■節子への挽歌5711:「癌」という言葉の持つ魔力
節子
相変わらず「癌」を心配して、いろんな人からメールなどが届きます。
今朝来たメールの最後には「ゆったりと笑ってお過ごしくださいませ」とありました。
なんだかみんな誤解しているような気がして、いささか心配になってきました。
やはり「癌」は特別なパワーを持った言葉のようです。
もしかしたら、この言葉の魔力こそが問題なのかもしれません。
癌宣告を受けたら、いや、癌の可能性がわか合っただけで、人は死をイメージするように仕向けられているようです。
私自身は、死は意識によって大きく加速されると思っています。
もっともそれが正しいと確信しているわけではありません。
事実、節子の場合は、その思いは無残にも破られてしまいました。
そして、そう確信していたことさえも、悔いたこともあります。
でもやはり私はそう思いたい。
もちろんいつもそうだとは限りませんが。
もっとも、なかには自ら前立腺がんを体験したことから、問題を逆に軽くとらえている人もいます。そう伝えることで渡井の負担が減るという思いやりからなのはよくわかりますが、これもまた正直、いささかの違和感があります。
要は病気は人それぞれです。
それにして、「癌」という言葉がこれほどみんなの意識を動かすことに改めて驚きます。
軽々に「癌になった」などというべきではなかったような気もします。
でもこの歳になったら、身体はいろいろと故障しだします。
それが老化ということでしょう。
でもいろんな人が、騒いでくれると、逆にちょっと不安になってきます。
困ったものです。
私ももう少し悩んだ方がいいのでしょうか。
でもまだちょっと早いです。
さてさて病院ではどういわれるでしょうか。
ちょっと覚悟しておいた方がいいのかもしれません。
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