■第27回万葉集サロン「歌と語りのあわい 融合する〈わ〉と〈な〉」報告
今回は高橋虫麿の長歌が選ばれましたが、冒頭、升田さんは「今回は古代の言葉の話です」と話しだしました。
歌を読むというよりも、むしろ歌に現れる「言」を通して、古代の人たちの感じ方や考え方、生き方を感じようというのです。
切り口は「な」。
切り口は「な」。
そして、まず虫麿の「詠霍公鳥一首」(ほととぎすを詠む一首)とその短歌を読んでくれました。
そこにはこう詠まれています。
…ほととぎす ひとり生まれて 己(な)が父に 似ては鳴かず 己(な)が母に 似ては鳴かず …「己」が「な」と読まれています。
「己」を「な」と読むのは、たとえば、大国主命の別名「大己貴」(日本書紀)が万葉仮名では「於保奈牟知」(おほなむち)と表記されていることなどからも説明できます。
しかし、「な」といえば、当時も「汝」という二人称的な意味合いだったでしょう。
汝と己が、おなじく「な」と発音され、同じ二人称的な意味合いを持つところに、当時の人たちの「人間関係のありよう」を感じとれるのです。
いまでは「己」は一人称で自分を指しますが、この歌の文脈では詠み手ではなく、ほととぎす、つまり詠まれている相手の「自分」という意味ですから、まさに「汝」の「己」といっていい。
日本語ではしばしば一人称の代名詞が二人称に転換しているという紹介もありましたが、いまでも大阪では、相手のことを「われ」という一人称代名詞で呼んでいます。
虫麿の歌に戻っていえば、「己が父・己が母」の「己」を「な」と読ませ、本来は一人称を指す「己」を二人称として詠むところから人称の転換があると説明されています。
そこに、升田さんは、古代の「な」が文法の規範を越えて、判然として「わ」と融けあっているありようを見ようとするのです。さらにいえば、そこに人間や文学(歌から物語へ)を支える真理の一端を見るのです。
高橋虫麿は、物語へとつづく物語歌への道を開いた人です。
詠む対象(な)に、詠み手(わ)の感情を移入しないと物語はつくれない、と升田さんは言います。そうした過程が、虫麿の歌には読み取れるというのです。
そしてそのキーワードが「な」なのです。
ちなみに、ほととぎすは「托卵」という習性(自分の卵をほかの鳥の巣に置き、誕生した雛への世話を他の鳥に托す)があり、そうした孤独なほととぎすの子への感情移入が、効果的にいかされているとも言います。
心地好い〈た(多)〉の中から、〈な〉の働きかけを受けて育ってきた〈わ〉が、独自の感情を育て、それぞれがまた関わり、共鳴し、共生して、一体化していくことで、大きな力や安心を得ていく。そんな〈わ〉と〈な〉の折り重なる霊の世界を虫麿の歌で升田さんは伝えてくれようとしたのです。
昨今のように、個人が分断されておらずに、〈わ〉と〈な〉が重なるように寄り合いながら生きている、それが万葉の世界だとしたら、いろんな歴史的事件も違ったように見えてくるような気がします。これは、私の勝手な想像ですが。
升田さんは、人麻呂の有名な歌も紹介してくれました。
近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ
「汝」が鳴けば、「己」も古を思い出す、と、ここでも汝と己が共鳴・共振しているのです。その共鳴は、もっと広く、「多」にまで広がっていく…とまでは升田さんは言いませんでしたが。
今回は、もう一つ大きなテーマが話されました。
「〈な~そ〉(禁止を意味する言葉)から見えてくる古代の禁忌」という話です。
ここから話はさらに大きく広がるのですが、時間切れで、予告的な話に終わった気がします。
私の勝手な感想を言えば、古代の禁忌は神から「汝」〈な〉(と私〈わ〉)を守るという意味があり、たとえば「恋」のような極めて人間的な行為を支えて(認めて)くれていたのでしょうか。
しかし、そこにも「な」が使われていることに興味を感じます。
この辺りは、ぜひとも次回改めて取りあげてほしいと思いますが、升田さんはどんどん先に行くので心配です。
古代の意識のありようは「語」の解釈よりもっと深いところで活発に動いて生きていると升田さんは言いますが、万葉集の世界は、どうも「言葉」を超えて躍動しているようです。
万葉が大好きな升田さんの思いも躍動してどんどん先に行ってしまうのも仕方がないのかもしれません。
参加者のおひとりが、サロンの後、こんなメールを下さいました。
升田さんの万葉集、ただの読解でない、升田先生の深いご思索に、毎回頭ぐるぐる状態で、たくさん刺激をいただいております。
同感です。私は刺激どころか、毎回、報告を書くのに四苦八苦していますが、いつも何か新しい気付きをもらえています。まあ誤解も多いでしょうが。
今回の報告も、升田さんの考えを正確に伝えられているかどうかは自信がありません。
升田さんはいつも盛りだくさんの話題と資料を提供してくれるので、歌心も万葉集の知識も乏しい私には、いつもついていくのが難しい。困ったものです。
升田さんの万葉集サロンは、実際に参加してもらうのが一番です。
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