのテツさんの20年ぶりの友人が現れるといったハプニングまであっての、とても元気が出るにぎやかなサロンになりました。
また久し振りに参加してくださったご夫妻の方と縁のある家が、木原さんたちがいま住んでいる長南町の家のすぐ近くだともわかりました。
どうも木原さんのまわりでは、いろんなハプニングがいつも起こっているようです。

生きるっていうことは、そういうことなんだろうなと奇妙に納得してしまいました。でも、そういう面白さに私たちはなかなか気づかない。木原さんたちのように、時の流れに、いい意味で身を任せずに、小賢しく生きているからかもしれません。

木原さんの話も、サロンでの話し合いも、私にはあまりにもすんなりと身心に入ってきてしまい、報告を書こうと思ったら、逆になにも思い出せなくなってしまいました。
何か思いだそうと思っていたら、参加者のおひとりがこんなメールをくれているのに気づきました。

〈仕事=生きること〉。
仕事を失って、生きるハリを失った私には、天啓のような言葉だと感ぜられます。

「天啓」
木原さんもそのパートナーのテツさんも、天啓を素直に受けながら生きているのかもしれません。そんな気がしてきました。

おふたりは沖縄で会っていますが、そこからまるで天啓を受けたように、いまの長南町に転居したのです。
町役場に相談したら、600万円程度の資金が必要だというようなことを言われたそうですが、そんな資金はなかったふたりはともかく転居してしまったそうです。資金をためてからなどという生き方は、おふたりには縁遠いのでしょう。
相談に行った長南町の役場の人からは、どんな仕事をされているのかというような問いかけがあったそうですが、木原さんは「生きることを仕事にしたい」と答えたそうです。相手の戸惑いが伝わってきますが、木原さんの答には心底共感します。

とまあ、こんな感じで木原さんはこれまでの生き方やいまの生活、そしてそうしたことから得た気付きや思いを話してくれました。
現代の「常識」では成り立ちそうもない話もありましたが、実際にそれが起こっているのです。現実は理屈とは違うのです。
そうしたことを私が書いてもうまく伝わらないでしょう。

木原さんのところでは、田植えや稲刈りのような忙しい時には人手を求めていますので、木原さんに連絡して木原さんたちの生活を体験しに行ってみるのもいいです。
そうしたプログラムも用意されているようです。
関心のある人は木原さんに連絡してみてください。

きちんとしたサロン内容の報告は無理ですので(木原さんたちの生きるエネルギーや輝きは文字にするのは難しい)、いつものように私が思い出したことを3つだけ書くことにします。文責は私にあります。

第1は、仕事の話です。
現代の社会は仕事の結果を重視するけれど、課程はできるだけ効率化しようとしてしまうので、仕事が楽しくないのではないか。でも個人にとっては、その過程こそが大切なのではないか。木原さんはそう言います。無駄かどうかを考える基準を見直すと全く違った働き方が見えてくる。仕事の捉え方も変わってくる。
湯島のサロンでも「仕事とは何か」を大きなテーマにしていますが、お金を稼ぐことと働く仕事とは別のものと考えると、仕事観も生き方も大きく変わってくるはずです。木原さんたちは、それをまさに実践しています。

第2は、お金のことを考えると動きにくくなるので、まずはお金を横において動いてみよう、という生き方です。そうした、お金に縛られずに生きている木原さんたちの生き方は、たしかに勇気のいる生き方かもしれません。でも実際に木原さんたちは、そうやって生きていて、楽しくやれている。お金に困ることもあるようですが、困るとなぜか救いの手がやってくる。そんな話もありました。
参加者の一人が、木原さんたちの話を聞いて、わらしべ長者を思い出したと言いましたが、しっかりと生きていると誰かが助けてくれるのかもしれません。そもそも、いまの日本は、お金は偏在していますが、物はむしろ溢ふれるほど遍在している時代です。それを忘れてはいけません。

第3はバタフライ効果、つまり、一人のささやかな行動が社会を変えていくという話です。
木原さんたちが長南町に転居して1年半、木原さんたちのまわりが少しずつ変わり始めているようです。まちづくりの世界ではよく言われることですが、地域社会が変わっていくのは、多くの場合、一人のヨソ者やバカ者からなのです。社会が変わっていくのも、同じことだろうと私は思います。

これが、木原さんの生き方から、私が受け取った3つのメッセージです。
いずれもとても共感できますし、湯島サロンの精神にもつながっています。

木原さんはこんな話もされました。
モヤモヤして答がわからないときにはともかく動いてみるのがいい。
人に会うのもいい。それも楽しそうにしている人と。
断捨離して身軽になることも大切だ。
ともかく、モヤモヤは先に導いてくれるための大切なもの。

そして木原さんはこうも言いました。
魂が喜ぶようなことをしたい。
みんなが楽しんで生きている世界をみたい。
思い込みを解けば新しい世界が見えてくる。
木原さんたちが見ている世界が少し見えてくる気がします。

なんとかここまで書いてきましたが、生きる輝きを感じさせてくれた木原さんたちのメッセージをうまく伝えられません。また、木原さんたちにサロンをやってもらって、直接、木原さんたちの生きざまに触れてもらうことをいつか企画したいと思います。その後の話もお聞きしたいですし。

そういえば、木原さんを私につなげてくれたのは、サロンにも時々参加してくれる増田さん(一般社団法人地湧の杜)ですが、増田さんが主催する「小屋の学び舎」というプロジェクトも長南町で予定されています。
関心のある方は次のサイトをのぞいてみてください。

https://chiwakinomori.com/2023/04/12/%e5%b0%8f%e5%b1%8b%e3%81%ae%e5%ad%a6%e3%81%b3%e8%88%8e%ef%bc%92%ef%bc%90%ef%bc%92%ef%bc%93%e3%80%80in%e3%80%80%e5%8d%83%e8%91%89%e7%9c%8c%e9%95%b7%e5%8d%97%e7%94%ba%e3%80%80%e3%80%9c%e6%9c%aa%e6%9d%a5/

 

 

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