« ■節子への挽歌5701:88歳まで頑張ることになりました | トップページ | ■節子への挽歌5702:高月メロンが今年も送られてきました »

2023/07/18

■湯島サロン「農福連携のこれまでとこれから/農福連携のもう一つの本質」報告

 

 

「農」も「福祉」も実践しながら農福連携のあり方を実践的に模索している熊本の宮田喜代志さんの1年半ぶりのサロンは、私には感動的なサロンでした。

というのは、私にとって、心底共感できる話だったからです。

 

1年半前の宮田さんのサロンの報告で、私は次のように書きました。

 

私自身はCSA(地域で支える農業)にこそ「農業」と「福祉」の「連携」を超えた第3の理念(「コモンズの共創」)を感じているのですが、宮田さんの農福連携活動もまた、次のステップに向かいつつあることを今回は強く感じました。

 

それがまさに今回、実証されたような気がしたのです。

 

湯島で農福連携を取り上げたのは、11年前。宮田さんの呼びかけを受けて、農福連携をテーマにしたアグリフェラインを立ち上げたのですが、その集まりの報告には次のように書きました。

 

「農業のための福祉」でも、「福祉のための農業」でもなく、農業や福祉そのものに内在している価値を考えながら、私たちの生き方や社会のあり方を見直し、実践活動へとつなげていくことを目指した、やわらかなネットワークを目指したいと思います。

 

それがようやく宮田さんの手によって実現しつつあるようです。

 

今回、宮田さんは、実践を通して整理した「農福連携」の取り組み(類型的な広がり)とその効用を踏まえて、「農福連携の到達点と限界」から話を始めました。

そして、これまでの取り組みは、農業の視点が基軸だったのではないかと総括し、改めて福祉の視点からの取り組みを重視していくこと、それによって、地域共生社会をつくるための柱になっていくことで、農福連携を国民的運動へとつなげていきたいという展望のもとに、いま実際に取り組んでいることを紹介してくれました。

 

宮田さんによれば、農福連携は「地域組織化」の一つであり、しかも、一般的地域コミュニティから福祉コミュニティへの移行という、いわば「地域リハビリテーション」にこそ、農福連携の福祉的意味があると言います。

つまり、地域に多様に存在する「社会資源」を束ねていく「拠点機能」として、地域的な広がりと結合を進める社会福祉実践だというのです。

そして宮田さんは、「100年ボンド事業」の実践を皮切りに、これから多様な農福連携の地域ネットワークづくりに取り組みだしているのです。

100年ボンド事業では、障害者や高齢者、どんな人も参加できるユニバーサルな技術体系としての農福連携を展望し、農園、シェアハウス、コミュニティカフェを拠点としたコミュニティづくりとそこで生きる人たちをささえる「相談支援者の集団づくり」に取り組みだしています。

詳しくは100年ボンドのサイトをご覧ください。

https://www.100nenbond.com/

 

それに関連して、宮田さんは菌根菌の話をしてくれました。

植物は、目には見えない土の中で、お互いの根に着生した糸状の菌で種を超えてつながり合い支え合っているそうです。それも開かれたつながりなのです。

そうしたリゾーミックな支え合いを地域コミュニティに育てて行こうというのが、宮田さんが考える相談支援者のネットワークです。そしてそれを育てることが、宮田さんの言う「地域リハビリテーション」なのでしょう。

そうした発想も、まさに農業に取り組んでいればこそのものです。福祉が農業から学ぶとは、そういうことではないかと私は思います。そこに私は「新しい福祉観」を感じます。ちなみに、それはさらに次世代を育てる教育にもつながっていきます。

 

さらに、いまの福祉の世界を覆っている「労働脅迫観念」にも、宮田さんは言及しました。

「稼ぐ」発想ではなく、「働く(生きる)」発想を基軸にして考えていくこと、つまり、「労働訓練」ではなく、生活訓練、心の練習、自分探しが大切で、それを身に付ける場が、自分はここに居ていいのだという「居場所意識」と「コミュニティ」なのです。

100年ボンドで宮田さんたちが提供したいと考えているのは、制度が保障する「自立訓練(生活訓練)」だけではなく、コミュニティ農園、シェアハウス、コミュニティカフェ、そしてそれを支える人のつながりなのです。

 

最後に宮田さんは吉野弘さんの「生命は」という詩の一部を読み上げてくれました。

 

花が咲いている すぐ近くまで 虻(あぶ)の姿をした他者が 光をまとって飛んできている

私も あるとき 誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき 私のための風だったかもしれない

 

読み上げた後、宮田さんはこう話を締めくくりました。

地域とは、「花」のことです。

コミュニティとは、「虻」や「風」による「受粉」という現象です。

ここに、「共生」という言葉の重みがあるのではないでしょうか?

 

そこから話し合いが始まりましたが、長くなったので、報告は省略します。

いろんな話題が飛び交いましたが、いつもながら紹介できないのが残念です。

 

ちなみに、全国の農福連携実践事例は、次のノウフク・マッチング・ハンドブックを参照してください、という紹介もありました。

https://www.notosoken.jp/

 

「農」も「福祉」も実践しながら農福連携のあり方を実践的に模索している熊本の宮田喜代志さんの1年半ぶりのサロンは、私には感動的なサロンでした。
というのは、私にとって、心底共感できる話だったからです。

1年半前の宮田さんのサロンの報告で、私は次のように書きました。

私自身はCSA(地域で支える農業)にこそ「農業」と「福祉」の「連携」を超えた第3の理念(「コモンズの共創」)を感じているのですが、宮田さんの農福連携活動もまた、次のステップに向かいつつあることを今回は強く感じました。

それがまさに今回、実証されたような気がしたのです。

湯島で農福連携を取り上げたのは、11年前。宮田さんの呼びかけを受けて、農福連携をテーマにしたアグリフェラインを立ち上げたのですが、その集まりの報告には次のように書きました。

「農業のための福祉」でも、「福祉のための農業」でもなく、農業や福祉そのものに内在している価値を考えながら、私たちの生き方や社会のあり方を見直し、実践活動へとつなげていくことを目指した、やわらかなネットワークを目指したいと思います。

それがようやく宮田さんの手によって実現しつつあるようです。

今回、宮田さんは、実践を通して整理した「農福連携」の取り組み(類型的な広がり)とその効用を踏まえて、「農福連携の到達点と限界」から話を始めました。
そして、これまでの取り組みは、農業の視点が基軸だったのではないかと総括し、改めて福祉の視点からの取り組みを重視していくこと、それによって、地域共生社会をつくるための柱になっていくことで、農福連携を国民的運動へとつなげていきたいという展望のもとに、いま実際に取り組んでいることを紹介してくれました。

宮田さんによれば、農福連携は「地域組織化」の一つであり、しかも、一般的地域コミュニティから福祉コミュニティへの移行という、いわば「地域リハビリテーション」にこそ、農福連携の福祉的意味があると言います。
つまり、地域に多様に存在する「社会資源」を束ねていく「拠点機能」として、地域的な広がりと結合を進める社会福祉実践だというのです。

そして宮田さんは、「100年ボンド事業」の実践を皮切りに、これから多様な農福連携の地域ネットワークづくりに取り組みだしているのです。
100年ボンド事業では、障害者や高齢者、どんな人も参加できるユニバーサルな技術体系としての農福連携を展望し、農園、シェアハウス、コミュニティカフェを拠点としたコミュニティづくりとそこで生きる人たちをささえる「相談支援者の集団づくり」に取り組みだしています。

詳しくは100年ボンドのサイトをご覧ください。
https://www.100nenbond.com/

それに関連して、宮田さんは菌根菌の話をしてくれました。
植物は、目には見えない土の中で、お互いの根に着生した糸状の菌で種を超えてつながり合い支え合っているそうです。それも開かれたつながりなのです。
そうしたリゾーミックな支え合いを地域コミュニティに育てて行こうというのが、宮田さんが考える相談支援者のネットワークです。そしてそれを育てることが、宮田さんの言う「地域リハビリテーション」なのでしょう。
そうした発想も、まさに農業に取り組んでいればこそのものです。福祉が農業から学ぶとは、そういうことではないかと私は思います。そこに私は「新しい福祉観」を感じます。ちなみに、それはさらに次世代を育てる教育にもつながっていきます。

さらに、いまの福祉の世界を覆っている「労働脅迫観念」にも、宮田さんは言及しました。
「稼ぐ」発想ではなく、「働く(生きる)」発想を基軸にして考えていくこと、つまり、「労働訓練」ではなく、生活訓練、心の練習、自分探しが大切で、それを身に付ける場が、自分はここに居ていいのだという「居場所意識」と「コミュニティ」なのです。
100年ボンドで宮田さんたちが提供したいと考えているのは、制度が保障する「自立訓練(生活訓練)」だけではなく、コミュニティ農園、シェアハウス、コミュニティカフェ、そしてそれを支える人のつながりなのです。

最後に宮田さんは吉野弘さんの「生命は」という詩の一部を読み上げてくれました。

花が咲いている すぐ近くまで 虻(あぶ)の姿をした他者が 光をまとって飛んできている
私も あるとき 誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき 私のための風だったかもしれない

読み上げた後、宮田さんはこう話を締めくくりました。
地域とは、「花」のことです。
コミュニティとは、「虻」や「風」による「受粉」という現象です。
ここに、「共生」という言葉の重みがあるのではないでしょうか?

そこから話し合いが始まりましたが、長くなったので、報告は省略します。
いろんな話題が飛び交いましたが、いつもながら紹介できないのが残念です。

ちなみに、全国の農福連携実践事例は、次のノウフク・マッチング・ハンドブックを参照してください、という紹介もありました。
https://www.notosoken.jp/

Miyata2023071000

|

« ■節子への挽歌5701:88歳まで頑張ることになりました | トップページ | ■節子への挽歌5702:高月メロンが今年も送られてきました »

サロン報告」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ■節子への挽歌5701:88歳まで頑張ることになりました | トップページ | ■節子への挽歌5702:高月メロンが今年も送られてきました »