■節子への挽歌5645:「幸せに死ねる方法はないでしょうか」
節子
今朝、パソコンを開いたら、「幸せに死ねる方法はないでしょうか」というメールが入っていました。
即座にあの時のことを思い出しました。
節子の胃がんが再発し、節子がかなりつらい状況になっていた時に、知人がメールしてきました。
今、お腹に包丁を刺そうと思っているのだが、どうしてもさせないというメールです。
この時ほど、怒りが頭に来たことはありません。
目の前に、何とか生きようとしている妻がいる。
その時に、死にたいが死ねないという連絡をしてくる
当時、対価をもらう仕事は一切やめていましたが、ボランティア活動やNPO活動との縁は切れていませんでしたし、私の個人的な状況などはお構いなしに、いろんな相談はやってきていました。
稼ぎはやめられても、働く仕事はやめられません。なにしろそれが「生きている」ことだからです。
最近ようやく湯島のサロンでは、そういうことが通ずる人が生まれだしましたが、当時はまだそういう理解をしてくれる人はほとんどいませんでした。
結局、そのメールの人は、その後立ち直って、名古屋に転居しました。
節子が亡くなったことを伝えたかどうかは記憶がありませんが、その後、いつかわずかばかりのお金も返しに湯島に行くという連絡ももらっています。
まだ来てはいませんが、名古屋からの交通費もかかりますし、私としてはただただ元気で過ごしてくれていればいいのです。
ところで、今朝のメールは少し気になります。
もちろんすぐに返信しました。
もし「幸せに死ねる方法」があれば、私も是非とも知りたいと伝えました。
彼から教えてもらえるといいのですが。
ただ私は、素直に生きていれば、必ず「幸せに死ねるだろう」と確信しています。
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