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2023年7月

2023/07/31

■湯島サロン「今、子どもたちと過ごす中で思うこと/改めて不登校について考える」報告

不登校特例校の東京シューレ葛飾中学校の校長、木村砂織さんにお願いした「今、子どもたちと過ごす中で思うこと/改めて不登校について考える」は10人を超す参加者があり、しかもそれぞれに子どもたちと触れ合っている人が多かったので、話し合いも広がり、なかなか話し合いも終わらないサロンになりました。

子どもの現場にあまり接することのない私のような立場だと、子どもたちの学びの世界のマイナス面ばかり見えてしまい、どうもあまり先行きに希望を感じられないのでいたのですが、子どもたちの学びの現場には新しい動きが育ってきているようです。問題は相変わらず多いでしょうが、みなさんの話をお聞きしていて、子どもの育つ環境はいい方向に動き出しているような気がしました。

たとえば、学校から距離をとる子供たちが増えている一方で、そうしたことへの理解も進み、親も社会も、行政も、そうした動きにむしろ前向きに接しようという姿勢も広がっている。現場から遠い人ほど、そうした動きを理解していないのかもしれません。いずれにしろ、現状を批判するだけではなく、新しい動きを知って応援していく姿勢が大事だなと改めて感じたサロンでした。

木村さんは、自らが不登校のことに関わるようになった話から始めました。在学中に、不登校に取り組んで話題になっていたシューレの活動を知って、決まっていた就職の道を選ばずに、自らのリスクを背負って、大阪から東京に出てきて、この世界に身を投じたそうです。以来、36年、不登校の子どもたちと共に、活動しつづけてきています。
私も初めてお聞きしたのですが、その生き方に改めて感服しました。

次に木村さんは「不登校」という言葉を話題にしました。
不登校という言葉に代わる表現を探そうという動きも広がっているようですが、木村さんは「不登校」は「現象」をいっているが、「登校拒否」という表現には本人の「意志」が示されていると話してくれました。言葉は問題をどう立てるかに関わっているわけです。どちらに視点を置くかで、おのずと対処策も変わるでしょう。この認識は、この問題を考えていくときの出発点になるような気がします。

つづいて木村さんは、いま広げられている「不登校特例校」制度の話と実際に校長として関わっている東京シューレ葛飾中学校の紹介をしてくれました。
東京シューレ葛飾中学校では、子どもの個々の在り方に基本を置いて、それぞれの自主性や社会性を伸ばすことを目指す「子ども中心」の理念で、制度が設計され、運営が行われているそうです。

授業は、学年別と学年を超えた縦割りとの組み合わせで行われています。個人学習的なマイコースや家庭をベースにしたホームスクールという仕組みもあります。
授業も、子どもたちが参加しやすいような体験重視型で、時間割も紹介してくれましたが、総合学習としての「いろいろタイム」や「プロジェクト」の内容は、子どもたちの発案も生かされながら、とても楽しそうな設計になっています。

さらに放課後の自主参加プログラムもあって、子どもたちは自分に合った形で学べる(遊べる)仕組みができています。
学校の施設設計も、それに応じたものになっているようです。

学校運営に関しては、子どもが参画するホームミーティング、実行委員会、学校運営会議といった仕組みを中心に、スタッフ(先生たち)と保護者会とが連携しながら行っているようです。
保護者とのかかわり方などの紹介もありましたが、詳しくはぜひサイトなどで調べてみてください。

さらに木村さんは、教育機会確保法を紹介してくれました。
これは2016年に成立した法律で、「とにかく学校復帰」という考えを改めて、子どもたちにとって大切なのは「学校復帰」ではなく「社会的自立」だとして、多様な学び方を認めた法律です。それに基づいて出された文科省の学習指導要領には、不登校を「問題行動として判断してはならない」と明言されています。
この表現には私は違和感がありますが(文科省の責任回避のような気がします)、学校を休むことで本人も親も責められないことはいいことだと思います。

木村さんの話の途中でも、参加者からいろいろな質問が出て、話し合いも並行して行われました。
実際に子どもたちの世界と関わっている参加者が多かったので、話題はどうしても、子どもたちの世界というよりも、子どもたちにどう接するかに行ってしまいました。
しかし、そうした話し合いの中からも、いまの子どもたちが置かれている状況が見えてきます。とりわけ大人たちが子供をどうとらえているかも見えてくる。
自らの親子関係を話してくれたり、子ども観を語ってくれたりした人もいます。

私が印象的だったのは、大変な激務だと思う木村さんが、「仕事は面白くて楽しい。だからつづけられている」と話したことです。木村さんはやはり子供と接していることで、元気をもらっているのだという気がしました。そうでなければ長年つづけられるはずもない。木村さんのまわりの子どもたちも、面白く楽しい時間を過ごしているのが伝わってきます。

学ぶことも働くことも、本来、楽しいことなのだと私は思っています。
これは「介護」の分野にもいえることだと思います。そうでなければつづかないし、いい学びやいい働きにはならないのではないかと思います。
しかしこのことはなかなか賛同を得られません。現実は必ずしもそうではないからです。だからこそ、私はそう思い、そういう学び方、働き方をめざそうと思うのですが。

楽しい学びを目指している東京シューレ葛飾中学校のような学校がいつか主流になる日が来るでしょう。私にはちょっと光が見えたサロンでした。
でも子どもたちの世界はまだよく見えてこない。

参加者の一人からサロン終了後、「現代の日本のこどもたちの悩みや希望を知りたかった」というコメントが届きました。
私自身は「登校拒否」する子供たちの増加やそういう子どもたちの行動から、ある意味、とても積極的なメッセージも感じましたが、私も子どもたちから直接、悩みや希望を聞きたくなりました。

一度、子どもたちの話し合いの場を持てたらいいなと思います。あるいは、そうした調査結果を材料にサロンができればと思います。
どなたか企画してくれないでしょうか。
あるいは話題提供や問題提起したい方がいたらお知らせください。
子どもたちを話題にするサロンを少し継続させたいと思います。

Kimura2023072700

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■節子への挽歌5723:健全な老化?

節子

昨日、サロンが終わったら、参加していた升田さんが私のところに来て、後片付けは私がやっておくので帰って休んだ方がいい、と言いに来ました。
私が、とても疲れているように見えたようです。
たしかに疲れていますが、そんな様子をみんなに気づかせてしまうとは困ったものです。
みんな見ていないようで見ているのです。
自重しなければいけない。

たしかに疲労が蓄積しています。
それにいろんなところの不具合も発生している。
目の横に数年目にできた吹き出物が一向に治らない。一昨日、無理やりかさぶたを取ったら出血し痛くなってきた。これも前から気になっていることです。
最近、顔面にできたおできが原因で(皮膚がんだったそうですが)、死んでしまった友人がいると誰かが湯島で話していた。そういう話はほぼ私はスルーしますが、そんな話をついつい思い出して島合った。
時々、胃腸の様子がおかしい。気分のせいだとは思うのですが、どうも違和感がある。
これまでずっと腰痛とは無縁だったのが、時々、腰痛の兆し?を感ずることがある。
右目は相変わらずよく見えない。白内障が進んでいるのかと思いますが、何やらうっとうしい。

とまあ、こうして上げていくとまだまだいくらでもあげられます。
こうしたことは、すべて健全な老化のせいだと考えていますが、健全な老化なのでしょうか。
まあ、健全な老化には健全な死も含まれているのですから、健全と言えば健全です。

でもそれはいいとして、どうも最近の疲労感はいやになる。
入浴さえも面倒になり、浴槽に浸かってそのまま上がってしまうこともあります。
幸いにいまはまだ寝るのや食べるのは面倒にはなっていませんが、老化していくと、そうしたことも面倒になるのでしょうか。
これはちょっと興味がある。

今日は午後からまた病院です。
MRI検査ですが、あの病院に行くかと思うといささか気が重い。
目も痛いし、おなかもおかしいし、疲労感も抜けていない。
エアコンも入れていますが、この不自然な涼しさにも違和感がある。
なにもやる気が起きてこない。

こういう時は思い切り怠惰に、というのが私の信条なので、今日は怠惰な1日を過ごすことになりそうです。
疲れが取れるといいのですが。

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■節子への挽歌5722:「貧者よくオゴリ富者出シしぶる」

節子

なにやら時間の進み方がいかにも早い。
最近ちょっとついていけていないのです。
もう7月が終わります。
何かやらなければいけないことが放置されている感じです。

昨日は、今春、スペインのサンティアゴ巡礼で鈴木さんが出会った巡礼者3人に声をかけてもらい、サロンを開催しました。
これまで聞いていた鈴木さんの話と内容的にはあまり変わらないのです、30代の若者から78歳の人までの多世代からの体験談で、生々しい実感が立体的に伝わってくるような気がしました。

サロンに久しぶりに、統合失調症に苦しんでいるSさんが顔を出してくれました。
いまは少し安定しているようで、入院はしていませんが、穏やかな顔をしていたので安堵しました。
Sさんのような若者のことを思うと、いつも複雑な思いになってしまいます。
サロンに集まる「良識を持った大人たち」を蹴飛ばしたくなるのです。
言い換えれば、自分を蹴飛ばしたくなるということです。
私としては、「良識の呪縛」から解放されることをずっと意識してきていますが、しかしなかなか抜け出せないのもわかっています。
そこで時々、誰かに八つ当たりしてしまい、つい暴言を吐いてしまうこともある。

その、私の言葉や批判の対象になっているKさんが、なぜか昨日、サロンの運営にと寄付してくれました。昨日もKさんに暴言も吐いてしまったのですが。
戸惑いましたが、受け取りました。

サロンの会費を義務的に支払う人は、さすがに最近は少なくなってきましたが、でも時々、今回は無料でいいのですか、500円でいいのですか、などと意図的に言われるとまだいやな気がします。
先日の朝日新聞の「折々のことば」で「貧者よくオゴリ富者出シしぶる」ということわざが紹介されていましたが、布施方式のサロンをやっていると、それがなんとなく伝わってくるのが、とてもいやです。そう思ってしまう自分への嫌悪感が強まるからです。
それならお布施もやめればいいのですが、お布施を止めたらサロンを開催する意味が半減します。

そこにジレンマがあります。
お金を克服するのは実に難しい。

統合失調症で苦労しているSさんも、だまって500円を箱に入れているのを見ました。
彼もまた湯島のサロンを支えてくれているのです。

話がそれてしまいました。
昨日のサロンの報告は時評編に書きますが、私自身は改めて「人はみんな性善」という信念を確信できました。サンティアゴ巡礼路の世界を、世界中に広げればいいだけの話だと思いますが、なぜかみんなそれができないと思っている。
そういう思い込みがどうして広がっているのかに気づけばいいだけの話だと思うのですが、そういう話をするとまた「良識ある人たち」から「きれいごと」「実際的でない」などと、私が思っていることとは反対な批判が飛んでくるのです。
困ったものです。

洗脳の手先になることが、まるで「良識」を持つことのような、人が多いのには辟易します。

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2023/07/30

■節子への挽歌5721:いとこ会の延期

節子

私の前立腺がんの話が、兄からいとこたちに伝わってしまいました。
それで予定していた、いとこ会がまた延期です。
そうなるのではないかという思いもあって、兄にだけは知らせたくなかったのですが、追い込まれて話してしまったのがやはり失敗でした。

病気に対する捉え方は人によって様々です。
病気になるからその前にできることはやっておこうと考えるか、病気なのですべては治った後にしようと考えるかで、生き方は一変します。
節子も私は、前者の生き方ですが、兄は後者の生き方なのです。
私からすれば、もったいない生き方に感じますが、兄は私の生き方を自分を大事にしない生き方ととらえているのでしょう。考え方は、かくも違うものなのです。

従兄の一人から電話が来ました。
大変らしいね、というのですが、私自身は自覚症状も皆無でまったく大変ではないのです。

そういえば、昨秋、突然、医師から入院させられた時も全く異常はなかった。
いまでも医師によってつくられた病気だという思いがありますが、自らの心身を一番よく知っているのは自分です。もちろん自分では気づかないことは多いのですが、でも他者のアドバイスや指摘を受ければ、自分がやはり一番適切な判断ができるでしょう。
その結果、どうなるかはあまり関係ない。
結果よりも、その時の判断こそが大切ではないかと私は思います。

ですから、周りがとやかく言うことは差し控えなければいけません。
とはいうものに、私も娘たちを見ていて、時に口を出したくなることもある。

人間はまったく身勝手なものです。
別のいとこからどんな反応があるか、まったくもって面倒な話です。

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■節子への挽歌5720:暑さは冷静さを揺るがせます、という言い訳

病院は無事、終了。

生検のために、脳神経外科関係の薬を1週間、休んでもいいという手紙を多分もらえました。
医師は気楽に、ああいいですよというと思ったら、思った以上に慎重でした。
まあ考えてみれば当然で、人の命がかかわっているのですから。
でもまあ、人の命はいくら防衛しても防衛しきれるものではない。
最近そういう思いが強くなってきています。

ところが病院の後、昨日は湯島で、中国における違法臓器収奪・売買を告発した映画の上映会サロンをやりました。
サロンの報告は時評編に書きましたが、実に衝撃的な映画でした。

時評編の報告にも書きましたが、私自身は最近の経済は、人の心身さえをも商材にしてしまっているという思いを以前から持っています。
この数年、それがかなり可視化されてきていますが、誰もあまり気にしたいない。
そういう思いとこの映画は見事すぎるほど重なってしまいました。

そのうえ、参加者の多くは、相変わらず他人事、意識事としか受け止めない。
知ったら行動でしょう、とまた言ってしまいましたが、結局、知は別の方向への行動につながりやすい。
そのため、社会は一向に変わらない。
自分が生き方を変えるしかない。

昨日もまた、疲労感が残ってしまいました。
いささか私も感情的になって、言わずもがなの発言もしてしまったのです。
まあ暑さのせいにしてもらうしかない。

困ったものですが。

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■湯島サロン「『ヒューマン・ハーベスト』上映会&ディスカッション」報告

中国で行われている違法臓器収奪売買とそれに巻き込まれた臓器移植関係者の実態を告発したドキュメンタリー映画『ヒューマン・ハーベスト』をみんなで観て話し合うサロンを開催しました。
その映画の上映会活動に取り組んでいる張さんと根本さんも参加して、こうしたことの背景や日本での動きなどを話してくれました。

案内にも書きましたが、趙さんや根本さんの取り組みは、次のサイトをご覧ください。
映画『ヒューマン・ハーベスト』の紹介などもあります。

NPO移植ツーリズムを考える会
https://stop-oh.org/
SMGネットワーク(中国における臓器移植を考える会)
https://youtu.be/Mv8KehrX11c

映画の内容などは直接、映画を観てもらうのがいいと思いますので、ここではあえて紹介はしませんが、死刑囚や死刑制度が、世界中の臓器移植希望者の需要を満たすために権力者によって使われていることを告発しているのです。

映像によれば、こうした動きは20年以上前から世界各国で問題にされ(張さんによれば中国においても、だそうです)、反対表明なども出されているのですが、なぜか今もなお続いているそうです。なかにはそうした違法臓器移植への禁止法をつくった国もあるそうですが、日本では今なおあまり話題にもならずに、法制化の動きも今はまだ出ていないそうです。

最近、議員会館で国会議員も対象にした上映会をやったそうですが、参加した議員は30人弱だったそうです。そこから今のところまだ目立った動きは出ていないようですが。

映画を観た後、それぞれが簡単な感想を述べ合った後、話し合いに入りました。
話し合いもさまざまで、時には少しヒートアップしたりしました。
話し合いは、文字にするのは難しいのでやめますが、もっともっと話し合いの場があってもいいなと思いました。

張さんは、この問題を中国で行われている、自分とは無関係な問題だとは思っていいのかと問いかけました。私たちもまた、いつ同じような状況に巻き込まれないかもしれないというのです。そういう「想像力」をもなければいけないという指摘には共感します。

しかし、私はそれ以上のつながりを感じました。
この映画が始まって私がすぐに思い出したのは、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」でした。同時にまた、最近の経済が「人間の心身」さえをも「商材」にしている風潮にも重ねてしまいました。
ですから私には、いまの日本でもすでに同じようなことが行われているという気がしてならないのです。しかも、もっと巧みに、です。
いささか「想像力」が飛びすぎているかもしれませんが、大きな物語は、いつも小さな物語から始まります。

根本さんや張さんは、当面の目標を、多くの人にこうした事実を知ってもらうことと、そして日本でも違法臓器移植禁止を法制化することだそうです。
それには異論はありません。

私としては、とりあえず今回の上映会に参加できなかった人にもぜひ見てもらう機会をつくりたいです。
もしみなさんの中で、仲間での上映会をやりたいという方がいたら、根本さんが協力してくれると思いますので、ご連絡ください。
サロンに参加した方も、そういう上映会を自分も考えると言ってくれた人もいます。
やはり「知ってしまった者」としての責任は果たさなければいけません。

湯島でも、今回参加されなかった人で希望者が3人以上出てきたら、また上映会サロンをやろうと思います。
希望者は私にご連絡ください。

Zouki00

 

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2023/07/29

■湯島サロン「祈りのサロン」のお誘い

毎年、8月は原爆投下と戦争終結がマスコミでも大きく取り上げられます。
私も、戦争や原爆の悲惨さを思い出して、せめてそういうことには加担しない生き方をしようと毎年祈りをささげてきました。
しかし、実際の日本の社会は、このところ、急速に戦争や核武装へと向かっているような気配があり、毎年の報道はいったい何なのだろうかと思うことが多くなってきました。

そんな時、サロンに参加している人から、長崎や広島では今もなお、思いを新たにし、何かできることはないかと行動を促す祈りが継承されていることを教えてもらいました。
それで長崎出身の鐘ヶ江さんに「長崎の原爆をもっと思い出してほしい」というサロンをやってもらいましたが、そこで「祈り」の大切さに気づかせていただきました。
いまは、毎朝、短い祈りをさせてもらっています。

「祈り」は長崎や広島に限ったことではありません。
沖縄でも福島でも、あるいは最近多発している被災地でも、「祈り」は行われています。
でも、テレビで見る「祈り」も、他人事にしか感じなくなっている自分に気づくことが少なくありません。正直、私自身の「祈り」も形骸化していることは否めません。

しかし、鐘ヶ江さんのサロンの後、テレビで見る「祈りの風景」が少し違って見えてきました。自然と、一緒に手を合わせることも起こってきた。
祈る対象は違っているかもしれませんが、大きな意味ではみんながつながっている。
私が祈りたい思いや人ともつながっている。

それに気づくと、さまざまなことのつながりが「祈り」の中に感じられるようになってきました。
そうした祈りがつながっていけば、きっと世界は変わっていく。そういう「祈りの力」を、前回のサロンで気づかせてもらいました。

そこで、今年は、8月9日、長崎に原爆が投下された時間を含む時間でサロンを設定し、長崎での被災者に黙とうを捧げるとともに、各自それぞれの「祈り」を重ねて、「祈りのサロン」をすることにしました。

サロン前半では長崎を思い出し、11時2分(長崎への原爆投下時間)に全員で1分間の黙とう。前回サロンをしてくださった鐘ヶ江さんが、今回も参加してくださいますので、長崎風の黙とう作法も体験したいです。
そのあと、長崎をちょっと離れて、参加した人それぞれが、「祈りたい」ことを話し、「祈り」と「祈りの力」について、それをどう生かせるか、どう生かしていけば力となるか、話し合えればと思います。
「祈りたい」ことの告白はオフレコです。沈黙の告白もありです。
そして最後にみんなで、黙とうしたいと思っています。

なんだかよくわからないサロンですので、どう展開するかわかりませんし、何人集まるか全くわかりません。
少なくとも私は参加します。祈りたいことがたくさんありますので。
もし「祈りたい人」がいたら、一緒に祈りに来てください。

〇日時:2023年8月9日(水曜日)午前10時~12時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「祈りのサロン ― みんなで祈りましょう」
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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■節子への挽歌5719:生きていることへの感謝の念

節子

今朝もまた病院です。
病気になると忙しくなります。
だから病気は嫌いです。

前立腺がんの検査のための生体摘出のためには血液凝固防止の薬を1週間ほど服用を止めないといけないのだそうです。
医師には1週間くらいいいですと言ったのですが、やはり主治医の了解を得ないといけないと言われ、今朝、脳神経外科の葛綿医師に了解を得てこないといけなくなったのです。葛綿さんは今日から夏休み明けなのだそうです。
脳神経外科のほうは今のところ問題はないので、まあ問題はないと思いますが。

それはいいのですが、診察でもないのに、なんでこんな面倒なことをしなければいけないのか、やはりここは責任問題になるからなのでしょう。
同じ病院であれば、電話一本で終わる話なのかもしれません。

これとはあまり関係なのですが、夏になると毎日のように水難事故で死者が出たという話がテレビで報道されています。
そういう報道に触れるたびに、人はいとも簡単に死ぬのだなあと思います。
その死から私たちは自らを守って生きているわけですが、結果的に私のように80代まで生き続けるということは、たくさんの幸運に守られてきたということです。

その幸運に感謝するとともに、その幸運を他者に譲りたいという気持ちが、最近生まれてきています。
そして、いま生きていることへの感謝の念が、自然と強まってくるのです。

これはたぶんこの歳にならなければわからないことでしょう。
だから自分ががんあだと言われても、あまり動ずることはないのです。
まあ痛みなどが予想されるようになると、この平常心は揺れてしまうかもしれません。
何しろ私は気が弱いのと生きようという強い意志がいささか弱いですから。

さてそろそろ病院に行く時間です。
なんだかとても気が重いですが。

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2023/07/28

■節子への挽歌5718:血縁でつながっている人の人間関係の難しさ

節子

兄からまた呼び出されました。
きちんと前立腺がんに向き合っているかというのです。
そして今予定しているいとこ会などよりも、そちらを優先しろといいのです。
兄の人生観や死生観は私とはかなり違いますので、この種の話題で会うと必ずと言っていいほど言い合いになります。
困ったものです。

今回は、それを見越して、ユカに同席してもらいましたが、それでもお互い、いささか不愉快になったのは仕方がありません。
ここに血縁でつながっている人の人間関係の難しさがあるようです。
適当に距離を置くことが、難しいのでしょうか。
言葉も、あまり選ばない。

私は、できるときにできることをやっておくのがいいという考えですが、兄は、大切なことからやっておくべきだというのです。
しかし、何が大切などは個人によっても、状況においても変わってくる。
ですから、基準にはなりにくいと私は思うのです。

そもそも「大切なこと」とは何か。
いまの私にとって「大切なこと」は何だろうと改めて考えると、何も思い当たらないのに驚きます。

誤解されないように蛇足的な説明をすれば、すべてが大切で、とりわけ一つに絞れ込めないということです。
かつては迷うことなく一つに絞り込めたのですが。

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■湯島サロン「コロナを取り巻く生きづらさ~ソーシャルキャピタルを考える」のご案内

久しぶりに福山なおみさんにサロンをお願いできることになりました。
福山さんは、長年、看護や福祉の世界で活躍していますが、自殺問題にも積極的に取り組まれていました。私がお会いしたのは、その頃ですが、一時期、ご一緒させてもらっていたこともあります。
いつかまた福山さんにサロンをお願いしたいなと思っていましたが、ようやく実現しました。

今回は、コロナ禍体験を踏まえての、いまの社会の「生きづらさ」を切り口にして、その背後にある社会の問題、そして福山さんご自身の実践活動を通して改めて感じている社会にとって大切なことは何かをお話しいただいた後、みんなで話し合えればと思います。

最初に、福山さんからコロナ感染症が私たちの暮らしやメンタルヘルスにどう影響を与えたか、最近、話題になっているCBRNE災害(化学・生物・放射性物質・核・爆発物によって発生した災害)が私たちの健康や行動、そして社会や経済にどんな影響を与えているか、をお話しいただき、そうした中で、改めて社会にとって大切なものは何かを実践者の目から問題提起してもらえると思います。
コロナと自殺の推移の関係など、具体的な話も出てくると思います。

ソーシャルキャピタルに関しては、今年になってからも2回ほど、サロンを開催していますが、今回はまさにソーシャル(社会)の真ん中で長年実践を続けてきた福山さんからの生の感覚に触れられると思います。

コロナは、私たちの生活にさまざまな「生活後遺症」も残しています。
言い換えれば、私たちの生き方を見直す契機とも捉えられます。
湯島では、そうした視点でのサロンも考えていますが、まずはその出発点として、ぜひ多くのみなさんに参加していただきたいサロンです。

みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2023年8月27日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「コロナを取り巻く生きづらさ~ソーシャルキャピタルを考える」
〇話題提供者:福山なおみさん(日本保健医療大学客員教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2023/07/27

■生成AIへの期待

生成AIが、教育界や産業界で問題になっています。

大学では論文作成などでの生成AIの使用制限が、産業界では生成AIによるクリエーター業務への影響などが話題になっているようですが、まるで産業革命期の機械打ち壊し運動(ラッダイト運動)のような気がします。いまなお歴史から学ばない人たちが、なんと教育界や産業界には多いことか。
まあ専門家というのは、えてして墨守に傾きがちですから、仕方がないのかもしれません。

しかし、最近の議論のあまりのお粗末さには笑えます。
生成AIを危惧する教育者は、教育していなかったのではないかと思いますし、生成AIに脅威を感ずるクリエーターには、創造していなかったのではないかと思えてしまうほどです。
まあみんな正直で、どんな馬脚も憎めませんが。

私自身は、生成AIの見事さには感心しますが、全く次元が違う世界のような気がしています。
ですから生成AIの発展は無条件に歓迎ですし、それによって私たち人間がさらに人間らしさを目指せる可能性(真逆な危険性もありますが)があるように思っています。
AIがやってくれる範囲が広がるのであれば、それをベースに考えればいいだけの話です。

私自身、生成AIの成長を見たいので、最近はもう少し生き続けたいという思いが強まっています。
そのうちに、彼岸と此岸も往来できるようになるかもしれません。此岸にいるうちに彼岸に行ってみたいとずっと思っているのです。
まあ彼岸から此岸に来るのは、いずれ実際に体験できるでしょうから、あまり関心はないのですが。

 

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■節子への挽歌5717:久しぶりの福山さん

節子

昨日、病院に行って、医師と話したおかげで、先行きの見通しができました。
まあ癌は癌として、とりあえずあまり日常生活を変える必要はなさそうです。
変えたところであまり意味がないからです。
そこで、またサロンの企画をすることにしました。

早速、ひとつソーシャルキャピタル関係のサロンが決まりました。
話し手は福山さんです。
私がダウンしていた状況から引きずり出してくれた一つは、自殺のない社会づくりネットワークの活動への取り組みですが、その時に、ネットワークの事務局長をお願いしたのが福山さんです。

当時、メンタルダウンしていた私をいろいろと元気づけてくれたのです。
その福山さんが、久しぶりにサロンを引き受けてくれたのです。

福山さんも、実は一時、癌が見つかり活動を控えた時期がありました。
その時、私は何もできませんでした。
その負い目がやはりどこかにあるのです。

福山さんは、わが家まで節子への献花で来てくれています。
節子の位牌のところに供えている「般若心経」の扇子も福山さんが供えてくださったものです。
節子とは面識がなく、私も福山さんに出会ったのは、節子がいなくなってからです。

福山さんが今回のサロンで選んだテーマはなんと「ソーシャルキャピタル」でした。
福祉の実践者は、たぶん必ずと言っていいほど、そこに行きつくのでしょう。
どんな話が聞けるか、久しぶりの福山さんが楽しみです。

 

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2023/07/26

■節子への挽歌5716:たぶん間違いなく癌でしょう

節子

遠藤さんの紹介状に従って、東邦病院に行ってきました。
この数値だとたぶん癌でしょうと言われました。
結局、8月に検査入院し、それから結果を見てどう対処するかを考えることになりました。

さてそれからが面倒です。
脳神経外科の関係で服用している薬を1週間は止めないといけないそうですが、主治医にその了解を得なければいけません。
まあそれはいいとして、何やらやはり面倒です。

今日は結局、レントゲンや心電図、採血検査などを行いましたが、最近、こうした検査ばかりやっている感じです。

東邦病院にはあまりいい記憶がありません。
人間ドックを受けたことがありますが、いい印象は全くないのです。
でも今回は、人間的な対応はとてもよかった気がします。でも雰囲気がいかにも楽しくない。
病院はやはり楽しい雰囲気を出さないといけない、と改めて強く感じました。

次はMRI検査など、当面、東邦病院にはなんかいか通わなければいけなくなりそうです。
ユカには迷惑をかけることになります。
まあ親が子供に迷惑をかけるのは、いいことですが。

でも今日は疲れました。
暑さもありましたが、やはり病院は疲れます。

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■新羅と秦族と六郷満山文化

まったくの無駄話です。
リフォームで、私の書庫がなくなってしまい、蔵書はいま未整理のまま、7つの書棚と段ボール数箱に、詰め込まれて、必要な本を見つけるのが大変な状況のまま、2~3年たっています。

時々、思い出して、本を探すことがあるのですが、そんな時、別の懐かしい本に出合うことがあります。昨日も懐かしい本に出合いました。
「邪馬台国は秦族に征服された」という安藤輝国さんの本です。1983年発行となっていますので、40年前の本です。
帯に「高木彬光氏推薦」と書いてあったので、気になってパラパラと読んでみました。

私は小学生のころから、横溝正史よりも高木彬光が好きだったのです。
高木彬光には、邪馬台国の論考もありますし、邪馬台国を題材にしたベッド・ディテクティヴものの小説もありました。

ページをめくると、さらに興味を掻き立てる文字が目に入りました。
「六郷満山文化」
ずっと気になりながら、調べたこともない、私には魅惑的な「話題」です。
20年ほど前に、大分県の国見町に行ったときに、友人に案内してもらったことがありますが、その時は、私はほぼ夢遊病者のような精神状況にあり、ただ現地を少し歩いただけで終わりました。でもその時の風景は今も時々思い出します。

そんなこともあるので、改めてこの本を読みなおしました。
ユダヤ・秦の始皇帝・新羅・応神・神功・磐井の乱・宇佐・天武というつながった物語が語られていました。だんだん思い出してきましたが、古代豊国も魅惑的です。

宇佐も気になりながら拒否されてきたところです。
30年ほど前にワクワクしながら宇佐に初めて行ったのですが、なぜか拒否された思いが残っています。宇佐に行ったのに、私には宇佐がほとんど見えなかったのです。行くまでにもいろいろとあったような気がしますが。
まあ時々そういう不思議なことが起こっていました。

いま語られている日本の古代史は、たぶん30年後にはまったく違ったものになっているような気がしています。
その歴史に触れられないのが残念です。

 

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■節子への挽歌5715:病院との縁が増えてくるのでしょうか

節子

近々会う予定をしていたのに、日程の連絡がこないので気になっていたIさんから電話がきました。
狭心症で倒れて入院しているそうです。
連絡がなかったはずです。
本人が電話をしてきてくれたのですから、きびしい状況は乗り越えたようです。
おおごとにならなくてよかったです。

そう言えば、この3か月ほど顔を出さないサロン常連のFさんからも先日メールが届きました。
ペースメーカーをいれることになったというのです。
Fさんにはいつかサロンをやってほしいとずっと思っていたのですが、難しそうです。
いや、ペースメーカー体験のサロンをお願いできるかもしれません。

2人とも私より少し年齢は下ですが、まあ70歳を超えれば、同じようなものでしょう。
こういう話がつづくと、いささかさびしくなります。

まあ私も今日の午後は前立腺がんの検査で病院です。
朝から行きたかったのですが、今日は午前中は受付がないのです。
午後からなので、今日は検査はできないかもしれません。
どういう結果になるかわかりませんが、もしかしたら来週な入院かもしれません。
なんだか面倒な話です。

老人になるのは嫌ではないのですが、病院通いが増えるのは避けたいものです。
だから健康診断はやめていたのですが。

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2023/07/25

■節子への挽歌5714:兄夫婦と会食

節子

久しぶりに兄夫婦と会食でした。
ユカも同席、というよりも、病院の送迎などでユカの世話になった兄夫婦がユカを接待、それに私がお相伴させてもらったのですが。

兄と会うといつも言い合いになりがちなので、私はあまり話さないようにしていましたが、兄夫婦はよく話す。
兄夫婦はそれぞれ時々病院に担ぎ込まれますが、いずれもとても元気です。
兄は今もまだ松戸市の小学校に通っていますし、姉は毎週何回かダンス教室に教えに行っているそうです。
まあいずれも今年が最後になりそうですが。
まあそうやって活動しているので元気なのでしょう。

兄と私は、価値観や性格がまるで反対なので、論争が絶えないのですが、ユカから言えば、同じだかからこそ言い合うのだと言います。
まあそうかもしれません。

しかし、兄も90歳に近づいています。
私もそうですが、いつどうなってもおかしくありません。
会える時に会っておくのがいいのでしょうが、ある程度の距離を保った方がいいかもしれません。

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■節子への挽歌5713:久しぶりのオセロゲーム

節子

めずらしく午前中に、にこが遊びに来ました。
それも、ハムスターの「えめくん」と一緒にです。
えめくんもだいぶ慣れたのだそうです。
トレッドミルに乗るのを待っていましたが、やはりまだ明るさに慣れていないので、すぐに隠れてしまいます。
それでもにこが手を出すと家から出てきます。手を噛まれないようにと言ったら、もう嚙まれたことがあるそうです。
写真撮影を許可されましたが、時間制限があったため、いいシャッターチャンスに恵まれませんでした。

エム君との交流後、またトランプをやるけど、おさむさんはやる、とにこが訊いてきました。
やってほしいのか?と訊いたら、別にやってほしくはないけど、と言います。
まったく祖父に似て素直じゃない。
それで、まあ、やってもいいけど、というと、めずらしく、じゃあ、やろうと言います。
ユカにも参加してもらい、またババ抜き。
昨日は一度も勝てなかったのに、今回は孫が勝ちました。
私の手元にジョーカーが残ったので、最後に残った人が勝ち、と価値名乗りをあげましたが、相手にされませんでした。

次はおさむさんが何をやるか決めて、というので、7並べをすることしました。
また私がビリでした。ボーっとしていて、1回、飛ばされたような気がしましたが、異議は却下。これも最後まで残った人が勝ちにしようと言いましたが、またまた相手にされず。年寄りをいたわって、ルールを変える気持ちがない。困ったものです。

勢いに乗ってきたので、じゃあ、オセロをやろうと私から挑戦。
めずらしく、いいよとにこも挑戦を受けました。
以前、私に完敗して以来、私とはやらなくなっていたのですが、ユカからだいぶ強くなっているよと聞いていたのです。

もちろん私は手を抜きません。
と前回とは違って、きちんと打ってくるのです。
ところが最後のあたりで急ぎすぎてミスをしそうになりました。
それで、その隣に置くと、にこの勝ちになりそうだね、と言ったのですが、一度、置いたせいか、置き換えることを断りました。
頑として、ここでいいというのです。
結果的には、そのためににこは4つほどの差で惨敗しましたが、それがなければ私の完敗でした。
にこはだいぶルールがわかってきたようです。

私が出かける時間になったので、ここでにことの勝負はおしまい。
最後に、上野公園はいつ行こうかと、なんとなく訊きましたが、今回は即座に「絶対行かない」という反応ではありませんでした。

次回は、上野公園に行くかどうかを賭けての勝負を挑もうと思います。
でも私が負けた場合、どうするか。
負けても結局、上野公園に行くことになるように、罠を仕掛けなければいけません。
策を練らねばいけません。

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■7月オープンサロンの報告

昨日は予定していたサロンが、話題提供予定の人の体調不良で急遽、オープンサロンに切り替えさせてもらいました。
参加者は4人。人数が少ないと話は逆に深まることもあります。
参加者の人柄や人生への理解も深まります。

Open20230724

おひとりは、「LESS is MORE」というロゴ入りシャツを着てきました。最初は気づかなかったのですが、私が朝書いたフェイスブックの記事を読んで、わざわざ着てきたそうです。
もう一人の参加者はすでにその本を読んでいましたが、そのひとはまさに「LESS is MORE」を実践している人です。
さらにもう一人、最近、よくサロンに来てくださる人の、いささか厳しい体験談を話してくれましたが、後で嚙み締めて考えてみると、「LESS is MORE」物語のような気がしました。
もう一人の参加者は、さらにもっと超越した生き方をしている人で、「LESS is MORE」というよりも、LESS MOREも区別しないような生き方をしている人です。

というわけで、昨日のオープンサロンは、「LESS is MORE」サロンになりました。
まあそうではない、何やら難しい話やたわいない話も、多かったですが。

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2023/07/24

■節子への挽歌5712:「信主霊生」

節子

久しぶりの李東哲さんが湯島にやってきました。
前回約束していた、李さんによって現れてきた「主書」をもってきてくれたのです。

 主は霊であふれている」という言葉から始まる「主書」には、李さんの生き方のすべてがたぶん示されているのでしょう。
「主教」は、数年前に李さん自らに降りてきた教えのようです。
李さんは「信主霊生」。主を信ずれば、霊が生まれる、と確信しています。
特に誰かに布教しようなどとは思っていないようですが、必ずいつか広がっていると信じているようです。

 私が李さんとこの話をするのは、今回が初めてです。
「いのち」とはなにか、神とはなにか、信ずるとは何か、について、2人で話し合いました。
儒教、華厳経、ユダヤ教、キリスト教、そしてゾロアスター教と、話題は宗教にも及びました。「教」が現れることの意味についても。
併せて、科学や論理についての議論もありました。近代西欧のパラダイムから解放されないと生命は見えてこない。
こういう議論をするのは久しぶりです。

気が付いたら、話しだしてから2時間以上がたっていました。
おかげでまたお昼を食べそこないました。
困ったものです。

霊に関して、自分の問題として話し合うのは久しぶりです。
大きなところでは分かり合えたような気がしますが、主と霊の関係に関しては、今回はまだ分かり合えませんでした。
李さんは、石とも話をするという私の話を何の抵抗もなく受け入れました。
時間感覚も共有できました。時間は人間が作り出した「仮説」でしかありません。

李さんの息子さんに会いたくなりました。
人間は育った環境で大きく違ってきます。
環境には生活環境と社会(政治経済)環境がありますが、前者がどんどん失われてきていることに、改めて大きな不安を感じます。

人類はどこから来てどこに行くのか。
この有名な問いは、私には未熟な問いに感じます。
人類は今どこにいるかから発想すべきではないかと思っています。

宗教(信仰)にきちんと向き合っている人と話すと、救われることもあります。

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■「資本主義の次に来る世界」

なぜか2人の友人から、ある本を読みましたか、とメールがありました。
こんなことはめずらしい。
しかもおひとりはしばらくお会いしていない古い友人です。

問題の本は、ジェイソン・ヒッケルの「資本主義の次に来る世界」。
先月、日本でも邦訳が出版されました。
私もすぐに読んだのですが、私が40年ほど前から考え行動してきたこととあまりにも重なっていたので、何の抵抗も、何の新鮮さもなく、読んだままになっていました。
ただ一度だけ、ある人たちに勧めたことがあるだけでした。

「資本主義の次に来る世界」は、邦訳の書名で、原初のタイトルは「Less is More」。
Less is More」は、湯島のサロンでも時々、話題になっています。

先日、湯島のサロンで、私があることを発言したら、「リアリスト」の人が「佐藤さんが言うのでおかしく聞こえるが、それは事実だと思う」と言って、別の説明をしてみんなの納得を得たようなことがありました。
その時、私の言葉はみんなにはあまり信頼されていないのだなと気づきました。
そういえば、よく「佐藤さんの発言はきれいごとだ」と言われることも時々あります。

私としては、私ほどのリアリストはそうはいないと思っているのですが。
どうも私の表現力はかなりレベルが低いようです。
困ったものです。

そこでこの本を皆さんに読んでもらえば、もう少し私の世界がわかってもらえるかもしれないと思い、遅まきながら紹介させてもらうことにしました。
前半はともかく、最後の第6章の「すべてはつながっている」だけでも読んでもらえるとうれしいです。
そして私の発言は決して、きれいごとでも冗談でもないことに気づいてもらえれば、もっとうれしいです。

今日も朝、畑に行って、野菜や野草たちと話してきました。

 

 

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■節子への挽歌5711:「癌」という言葉の持つ魔力

節子

相変わらず「癌」を心配して、いろんな人からメールなどが届きます。
今朝来たメールの最後には「ゆったりと笑ってお過ごしくださいませ」とありました。
なんだかみんな誤解しているような気がして、いささか心配になってきました。

やはり「癌」は特別なパワーを持った言葉のようです。
もしかしたら、この言葉の魔力こそが問題なのかもしれません。

癌宣告を受けたら、いや、癌の可能性がわか合っただけで、人は死をイメージするように仕向けられているようです。
私自身は、死は意識によって大きく加速されると思っています。
もっともそれが正しいと確信しているわけではありません。
事実、節子の場合は、その思いは無残にも破られてしまいました。
そして、そう確信していたことさえも、悔いたこともあります。
でもやはり私はそう思いたい。
もちろんいつもそうだとは限りませんが。

もっとも、なかには自ら前立腺がんを体験したことから、問題を逆に軽くとらえている人もいます。そう伝えることで渡井の負担が減るという思いやりからなのはよくわかりますが、これもまた正直、いささかの違和感があります。
要は病気は人それぞれです。

それにして、「癌」という言葉がこれほどみんなの意識を動かすことに改めて驚きます。
軽々に「癌になった」などというべきではなかったような気もします。

でもこの歳になったら、身体はいろいろと故障しだします。
それが老化ということでしょう。
でもいろんな人が、騒いでくれると、逆にちょっと不安になってきます。
困ったものです。

私ももう少し悩んだ方がいいのでしょうか。
でもまだちょっと早いです。

さてさて病院ではどういわれるでしょうか。
ちょっと覚悟しておいた方がいいのかもしれません。

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2023/07/23

■節子への挽歌5710:Less is More

節子

今日もまたいろんな人から「前立腺がん」に関するアドバイスや励ましのメールが届きます。
ありがたいしうれしいことではあるのですが、まだ検査もしていないので私自身は今は何も考えていないのです。
兄に伝えると面倒なことになるので、伝えない予定だったのですが、ちょうど食事を約束していたので、その延期を頼んだら、いろいろと訊かれてしまい、結局、伝わってしまいました。どうも私は隠し事は苦手です。

いろいろと届くメールに、一つ違ったメールが届いていました。
ジェイソン・ヒッケルの「資本主義の次に来る世界」は読みましたか、というメールです。
それももうここ数年、いや10年ほど、ご無沙汰している人からです。
彼がどうしてこのメールを送ってきたのかわかりません。

この本は読んでいましたし、ちょうど、先日、友人に推薦したところです。
「資本主義の次に来る世界」は、邦訳の書名で、原初のタイトルは「Less is More」。

この本は、私が30年ほど前から考え行動してきた内容とほぼ同じメッセージがとても分かりやすく書かれていて、なんだか自分で書いたような気がして読んでいたのです。
私にはあまりにも慣れ親しんでいる考えだったので、何の抵抗も、何の新鮮さもなく読み終えていたのですが、この本をきちんと読んで私の言動を受け止めてくれたら、もしかしたらもう少し私のことを理解してもらえるかもしれないと思ったりもしました。
でもそんなことをしなくても、わかってくれている人はわかってくれているでしょう。

前立腺がん情報にまぎれて、もう一つうれしいメールがありました。
熊本の宮田さんからです。
農福連携のサロンの、私の報告を読んでのメールです。
宮田さんも、私のことを理解してくれている一人です。
10月にまた東京に来た時に、今度はサロンではなく2人で話したいと言ってきました。
なぜかとてもうれしい申し出です。

なんだかやることがまだまだ多いようです。
困ったものです。
いい潮時かなとも思いますが、抗わなければいけないようです。

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2023/07/22

■節子への挽歌5709:おさむさんよりしっかりしているという孫

節子

今日はジュンの誕生日です。
ユカは、節子の血を継いだようで、家族の誕生日には科なら何かプレゼントをくれます。
今年も何か用意しているようです。
ちょうど昨日、にこが終業式だったので、そのお疲れ様会も兼ねてみんなで食事をしに行くことにしました。

こういう場合、最近はどこに行くかはにこが決めることになっています。
それで今回は、なんと「ガスト」になってしまいました。
私には苦手のところですが、にこが決めた以上は仕方ありません。
どうもガストはロボットが配膳しているのが気にいっているようです。
さらに行ってみてわかったのですが、ガストにはもう一つ魅力があって、あるメニューを選ぶと食後ガチャガチャができるのだそうなのです。
まったく困ったものです。

食事しながら夏休みにどこかに行こうと誘いましたが、どこもみんな断られました。
どうも目的地が問題なのではなくて、私と行くのがだめなようです。
困ったものです。

帰宅してにこは昼寝かなと思ったら、眠れないと言って2階に遊びに来ました。
主にユカが対応してくれましたが、突然、トランプゲームをやることになり、誘われました。
何をやるかと訊かれたので、ババ抜きにしようということになりました。

ひとしきり遊んだ後、フェイスブックで書いてもいいかと訊いたら、変なことを書くのはダメだというのです。
にこのことを書くとおさむさんよりにこのほうがしっかりしているとみんな言ってるよというと、それならいい、おさむさんよりはしっかりしているから、というのです。
にこにはまだ私の「偉大さ」はわかっていないようです。困ったものです。

関係がよくなったので、改めてまた科学博物館にはリカちゃん恐竜もいるよ、と言って誘いましたが、やはりだめ。リカちゃんロボットも、と言いましたが、ますますダメ。
さて妙案はないでしょうか。

Nico202307221

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■節子への挽歌5708:癌?告知の反響

節子

今朝は少しだけ湿度が低いためか久しぶりにさわやかな朝でした。
昨日、前立腺がん検査が陽性だったとフェイスっブックにも書いたのですが、朝起きてパソコンを開いたら、書いてしまいました。
いろんな人からメールやコメントをもらい、驚いています。
どうもいささかお騒がせさせてしまったようです。

もちろん陽性だったのは事実ですし、そのマーカー値もかなり高いのです。
私は、しかし十分にありうる話なので、驚きはしませんでしたが、付き合いの長い医師は、何やら大ごとそうに話していました。それがむしろ気にはなりましたが。そしていろんな人からのメッセージを読んでいると、何アヤラ結構大変なのだという気がしだしてきました。
やはり数値が異常に高いようです。

よくある話だとか自もそうだったが今は何ともないとか、そういう話もありましたが、なかにはかなり心配してくれて長いメッセージを下さった方もいます。
なかには自らのデータなども送ってくれたり、本当に他人事ではなく気遣ってくれたりする人が多いのにも驚きました。
いい治療を受けられる大学病院を紹介してくれたり、そこにつてがあるからという話もありました。
まだ入院するとは限っていませんが、入院したら土日には見舞いに行くとか、滅入らずに冷静に対応してくださいとか、まあそれこそ大変です。

心配するとしても、検査結果(事実)がわかってから、というのが私の生き方ですので、私自身は今朝の今朝まで、まったくと言っていいほど気にしていなかったのですが、いろいろと呼んでいるうちにちょっと気になりだしてしまいました。
困ったものです。
他者を気遣ったり見舞ったりすることの難しさを、改めて感じました。

「癌」という文字が、やはり多くの人を騒がせてしまうのでしょう。
いずれにしろ、たぶん来週の水曜日には病院に行く予定です。

今回は、前回のように、即入院とはならないでしょうし、たとえそう言われても今回は断固断る予定です。翌日、とても楽しみのサロンがありますし。
いずれにしろまた報告させてもらいます。

 

検査結果では、また新しい自分に出合えるかもしれません。

ちょっと楽しみで、ちょっと面倒くさくもありますが。

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■湯島サロン「いま沖縄で進んでいる軍事基地化をどう思いますか」報告

湯島サロン仲間のnikoさんの呼びかけで開催された、沖縄、南西諸島で進んでいる軍事拠点化の動きを追いかけている三上智恵さんのドキュメント映像の上映会には8人の参加者がありました。
もう何回も見ている人もいましたし、初めての人もいましたが、みんな最近の日本の状況に不安を持っている点では一致していたように思います。

nikoさんは、最初に、第三者としてこの映画を鑑賞するのではなく、画面に出てくる人たちと同じところに立って、観てほしいと呼び掛けました。

つまり、知識や情報としてではなく、自分の世界の話として、当事者意識をもって映画を観ながら考えてほしいということでしょう。

映画は、いま沖縄で起こっている事実を淡々と伝えるものですから、それをどう受け止め、どう解釈していくかは観るものの姿勢によって大きく違うように思いました。
だからこそ、こういう集まりは大切なのでしょう。
nikoさんの思いが少し理解できました。

映画を観た後、参加者がそれぞれ簡単な自己紹介と映画への感想を述べました。
みなさんの話を聞いていて、現地の人の立場で考えるということの難しさを改めて感じました。それでも「言葉」とは別に、たぶんみんな現地の人の「思い」はそれぞれに感じたのではないかということも伝わってきました。
私は、いささか感じすぎて、どっと疲れてしまいました。
もうここまできているのかというあきらめの気分も正直感じてしまいました。

参加者の中には、重く感じたという人もいましたが、どうも私たちは最近、こうした動きに関して「抗体」ができてしまったような気もします。
恥ずかしながら私もその一人のようで、何かしようという気よりも、やはりそうかという気のほうがまさってしまい、うまくその後の話し合いを進められませんでした。

一番の悔いは、こうした活動を続けている肝心のnikoさんの話をもっと聞けばよかったということです。初めてだったこともあり、私以外の人もそうでしょうが、思いを発することにどうしても気が向いてしまったような気がします。

話し合いはいろいろと広がりました。
みんなそれぞれに思いもあり、実践もしています。やはり話し合う場が少ないのかもしれません。こうした現地での動画を見る機会が少なかった人も多かったようです。
みんな口コミで広げてくれるでしょう。

基地の近くに住んでいる方もいました。
沖縄での動きを知っているかどうかで、たぶん基地から飛び立つ飛行機の音への感じ方も違うでしょう。何かを知れば、人は変わります。

しかし、上映会を企画してくれたnikoさんの思いに応えるには、やはり何かできることはないかと考えることが大事です。
nikoさんが言うように、基地の多い沖縄でいま何が起こっているのかを、しっかりと知ろうとすることが出発点ですが、知っただけで何も動かなければ意味がありません。
私も以前は、沖縄現地の新聞を時々、ネットでチェックしていましたが、最近はもうやめていました。定期的に来るNPOからの情報も見逃すことが多くなっています。
まずはそれを改めることにしました。

帰宅後、早速、いくつかのネット記事なども読みなおしました。
きっと何かできることが見つかるでしょう。

ちなみに、「沖縄と連帯する会・ぎふ」というグループから、あるメーリングリストを通じて、これまでも定期的の知らせをもらっています。
このグループのサイトには、沖縄2紙のニュースの見出しや沖縄関係のニュース動画などが定期的に紹介されています。https://okinawarentaigifu.jimdo.com/
ぜひみなさんにも、時々でいいですので、見てほしいと思います。
沖縄での動きは、もしかしたら私たちの明日の話かもしれません。

ちなみに、nikoさんはサロンの翌日から、沖縄に行くと話されていました。
戻ってきたらまたぜひサロンをやってほしいと思います。
一度だけで終わらせてしまうと私のような怠惰な人間は忘れてしまいかねません。

nikoさんが呼びかける平和サロンも継続するそうです。
私たちにつながっている問題です。ぜひひきつづき考えていければと思います。

Okinawa202307

 

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2023/07/21

■節子への挽歌5707:がんに出合ってしまいました

節子

私もがんに出合ってしまいました。
先週、久しぶりに受けた長寿健康検診の時、遠藤さんに勧められて前立腺がんの検査をしたのですが、今日、結果を聞きに行ったら、まさかの陽性でした。

実は、遠藤さんには別の手術(胆嚢胆石摘出)で紹介状を書いてもらう予定で、それもあって健康診断を受けたのですが、遠藤さんはそれどころじゃないだろうと言って、前立腺がんのほうの紹介状を書いてくれました。私の苦手な東邦病院です。
胆嚢胆石摘出は急がないでいいから、ともかく来週にでも東邦病院行けというのです。
遠藤さんは「もっとマーカー値が高かった人も今も元気だから」と、何やら私を元気づけてくれるのですが、当の私としてはまったく何も心配ではありません。
歳をとれば、がんになっても何もおかしくないと思うからです。

ただ胃がんと宣告されたときに節子を思い出しました。
節子はまったく深刻に考えず、がんになってしまったと下を出すくらい冷静でした。
私も同じく、がんだからなんだという気持ちでした。
でもそれが間違いの始まりでした。

でもまあ、胃がんと前立腺がんは違うでしょう。
いずれにしろ確実でないことを悩むことはありません。

しかし「がん」ですので、家族には伝えた方がいいと思い、伝えましたが、ついでにフェイスブックでも公開してしまいました。
そのうえ、ユカがうるさいので、来週の水曜日に病院に行くことにしました。

さて私もがんを体験することになりました。
これからどう展開していくのか、ちょっと楽しみでもあります。
まあちょっと面倒くさい気もしないではないのですが。

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2023/07/20

■節子への挽歌5706:にこの通知表(2023年7月20日)

節子

今日はにこの終業式でした。
2階にわざわざ「通知表」を見せに来てくれました。
いまは「通知表」とは言わないのですが、まあいろんな項目に2段階で評価されているのです。

そして先生のコメントが書かれていました。
そこに「だれにもやさしくしていて、みんなにしんらいされています」「てがみ係として毎日よくやってくれました」などと書かれていました。

がんばったねと言ったのですが、つづいて、でもみんなにやさしいのにおさむさんにはやさしくないよね、と言ったら、無視されてしまいました。
学校でてがみ係なら、家では新聞係をやってほしいといったのですが、これも断られてしまいました。
困ったものです。
ご褒美に、夕食に何か食べに行こうかと誘いましたが、これもお断り。
暑さか疲れか、いつもよりも口数が少なかったです。

さて夏休みに上野動物園か科学博物館に引き出すことはうまくいくでしょうか。
私と2人だと、私が倒れるかもしれないと思っているふうがあり、いささか心配です。

そういえば、今週は高血圧の薬がなくなっていて飲んでいないので、今日、歯医者さんで血圧を調べたら、やけに高かったです。
下は100を、上は200を超えていました。
まあ歯医者さんの血圧計とは相性が悪いのでいつも高いのですが。
でもやはり明日は遠藤さんに行って、降圧剤をもらって来ようと思います。

 

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■節子への挽歌5705:我孫子の新しい伝統野菜づくり

節子

今日は地元の我孫子で、自然農法に長年取り組んでいる佃さんと会いました。
佃さんは、我孫子の新しい伝統野菜を育てていこうという夢に取り組んでいる人です。その夢の話を改めてお聞きしました。
夢を持っている人に会うと、何かできることはないだろうかと考えてしまうのです。
私自身の夢は20年ほど前に、節子とともに挫折しましたので、それを埋め合わせたいという思いがあるのかもしれません。
以来、東尋坊の茂さんの誘いを皮切りに、高林さんの夢など、いくつかの夢の実現に加担してきました。

佃さんは、夢の実現に向けて、8月6日に自分のヘチマ畑で、チェロの演奏と自然農法で育てた野菜の料理を楽しむ集まりを企画しています。
私は別の約束と重なってしまっていたのですが、佃さんから参加して応援してほしいと言われているのです。

佃さんの夢は、もちろんただ新しい伝統野菜を創りだすことだけではありません。
その背景にはもっと大きな夢があります。
でもまだそれを言語化できていません。
でも私には、なんとなくそれが見えるのです。
まあ私が勝手に膨らませているだけかもしれませんが。

畑もどき作業にさえ手こずっている私にできることはあまりありませんが、まあささやかながら応援しようと思っています。

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■節子への挽歌5704:また畑に行きそこないました

節子

今日も暑いです。
涼しいうちに畑に行こうと思ったのですが、その前にパソコンを開いたら、いろんなメールが届いていて、それに対応していたら、1時間たってしまい、すでにもう暑くなって、畑に行く気がうせてしまいました。

まずは来週予定していたサロンの主役が、歯痛で抜歯のためにサロンを延期してほしいと連絡があり、急いで告知し、参加申込者に連絡しました。
歯痛は結構つらいでしょう。
幸いに私は良い歯医者さんに出合えたので、もう歯で悩むことはありません。

次もまた心配なメールです。
症状が悪化し、とうとうペースメーカーを入れることになったという連絡です。
サロンの常連のおひとりですが、最近、サロンに顔を出さないので気になっていました。暑いから自重しているのだろうと思っていましたが、どうもそうではなかったようです。
これからはそう簡単にはサロンにも来られないかもしれません。

次はちょっとうれしいメールです。
あることをお願いした人からですが、早速に近々会おうということになりました。
もう一人、久しぶりにまた東京に行くので、サロンではなく個人的にゆっくり話したいというメール。うれしい話です。
今日の午後、相談したいので会いたいというメールもありました。
午後は先日の健康診査結果を聞きに遠藤さんに行こうかと思っていましたが、相談を優先することにしました。

まあこんな感じでいろいろとやり取りしていたら1時間たってしまったというわけです。

最近、セミの声がにぎやかです。
朝はニイニイゼミ、昼過ぎからはミンミンゼミ。
でも今の子どもたちは蝉取りにはいかないのでしょう。

今年は暑いせいか、トンボも蝶々も少ないです。
生命には厳しい夏になってきたようです。
まさにエコロジー・アルマゲドンが始まったのかもしれません。
強いには植物です。
最後はAIではなく植物が残るのかもしれません。

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2023/07/19

■節子への挽歌5703:身体が縮小し始めています

節子

最近、身体が縮小しだしています。
先日、病院で検査をしたら、身長が2センチ、体重が5キロ以上、減少していました。
縮小速度は年々加速されているようです。
さらに縮小速度が加速され、10年後には跡形もなくなるようだといいのですが、そうはいかないでしょう。

身長が縮小するのは自然なのだそうですが、体重は別の原因があるかも知れません。
急にやせてしまった人が病気だったという話はよくあります。

そういえば、3か月ほど前にある人から、やせたねと言われましたが、2週間ほど前にも、サロンによく来る人が、最近やせましたか? と改まって言われました。
見ても感ずるほどやせてきているのでしょうか。
となるともしかすると何か原因があるのかもしれません。

そういえば、先日、遠藤さんのところでやった長寿健康診査の結果をまだ聞きに行っていません。
さてどうなっているでしょうか。
明日にでも聞きに行こうかと思います。

今日もまた友人から病気にまつわる連絡がありました。
しばらく湯島のサロンに顔を出していないので気にはなっていたのですが。
この夏でまたサロン仲間を何人か失うことになりそうです。

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■湯島サロン「『陰謀論』論、これからどうなる地球の未来!」報告

今回も大勢の参加者がありました。

Inbou202307

最近のマスコミ報道はあまり信頼できないという思いが広がっているのかもしれません。確かによく考えるとおかしな話が山ほどあります。
先日、朝日新聞の天声人語で、チェコ・スロバキアの作家ミラン・クンデラの「前には理解できる嘘があって、その後ろには理解できない真実が透けて見える」という言葉が紹介されていましたが、少しずつ報道の後ろの真実への関心が高まっているのかもしれません。しかも、最近ではそれが自分の生活にも関連しているのがわかりだした。

今回も、最初に北川さんからベリングキャット並みに調べた公開されている様々な情報をテーマごとに整理し、頭出ししてもらいました。断片的な情報をつなげていくと、その後ろの真実が少しずつ見えてくるような気がします。

それを踏まえて、中嶋さんがいつものように、大きな物語を解説してくれました。中嶋さんは、以前話していた「物語仮説」が次々と証明されてきているといいます。たしかに、最初はそんな馬鹿なと思っていたようなことも、最近ではそうだったのか、と思えるようなことも少なくないはずです。
それからみんなでの話し合い。実にいろいろな意見が出ました。

北川さんは前回同様、情報の出所に関してまず解説してくれました。
長年付き合っていると、だれ(どこ)が信頼できるかどうかはおのずと見えてきます。そうした信頼できる情報元をしっかりと見つけていくことが大事な時代です。

つづいて、北川さんが話題にしたのが、つい最近話題になった「りゅうちぇるは自殺か?」という問題です。そうした事件も、よく調べていくといろいろと不審な「陰謀」が感じられるのです。そして表面的な話の後ろに、思ってもいないような真実が隠されていることもある。北川さんは、そういう「例題」として、この話題を最初に取り上げてくれたのです。単なる芸能ニュースにしてはいけない。

つづいて、前回も話題になった「陰謀」の主役(ディープステート)はだれかという話に関連して、「グローバリスト vs ナショナリスト」と「リベラルvs 保守」のを組み合わせた大きな枠組みで考えるとわかりやすいという話をしてくれました。そうやって整理するとますます頭が混乱してもくるのですが、枠組みがないと全く見えてはこない。その意味で、世界をどう理解するかの枠組みは大切だと思います。

しかし、「国家」という言葉も多義的ですからややこしい。いわゆる「ディープステート」は「ネイションステート(国民国家)」の枠組みを超えていて、グローバリストなのです。言葉の詐術に陥らないようにしなといけません。

最近は、こうした枠組みの中に、「地域主義」という動きが注目されだしていますが、その要素をいれて世界を見ていくと、陰謀や陰謀論も少しわかりやすくなるように思います。地球規模の陰謀が動き出したのは、近代国家成立以前ですから。
いずれにしろ、世界を見ていく大きな枠組みをどう構想するかで、世界の見え方は全く変わってくるように思います。

北川さんはそうした「総論」につづいて、案内に書いた8つのテーマに絞って、話し合いの材料を提供してくれました。
1)アメリカ大統領選はどうなる、誰がなるかで地球の未来は決まる。
2)作られたコロナ、用意されたmRNAワクチン、パンデミック・インフォデミック?
3)ロシアのウクライナ侵攻で報道が真逆。その背景は。
4)ケネディ暗殺を思い出す安倍暗殺事件だが、消し去られるのはなぜ。
5)操られているキッシー政権、マイナカード等の闇、これからどうなる。
6)30年以上もなぜ不況が続くのか。これからどうなる。
7)少子化による人口減少か、自殺が原因か、ワクチンが原因か、貧乏が原因か。

参加者のおひとりが話していましたが、個別の情報もこうして整理して話してもらえると見えてくるものがあり、個別に情報と接しているのとはだいぶ違います。個々のテーマの向こうに見えてくる大きな動きも感じられます。

ここからは必ずしも北川さんと中島さんの確認を得てはいませんが、今回の話を聞いて私なりに整理すれば、世界人口の削減と市場の創造をもくろむDSなどの「陰謀者」にとっての最近の戦略は、コロナーワクチンとウクライナ騒動でしたが、次の課題は世界通貨問題のようです。
これまでの仮想通貨や暗号資産といった取り組みは、あまりうまくいっていませんが、今度はいよいよ金(ゴールド)も巻き込んでの通貨制度の再構築が焦点になっていくかもしれません。

陰謀論にあっては、通貨こそが陰謀者たちの決め手ですから、いよいよ「戦い」は本丸に入ってきたとも言えます。
陰謀を企てる人たちも当然一枚岩ではないので、「陰謀者」の仲間割れが起こっているとも考えられます。今回、ちょっと話題になったのはBRICS通貨問題ですが、このゆくえは注目に値します。

通貨体制によって私たちの生活は、いまやがんじがらめにされてしまっていて、まさに「陰謀者」の思うとおりになっているとも言えますが、しかし、いまの通貨体制が壊れてしまえば、私たちの生活もとんでもなく大きな影響を受けることになるでしょう。
サロンではそんな話も出ました。

ではどうすればいいのか。
中嶋さんは、まずは事実を知ることであり、そのためにもマスコミ報道は疑って受け止めようと言います。確かにそうですが、だからと言
て、ネットなどでのミニコミ情報を信じていいわけではありません。世間に出回っている様々な「陰謀論」もまた疑っていかないと、ミイラ取りがミイラになってしまいかねません。
要は、自分でしっかり考えていこうということです。

今回は、「陰謀論」をどう読み解くかという「陰謀論」論も少し意図していたのですが、やはり目の前の「陰謀」や「陰謀論」の魅力には勝てません。それに、「陰謀論」論サロンはあんまり魅力がないでしょう。あまりに現実的過ぎて、その種の本もあまり売れていないようですし。

ちなみに、今回の話し合いでは、宮古島沖陸自ヘリ航空事故に関しても話題になり、さまざまな見方が紹介されました。疑問を持ったら疑問はどんどん広がる好例です。
でも現代人は忙しいですから、追い続ける時間も術もない。
疑問を集め深め合う場ができればいいのですが、そういう場はどうも偏っていって、「もう一つの陰謀の場」になりかねない。そうしたことを私たちは、コロナとワクチンで痛いほど体験したように思います。

そういえば、今回はUFO(未確認飛行物体)も話題になりました。

UFOには私も一時期、はまった時期があるので、一度、UFOサロンも企画したいと思います。UFOに招待(誘拐)された経験のある人やUFO目撃者がいたらご連絡ください。話し手も募集中です。宇宙人も大歓迎です。

北川さんが提供してくれた情報に関しては、もし関心のある人がいたら、ご連絡ください。
一部のデータを提供できるかもしれません。

 

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2023/07/18

■節子への挽歌5702:高月メロンが今年も送られてきました

節子

高月メロンが今年も送られてきました。
節子の生家からです。

久しぶりに電話しました。
節子の生家も今は節子の義妹が大きな家に一人で住んでいます。
夫に先立たれ娘たちはみんなもう嫁いでいて、家を出ているのです。
あの大きな家に一人住まいとは大変でしょう。

電話の声は元気そうでした。
年の一度の電話でのやり取りだけですが、私と彼女のいずれかが亡くなってしまえば、この関係もなくなっていくでしょう。
娘たちはまだ記憶があるとはいえ、世代を経るということはそういうことなのでしょう。
なんだか少し寂しい気もします。

社会の分断がよく話題になりますが、これは政治や経済だけが理由ではないでしょう。
分断していく傾向は、たぶんほとんどの人の中にあるように思います。
家族の捉え方も大きく変わってきていますが、それぞれが自由に生きられる社会になったのかもしれません。
分断が悪いとばかりは言えないのかもしれません。

高月メロンにもいろんな思い出がある。
過去を思い出すのが好きでない私も、最近、いささか涙もろくなってしまいました。
困ったものです。

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■湯島サロン「農福連携のこれまでとこれから/農福連携のもう一つの本質」報告

 

 

「農」も「福祉」も実践しながら農福連携のあり方を実践的に模索している熊本の宮田喜代志さんの1年半ぶりのサロンは、私には感動的なサロンでした。

というのは、私にとって、心底共感できる話だったからです。

 

1年半前の宮田さんのサロンの報告で、私は次のように書きました。

 

私自身はCSA(地域で支える農業)にこそ「農業」と「福祉」の「連携」を超えた第3の理念(「コモンズの共創」)を感じているのですが、宮田さんの農福連携活動もまた、次のステップに向かいつつあることを今回は強く感じました。

 

それがまさに今回、実証されたような気がしたのです。

 

湯島で農福連携を取り上げたのは、11年前。宮田さんの呼びかけを受けて、農福連携をテーマにしたアグリフェラインを立ち上げたのですが、その集まりの報告には次のように書きました。

 

「農業のための福祉」でも、「福祉のための農業」でもなく、農業や福祉そのものに内在している価値を考えながら、私たちの生き方や社会のあり方を見直し、実践活動へとつなげていくことを目指した、やわらかなネットワークを目指したいと思います。

 

それがようやく宮田さんの手によって実現しつつあるようです。

 

今回、宮田さんは、実践を通して整理した「農福連携」の取り組み(類型的な広がり)とその効用を踏まえて、「農福連携の到達点と限界」から話を始めました。

そして、これまでの取り組みは、農業の視点が基軸だったのではないかと総括し、改めて福祉の視点からの取り組みを重視していくこと、それによって、地域共生社会をつくるための柱になっていくことで、農福連携を国民的運動へとつなげていきたいという展望のもとに、いま実際に取り組んでいることを紹介してくれました。

 

宮田さんによれば、農福連携は「地域組織化」の一つであり、しかも、一般的地域コミュニティから福祉コミュニティへの移行という、いわば「地域リハビリテーション」にこそ、農福連携の福祉的意味があると言います。

つまり、地域に多様に存在する「社会資源」を束ねていく「拠点機能」として、地域的な広がりと結合を進める社会福祉実践だというのです。

そして宮田さんは、「100年ボンド事業」の実践を皮切りに、これから多様な農福連携の地域ネットワークづくりに取り組みだしているのです。

100年ボンド事業では、障害者や高齢者、どんな人も参加できるユニバーサルな技術体系としての農福連携を展望し、農園、シェアハウス、コミュニティカフェを拠点としたコミュニティづくりとそこで生きる人たちをささえる「相談支援者の集団づくり」に取り組みだしています。

詳しくは100年ボンドのサイトをご覧ください。

https://www.100nenbond.com/

 

それに関連して、宮田さんは菌根菌の話をしてくれました。

植物は、目には見えない土の中で、お互いの根に着生した糸状の菌で種を超えてつながり合い支え合っているそうです。それも開かれたつながりなのです。

そうしたリゾーミックな支え合いを地域コミュニティに育てて行こうというのが、宮田さんが考える相談支援者のネットワークです。そしてそれを育てることが、宮田さんの言う「地域リハビリテーション」なのでしょう。

そうした発想も、まさに農業に取り組んでいればこそのものです。福祉が農業から学ぶとは、そういうことではないかと私は思います。そこに私は「新しい福祉観」を感じます。ちなみに、それはさらに次世代を育てる教育にもつながっていきます。

 

さらに、いまの福祉の世界を覆っている「労働脅迫観念」にも、宮田さんは言及しました。

「稼ぐ」発想ではなく、「働く(生きる)」発想を基軸にして考えていくこと、つまり、「労働訓練」ではなく、生活訓練、心の練習、自分探しが大切で、それを身に付ける場が、自分はここに居ていいのだという「居場所意識」と「コミュニティ」なのです。

100年ボンドで宮田さんたちが提供したいと考えているのは、制度が保障する「自立訓練(生活訓練)」だけではなく、コミュニティ農園、シェアハウス、コミュニティカフェ、そしてそれを支える人のつながりなのです。

 

最後に宮田さんは吉野弘さんの「生命は」という詩の一部を読み上げてくれました。

 

花が咲いている すぐ近くまで 虻(あぶ)の姿をした他者が 光をまとって飛んできている

私も あるとき 誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき 私のための風だったかもしれない

 

読み上げた後、宮田さんはこう話を締めくくりました。

地域とは、「花」のことです。

コミュニティとは、「虻」や「風」による「受粉」という現象です。

ここに、「共生」という言葉の重みがあるのではないでしょうか?

 

そこから話し合いが始まりましたが、長くなったので、報告は省略します。

いろんな話題が飛び交いましたが、いつもながら紹介できないのが残念です。

 

ちなみに、全国の農福連携実践事例は、次のノウフク・マッチング・ハンドブックを参照してください、という紹介もありました。

https://www.notosoken.jp/

 

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2023/07/17

■節子への挽歌5701:88歳まで頑張ることになりました

節子

今日は「海の日」で休日でしたが、湯島でサロンをやりました。
いま進められている沖縄南西諸島での軍事基地化に抗って頑張っている人たちの映画作りをしている三上さんのラッシュ動画を見て話し合う集まりです。
暑い日になあったため、予定している人が2人も欠席になあったしまいましたが、なんとそこに申し込んでいなかった渕野さんがやってきたのです。

節子もよく知っている渕野さんは、7年前には肺がんが見つかり、しかし手術がうまくいってその後、順調に回復し、もう大丈夫だろうと思っていた矢先に、再発し、改めてまた肺の一つを摘出する手術をしたばかりです。
それもかなり大変な手術だと聞いていたので、まさかやってくるとは思ってもいなかったのです。

今日は渕野さんの誕生日でもあります。
彼は会社時代の後輩ですが、私が退社を覚悟で社長に提案して取り組んだプロジェクトの、最初の仲間にスカウトした人です。
彼は心底信頼できる人です。
節子の見舞いにも夫婦でやってきてくれました。

こんな暑い日にやってくるとは気がおかしくなったのかと言いましたが、私も佐藤さんも、いつ何があるかわからないので、会える時に会っておこうと思うと言うのです。
座っていても苦しそうです。
まったく無茶をする。困ったものです。

そして私も頑張るので、佐藤さんも88歳まで頑張ってくださいというのです。
88歳とはまだ5年以上もあるので乗り気ではないと言いましたが、私も頑張るので、と言われてしまうとむげには断られません。
それで私も88歳までは頑張ることにしました。
まあ途中、渕野さんに何かがあれば、この決意は白紙にしますが。

でもまあ彼の訪問はとてもうれしい。
会社最後のプロジェクトの同志に彼を選んだのは正解でした。
私よりも先にがんになるのは許し方ですが、仕方がありません。

節子がいたら、渕野夫婦とはもう少し深い付き合いもできたでしょう。
それもいささか残念ではあります。

 

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■節子への挽歌5700:早朝の水やり

節子

5時に起きて、畑に久しぶりに早朝の水やりに行きました。
最近は日中は暑くて行く気が起きません。
しかし放置しておくととんでもないことになりかねません。
そこで5時過ぎに畑に行ってみました。
本当に久しぶりです。

行ってみて驚きました。
すでに「とんでもない状況」になっていました。
畑に入っていけないほど野草は茂っていて、水をやるホースさえ見当たらない。
ようやく見つけて水を出そうと思ったら、ホースのシャワーがはじけ飛んでしまいました。

野草に抗ってトマトだけはたくさんなっていましたが、袋も持ってこなかったので、今朝の朝食用だけに収穫しました。道沿いであれば、「自由にお持ちください」と書けるのですが。

花壇はせっかく整えだしたのに、跡形もない。
ただ元気なのは琉球朝顔です。今年もまた畑全体に広がりそうな勢いです。

畑には少しいただけですが、手足じゅうが蚊に刺され、かゆくて仕方がない。
ほうほうのていで帰宅しました。
5時半なら涼しいと思ったのですが、もう汗びっしょりです。
今日も猛暑です。
そのせいか、これまでいつも途中で散歩の人に会っていましたが、今日はだれとも会いませんでした。

帰宅して部屋の温度を見たら、なんとすでに29度。湿度は76%。
さすがにエアコンをつけることにしました。

今年もまた畑の取り組み方を間違ってしまいました。
できることならもうやめたいですが、とりかかった以上、勝手にはやめられません。
人生は厳しいです。

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■湯島サロン「〈パブリック〉と〈公〉の違いを考える」のご案内

アメリカ法がご専門の柿嶋美子さんに、サロンをお願いすることになりました。
サロン参加者からの要望もあって、テーマは〈パブリック〉と〈公〉の違いです。

日本では、〈パブリック〉が〈公〉と訳されますが、全く違った意味合いを持っていることは、サロンでも何回か話題になっていますが、今回は、都市基盤整備における日米比較を入り口に、柿嶋さんに具体的にお話しいただこうと思います。

柿嶋さんからのメッセージをお伝えします。

私はアメリカ法の研究を専門として選び、土地法の研究をとっかかりにして研究者の道に入りました。1978−80年に最初の長期留学をしました。 「衣食住」は、人の生活の基本的要素です。暮らしてみての日米比較を通して、「衣食」はアメリカに勝るとも劣らないものの、「住」には余りに大きな違いがあることを痛感しました。 なぜか?  それを探し求める旅にでたところ、道路を中心とする都市基盤整備のあり方における両国の違いが一つの手がかりになるのではないかという見解に達しました。 そうした中、アメリカの裁判判例の中に出てくる”the public “という語を「公衆」と訳していて、「何か違うぞ」ということに気がつきました。 こうしたことをきっかけに、public と公の違いに興味を持つようになった訳です。 今回のサロンでは、この私の気づきの道をご一緒に辿って頂き、次に辞書的(あるいは教科書的)知識のレベルでpublic/公の異同の広がりを皆さんと共有して、一般論への道を拓き、ディスカッションしてみたいと思います。

以上が柿嶋さんからのメッセージです。
湯島のサロンの理念は「コモンズの共創」ですが、たぶん「コモンズ/共」の話にもつながっていくと思います。
皆さんの参加をお待ちしています。

〇日時:2023年8月13日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「〈パブリック〉と〈公〉の違いを考える」
〇話題提供者:柿嶋美子さん(東京大学名誉教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2023/07/16

■節子への挽歌5699:八坂神社のお祭り

節子

昨日と今日は地元の八坂神社のお祭りです。
昨日も、にぎやかなお囃子を聞きながら、駅から帰宅しました。
数年ぶりの開催なので、にぎやかです。

にこは朝から友だちとずっと出かけていたようで、私が帰宅した時には疲れて自宅に戻っていました。
ところが夕食後、また元気が出てきたようで、みんなで夜店に行こうと誘われましたが、疲れていたので、私だけが行きませんでした。
私が行かないと言ったら、にこが「よかった」と喜んでいました。
期待を裏切ってしまったかもしれません。

それで今朝、今日、行こうかと声をかけたら、昨日、朝からずっとお祭りに出かけて疲れたのか熱が出て今日は行かないと、また断られました。
じゅんによれば、朝から高熱のようです。
それでお見舞いも兼ねて、アイスクリームを持っていきましたが、どうも好きなアイスクリームではないようで、あんまり喜びませんでした。
孫との関係づくりは難しい。

ところが夕方にはもう熱が引いたようで、庭で水遊びをしていました。
それで、2階のベランダから声をかけたら水鉄砲で攻撃されて、水だらけになってしまいました。まったく困ったものです。
それで、私よりも、下の畑に水をやってほしいと言ったら、今度は素直に畑に向かって水を発射していました。
にこ親子は、明日はみんなで海に行く計画だったのですが、それはどうも中止のようです。

それにしても今年の夏の暑さは厳しいです。まだ7月中旬だというのに。

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■湯島サロン「サンチャゴ巡礼で気づいたこと・変わったこと」のご案内

先日、サンティアゴ巡礼から帰国してすぐの鈴木章弘さんに「巡礼生報告」サロンを開いてもらいました。参加者が多かったのと、当日参加できずに残念がっていた人も何人かいたので、改めて今度は「生報告」ならぬ「本報告」を、さらに鈴木さんが今回、巡礼途上で出会った巡礼者にも来ていただき、巡礼者同士で話し合う形でのサロンを開催することになりました。

今回、新たに来てくださるのは、まず31歳の若者です。
31歳というのに、私はまず驚きましたが、世代が違えば、巡礼の意味づけや巡礼体験もまた違っているかもしれません。鈴木さんとはまた違った体験をしてきているかもしれません。

さらにもしかしたら、60代、70代の巡礼者の人が来てくれるかもしれません。
ちなみに、60代の方は、「友人に巡礼のことを話すと肉体的な負荷についてばかり聞かれる。本当に話したいのは精神的にどう変わったか、ということなんだけど…」と鈴木さんにメールしてきたそうです。
精神的にどう変わったか。とても興味があります。

どなたが来てくださるか、まだ確実ではありませんが、31歳の若者は確実です。
当日は、鈴木さんに話の引き出し役になってもらい、前半は対談か鼎談か座談かのスタイルで、後半はそこに参加者も入るような形でみんなで話し合うスタイルで、サンティアゴ巡礼にみんなで触れるサロンになればと思っています。

急なお誘いですが、サンティアゴ巡礼疑似体験を楽しみたい人、あるいは巡礼体験のおこぼれをもらいたいと思っている、いまの私のように心身疲れ切っている人、サンティアゴ巡礼など知らない人、どなたでも歓迎です。
話し手が多いのでいつもより少し時間を長くとりました。

猛暑を乗り切るためにも、ぜひご参加ください。
きっと何かに気づかせてもらえると思います。

〇日時:2023年7月30日(日曜日)午後2時~4時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:サンチャゴ巡礼で気づいたこと・変わったこと
〇話題提供者:鈴木章弘さんほか今年サンティアゴ巡礼路を歩いてきた人たち
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2023/07/15

■節子への挽歌5698:嘘と真実

節子

今日は湯島で、陰謀論をテーマにしたサロンでした。
定期的に開催していますが、毎回、参加者が多いのです。
今日もまた10人を超す参加者がありました。

私が陰謀論にはまったのは、もう40年ほど近く前でしょうか。
まわりにM資金とか清朝の末裔とか、いろいろと怪しい話がまだ残っていました。
誰だか忘れてしまいましたが、誘われて一緒にM資金関係者に会いにも行きましたし、清朝の末裔という女性にも会いました。
いずれもその後発展はありませんでした。
それとは別に、陰謀がらみの話で「謀殺」されたのではないかと思えるような不審事も何件か起こっています。

そもそも「陰謀」を隠すのが「陰謀論」だと思いますので、「陰謀論」を信じた途端に、まさに陰謀論者の罠に陥っているのですが、陰謀論サロンはそうした罠の場になりえます。だから私が陰謀論サロンをやることに否定的な人もいますが、逆に頭から否定してしまっては、これまた陰謀論者の罠にはまっていると言えるでしょう。


昨日の朝日新聞の天声人語に、チェコ・スロバキアの作家ミラン・クンデラさんの言葉が紹介されていました。
「前には理解できる嘘があって、その後ろには理解できない真実が透けて見える」
まさに陰謀論の世界を買っているように思います。

理解できない真実までたどり着かないと、世界はなかなか見えてきません。
しかし、最近、私はその世界がかなり見えてきたような気がしています。
まあ単なる思い込みでしかないのでしょうが。

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■福祉とは人間らしく生き合う(ケアし合う)関係を育てること

昨日は上野から我孫子にJRで帰ったのですが、疲れていたので、上野駅で25分ほど待って、始発の電車に乗りました。私はできるだけ「優先席」に座るようにしています。上野は常磐線の始発駅なので、20分ほど待てば必ず座れるのです。
あいにく私が上野駅に着いた時には、次の電車は10分後の発車でしたが、座れそうもなかったので、さらにその17分後の始発電車に乗ることにしました。

発車間際には混んできて、優先席の私の前にもたくさんの人が立つ状況でした。
私は席で本を読んでいたのですが、北千住あたりで反対側の優先席の前で立っている若い女性が地面にしゃがんだようでした。母子でしたが、2人とも大きな紙袋を持っていたので、私はディズニーランドに行ってきた母子かと思って、疲れていても行儀が悪いなと思いました。

ところが次の松戸駅で立っていた人が大勢おり、若い女性の前の優先席が空きました。そこで彼女は座ったのですが、見ると紙袋の横に、ヘルプマークを付けているのが見えました。
疲れたのではなく、立っているのがつらかったのでしょう。
残念ながら、優先席に座っていた人も、みんな疲れ切って寝入っていたので、ヘルプマークに気が付かなかったのかもしれません。

そこから私はいろいろと考えてしまいました。
私の前に彼女が立って、ヘルプマークに気づいたらどうしたでしょうか。
たぶんあまり何も考えずに立ち上がるでしょう。
まあこれまでもそうでしたから。

でも冷静に考えると、私も今日はかなり疲れていて、だから帰宅時間を延ばしてまで座ったわけです。そしてその親子も、10分待てば座れたはずです。
そう思うといささか複雑な気分になります。

帰宅して夕刊を見たら、優先席の話が出ていました。
ますます考えてしまいました。

たまたま今日は湯島で「農福連携」をテーマにしたサロンでした。
「福祉」っていったい何なのか。
帰路の電車風景は、そんなことまでいろいろと考えさせられる契機になりました。

福祉とはお互いに人間らしく生き合う(ケアし合う)関係を育てることではないかというのが最近の私の考えです。

 

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2023/07/14

■節子への挽歌5697:血管年齢は70代前半だそうですが

節子

今日は脳神経外科の定期検査でした。
今回はあまりきちんと水も飲んでいないので、いささか心配でしたが、結果はとても良好でした。
すべてのデータがいい方向に向かっているようです。

今回は血管年齢も調べてくれたのですが、結果は70代前半、まあ誤差範囲だと思いますが、悪いことではありません。
もう少し頑張れば、たぶん60代にまでは持っていけるでしょう。
次回はそれを目指すのもいいかもしれません。

脳神経外科の医師は葛綿さんという若い医師です。
この医師とはとても相性が良くて、話していて元気が出ます。
降圧剤もいい加減に飲んでいましたが、葛綿さんに脳血管にも影響があると言われてからきちんと飲むようになりました。
彼から言われると水分も取ろうかという気になります。
医師との関係によって病気はよくもなり悪くもなるのかもしれません。

暑いので最近は散歩はやめていますが、湯島に行くとき、上野や御徒町から歩くことにしています。
テレビ体操はきちんと続けています。
まあこういうことが検査結果に出てきているのかもしれません。

とはいうものの、体力低下は明確ですし、最近の気力の低下もわかります。
もうそろそろいいかなと思うこともありますし、新しいことに取り組もうという気はなかなか起きない。
人嫌いの傾向は、むしろ強まっている。
節子がいたら、たぶん生き方は全く違っていたでしょう。

今日も暑くなりそうです。

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2023/07/12

■節子への挽歌5695:死を語り合うミニクラス会

節子

今日は午後から湯島で小学校時代のミニクラス会でした。
時々集まっていますが、昨日は猛暑のための参加中止もあって、5人しか集まりませんでした。ランチはいつものように、霜里農場の金子友子さんのおにぎりと野菜。
数十年ぶりの再会の初参加者もいて、なんと気がついたら6時間もたっていました。
話は多岐にわたりましたが、途絶えることなく6時間も時間を忘れて話すというのは、やはり幼馴染だからでしょうか。

もう一つ印象的だったのは、「病気」ではなく、むしろ「死生観」のような話が淡々と明るく語り合えたことです。
百歳まででもともかく生きたいという人が一人いましたが、それ以外はできれば早く静かに死にたいという人ばかりでした。誤解されそうですが、みんな「死」を「生きる」ことの一部として肯定的に受け止めているということです。
ちなみにできるだけ生き続けたいといった人は、これまで何回か、死に直面した人です。彼が生き続けたいと思うのは、いまの社会の行く末をできるだけ見たいからだそうです。その気持ちはなんとなくわかります。彼が社会と深くかかわって生きてきたことが伝わってきました。

私も含めて、女性たちはみんな「死」を自然のものとして、待ち望んでいるという感じです。だからと言って生きることに退屈しているわけではありません。元気な友子さんは、伴侶の三回忌が終わったら、海外で1年ほど暮らしたいそうです。彼女のことですから、実際にやるでしょう。まあ生きていたらですが。

こう書くとみんな元気そうに感じますが、みんなそれぞれに身体的な問題は生じていて、今回特に話題になったのは、「聴覚」です。補聴器の技術はまだあまり進んでいないことを知りました。費用も高額で、もし私が難聴になってもとても購入できそうもありません。しかもあまり使い勝手はよくないそうです。

数十年ぶりに来た人は野々村さん、通称ノンちゃん。
小学校時代、一番のやんちゃものでした。
最近耳が悪くなり、普通の会話ではだいたい6割くらいしか聞こえていないといっていたのですが、最初は全くそんなことを感じさせずに自然に会話していました。彼によれば、聞こえない部分は自分で埋め合わせて、会話を成り立たせるのだそうです。そのせいか、最初は彼が難聴だなどと感じませんでした。

しかし3時間も話しているとようやく彼には半分くらいしか聞こえていないということが実感できました。
きちんと音としての声が聞こえていても、意味を消化できずにいる人は多いですし、私もまあそうかもしれませんので、これまで気にはしていなかったのですが、もしかしたら、これは認知症や家族不和、さらにはDVにまでつながる問題ではないかという気がしだしました。面白いテーマです。
耳に限ったことではありません。人間の身体機能はそれぞれ違います。その違いを理解しないといけないなと、いまさらながら気づきました。大袈裟に言えば、医療や福祉の考えを根本から見直す契機がそこにあるようにさえ思います。

死だとか難聴だとか書いてしまいましたが、実際にはもっと楽しい話が中心でした。
何しろみんな6時間も、時を忘れていたのですから。
幼馴染が集まると、いつも不思議な空間が生まれます。

話に夢中になっていて、写真を撮るのを忘れました。
いつもは写真好きの鎌ちゃんがいて、必ず最後にみんなで写真を撮るのですが、今回は欠席でした。写真好きな人から、だから修ちゃんはダメなんだと怒られそうです。

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■節子への挽歌5694:他者の幸せばかりが目に付く

節子

岐阜の佐々木さんが、今年もまたアユの甘露煮を送ってきてくれました。
いちど、佐々木さんのお宅にお伺いした時に、川沿いのお店でアユをいただいたのですが、それがおいしかったと言ったら、以来、毎年、甘露煮を送ってくれます。
とてもおいしいのですが、どうも私は魚がそのまま姿になっていると苦手なのです。
で今回も、食べるときに目が合ってしまいました。
そうなると食べる勇気がなかなか出てこない。

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まあそんなこともあって、近くの兄の家に半分もっていきました。
兄夫婦はこれが大好きなのです。

先月は救急車騒ぎなどいろいろとありましたが、いまは二人ともとても元気で、兄は松戸の学校に、姉はダンス教室へと忙しそうです。
みんなで食事しようと言いながら、なかなか日程が設定できないのです。

兄夫婦の娘たちは、それぞれ東京と群馬ですので、2人住まいです。
娘と同居している私のことをいつもうらやみますが、私としては、逆です。
人生はいろいろですが、みんなどうしても他者の幸せばかりが目に付く。
でもまあ周りの人がみんな幸せだと思えるのは、心が和みます。

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2023/07/11

■邪馬台国のもやもやが解決しました

卑弥呼と邪馬台国にようやく解が得られました
もちろん、私にとって、という話ですが。

最近はあまり流行りませんが、私が若いころには「邪馬台国論争」というのが話題でした。
作家の松本清張や高木彬光なども論争に参加し、ある種の知的ゲームの感がありました。
当時私は古代史が大好きだったのでかなりはまっていました。

その後、今度は「邪馬台国はなかった」という古田武彦さんの論が新しい論争を起こしてくれました。これがまた魅力的で、それにもはまってしまいました。

その後、考古学での新たな発見が相次ぎ、さらに話は盛り上がってきましたが、その頃から逆に私自身は興味を失っていました。夢を感じなくなってきたのです。
でも卑弥呼が何者で、邪馬台国はどこだったのかには、関心がありました。

先週、図書館から寺沢薫さんの「卑弥呼とヤマト王朝」という本を借りてきていました。
「卑弥呼」にではなく、「ヤマト」に惹かれたのです。
昨日から読み出しました。
半分専門的な本なので、しっかり読んだら大変ですが、私の読み方だと、つまり関心のあるところだけの拾い読みだとどんな厚い本も2日もあれば十分です。
夕方には読み終えました。
それで長年の私の中での「邪馬台国論争」は解決しました。

著者も書いていますが、寺沢さんの考えは異端だそうです。
でもとても私には説得力があります。それに書き方がフェアなのです。
卑弥呼や邪馬台国でもやもやしている人は、読むといいです。
すっきりします。たぶん、ですが。

とても共感できるのは、視野が広く話題も広いことです。
司馬懿も公孫淵も出てきますし、マルクスもエンゲルスも出てくる。

邪馬台国問題ですっきりしない人にお薦めです。
国家とは何かを考えたい人にも。

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2023/07/10

■節子への挽歌5693:エアコンなしでの夕食

節子

今日は朝から暑く、エアコンきらいの私も朝からエアコンをつけて、リビングで一日過ごしていました。
でもどうもエアコンは好きになれない。

今日はほとんど在宅だったのですが、夕方、窓をあけたらいい風が入ってきます。
エアコンより快適です。
それでエアコンを消して、テレビを見たり本を読んだりしていました。
わが家は狭いので、夕食はいつもリビングでユカと一緒に食べていますが、ユカがやってきたら、どうしてエアコンをつけないのか、水分はとっているかとうるさいのです。
でもまあ、この自然の風の快適さは捨てがたい。

リビングは2階なのと窓が大きいので風が入るのです。
しかし温度計を見ると30度近い。
ユカはこんな暑いところで食事をするのはつらいとぼやきますが、まあ私に合わせてエアコンなしでの夕食になりました。

夕食後、ユカはエアコンのきいている自室にさっさと退避。
私は自然の風を満喫しています。
ユカは、私の身体感覚が劣化しているのだから注意しろと言いますが、この自然の風の涼感を楽しめないほうの身体感覚のほうが劣化しているのではないかと思います。
暑いときにはきちんと暑さに汗をかき、寒いときにはきちんと寒さに震える暮らしをしておかないと、身体感覚が正常に育つはずがない。
私の娘たちは、そう育てたはずですが、やはり私とは違うようです。

人間がどんどん物質化しているのが残念です。
温度計を見たら、相変わらず30度近くで、湿度も70%。
でも快適です。
私の身体感覚が劣化しているからでしょうか。

ちなみに私の寝室にはエアコンはありません。
娘は心配していますが、私は逆にエアコンをかけて寝ている娘が心配です。
家畜ではないのですから、むやみに水分も取りません。
エアコンをつけろ、こまめに水分を取れ、とテレビはうるさすぎる。
自分で必要な水分くらい、わかりますから。
それがわからなくなったら、それこそ、「潮時」でしょう。

節子がもしいたら、寝室にエアコンをつけたでしょうか。
判断ができません。

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■節子への挽歌5692:4年ぶりに赤後寺観音の千日会がはじまったそうです

節子

節子の小学校時代の同級生の雨森さんからメールが届きました。
今日から節子の生家のある滋賀の高月町(今は長浜市に編入されていますが)の唐喜山赤後寺のコロリ観音の千日会がはじまったそうです。
コロナのために4年ぶりの開催だそうです。
雨森さんは、その赤後寺のすぐ近くにお住まいです。
おそらくコロリ観音のお守り役をされているのでしょう。

メールにはこんなことが書かれていました。

昔のように、バスが何台もと言う事は、有りませんが、多くのお参りがありました。
午前の部が終わり帰宅時に、「善ちゃん」と、声を掛けられました。
節ちゃんのお姉さんでした。
少し背丈が小さくなられましたが、お元気でしばらく話をしました。
昨日は、地元の七郷小学校の同級会があって、参加してきたとの事。
10名ほどの参加だったそうですが、この歳になれば、致し方ないでしょうね。
僕も幹事して、企画してみたいなあと思いました。さて何名集まることでしょう。

修さんは今も、「節子の挽歌」を続けられていて、読ませてもらっていると、話をしました。敦賀の姉から○○が届いたと言う文面もありますよとも、話しました。
僕は、信心はあまりないのですが、懐かしい方にお会いできるのが、嬉しくて、お参りしています。

段々と知っていた人が、お見えにならなくなり、寂しい限りですが。

誠実な雨森さんのお人柄が出ている文章です。
雨森さんは、いまもこの挽歌を読んでくださっているようです
うれしいことです。

雨森さんのことは節子からはお聞きしていましたが、私が実際にお会いしたのは節子がいがんを患ってからです。
節子が昔の友人たちに会いだしてから、できるだけ私も同行したのです。
雨森さんは、一度ならず、ご夫婦で私たち夫婦を食事に誘ってくれました。
とても温かな思いが残っています。

文中にある「節ちゃんのお姉さん」は、敦賀に嫁いだ節子の実姉です。
義姉は、節子とは違い、とても信心深い人ですから、いまも毎年、生家のお寺にはお参りしているのでしょう。
姉のおかげで、節子がなくなった後にも節子の同級生に日合わせてもらったこともあります。
ちなみに、なぜか私が引き合わせてもらった節子の同級生の多くは男性でした。
メールをくれた雨森さんも、男友達なのです。

そう言えば、最近、姉にも電話をしていません。
野菜や何かが届いたら、お礼の電話は娘のユカにもう一任しているのです。たまには電話してみようと思います。

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■オープンサロン20230709報告

昨日は蒸し暑い日でしたが、7人の人が集まり、話題もいろいろと出て1時間以上も延びてしまいました。

Open2023070900
最初の話題は、日本は今や世界で一番蒸し暑くて過ごしにくいという話でした。
そこからモンゴルの話になり、最近もモンゴルに2回ほど行って遊牧民たちとも触れ合ってきたという人が、そこに行くと自分がなんだか変わるような気がするという話になりました。しかし日本に戻ってくると元に戻るというので、3年ほど滞在して戻ってきた時に会いたいと言ったら、3年も居たらもう佐藤さんとは会えないでしょうと言われてしまいました。
そこから映画「プラン75」はあまりにもひどい映画だったと私が感想を話しましたが、幸いに参加者はだれも見ていませんでした。あの映画を私に勧めた人は誰だったでしょうか。あの映画は、私がこれまで見た最悪の映画です。

 楽器のカリンバを持ってきた人がいて、そこからハンドパンなど音楽の話になり、最近のミュージシャンはIT化のなかで経済的に大変だという話から、AIがクリエイターに代わっていくのではないか、さらに日本の経済の話になり、いつもの通り、やはりお金から離れないと安心な生活は得られないという私の持論につながったような、つながらなかったような展開になりました。オープンサロンはこういう感じで、どんどん話が動いていくので、どこに行くかいつもまったくわかりません。

カリンバ奏者の女性は、農業にもはまっていて、土壌微生物や水耕栽培の話にも少しなりました。そういえば、8月6日に、地元の我孫子でも佃さんという自然農業をやっている人が中心になって「ヘチマの花とチェロ演奏」の会が開催されますが、音楽と土壌微生物というテーマにちょっと関心を持ちました。湯島でもサロンが成り立つといいのですが。

コンフロンテーションとサレンダーもちょっと話題になりました。ついつい昔の私の仕事を思い出してしまいました。でも、あんまり理解できませんでしたので、これは別途またサロンをお願いしようと思います。

というわけでにぎやかなサロンでした。

私はいささか疲れ切っていたので、早く終わりたかったのですが、そろそろ終わろうと言い出す元気もなく、たぶんこれまでで最長のオープンサロンになった気がします。
疲れていたのでもっと早く終わりたかったと最後に感想を話したら、時々モンゴルに行く人から、サロンで元気が出たでしょうという指摘もありましたが、まあそう言われればそんな気もします。

元気が出ない人にはオープンサロンはいいようです。
疲れたらオープンサロンにどうぞ。

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2023/07/09

■節子への挽歌5691:今日も畑はやめ

節子

昨日は湯河原に行っていましたが、宿泊せずに帰宅してしまいました。
前の挽歌に書いたとおり、ちょっとうれしいことがあり、元気が出たので、熱海まで足を延ばして友人に会おうかと思ったのですが、急に雨が降り出してしまいました。それもかなり激しい雨です。
それですっかり気が下がってしまい、急に帰りたくなってしまいました。

3時間かけて、帰宅しました。
帰りも小田原からゆっくり帰りました。
帰路で2冊の本を読みましたが。

午後、湯島のサロンでした。
サロンでも話題になりましたが、最近の東京の蒸し暑さは異常なようです、

今年、あまり畑に行けないのはどうもこうした気候状況にも一因がありそうです。
今日も本当に暑い一日でした。

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■手塚治虫の「地球の悪魔」と「大洪水時代」

昨日は元の仕事場に行って、ある資料を取りに行ってきました。
ついでに書籍の整理をしてきました。
昨日は200冊ほど廃棄し、20冊ほど持ち帰りました。
気になっている本はだいたいすでに自宅に送付してあるのですが、まだ何冊かは懐かしい思い出のある本があります。

今回持ち帰った本に「地球」が署名に着いた本が2冊ありました。
手塚治虫の「地球の悪魔」と広瀬隆の「地球のゆくえ」です。
帰路、前者を読みなおしました。
同書には同じころの作品「大洪水時代」も載っています。

いずれも現代を見通しているようです。
というよりも、手塚治虫の警告にもかかわらず、みんな生き方を変えなかったということでしょう。反省しました。

広瀬さんの「地球のゆくえ」は、国際金融を操作する人に焦点を当てた現実の政治経済を解説してくれていますが、まだ「陰謀論者」に操作される前のしっかりした内容のような気がします。現代とは違い、まだ主体的な判断ができていたんでしょう。
久しぶりに読み直そうかと思っています。

ついでに、隣にあった浅井隆さんの「金が世界を救う」という本も持ち帰りました。
まあ最近のこの種の議論はすべて1080年代から90年代にかけて語られたことの繰り返しのように思えてなりません。だから最近の陰謀論関係の書物は、私には退屈なのです。
発掘の時代から編集の時代に入ってしまったからでしょう。

文字ではなく、もっと情報量が多く直接身体に働きかけてくる、映像の時代になったので、私にはついていけなくなったのかもしれません。

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2023/07/08

■『「集団の思い込み」を打ち砕く技術』をお薦めします

今日、6時間、電車に乗っていました。
おかげで先日読みだした本を読みおわりました。
読みやすい、軽い本ですが、とても示唆に富んでいて、とても共感できました。
ぜひ多くの人に読んでほしいなと思いました。
そうしたら世界が変わるかもしれませんので。

アメリカの苦労人心理学者のトッド・ローズの本です。
邦訳の書名は『「集団の思い込み」を打ち砕く技術』ですが、原題は”Collective Illusions”。
副題は「なぜ皆が同じ間違いをおかすのか」です。

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彼は、誰もが勘違いしている「みんなの意見」を「集合的幻想」と呼びます。
そしてそこから離れために、次のような提案をしています。

・所属する集団を増やす
・アイデンティティが感じられる場を複数確保する
・他者をまねる前に「なぜ」を問う
・おかしいことには沈黙せずに疑問を呈する

そして、ほとんどの人は価値観に共通したところがあるのだと認識し、思い切って信頼してみようと勧めます。
私の生き方と重なっています。

以前一度書いたことがありますが、この本の最後にチェコの初代大統領だったヴァーツラフ・ハヴェルの言葉を引用しています。
何回読んでもいつも自然とうなずいてしまう自分がいます。
ここにも引用させてもらいます。

人間として当然の尊厳、道徳的高潔さ、存在を表現する自由、実在世界からの超越感への願望を誰しも持っている。しかし同時に、偽りのうちに生きることを大なり小なり甘受する傾向もある。どういうわけか本来の人間性を不敬にも矮小化し、功利主義に屈してしまう。名もなき大衆に合流し、心地よい流れに乗って偽りの生活という川を下ろうとする気持ちが、一人ひとりのなかにある。

明日は湯島でオープンサロンです。
よかったらどうぞ。

湯島のサロンは、まさにトッドの提案を広げようと思って取り組んでいるのです。

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■節子への挽歌5690:うれしいプレゼント

節子

とてもうれしいことがありました。
整理した書籍をごみ集積所にもっていったついでに、玄関の郵便受けにたまっていたものを部屋に持ち帰りました。
ほぼ1年分ですから山のようにたまっていました。
郵便物は皆無ですが、チラシなどがたまっているのです。

ところが一番下に、私宛の封筒があったのです。
なんだろと開けてみてわかりました。
こんな書き出しで始まる手紙が入っていたのです。

うっとうしい梅雨時に、思いもよらぬうれしいプレゼントを…。
ありがたく頂戴いたしました。
早速活用させていただきます。
あわただしい日常のこの頃、やさしい心遣いに感謝です。

昨年も今頃ここに来ていたのです。
そしてたしか、エレベータで、この人に会いました。
初対面でしたが、マンションの私の部屋の真下の住人でした。
一言二言会話を交わしただけです。

実は昨年は、娘と一緒に掃除に来たのですが、その時に、湯河原のこごめの湯の招待券を持ってきていて、そこに行く予定だったのですが、予定が変わっていけなかったため、招待券が残っていたのです。

それで、帰り際に、その人の部屋の郵便受けに、もしよかったら使ってくださいと入れておいたのです。
もうすっかり忘れてしまっていました。
そのお礼だったのです。
なんとQUOカードまで入っていました。

迷惑かなと思っていたのですが、喜んでもらえたようで、しかもこんな手紙まで入れておいてくれたとは。
急に気持ちが明るくなりました。
私も返信を書いて、その人の郵便受けに入れておきました。

その方は、手紙の最後に、
「穏やかで明るい日々が続きますように!!」
と書いてくれていました。
少なくとも今日は、穏やかで明るい日になりました。

その人の手紙を読むと、節子と同じ雰囲気を感じました。
節子ともし一緒にここに転居していたら、きっといい友達になっていたでしょう。
そう思うととても残念です。

私たちの対の住処になるはずだった湯河原を処分したのですが、これでまた気持ちが揺らいでしまいました。
困ったものです。

 

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■節子への挽歌5689:久しぶりの湯河原

節子

久しぶりに湯河原に来ました。
部屋の風通しと下水道排管清掃の立ち合いと、ちょっと思い出した資料を持ち帰るためです。
何しろ完全放置ですので、掃除もしなければいけません。
一応、宿泊のつもり出来ました。

水道や電気・ガスは止めていませんので、生活はできる環境にあります。
しかし節約のためにこれからはそうしたものも中断しようと思います。
それだけでもかなりの節約になることに気づきました。
まあかくのごとくして、資金管理はなかなか私にはできません。

久しぶりの湯河原駅は、少しきれいになっていましたが、部屋はもう廃墟のようでした。
障子はやぶれ放題で、ドアはなかなかあかない。
照明も半分がどうも切れているようです。

今回もサンダルとユニクロのパンツとTシャツのスタイルです。
湯河原にも熱海にも友人知人はいますので、声をかけようかと迷ったのですが、あまりにカジュアルすぎるのもちょっとなということを理由に、今回は声をかけませんでした。
誰かに合うと必ずと言っていいほど、何か宿題を引き受けてしまう悪習癖があるからです。

今日は我孫子を早く出ましたので、湯河原に着いたのも早かったです。
途中、湯島にも立ち寄ったのですが、我孫子から小田原まではつながっているのです。
代々木上原で乗り換えますが、乗り換えはホームの反対側の電車に乗ればいいだけです。

そんなわけで早く着いたので、資料や書籍の整理を少ししました。
書籍200冊ほどを処分することにしました。
代わりに20冊ほどを引き上げることにしました。

書籍は比較的処分しやすいのですが、資料は簡単には処分できません。
またかなりの量の新聞のスクラップ記事があります。
30冊ぐらいありますが、これもなかなか捨てがたい。
次回に廃棄しようと思います。
まあこうやって少しずつ処分していかなければいけません。精神的に、ですが。

そうこうしているうちに清掃する人がやってきました。
横浜の会社から来ているそうです。
ついつい雑談をしてしまいましたが、彼が言うには、この部屋は風水がいいそうです。
どういう意味かは教えてくれませんでしたが。

こういう仕事をしている作業員で、特に高齢の方は、みんないい人です。
話していて気持ちが明るくなります。
生き方はその人の性格を磨いてくれる。
いつもつくづくそう思います。

 

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2023/07/07

■節子への挽歌5688:思い出したくないこととの付き合い方

節子

昨日のライン招待騒動で思わぬ人にまでつながってしまいましたが、ということは思い出したくないことまで思い出してしまうことになったということでもあります。
しかし、人生において、「思い出したくないこと」とは何なのか。

皮肉なことに、どうも人は「思い出したくないこと」にこそ呪縛されて生きているような気もします。
いろいろな人が、相談するでもなく相談に来ますが、今あまり平安な生き方をしていない人の多くが、「思い出したくないこと」に呪縛されているようです。
「思い出したくない」ということは、「思い出したい」ことと同じなのではないかとさえ思うほどです。

「思い出したくない」のは、たぶん「思い出すことが多い」からなのでしょう。
もし思い出すことから逃げられないのであれば、逆にそのことを「思い出したいこと」に替えるのがいいのですが。
ニーバーが言っているように、「変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください」というのが、私の思いですが、そうは言っても、思い出すと悔いや不安や憎悪に襲われかねません。
困ったものです。

しかし、いまの生活が平安であれば、そういうことも静かに受け入れられるようになるかもしれません。
そう思い、できるだけいまの生活の平安に努めていますが、平安ばかりだと退屈するのもまた事実です。
それでついつい余計なことを引き受けてしまい、生活を乱してしまう。

節子がいたらこんなことはないでしょう。
今ごろ世間から離脱して、自然の中で人間に煩わされることなく、平安に生きていたかもしれません。
でもまあ、節子がいるために、逆に今以上にいろんな人にかかわりながら、面倒な生活になっていたかもしれません。
冷静に考えると、その可能性が強いような気もします。

まあ人生は、現在こそがベストという私の信条が、やはりいいのかもしれません。

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2023/07/06

■湯島サロン「デモクラシーをどう思いますか?」のお誘い

先日、「歴史の逆流」(朝日新書)のご紹介を兼ねて、いまの日本の政治状況を共通の本を読みながら話し合う読書会的なサロンを呼びかけ、数名の方が手も上げてくれましたが、迷っていました。
というのは、現状を批判するだけの話し合いにしたくないのですが、そのためにはもう少し話し合いのための共通基盤を育てた方がいいのではないかと思いだしたからです。

そこでまずは、なんでいまさらというような「基礎用語」に関する話し合いのサロンをやってみようと思い立ちました。
たとえば「民主主義」「デモクラシー」「公共」「人権」というような言葉の意味を問い直そうという試みです。湯島のサロンでもよく出てくる言葉ですが、その理解は人によって全く違っていることを感ずることがよくあるのです。
そこで、改めての言葉の整理サロンです。

基本的には一つのテーマについて2回開催で、1回目には誰かに問題提起してもらい、それを踏まえて(もちろん否定的に踏まえることも含めてです)、問題を設定し、その問題に関連した文献を各自選んで、次回までに内容を消化し、その紹介と自分の考えを2回目で発表というスタイルです。

ただし、言葉の意味をそろえるのが目的ではありません。言葉の受け止め方や使い方の違いをお互いに知り、その背後にある考え方を深めようというのが目的です。
知識をぶつけあうのではなく、考えを問い直すことが目的ですので、誰でも歓迎です。
それにどんな知識人であっても、知っていることは知らないことに比べれば、実に些少でしかありません。人は知らないことの方が圧倒的に多いのですから。

最初は、今やあまり評判のよくない「デモクラシー」を取り上げたいと思います。
基本的にはどなたか問題提起してくださる方がいたら問題提起をお願いしたいと思いますが、初回だけは私が2030分ほど、問題の整理をさせてもらい、話し合いに入れればと思っています。

どんな感じの展開になるか、正直、まだ私にも見えていないのですが、参加者は必ず次回までに1冊の関連図書を読むことを条件にしたいと思いますので、それを踏まえて参加していただければと思います。
できれば月に1回の頻度で、開催していく予定です。

参加者がいない場合は、当然、消滅する企画ですが、もしよかったら参加してください。
参加者が一人でもいれば、続けていく予定です。
政治に関心などないという人や若い世代の参加を特に期待しています。
よろしくお願いします。

できれば参加者は、朝日新書の「歴史の逆説」を読んでおいていただければ嬉しいですが、それは必須条件ではありません。さらにお時間があれば「アゲインスト・デモクラシー」も読んでおいていただければと思います。

参加してくださる方は、私あてにご連絡いただければと思います。
おひとりでもいたら、このサロンは成立です。
とりあえずの初回の日程は決めさせてもらいました。
よろしくお願いいたします。

〇日時:2023年8月4日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:デモクラシーをどう思いますか?
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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■節子への挽歌5687:生姜焼き

節子

昨日、ユカが夕食は何がいいかというので、いくつかの選択肢から生姜焼きを選びました。
それで昨日の夕食は、生姜焼きでした。昨夜はある事情があって、私だけの食事でした。

きちんとキャベツの千切りも備わっていましたが、どうも私のイメージする生姜焼きではありません。それでついつい生姜焼きって、ちょっと違うような気がするのだけど、と言ってしまいました。
そうしたらユカが、最近、生姜焼きを外で食べていないというので、今日、早速、食べに行くことにしました。私は外食はあまり好きではないのですが、娘の料理にクレームをつけた以上は責任を取らねばいけません。

しかしどこで生姜焼きを食べられるのか思いつかず、ついつい安直に近くの大戸屋に行くことにしました。
ここは経営者が変わってからは私の好みからは外れてしまい、以来行ったことがありません。
さすがに私は連続生姜焼きは避けたのですが、ユカは生姜焼きを頼みました。

出てきたのは、昨夜、ユカが作ったのと極めて似ているのです。
どうやら私の記憶が違っているようです。
でも私の記憶にある生姜焼きは、こんなものではなかったような気がしてなりません。
ではどんなものか、とユカに問われても答えられない。

結局、もう少し薄い肉とさっぱりしたショウガ醤油が私のイメージしていた生姜焼きかもしれません。

大戸屋で食事しながら、近くのコビアンを思い出しました。
あそこの生姜焼きは、もっと素朴だったような気がしますが、どうでしょうか。
でも連日の外食は避けたいです。

要は私の食生活は、まだ貧しい時代の感覚のままにあるようです。
テレビで放映されているような料理やデザートには、食指はほとんど動きません。
着飾ったスイーツは、私には邪道ですし、工夫を重ねた料理にはあまり関心がありません。煮込んだソースは好きではありません。
ユカは料理番組を読み見ていますが、いずれも退屈です。

ただ一つ、ユカが好きな「孤独のグルメ」はなぜか見ていて飽きません。
なぜでしょうか。

いずれにしろ生姜焼き論争はどうも私の勘違いだったようです。
でも節子が作っていた生姜焼きは、昨日と今日の生姜焼きとは違っていた気がしてなりません。

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■節子への挽歌5686:長寿健康診査

節子

ライン騒動はようやく鎮まったのですが、ふと机を見たら、市役所から、後期高齢者対象の長寿健康診査の受診券が届いていました。
健康診断という言葉にはなれていましたが、健康診査という言葉にこれまで気づきませんでした。

「診断」のない「診査」?
この言葉にちょっと興味を持ちました。
いつもなら無視ですが、その言葉が気になって、久しぶりに受診することにしました。

それで明日、高血圧対策の降圧剤をもらいに行くつもりだあったので、ついでに受けてみようと思いました。先日も、かかりつけの遠藤さんから、佐藤さんは検査を受けない人だからね、と言われたのを思い出したからです。
それにそろそろ問題の胆嚢胆石を処理しないといけません。
その紹介状も書いてもらうのに検査をするのがいいと前の病院の医師から言われていたのです。

電話で予約しましたが、ついでにいつもの降圧剤をもらいたいと言ってしまったら、それは同日にはできませんと言われました。
なぜと訊きましたが、うまく話が通じないので、診査も降圧剤もいずれもやめることにしました。納得(理解)できないことがあるとすべてを止めるのが私の主義なのです。

しかし、ユカからあまりにも大人気ない、それではにこが言うように「偏屈爺さん」ではないかと注意されて、改めて電話しなおし、診査の予約をしました。
もし今回、やらないと私のことですから、今年もまた審査なしで、胆嚢摘出手術は先延ばしで、いつまたおかしくなるかもしれません。
それもまた面倒です。

健康診査は何年ぶりでしょうか。
診査と診断の違いが納得できるといいのですが。

それにしても診査の日には薬を出せない?
受付をし直しても、です。
おかしいのは私でしょうか、世間でしょうか。
困ったものです。

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■節子への挽歌5685:ライン騒動

節子

従兄の昭さんにいとこ会のライングループに入ってもらおうとライン設定の説明をしているのですが、うまくいきません。
私の手元のスマホの操作もしながら、電話で説明しているうちに、どうやら私がどこかおかしなところをチェックしてしまったようです。
突然いろんな人からスマホにラインが入りだしたのです。

見ると、いろんな人から「よろしく」というメールです。
それが止まりません。返事をするのにしばらく追われていました。
なかには、20年ぶりの人もいましたし、遺族の方もいました。
いま入院中で、パソコンが使えずにラインしかやれないのでちょうどよかったという人もいました。
こういう「怪我の功名」も少なくありませんが、迷惑を受けた人も多いでしょう。

このライン宗田王はしばらく続きましたが、どうやらある数名の日だけのようで、いまのところ連絡があったのは20人ほどです。
でもまだ時々、鳴るので終わってはいないようです。

とんでもないミスですが、まあ認知症人生の始まりでしょうか。
でも今回のミスのおかげで、とてもいいアイデアを思いつきました。
ラインで私の死後1週間後に知り合い全員に、死後の挨拶を送るというアイデアです。
なかなかいいアイデアだと思うのですが、ユカからは不謹慎だと拒否されました。

さてどんなものでしょうか。

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■「ペットボトル水現象は現代のチューリップ・バブル」

ペットボトルの水は、私は原則飲みません夏になるとともかく水分補給しろとみんなから言われます。
私は脳神経外科に定期的にかかっていますが、医師からは1日2リットルを目指すようにと言われています。脳神経が2本ほど危ういからです。
それで水分をできるだけとるようにしていますが、基本はのどが乾いたら飲む姿勢は変えていません。むやみやたらに水分をとればいいとは思っていないからです。

まあそれはいいのですが、気に入らないのはあまりのペットボトル依存の風潮です。
娘もよくペットボトルの飲料を出先で買っていますが、私は自動販売機は使いませんし、小さなペットボトル飲料は買いません。だから娘がペットボトルの飲料を飲んでいるのはあまり歓迎できません。水筒を持てよと言っていますが、忘れることもあると娘は言います。困ったものです。

しかし、娘も家ではペットボトルの水やお茶は使いません。非常時用は保管されていますが、私は水道水に比べてペットボトル飲料はとても危険だと思っているからです。
それにそもそも水に価格をつけて「商品」にしてしまう発想には共感できません。

湯島のサロンでは毎回コーヒーを用意しますが、水道水を使います。
なかにはそれが心配で、ペットボトルの水をわざわざ買ってきてくれる人もいますが、ペットボトルの水も所詮はほとんどが水道水のはずですし、余計な人工処理をしているだけ私には有害に感じます。それに、そもそもペットボトルの廃棄も含めて、それにかかる手間がどれほど自然環境負荷を高めているか考えれば、だれでも水道水とペットボトル水のどちらが人間に有害であるかはわかるはずです。にもかかわらず、逆イメージを創り出しているのが、水を商品化したメーカーの詐欺的行為だと私は思っています。

「ペットボトル水現象は現代のチューリップ・バブルだ」とアメリカの心理学者のトッド・ローズは言っていますが同感です。環境意識の強い人ほど、水道水よりもペットボトル飲料を好むような気がしますが、まさに今の経済の本質を象徴しています。環境そのものが、汎市場化の題材にされているのです。

ペットボトル飲料水をつくるには、水道水の2000倍のエネルギーが必要だと、先のトッドは書いていますが、その数字も私は信じていません。これもまた「チューリップ・バブルだ」と同じようないい加減な学者の無責任な数字だと思うからです。いまや誰も信頼できない状況ですが、でも信頼しないと生きにくい。
私が信頼するのは、何も知らない私自身です。そして間違いをする人間です。

ちなみに、湯島では今もペットボトルのお茶は使っています。これも水道水で沸かす麦茶に替えればいいのですが、残念ながらそこまではできていないので、私もみんなと同罪なのです。
困ったものですが、せめてできるだけ水道水を使おうと思います。
プラスチックの消耗品はできるだけ使わないようにしています。まだ不十分ですが。

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■節子への挽歌5684:愛用のサンダルがもうヘロヘロです

節子

昨日は川口のコミーには、いつものようにサンダルで行ったのですが、手厳しい社員の朴さんに、サンダルなのですか?と言われてしまいました。
家を出るときにも娘から今日もサンダルなの?と言われましたが、私には今やサンダルは正装なのです。

でもそのサンダルもかなりヘロヘロになっているので、新しいサンダルに替えないといけません。いかにも見た目が悪いのです。でも履き心地は最高なのですが。
履きやすくなったころにはヘロヘロになってしまうという矛盾をどう超えるか、いい方法はないでしょうか。
フェイスブックにそう書いたら、修繕して使えばというコメントがありました。でも修繕するにはどうしたらいいのか。何しろそこが擦り切れてしまっているのですから。

いま愛用しているサンダルは2代目なのですが、同じ商品なのに、微妙に履き心地は違うのです。1足目が特にいい。同じ商品なのに違うのです。

でもまあそろそろ3代目を買おうと思います。
さて今度の相性はどうでしょうか。

 

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2023/07/05

■節子への挽歌5683:物事はよく見ないとなかなか見えてこない

節子

編集者の藤原さんと一緒に国際箸学会とコミーの小宮山栄さんを訪問しました。
9時半に私の自宅近くまで車で迎えに来てもらい、そこから車で行く予定だったのですが、なんと1時間も早く藤原さんは来てしまいました。いささか、というよりも、かなりムッとしましたが、仕方ありません、彼は近くのサイゼリアで時間をつぶすつもりだったようですが、サイゼリアはそんなに早くは空いていないのです。
何とか頑張って支度して、一緒に川口に向かいました。

最近、改めて小宮山さんと付き合って、彼の生き方や考え方に、いろいろな意味で関心を持ち始めました。
それでまあ余計なことにまた首を突っ込みだしてきたのです。

たとえば、いま取り組んでいる「箸技ゲーム」ですが、これも展開次第では、福祉の世界、企業経営の世界、さらには教育の世界で、活用できるのではないかと思いだしているのです。
しかし、これも多分ですが、いまの取り組み方ではだめでしょう。
その展開を妨げているのもまた小宮山さんの考えかもしれません。

小宮山さん自身を開いていかないといけないのに、その開き方が小宮山さん自身わかっていないのではないかという気がします。
しかし、体験的に生きてきて成功した人ですから、その考え方を変えるのは難しい。
あまりに中に入り込むと怒りだして、蓋がさらに閉じられかねない。
これまでよく交流が続いたものです。

小宮山さん自身、自分の生き方や考え方を息子のためにも、また自分が創業した会社のためにもしっかりと言語化しておきたいようです。
それで編集者の藤原さんを引き合わせようと考えたのです。

終わった後、久しぶりにコミーのQIセンターに立ち寄りました。
岩田さんにも久しぶりに会いましたが、思ったよりも元気で安心しました。

藤原さんが帰った後、小宮山さんとまた3時間ほど話しました。
案の定、また危うく論争になりかけましたが、今回は小宮山さんが自制して無事話し合いは続きました。
こういう会話ができるのがとてもいいのです。

私がもう20年若かったら、私が本にまとめたのですが、そうしたらたぶんとてもいい本になるでしょう。
でも今はその気力はもうありません。
藤原さんが引き受けてくれればいいのですが。

コミーの良さも箸技ゲームの効用も、もっと深彫りされていいい対象です。
物事はよく見ないとなかなか見えてこないものです。

 

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■節子への挽歌5682:坂口さんからの申し出

節子

先日、ボストン在住の坂口さんが湯島のサロンに3回も参加してくれました。
それだけでもうれしいことでしたが、別れ際に坂口さんがこんな趣旨のことを話してくれました。
このサロンが続いていけるように、もし経済的な支援が必要であれば、言ってください。

そう言ってくださる方は少なからずいます。
そして実際に支援して下さる方も少なくありません。
なかには経済的に決して余裕があるわけではないと思うのに、毎回、お菓子の差し入れを持ってくる人もいます。
そういう人たちがいる限り、サロンは続いていくでしょう。

しかしその一方で、サロンを私的に利用している人もいます。
それが悪いわけではないのですが、そういうフリーライダー的な人の行為に触れると、とても寂しい気分に陥ることもあります。
とりわけ経済的に余裕がある人ほど、フリーライダー志向が強いような気がします。
そういう意味でもやはりお金は困りものです。
本来性善である人間を性悪のほうに向けさせ、さらに人間性善説をゆがめてしまいかねないからです。

サロンをやっていて私が一番悲しいのは、そういうことを考えてしまう自分に気づくことです。
サロンは決して楽しいだけではないのです。
節子がいるときに、そういう自分の性悪な部分を吐き出せましたが、いまはなかなか吐き出せない。

お金から自由になるのは、そう簡単ではありません。
しかし、なかなかサロン参加者の快適なコミュニティは生まれてこない。
どこかに限界があるのでしょう。
開いたコミュニティの質を維持するのは難しい。
しかし閉じたコミュニティは間違いなく劣化する。

CWSコモンズ村の復活は難しい。

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2023/07/04

■節子への挽歌5681:茫然自失!

節子

暑さが少しやわらいだので夕方、畑に行きました。
1週間ほど前にも行きましたが、その時にも畑らしさは失われてはいたものの、まだキュウリやトマトなどが何とかがんばっていました。
それから1週間、また行けずにいました。
今日、時間と元気ができたので、しっかり支度をして出かけました。
リベンジのつもりでした。

しかし畑について茫然自失! 
畑のところに行って野菜を見てさらに茫然自失!
すべてが野生に戻っていたと言ったら大げさかもしれませんが、そう感じました。
あまりに今年は手入れがきちんとできておらず、前半で野草を制したと甘く考えてしまっていました。とんでもない、全くの元の木阿弥です。

30分ほど、トマトやキュウリの支えを組み直しましたが、もうすでに時遅しです支えるどころか枝を折ってしまってばかりです。
回復しかかっていたイチゴ畑はまたまた野草に覆われ、少しだけ回復しかけていた花壇はまた野草と笹の藪に化していました。
少し手入れをしようと取り組みましたが、気力が出てこない。

道沿いのあまりにひどいところは、近くの青木さんが刈ってくれていたので、その周辺だけでもと思い、草刈りだしましたが、急に疲れがどっと出てきてしまい、あきらめました。
大袈裟ですが、自然の前に人間の力などあまりに微力。
中途半端な気持ちで畑をやってはいけないと大いに反省しました。

農家の人は、やはり尊敬に値します。
彼らが私たちの生活環境を支えてくれているのです。
悲惨な風景を写真に撮ってくるのを忘れました。
そんな元気は残っていなかったのです。
ですから写真はありません。

畑で元気を回復し、明日から生活を元に戻そうと思っていたのですが、人生はうまくいきません。
畑などどうしてやろうなどと思ったのでしょうか。
私はいつも余計なことに手を出して、いつも苦労しているような気がします。
困ったものです。

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■節子への挽歌5680:煩わしい人との付き合いがあってこその人生

節子

昨日は徹底的に怠惰な1日でした。
畑に行こうかと思いましたが、あまりの暑さなので、ユカら止められたのを幸いにさぼってしまいました。
本を読みだしてもうとうとしてしまい、読めません。
テレビを見ても寝てしまう。
相当疲れもたまっていたのかもしれません。

早く寝てしまいましたが、今朝は寝坊です。
6時過ぎに起床し、昨日の続きでぼんやり過ごしています。

そうはいってもメールがいろいろ届きます。
またまた意外なカミングアウトのメールも届きましたし、なんだか間接的に私に何かを要求してくるメールもありました。
世間と付き合うのはやはり煩わしいことばかりです。
でも付き合ってこその人生です。
無視することはできません。

今日も歯医者さん以外は用事はないのです。
友人が胆石を取るために入院だと連絡してきました。
他者の面倒は引き受けるのにおかしいのですが、まあ性分ですから仕方がない。

そろそろ歯医者さんに行く時間です。
今回はかなり予防的な意味での治療なのですが、これもちょっと面倒になあってきました。
歳とともにすべてが面倒になってくる。
生きることさえ間もなく面倒になるでしょう。

困ったものです。

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2023/07/03

■節子への挽歌5679:今日はすべてを忘れてのんびりします

節子

久しぶりに少し落ち着いた朝を迎えました。
気になっていたいろんなことがほぼ終わり、気分的に少し余裕ができたからかもしれません。
もっとも多くのことはほとんど何も解決していないのですが、目先の用事からとりあえずは解放されたせいかもしれません。

ちなみに今日は全くやらなければいけない行事はありません。
畑にも行けますし、1日読書をしてもいい。
明日も歯医者さんに行けばいいだけですので、まあのんびりできます。
明後日からはまたちょっと用事が入っていますし、この週末はこれまた用事で湯河原までいかなければいけませんが、少なくとも今日と明日は何もしないでいいのです。

しかし、何もしないでいい日ほど、やらなければいけないことは山積みのほどあるのです。そこがややこしい。
時間がなくてという口実で、延ばし伸ばしになっていることはたくさんあります。
たとえば私の部屋の掃除もそうですし、赤字会社の決算もとうに提出期限を過ぎています。いやいや昨年入院した時に言われた胆嚢手術も先延ばしになっています。いつまた胆石が動き出すかがわからない。
畑もいい加減にやっていますが、もし本当に収穫を目指すならきちんと手入れしなければいけません。
お互いに老い先短い兄との会食もしなければいけませんし、その前に自宅の書籍や資料の整理をしておかないと娘たちは困るでしょう。
いやいや借金も返しておかないといけない。

そう考えだしていくと、やはり嫌になってしまう。
せめて今日くらいは、そういうことはすべて忘れて、気になる友人知人のこともすべて忘れて、日本社会や国際政治の気になることもすべて忘れて、…さてなにをやるか。
ノイズが入らずに、ゆっくり休めるといいのですが。

まずは朝食です。
最近はトーストとレタスや果物とコーヒーとジュースの軽食にしています。
朝食は基本的に自分で作ります。まあつくるというほどでもありませんが。

さてどんな1日になるでしょうか。
まずはお祈りと節子への挨拶からです。

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■湯島サロン「『陰謀論』論、これからどうなる地球の未来!」のご案内

一部の人にはお待ちかねの、また一部の人には酷評の、陰謀論サロンのご案内です。

今回は前回に続いて、「ついに見えてきた!」という、さまざまな「事実」をとりあげ、そこから「人類の未来」「地球の未来」を意識しながら、自らの生き方を考えることにしました。楽しいサロンか恐ろしいサロンか、人によっては全く違うでしょうが。

これまでとちょっと違うのは、タイトルにもあるように、「陰謀論」から「『陰謀論』論」へと改めて視点も意識しようということです。
もし時間が許せばですが、そもそも「陰謀」とは何か、そして「陰謀論」とは何かに関しても、少し考えたいと思います。

私の関心はそこにあるのですが、まあそんなめんどくさい話よりも、具体的な話のほうに関心があるという人のほうが多そうですので、これに関しては保証の限りではありません。

ところでその具体的な話ですが、話題提供している北川さんと中嶋さんによれば、次のようなテーマが想定されます。今回どこに焦点を合わせるかは問題提起者のお2人にゆだねたいと思いますが、特にご希望があれば、おふたりに伝えますのでご連絡ください。

・アメリカ大統領選はどうなる、アメリカ大統領に誰がなるかで地球の未来は決まる
・作られたコロナ、用意されたmRNAワクチン、パンデミック・インフォデミック?
・ロシアのウクライナ侵攻で報道が真逆。その背景は。
・ケネディ暗殺を思い出す安倍暗殺事件だが、消し去られるのはなぜ。
・操られているキッシー政権、マイナカード等の闇、これからどうなる。
30年以上もなぜ不況が続くのか。これからどうなる。
・少子化による人口減少か、自殺が原因か、ワクチンが原因か、貧乏が原因か。
・政権与党汚職と芸能ネタスキャンダルの関係は? 金はどう流れた?
・・・・・

前回も書きましたが、情報過剰時代においては、さまざまな情報の中から、何を読み取るかはとても大切なことです。いわゆる「情報リテラシー」を向上させるための刺激的なサロンともいえるかもしれません。
サロンの開始時間はいつもより30分早い1時半からですので、お気を付けください。

〇日時:2023年7月15日(土曜日)午後1時半~4時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「『陰謀論』論、これからどうなる地球の未来!」
〇話題提供者:中嶋一統さん+北川泰三さん
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2023/07/02

■湯島サロン「『ヒューマン・ハーベスト』上映会&ディスカッション」のご案内

湯島のサロンの常連の一人の近藤和央さんから、最近、各地で行われているドキュメンタリー映画『ヒューマン・ハーベスト』の上映会の提案がありました。

同映画は、2010年のノーベル平和賞候補となったデービッド・マタス氏とデービッド・キルガー氏が中国の臓器売買を調査し、人道に反する世界最悪の犯罪を暴露するドキュメンタリー映画で、米映像界最高峰と言われるピーボディ賞や英国AIB賞などを受賞した作品です。
現在日本でも、NPO移植ツーリズムを考える会https://stop-oh.org/ SMGネットワーク(中国における臓器移植を考える会) https://youtu.be/Mv8KehrX11cが各地で上映会を開催しています。
添付チラシのように、昨年9月には埼玉県さいたま市でも無料上映会が開催されました。

Photo_20230702180901

湯島でのサロンにしては、いささか重すぎるテーマですが、近藤さんの提案を受けて、上映会と話し合いの会を開催することにしました。
なお、提案者の近藤さんからのメッセージを案内の後ろに掲載しますので、お読みください。

〇日時:2023年7月29日(土曜日)午後2時~4時半
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:『ヒューマン・ハーベスト』上映会&ディスカッション
〇問題提起者:根本敬夫さん(NPO移植ツーリズムを考える会事務局長)近藤和央さん
〇会費:無料
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

《近藤さんからのメッセージ》

中国の「民と支配者の心性における大きな解離」 
どう隣国と付き合うかを考える一助に

終戦後満州からの引き揚げに際して、その過程で亡くなった人々の集団墓地造営を快諾した周恩来総理の人徳については今年422日の湯島サロンで大類善啓さん(方正友好交流の会理事長)のお話がありました。また、多くの残留孤児を大切に育ててくれた中国人養父母の善意も孤児の一時帰国事業の際に報道されたことで知った人も少なくないと思います。

一方、中国政府による少数民族への虐待と同化政策の過程で多数の犠牲者がうまれ続けています。同民族である漢民族に対しても、その思想・信条を国家に対する反逆罪として弾圧し投獄してもいます。そしてその事実を徹底的な言論封殺で隠蔽しています。

この映画は、中国で発祥した「法輪功」(真善忍を人の最高価値として生きる道を極める修養グループ)の急激な拡大に恐怖した中国共産党による残忍な迫害が、短期間のうちに大規模な国家的ビジネス(闇臓器移植)に展開して現在も多くの"ドナー"が殺され続けている国家犯罪を告発するものです。

政治的、あるいは経済的理由で親中・反中を語る論は多いですが、人権という観点で中国との関係を考える視点(親中/非親中議員への投票判断)も大切なのではないかと考え、このサロンを提案しました。

〔関連情報〕
参院山田議員が国会で初めて中国の臓器収奪を糺す:
https://youtu.be/VKb-jxHmSIk
山田議員による告発動画:
https://youtu.be/CbJAU2MQEs

ETAC(END TRANSPLAN ABUSE IN CHINA)アピールサイト:
https://endtransplantabuse.org/
米作家ガットマン氏の東京講演会、中国での生体臓器収奪:
https://www.visiontimesjp.com/?p=40590

 

 

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■節子への挽歌5678:我孫子のやりたいこと呼びかけフォーラム

節子

我孫子での「やりたいこと呼びかけフォーラム」を開催しました。
今回は、一昨年から参加してくれた村上さんに実行委員長をお願いして、村上さんを中心に進めてもらいました。
今回は3つのプロジェクトが呼び掛けられましたが、それぞれに魅力があるのと具体的な呼びかけだったので、とても楽しい会になりました。

https://www.facebook.com/groups/202846400516301/posts/1462693637864898

30人ほどが参加しましたが、途中、チェロやギターの演奏が入るなど、雰囲気はこれまでとかなり違いました。
また宮内さんの働きかけもあって、中央学院大学の若い学生が2人、参加してくれました。宮内さん自身も、忙しい中、前半の発表には参加してくれました。

私は後半のみんなが話し合うところだけ進行役を果たすつもりでしたが、最初の会の趣旨の話の時に、村上さんが突然私を指名し、立つようにと言われ、紹介されてしまいました。
「突然の抜き打ちだね」と冗談で抗議しましたが、そのおかげで、後半の進行もやりやすくなったかもしれません。
そうでないと突然進行役で出ても、サンダルでユニクロのTシャツの白髪老人では、不審に思われかねませんので。

でもまあこういうみんなで作り上げるイベントは、なんとなく私には居心地がいいのです。
以前は、家族みんなに協力してもらって、コムケアのイベントをやっていました。
100人以上の参加者があり、立食パーティまでやっていましたが、その体験が、その後の自殺問題や認知症などでのイベントを企画開催する気にさせたのです。
いつも私はあまり何もしなくても周りの人たちがいろいろとやってくれました。
みんなに感謝しなければいけません。

最近は、新しい人に会っても、こちらから声をかけていこうという気が薄れました。
しかし、今回もいろんな人が紹介してくれて、また新しい友人ができました。
うれしいことです。
もう名刺を私のはやめようと決めていましたが、やはり名刺はあった方がいいかなとまた迷いだしました。まだ世間に未練がましい自分がどこかにいるのです。

チェロの奏者が参加していましたが、私の進行を聞いていた彼女から、「声がいいですが、そういうお仕事をされていたのですか」と言われました。
そういえば、いまからもう30年近く前に、私の講演を聴き終えた飯田史彦さんが、「佐藤さんの声は心を癒す声ですね」と言ってくれたのを思い出しました。
最近、ろれつが回りにくくなり、自分の声がどこかに行ってしまいそうな気がしているのですが、声に言及されたのは意外なことでちょっとうれしいことでした。

ちなみに地域でのまちづくり活動の考え方に関しては、私の考えが少数派的なこともあって、時々みんなの発言に異を唱えたくなります。
それだけならいいのですが、実際に異を唱えてしまう。
今回も、一度でしたが、そういうことをやってしまいました。
困ったものです。

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■第24回益田サロン「心と言葉と時間」報告と次回益田サロンの案内

益田サロンはいよいよ「心はどこにあるのか」という難問に取り組みだしましたが、そこでこれまでは「空間」的に生物と環境を考えてきたのですが、そこに「時間」の要素が入ってきました。

案内でも書きましたが、益田さんは「我に返るといつも今ですね。今は空間的存在ではなく時間的存在だと思います。我々にとって現在(=今)が特別な意味をもつのは、時間が流れているからでしょう」と言うのです。
そして、時間を考えるうえで、重要なのは「言葉」です。

というわけで、今回は「心と言葉と時間」というテーマになったのですが、今回、益田さんが話しだしたのは意外な話からでした。

まずみんなに次のような2つの絵を見せて、どこが違うかを問うてきたのです。

Photo_20230702104801

どこが違うでしょうか。参加者はみんなBには鼻がないと答えました。
それに対して益田さんは、「ほんとにBには鼻がないですか?」と重ねて問いかけます。
みんな一斉に「ない」と答える。

さてみなさんはどうでしょうか。
益田さんが期待したのは、先入観を捨てて絵をよく見れば、鼻が見えてくると言いたかったのでしょうが、私も含めてみんなには見えてこなかった。
そこにこそ、「心と言葉」の問題がある。

種明かしをしてしまえば、Bの絵の眉毛を細い目と考え、2つの目を鼻の孔ととらえて見直してみてください。
鼻が見えてくる。

と、ここから今回のテーマである「心と言葉と時間」の話に入ったのですが、時間と空間の関係とか、心と意識の関係とか、さまざまな言葉(概念)が飛び交いすぎて、私には消化できませんでした。

益田さんは、脳を飛躍的に成長させてしまった結果、人間は新たなる環境として時間を生み出したというのですが、その意味がなかなか消化できません。そもそも時間と空間の関係そのものが難解で、私などは時空間という捉え方で時間と空間は切り離せないと受け止めています。
しかし、益田さんは、「空間的存在である体には時間がない」「体にも時間があると考えるのは時間的存在である記憶を空間的存在そのものと錯覚しているから」「心は時間という環境の中で生きている」というのです。

時間と空間をどう捉えるかという問題につながっていきますので、ますます話を難しくなりそうですが、この点を掘り下げていくことで、お題の「心はどこにあるか」が見えてくるのではないかと益田さんは考えているようです。
そして、「言葉」がその補助線の一つになるともお考えのようです。
その意図には私は理解できないもののなんとなく共感できます。

今回、いろんな話題も出て、話は少し深められたのですが、私が報告を書けるほどには消化できませんでした。参加者のみなさんも多分いささか消化不良だったと思います。
そこで次回は、今回の続きとして、「空間的存在である体には時間がない」「心は時間を環境として生み出すことで時間的存在になった」という点に焦点を合わせて、益田さんから問題提起してもらい、時間的存在として環境を自分で作れる心が、自分で作った環境で苦しむ人間独特の状況についても考えてみたいと思います。
場合によっては新しい「生物と環境」モデルの提案があるかもしれません。

というわけで、今回はサロンの報告に合わせて次回の益田サロンの案内も兼ねました。
次回のタイトルを「心と言葉と時間パート2」としましたが、今回のパート1に参加されていなくても大丈夫のように、最初からまた話してもらいますので、この問題に関心のある方はぜひご参加ください。

益田さんは、「今しかない(すなわち時間はない)と体」と「時間を環境とする心」という捉え方に確信を強めているようです。
ちなみに、漢字の脳のつくり(旁)は脳の象形文字だそうですが、悩みにも使われていて、しかも心まで備わっていることに益田さんは興味を感じているのです。
みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2023年7月24日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「心と言葉と時間 パート2」
〇話題提供者:益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2023/07/01

■節子への挽歌5677:久しぶりのわが家のイチジク

節子

にこが庭で取れた日本イチジクを持ってきてくれました。
節子が大好きだったイチジクです。
転居後、枝から植えなおしたのですが、全滅してしまい、前に枝分けしていた兄から枝をもらい、挿し木にしていたのですが、うまくいかずに、なかなか実が付かなかったのです。

それが今年は、ようやく少し実をつけたようです。
私が好きなのを知っていたので持ってきてくれました。

お礼に友人からもらっていて食べずにいたミカンをあげようとしたのですが、ミカンは季節のものではないのでいらないとまた断られました。
ジュンに聞いたら、にこは季節にうるさいのだそうです。

おそらくにこが「季節」にこだわるのは、父親の峰行の影響でしょう。
峰行は柏でエヴィーバというイタリアン・トラットリアをやっています。イタリアで食べた家庭料理のおいしさをぜひ日本でもという思いで開店したのですが、彼は季節に合った食材にこだわっているのです。
そういう話を以前聞いたのを思い出しました。
にこは、ともかくママ(母)もトト(父)も大好きですから、その影響を受けないわけがありません。
私もそれを目指していたので、とてもうれしいことです。

にこにとって、祖父は存在が薄い方がいい。
それが私が目指した方針だからです。

でもまあ、ちょっと寂しい気もしないではないですが。

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■7月オープンサロンのご案内

7月のオープンサロンのご案内です。

いつものようにテーマのない、出入り自由のサロンです。
オープンサロンは何でもありですので、誰でも歓迎です。
オープンサロンは申し込み不要です。
気楽にご参加ください。

〇日時:2023年7月9日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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