■湯島サロン「統治行為論から考える日本」報告
「統治行為論から考える日本」を切り口にしたサロンは、参加者は私を入れて4人と少なかったのですが、じっくりした議論ができました。
時間もなんと4時間。パート2を開催してよかったです。
そもそもこの問題のきっかけになった砂川裁判の直後に、私は検事志望で大学の法学部に入り、憲法の小林直樹さんの講義でこのことを知ったのです。
私にとって、それが日本の司法界に失望した直接の理由ではないのですが、ずっと引っかかっていた問題です。最近、話題になってきたことには、何をいまさらという気もある一方で、やっと問題にされだしたといううれしさもあります。
最初に参加者が私の考えを引き出してくれました。
簡単に言えば、統治行為論の採用によって、日本政府は主権(統治権)がないことを明らかにしたこと、言い換えれば日本国憲法は、最上位の法律であって憲法ではないこと、憲法制定権力がないということは主権在民とは言えないこと、本来的な意味での国家のかたちを決めるものではないので、日本国憲法の改憲・護憲は行政事項でしかないわけで、私にはあまり重要な問題ではないこと…。
とまあ、そんな話をさせてもらいましたが、そこからさまざまな問題が浮かび上がってきます。たとえば、主権国家とは何か、そもそも主権とは何か。さらには政治とは何か。
参加者のおひとりはアメリカ公法が専門の研究者ですので、こうした私の素人論議など聞くに足りない暴論だと思うのですが、誠実に聴いてくださいました。
またたぶん私以上に日本の政治に対して実践で対峙していた参加者もいましたが、その人も私の暴論に付き合ってくれました。
しかし、手前みそになりますが、暴論が問題を可視化することもあるかもしれません。私の暴論から、さまざまな話題へと話は広がりました。
話は、政治だけではなく経済の話、さらには文化の問題にも広がりました。
私も多くのことに気づかされましたし、私がサロンをやっている意味も参加者には少しわかってもらえたような気がします。
私の話を理解しようという参加者のみなさんの好意に甘えて、いささか余計なことまで話してしまいましたし、逆に参加者のみなさんの思いに対して否定的な発言をしてしまった気もして、終了後、大いに反省しました。
でも、新たなプロジェクト起こしまで話は進みましたので、話し合いでは終わらないでしょう。事実をもっと明らかにする方策を出し合おうという意見も出ましたし。
こういうサロンを時々またやりたいです。
話し合いの内容が報告できずにすみません。
また続きをやりたいです。もちろんそろそろ統治行為論からは離れて、ですが。
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