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2023/06/13

■湯島サロン「長崎の原爆をもっと思い出してほしい」報告

先日の広島でのサミットには失望した人も少なくなかったと思いますが、それも多くの国民の、つまり私たちの意識を反映しているのかもしれません。
最近の原発に対する世論調査結果にも驚きます。3.11の体験を多くの人たちは忘れてしまったようです。
記憶はどんどん忘れられてしまいます。

いうまでもなく、私もまたその例外ではありません。
そのことに気づかせてくれたのが、時々サロンに来てくださる長崎出身の鐘ヶ江さんでした。長崎では今も、原爆が投下された89日の午前112分に1分間の黙祷を捧げることが行われていることを教えてくださいました。
改めて、長崎・広島・福島の体験をサロンで取り上げようと思ったのです。

その第1回目は、鐘ヶ江さんに長崎で今もなお続いていることを紹介してもらいました。今回の参加者は8人でしたが、それぞれに思いのある方ばかりでした。象徴的だったのは女性のほうが多かったことです。

鐘ヶ江さんは2冊の本をもってきてくださいました。
「ナガサキの原爆読本(全4巻)」と「長崎の証言」です。
前者は昭和47年(1972年)に出版されたものですが、学校などでも販売されたようで、長崎では多くの家にあったそうです。サロンには長崎出身の方がもう一人参加されていましたが、その人の家にもあったそうです。
全4巻とありますが、「雲になって消えた」「原子野のこえ」「夾竹桃の花さくたびに」「三たび許すまじ」で、子どもでも読めるような読みやすい本です。
「長崎の証言」は、被爆体験者の声を集めたもので、「長崎の証言の会」が昭和43年(1968年)から定期的に出版しているものの1冊です。

また広島サミット閉幕翌日と翌々日の長崎新聞も持ってきてくれました。
そこにはやはり原爆とのつながりで広島サミットが報道されています。全国紙での関東地域での報道とはかなり違う印象を受けます。

長崎では今も89日は(夏休み中にもかかわらず)登校日になっているそうです。
そして112分に全員で黙祷。もちろん子どもたちだけではなく、その時刻には黙祷する人も多いそうです。みんなが心を一つにして祈りをささげる。
登校して祈るだけではありません。
学校では小学1年生から「平和学習」が行われていて、6月くらいから89日に向けて、それぞれが平和に関して、自分で調べ、話を聞き、考えることがつづいているそうです。
こうしたことは長崎県のサイトに詳しく紹介されているということです。私もサロンの後で調べてみました。みなさんもぜひ機会があれば見てください。 

平和学習では被爆体験者などから話を聞くことも多いそうですが、被爆者や関係者も、そうした活動に積極的に協力しているそうです。しかし、だんだんとそういう人も高齢化し、少なくなってしまっている。鐘ヶ江さんもそれが心配のようです。

ちなみに、たとえば小学1年生の平和学習では「仲良くしよう」というようなことが話されるようです。決して「平和教育」ではなく、あくまでも「学習」。そこに私は大きな可能性を感じました。私は、平和教育と平和学習は似て非なるものだと思っているからです。
平和学習は学校で終わるわけではありません。そういう活動が、たとえば「長崎の証言の会」のような活動にもつながっているのでしょう。子どものころに学んだことは、長崎の人たちの生き方につながっていて、それが大きく育っているわけです。

鐘ヶ江さんは、長崎を出て今は横浜で暮らしていますが、横浜では黙祷もないし、平和学習という特別のカリキュラムもない。そこに違和感をお持ちになり、何かしなくてはという思いが生まれてきた。それも長崎で育ったからでしょう。そこに大きな意味があるような気がします。長崎出身の人たちの意識は、そうでない私とは違うのです。

話し合いも示唆に富むものが多かったのですが、3点だけ紹介しておきます。

ひとつは私自身ずっと気になっていた、なぜ長崎被爆のシンボルが浦上天主堂ではなく平和祈念像なのかということです。長崎の人たちも浦上天主堂を残したかったのだという話を聞いてとても安堵しました。そして、いまからでも遅くないので、平和式典の開催場所を変えてほしいと思いました。そうすれば世界の人たちの長崎を見る目は変わるでしょう。
2019年にフランシスコ教皇が長崎を訪問した時も、平和祈念像には立ち寄りませんでした。その意味を私たちはもっとしっかりと考えなければいけません。

それにも関連して、教皇来日時にも、「核時代に懸ける人類生存の橋」などと新聞に寄稿されていた本間照光さんも参加されていたので、本間さんからそうした問題提起も出されました。
広島・長崎、そして福島。それらの根っこは一つです。
いずれも私たちが核時代に生きていることの意味を問い質しているのですが、私たちにはどうもその感覚が弱い。本間さんはそこに危機感を持ち続けているのです。

参加していたある企業の経営者の方は、核の恐ろしさをもっと簡単な一言で表現し大きな波を起こせないかという提案をされました。原爆と原発がつながっているという認識は、3.11やウクライナ戦争で、だいぶ広がりましたが、まだ十分には結び付いていません。3回の体験をした私たち日本の役割は大きいと思いますが、なぜかその3つも「分断」されてしまっているような気がします。

3つ目は「祈りの大切さ」です。
「祈りの長崎、怒りの広島」と言われますが、私自身この言葉には違和感があります。被爆(被曝)関係者にとっては、祈りも怒りも同じものだと思うからです。
参加者のおひとりが、祈ることの大切さを話してくれました。
彼女は、祈りの時に大きなエネルギーを感ずると言います。同じ時間にみんなが祈ることで大きな力が生まれている。個人の祈りは決して無駄ではない、と言うのです。
少なくとも彼女はそれを実感できている。
私もサロンの翌日から毎朝、平和への祈りをすることにしましたが、8月9日には今年からきちんと祈ろうと思いました。昨年までは黙祷は8月6日だけでしたが。

いつもながらの散漫な報告になってしまいました。
しかし改めてやはり当事者の生活に根差した話を聞くことの意味を強く感じました。
できれば引き続き、広島や福島を軸にしたサロンをつづけ、8月9日の午前には長崎の人たちと一緒にみんなで黙祷するサロンを開催したいと思います。

どなたか広島、あるいは福島の話をしてくれる方はいないでしょうか。
ぜひ開催したいので、ご連絡をお待ちします。

本間さんの毎日新聞への寄稿記事を添付させてもらいます。
核時代をどう生きるかに関しても、いつか本間さんにサロンをしてもらおうと思っています。

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