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2023年6月

2023/06/30

■節子への挽歌5676:にことの久しぶりの外食

節子

小学校に入学してから、いささか「疎遠」になっているにこがやってきました。
前にプレゼントした「いつでも好きな本プレゼント券」と「なんでも好きなものプレゼント券」を持って。
ある本とあるリュックが欲しいのだそうです。買うものはもう決まっている。

そこで一緒に、そのいずれもがある近くのアリオに買いに行くことにしました。
ところが私のサンダルスタイルを見て、どうしておさむさんはいつもサンダルなのかと訊かれました。どうもにこにとっては、私は普通の人とちょっと違うような「変な爺さん」に見えているようです。
そして虫に刺されるだろうというので、虫とは仲良しだから大丈夫、というと、でも転んだらけがをして血が出るよ、というので、転ばないから血はでないと対応。
こういう対応をしているために、孫から嫌われて「疎遠」にされてしまうのかもしれません。
そのせいか、相変わらずまだ呼び方は「おさむさん」ですが、今日もまた「さん」はいらないよというと、「おさむじじい」にするというので、それはあんまり好きじゃないと保留にしてもらいました。

本とリュックは無事購入できました。
リュックはたくさんある中ら、3つを選び、そこから時間がかかりました。
どうも最初に考えているのとは違うカラーのものが選ばれたようです。

その後、少し早かったのですが早目の夕食をにこと食べました。
にこから食べようというのはめずらしいことなのです。
ちなみににこは、アリオでは必ずあるお店のうどんを食べるのです。
おなかが減っているので誘ったのかなと思ったのですが、どうもそうではなく、ほんとリュックのお礼に付き合ったようなのです。
いつもは完食するうどんも半分も残していましたらから。

少し学校の話を聞きました。
少しずつ楽しくなってきているようです。
幼稚園時代よりも元気がなくなってきたような気がしていて、気になっていたのですが、よかったです。
今日は「歯磨きポスター」が学校の代表作として選ばれて絵の具をもらったと話してくれました。まだ手元には戻ってきていなので、戻ったら見せてもらうことにしました。

夏休みに国立科学博物館か上野動物園に行こうと誘いましたが、「絶対嫌だ」とまた断られました。
やはりサンダル姿が悪いのかもしれません。困ったものです。

 

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■湯島サロン「庶民の資産防衛-今起きていること、これから起きること」報告

「資産防衛」という文字のせいか、「陰謀論」という文字のせいか、あるいは新潟からわざわざ話に来てくれるということのせいか、理由は定かではないのですが、満員のサロンになりました。

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案内でも書きましたが、裕さんは、「危機は目の前!庶民も生活防衛のためにも資産防衛が必要」と考えているのです。
しかし、そもそも「庶民」とはだれなのか。裕さんはまずそこから話しだしました。

庶民とは、「金融資産が3000万円以下の世帯の人たち」を指し、野村総合研究所「日本の富裕層に関する調査結果」(2023年)によれば、日本の全世帯の8割弱が庶民に相当するそうです。
資産額が一桁違うのではないかと私は思ってしまいましたが、その時点ですでに私にはもう社会が見えていないのだろうと反省しました。困ったものです。
ちなみにここでいう「金融資産」とは「預貯金や株式、債権、投資信託などの現金化できる資産」をさしていますので、土地など不動産は含まれません。土地は国が資産把握しているし買い手がないと価値は実現しないので、個人が自由に処分できる資産とは言えないというのです。
それに、土地資産の多い人も、現在の税制では3代もすれば資産はゼロになってしまうと裕さんはいいます。

問題は金融資産ですが、その金融資産も、裕さんによれば、個人が自由に扱える資産ではなくなるのではないかと言います。
そして裕さんが最近経験したことを話してくれました。
3年前にある必要で裕さんは300万円の預金をおろそうとしたのですが、窓口でその理由を訊かれ、警察官までが呼ばれてしまったそうです。表向きは、振込詐欺防止のための措置とされていますが、裕さんはそうした動きに「金融統制の予行演習」を感じているようです。
さらにいま政府が広げようとしているマイナンバーカードと金融機関のひもつけによって、土地資産などと同じように、金融資産も政府による管理対象になってしまうのではないかというわけです。

管理対象になった金融資産の価値を操作するのは、そう難しいことではありません。
現在、日本以外の国での金利上昇で、日本の債券価格は下がり仕組み債で大損した高齢者も多いそうです。しかしそうした仕組み債を売ってきた銀行は知らん顔を決め込み、報道で加担してきたマスコミもあまり報道していません。その利益はどこに行ったのか。
さらに、コロナ対策でのゼロゼロ融資(無利子無担保)の返済がこれから始まり、企業倒産や失業者増加が予想されます。こうしたことが起こると、損失はテレビでも話題になりますが、利益は全く見えてこないのが通例です。

裕さんは、この秋以降景色が変わっていくのではないかと心配しています。しかもすべては意図されているのではないかと思ってもおかしくない。
いずれにしろ、個人の金融資産も安泰ではないのです。

こうした話は富裕層中心の話とも思われますが、庶民への影響も大きいのです。
たとえば、年金基金や郵貯などの基金運用にも影響が出てきて年金減額も避けられません。米国で起こったような、バンクランがまた日本でも起きるかもしれません。
現金を銀行において置くのは安心かというわけです。

さらに裕さんは、2024 年の新円切り替え時の不安もあるといいます。
具体的には、預金封鎖と財産税です。
そして、昭和24年に行われた財産税の導入と預金封鎖、それによって起こった強烈なインフレの話を少ししてくれました。
こうした強制措置もありえないとは断言できない。むしろ政府はそうした可能性も視野に入れた静かな警告を出しているのではないかというのです。

こうしたことを知るためにも、庶民もまた、もっと金融の動きに関心を持たなければいけない。金融資産がどう扱われていくのかは、決して富裕層だけの問題ではない。私のように、金融資産がほとんどない庶民でも、金融の動きとは無縁ではいられない。だから無関心でいてはいけないというのです。

とりわけ要注意なのはインフレです。
数字の上では今は3%の物価上昇が話題ですが、庶民にとっての肌感覚では3%などという話ではないでしょう。卸売物価の上昇率はもっと高いですし、電力価格の値上げはもう2桁です。
インフレ加速の懸念は大きいですし、場合によっては政策的にインフレを起こすこともあるでしょう。日銀がゼロ金利から金利上昇時に注意しなければいけません。
日銀の債務超過、円安、債権暴落、といったインフレ要因はたくさんあります。
庶民にとっても、不安材料はたくさんある。嘆いているだけではだめなのです。

では、インフレに対して庶民はどうしたらいいか。
日常生活的に言えば、必要なものはすぐ買うのがいい。そしてたとえさほど持っていないとしても、金融資産の保有状況を把握し整理していくこと。注意しないと自分でも自由にできない状況に置かれてしまうかもしれないからです。
そして裕さんは言います。大切なのは金融資産に関しては証券会社や銀行など専門家に相談してはいけない。それこそ狼に道を聞くようなものだ、と。
資産を守れるのは自分だけなのです。

裕さんは、いまや信頼できるのは「金(ゴールド)」だけだと言います。
金融システムはだれかに操作されてしまうとしても、金はだれかが勝手に操作するのは難しいからです。しかし、その金も、個人的な売買ができなくなる恐れもあると言います。なんだかだんだん袋小路に追いやられているようで、暗くなってしまう。
裕さんの話を聞いていると、資産とは実はその価値や管理が、庶民のような個人には手が届かないものになるのではないかと思えてきます。
となれば、そもそも「資産防衛」などできるはずもないのではないか。

しかし、裕さんはさらに話を続けます。
裕さんの見立てでは、金融危機はこの秋以降から来年が本番だそうですが、話はさらに複雑になって私の報告能力を超えるため、あとは省略します。

私の勝手な解釈では、金融資産などには信を置かず、金で資産を形成するしかないということのようです。
しかしそういわれても、私のように、金と言っても昔、歯の治療に使った金歯しかないような庶民には金は手が出ないではないかと言ったら、裕さんが言うには、月3000円からの金の購入システムもあるそうです。あきらめてはいけません。
まあ彼が言うのは、金融機関や政府が発行する紙幣や金融資産などを信じてはいけないということなのでしょう。せめて信ずるとしたら金しかない。
これは実に象徴的な話なのです。
金融システムは、いったい誰のためのシステムなのか、何のためのシステムなのか。
ここでいわゆる陰謀論につながっていくわけですが、今回はそこまでは話は行きませんでした。

話し合いでもいろんな話題が出ました。
電力会社の解体が地域活性化の一歩だとか、食糧自給への取り組みこそ生活防衛だとか、都道府県などやめて地域主権体制に組み替えていくべきだとかなど、裕さんの持論も少し紹介されました。
参加者からも、改めて物を大事にした方がいいというような話も出ましたし、それに関連してシェア経済の話もでました。

庶民にとっての生活防衛とは、実は新しい生き方を創り出していくことなのです。
あるいは政治への関心を高めることなのです。

さらに話を先に延ばせば、「資産とは何か」という問題に行きつきます。私はまさに今、そのことが問われているのではないかと思います。
お金は決して唯一の資産ではないのです。むしろとてももろい資産でしかないような気がします。極端に言えば、個人の「資産」を吸い上げるための仕組みにもなりえるのが金融システムではないかと私は思っています。

そして途中をすべてと飛ばして結論を述べれば、人のつながりや生活圏を育てていくことこそ、生活防衛なのではないかということです。いやそれは防衛だけではなく、生活を豊かにすることでもあるのです。
案内文でも裕さんはこう書いていました。
資産防衛のためゆるい人的ネットワークが必要。これが湯島のサロン?

というわけで、報告は極めて私自身の我田引水の結論になってしまいました。
裕さんの意図から外れているかもしれません。
あるいは参加者の受け取り方とはずれているかもしれません。

どなたか報告を是正していただければうれしいです。
でも改めて「生活のために大切な資産」とは何なのかを考える材料を与えてもえました。生活のために大きく依存している貨幣の危うさにも気づかせてもらいました。

湯島のサロンにも、なにがしかの資産価値?があるかもしれません。
ちょっと元気がでます。

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2023/06/29

■節子への挽歌5675:ぶれない生き方

節子

今日はちょっと自慢話です。
いや、自慢と言えるかどうかは受け取り方次第ですが。

今度地元であるイベントをやりますが、それへの集客状況が少し心配で、地元在住の友人知人に協力を要請しました。
残念ながらイベント当日は、先約がある人が多くて、あまり参加してはもらえないのですが、私の突然のお願いに対して、返事を下さった方も少なくありません。

そのおひとりが、「ぶれずに活動されていて頭が下がります」と書いてきてくれました。
同じような趣旨の返信はほかにもあったのですが、フェイスブックなどで私の活動をそれとなく見ていてくださるのでしょう。
今回、この返信をもらった方は、地元で様々な活動に取り組んでいて、私にもその活動ぶりはよく伝わってきています。
かつて一度、その人とは一緒にあるプロジェクトに取り組んだこともありますが、その時は残念ながら挫折してしまいました。

「ぶれない生き方」
これはうれしい言葉です。
なぜなら、そういう人には私の生き方の姿勢が見えていると思うからです。

私の生き方は、いかにもいい加減で、刹那的・感情的です。
しかし私自身としては、一応、ある理念に基づいているのです。
最近、サロンに来る人から時々言われますが、私の言葉遣いは他者を傷つけるそうです。
でも私には、ほとんどの場合、相手を元気づけるための言葉なのですが、その真意はあまり伝わっていないようです。まあ時に、意図的に皮肉を込めての場合もあるので、誤解されても仕方はないのですが。

フェイスブックなどでの私の書き込みへのコメントを読むと、ほとんど、私の意図は伝わっていません。私にはまったくピント外れのコメントが多いのです。
そういうコメントばかり読んでいると、私の意図はたぶん伝わらないのだろうと思い込みがちです。

でも時には、私のぶれない生き方を感じていてくださる人もいそれはちょっとうれしいことでもあるのです。
でもまあ「ぶれない生き方」とは、決して誉め言葉でないことは私も理解はしています。
第1に、ぶれないで保持している考えが、いいものだとは限りませんし、第2に、ぶれないことは融通が利かないということでもありますので。

でも他者からの言葉は、基本的に誉め言葉だと受け止めるのも私の生き方です。
だからちょっとうれしくなって、こう返答しました。

生き方はぶれないのですが、最近は、高齢のおかげで身体がぶれるようになって困っています。

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2023/06/28

■節子への挽歌5674:私なりの「デクノボウ」人生

節子

今日は川口の国際箸会館に行ってきました。
国際箸学会の総会だったのですが、総会の後にフリートークの会があるというので、そこでのファシリテーションを頼まれたのです。
参加者は全員、面識もあるので、全くの用意なしでの参加でした。
私の役割は、秩序というか状況を壊すためです。

面識はあっても、これまできちんと話したことのない人も何人かいました。
箸学会のこれからの展開に関しては、第三者として私から新たなスキームを以前提案していますが、それがどうもきちんと位置付けられていないため、私としてもどうかかわっていいか困っているのです。

宮沢賢治ではないですが、そこに困っている人がいたら、何かできることがないかと考えるのが、私なりの「デクノボウ」人生なのです。
よくどうしてそんなことをするのかと言われますが、長年の習性なので仕方ありません。
困ったものです。

でもちょっと前に進めそうになりました。
暑い中を出かけて行ってよかったです。

それにしても、参加していた人はみんな善人なのです。
でもどこかで遠慮しあっているのでしょうか。
私のようなぶしつけな存在も、時に役に立つ。

「デクノボウ」的生き方も、いいものです。
まあとても疲れますが。

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■節子への挽歌5673:新潟からわざわざサロンに来てくれました

節子

湯島のサロンには時々、遠方からやってきてくれる人がいます。
昨日は新潟から佐藤裕さんが話に来てくれました。
本当は少人数でゆっくりと話したかったのですが、テーマや案内文がよくなかったのか(いやよかったというべきかもしれませんが)10人を超える人が集まってしまいました。これではじっくり話して、裕さんの魅力を引き出すことは難しいと少し反省しました。

まあそれはそれでいいのですが、時々、裕さんのように、遠方から話をしに来てくれる人がいるのです。
感謝しなければいけません。
せっかく新潟から来てくれたのに、ゆっくりと話す時間がありませんでした。
でもまあ、別に話さなくても、会えればいいのかもしれません。

裕さんとの付き合いも長くなりました。
最初はたしか友人がやっていた集まりでお会いしたのですが、どうしてこんな長い付き合いになったのでしょうか。
きっかけになった共通の友人とは、最近はほとんど交流はなくなりました。
人のつながりは不思議です。

裕さんからメールが届きました。
サロンに参加した人の多様性に、改めて感心したようです。
そしてこう書いてきました。

自己の文脈のなかでしか、情報を処理?できないかな😊

修さんが時々人の不信?におちいり?葛藤している素晴らしさ😊

私に足りない部分😊
生きることは、そういうことなのか?
私とまだ葛藤足りない😔

そう思いました😊

裕さんらしい表現ですが、彼が言いたいことはなんとなくわかるような気がします。彼は私がいろんな人に会って、いろんなことを抱え込むことをいつも心配してくれているのです。
私が、時に、人への不信感などで葛藤している様子を、感じているのでしょう。
そういう付き合いから、私を遮断させようと、去年は用事もないのに軽井沢まで引き出してくれたのです。

裕さんのような形で私を支えてくれている人もいます。
節子がいなくなっても、こうやって私はみんなに支えられている。
その幸せにも感謝しなければいけません。

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2023/06/27

■節子への挽歌5672:サロンの隠れファン

節子

うれしいメールが届きました。
先日のサロンに出た人からのメールです。

昨日は久しぶりの参加で、2回目、しかも、最初は「引きこもり」の息子へのお誘いから始まった繋がりでしたのに、心地良いテ-ブルを囲んでのサロン、あっという間に時間が過ぎてしまいました。

毎回サロン開催の「告知」、その後の「報告」は、しばしば我が家の「食卓での話題作り」に大いに貢献して頂いています。
-マも多岐にわたっていているので、誰かの琴線に触れたりもします。

今回のサロンのテ-マは、告知された時から楽しみにしていて、日程が決まってからは「万難排して伺う覚悟」でしたので、いざ参加したら、「感動」と「疑問」が渦巻いて、度々お話しを遮ってしまったこと反省しております。

(中略)

サロンには、なかなか足を運べませんが、時々届くメ-ルを楽しみにしている「隠れファン 家族」がいることをお伝えして、今回の御礼と致します。まさかこの人がこんなに感動していたかは気づきませんでした。

でもまあこうしたメールが届くとサロンを続けようと思えます。
まあこれとは反対のメールも届くこともあり、気が滅入ることも多いからです。

こういう人に支えられて私はどうも生きているようです。

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■節子への挽歌5671:デモクラットというよりもレピュブリカン

節子

最近、デモクラシーや共和主義に関する本を何冊か読みました。
湯島で改めて「民主主義とデモクラシー」についてのサロンをやろうかと考えたからです。

これまでも何回か、そうしたサロンはやっていますし、5年ほど前には、民主主義とデモクラシーとは全く違う概念だという私の主張を中心にしたサロンもやったのですが、ほとんど通じなかったようです。
またこれまでは、節子もよく知っている武田さんのリンカーンクラブ活動も湯島でやっていたのでその関係で、ある程度自重していました。
武田さんのリンカーンクラブの考え方と私の考え方は、ある意味では真反対だからです。
しかし、武田さんが湯島を拠点としたリンカーンクラブ活動を止めることにしたのでこれからは気にすることもありません。

ところで改めてデモクラシーや共和主義の本を読んで、やはり私は前から自覚していたように共和主義的です。
デモクラットというよりもレピュブリカンというべきでしょうか。

今回、読んだ本で一番印象深かったのは、「思想としての〈共和国〉」というみすず書房から15年ほど前に出版された本です。
レジス・ドゥブレの論考を中心に、ドゥブレと水林章さんや三浦信孝さん、さらには樋口陽一さんが語り合っている本です。

その内容もさることながら、ドゥブレと三浦さんの対談は、私のは感動的でした。
お互い日本でずばずば相手に問いかけ、語り合っている。

その対談の最後の言葉は感動的です。

ドゥブレ:あなたの的確で居心地のよくない質問に手短に答えてみた。
三浦:私のしばしば挑発的な質問をまともに受けとめ、真撃に答えてくれたことに礼をいう。
ドゥブレ:親愛なる友人よ、あなたの鋭くしたがって難しい質問に感謝する。

こういう友人を持ちたかったと改めて思います。
私としては、基本的にはこの精神で誰とも付き合ってきたのですが、なかなか理解はされないようです。

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2023/06/26

■第1回中国現代文学サロン報告

中国現代文学翻訳会の葉紅(ようこう)さんをガイド役にお願いした「中国現代文学サロン」がスタートしました。

予想以上に反響が大きく、当日の参加者も10人。日程が合わずに今回は参加できなかった人も数名いました。これだけでもうれしいことでした。

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最初にどうして参加したかに関してそれぞれが思いを話してくれましたが、やはり中国のことをもっとしっかりと知りたいという思いが多かったように思います。マスコミ報道に飽き足らない人が多いようです。
みんな文学的関心があるとしても、隣人でもある中国の人たちの暮らしを知ることで、相互理解も深まり、仲良くなれるだろうという思いも強いようです。

今回は初回だったので、葉さんは、「中国の現代小説を読むためのウォーミングアップ」と題して、中国文学の「文体」「文字」「発音」そして「小説」の4つの切り口から、とてもわかりやすく解説してくれました。
それ自体、とても興味ある話で参加者からの問いかけで横道に入ってばかりでしたが、そうしたことで中国の人たちの生活や実状に少し触れたり思いを馳せたりできたような気がします。

そもそも中国で「小説」という言葉が最初に出てくるのは、紀元前の『荘子』だそうです。しかしその意味は、とるに足らないつまらない話というような意味で、文学というよりも、口承の世界の話だったようです。
中国で「文学」といえば、詩文といわれる「漢文」「唐詩」「宋詞」、そして「元曲」が長いこと主流でした。しかし、それらは「元曲」はともかく、前の3つは文字を使いこなせないと楽しめません。長いこと、一部の人たちに独占されていたわけです。
そうした状況が変わりだしたのは、20世紀に入ってからです。

そうはいっても、中国には日本でも知られている「紅楼夢」「水滸伝」「三国演義」などの、いわゆる長編小説もあります。これらは、いずれも長いこと、口承文学として、方言による話し言葉で伝えられてきたようです。
これは別に中国だけの話ではなく、識字率の関係で、文字文学は一部の人たちのものであり(したがってそこには「政治性」もあったのでしょう)、過半の人たちが楽しんできたのはどこでも口承文学なのです。

ちなみに、これらは「章回小説」というのだそうです。
これは、長い物語を何回にも分けて語り、物語の鍵となるところで突然話を終わらせて次も聞きたくなるようなスタイルで、まさに今の中国のテレビドラマ(今回のサロンでも話題になったドラマは全40話以上だそうです)を思わせるようなものです。

口承文学は言うまでもなく話し言葉で語られますが、これは「白話文」と呼ばれ、書き言葉の文体である「文言文」とは違います。しかし、古来からの文体文表現は、過度な修辞、典故の依拠、対句表現の重視などのため、難解なわりには肝心の内容を盛り込めにくかったのです。
そこで、20世紀に入ってから言文一致の動きが生まれ、「白話文」こそ生きている言語だとされ、文学においても、魯迅の「阿Q正伝」のような作品が生まれてきます。
しかし逆にそれまでは、むしろ章回小説は口承形式として伝承されてきたようです。

文字に関しては、繁体字(昔ながらの感じ)と簡体字(簡略化した漢字)について概説してくれました。
漢字は文字の数も膨大ですが、その一字一字がとても難しい。そこで識字率が高まらずに近代化の足かせになると考えられて,一時は漢字廃止論さえ出たこともあったそうです。エスペラント語はどうかという動きもあった。

発音は現在、公用語としての普通話と各地の方言がありますが、大きくは標準化に進みながらも、地域文化を大事にしていこうというせめぎあいも起こっているようです。

話を聞きながら、私は言語や文字が国家(政府)にとっていかに大切であるかとともに、それによって一部の人たちが支配構造を守ってきている歴史を感じました。
その一方で、葉さんの話から、中国文学では「発音」と「文字」がとても重要な要素なのだと思いました。文化もまた言葉と文字によって大きく影響される。

葉さんは、孟浩然の有名な「春暁」を中国語で読み上げてくれましたが、韻の踏み方も含めて、流れるようなリズムや日本語にはない発声に、たぶん文字がなければもっと覚えやすく自然に口をついて出てくるようになるのだろうなと思いました。
話し言葉の世界と文字言葉の世界の違いは、おそらく想像を超えるものなのでしょう。

こうした葉さんのお話の合間に、いろんな質疑応答や話し合がありました。
中国ドラマファンの人も数名いたこともあり、ドラマの話も出て、いまの中国への関心も高まってきました。
かくして中国の現代小説を読む準備は整いました。

そして葉さんはこう呼びかけました。

相手への理解は知ることから始まると言います。よその土地で暮らす人々を知るには、そこの良質の小説をよむというのがたいへん有効な方法と考えます。
しかし、言語というハードルでそう簡単に世界中の原書を読むことができません。そこで翻訳小説が役に立ってくれます。
現代の中国の作家が何を書き、世に送り出しているのか、中国で何が読まれているのか、気軽に短編小説を一本ずつ読んでいければと思います。

というわけで、次回から実際に小説を読んだうえで、それを題材にみんなで話し合うことになります。中国の現代文学を通して、葉さんに案内してもらいながら、いまの中国の人たちの暮らしや考え方に触れていければと思います。

まずは短編からで、最初の作品として、葉さんが訳した女性作家桃郡梅さんの「秘密の袋」を読むことになりました。
中国現代文学翻訳会の『中国現代文学』19号に掲載されていますので、参加者は事前に必ず読んできてください。
同誌はネットでも購入できますが、湯島に葉さんが数冊提供してくださいましたので、順繰りに貸し出しています。ご希望の方は湯島のサロンに来た時にでも言っていただければ貸し出します。

ちなみに、案内でも書きましたが、中国現代文学翻訳会は、「いま中国に、こんなに豊かな言語空間を有する作品があることを日本の読者に伝えたい、との思いを共有する中国現代文学研究者・翻訳者の集まり」です。
その活動の一つとして、年2回、小説、詩、随筆等、現代中国の作品を翻訳・紹介する『中国現代文学』を発行しています。https://www.hituzi.co.jp/kotoba/syokai.html

「秘密の袋」以外の小説も読みたい方は、湯島に『中国現代文学』のバックナンバーが数冊ありますので、貸出させてもらいますので気楽にお申し出ください。
次回は108日の予定ですが、だいぶ先なので、どなたか幹事役に手を挙げてくれたら、有志だけでの気楽な集まりも企画するかもしれません。
今回、参加できなかった方も、関心があればぜひご参加ください。

葉さんのおかげで、新しい物語が生まれそうで楽しみです。

 

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2023/06/25

■節子への挽歌5670:バタフライ効果を楽しむのが好きでした

相変わらず最近、あまり調子がよくありません。
気候のせいもありますが、やはり気力が萎えているような気がします。
いや体力の低下も大きいかもしれません。

それでも今日は、午前中は地元の我孫子でのイベントの準備会に参加し、午後は湯島で中国文学サロンをやりました。
いずれもこれから始まる新しい物語の起点になりそうな集まりです。

ところで、以前からこうした「新しい物語」を意識した取り組みが好きでした。
単発の集まりにはほとんど興味がないのです。
小さなイベントが、どんな広がりを起こしていくかが、私の関心ことでした。
いまでいえば、まさにバタフライ効果の行く末を見るのが好きだったのです。

しかし、だからと言って、その物語が大きく育っていくことにもあまり関心がありませんでした。
ですから今もって育っていたり私自身がかかわっているプロジェクトはありません。
もちろんそれが私の生業になっているものは一つもない。
そういう意味では、私の人生は何も残っていない、むなしい人生だったともいえるでしょう。

でもその都度、新しい物語の芽生えを楽しむことができました。
それがどれほど私の世界を広くしてくれたことか。

でもまあ、それがなんだ、と言われてしまえば、その通り。
何も残っていないのですから。

残っているのは、ただ「疲労感」。
困ったものです。

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2023/06/24

■湯島サロン「歯と人権、民主主義 ?!?」報告

草の根歯科研究会など幅広い活動に取り組んでいる歯科医の岡田弥生さんによる「歯と人権、民主主義」は、タイトルの不思議さもあってか、10人を超す参加者がありました。
たしかに、単に「人権」「民主主義」といったテーマだと敷居が高いですが、そこに「歯」という言葉が入るとなんだか親近感を持ってしまいます。その意味で、もっとみんなに「人権」とか「民主主義」のことを考えてもらいたいという岡田さんの試みは、成功だといっていいでしょう。話し合いも盛り上がりました。

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岡田さんは、まず「平和の反対語はなんでしょうか?」という問いかけから話を始めました。
さすがに「戦争」と答えた人はいませんでしたが、ここから岡田さんは、人権や民主主義、さらには日本国憲法へとつなげていきました。
岡田さんは参加者に、「日本国憲法で好きな条文はなんですか?」とも問いかけました。
同時に、岡田さんは気になる条文についても話してくれました。
それから参加者と一緒に、平和とか今の政治のありようとか、話はいろいろと広がりました。

ところで、歯はどうなったのでしょうか。
岡田さんは歯の話もしてくれました。
歯は人間の健康を維持するうえで、とても大切な存在です。
しかし、どうして虫歯などになるのでしょうか。

自然のものを食べ、自然の生命としてきちんと生きていたら虫歯になることも少なく、歯もしっかりとして、健康もしっかり守られるけれど、甘いものを食べすぎたり不摂生したりすると虫歯や機能障害などで心身が平安でなくなってしまう。歯(口腔)はある意味で、人間の健康(平和)のおおもと。
それと同じように、社会の平和のおおもとを考えなければいけない。
岡田さんは、そうみんなに問いかけてくれたように思います。
]人間の健康がそうであるように、平和もまた身近な日常生活から始まるのです。
とても共感できますし、湯島のサロンの理念にもつながっています。

それに対しても、さまざまな意見が出ましたし、その意見をめぐってまた、いろんな論点も出てきました。
もちろん結論が出たわけではありません。
でも岡田さんは、こういう議論を通して、もっとみんなが、たとえば日本国憲法について、あるいは政治の動きについて、人権や民主主義について、関心を持ち生活につなげながら考えたり話し合ったりすることが大切だと考えているのです。

話し合いはなかなか収れんしなかったのですが、話し合いの途中では発言せずにずっと聞いていた参加者の一人が、最後にみんなの話をうまく整理し、加えて自分の意見も簡潔に話してくれましたので、それを紹介して、報告に代えたいと思います。
いつものように、私自身はメモを取っていないので、発言者にお願いして発言要旨を書いてもらいましたので、それを以下に引用させてもらいます。

岡田さんのサロンのテーマは、
「歯も人権も民主主義も疎かにされている!」
だから、その現状を変えていこう、というものか?

現代社会は、一部の軍事拡大路線の派閥によって、歯を含む肉体的な健康、人権という個人の精神性、社会構造としての民主主義が疎かにされている。にも関わらず、現代社会ではその様な問題意識を持つ人が少ない。
そもそも人権について考える機会が乏しいので、人権問題についての意識が低いのは当然か? それは現代人の特徴だろうか? 教育の機会が必要か?

皆さんのお話を聞いていて思った事は、平和とはお互いを分かり合う事であり、相手に理解と共感を示す事だろう。
そうすると、平和の反対とは何か? という質問の答えは、無理解、非共感が蔓延してしまった社会といえるだろう。そういう意味で、現代は日本国内では戦争が起こっていなくても、平和が失われつつあるのかもしれないと思う。

そのため、個人として何が出来るか?

まずは問題意識を持つ事であり、その上で隣人に関心を持ち理解や共感の姿勢を持つことだろう。
綺麗事かもしれないが、綺麗事のない世界は地獄でしかないだろう。

私のまとめよりも、ずっとわかりやすいです。
岡田さんも同意してくださいました。
「個人として何が出来るか」と自問しているところも、うれしいところです。
動き出せば、気づくことも多いからです。

ところで、岡田さんが問題提起したように、こういう話し合いの場はもっとあっていいと私も思います。岡田さんに続いてどなたか問題提起してくれませんか。
持論を話してもらうのも、疑問を問いかけるのも、具体的な行動を呼びかけるのも、いずれも歓迎です。気楽に、人権や民主主義や平和や政治を話し合うサロンを増やしていきたいと思っています。
どなたかやりたい方、やってもいい方がいたらご連絡ください。
お待ちしています。

 

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2023/06/22

■第27回万葉集サロン「歌と語りのあわい 融合する〈わ〉と〈な〉」報告


今回は高橋虫麿の長歌が選ばれましたが、冒頭、升田さんは「今回は古代の言葉の話です」と話しだしました。
歌を読むというよりも、むしろ歌に現れる「言」を通して、古代の人たちの感じ方や考え方、生き方を感じようというのです。
切り口は「な」。


そして、まず虫麿の「詠霍公鳥一首」(ほととぎすを詠む一首)とその短歌を読んでくれました。
そこにはこう詠まれています。

…ほととぎす ひとり生まれて 己(な)が父に 似ては鳴かず 己(な)が母に 似ては鳴かず …「己」が「な」と読まれています。

「己」を「な」と読むのは、たとえば、大国主命の別名「大己貴」(日本書紀)が万葉仮名では「於保奈牟知」(おほなむち)と表記されていることなどからも説明できます。
しかし、「な」といえば、当時も「汝」という二人称的な意味合いだったでしょう。
汝と己が、おなじく「な」と発音され、同じ二人称的な意味合いを持つところに、当時の人たちの「人間関係のありよう」を感じとれるのです。


いまでは「己」は一人称で自分を指しますが、この歌の文脈では詠み手ではなく、ほととぎす、つまり詠まれている相手の「自分」という意味ですから、まさに「汝」の「己」といっていい。
日本語ではしばしば一人称の代名詞が二人称に転換しているという紹介もありましたが、いまでも大阪では、相手のことを「われ」という一人称代名詞で呼んでいます。

虫麿の歌に戻っていえば、「己が父・己が母」の「己」を「な」と読ませ、本来は一人称を指す「己」を二人称として詠むところから人称の転換があると説明されています。
そこに、升田さんは、古代の「な」が文法の規範を越えて、判然として「わ」と融けあっているありようを見ようとするのです。さらにいえば、そこに人間や文学(歌から物語へ)を支える真理の一端を見るのです。

高橋虫麿は、物語へとつづく物語歌への道を開いた人です。

詠む対象(な)に、詠み手(わ)の感情を移入しないと物語はつくれない、と升田さんは言います。そうした過程が、虫麿の歌には読み取れるというのです。
そしてそのキーワードが「な」なのです。


ちなみに、ほととぎすは「托卵」という習性(自分の卵をほかの鳥の巣に置き、誕生した雛への世話を他の鳥に托す)があり、そうした孤独なほととぎすの子への感情移入が、効果的にいかされているとも言います。

心地好い〈た(多)〉の中から、〈な〉の働きかけを受けて育ってきた〈わ〉が、独自の感情を育て、それぞれがまた関わり、共鳴し、共生して、一体化していくことで、大きな力や安心を得ていく。そんな〈わ〉と〈な〉の折り重なる霊の世界を虫麿の歌で升田さんは伝えてくれようとしたのです。
昨今のように、個人が分断されておらずに、〈わ〉と〈な〉が重なるように寄り合いながら生きている、それが万葉の世界だとしたら、いろんな歴史的事件も違ったように見えてくるような気がします。これは、私の勝手な想像ですが。

升田さんは、人麻呂の有名な歌も紹介してくれました。

近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ
「汝」が鳴けば、「己」も古を思い出す、と、ここでも汝と己が共鳴・共振しているのです。その共鳴は、もっと広く、「多」にまで広がっていく…とまでは升田さんは言いませんでしたが。 


今回は、もう一つ大きなテーマが話されました。
「〈な~そ〉(禁止を意味する言葉)から見えてくる古代の禁忌」という話です。
ここから話はさらに大きく広がるのですが、時間切れで、予告的な話に終わった気がします。


私の勝手な感想を言えば、古代の禁忌は神から「汝」〈な〉(と私〈わ〉)を守るという意味があり、たとえば「恋」のような極めて人間的な行為を支えて(認めて)くれていたのでしょうか。
しかし、そこにも「な」が使われていることに興味を感じます。
この辺りは、ぜひとも次回改めて取りあげてほしいと思いますが、升田さんはどんどん先に行くので心配です。


古代の意識のありようは「語」の解釈よりもっと深いところで活発に動いて生きていると升田さんは言いますが、万葉集の世界は、どうも「言葉」を超えて躍動しているようです。
万葉が大好きな升田さんの思いも躍動してどんどん先に行ってしまうのも仕方がないのかもしれません。


参加者のおひとりが、サロンの後、こんなメールを下さいました。

升田さんの万葉集、ただの読解でない、升田先生の深いご思索に、毎回頭ぐるぐる状態で、たくさん刺激をいただいております。

同感です。私は刺激どころか、毎回、報告を書くのに四苦八苦していますが、いつも何か新しい気付きをもらえています。まあ誤解も多いでしょうが。
今回の報告も、升田さんの考えを正確に伝えられているかどうかは自信がありません。

 升田さんはいつも盛りだくさんの話題と資料を提供してくれるので、歌心も万葉集の知識も乏しい私には、いつもついていくのが難しい。困ったものです。

升田さんの万葉集サロンは、実際に参加してもらうのが一番です。

Manyou27

 

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■節子への挽歌5669:高齢者は暇なのか忙しいのかわからない

節子

兄が叙勲を受けたので、いとこでお祝いの会をやろうということになっているのですが、肝心の兄が忙しかったり体調を崩したりでなかなか実現できません。
まあお祝いの会といっても、その実はそれを口実に久しぶりにいとこで会おうというだけの話なのですが。

兄もすでに80代の後半にですが、いとこ会といってもほぼ全員が80代。
なかなかそろうことも少ないのです。
それに私は、そうした集まりがあまり好きではないので、あんまり気も乗らないのです
困ったものです。

ところがその日程調整が意外と難しいのです。
みんな暇なはずですが、とはいえ、それぞれにいろいろとあるのと、何よりも家族も含めての健康状況もある。とりわけ肝心の兄が、いまなお松戸の小学校のボランティア活動などをしているので、意外とみんなが揃う日程が組めないのです。
まあ一人は神戸に住んでいるので、そこから出てこないといけないのですが、彼自身もいろいろ用事もある。

私もそうですが、高齢者は暇なのか忙しいのかわからない。
さてさていつ集まれるでしょうか。

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2023/06/21

■節子への挽歌5668:野草に覆われてしまった畑

節子

やっと畑に行く時間が取れたのと私好みの暑い日差しがあるので、畑に行きました。
またしばらく来なかったため、もう野菜どころではありません。
せっかく草を刈ったところも元の木阿弥。
気が付いたら枝を切ったはずの桑の木がまた大きく復活していました。

今年は畑の収穫も期待できると思っていましたが、どうもまた完敗のようです。
苦労して耕して野菜の種をまいたところは、野菜はほとんどだめで野草畑になっています。
にんじんが見事に花を咲かせてくれているのがせめてものご褒美でしょうか。
アーティチョークも花をつけていました。

夏野菜でリベンジです。
もう一度耕しなおしです。
まあその元気が出てくるかいささか心配ではありますが。

今日は帽子も水も持っていかなかったのと、わが家が留守なので、倒れても誰も気づかない恐れがあるので、もうやめて上がってきました。
元気があれば、夕方再挑戦ですが、どうもなさそうです。
最近どうも疲労がたまっているようで、畑作業を楽しめなくなっています。
困ったものです。

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2023/06/20

■節子への挽歌5667:イルカさんへのメール

坂口さんと話していて、イルカさんのことを思い出しました。
坂口さんによれば、イルカさんは最近、ちょっといささか心配な状況にいるようで、そんな時こそ、湯島のサロンに来ればいいと思うというのです。
それとなく、私からイルカさんに連絡したらというようにも聞こえるつぶやきでした。
といっても、私もイルカさんに会ったこともなく、ただブログでリンクさせてもらっているだけなのです。

でもやはり気になります。
それで私もイルカさんのブログを久しぶりに訪ねてみました。
たしかにイルカさんの周りでも、いろいろなことが起こっている。

そこでイルカさんにメールしました。
こんなメールです。

イルカさん
すっかりご無沙汰しているため、もう忘れられてしまっているかもしれません。
ブログにリンクしてもらっているCWS Privateの佐藤修です。
長らくご無沙汰しています。
その間、いろいろなことがありましたが、いまもまだ基本的にはライフスタイルは変えずにいます。

突然メールしたのは、坂口さんという方から、イルカさんの話題が出たのが理由です。
といっても、イルカさんは坂口さんをご存じないでしょう。
私も親しいわけではありません。

坂口さんは1987年からずっとアメリカにお住いで、現在もボストン住まいです。
ご出身は福岡で、それで毎年日本に帰ってこられます。今も日本に来ています。

坂口さんと私が知り合ったのは、実はイルカさんのブログ経由なのです。
坂口さんはボストンでライブラリアンのお仕事をされていたのだそうですが、ある時、「チボー家の人々」のことを調べていて、イルカさんのブログに出合ったそうです。そしてイルカさんの書かれたものにとても共感したそうで、時々、訪ねているそうです。
坂口さんはネットはあまりやらないそうですが、なぜかイルカさんのブログにリンクしていた私のブログにもアクセスしたのです。以来、私たち2人のブログは時々、読んでいたようです。

たしか2017年だったと思いますが、坂口さんが来日し東京のガーデンパレスに宿泊していた最終日、つまり帰国する当日、ホテルをチェックインして成田に行くまで少し時間ができたことがありました。その時、私のオフィスがすぐ近くだと思い出して、運よく在室していた私と連絡が取れ、訪ねてきてくださったのです。
それが私と坂口さんの出会いだったようです。

長々とすいません。
実は今坂口さんは来日していて、先の土日は私の湯島のオフィスでやっているサロンに出てくれたのです。そこで上記の話を私に思い出させてくれたのです。

さてこれからが本論です。

坂口さんが、イルカさんは今とても精神的に大変な状況にあるようだが、自分の経験からも、佐藤さんがやっているサロンにでも来ると気分転換にもなると思うので、そのことを知らせてもらえないかというのです。
私も、久しぶりにイルカさんのブログを読ませてもらいましたが、いろいろとあったことを知りました。

イルカさんがどこにお住まいか、どんな状況にあるかも知りませんので、いささか躊躇しましたが、坂口さんがとても心配されていて、できれば連絡してほしいと言っていたので、大変ぶしつけかとは思いましたが、メールさせてもらいました。
お許しください。

坂口さんは自分ではネットはやりません。今はスマホも持っていませんし、PCもお持ちではありません。仕事ももう引退しているので、ネットにはめったに触りませんが、時々、公共のPCからイルカさんと私のブログにはアクセスしているようです。
携帯電話もお持ちではないので、いま日本にはいますが、私からは連絡が取れません。
坂口さんはまた帰国前に東京に戻り御茶の水のガーデンパレスに宿泊し、6月29日の午後には、湯島でのサロンに参加されます。

突然の勝手なメールですみません。
当然ながら、無視していただいても結構です。
ただイルカさんの隠れファンがアメリカにもいることをお伝えしておきたかったのと、機会があればいつか坂口さんにお会いになれるといいなと思ったものですから、余計なことをしてしまいました。

お許しください。

さてどういう返信が来るでしょうか。

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■湯島サロン「7回目のサンティアゴ巡礼」報告

7回目のサンティアゴ巡礼から帰国してまだ10日という鈴木章弘さんに、身体的な感覚が残っているうちにとお願いしたサンティアゴ巡礼報告は14人の参加がありました。

Sanchago202306

予想に反して鈴木さんはいたって元気そうで(疲れよりも精気が勝っていたようです)、そのうえ、修道女手づくりのアーモンドタルトケーキを持ち帰ってきてくださり、参加者にふるまってくれました。参加者が多かったため、もしかしたら遅れてきた方にはまわらなかったかもしれません。私も一口いただきましたが、おいしかったです。

今回は、いわゆる「フランス人の道」約900km35日かけて歩いたそうです。
コロナ禍でこの数年、巡礼に行きにくかったこともあり、今回はこれまでになく巡礼者が多く、宿を確保するのも大変だったそうですが、それもまた楽しんできたようです。

鈴木さんは、まずご自分のサンティアゴ巡礼史を紹介してから、今回の巡礼行を決心するまでの経緯を話してくれました。以前なら、行こうと思ったらすぐ決行だったのに、今回は各国のコロナ予防の水際対策が気になって迷っていたそうです。その時に大学時代のゼミの先生の「なにかを「しない」理由をつらつら挙げているうちはその人はなにも「しない」。なにかを「しよう」とするとき、そこに理由は必要ない」という言葉を思い出したそうです。
そして、この数年は、なんでもコロナのせいにすればよかったことに改めて気づかれたそうですが、たしかにその影響がこれからどんな形で表れてくるのか気になります。これはサンティアゴ巡礼とは関係ない話ですが。

その言葉の「押し」があったのかどうかわかりませんが、出発予定日の1週間前にネットで航空券購入ボタンを押して、4年ぶりのサンティアゴ巡礼がスタート。これまで6回も行っていますので、持ち物はほぼ流用。荷物は最小限の4.7kgにまとめ、あとは手荷物。鈴木さんはスマホは使っていないので、現地で入手した地図が頼り。宿の予約もあえてすることなく、これまで通りの巡礼スタイル。

ところが行ってみて驚いたのは、前述の通りの巡礼者の多さです。
とりわけ多かったのは韓国人だったそうですが、日本人も多く、過去5回の巡礼で出会った日本人の総計をはるかに上回る数の日本人巡礼者と出会ったそうです。
たった一人で歩いていた最初に行ったころとは違い、行列をなしての巡礼風景もあったようですが、それでも昔ながらの人間の触れ合いも体験できたようです。

話し合いの時にも話題になりましたが、巡礼路では誰とも気楽に声を掛け合える雰囲気があることもあって、今回も鈴木さんはいろいろな人との出会いを得たようです。
しかもその出会いは、その後も長く続くようです。それもまた巡礼の「つづき」なのかもしれません。巡礼は巡礼路を超えてつづくようです。

鈴木さんは、巡礼最新事情や印象に残った人、ことば、出来事などを、エピソード風にいくつか紹介してくれましたが、一言でいえば、多様な人、多様な考え方、多様な価値観、多様な世界と出会うことが巡礼の楽しさだそうです。観光地化やスマホによるデータ整備などの動きにもかかわらず、鈴木さんはご自分の巡礼ペースを崩さずにこれまで通り、それらを楽しんできたようです。
それに、巡礼も7回目ですが、いつも利用するお気に入りの定宿でも新しい体験を楽しんできたようで、時間的な巡礼も楽しんでいるのです。

巡礼後に到達したサンティアゴ大聖堂での香炉の大振り子にはさぞかし感動するのだろうと思うのですが、意外とそうでもないようです。前回もお話がありましたが、達成感よりもむしろ旅が終わってしまったという寂しさのほうが大きいそうです。
サンティアゴ大聖堂は肉体的な目的地。精神的にはそこはむしろ出発地なのだそうです。それこそが「巡礼」と「旅行」の違いなのかもしれません。

鈴木さんは、今回出会った巡礼者の言葉もいくつか紹介してくれました。
「巡礼しても神からのメッセージは降りてこなかった」(33歳女性/ライター)
900km歩いてもこれからどう生きていくべきか答えは出ていない」(31歳男性/元商社マン)
サンティアゴから帰ってきてから、もう一つの巡礼が始まるのかもしれません。
「巡礼の道で起きることはなにかのメッセージ」(50代女性)と言った人もいたそうです。鈴木さんも、巡礼で得たものを生活に活かす、「
常生活の巡礼化」をよく口にされますが、今回もきっとたくさんのメッセージを受けてきたのでしょう。

参加者の中にも、サンティアゴ巡礼を考えている人も何人かいました。
実際の歩き方などの質問も出ていましたが、サンティアゴ巡礼への関心がこんなに高いことにも驚きです。それはたぶん、いまの世相と無縁ではないのでしょう。

鈴木さんが話してくれたサンティアゴ巡礼の魅力をきちんとお伝えできないのが残念ですが、関心のある方はぜひ鈴木さんにお問い合わせください。きっと喜んでいろいろと話してくれると思います。

ちなみに今回の総責用は約50万円、うち半分が航空券代だそうです。円安もあって、感覚的には費用は倍増だそうです。

またいつか、今度はサンティアゴ大聖堂から始まった巡礼編をお願いしようと思っています。鈴木さんが受けてくれればの話ではありますが。

 

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2023/06/19

■節子への挽歌5666:気に従う生き方になってきました

節子

またまたダウンしてしまいました。
どうもこの頃、調子がよくないのです。
いろいろとまた抱え込みすぎてしまっているからかもしれません。
胃の具合の悪さに加えて、どうも気が出てこないのです。
なにもやる気が起きない。電話さえする気も起きない。
困ったものです。

でもダウンした時には、その状況に素直にとどまるのもいいかもしれません。
以前なら、気で抜け出そうとしたのですが、最近はむしろ気に従うようになってきています。だらだらと過ごしてしまいました

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■湯島サロン「視覚障害者が感じているいまの社会」報告

自閉症で視覚障害の南さんは、最近、交通事故に合いました。
幸いにさほどひどくはなかったのですが、転倒し背中を打って、いまは歩行のリハビリ中です。
しかも自転車に当面乗れなくなったので、仕事ができなくなってしまいました。
経済的にも大変で、サロンどころではないはずですが、どんな時でも前向きの南さんは、歩行のリハビリにもなると、そんななかでもサロンにきて話をしてくれました。
前回の南さんのサロンに参加できなかった方も参加され、改めて南さんの生き方や人生観に触れて感じ入った人もいたようです。

ちなみに今回は視覚障害をタイトルにしていたことから、街中で出合った視覚障害のある人にどう声をかけたらいいかなどの質問が冒頭参加者からありました。
たしかに駅や街中で、白杖を持った人が戸惑っているときにどう声をかけようかと迷う体験をお持ちの方は少なくないでしょう。

南さんはご自分の体験から、具体的に話をしてくださいました。
たとえば、目が不自由な人にはエスカレーターは避けた方がいいこと、声をかける場合は前から、突然の接触は避けるように、などといった話を、視覚障害の当事者としての気持ちも含めて話してくれました。
駅や道路にある黄色の点字ブロックに関しても、その色も含めて、いろいろと問題があることも話してくれました。

南さんのように、当事者の気持ちをあっけらかんと素直に話してくださる方はそう多くはないでしょうが、そうした南さんの体験や思いなどを聞いていたら、実際に目の不自由な方への接し方も変わるはずです。
参加者のなかからは、南さんの体験をコミックや本にして広めたらという提案もありました。私もそうだなお思ったのですが、意外にも南さんは、コミックや本にするとどうしてもいろいろと「盛り込まれて」しまうのでといいました。
私が今回のサロンで一番印象的だったのは、その時の南さんの反応でした。
でも私にはちょっと魅かれる案でした。どなたかトライしてみませんか?

南さんはまた、これまでのみずからの人生やいまの社会をどう感じているかなどに関しても話してくれました。
前回も感じたことですが、南さんは自らが置かれた環境を「言い訳」に使うことなく、逆境さえからも学び活かしているのです。そしてその姿勢が、もしかしたら南さんを守ってくれているのかもしれません。その姿勢には学ぶことが多い。

また社会に関する評価や受け止め方には、私には共感するものも共感できないものもありましたが、いずれにしてもしっかりした自分の意見をお持ちです。逆説的ですが、見えにくいからこそ見えているのかもしれないと思いました。
視力はよくても、社会を見ようとしない人やあまり見えていない人もいます。
いや見えればこそ見えなくなっている人も少なくない。

今回もまた南さんからはたくさんのことを学ばせてもらいました。
特に「障害」とか「自閉症」とかという言葉について、やはりもう一度考え直したくなりました。

と同時に、南サロンのようなサロンを増やせていけないかと思いました。
南さんのように、自分の思いを一度、サロンで話してみませんか。
話してどういう意味があるのかわかりませんが、自分を少しだけでもさらけ出すと何かが変わるかもしれません。
基本的には湯島サロンでの個人に属する情報は原則「オフレコ」ですので、話したい人、ぜひご連絡ください。

Minami200

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2023/06/18

■節子への挽歌5665:メロンとサクランボ

節子

今日は万葉集サロンに参加している茨城の津崎さんが、お土産にメロンを持ってきてくださいました。
私と万葉集サロンの講師役の升田さんと私へのお土産です。
津崎さんの親戚の方がメロンを栽培されているのだそうです。
茨城のメロンは有名です。

帰宅したら山形の佐藤一大さんからサクランボが届いていました。
電話したら、この4月からまちづくりデザイン課長に昇進していました。
面白そうな仕事ですが、実際には大変な課題を抱えているようです。
若ければ協力したいところです。

というわけで、今日の節子の供え物は盛りだくさんです。
ベランダでなりだしたミニトマトも供えてあります。

加えて、ユカが節子が好きだったカサブランカが安く売っていたと言って買ってきましたので、香りも部屋中に広がっています。
節子にも届いているでしょうか。

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■節子への挽歌5664:坂口さんの来訪

節子

節子がいなくなってから知り合った人の中に、ボストン在住の坂口さんという方がいます。
坂口さんは、このブログに出合い、私を訪ねてきてくださったのです。
坂口さんは毎年来日していますが、その機会にぜひ万葉集サロンに参加したいということで、今回は日程まで調整してくれたのです。

それで今日、サロンの前に、万葉集サロンの関係者でもある升田さんと葉紅さんにも声をかけて、ゆっくりとお話しすることにしました。
坂口さんは、来日して東京に滞在するときには、御茶ノ水のガーデンパレスを定宿にしているそうですが、湯島のオフィスのすぐ近くです。

升田さんたちがやってくるまで、坂口さんと二人でゆっくりとはなあしました。
こうしてゆっくり話すのは久しぶりですが、改めて坂口さんがなぜ湯島にやってきたかという話を聞かせてもらいました。
前にもお聞きしているかと思いますが、最近ではもうすっかり忘れてしまっていました。
出会いのきっかけは、イルカさんという方が書いているブログでした。
そういえば、イルカさんのこともすっかり忘れてしまっていました。

升田さんと葉紅さんが来たのが遅かったので、食事は隣のサミットでサンドウィッチなどを買って部屋で食べることになりました。
ところが、そのサンドウィッチや果物を買う段になったら、坂口さんが支払いをしてしまったのです。
坂口さんが言うには、少なくとも佐藤さんよりも私の方がリッチだというのです。
それはたしかに事実でしょうが、その言葉の勢いに私は負けてしまいました。
一緒に行った葉さんも坂口さんには勝てませんでした。

それにしても、坂口さんも葉さんも初対面なのですが、この親近感はいったい何なのだろうかとちょっと、というか、とてもうれしい気分になりました。

坂口さんは、私のブログを読んで、自分のことをあまりに書き明かしていることに驚いたそうですが、そういう私の姿勢がおそらくこうした雰囲気を生み出したのではないかと勝手に思ってしまいました。
自らをさらけ出す。
そのことがいかに生きやすくするか、を私は体験し来ていますが、それによって煩わしさや傷つくことも発生することもありますが、それもまたあっけらかんと書き放っているといつの間にか乗り越えられるものです。

それに今日は、坂口さんのおかげで、改めて葉さんのことも理解が深まりました。
坂口さんに感謝です。
お土産にボストンのチョコレートをもらいました。

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■湯島サロン「今、子どもたちと過ごす中で思うこと/改めて不登校について考える」のお誘い

2020年のユニセフのレポートによれば、日本の子どもたち(15歳)の精神的幸福度は38か国中37位だそうです。今春スタートしたこども家庭庁がさらに幸福度を下げないことを祈るばかりです。
子どもたちの世界は、たぶん私たちの社会の未来を示唆しています。しかし、それがなかなか見えてこないのがもどかしい。

今回は長年、子どもたちの世界に触れてきている木村砂織さんに、話題提供/問題提起をしていただこうと思います。
木村さんは、現在は私立の不登校特例校で活動されています。フリースクールにもかかわったこともあり、子どもたちの「学びの場」や「教育の場」を通して、子どもたちとずっと触れ合ってきた方です。

「不登校特例校」という制度を私は知らなかったのですが、昨年度、不登校特例校300校全県配置という方針が出て、木村さんがいまいるのもその一つです。
学校制度もどんどん変わってきているようです。

しかし、最近、私が読んだ小国喜弘さんの「戦後教育史」(中公新書)に、「現場を通して見えてきたのは、政治に翻弄される学校の姿であり、そのなかでの子どもたちの不幸だった」と書かれていました。
学校現場で今何が起こっているのか、とても知りたくなったのです。
https://www.facebook.com/photo/?fbid=10211037227042488&set=a.1319286038109

「不登校」に関しては昨年2回サロンを開催しました。最近では「不登校」の捉え方も変わってきていると思いますが、学校現場から見るとどうなのでしょうか。
木村さんは、今回できれば、「不登校」を切り口に、今一度不登校とは何なのか、ということを参加者と一緒に話し合いたいと言っています。

昨年のサロンでもそうでしたが、「不登校」を切り口にすると、ただ子どもたちの世界だけではなく、大きな時代の流れや私たち自身の考え方・生き方も見えてくる気がします。
という意味で、ぜひ年齢を問わず、さまざまな立場の人に話し合いに来ていただきたいサロンです。現場での発見は、いつも書籍やマスコミ報道からは得られないものが見えてきますので。

〇日時:2023年7月27日(木曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「今、子どもたちと過ごす中で思うこと/改めて不登校について考える」
〇話題提供者:木村砂織さん(社会福祉士)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2023/06/17

■節子への挽歌5663:朝の鳥たちがにぎやかです

今日もいい天気です。
まさに畑作業日和ですが、今日も明日も朝から用事が入っていていけません。
心配ですが、早朝に出かけるにはまだ体調が戻っていないのです。

出かける前に部屋で陽射しを浴びてのんびり外を見ていました。
この雰囲気がとても好きですが、久しぶりな気がします。
最近少し余裕を失っていた気もします。
昔に比べれば、何もしていないほどの用事なのですが、なぜか余裕がない。
困ったものです。


会社を辞めたころの人生設計では、今頃は節子と一緒に自然の中でのんびりと朝食を食べていたはずなのに、などと思っていました。
もうそういう生活は来ることはないでしょう。

今日は久しぶりのいい朝のせいか、鳥たちの声がにぎやかです。
そういえば、節子も「また取りになって戻ってくる」と言っていました。
あの鳥は節子でしょうか。
いやに今朝はにぎやかです。
でもあれは違いますね。節子の雰囲気とは全く違いますので。

さてそろそろ出かけます。
今日も盛りだくさんの予定です。

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2023/06/16

■節子への挽歌5662:もう夏の空です

節子

今日は暑い日でした。
朝から湯島で人と会っていましたが、午後解放されました。
元気だったら東博にでも寄ろうかと思っていたのですが、残念ながら今日もまだあまり調子がよくありません。

実は朝から聴覚の異常が起こっていたのです。

自分の声が身体の振動となって反響するのです。
朝からの来客と話していてもどうも調子が悪い。
まあ30分くらいしたら正常化したのですが。
しかし、どうもまだ本調子ではないのです。

それでやはり今日はおとなしく帰宅することにしました。
帰りの電車から見た空が、まさに夏の空でした。
それを見ていたら、不思議なことに元気が出てきました。
元気だけではなく何かをやりたくなってきました。
これで最近の「不調」から抜け出せるかもしれません。

ちょっとうれしいメールもありましたし。

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2023/06/15

■湯島サロン「農福連携のこれまでとこれから/農福連携のもう一つの本質」のご案内

「農」も「福祉」も実践しながら農福連携のあり方を実践的に研究している熊本の宮田喜代志さん(コミュニティの学校100年ボンド 農業+福祉コーディネーター)に久しぶりにサロンをお願いしました。

宮田さんは、日本における農福連携の先駆者のおひとりですが、ますます活動の場が広がり、農福連携に関する考えも深まってきているようです。
今回は、これまでの活動を通して宮田さんに見えてきた「農福連携の本質」についてお話しいただくとともに、農福連携がどこに向かっていくのかの示唆ももらえると思います。
もちろん、各地での事例も含めて、ご自身が昨年取り組んだ「コミュニティの学校100年ボンド」プロジェクトのお話も聞けると思います。

https://www.100nenbond.com/kyuuminyokin-pjt?fbclid=IwAR1ZcU7Wn5hZq1k3MX-MNYZn_4zBaTBpHj4EipRkGHTqFiXyEZfTshJX6x8

宮田さんが取り組んでいる「農福連携」は、これまでのサロンからもわかるように、農業政策や福祉政策にとどまらず、「これからの生活コミュニティ」を視座に置いています。生活を支えるのは福祉と食と農、と考えているからです。
昨今の経済成長の世界とはまったく別の経済がそこにあるように思います。いま政府が提唱している「新しい資本主義」とは全く次元が違う経済へのヒントが見つかるかもしれません。宮田さんにとっての「農福連携」はとても深いのです。

まあそんな大仰な話とは別に、個人的な生き方を見直すヒントも、いつものようにたくさん示唆されると思います。農福連携という言葉から、何か専門的な話のように感ずるかもしれませんが、食や福祉はだれの生活にも深くつながっていますので、ぜひ多くの方に、気楽に参加していただきたいと思います。
久しぶりに宮田節に触れるのも元気が出ますし。

○日時:2023年7月14日(金曜日)午後2時~4時
○場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
○テーマ:農福連携のこれまでとこれから/農福連携のもう一つの本質
○話題提供者:宮田喜代志さん(コミュニティの学校100年ボンド 農業+福祉コーディネーター)
○会費:500円
○申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

 

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■節子への挽歌5661:壮絶な人生

節子

壮絶な人生を送りながらもなお明るさを失わず、前に進む生き方をしている人に時々で会いますが、今日もそういう人が会いたいというので会うことにしました。
実は昨日の胃の痛さが完全に抜けておらず、行けるかどうか心配だったのですが、まあ彼女(女性です)の苦難に比べればたいしたことではありません。

ちょうど会う時間がランチに重なるので、一緒に食事をしながらと思っていましたが、彼女がお弁当を買ってきてくれました。
経済的にも今大変な状況なのに、と思いましたが、あえてごちそうになることにしました。
壮絶な人生を送っている人ほど、そういうところはしっかりしています。
湯島のサロンにはフリーライダー的な人も何人かいますが、しっかりと生きている人はそういうことはありません。
彼女にとっては、500円のお弁当はそれアンリの負担のはずです。食費は月2万とも言っていますし。

今日は改めて彼女の人生をききました。
久しぶりに疲れましたが、胃の痛みどころではありません。
問題は私に何ができるか、です。
こういう時にはつくづく、お金をしっかりと保持しておけばよかったという反省です。

話を聞いた直後は疲れただけでしたが、数時間後に、また胃がおかしくなってきてしまいました。
ほうほうの体で、帰宅。
こらえ性がすっかりなくなってしまいました。

困ったものです。

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2023/06/14

■節子への挽歌5660:体力劣化に従うか、抗うか、それが問題

節子

またダウンしてしまいました。
まあさほどではないのですが、また胃が痛くなり、このままだとダウンしそうだという予感が出てきたのですが案の定、だんだん状況は悪くなってしまいました。
食生活の関係かもしれません。

今朝はサニーレタスを一株ぜんぶ食べてしまったのです。
いつもは2~3枚なのですが、今日は朝、やけに空腹感があったのです。
まあ野菜だから胃にはそう負担はないだろうと考えたのですが、どうもそれがよくなかったようです。
朝食後、しばらく横になっていましたが、だいぶ良くなっていたので、またお腹がすいてきた。
それで今度は、またバナナと冷凍の今川焼を食べてしまったのですが、食べたらまたすぐに胃が痛くなってきました。
やはり食べすぎなのです。
まあ原因がはっきりしたので、休むことにしました。

そんなわけで、今日は一日、病人のように過ごしました。
生野菜の食べ過ぎもよくないようです。

しかし身体機能はだいぶ衰えているようです。
衰えを素直に受け入れるか、あるいは抗って身体機能を強化するか、悩ましい問題です。

 

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2023/06/13

■湯島サロン「長崎の原爆をもっと思い出してほしい」報告

先日の広島でのサミットには失望した人も少なくなかったと思いますが、それも多くの国民の、つまり私たちの意識を反映しているのかもしれません。
最近の原発に対する世論調査結果にも驚きます。3.11の体験を多くの人たちは忘れてしまったようです。
記憶はどんどん忘れられてしまいます。

いうまでもなく、私もまたその例外ではありません。
そのことに気づかせてくれたのが、時々サロンに来てくださる長崎出身の鐘ヶ江さんでした。長崎では今も、原爆が投下された89日の午前112分に1分間の黙祷を捧げることが行われていることを教えてくださいました。
改めて、長崎・広島・福島の体験をサロンで取り上げようと思ったのです。

その第1回目は、鐘ヶ江さんに長崎で今もなお続いていることを紹介してもらいました。今回の参加者は8人でしたが、それぞれに思いのある方ばかりでした。象徴的だったのは女性のほうが多かったことです。

鐘ヶ江さんは2冊の本をもってきてくださいました。
「ナガサキの原爆読本(全4巻)」と「長崎の証言」です。
前者は昭和47年(1972年)に出版されたものですが、学校などでも販売されたようで、長崎では多くの家にあったそうです。サロンには長崎出身の方がもう一人参加されていましたが、その人の家にもあったそうです。
全4巻とありますが、「雲になって消えた」「原子野のこえ」「夾竹桃の花さくたびに」「三たび許すまじ」で、子どもでも読めるような読みやすい本です。
「長崎の証言」は、被爆体験者の声を集めたもので、「長崎の証言の会」が昭和43年(1968年)から定期的に出版しているものの1冊です。

また広島サミット閉幕翌日と翌々日の長崎新聞も持ってきてくれました。
そこにはやはり原爆とのつながりで広島サミットが報道されています。全国紙での関東地域での報道とはかなり違う印象を受けます。

長崎では今も89日は(夏休み中にもかかわらず)登校日になっているそうです。
そして112分に全員で黙祷。もちろん子どもたちだけではなく、その時刻には黙祷する人も多いそうです。みんなが心を一つにして祈りをささげる。
登校して祈るだけではありません。
学校では小学1年生から「平和学習」が行われていて、6月くらいから89日に向けて、それぞれが平和に関して、自分で調べ、話を聞き、考えることがつづいているそうです。
こうしたことは長崎県のサイトに詳しく紹介されているということです。私もサロンの後で調べてみました。みなさんもぜひ機会があれば見てください。 

平和学習では被爆体験者などから話を聞くことも多いそうですが、被爆者や関係者も、そうした活動に積極的に協力しているそうです。しかし、だんだんとそういう人も高齢化し、少なくなってしまっている。鐘ヶ江さんもそれが心配のようです。

ちなみに、たとえば小学1年生の平和学習では「仲良くしよう」というようなことが話されるようです。決して「平和教育」ではなく、あくまでも「学習」。そこに私は大きな可能性を感じました。私は、平和教育と平和学習は似て非なるものだと思っているからです。
平和学習は学校で終わるわけではありません。そういう活動が、たとえば「長崎の証言の会」のような活動にもつながっているのでしょう。子どものころに学んだことは、長崎の人たちの生き方につながっていて、それが大きく育っているわけです。

鐘ヶ江さんは、長崎を出て今は横浜で暮らしていますが、横浜では黙祷もないし、平和学習という特別のカリキュラムもない。そこに違和感をお持ちになり、何かしなくてはという思いが生まれてきた。それも長崎で育ったからでしょう。そこに大きな意味があるような気がします。長崎出身の人たちの意識は、そうでない私とは違うのです。

話し合いも示唆に富むものが多かったのですが、3点だけ紹介しておきます。

ひとつは私自身ずっと気になっていた、なぜ長崎被爆のシンボルが浦上天主堂ではなく平和祈念像なのかということです。長崎の人たちも浦上天主堂を残したかったのだという話を聞いてとても安堵しました。そして、いまからでも遅くないので、平和式典の開催場所を変えてほしいと思いました。そうすれば世界の人たちの長崎を見る目は変わるでしょう。
2019年にフランシスコ教皇が長崎を訪問した時も、平和祈念像には立ち寄りませんでした。その意味を私たちはもっとしっかりと考えなければいけません。

それにも関連して、教皇来日時にも、「核時代に懸ける人類生存の橋」などと新聞に寄稿されていた本間照光さんも参加されていたので、本間さんからそうした問題提起も出されました。
広島・長崎、そして福島。それらの根っこは一つです。
いずれも私たちが核時代に生きていることの意味を問い質しているのですが、私たちにはどうもその感覚が弱い。本間さんはそこに危機感を持ち続けているのです。

参加していたある企業の経営者の方は、核の恐ろしさをもっと簡単な一言で表現し大きな波を起こせないかという提案をされました。原爆と原発がつながっているという認識は、3.11やウクライナ戦争で、だいぶ広がりましたが、まだ十分には結び付いていません。3回の体験をした私たち日本の役割は大きいと思いますが、なぜかその3つも「分断」されてしまっているような気がします。

3つ目は「祈りの大切さ」です。
「祈りの長崎、怒りの広島」と言われますが、私自身この言葉には違和感があります。被爆(被曝)関係者にとっては、祈りも怒りも同じものだと思うからです。
参加者のおひとりが、祈ることの大切さを話してくれました。
彼女は、祈りの時に大きなエネルギーを感ずると言います。同じ時間にみんなが祈ることで大きな力が生まれている。個人の祈りは決して無駄ではない、と言うのです。
少なくとも彼女はそれを実感できている。
私もサロンの翌日から毎朝、平和への祈りをすることにしましたが、8月9日には今年からきちんと祈ろうと思いました。昨年までは黙祷は8月6日だけでしたが。

いつもながらの散漫な報告になってしまいました。
しかし改めてやはり当事者の生活に根差した話を聞くことの意味を強く感じました。
できれば引き続き、広島や福島を軸にしたサロンをつづけ、8月9日の午前には長崎の人たちと一緒にみんなで黙祷するサロンを開催したいと思います。

どなたか広島、あるいは福島の話をしてくれる方はいないでしょうか。
ぜひ開催したいので、ご連絡をお待ちします。

本間さんの毎日新聞への寄稿記事を添付させてもらいます。
核時代をどう生きるかに関しても、いつか本間さんにサロンをしてもらおうと思っています。

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■節子への挽歌5659:湯島のエアコン交換完了

今日は一日中湯島でした。

エアコンの取り換え工事日だったのです。
前日または当日の朝、工事時間の連絡があるはずだったのに連絡がなかったのです。
前回も同じような感じで結果的にキャンセルしたのですが、今回はキャンセルせずに連絡を待つことにしました。そのため、午前中の用事のほうをキャンセルして湯島で待機していたのです。
結局、連絡がないので販売店に連絡、3時前後に来ることになりました。
判明したのが10時過ぎ。困ったものです。

ちょうどその時、ネット回線関係の会社の人がやってきました。
いつもなら玄関でお断りですが、今日は暇だったので入れてしまいました。
私の部屋の回線やルーターを調べて、古いので変えたほうがいいというのです。
費用はかかるが毎月の料金は安くなるというのです。
今どこと契約しているのか、請求書はどこから届くかと聞かれましたが、私自身把握していません。それでその人に私のパソコンで調べてもらいましたが、だんだん不安になってきました。
さらに銀行口座引き落としの印鑑まで要求されました。なんだか自分が詐欺の相手をしているような気もしてきたのですが、とても素直な若者です。
それで雑談をすることにしました。そしてまあこの人なら大丈夫だと確信してすべてを任すことにしました。

まあこれがよく起こっている詐欺被害のスタイルなのかもしれません。
だまされる人の気持ちがよくわかります。
結局、その人に湯島のサロンを紹介し、一度、参加しないかと誘いました。
もし仮に彼が詐欺の関係者だったらサロンをしてもらうのも面白いですし。

でも残念ながら彼は善良な人で、名刺の会社もきちんとした会社でしょう。
話していてそう確信しました。
で結局、契約書に捺印しました。
まあ、だまされるということはこういうことかもしれませんが。

でも誤解のないように。今回のは詐欺でも騙しでもないのです。
彼はまじめな若者なのです。まだ今の仕事は3年目ですが。

そのあと、今度は待ちに待ったエアコン取り換え業者が来ました。
こちらも若い人で、助手はベトナムから3か月前に来日した人です。
業者の人が荷物を取りにいなくなった間、助手の人と話しました。真面目そうな若者です。
この人も何か困ったことがあったらサロンに来るといいと誘いたかったのですが、いささかそれはやりすぎなのでやめました。
でも海外から日本に働きに来ている人たちが、困ったことがあったら気楽に相談にけるような場があるといい。湯島をそういう場にもしたいのですが。

エアコン工事は無事終わりました。
これでもうサロン参加者から苦情は出ないでしょう。私はエアコン嫌いですが、参加者の多くは好きなのです。これまた困ったものです。

別れ際にベトナム出身の助手に「がんばってね」と声をかけたらうれしそうでした。
エアコン取付工事は、追加費用が必要になって慌ててしまいましたが、引き出しなどを探したら、何とか支払えました。しかし予想外の出費で、現金もいつも持ち合わせなければいけないことを思い知らされました。
ちなみにエアコン取付の人もとてもいい人で、東京都のエコ還元を使えば、1万円以上戻ってくるかもしれないので追加料金に充当できますよ、と教えてくれました。残念ながら私は千葉県民なのでその恩恵は受けられません。

というわけで、昨日はとてもいい人たちと会えたので、なんだか気分が明るくなりました。
現場で汗して働いている人には悪い人はいませんね。
やはり私も現場で汗しなければいけません。

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2023/06/12

■節子への挽歌5658:昔の写真

節子

昨日話題になった水俣の吉本さんの写真を探そうとデータを調べていたら、家族みんなでディズニーランドに行った写真が出てきました
もうすっかり忘れていましたが、写真を見るといろんなことを思い出します。でも写真というのは、一人で観てもあまり楽しくはありません。

家族旅行の写真は、娘たちも登場しますので、娘と一緒に見ればそれなりに楽しいですが、節子と2人だけの写真は正直、あまり見たくはありません。
一人で見ていると逆に寂しさがつのるからです。
節子が残したたくさんのアルバムや写真は、いまでは誰も見ることなく残されています。
写真はあまり撮るものではないのかもしれません。

かといって今残されている写真を廃棄する気にもなりません。
さてどうしたらいいでしょうか。
節子が残したアルバムを廃棄したら、だいぶ片付け空間が広がります。

いや写真だけではありません。
段ボール箱いっぱいに、写真のネガも残されています。
それもまだ捨てられずにいるのです。
困ったものです。

今日は肌寒いような雨の1日です。
いささか疲労がたまったので、今日は怠惰に過ごしています。
今日中にやるべきことを朝、7項目も上げて書き出しておいてあるのですが、なぜかまだ一つも手を付けられずにいます。こういう状況がこの数日続いているのです。
これもまた困ったものです。

今日はどうも手が付けられそうもありません。
気持ちに素直に生きることも、それなりに大変なのです。
でも今日は幸いなことに心を乱すメールも電話もありませんでした。
いい1日だったのかもしれません。

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2023/06/11

■節子への挽歌5657:水俣の吉本さん

今日は大忙しの日でした。
午前中は我孫子で「はじまり場サロン」。
午後は湯島でオープンサロン。
しかもその間に、霜里農場の友子さんが湯島に野菜を持ってくるというので、サロン前に湯島に行きました。
湯島は何人かの人が鍵をシェアしているので、今回は近くに住んでいる升田さんに早めに行ってもらい、友子さんと話していてもらうことにしました。
我孫子の集まりが終わる時間に床に迎えに来てもらい、そのまますぐに湯島に向かい、何とか1時につきました。

以前はこういう過ごし方が多かったのを思い出します。
いろんな用事を詰め込んで、綱渡りのように毎日を過ごしていた時期もあります。
一時期は私も「仕事人間」で、そういう時間を綱渡りするような生活を楽しんでいたのです。そのことを思い出しました。

湯島ではもう2人で食事も終わっていました。
いつものように友子さんが持ってくる特製おにぎりです。
いろいろと話しているうちに、友子さんが先月、熊本で地元学の吉本さんに会ったという話が出てきました。
地元学の吉本さん。懐かしい人です。

吉本さんは、私に水俣のことを体感的に教えてくれた人です。
水俣の杉本栄子さんにも会わせてくれましたし、宮崎県の綾町の郷田さんのところにも連れて行ってくれました。私の生き方に大きな影響を与えてくれたひとりです。湯島にも来てくれたこともありますし、私が関わっていた山形にも講演にきてもらいました。
もう20年以上お会いしていませんが、友子さんの写真を見ると、おかしな言い方ですが、ますます「吉本さんらしく」なっていました。

実は1か月ほど前に湯島の資料を整理していたら、吉本さんと最初に出会って、水俣を案内してもらった時の写真が出てきました。いつものようなシンクロニシティです。
鹿児島空港での最初の出会いも決して忘れられないものですが、彼の家に泊めてもらい、朝起きたら誰もいなかったことなど、退屈な生き方をしていた私には実に刺激的な3日間でした。
そこから始まったいろんな出会いも思い出されます。

写真を見ていたら、いろんなことを思い出してしまい、いまの生き方を少し見直したくなりました。
まだ変えられるかもしれません。

考えてみると、私の人生にも実にいろんな人との出会いがありました。
それらを活かしてこなかったことが少し悔やまれます。
たぶん私には世界が見えていなかったのでしょう。

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■節子への挽歌5656:ガイアへの祈り

節子

ウクライナ戦争のおかげか、いま世界中の電子機器が不調を起こしているという話を昨日、ある人から聞きました。その人は植物とも毎日話し合っている人です。
気候の変調だけではなく、いまガイア(地球生命体)自身も変調しだしているのかもしれません。

それに関係しているのかどうか、この1か月、私自身が心身共に変調をきたしていますが、同時にパソコンは3台がいずれもおかしくなり、マウスが4つとも作動しなくなり、しかも昨日は湯島のコピー機まで動かなくなりました。
考えてみるといろいろとおかしなことが起こっている。
彼岸ではどうですか。

昨日のサロンに参加した人が、「祈り」の大切さを教えてくれました。
みんなが「祈る」ことの大切さです。
私のルーチンに、毎朝、1分間の「祈り」を加えることにしました。
ガイアへの祈りです。
病んでいるのは私たち人間ではなく、ガイアなのかもしれません。
節子への呼びかけの後なので、節子も一緒に祈ってください。

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2023/06/10

■節子への挽歌5655:気分転換できそうです

節子

久しぶりに今日は湯島に出かけます。
午後からサロンですが、午前中に別件があり、昼食は小宮山さんと一緒です。
今日は4件、明日は3件の用事を入れてしまいました。
でもこれで生活リズムの変調を正せるかもしれません。

最近、睡眠時間が少し遅くなっています。
もしかしたらそれが心身変調の理由かもしれません。
といっても10時過ぎには寝ているのですが。
今日からまた9時就寝・5時起床に戻そうと思います。

今朝は陽射しこそありませんでしたが、気持ちのいい朝です。
おかしなもので、天気が心身に影響を与えると同時に、心身の状況で、天気への感じ方が変わります。
今朝は、雲の多い朝でしたが、なぜか気分が爽快です。
久しぶりに湯島に行くからでしょうか。

8時に小宮山さんから電話がありました。
今日の昼食の確認です。
このところ小宮山さんにはお世話になりっぱなしです。
湯島が何とか維持できているのも小宮山さんのおかげなのです。
しかし小宮山さん自身はそんなことを全く思ってはいないでしょう。
不思議な人です。

湯島に維持に関して、心配してくれる人は少なくありません。
しかし言葉で心配してくれる人は実際には言葉で終わってしまいます。
そういう体験を重ねていますので、言葉は一切、信頼しません。
でも言葉なしで支えてくれる人がたくさんいるため、何とか湯島を維持できているのです。経済的にも精神的にも、です。

久しぶりの湯島はどうなっているでしょうか。
この間、湯島でもいろんなことがあったようです。
実際に湯島に行った人たちからいろいろと連絡があるのです。
例えば、湯島では使っていない浴槽に水が入ってしまい、大変だったこと。
メダカが全滅してしまったこと。
そんなこともあったのですが、それぞれをまた別の人がしっかりと対応してくれているようです。
湯島はもう私なしでも続けられるのかもしれません。

しかし、その一方で、湯島を私の墓にしようという人まで現れているのです。
困ったものです。
どこにいろというのでしょうか

 

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■湯島サロン「いま沖縄で進んでいる軍事基地化をどう思いますか」のご案内

日本がいまどんどん戦争に向かって進んでいるような気がしているのは私だけではないようです。

湯島サロン仲間のnikoさんの呼びかけで、先日、湯島でも沖縄を中心とした南西諸島で進んでいる軍事拠点化の動きを追いかけている三上智恵さんの映画の上映会が開催されました。
7人の方が参加されましたが、nikoさんは、もっと多くの人に見てもらいたいということで、湯島のサロンでも改めて開催することにしました。
同時に、nikoさんたちはこれまで続けてきた平和サロンも引き続き継続することを決めたそうです。私もできるだけ参加するようにしたいと思います。
そして、この上映会を契機に、平和サロンの活動も広げていければと思います。私にできることも見つかるかもしれません。

沖縄の様子は、なかなか伝わってきませんが、時々、沖縄の知人からきな臭い話が届きます。でもウクライナよりも、その実態が実感できずにいます。私の生活につながっているはずなのに、です。

三上さんの活動に関しては、ぜひ添付の新聞記事をお読みください。

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今回は、三上智恵さんが撮りつづけている沖縄、南西諸島のここ数年の軍事化が進む様子のドキュメント映像(45分ほどです)をみんなで観た後、話し合えたらと思います。
映像の力は大きいですから、きっと何かの示唆が得られるはずです。

nikoさんは、すでに数回上映会も開催され、そこでの参加者の感想も聞いていますので、その紹介もあると思います。
また実践者のnikoさんですから、これからの活動に関する呼びかけもあるでしょう。できれば平和サロンに関してもみんなで話し合えればと思います。

お忙しい毎日でしょうが、いまここで動いておかないと後で後悔することになるかもしれません。
なお、今回は自由カンパ制として、三上さんの映画製作費に役立ててもらおうと思います。
みなさんのご参加をお待ちしています。

〇日時:2023年7月17日(月曜日/海の日)午後2時~4時半
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「いま沖縄で進んでいる軍事基地化をどう思いますか」
〇問題提起者:小室nikoさん(EQ(一休)スマイル主宰)
〇会費:自由カンパ(三上さんの活動に提供させてもらおうと思います)

〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2023/06/09

■節子への挽歌5654:心身からまた悪しき電磁波が出ているかもしれません

節子

どうもおかしなことが続発しています。
生活リズムや心身の変調は、周囲へも影響を与えるようです。
私の場合、どうもそれが電子機器に現れる。

パソコンがどうも調子がよくないのですが、一番おかしいのは、ワイアレスマウスが作動しにくくなっていることです。
一番よく使っているノートパソコンは、どうもハード的に壊れたようなので、回復しないのですが、最初におかしくなったのは、マウスでした。
いうことをきかないのでマウスを使わないようにしていました。

それ以外も動きが悪いので、思い切って、予備のパソコンに変えました。
ところがそのパソコンのマウスがやはりおかしいのです。
まったく使えないわけではなく、時々使えなくなる。
おかしいので、デスクトップで使っていたワイアレスマウスを代わりに使ってみたら、最初はよかったのにやはりおかしくなってしまいました。

以前起こった現象と同じです。
ちなみに久しく使っていなかったデスクトップに変えようかとも思い、久しぶりに動かしてみました。
1年ほど使っていなかったのか、どうも調子が悪い。
せっかく、坂谷さんに直してもらったのに、また放置しすぎたのかもしれません

というわけで、自宅のパソコン3台とも、ワイアレスマウスが使えない、いや使いにくい。
問題はパソコンのせいか、マウスのせいかです。
いずれのパソコンももう5年以上使っているものですから、パソコンのせいかもしれませんが、どうもそう考えると説明しにくいことがあるのす。
4つのマウスで確認しましたが、そのうちの2つは電池を入れ替えてスイッチオンしてもすぐになぜか動かなくなる。それがどうも不思議です。納得できない。

まあこう書いてもなかなかうまく伝わらないでしょうが、今度、湯島に行って確認してみようと思います。
私の心身の変調が、時に身体から電磁波を出して周囲に異常空間を創り出す。
まあそんな退屈な発想に、この数日、縛られています。

困ったものです。
まあ単にパソコンがすべて不調なだけかもしれません。

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2023/06/08

■節子への挽歌5653:畑作業は大変です

節子

昨日は午前・午後と2回も畑に行きました。
といっても、午後はまた近くの青木さんが話に来たので、作業はあまりできませんでした。

話は、しかし面白かったです。今回は自治会と農協の話でした。
特に興味深かったのは地域近隣社会の話でした。
かつて家庭の主婦たちは、こうした井戸端会議で、情報を交換していたのでしょう。
もし私が会社勤めをしていて、地域生活にあまり接点を持っていない場合、こうした話は全く無意味です。無駄な情報です。
しかし地域で生きていく場合は、こういう情報こそが経済や政治につながっている気がします。

話題のひとつにごみの捨て方と防犯カメラの問題も出ました。
私たちの自治会でも、問題になっていることです。
これだけでも話し出すと実に示唆に富んでいる話です。
でもまあ今の人にとっては、いずれも無価値な情報なのでしょう。

今日も陽射しがあるので畑に行けそうです。
でもやらなければいけないことが山積みです。
なかにはもう3か月も先延ばしにしていることもある。
困ったものです。

自宅のベランダから「畑」が見えます。

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上から見るとたかがこれだけの面積ですが、畑を維持するのは実に大変なのです。

節子はよくまあ畑と花壇に仕上げていましたね。
今から考えると驚きです。

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■節子への挽歌5652:湯島サロンは私を支えているようです

節子

昨日は午前午後と2回も畑に行きました。
そのおかげか、だいぶ元気が戻ってきました。
最近の精神的な不安感は身体とも関係しています。
昨年秋の入院以来、どうも身体的にもすっきりしないのです。

しかしどうして最近どうもすっきりしないのでしょうか。
もしかしたら、湯島でのサロンを最近やっていないからではないかと、ふと思いあたりました。
5月21日のサロンを最後に、その後、湯島のサロンはやっていません。次のサロンは6月10日ですから、約3週間、サロンを休んでいるわけです。

別に意図したわけではなく、なんとなく気が乗らなくなっただけですが、ちょうどその間、なぜかいろんな問題が起こりました。
まあ私自身の京都・奈良旅行もありましたが、それが休養にはならなかったのです。

湯島サロンの中断と周辺でのトラブルの多発は、関係はないでしょうが、むしろ私の気分が、その両方を引き起こしているのかもしれませんが、それ自体が湯島のサロンにしばらく行っていないことと無関係ではないようです。

湯島のサロンは、どうやら私の心身の安定を支えてくれているのかもしれません。
サロンに行けば疲れますし、報告を書くのも負担です。
でもそれが私の元気の源だったのかもしれません。
しばらくサロンに行っていないと、なんだかそんな気がしてきます。

やはりサロンはこれからも続けようと思います。

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2023/06/07

■節子への挽歌5651:マスクをしなので注意されました

節子

歯医者さんで少し元気が萎えました。
どうも些末なことで私の気力は左右されるようです。
困ったものです。

最近、私は歯で悩んだことが全くありません。いま通っている歯科医のおかげです。今の歯医者さんに通いだしてから、歯の問題で悩んだことが全くありません。
感謝しています。
ただ一つだけ問題があります。

その歯医者さんでは、いまもマスクをしないといけません。
今日もマスクなしで入り、待合室ではマスクをしようと思ったのですが、その前に呼ばれました。治療後、また待合室に戻りましたが誰もいないのでマスクをしないでいましたが、すぐに会計を済ませ、帰ろうとしたら、次回からマスク着用をお願いしますといわれました。
1分でも許容されないようです。

私の性分では、もう次回から来ないと言いたいのですが、何しろその歯科医はとてもいい歯科医なので、その勇気はありません。
次回はやはりマスクをすることになるでしょう。
しかしなんだか納得できないところがあり、今日はいささか機嫌がよくありません。

それにしても今もなお散歩していてもマスクをしている人が圧倒的に多いのです。
日本人は、急速に病原菌に対する抵抗力を劣化させ、これから病気が流行することでしょう。事実、今すでに新たな感染症が広がっているようです。
どうして多くの人は、自らの生命力や自然の定めを信頼せずに、資本に支配されがちな為政者の指示に従うのでしょうか。
そんなに病気になりたいのでしょうか。
マスクは使いようによっては、人の健康を邪魔するはずです。

こんなにいい天気なのですから、マスクなど外して、思い切り、自然を飛び交っているウイルや細菌と共生しながら、生命を謳歌したいものです。
運悪くそれでダウンしたら、それもまた自然の定めなのですから。

さてこれから畑に行って、たくさんの微生物と交流してきます。
最近、覚えたのですが、植物の菌糸の世界との交流も楽しいです。
その世界に触れると、植物ともそれなりに交流できるのです。

 

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■節子への挽歌5650:元気が出そうです

今日はいい天気です。
久しぶりに朝陽に出合えました。少し元気になりました。
もっとも私は元気になっても周辺はそうでもありません。

今日はお昼に兄夫婦との会食を予定していたのですが、体調の関係で延期したいと連絡がありました。
いささか心配なメールの後、連絡がない友人からの連絡はまだありません。
昨日の結果が気になっている友人からも連絡がない。
まあ、人のつながりがあるのは、いいことばかりではないのです。

でも久しぶりに陽光を浴びたら、元気が出てきました。昼食の予定がなくなったので、今日は1日、自由になりました。
畑にも行けるかもしれません。

まずはその前に、今日は歯医者さんです。
そろそろ出かけようと思います。

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2023/06/06

■節子への挽歌5649:気が晴れない

節子

どうも最近、生活リズムが少しおかしいです。
湯島にあまり行っていなかったり、サロンを2週間もやらなかったりしていたせいかもしれません。
生活のリズムが狂うと心身もまた狂いだす。
困ったものです。

相談をいろいろと受けて、「負の思い」をまたどっと取り込んでしまったからかもしれません。昔の悪夢を思い出します。
奈良と京都を歩けば、それらが浄化できると思っていたのですが、ダメでした。
それに最近、なぜか「不安感」があるのです。

特に悪いことをしているわけではないのですが、やるべきことをやっていないような不安感です。いや、確かに「やるべきこと」のいくつかをやっていないことは事実です。
やればいいだけの話ですが、それがどうもできない。
困ったものです。

いささかまた過度に他者の問題を引き受けすぎてしまっているようです。
まずは自分の問題を片付けなければいけません。
それはわかっているのですが。

節子
ついつい愚痴を書いてしまいました。
節子がいたら、一緒に考えてくれたのでしょうが。
1人で生きるのは結構大変です。
何しろ2人で生きる生き方に慣れすぎてしまっていたものですから。

明日からは少し心を入れ替えて、生活リズムも変えて、この状況から抜け出たいと思います

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2023/06/05

■節子への挽歌5648:久しぶりに畑

久しぶりに畑に行きました。
作業は1か月近くやっていなかったので、もう野草、それも篠笹だらけです。
畑沿いのすぐ近くは水が出て、いつもやってくる青木さんが所有している集合住宅は床下浸水になったそうです。
青木さんの向かいの急斜面はハザードマップにも載ってるいのでいつも心配していますが、今回は無事でした。

種をまいた野菜は小松菜しか出てきませんでしたが、全部虫に食べられてしまっています。夏大根はもう遅過ぎて駄目だよと言われましたが、株分けして植えなおしました。

久しぶりに草刈りをしようと思ったら、また青木さんが来ました。
ひとしきり温暖化に関しての談議があり、プーチンの話に移ったところで、道から声がかかりました。
見るとなんとにこです。
畑嫌いのにこがやってくるとはめずらしい。
すぐ対応しようと思ったのですが、青木さんを無視するわけにもいきません。
対応が遅れたら、さっさと帰って行ってしまいました。
小作人の作業の様子を見に来たような感じです。
というわけで、孫に畑の面白さを体験させる絶好の機会を失いました。
しかし今日の畑の様子は、草藪状況なので、むしろよかったのかもしれません。
なにしろ私の提案は、いつもにこの信頼を裏切るようで、今やもう何を言っても拒否されるのです。困ったものです。

青木さんから今度は大根を持ってくるといわれました。
小作人は互いに支えあって生きなければいけませんが、頑張って早く「野菜をあげる側」に回りたいものです。

ちなみに今回の台風の風と激雨で、キュウリもナスもほぼ瀕死の状況、トマトもかなりの被害です。スイカの苗は、これはもうほぼ全滅。
元気なのはレタスですが、青木さんがもう収穫時期だというのですが、一つくらい立派な野菜がないと畑らしくないので、これは収穫しないでもうしばらく残すことにしようと思います。

畑作業はもっと簡単だったはずですが、今回は苦戦しています。
今度は大根とキャベツに挑戦です。
青木さんが、時期をしえてくれると言っていますが、そのころまで私の関心が持続できるといいのですが。

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■日本の子どもたち(15歳)の精神的幸福度は38か国中37位

以前、話題になりましたが、2020年のユニセフのレポートによれば、日本の子どもたち(15歳)の精神的幸福度は38か国中37位だそうです。
今春スタートしたこども家庭庁がさらに幸福度を下げないことを祈るばかりです。

最近また、引きこもりや不登校の関係者との接点が増え、なにかその背景にあるものが気になりだしました。目の前だけ見ていては何も見えてきません。
それで、小国喜弘さんの「戦後教育史」(中公新書)を読みました。
あとがきに、著者の小国さんの執筆の背景にある思いが書かれていました。
この部分だけでも多くの人に読んでほしいと思い、長いですが、勝手に引用させてもらいます。一部省略しています。

大学院生時代から(学校に)30年通い続けたなかで、学校現場の多くは、次第に閉塞的な空気が強固となったように思える。外部者からすればおよそ不思議なルールがこまごまと制定されるようになり、子どもたちの日常を拘束するようになっていった。さらに全国学力学習状況調査の学校順位を上げるべく、子どもたちをテスト準備教育に追い立てることに力が注がれ、「子どもの仕事は遊ぶことだ」などといった言葉を教師から聴くことはなくなった。

ごく「普通」の子どもたちが「障害児」とされて、元のクラスの子どもたちから引き離されて、廊下の一番奥に設置された特別支援学級でひっそりと学んでいる光景を見ることも増えた。背後には、政治主導の教育改革があった。

現場を通して見えてきたのは、政治に翻弄される学校の姿であり、そのなかでの子どもたちの不幸だった。本書は、このような子どもたちを取り巻く不幸が戦後教育史のどのような変化のなかでつくられたのかを学校教育に即して描き出したいと考えた。

本書を読むと、学校はまさに社会の写し絵であるとともに、社会の作り手でもあることがよくわかります。引きこもりが増えているのは、親たちがみんな引きこもりのお手本を見せているからでしょうし、不登校が増えているのは、子どもたちが制度のおかしさを教えてくれているのでしょう。みんな問題の立て方を間違っているとしか思えません。

社会の未来は、学校制度のありようによって大きく変わってくることを考えれば、私たちはもっと子供たちの学校現場で何が起こっているかに関心を持つべきでしょう。

私は幸いにあまり「学校制度」に縛られずに卒業できましたが、どうもそれはとっても幸運だったようです。今の学校では、私も不登校になっていた可能性があります。

本書は、インクルーシブ教育やSociety5.0、あるいは発達障害などの政治が作る病気など、幅広く論じられていますので、多くの人にぜひ読んでもらいたいです。
暗い話ばかり読みたくないという人には、第11章の「希望はどこに」で紹介されている大阪市立小学校の取り組みをぜひ読んでみてください。映画「みんなの学校」で話題になった学校です。

学校をテーマにしたサロンをやりたい学校の先生がいたらご連絡ください。

 

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2023/06/04

■第24回益田サロン「心と言葉と時間」のご案内

細菌学者の益田昭吾さんのサロンは、前回、「心はどこにあるのか」という難問にぶつかり、その問題を考える切り口が見えたら次回をやろうということになっていましたが、益田さんから次のようなメッセージが届きました。

心がどこにあるかは空間ではなく時間かもと思いつきました。我に返るといつも今ですね。今は空間的存在ではなく時間的存在だと思います。我々にとって現在(=今)が特別な意味をもつのは、時間が流れているからでしょう。
物理学ではエントロピー増大則がありますから時間の流れは一方向になるはずです。
生物は環境のエントロピーを増大することによって自分のエントロピーを減少させます。つまり、生物の復元性です。

人間の頭(=心)は、エントロピーを自由に減少させる、つまり時間をさかのぼることによって過去を作り出しました。同時に未来も作り出しました。過去は空間的に重ねられますが、未来は時間の中にしかないところが違いますが、過去と未来は同じものと考えられます。現在とは過去と未来の間にあることになりこれが体と頭の接点にもなっています。

確率が低いことが実際起こるように想定することが知能の本質です。頭を環境とした生物のようなもの、欲を生み出すのは知能の働きかもしれません。
言葉もエントロピーを減らすための道具とも言えると思います。
そこで、生物の復元性や創造性につなげながら、言葉や時間から「心」の在りかを考えてみたいと思います。

というわけで、今回は「心と言葉と時間」という、これまた難しい三題噺をテーマに選びました。
最近話題になっているAIやチャットGPTにもつながる話です。

例によって、どこに話が広がっていくかは、参加者のみなさんの関心次第でもあります。
この案内文を読むといかにも難しそうですが、要は「心は一体どこにあるのか」を考えてみようというサロンですので、気楽にご参加ください。
生きるとは何か、環境とは何か、自分とは誰か、といったことを、たまに考えてみるのもいいことです。

〇日時:2023年6月29日(木曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「心と言葉と時間」
〇話題提供者:益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

 

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■節子への挽歌5647:湯島のエアコンを買いました

節子

今日は朝で雨はおさまり、午後から晴れ上がりました。
ユカに頼んで、近くのヤマダ電機にエアコンを買いに行きました。
湯島のエアコンです。

こういうのは私は苦手で、もっと前に買わないといけなかったのですが、延ばし延ばしにしていて、やっと先日、ネットでジャパネットに頼んだのです。
ところが、取り付け日に朝からわざわざ湯島に行って待っていたのですが、約束の時間にやってこず、終了直前に電話したらドタキャンされてしまったのです。

やはり私には向いていない。
それでまた放置していたのですが、だんだん暑くなってきたので、ユカに頼んで一緒に買いに行くことにしたのです。
ユカが言うには、ネットでなくても、また別に湯島でなくても、どこでも大丈夫だというのです。

買い物はすべて節子に頼んでいたので、私には苦手です。
ユカに言わせれば、私は役に立たない難しい知識はあるが生活する上での常識がないのです。困ったものです。

近くのヤマダ電機に行ったら、ちょうど大売り出しで、そこにいたお年寄りの担当者に相談したら、これがいいとシャープのエアコンを勧めてくれました。
予算的に20万円前後に抑えたかったのですが、何とかその予算で購入できました。
後でユカが教えてくれたのですが、その人はシャープの人だったそうです。
でもいい人でした。
ジャパネットだと20万円を超えそうだったのですが、よかったです。
まあ私でも買い物はできそうです。

ずっと気が重かったのですが、これでもうサロン参加者から暑いとか寒いとか苦情が出なくなるでしょう。
私はエアコンは好きではないのですが、みんなどうもエアコン好きです。

実はこの種の気の重い課題はほかにもあるのです。
まあしかしこれで一つ片付きました。
今度は取り付け工事日にキャンセルされなければいいのですが。

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■節子への挽歌5646:台風後の手賀沼公園

節子

昨日の大雨でやはり手賀沼は水があふれてしまったようです。
まあ民家への被害はあまりなかったようですが。

昨日、手賀沼公園に行ったじゅんとにこから、手賀沼があふれている写真を送ってもらいましたが、それが気になって、今朝は朝早く、手賀沼公園に行ってみました。
さすがに水は引いていましたが、かなりのところまで水があふれていたようで、痕跡がまだ生々しく残っていました。
こんなに水位の高い手賀沼は初めてです。

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節子が闘病中、毎朝、2人でここにきて休んでいましたが、そのベンチも一昨日は水中に没していたようです。
少しだけあのころを思い出しながら、手賀沼を眺めていました。
当時よりも、かなり落ち着いた雰囲気になってきたように思います。
あの頃は、手賀沼公園を楽しむ余裕は全くありませんでした。

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2023/06/03

■節子への挽歌5645:「幸せに死ねる方法はないでしょうか」

節子

今朝、パソコンを開いたら、「幸せに死ねる方法はないでしょうか」というメールが入っていました。
即座にあの時のことを思い出しました。

節子の胃がんが再発し、節子がかなりつらい状況になっていた時に、知人がメールしてきました。
今、お腹に包丁を刺そうと思っているのだが、どうしてもさせないというメールです。
この時ほど、怒りが頭に来たことはありません。
目の前に、何とか生きようとしている妻がいる。
その時に、死にたいが死ねないという連絡をしてくる

当時、対価をもらう仕事は一切やめていましたが、ボランティア活動やNPO活動との縁は切れていませんでしたし、私の個人的な状況などはお構いなしに、いろんな相談はやってきていました。
稼ぎはやめられても、働く仕事はやめられません。なにしろそれが「生きている」ことだからです。
最近ようやく湯島のサロンでは、そういうことが通ずる人が生まれだしましたが、当時はまだそういう理解をしてくれる人はほとんどいませんでした。

結局、そのメールの人は、その後立ち直って、名古屋に転居しました。
節子が亡くなったことを伝えたかどうかは記憶がありませんが、その後、いつかわずかばかりのお金も返しに湯島に行くという連絡ももらっています。
まだ来てはいませんが、名古屋からの交通費もかかりますし、私としてはただただ元気で過ごしてくれていればいいのです。

ところで、今朝のメールは少し気になります。
もちろんすぐに返信しました。
もし「幸せに死ねる方法」があれば、私も是非とも知りたいと伝えました。
彼から教えてもらえるといいのですが。

ただ私は、素直に生きていれば、必ず「幸せに死ねるだろう」と確信しています。

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■6月オープンサロンのご案内

2週間、サロンを休んでしまいましたが、その反動もあって、今月後半はテーマサロンがかなりあります。私がダウンしなければいいのですが。
しかしその前に、オープンサロンもやっておこうと思います。ちょっと遠くに転居したので無理かもしれませんが、ぜひ参加してほしい人もいますし。

オープンサロンは、テーマも全くなく、参加した人次第で話題も決まりますし、話題もどんどん変わります。話す人も聴く人もいるサロンです。
出入りもいつも以上に自由で、申し込みも不要です。
気が向いたら気楽にどうぞ。

コーヒーは久しぶりにある人からいただいたマカデミアコーヒーを用意します。

〇日時:2023年6月11日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2023/06/02

■節子への挽歌5644:台風襲来で大雨です

節子

台風襲来で我孫子もすごい雨でした。
最近はそういうことに全く関心もなく、台風襲来すら気になっていませんでしたが、ベランダが水浸しになるほどのすごい雨でした。また畑の野菜は全滅かもしれません。
わが家の近くに土砂崩れの危険性の高い場所もありますので、ここもそう安全な場所でもないのです。

孫のにこの下校時もすごい雨で、ジュンが迎えに言ったほどですが、にこは大雨を楽しんできたようで、玄関に入るなり長靴に入った水の多さにはしゃいでいました。
まあ人によって、同じことも受け止め方は違います。

実はこの2週間、湯島のサロンを休んでいます。
この週末もサロンはありません。

一昨日、ボストン在住のSさんが日本に戻ってきたので、この週末にもしサロンがあれば参加したいと電話してきましたが、この週末はめずらしくサロンを組んでいなかったのです。
台風を予想してのことではないのですが、サロンを休んでいてよかったです。
こんな状況では湯島に行くのも大変でした。
京都旅行もいい時に行ったものです。新幹線が止まったら大変でした。

まあ、お天道様と共に生きているおかげかもしれません。

 

そんあわけで、今日はどこにも行かずに読書三昧でした。

時評編にも書きましたが、「歴史の逆流」という新書を読みましたが、そのおかげでまた新たなサロンをやりたくなりました。

昨今の日本の政治状況は、私には恐ろしいほどですが、やはり少しは私たちも学ばなければいけません。そういう政治を話し合うサロンをやはり継続的にやろうかと思いだしたのです。

 

一日、在宅でしたが、電話やメールなど、実はいろいろとありました。

ネット時代は、なかなかひとりにはなれません。

それがいいことか悪いことかは、なかなか判断ができません。

台風の大雨よりも、もっと心配しなければならないことも、なにかと飛び込んできますので。

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■「歴史の逆流」(朝日新書)をお勧めします

最近ちょっと心身ともに疲れています。
そこから抜けるために先週は京都や奈良を歩いてきたのですが、いささか中途半端だったようです。今頃サンチャゴを歩いている鈴木さんのようにせめて1か月くらいは、世俗から抜け出ないといけないのかもしれません。

まあそれはそれとして、今日は雨だし、ゆっくりしようと思っていたのですが、また本を読みだしてしまいました。
これがまた面白い、というか、刺激的で、読んだだけではなく、何かをしなければという気が起こってきてしまいました。困ったものです。

読んだ本は、朝日新書の「歴史の逆転」です。
長谷部恭男さんと杉田敦さんと加藤陽子さんの鼎談です。
あとがきで、加藤さんが書いていますが、3人が「歴史の逆流」という書名に込めた思いは、「たがが外れた時代の潮流、侵略・暴力の時代の流れに抗ってゆくための学知を詰め込んだ包括的パッケージ」だそうです。
憲法学、政治学、歴史学からの 3人の話し合いは、私情もこもった発言もあって、とても人間的で共感が持てます。

ぜひ多くの人に読んでほしいと思いますが、湯島でもこれをテキストに、毎月、いまの政治を話し合うサロンを開催しようかと思います。残念ながら3人とも私は面識もないので、来てもらうわけにはいきませんが、本書には3人の思いがこもったメッセージがいろいろと読み取れます。

もしこの本を読んで、そういうサロンを一緒にやりたいという方が2人出てきたら、実行しようと思います。
というわけで、ともかく本書を読んでみてください。
そして、一緒にやろうという方がいたら、ぜひご連絡ください。
茶色の朝シリーズのサロンも、できれば並行させたい気もします。
このまま歴史が進んでいくと、私の来世もあまり楽しいものにはなりそうもありませんので。

でも本当は、こうした話し合いの場づくりは疲れますので、気持ちの半分はやろうという人が出なければいいなと思っているのが正直のところ
です。さてさてどうなりますか。

 

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■湯島サロン「もしかしたらサンチャゴ巡礼生報告」のご案内

湯島サロンの常連の鈴木章弘さんは今、7回目のサンチャゴ巡礼に行っています。
今回は、いわゆる「フランス人の道」を歩くと言っていました。
フランスとスペインの国境にあるサン・ジャン・ピエ・ド・ポーからの約780kmに道です。途中のブルゴスからの手紙によれば、今回はこれまでなかったほど巡礼者が多いそうです。
でもお元気そうで、そろそろサンチャゴ・デ・コンポステラ大聖堂に着く頃です。

来週帰国する予定ですが、帰国後、疲れが抜けない内に、湯島サロンで生報告をしてもらおうと考えつきました。それだと生々しい雰囲気にも接しられるかもしれませんので。

ただ、残念ながら本人の了解は得ていませんので、引き受けてくれるかどうかはわかりません。
もし断られたり、無理だったりの場合は、参加者それぞれの「巡礼体験」や「巡礼願望」を無意味に話し合うスタイルのサロンにしたいと思います。
鈴木さんが引き受けてくれるかどうかは、五分五分です。

さてどうなりますか。

〇日時:2023年6月17日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:もしかしたらサンチャゴ巡礼生報告、あるいはそれぞれの巡礼体験
〇話題提供者:もしかしたら鈴木章弘さん(巡礼者/ミニマリスト)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

 

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2023/06/01

■節子への挽歌5643:ヒトリシズカとフタリシズカ

節子

5か月ほど前に、永田さんが「ヒトリシズカ」の鉢植えを持ってきてくれました。
永田さんがなぜこれを持って来たかに関しては、たぶん節子とも関係しているので宇Sが、それは長い話になるので書くのをやめておきます。
いつか節子にも話す機会があるかもしれませんが。

永田さんは、この鉢は自宅に持っていくように言うので、先週、自宅に持っていきました。
節子の位牌壇の近くに置いています。

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ところで530日にFBでいろんな人のメッセージが届きました。
以前から公言しているように、私はFBでの誕生日祝いメッセージは嫌いです。
ただ儀礼的なものや絵文字や動画には煩わされたくないからです。
でも心の入ったメッセージはうれしく受け取ります。
その一つに菅野さんからのメッセージがありましたが、菅野さんのメッセージには、「530日、誕生日の花は‟フタリシズカ”。花言葉は“いつまでも一緒に”です」とありました。

ヒトリシズカ(一人静)とフタリシズカ(二人静)は花が咲かないとほとんど区別できません。
以前我が家の庭にもどちらかがあったはずです。
しかし、フタリシズカが私の誕生日の花だとは知りませんでした。

まあそれはそれとして、永田さんがなぜ一人静を自宅に持って行けと繰り返し言ったのでしょうか。
加えて、果たしてこれは一人静なのでしょうか。
もう少し様子を見ないと分かりません。

まあ、いまの私にとっては、一人静と二人静の違いはないのですが。

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■第27回万葉集サロン「歌と語りのあわい 融合する〈わ〉と〈な〉」のご案内

万葉集サロンはここしばらく山上憶良の世界を楽しみましたが、今回は高橋虫麿の「詠霍公鳥一首并短哥」(巻9-1755.1756)と「能登国歌三首(の内二首)」(巻16-3879.3880)を読みます。

升田さんからのメッセージです。

いずれも全て長歌(反歌あり)ですが、虫麿の、托卵という習性ゆえに孤独に生まれたホトトギスへの感情移入。能登の、愚人(使用人)の失敗を皆で慰めようとする共同意識。そこには「な」と融合し協合しあおうとする優しさが包摂されています。民謡はからっとした明るい「からかい」かもしれません。
これらの情調はどこから来るのか。心地好い「〈た〉の中の〈わ〉」のありようを、歌の中の「言」から見てみることにします。

宮岡伯人(言語学)は「〈語〉は意味的な単位でなくカタチである」といいます。
つまり「〈ふれ〉られるもの」といい、小松英夫(日本語学)は「日本語に関する論議のほとんどがひとつのコトバ、ひとつの言いかたの正誤を問題にするものである」と批判します。
これらの視野にならって考えてみたいと思うのですが、文法的な規範から少しずれるかもしれません。ずれても万葉人は気にしないでしょう。楽しく読めればいいなと思っています。

高橋虫麿の世界から何が見えてくるのかとても楽しみです。
「言語学」「日本語学」と、また新しい話題へと視野が広がりそうです。

いつも書いているように、升田万葉集サロンは、歌を読みながら、当時の社会やそこでの人間の生き方に思いを馳せ、時には今の自分の生き方も問い直す示唆を与えてくれます。
今回はいつもよりもちょっと難しそうな気もしますが、どんな質問も許される気楽なサロンですので、万葉集など読んだこともない人もどうぞ気楽にご参加ください。

〇テーマ:「歌と語りのあわいー融合する〈わ〉と〈な〉」
〇日時:2023年6月18日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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