■「ペットボトル水現象は現代のチューリップ・バブル」
ペットボトルの水は、私は原則飲みません夏になるとともかく水分補給しろとみんなから言われます。
私は脳神経外科に定期的にかかっていますが、医師からは1日2リットルを目指すようにと言われています。脳神経が2本ほど危ういからです。
それで水分をできるだけとるようにしていますが、基本はのどが乾いたら飲む姿勢は変えていません。むやみやたらに水分をとればいいとは思っていないからです。
まあそれはいいのですが、気に入らないのはあまりのペットボトル依存の風潮です。
娘もよくペットボトルの飲料を出先で買っていますが、私は自動販売機は使いませんし、小さなペットボトル飲料は買いません。だから娘がペットボトルの飲料を飲んでいるのはあまり歓迎できません。水筒を持てよと言っていますが、忘れることもあると娘は言います。困ったものです。
しかし、娘も家ではペットボトルの水やお茶は使いません。非常時用は保管されていますが、私は水道水に比べてペットボトル飲料はとても危険だと思っているからです。
それにそもそも水に価格をつけて「商品」にしてしまう発想には共感できません。
湯島のサロンでは毎回コーヒーを用意しますが、水道水を使います。
なかにはそれが心配で、ペットボトルの水をわざわざ買ってきてくれる人もいますが、ペットボトルの水も所詮はほとんどが水道水のはずですし、余計な人工処理をしているだけ私には有害に感じます。それに、そもそもペットボトルの廃棄も含めて、それにかかる手間がどれほど自然環境負荷を高めているか考えれば、だれでも水道水とペットボトル水のどちらが人間に有害であるかはわかるはずです。にもかかわらず、逆イメージを創り出しているのが、水を商品化したメーカーの詐欺的行為だと私は思っています。
「ペットボトル水現象は現代のチューリップ・バブルだ」とアメリカの心理学者のトッド・ローズは言っていますが同感です。環境意識の強い人ほど、水道水よりもペットボトル飲料を好むような気がしますが、まさに今の経済の本質を象徴しています。環境そのものが、汎市場化の題材にされているのです。
ペットボトル飲料水をつくるには、水道水の2000倍のエネルギーが必要だと、先のトッドは書いていますが、その数字も私は信じていません。これもまた「チューリップ・バブルだ」と同じようないい加減な学者の無責任な数字だと思うからです。いまや誰も信頼できない状況ですが、でも信頼しないと生きにくい。
私が信頼するのは、何も知らない私自身です。そして間違いをする人間です。
ちなみに、湯島では今もペットボトルのお茶は使っています。これも水道水で沸かす麦茶に替えればいいのですが、残念ながらそこまではできていないので、私もみんなと同罪なのです。
困ったものですが、せめてできるだけ水道水を使おうと思います。
プラスチックの消耗品はできるだけ使わないようにしています。まだ不十分ですが。
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