■節子への挽歌5629:はじめての當麻寺
節子
京都2日目は私の希望もあって、當麻まで足を延ばすことにしました。
當麻と言えば、節子と一緒に行った橿原神宮の近くです。
橿原神宮に寄ろうとも思ったのですが、やめました。
途中で西の京も通りました。
このあたりには節子との思い出もたくさんあります。
當麻寺は私も初めてです。
當麻寺では中条姫とその曼荼羅が有名ですが、私には全く興味がなかったのです。
今回行ってみようと思った理由は自分でもわからないのです。
節子が働きかけているのでしょうか。
たまたまユカも當麻寺に興味があったようで、今回のメインの一つになったのです。
橿原神宮駅のあたりで雨が降り出しました。
節子と会話ら神宮に行った時と同じです。
あの時も雨が途中で降ってきました。
當麻駅から當麻寺は一直線の小道を歩きます。
とても鄙びた道ですが、それぞれの家の庭木の立派さに驚きました。
みんな豊かなに暮らしているのでしょう。
もちろん経済的な意味で裕と言っているわけではありません。
當麻のまちの人たちの豊かな暮らしぶりが伝わってきます。
當麻寺の参拝客は私たちの他は若い二人組しかいませんでした。
そのおかげで、ゆっくりと見せてもらいました。
ご住職もわざわざ受付の場所から離れて、講堂などまで説明に同行してくれました。その話もとてもよかったです。
フェイスブックにも書きましたが。昨今の問いつ境界問題に対しても仏教会が何も言わないでいいはずがないと話してくれました。この方はそれなりにできることをやっている。それがとても好感が持てました。
それで、一緒に写真も撮らせてもらいました。
まあそれはともかく、このお寺には日本最古の鐘楼や石灯籠があります。
東塔と西塔がしっかりと残っているのもめずしい。
残念ながらそうした全体像をしっかりと見られる場所がないのですが、講堂からは何とか2つの塔を同時に見ることもできます。
山門と本堂がずれている理由も、わかりました。
これも説明してくださった僧のおかげです。
當麻の人はみんな樹木や花が好きそうですが、當麻寺の中にも花をメインにしたいテラがいくつかありました。中之坊の大庭も拝見しましたが、いまは季節外れですが、花の季節はさぞかしきれいなことでしょう。
説明してくださった僧の方が、曼荼羅堂で阿弥陀に10回、「ナムアミダブツ」と唱えると25人の仏が迎えに来てくれるというので、もう一度、阿弥陀堂に入れてもらい、10回念仏を唱えてきました。
まあ私の場合は、節子一人が迎えに来てくれるだけでいいのですが、節子も一緒に来てくれる仲間がいるほうが楽しいでしょうから。
朝早い出発でしたので、当麻寺の拝観は午前中で終わりました。
當麻寺に来てよかったです。
やはり中将姫は好きにはなれませんでしたが。
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