■第24回益田サロン「心と言葉と時間」報告と次回益田サロンの案内
益田サロンはいよいよ「心はどこにあるのか」という難問に取り組みだしましたが、そこでこれまでは「空間」的に生物と環境を考えてきたのですが、そこに「時間」の要素が入ってきました。
案内でも書きましたが、益田さんは「我に返るといつも今ですね。今は空間的存在ではなく時間的存在だと思います。我々にとって現在(=今)が特別な意味をもつのは、時間が流れているからでしょう」と言うのです。
そして、時間を考えるうえで、重要なのは「言葉」です。
というわけで、今回は「心と言葉と時間」というテーマになったのですが、今回、益田さんが話しだしたのは意外な話からでした。
まずみんなに次のような2つの絵を見せて、どこが違うかを問うてきたのです。
どこが違うでしょうか。参加者はみんなBには鼻がないと答えました。
それに対して益田さんは、「ほんとにBには鼻がないですか?」と重ねて問いかけます。
みんな一斉に「ない」と答える。
さてみなさんはどうでしょうか。
益田さんが期待したのは、先入観を捨てて絵をよく見れば、鼻が見えてくると言いたかったのでしょうが、私も含めてみんなには見えてこなかった。
そこにこそ、「心と言葉」の問題がある。
種明かしをしてしまえば、Bの絵の眉毛を細い目と考え、2つの目を鼻の孔ととらえて見直してみてください。
鼻が見えてくる。
と、ここから今回のテーマである「心と言葉と時間」の話に入ったのですが、時間と空間の関係とか、心と意識の関係とか、さまざまな言葉(概念)が飛び交いすぎて、私には消化できませんでした。
益田さんは、脳を飛躍的に成長させてしまった結果、人間は新たなる環境として時間を生み出したというのですが、その意味がなかなか消化できません。そもそも時間と空間の関係そのものが難解で、私などは時空間という捉え方で時間と空間は切り離せないと受け止めています。
しかし、益田さんは、「空間的存在である体には時間がない」「体にも時間があると考えるのは時間的存在である記憶を空間的存在そのものと錯覚しているから」「心は時間という環境の中で生きている」というのです。
時間と空間をどう捉えるかという問題につながっていきますので、ますます話を難しくなりそうですが、この点を掘り下げていくことで、お題の「心はどこにあるか」が見えてくるのではないかと益田さんは考えているようです。
そして、「言葉」がその補助線の一つになるともお考えのようです。
その意図には私は理解できないもののなんとなく共感できます。
今回、いろんな話題も出て、話は少し深められたのですが、私が報告を書けるほどには消化できませんでした。参加者のみなさんも多分いささか消化不良だったと思います。
そこで次回は、今回の続きとして、「空間的存在である体には時間がない」「心は時間を環境として生み出すことで時間的存在になった」という点に焦点を合わせて、益田さんから問題提起してもらい、時間的存在として環境を自分で作れる心が、自分で作った環境で苦しむ人間独特の状況についても考えてみたいと思います。
場合によっては新しい「生物と環境」モデルの提案があるかもしれません。
というわけで、今回はサロンの報告に合わせて次回の益田サロンの案内も兼ねました。
次回のタイトルを「心と言葉と時間パート2」としましたが、今回のパート1に参加されていなくても大丈夫のように、最初からまた話してもらいますので、この問題に関心のある方はぜひご参加ください。
益田さんは、「今しかない(すなわち時間はない)と体」と「時間を環境とする心」という捉え方に確信を強めているようです。
ちなみに、漢字の脳のつくり(旁)は脳の象形文字だそうですが、悩みにも使われていて、しかも心まで備わっていることに益田さんは興味を感じているのです。
みなさんの参加をお待ちしています。
〇日時:2023年7月24日(月曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「心と言葉と時間 パート2」
〇話題提供者:益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)
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