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2023年8月

2023/08/31

■節子への挽歌5764:全身MRI検査

節子

前立腺がんが発見されたため、その転移状況を調べることになりました。
どうも前立腺がんは転移しやすいようで、それもかなり広範囲の転移を疑わないといけないようです。
それで今日はまずは50分かけての全身MRI検査です。

担当の竹森さんは、前回もやってくれて気さくな人です。
前立腺癌になったしまいましたよ、と言ったら、そうのようですね、と言います。
彼はもう知っているのです。
そして今日の検査の方法をていねいに話してくれました。
検査中も、いろいろと声をかけてくれます。

検査は無事終わりましたが、竹森さんが逐次、人間的な声で声をかけてくれるので、時間も感じずに終わりました。
終わった後、竹森さんの声で退屈しませんでしたよというと、実は私も心筋梗塞になって、入院して以来、患者の気持ちがだいぶわかって、そこに立って対応しようと心掛けているのです、というのです。
医者でも心筋梗塞ですか、と聞くと、知識はたくさんあっても、やはり自分で体験しないとわからないものだと言います。
そこから次の患者もなかったので、しばらく雑談。
この病院はこういうのが許されるようです。

竹森さんは明日から夏休み。
どこかに行くので宇Sか、と聞いたら、ずっと放置している庭の樹木の剪定と草刈りだと言います。
植物の生命力にあやかりたいですね、というと、この暑さで水もあまりやらないのに、野草は元気ですというのです。
野草の強さと野菜や花木の弱さ。
この違いはどこから来るのでしょうか。

さて検査結果はどうでしょうか。
まあ大槻医師や竹森さんからの対応からなんとなくわかるのですが。
明日はさらに造影剤を入れてのCT検査です。
毎日病院通いです。

スマホを忘れたので、病院からの帰りは歩きました。
今はもう公衆電話も病院にはないのです。
久しぶりの20分歩きでした。

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2023/08/30

■節子への挽歌5763:やはり癌でした

節子

先日の前立腺がんの生検の結果は、残念ながら癌と判明しました。
問題は、骨などへの転移ですが、至急、それを調べることになりました。
医師には多分かなりのことがわかっているのでしょうが、確実になってからでないと話してくれないのかもしれません。

今日は今後の検査や治療法に関する説明がありましたが、まずは改めて詳しい全身のTMRIの検査をすることになりました。
明日と明後日、また病院です。
来週の水曜日に、医師と相談することになりました。
面倒になってきました。
太田さんの心境が少し理解できる気がします。
流れに任せるという方法です。
でもまあ治療には取り組もうと思います。

FBでがんだったと公表したら、またいろんなコメントが届いています。
西洋医学を信じているとは不思議だ、食生活で直した方がいい。
自分の父親はこうだった、などなど、アドバイスというか、元気づけというか、いろいろと書き込みがありました。しかし意外な人からの書き込みがあり、「癌」という文字の持つ威力を改めて認識しなおしました。
なかには「心安らかに」などと書いてくる人もいますが、いまのところ、私の心境は全く何の変化もなく、ただただめんどくさいなという程度です。

しかし手術は避けられないでしょう。
また10日ほどの入院が避けられそうもありません。
困ったものです。

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2023/08/29

■節子への挽歌5762:チャネリング

節子

時評編で書きましたが、先日、チャネラーを自称する人に、湯島で自動書記のサロンをやってもらいました。
その報告を読んだ人たちからいろいろとメールが来ます。
なかにはサロンに来る予定だったのが、直前の自動書記で参加を止めた人もいます。

私の周辺には、なぜか以前から、自動書記というか、天とつながっている人が少なくないのです。
ですから、私には本人以上に、その人がやっている「自動書記」や「チャネリング経験」の真偽が感じられるような気がします。

もちろん私自身も、そういう経験はありますが、他者に伝えられるような経験は今のところありません。
でも自分の生活には大きく影響しているような気はします。
でも自我が強すぎると、聞こえないこともある。
節子に関しては、全くと言っていいほど、聞き損なっていた。
そんな悔いがある。
あまりに身勝手で自信過剰の願望が強すぎたのです。

節子がいなくなってから、自らを失い、とんでもないミスをやったり、死に近づいたりしたりしながら、ようやくいまのように、素直に天につながった気がします。
というよりも、天と私自身が重なったのです。
そうなると、そもそもチャネリングということの未熟さに気づきます。

こういうことは、しかし、他者には伝えられないでしょうし、伝わらない。
でも何か伝えたくなって、メーリングリストでまた余計なことを書いてしまいました。
そして今また、自己嫌悪に陥っています。

困ったものです。

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2023/08/28

■第29回万葉集サロン「改めて万葉集基礎講座」のご案内

前回の万葉集サロンの報告で予告しましたが、2回目の「万葉集基礎知識」のサロンを行います。
升田万葉集サロンに途中から参加してくださる方も増えていますので、これまで話題になったことの復習も兼ねていますので、ぜひご参加ください。

一応、講座スタイルですが、升田さんに講義してもらうのではなく、今回は私が中心に質問をして、それに回答してもらうスタイルをとりたいと思います。私の質問は、参加者の疑問を引き出す、いわば誘い水のような役割を意図していますので、参加者みんながその都度、訊きたいことを気楽に質問できるようにしたいと思います。

基礎講座と言いながら、既存の基礎知識を得るというよりも、万葉集を楽しむ視点を広げられればと思っていますので、なかには「トンデモ質問」も加えたいと思います。みなさんも、こんなことは訊きにくいなというような、たとえば、「どうして「万葉集」という名前になったのか」というような、突飛な問いかけも含めて、どんどん質問していただければ、と思います。
専門家の升田先生を困らせるような質問は、特に歓迎です。
そういう問いかけからこそ、新しい「万葉集」の魅力が見つかるかもしれませんから。

ちなみに、知識を増やす勉強会ではありませんので、ネットで調べればわかるような個別知識的なものは、できればそれぞれで調べてきてもらえればと思います。
でも、サロン「基礎講座」ですので、どんな質問も許される気楽なサロンです。
どうぞ気楽にご参加ください。

〇テーマ:「万葉集に関する基礎知識」
〇日時:2023年9月16日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇会費:500円

〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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■節子への挽歌5761:リクライニングチェア

節子

ジュン家族との同居によって、ソファーも廃棄し、いつも食卓の椅子に座っていることが多くなりました。
しかしそれではくつろげません。
やはりソファーが欲しくなったのですが、部屋が狭くなったので置く場所がありません。

そこで、ユカの勧めもあって、ちょっと小さめのリクライニングチェアを買うことにしました。
ところが、これがまた実に座り心地がいいのです。
購入してきてから、ほぼそこにずっと座っていて、夕食後は、そこで寝てしまったほどです。
これでまたますます怠惰になりそうです。

一時期、散歩の習慣ができたのですが、暑さのなかでもう今はまったく散歩に出ようという気が起きません。
畑作業も完全撤退ですので、ともかく湯島に行かない日は、スマホの歩数計もゼロです。
そのせいか、毎朝のテレビ体操で疲れるようになってきました。
困ったものです。

この暑さが峠を越したら、もう少し出歩かなければいけません。

 

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■湯島サロン「自動書記(チャネリング)による神示をどう受け止めるか」報告

「自動書記(チャネリング)による神示」サロンには10人を超す参加者がありました。実際にチャネリング体験を持つ方も参加していて、実は何かが起こることも密かに期待していたのですが、残念ながらそれは起こらず、無事平穏に終了しました。まあ最後に歌が飛び出すというハプニングはありましたが。

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理論的に理解しようと思って参加した人と感覚的に自動書記に触れたいと思って参加した人とでは全くと言っていいほど、受け止め方は違っていたでしょう。

話も、むしろ自動書記やチャネリングというよりも、いまの社会をどう捉え、どう生きるかというような話に行きがちでした。例えば、内藤さんは神示体験の基本には「恩送り」文化があるという話を繰り返しされましたが、そういうことも踏まえて、個人としての生き方が大きな話題になったような気がします。私には生きる時間軸の問題という意味で、まさに神示につながって理解できました。
これは私の受け止めなので、全く違った受け止めをした人もいるかと思います。

内藤さんの話は、文字にまとめるとたぶん全く違うものになるでしょうし、私にはうまく報告できませんのでやめますが、内藤さんは、要はすべての人が「神」「天」とつながっていて、日々、その神示を受けている。しかし、その神示は、本人にも自明なものとは限らないし、気づいていないことも多いといいます。

たしかに大本教の出口なおや日月神示の岡本天命が自動書記したものは、誰でも理解できるような文字ではなく、ある意味ではもっと普遍的な記号や形象です。私も何回か、実際に自動書記されたものを無意識に記した本人と一緒に読み解こうとしたことがありますが、自動書記されたものから、まだ論理化されていないような生のエネルギーを感じました。不思議なことですが、理解できないにも関わらず、そこから間違いなくあるメッセージを感ずるのです。実際、私と一緒にその神示を読み解いた人は、大きな力を得て、大きな構想を実現し、いまもなお神示を伝え続けています。

受けた神示にどう対峙するかは人それぞれです。
意識的に受け止め、自分の生き方に活かすか、あるいは他者(社会)に伝えていくか。あるいはそれに触れた人が読み解いて活かしてくれる場合もあるでしょう。
しかし多くの場合は、受けている神示の多くは本人にも気づかれることなく、人の生や社会を支えている。
私は内藤さんの話をそんな風に受け止めました。それは私の実感にも合います。

もちろんなかには、そういう神示を邪な形で使うこともあるでしょう。でも何が善で何が邪なのかもまた、神示においては、人智を超えているのかもしれません。
神示に委ねれば、小賢しい善悪や嘘などという概念は生まれようがないのです。もちろん悩みなど起こりようがない。

これもまた私の思いなので、異論があるでしょう。事実、サロンでも「おかしな神様」という言葉が出ていました。突っ込みたかったのですが、時間がなかったので止めましたが、神や天は、間違わないからこそ、神や天なのではないかと思います。つまり人智を超えている。評価など成り立たないのです。

自動書記やチャネリングは、決して特殊な異常現象ではないでしょう。
いつもとは違う、ちょっと気になることに出合うことがある。それがもし「神示」だとしたら、多くの人は日常的に「神示」に出合っているのかもしれません。
サロンでは、デジャビュやシンクロニシティの話も出ましたが、そういう体験を持っている人も多いでしょう。虫の知らせを体験した人も少なくないはずです。
だから「神示」というテーマは意外と私たちの日常につながっているのかもしれません。
世界の成り立ちにもつながっている。
改めてそんなことに気づかせてくれたサロンでした。

ただ私の経験では、そういう自動書記とは全く違った次元で、降りてくる自動書記もあるような気がします。つまり、媒体(例えば紙や石)に書き残す「書記」ではなく、自然や世界、あるいは時間に直接働きかける「活動」です。
いつかそのテーマに関してもサロンをやりたい気がします。いささか危険ではありますが。

なんだかわけのわからない報告になってきました。
参加したみなさん、内藤さん、フォローしてくれませんか。

 

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2023/08/27

■『刑事モース〜オックスフォード事件簿〜』がついに終わりまし■

10年以上続いた英国テレビドラマ『刑事モース〜オックスフォード事件簿〜』がついに終わりました。
https://www.wowow.co.jp/detail/189210

毎年、3~6話ずつ放映されてきましたが、今回で最終回。
今日は時間があったので、最後の3本(4時間半)を続けてみました。
最後まで暗いままで終わりました。
おかげで私も暗い気分です。

これは2013年に始まったイギリスのテレビドラマです。
最初は面白かったのですが、だんだんその暗い内容に何回も見るのを止めようと思ったのですが、結局、10年間見続けてしまったわけです。
最後は明るい終わり方を望んでいましたが、最後まで暗かったのです。
何しろ暗い時代のイギリスの話ですから。
でも最初は嫌な性格だと思っていたブライト署長の生き方がとてもよかった。それが唯一の救いです。

このドラマの大きなテーマの一つは、家族とは何かです。
その点ではいろいろと考えさせられました。
こういうドラマは日本では作られないでしょうね。

最近の日本のドラマは明るすぎて、見ていても何も残らない。
最近、好きなドラマは「ハヤブサ消防団」です。
実にいい。でもああいう文化は日本でもどんどんなくなっているのでしょうね。ああいうところで最後の時間を過ごせたら最高ですね。
https://www.tv-asahi.co.jp/hayabusa-syobodan/

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■節子への挽歌5760:刑事モース〜オックスフォード事件簿〜

節子

今日は何も考えずに、ゆっくりしようと思っていました。
それで昨日、録画していた『刑事モース〜オックスフォード事件簿〜』の最終シリーズを続けてみました。
4時間半です。

これは2013年に始まったイギリスのテレビドラマです。
最初から私は見ていたので、もう10年以上見ていたこと名になりますが、毎年数本の製作で、全36話です。
最初は面白かったのですが、だんだんその暗い内容に面白くなくなったのですが、なぜか結局、10年間見続けてしまったわけです。
最後は明るい話になるのかと思ったのですが、結局、モースにとっては暗い話で終わりました。

実はこのドラマは、もともと『主任警部モース』という人気ドラマがあって、その主人公のモースの若い時代を描いたドラマなので、結末は最初からある意味でわかってはいるのです。ただ時代がいかにも暗いし、人間がみんな暗い。

大きなテーマの一つは、家族とは何かです。
モースの全編を見て、改めて家族とは何かを観がたくなりますが、節子がいないせいか、最近は、「家族とは何か」を考えることができません。
しかし、どうも私の「家族観」は特殊らしい。
その特殊な家族観、というか、夫婦間を語り合える相手がいないことが残念です。
それにしても、4時間半もモースの暗いドラマを見てしまったら、なんだか気持ちも暗くなってしまいました。

明日はまた大きな宿題をもらってしまったのですが、それに取り組む気力が出るでしょうが。
これまたかなり無茶な依頼を受けてしまったのです。
いささか憂鬱です。

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■節子への挽歌5759:暑さの中に秋を感じだします

節子

在宅時に私が主にいる部屋は、2階のリビングです。
そこは食事をするところでもあり、パソコン作業するところであり、テレビを見るところです。読書もここです。

東側に窓があるので、朝日が入ってきます。
だから私は好きなのですが、夏は朝から暑くなる。
窓に遮光カーテンをするか、あるいは植物の緑のカーテンを育てればいいのですが、私がともかく陽光が好きなので、遮光カーテンは論外。緑のカーテンは琉球朝顔を植えたのですが、育ちが悪く今年はカーテンの用を足していないのです。
ですから朝から、陽光がさんさんと注ぎ、部屋の温度が上昇するばかりでなく、陽射しをもろに受けるのです。
朝の6時には、室温も30度近くになるのです。

それでも南側の窓から風が入ってきて、気持ちがいい。
それでしばらくはエアコンも付けずに過ごすのですが、さすがに直射日光を受けて室温はさらに上がるので、エアコンをかけてしまう。
そうすると南からの自然の風を楽しめなくなる。
朝、10時くらいまではもろに直射日光を受けるのですが、エアコンを受けながらの直射日光は気分はいいのですが、でもどうもエアコンの涼しさには違和感がある。

毎朝、そんな状況にあるのですが、そうして自然と付き合っていると、暑さのなかにも秋を少しずつ感じることができるのです。

秋の始まりは、節子の命日です。
今年は命日に17回忌をお寺にお願いしました。
今年は挽歌を書くのをさぼった期間があり、挽歌の番号と節子がいなくなってからの日数がかなり開いてしまいましたが、年内には一致させようと思います。

しかし今年の秋もまたいろいろとありそうで、いささか心配ですが。

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2023/08/26

■節子への挽歌5758:無謀な大冒険は大成功

昨日の孫との大冒険のつづきです。

家ではそんな騒ぎになっているとはつゆ知らず、私たちは科学技術館を出て、神保町に向かいました。
その前にミュージアムショップで記念品を探しましたが、にこは何か残るものがいいと言いながら、何やら大きな電球のようなものを決めました。

歩きだしたら、やはり暑いし、お腹が減ってきた。
途中、日本武道館の近くにレストランがあったので、そこに入りましたが、今日はイベントもあって、そのためランチはやっていないということでアウト。
急ににこも私も元気がなくなりました。
まあそこでタクシーになったわけですが、大失敗。

九段下からは半蔵門線で三越前に、そこで銀座線に乗り換えて、上野に。
そこでまた大失敗をしました。
アトレとエキュートを間違えて、駅構内に入場してしまったのです。
にこは「おうどんが食べたい」というのですが、レストラン街に行ってもうどん屋さんがない。うどん以外を勧めても、ダメだというのです。仕方なく駅から出ようと思ったのですが、にこが途中にあったよというので、レストラン街から今来た道を再現したら、たしかに「讃岐うどん」の小さなお店がありました。

ここでいいかというと、ここがいいと言う。
幸いににこが好きな「冷たい肉うどん」もある。
子供と高齢者連れには雰囲気が合わないお店なのですが、まあこれもいい体験だろうと思って入りました。祖父としては、もう少し贅沢な、デザート付きのラインを想定していたのですが。

私はわかめうどんを頼みました。
お腹が空いていたからかもしれませんが、とてもおいしかった。
にこも、大好きなはなまるうどんと同じくらいおいしいと言って、完食しました。
その食事に時に、スマホが発信されていないことに気づきました。
それでスマホをいじって、通信を復活。
ですからにこと2人で食事をしたのは2時ころだったのです。

スマホの設定ミスで音信不通になっていたので、一挙にこれまでのラインメッセージがたくさん入ってきましたが、あとで読もうと気にも留めずに、家族へのお土産を買うミッションへ。
高価なケーキなども見ましたが、にこが結局、おいしいパンを買っていこうと木村屋のパンになりました。
それから2人でソフトクリームを食べました。
あまり大きなのを食べさせるとお腹をこわすからとジュンから言われていたので、普通のソフトクリームになりました。

これでほぼすべてのミッションを完了。
まあこの間、本屋さんに寄ったり、いろんなお店を見たりしましたが。

帰りの電車で、にこに今回の満足度は100点満点で難点だったと聞いたら、即座に98点と言うので、驚きました。まあその後、96点になりましたが。
まあそれでも高得点に出ホッとしました。

まあそういうわけで、今回の無謀な大冒険は大成功だったわけです。
少なくとも私たち2人にとっては。

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■「助けてと言える社会」か「助けてと言わないでいい社会」か

今朝の朝日新聞の読書ページに『「助けて」と言える社会へ』が紹介されていました。

私はまだ読んでいませんし、いまはあまり読もうとは思っていませんが、その書名が気になって、少し書きたくなりました。
一言でいえば、「助けてと言える社会」がまだ死語になっていないことへの違和感です。

以前も書いたことがありますが、「助けてと言える社会」という考えには私は違和感を持っています。その根底に、問題を他者のせいにする意識が感じられるからです。
そういう意識こそが、社会をおかしくするのだと私は思っているのです。

助けを求めている人に「助けて」と言わせるのはむずかしい。
それが言えないからこそ苦境に陥っているのです。
そもそも「助けて」と言える人は言っている。
問題は、それに耳を傾ける人、聞こうとする人が少ないだけの話なのではないか。
にもかかわらず、まるで「助けて」と言わないことが悪いような、あるいは、むりやり「助けて」といわせようとしているような、そんな印象をどうしても受けてしまう。

そもそも問題は、「助けて」と言わなければいけないような状況をつくりだすことだと思いますが、知らず知らずのうちに、私たちは、他者をそういう状況に追い込むような生き方をしてしまっていることもあります。そうしたことにこそ、気を付けるべきではないか。
そもそも、「助けてと言える社会」をめざそうなどという発想そのものがその一つではないのか。そんな気さえします。

その気になってまわりを見てみれば、助けを求めている人に気づくはずです。
もしそうした余裕がない生き方をしているのであれば、まずは自らが「助けて」と声をあげればいい。そう思うのです。

あまりに雑駁に語ったので、またまた反論をもらいそうですが、「助けてと言える社会」ではなく、「助けてと言わないでいい社会」をつくることに意識を向けたいと思います。

 

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2023/08/25

■節子への挽歌5757:大冒険余波

節子

今日の孫との大冒険は大成功でした。
帰りの電車の中で、今日の総合点は100点満点で何点だった?と聞いたら、98点と即座に答えが返ってきました。70点くらいかなと思っていたのに、98点。驚きました。
もっとも少ししてから、96点かなと言い換えましたが。

ところでそんな中、自宅では大変なことが起こっていたのです。
実は家族のライングループがあるのですが、そこに1時間おきに経過報告すると言ってきたのですが、それが途中から投稿したのに発信されていなかったのです。
スマホの設定をどこかで誤動作してしまい、インターネットが不通設定になっていたのです。

私がそれに気づいたのは2時過ぎでした。
そのため、3時間ほど、家とは音信不通状態だったわけです。
娘たちは心配して私に電話を掛けたそうですが、それも不通。
そのため大騒ぎになってしまったというわけです。

娘は心配して科学技術館に連絡、「佐藤修さん、ご自宅まで電話してください」と館内放送までしてもらったそうです。
娘は胃が痛くなり、熱まで出てしまっていたそうです。
ラインには家族のメッセージがいろいろと入っていましたが、私が受診したのは2時過ぎでした。
その間、どうもみんな大変だったようで、娘はもう「大冒険」は一切許さないと怒っています。
幸いのにこの父親は、寛大で、にこがまた行きたいと言ったら行かせようと言ってくれていますが、何しろ娘は私よりも強いですから、またゼロから働きかけないといけない。
困ったものです。

でも交信が再開し、みんなホッとしたようで、少し雰囲気が変わりました。
あんまりメッセージが多いので、きちんとは読めていないのですが、まあ冒険に出ている二人は、そんな余裕はありません。
遅いお昼ごはんの場所探しや、ソフトクリームをどれにするか、お土産を何にしようかと大忙しだったのです。

孫の私への信頼度は高まったと思いますが、娘の評価はまた下がってしまったようです。
人生はうまくいかないものです。
帰宅してみんなでお茶を飲んでいたら、にこがうれしそうにいろいろと報告してくれたので、娘からも少し許してもらえそうです。

さてさて次回の大冒険はあるでしょうか。

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■節子への挽歌5756:7歳と82歳の大冒険

今日はにことの大冒険の日です。

まあ、2人で科学技術館に行くだけの話ですが、この暑さが問題です。
12のミッションリストを持って、845分出発。
まずは最初のミッションはクリア。

次の課題は電車の一番前に乗って、電車内では退屈しないこと。
乗ってみて気づいたのですが、この時間の一番前の車両は女性専用でした。
気づいたのは松戸までいったころですが。
でもまあ老人には資格があると思いましょう。

電車ではいろいろと話しました。
どうもにこは、「たいいく」と「づこう」がすきで、「こくご」や「さんすう」はあまり好きではないようです。まあそんな話をして、お互い退屈しませんでした。しかし予想以上に込んでいて、外が見えず、「駅を幾つとまったか」「川をいくつ渡ったか」などの課題に取り組めませんでした。

大手町で乗り換えて、竹橋で下車。お濠を背景に記録写真。
とまあ、こんな感じで科学技術館を楽しんできました。
まあ書き出したらきりがないのですが、いろいろとありました。

科学技術館は予想したほど面白くなく、というよりも、表示が難しくよくわからないものが多いのです。
ただ入った途端に、入り口でキャンドル作りはオルゴールづくりがあり、これもミッションの一つだったので、すぐに参加し、キャンドルをつくり上げました。

あまり面白くないというものの、気がついたら12時を過ぎていました。
ある参加ゲームがやりたかったようですが、いつ行ってもそこは並んでいる。
それで結局、そのゲームはやれなかったのですが、どうも孫は私と一緒で並ぶのが好きではなさそうです。どうもこれは私からジュンに伝わり、それが孫へとつながっているのかもしれません。

科学技術館を出て、神保町に歩いていましたが、たまたまタクシーが来たので、もうすぐそこだったのですが、タクシー経験もいいかと思い、乗ることにしました。
ところがタクシーはUターンして走り出しました。あれ、っと思っていたのですが、やけに遠回りする。すぐそこのはずなのにと思ったのですが、孫の手前、言い合いはしたくなかったので任せたのですが、目的地に降りてみて気づいたのですが、神保町と言ったつもりが九段下だったようです。
でもまあこれもいい体験。行き先を間違ったよとにこには説明。

帰宅後、嬉しそうにジュンにそれも報告していました。
お昼はまた大変でした、この後はまた明日、続きを書きます。

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2023/08/24

■節子への挽歌5755:本当に大丈夫か?

節子
明日はにこと2人で科学技術館に行きます。
昨日、にこと相談して決めた「12のミッション」を母親のジュンに渡して了解を得たのですが、夕方、ジュンとにこがやってきました。

ジュンはにこと私が2人だけで出かけることをママ友たちに話したようです。
そうしたらみんなから「信じられない」「母親もついていった方がいい」「そんな無謀なことを」「止めさせた方がいい」とさんざん言われてしまったようです。
娘も改めて心配になったのでしょう。連日の暑さに加えて、7歳と82歳です。それで改めて心配になったのでしょう。

娘が言うには、ふつうは孫と祖父はそんなに歳は離れていない。それをきちんと意識しているのか、と言うのです。要するに私が歳を自覚しているのかということでしょう。でも平均したら45歳だよと言ったのですが、無視されました。まあそういうところが娘の不信感を買うわけですが。
でも娘はやめろとは言いませんでしたし、孫もやめるとは言わないので、決行になりました。
まあ娘からは繰り返し、「もう82歳なのだから、あまり過信せずに絶対無理をしないで」とこんこんと言われましたが。

孫は、一昨日、私が渡した「12のミッション」リストをもってきました。
もうすっかり挑戦するようで、娘も何となくそれに同調して、新しいミッションを勝手に付け加えていましたが。

まあそんなわけで、明日は無事、大冒険の日です。

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■節子への挽歌5754:お施餓鬼でした

今日はお施餓鬼でした。

毎年、この日はなぜかとても暑いのです。
例年は、施餓鬼の経あげは兄に頼み、私はお経が終わったころに行くのですが、今年は私よりも高齢の兄も、あまりの暑さに私と一緒に行くことになりました。

さすがにもう会場からは人がいなくなっていて、私たちのように、いささか怠惰な不届き者たちが、ご住職に魂をいれていただいた塔婆を墓石のところに持って行って、古いのと入れ替える作業をしていました。
ご住職は元気そうでした。

新しい塔婆に替えさせてもらい、般若心経をあげさせてもらいました。
こうした行事も少しずつですが、変わってきています。
お寺はもっと大きな役割を果たせるはずなのになといつも思いながら、結局、私は何の働きかけもしないまま、むしろだんだんお寺から遠のいているような気がします。
困ったものです。

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■戦争はなぜ起こるのか

最近、さすがにウクライナ戦争に関する報道も静かになり、好戦的な状況づくりの報道も鎮まったようで安堵しています。
まあ日本の国家予算の防衛費の激増も認められたし、原発再稼働の国民合意も取れたので、政府にとっても利用価値が低下したのかもしれません。

私自身は、ウクライナ戦争当初から、その報道姿勢に違和感がありました。
それに、なんでみんなこんなにウクライナを支援するのかも理解できませんでした。
日本の近くにはもっと悲惨な「戦争状況」はあるでしょう。沖縄だって、もっと報道されていい。そこに目を向けずに、何がウクライナだ、とさえ思っていました。

それに、ウクライナで戦い、殺し合っているのは、プーチンでもゼレンスキーでもありません。ロシア人とウクラナイ人です。問題の捉え方になじめなかったのです。

半世紀ほど昔に書かれたアーサー・ケストラーの「ホロン革命」という本があります。
ケストラーは、いろいろな歴史を検討して、「人類の苦悩はその過剰な〈攻撃性〉にあるのではなく、そのなみはずれた狂信的〈献身〉にある」という結論にたどり着く。
そしてこう書いています。

歴史にざっと目を通せばわかることだが、人間の悲劇のなかでも動機が利己的な個人規模の犯罪など、部族、国家、王朝、教派、政治的イデオロギーヘの没我的忠誠心のなかで虐殺された人びとに比べれば、きわめてささいだ。問題は〈没我的〉だ。ごく少数の金目当ての傭兵やサディストを除けば、戦争は個人の利益からではなく、王、国家、大義への忠誠心と献身からおきている。

戦争は憎しみや対立からではなく、愛や共感から起こる。
私には意外な結論でしたが、考えてみると納得できます。

ウクライナの人たちもロシアの人たちも、相手の人たちへの憎悪や敵対心から殺し合いを始めたわけではない。
殺し合いを始めたために、憎悪や敵対心が生まれてしまったのです。
そこを見誤ってはいけません。

ではなぜ殺し合いにまでつながる戦いを始めたのか。
それは国に対する忠誠心や一体感からでしょう。あるいは隷属意識。
しかしそこには大きな勘違いがあります。
政府は国ではないのです。
いやそもそも国とは何か、です。
そんな基本的なことさえ考えようとしなくなっている国民の行く末は見えています。

戦争を回避したいのであれば、向かうべき敵が間違っている。
ウクライナの人たちは、そしてロシアの人たちも、さらには日本の人たちも、戦うべき相手は、自国の政府なのです。銃の向け先が間違っている。

もし戦争を避けたいのであれば、政治のパラダイムを変えなければいけません。

 

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■8月オープンサロン報告

昨日も猛暑の中、5人の方がオープンサロンに参加してくれました。
しかもいつも以上に、最近の社会の風潮や政治状況にかかわる話が、予定の時間を1時間も延長して続きました。
こんなに真摯に時代を憂いて行動している人がいる。
マスコミ報道からは見えてきにくいですが、しかもこうした人や活動は、日本中いたるところで展開されている。

にもかかわらず、どうも状況は改善されないどころか、悪い方向に向かっているようにも思える。それに、新しい動きも、なんだか邪魔されているようにも感じられる。
なぜなのだろうか。
まあそんな話が続いたのです。

Open2023082300

でもまあ一方では、小さいかもしれませんが、新しい動きも始めようという話もでました。
近いうちにまたあんなできるでしょう。

こういう話し合いは、いろんなところで行われているはずです。
今回もそのいくつかが紹介されましたが、そういう動きが大きな物語へとつながる「仕組みのデザイン」が必要ではないかと参加者のおひとりが話しました。その人はすでにそういう意識でいろいろと取り組んできています。

フリーランスの人たちが、力を合わせられたら、社会は大きく変わりだすでしょう。
でもフリーランスの人たちに、チームワークを期待するのは難しい。
まさに湯島サロンの理念につながるようなテーマです。

またいろんな刺激を受けてしまいました。
そろそろ現世から抜け出したのですが。
困ったものです。

 

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2023/08/23

■節子への挽歌5753:サロンをやっていると気になることに出合う

節子

時評編にも書きますが、今日はオープンサロンでした。
テーマがあると参加しにくいので、むしろテーマなしのサロンをしてほしいという要望から、できるだけ開きたいのですが、最近はせいぜい月1回になっています。
しかしこの暑さで、むしろ引きこもりがちな方は参加しなくなっていますが、こういう場があることに意味があるので、継続しています。

毎回、オープンサロンの前は、誰かの相談を受けたり、雑談相手になったりしています。
サロンでさえ苦手の人もいるからです。

今日のオープンサロンは5人の参加者がありました。
オープンサロンの常連がほとんどです
話していて、なんとなくうれしくなりました。というのも、私の考えや生き方は、なかなか他の人には伝わっていないと思っていますが、そうではなくやはり何となく伝わっているのだという気がしてきたのです。
どこでそう思ったのかは明確には説明できないのですが、なんとなく行動にも少し影響を与えているのかもしれないと、時々、ちょっと思うことがあるのです。

そもそもこの暑いのに、わざわざやってきてくれる。
そのこと自体にも意味がある。

そういえば、毎週何回かはがきをくれる鈴木さんがこう書いてきてくれました。

多くの人が佐藤さんの健康を気遣っていますね。
身内以外からこれほど心配される人はそう多くはないと思います。これまでの生き方の反映なのでしょう…。

サロンのおかげかもしれません。
サロンをやっていると、参加している人の中に、時々気になることがある。
恐らくそういう「気になること」にたくさん触れたことが、私の生き方に影響を与えているのかもしれない。
そんな気がします。

今日もある人の発言が気になりました。
ほってはおけません。

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■汚染水を薄めて放出する発想が認められたらなんでもありでしょう

いよいよ明日から、福島原発の汚染水の海洋放出が始まります。
汚染水を希釈して放出するのであれば、私にもできますし、汚染水を貯水槽にため込んでおくことも私にも思いつきます。
しかし、事故後、これだけの時間がたつのに、誰にでも思いつく方法でしか対処できないとは、全く驚きます。
科学技術者や管理責任者は何をしていたのでしょうか。

もしこの方法が認められるのであれば、原発のごみ問題も解決です。
薄めて捨てればいいのですから。
いや、すべての不都合は、希釈して捨てていけばいい。

そもそも希釈して廃棄は、あの有名なエントロピー則に反すると思います。
フクシマ事故の後、私の知人が汚染水を希釈するのではなく、重イオン水をつかって濃縮する方向で対策を考え、その実験をしたいので協力してほしいと言われたことがあります。
我孫子市のクリーンセンターに協力してもらって実験もしましたし、検査結果の評価も専門機関から証明してもらいました。
しかし、その知人がそれをもって、政府をはじめいろんなところに働きかけましたが、残念ながらその先に進めませんでした。

汚染は「希釈」ではなく「濃縮」し、問題を封じ込めることから始めるべきだという思いは今も変わりません。
しかしどうも社会の常識はそういう方向ではないようです。
アントロポセン時代とは、恐ろしい時代なのだと改めて感じます。

またわが家から魚の料理が減りそうで、心配です。
意に反することには行動で抗議しなければいけませんから。

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2023/08/22

■節子への挽歌5752:にことのお出かけは科学技術館になりました

節子

にことのお出かけが正式に決まりました。
にこに相談しようと声をかけたら、めずらしく素直にやってきました。
そこで、どこに行くかよりも、何をするかを決めようと話し合うことにしました。
最初に決まったのは、ソフトクリーム化パフェを食べること。
次に決まったのは、何かのワークショップに参加すること。

ほかにないかといろいろと言いましたが、みんな賛同を得られませんでした。
あんまり乗り換えのない上野がいいと言っていましたが、結局、九段下の科学技術館になりました。
電車の乗り換えもいい体験でしょう。
朝、9時出発になりました。

母親のジュンが、心配してラインを送ってきました。

この暑さの中での7歳と82歳の2人手の外出はとても心配ですが、無理のないようにしてください。

翌日はにこがすでに予定が入っているそうで、あんまり疲れないようにとも書かれていました。
私は娘たちからはあまり信頼されていないのです。
娘たちが小さいころ、かなりの無茶を要請していたのかもしれません。

さて、あまりにすんなりと決まったので、いささか拍子抜けです。
さてどんなことになりますか。

決行日は25日です。

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■第28回万葉集サロン「古代語1音節〈な〉に見る、〈わ〉の自己自立への道筋」報告

今回はサロンに入る前に、琵琶の話がありました。
前回、琵琶が話題になったので、わざわざ琵琶を持ってきてくれたのです。
升田さんが以前琵琶を習いだしたのを知って、いつかきっと万葉集の琵琶語りが聴けるだろうと楽しみにしていました。もしかしたら今日は、その始まりかと期待しましたが、万葉集の弾き語りは聴けませんでした。ちょっとだけありましたが。

ちょっとだけではありましたが、琵琶と音声が組み合わさるとまったく新しい世界が開けます。
琵琶法師の語る平家物語と大勢の人々の手拍子や口囃子のなかで歌われる万葉の歌が重なって、改めて万葉集は声を通して味わうものであることを感じました。

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今回の切り口は改めて音声言語です。音声言語である日本の言葉には、1音節の言葉にさえ、とても豊かな意味や働きが込められていたという話です。いや、たぶん今もその文化は続いているでしょうが。

その視点から、古代語における「な」や「そ」について考えていくと、生き生きした万葉の時代が見えてくる。
今の私たちのように、「文字」で読むのと、「音声」で歌を聴くのとは、おそらく意味合いは大きく変わるでしょう。いや当時でも、誰が歌うかで、そしてどう歌うかで、歌の意味合いは変わっていたのかもしれません。日本書紀には、「能(よ)く歌う男女」という文字も出てきます。

音声が文字になった途端に、歌はたぶん「変質」します。
文字は文化を豊かにさせると私たちは思いがちですが、もしかしたら逆なのかもしれません。
文字を現代的に読んでいるだけだと、万葉の時代にはなかなかたどりつけない。

そもそも、人と人の関係も、いまとは違っていたでしょう。今様に、一人称、二人称、三人称などと割り切ってはいけないのです。主語(歌の詠み手)だって柔軟にとらえないといけない。
この豊かな音声文化やひとのつながりは、文字の普及によって、9世紀ころには消えてしまったと言われていますが、今でも各地の方言にはしっかりと残っているように思います。

ところで、今回のテーマは、「〈わ〉の自己自立への道筋」を「な~そ」という禁忌表現から考えていこうという話です。〈な〉、つまり〈汝〉を今様の二人称と捉えていいのか。

升田さんは、万葉集ではなく、古事記にある大国主命の妻問いをじらすヌナカワヒメの歌から話し始めました。「今こそは 我鳥(わどり)にあらめ 後は汝鳥(などり)にあらむを 命(いのち)は な死せたまひそ」。
我鳥と汝鳥。〈わ〉と〈な〉。
いま、私は自分の意のままにふるまっていますが、後にはあなたのものになりましょう、だから死なないで待っていて、というような意味で読み解かれていることが多いですが、ここに升田さんは、〈わ〉と〈な〉が分離せず、自我が生まれる前の神話の世界を読み取るのです。人の思考はまだ関係の中で生まれていると言ってもいいかもしれません。

〈わ〉に関しては、これまで〈な〉や〈た〉との関係から、いろいろと読み解いてきました。神と対峙する多くの人〈た〉のなかに、切り離された〈な〉を見ることで、〈わ〉に気づき、そこから〈た〉が〈多〉から一人ひとりが違う〈他〉へと変わり、思いや考えを持った〈人〉が生まれてきた。そして、自我が生まれて、物語が生まれていく。
〈わ〉と〈な〉に関しては、高橋虫麿の歌を詠みながら、さらにそのダイナミズムを解説してくれました。

つづいてまたヌナカワヒメの歌に戻り、我鳥・汝鳥につづく、「な~そ」という、前回話題になった禁忌の表現の持つ表現に焦点が移りました。
「な死せたまひそ」は「死んじゃだめよ!」「死なないで!」という意味です。一般には、「な~そ」の「な」に禁止の意味があるとされていますが、本来は「そ」にこそ、禁止の意味があると升田さんは言います。

ただし、古代にあっては、「そ」には2つの「そ」があったのです。
今では50音(ごじゅうおん)と言われるように、母音を5つにして日本語の音が整理されていますが、万葉の時代はもっと豊かな音声が生きていたのです。そしてひらがなではなく、万葉仮名を使っていたころは、発音の違いによりも、使われる文字もまた違っていました。だから万葉仮名も1000近くあったのです。

現在の通説では、大きくは甲類と乙類の2系統に分けられていますが、今回、話題の「そ」にも甲類の「そ」と乙類の「そ」の2系列があったのです。もちろん当時は「発音」も違い、それに充てられた万葉仮名(文字)も違っていたのです。
そして、「乙類のそ」には強い禁止の意味がこもっていた。
その例をいくつか紹介してくれましたが、逆に「甲類のそ」には、たとえば「そら」(空)とか「そがそがしい」(すがすがしい)とかのように、明るい肯定的な意味がこもっていたのです。
それが今では一緒になってしまい、文字でも声でも区別できない。

前回の報告でも書きましたが、万葉の時代には「な」だけでも禁止の意味を持っていたそうですが、次第に「な」がなくなり、「そ」だけで禁止を表現するようになっていきます。
では「な」はどんな意味があったのか。

そこから升田さんは、〈な〉と〈わ〉の関係性をていねいに読み解いてくれました。〈な〉には自分と相手を重ねて考える、深い思いや願いがこもっている。思いを共にするという強い関係が含意されているのです。禁止するというと相手を制約するような意味合いを感じますが、その反対なのです。であれば「な~そ」は禁止の表現ではなく、願望というか支え合いや愛情の表現ではないかという気さえしてきます。

升田さんは、「意識化とは否を言うことから始まる」という心理学者ノイマンの言葉も紹介してくれましたが、禁忌とか禁止には、単に閉じ込めたり封じ込めたりするのではなく、むしろ積極的で創造的な意味合いがあるようです。
これは私には大きな発見でした。

これだけの説明ではわかりにくいと思いますが、こうした話を通して、升田さんは、万葉人たちが、次第に自我を意識し、自己を自立化していったことを紹介してくれたのです。そして、それぞれが自らの物語を生み出す時代が開けていくわけです。

今回もまた盛りだくさんの内容でしたが、話し合いもまた示唆に富むものでした。
昔の人たちがどう発音していたかをどうやって調べるのか、英語の命令形には主語がないがそれと〈な〉と〈わ〉の話は関係ないか、アイヌの人たちの発声音は今も文字にしにくく発音記号でも表現しきれない、沖縄では「ん」で始まる言葉がありしりとりができない、など、いろんな話題が出ました。一つひとつを深堀したいことばかりです。

どうやってそうした豊かな音声文化を文字に記録していったかという話も出ました。
そこからまた万葉集の成り立ちに関する基礎的な話題になり、改めてもう一度、万葉集に関する基礎知識のサロンを升田さんにやってもらおうということになりました。
万葉集の歌を読むサロンとは別枠で、9月に万葉集基礎講座を開催してもらうことになりました。
いまさら訊けない万葉集の基礎知識を気楽に訊けるサロンです。
万葉集サロンに「敷居」を感じていた方にはお勧めです。

ちなみに今回の万葉集サロンの資料は升田さんがきちんとレジメも付けてくれていますので、読むだけでも少し理解できます。ご関心のあるにはデータでお送りしますので、ご連絡ください。

 

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2023/08/20

■節子への挽歌5751:暑さで湯島のメダカが半分ほど死んでしまいました

暑さが続いています。
あの年も暑かったですが、それ以上の暑さが続いています。

1週間ほど、湯島に来られませんでした。
そのためか、湯島のメダカが半分近く死んでいました。
昨日、友人が立ち寄ってくれていますが、その時はまだ大丈夫っだようですが、タッチの差で間に合いませんでした。
でもまだ6~7匹います。
注意して水を替えたので大丈夫でしょう。

今日は万葉集サロンでしたが、この暑さで参加者は少ないだろうと思っていましたが、なんと10人を超す人が参加してくれました。
予想外のにぎやかさです。

参加者のおひとりが、私が最近、やせてきているようで心配だと元気が出る者を差し入れしてくれました。
たしかにこの半年で、体重は10キロ近く痩せていましたので、私もちょっと気になっていました。
でも理由もなくほかの人に心配されるようなことは避けなければいけません。
メダカの心配よりも、まずは自分の心配です。

帰宅して体重をきちんと図ってみました。
幸いに回復してきていています。
もう大丈夫でしょう。

差し入れしてくれた人は、こういっていました。
佐藤さんは時々、破天荒な行動をするので心配です。
そんなことは全くないのですが、要するに思慮が足りないということでしょう。
メダカもですが、自分自身の行動も、気を付けなければいけません。

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2023/08/19

■節子への挽歌5750:最近、にこはりんご飴が好きなようです

節子

にこと一緒に電車で出かける可能性が出てきたので、サンダルを買いに行きました。
今履いているサンダルはもうそこが擦り切れているのです。
いまは3代目なのですが、同じ品番なのに、微妙に履き心地が違うのです。
残念ながら私に合ったサイズがないため、取り寄せになってしまいました。

ところで、サンダルのお店の近くに、我孫子の河童祭りの塗り絵がたくさん展示されていました。そこににこの作品もありました。ユカが見つけてきたので、見に行きました。

にこは最近、りんご飴がお気に入りなので、りんご飴がたくさん並んでいます。
見づらいですが、「リサイクル」というのもあって、もしかしたら「ゴミ箱」かと思ったら、「リサイクルショップ」、つまり「リユースショップ」だそうです。
かきごおりの文字もあります。生活レベルが見えてきますね。

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わが家は子どもたちにあまりお祭りの屋台などで売っているお菓子を買ってやらなかったようで、ユカがよく、麩菓子を食べた記憶がなくて友だちとの会話ができなかったそうです。

たまたま最近、ジュンが麩菓子をもらったとお裾分けしてくれましたが、初めて食べたユカは一口食べて駄目でした。
懐かしい記憶がないからか、でしょうか。
たぶん娘たちはりんご飴も食べたことはないでしょう。
私もどうも苦手ですが、そういう反動なのか、じゅんはにこに屋台の食べ物を結構認めているようです。
節子がいたらどういうでしょうか。

先日の花火の時にも、にこは屋台で買ってきたりんご飴をなめていましたが、あの雰囲気が楽しいのでしょうね。
食べにくそうなのに、子どもたちはどうしてみんなりんご飴が好きなのでしょうか。

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2023/08/18

■節子への挽歌5749:おさむさんが倒れたらどうするか?

節子

夕食を終えて、のんびりしていたら、にこが突然やってきました。
ママが友だちからキュウリをもらったのでお裾分けだと言って、キュウリを持ってきてくれたのです。
ところが、そのついでに、おさむさんと一緒に行ってもいいんだけど、と急に言い出しました。
昼間はあれほど、おさむさんと2人だけでは絶対嫌だと言っていたのですが。

そして、でももしおさむさんが途中で倒れたらどうすればいいかと言うのです。
そんなことを心配していたのです。
そういえば、にこは以前からそういうことを心配する子です。
以前書きましたが、私と一緒に自転車で出かけるときにも、もしおさむさんが倒れても、電話するからと母親に言っていました。

ユカが、その時にはおさむさんのスマホで、119番に電話すればいい、そうしたら人命救助で表彰状をもらえるかもといってくれました。
最近も母親の事故を警察に連絡して表彰された子供の話題がテレビで報道されていたのを思い出したのでしょう。
それを聞いて、にこは、もしそうなればこの夏は3枚もらえるなとまんざらでもなさそうです。
よくわかりませんが、2枚もらう当てがあるようです。

それで、私が、じゃあ、私が上野公園で倒れるよというと、わざとじゃだめだよといいます。さて祖父としてはどうすればいいか。倒れるべきか、何事もなく済ますべきか。
突然同行の保護者が倒れるという体験もめったにないことなので、それもいいかもしれない。行く場所よりも、何を体験するかが面白そうです。でもそれがにこに通ずるかどうか。

もっともこういう考えなので、娘も私との2人での遠出は心配のようで、どうもしぶしぶ認めていて、あまり協力的ではないのです。
ジュンが、ユカに心配だよと本音を話したそうです。
困ったものです。娘たちよりはよほどしっかりしていると思っているのですが。

でもまあ、ちょっと可能性が出てきました。
それにしても、にこが喜びそうなところが本当にない。
飛び回れるところか水族館がいいと言いますが、どこも混んでいるでしょう。
混んでいるところには、私もにこもあまり行きたくないのです。

私自身が最近、どこにも行っていないので、あまりに知識がないのです。
もう完全に時代から取り残されている。
困ったものです。

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■節子への挽歌5748:ココスのかき氷

節子

にこは夏休みですが、いろいろと予定があって、なかなか一緒に上野に行く計画が実現しません。
まあ私が入院などするので、たぶんますますにこは心配になっているでしょう。

今日は友達と遊ぶ予定が先方の都合で中止になったというので、娘たちも一緒にみんなで、近くの「ココス」にかき氷を食べに行くことにしました。
どうもにこはここのかき氷がお気に入りなのだそうです。
いろんな種類があると言って、その絵まで描いて持ってきました。

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食後、それぞれに注文しましたが、出てきたかき氷の大きさにみんなおどろきました。配膳してきたスタッフも、注文を受けて、いつもほんとに食べられるかなあと心配しながら作っていますというのです。さらに大きさを見て後悔する人も多いとのこと。さすがににこも今回はギブアップで、食べ残しました。私もさすがにだめでした。

かき氷を食べながら、にこと一緒に上野に行くことを相談。
一応、25日に決まったのですが、まだどこに行くかが決まっていないのです。
どこを提案しても拒否されます。
困ったものです。

さてさてどうなりますか。

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2023/08/17

■検査結果が出るまでは「推定無病」です

前立腺がんの生検のための入院は、退屈な2日間でしたが、おそらく今後、また入院することになるであろう病院の様子がだいぶわかりました。
しかし病院によって、システムも医師や看護師やスタッフの姿勢も大きく違うこともわかりました。同時に、しかしいろんな意味での市場化は同じように進んでいます。
健康や福祉を市場の対象にしたことの功罪がはっきりと見えてきます。
実に面白い。

私のFBの書き込みに、いろんな人からコメントをもらいましたが、今回の入院は検査のためで、まだ結果が分かったわけではありません。「推定無罪」ではないですが、私は検査結果は素直に受け入れますが、それがわかるまでには「推定無病」主義なのです。
だから私はまだ病気になったわけではないので、多くのコメントは私にはピンとこないのです。すみません。

ですから退院した後も、全く普通の生活に戻しています。
強い日差しを受けての15分散歩も実施。さすがに暑かったですし、1日半のベッド生活で、少し足がふらつきました。困ったものです。でも深呼吸歩きで15分。

午後、新潟の同世代のKさんから電話。明日から入院だそうで、その前にある人の伝言を伝えておかなくてはと電話してきてくれたのです。ちょっとうれしい伝言でしたが、どうもこの歳になると、入院話が多いのがいささか憂鬱です。私と違い、みんな入院を暗く考えているからです。

つづいて約束していた若い友人とサイゼリアで会いました。病院では糖分に飢えていたので、プリンを注文。病院では、なぜ検査が予定時間より2時間も遅れたのかの理由の推理や死刑執行前の囚人の気持ちのシミュレーションなど、いろいろと推理ゲームをやっていたので、頭が疲れていたのです。次回入院時は、甘いものをふんだんに持ち込まないといけません。

入院中、今回は前回と違い、ベッドを囲い込むカーテンは閉め切りでした。ただ、大部屋だったので、いろんな人の声がカーテン越しに聞こえてきます。そこでまたつまらないことを考えだしてしまいました。
足音や話す声で男女や年齢層がわかります。男女の声はやはり基本的に違うのでしょうね。そんな当然のことが気になりだして、そこから改めてジェンダー問題を考えてしまいました。

そういえば、この病院ではいろんな書類に「男女」区別の欄がありました。病室も男女分かれていました。
私はヒューマニストですので、いわゆるフェミニストほど差別主義者ではないと自認していますが、どうして最近は性差別者がこんなにも増えているのでしょうか。
退院前はまた何もすることのない時間が2時間ほどあったので、その問題を考えていました。ちなみに病室に来る人は圧倒的に女性が多いです。
もしかしたら、女性の声が影響しているかもしれません。

というわけで、病院はいろんな問題を投げかけてくれる。
いろいろと考えさせられる場なのです。
だから病院は疲れる。困ったものです。

私も2週間後には、たぶん「病名」のついた「病人」になるでしょう。
さてそれから私の意見はどう変わるのか。
その答えは間もなくわかるので、考えるようなことはしません。
おろおろするか、ワクワクするか、ホッとするか、生き方を変えるか。

結果は9月に判明します。
なぜか検査結果を知りたいという人までいたので、FBでは報告しますが、またお騒がせしかねないので、今度は小さく報告します。写真なしなので、あまりアップはされないでしょう。
しかし、私の生き方や考えが変わるかどうかはたぶんFBの記事に現れていくでしょう。

さてさて。

 

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■節子への挽歌5747:今年の送り火は娘たちに頼みました

節子

書くのを忘れていましたが、今年の送り火は娘たちと孫に任せました。
私は入院中でしたので。

そういう行事もできればだんだんと娘たちに委譲していきたいと思っていますが、問題は彼らが受け入れてくれるかどうかです。
節子がいれば、スムーズにいくでしょうが、どうも家族の文化は、父親はあまり掌握できていない、というか、その文化に心が入っていないような気がします。
思いや知識は入っているのですが、それだけでは文化は継承できません。

事実、わが家の文化はどんどん風化しています。
文化に実を与える節子がいないからです。
困ったものです。

でも今年の送り火は、娘と孫がうまくやってくれたようです。
お寺にきちんとお参りしてきたかどうかはいささか心配ですが

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■節子への挽歌5746:帰宅しました

節子

続きです。
昨夜は何事もなく過ごしました。
夕食は空腹だったこともあり、おいしくいただきました。
心配されていた血尿も痛みもなく、全く異常なし。

いつものように早く目が覚めましたが、本もなく、相変わらず退屈。
病院内散歩も今日は行く気が起きません。
しかも朝食は8時。また空腹感が襲ってきました。

昨日、検査は無事終了とFBに書いたのでいろんな書き込みがありましたが、あまりみんなきちんと読んでいないのがよくわかります。
検査結果もまだわからないのにもう私が死んでしまうような感じで書いている人も内ではない。まあ「癌」という言葉の持つパワーでしょうか。

ところで入院中にもいろんな相談などは入ってくる。
しかも今回は、予定していたサロンの変更依頼が話してから2件も入ってきました。
一人はコロナ感染だそうです。
退院翌日に予定していたサロンだったので、急いで関係者に中止の連絡をしなければいけません。何とか全員に連絡が付きました。
PCがあれば簡単なのですが、慣れないスマホでの連絡は疲れます。

朝、主治医の大槻医師がやってきて退院を正式に決定。
この大槻医師は、これまであったどの医師よりも礼儀正しい。感心しました。

というわけで、10時過ぎには退院となりましたが、早かったこともあり自宅に電話したら、自動車がないというのです。
それで歩いて帰ることにしました。
炎天下を歩いて帰りました。さすがに暑いのと、2日間、寝たきりだったので、最初は足がつまづきそうになってしまう。それも面白く、まあ無事、20分近く歩いて帰宅。
飢えていた糖分をたっぷりとりました。

午後は約束していた予定通り、近くに住んでいる坂谷さんとサイゼリアで会いました。
夕方には生活も日常に戻りました。

さて問題は、生検の結果です。
2週間後に判明しますが、考えるのはそれからです。

 

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■節子への挽歌5745:前立腺がん生検が完了

節子

2日間の短期入院は、ただただ「退屈」でした。
短期なので本も持って行かずに、用意不足でした。

部屋は大部屋でしたが、幸いに窓際のカ的な場所。
窓から青空が見えるのが何よりでした。

写真をFBにアップしたら、先週、偶然にもこの部屋に入院していたと我孫子での活動仲間の櫻井さんからコメントが入りました。
しかも担当の看護師まで一緒でした。

この病院(我孫子東邦病院)は建物も古く、構造的にもいろいろと問題はありそうですが、その分、人間的な要素がまだ残っています。
そこが高齢者には評判がいい理由の一つかもしれません。
看護師もスタッフも、どことなく時間間隔がゆったりしています。

12時ころから生検だと言われていましたが、それまでは何もすることがない。9時半に入院したので、ぼーっとベッドで空を見ていましたが、とにかく退屈。
生検のため昼食はありません。水も禁止。

ようやく12時を過ぎたので、そろそろ呼びに来るかと思っていたら、一向に来ない。
スタッフが呼びに来たのは3時近くでした。時計も持って行かなかったので、あんまり正確ではないですが、手術室で生検。ベッドに寝たら、麻酔の注射。
注射を打ってから1~2分でまったく意識がなくなりました。

気が付いたら、ストレッチャーで病室に戻る途中でした。
意識をなくすのも早いですが、意識が戻るのも早い。
しかもその間、私は夢を見ていたようですが、それと目が覚めた後の現実がなんとなく連続しているのです。
したがって、意識を失っていたという意識さえないほどです。

ベッドに戻されて、すぐに意識は正常化し、看護師にいま何時ころかと聴いたら3時半ということ。手術台に寝た時に検査技師に聞いていた通りです。
痛みも違和感も全くない。
ただしばらくは異常が起こるかもしれないのでと安静を言いつけられました。
酸素吸入と点滴もされていました。
しかし、何もすることがなく、ともかく退屈。

1時間ほど(かなり不正確ですが)したら、看護師が来て、酸素吸入を外し、さらにしばらくしたら点滴からも解放。
ますます退屈になったので、スマホでFBへの投稿をしていましたが、またみんなから投稿が多すぎると叱られそうです。
その一方で、朝から何も食べていないので、空腹感が強く、早く夕食が来ないかなと待ち遠しいです。

ともかく退屈。
次回の入院はやはり退屈対策を考えておかないといけません。
前回はPCを持ち込んだのでまったく退屈はしなかったのですが。

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2023/08/16

■節子への挽歌5744:前立腺がんの検査入院

節子

これから検査入院です。
事前のPCR検査は陰性でしたので、入院できることになりました。

検査では全身麻酔ではないので、付き添いは不要です。
さてさてどうなりますか。
入院のおかげで、節子を送ることができません。
娘たちに頼みましたが、台風は大丈夫のようです。

昨夜は雨が降って、いやな夜でしたが、陽光がまぶしいほどのさわやかな朝です。

明日の午前中には退院できます。

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2023/08/15

■節子への挽歌5743:両親に挨拶

節子

お盆で両親が兄の家に帰省しているので、ユカと2人であいさつに行ってきました。
時々、大変なことになりますが、兄も姉もいたって元気です。
杉野さんの梨をお裾分けし、お線香をあげてきました。

兄夫婦は今はいたって気楽ないい生活です。
娘たちも孫も幸せそうです。

しかし私も含めて、この3人は間もなくいなくなるわけです。

不思議な気がします。
そんな話を時々、ユカといます。
こういう話を節子とするのが楽しみだったのですが、節子はいかにも早く旅立ってしまった。
困ったものです。

明日から検査入院。
たまたまお盆で戻ってきている節子や両親も明日は病院についてくるでしょうか。
でも明日はまた彼岸に戻らなくてはいけない。
お盆の最中の入院とは、これも何か意味がある。

明日の入院の支度をユカがしてくれました。
まあ一泊なので、特に準備も不要なのですが、病院からはいろいろといわれています。
まったくめんどくさい。

やはり入院前日は落ち着きませんね。
困ったものです。

でもいろんな相談メールは今日も届いています。
私よりも大変な人がたくさんいるのです。

 

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■湯島サロン「デモクラシーと新しいアナキズム」のお誘い

先日開催した「デモクラシーをどう思いますか」のサロンの第2回目です。

このシリーズのサロンでは、政治の捉え方を考え直すことを意図して、基礎的な概念(言葉)を選んで話し合うことで、「政治の常識」や「言葉による思考停止」を解きほぐしていければと考えています。

第2回目は、前回、話に出てきた「アナキズム」、いわゆる無政府主義をテーマに選びました。
アナキズムは「無政府主義」と訳されることが多く、何やら物騒なイメージが付きまといがちですが、本来、国家や宗教などの、上から目線の統制や組織化によってではなく、対等な立場でお互いの自由を尊重できる社会を構築しようとする思想です。
むしろ、社会に対して自らをしっかりと律する姿勢が根底にあるといっていいでしょう。

問題提起するのは、アナキストを自認している竹形誠司さんです。
竹形さんは、デモクラシーを否定して「これからはアナキズムだ」と考え、それに沿った生き方を続けてきている人です。

現代社会において権威や権力を支えている金銭に対しても、否定的な考えをお持ちで、だからこそ苦労もしていますが、そうした視点から竹形さんの「新しいアナキズム」論をお聞きして、これからの政治や社会のあり方、そして私たちの生き方を考え直してみたいと思います。
竹形さんの考えるデモクラシー論も話してもらえると思います。

異論を思い切りぶつけあって、アナーキーな調和に挑むサロンを楽しめればと思います。
きっと世界が少し広がると思います。

〇日時:2023年9月15日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:デモクラシーと新しいアナキズム
〇問題提起者:竹形誠司さん(地域活動家)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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■湯島サロン「〈パブリック〉と〈公〉の違いを考える」報告

柿嶋美子さんの「〈パブリック〉と〈公〉の違いを考える」サロンは、土地収用時の補償問題の問いかけから始まりました。

みんなが使う道路をつくるために土地が収用される具体的な事例に関して、地権者にどう金銭的な補償をすればいいか。参加者は2人ずつペアを組んで話し合い、それぞれが考えを発表。それを踏まえて、柿嶋さんはアメリカにおける裁判での判断を紹介しながら、日米の法理の違いを解説。そこから、パブリックという概念と日本における「公」の概念の違いを解説していってくれました。

Kakishima20230800

解説に入る前に、柿嶋さんはもう一つの問いを出しました。柿嶋さんはthe publicをかつて「公衆」と訳したことがありますが、それは誤訳だったのではないかと今は思っているそうです。それはなぜか。それを考えながら話を聞いてほしいというのです。

柿嶋さんはまず、〈パブリック〉と〈公〉の語源に関する話から始めました。

〈public〉の語源のラテン語には、「人々」という意味があり、したがって the publicと言えば、官職などについていない普通の人々のことで、「お上」ではない。アメリカでは、Publicが国家(state)に関することに多用されるが、それはあくまでも「広く人々に関すること」に政府が調整役として機能しているという国家像や政治観が関係しているというのです。アメリカは、デモクラシー(民主政)だけではなく、リパブリック(共和制)の文化にも支えられているのです。
英国とアメリカでは、パブリック・スクールへの政府の関わり方が違っているのも、それが影響しているように思います。

ここで大切なのは、〈public〉と〈private〉の関係です。両者は相互に支え合う関係にあり、〈private〉は〈public〉には包摂されない、ましてや一方が他方を支配する上下関係にはないのです。

説明不足ですみませんが、柿嶋さんはアメリカの政治観を示す文章を紹介してくれましたが、ここにすべてが表現されているような気がします。
Politics are the public actions of free men.

日本では、〈public〉は「公的」「公共」などと訳されますが、多くの場合、「公」はそもそも「朝廷」を表し、「官民」の「官」、つまりいわゆる「お上」の意味合いをもっています。言い換えれば、私たちの国家像や政治観がアメリカとは全く違う。
アメリカでは、〈private〉と〈public〉を支え合う関係にするために〈state〉(政府)があるのに対して、日本では〈private〉を統治するために、その上の存在として政府(お上)があり、〈private〉もまた国民(臣民)として、奉公的な存在になっている。

つづいて柿嶋さんは、「公」に関する日本の意味を話してくれました。
日本での「公」(おほやけ)の原義は「大きな家」ということで、「下から見上げて奉って言う語で、自らを「下げて」表現する謙譲語「わたくし(私)」と対語になっていること。そしてその「おほやけ」と「わたくし」が入れ子構造のように積み重なって、有機的なホロニックなヒエラルキーを構成していると解説してくれました。

このあたりの詳しい内容は、もしご関心があれば、柿嶋さんがPDFデータで送ってくださるというので、希望者は柿嶋さんもしくは私にご連絡ください。

説明が長くなってしまいましたが、いずれにしろ、「public/private」(水平構造)と「公/私」(垂直構造)とは全く違うにもかかわらず、私たちは「(和風)パブリック」や「公共」の罠にはまって、お上に従う文化から抜け出せないでいるように思います(これは私の私見です)。そろそろパブリックとか公共とかいうまやかしの言葉を捨てなければいけないと私は思っています。

長くなってしまったので、話し合いの紹介にまでいきませんでした。
私自身は、最初の土地収用の補償問題にこそ、〈public〉を考える示唆があるように思いましたし、また途中で柿嶋さんが出した〈republic〉という言葉や〈politics〉の説明文にも興味を持ちました。
視点を変えて、もう少しこのテーマのサロンを続けられればと思います。

かなり勝手な解釈と切り取り報告なので柿嶋さんから叱られそうですが、柿嶋さん、参加者のみなさん、補足・修正などよろしくお願いします。

なお、この話題は915日に予定している「アナキズム」をテーマにしたサロンにもつながっていきますので、よかったらそちらのサロンにもご参加ください。

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2023/08/14

■節子への挽歌5742:現実をどう捉えるか

節子

一昨日、湯島で映画「PLAN75」に関して感想を話し合うサロンを開きました。
私自身、参加が気が重かったサロンですが、いろんな人と話し合ってなんだかすっきりしました。時評編に報告を書いていますが、映画に対する私の感想も反転しました。
学ぶことの多い映画のような気がしてきました。
もちろん映画としては今もなお愚作というよりも駄作だとは思いますが。

あの映画を観ていて不思議だったのは、映画から生活音が何一つ聞こえてこなかったことです。それでリアリティを感じなかったのですが、最近のように、現実世界からメタバース世界へと多くの人の主軸が移りだしていることが、そこに示唆されているような恐怖感のようなものに気づいたのです。
もう私たちはすでに「PLAN75」を実際に受けているのかもしれない。そんな気がしてきたのです。
もちろん私も例外ではありません。

そう思ったとたんに、いまの生活そのもののリアリティが薄れてきていることに気づかされたのです。
リアリティがないのは、映画ではなく、現実のいまの生活です。

まあこんなことを書くと笑われそうですが、確かのこの数年、生活からどんどんリアリティが消えている。
いったいどうなっているのでしょうか。

暑さのせいでしょうか。
なんだか夢と現実が混とんとしてきた。
いよいよ胡蝶の夢の世界に入っていきそうです。
不思議なことが最近また増えているはずです。

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■湯島サロン「映画『PLAN75』をどう受け止めますか」報告

自分で呼びかけながら、私自身、あまり参加したくなかったサロンですが、猛暑の中、6人の方が参加してくださいました。

映画を観ていない人も2人いたので、まずは映画の簡単な紹介。その後、このサロンを開くことになった私と川端さん(大学生)と近藤さん(70代)のメールでのやり取りの概要を各人から少し話したうえで話し合いに入りました。
3時間の長丁場の話し合いになりました。

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サロンでの話し合いの報告は難しいのですが、サロン終了後、私の考えは完全にひっくり返りました。私がいかに、感情的にしかこの映画を観ていなかったかをみんなから気づかせてもらったのです。お恥ずかしい限りです。
映画「PLAN75」を完全否定していた私の感想は撤回します。主演の倍賞千恵子さんにまで悪口をぶつけていたことも反省。どうも、人のいのちがテーマになると私はいささか感情的になってしまうようです。まだ命に執着しているからでしょうか。困ったものです。

と書いても、サロンに参加していない人はもちろん、サロンに参加した人も、何が何だかわからないでしょう。サロンでも私は、この映画に批判的な発言を最後まで繰り返していましたから。私が自分の間違いに気づいたのは、サロンが終わってからの帰りの電車のなかです。いつもサロンが終わった後に、私はいろいろと気づかされるのです。

そんな次第ですので、報告が難しい。
私は、生命そのものが持っている生きる輝きが表現されていないこと、社会には無用な人という存在があるという考えを肯定していること、世代間の支え合う関係への認識がないこと、そしてなによりも、映画を観た人に実践的な行動への示唆がないことなどに反発してしまったのですが、反発の対象が間違っているのではないかと気づかされたのです。

反発すべきは、こうした映画を生み出す社会や「知」「感」の在り方ではないか、ということです。この映画があえて描いていないことこそが、大きなメッセージだと思えば、話し合うべき題材になる。それがしっかりとできなかったのは、まさに私がすでにこうした社会に浸りきっているからではないか。

話し合いの一部を紹介すれば、人間の生き死にに関して、「プラン」などいう言葉を使う穂ことに不快感を示す人がいる一方、PLAN75の制度が死の迎え方に関する選択肢を増やしてくれることは歓迎するという人がいました。後者の立場の人は、自ら死に引き込まれるような状況を体験したことがあるそうですが、自らの体験によって、受け止め方は大きく変わってくるようです。

社会的な制度が政府(お上)によって用意されることが「選択肢が増えること」という発想に、私は違和感を持ちますが、安楽死をテーマにしたサロンでも話題になったように、命は自分だけのものではないと考えれば、制度の意味も肯定できるかもしれません。これは「いのち」のあり方につながっていく問題です。

サロンに初めて参加してくださった方が、ご自身の母親を見送った辛く厳しい経験とご自身が病気で身体さえも自由に動かせない状況に陥った1年半からどうやって抜け出たかの話をしてくれました。
そして、もし母親が娘である自分のためにPLAN75を選択したら、自分は生涯、後悔の念から抜け出せないだろうと思うと、どんなにつらくても自分はPLAN75は選択しないだろうと話してくれました。

映画では、若い世代がPLAN75にかかわる高齢者から、生きる意味を気づかせてもらい、生き方を変えていく話が出てきます。
それは、社会における高齢者の役割を示唆しているようにも受け取れます。
社会は、「生産活動」や「お金」だけで成り立っているのではない。見方を変えれば、高齢者などの「社会的に弱いと言われる立場の人たち」がいればこそ、豊かな社会は成り立っていることを示唆しているとも受け取れます。

見方をちょっと変えれば、いろんな示唆が読み取れる。
そんな映画なのかもしれません。

映画とはつながりませんが、私は、帰りの電車の中で、森本哲郎さんの「ゆたかさへの旅」に出ていた話を思い出しました。

インド古代文明のモヘンジョダロの整備された都市は、ある時突然滅びてしまった。その理由は、みんながきれいな都市づくりに心がけすぎて、結局、人間がいなかればきれいな都市が完成すると考えて、自滅を選んだのではないか。その証拠に、汚い都市ベナレスは今もなお栄えている、という話です。

社会にとって、大切なのは何だろう。
いや人生にとって大切なのは何だろう。
そんなことを考えさせてくれたサロンでした。

おかしな報告になってしまいすみません。
映画『PLAN75』をお薦めします。最近の日本の社会の現実に目を向けていくためにも。

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2023/08/13

■節子への挽歌5741:にこが馬と牛を描いてくれました

節子

今日からお盆です。
今回は準備ができていなかったので、朝一番で、精霊棚をしつらえました。
例年よりもずっと小さくしました。
別に意図があるわけではないのですが。

いつもは私が育ったナスやキュウリを使ってお迎えの馬と送りのナスをつくるのですが、今年は全く収穫できなかったので、急遽、にこに馬と牛の絵をかいてもらいました。
昨日頼んでおけば、粘土で作ってくれたかもしれませんが、今回は迎え火に行く直前の間に合わせです。

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生け花も、今年はカサブランカなしです。
そのせいか、いささかさびしい気もします。
しかし以前のように、大きなカサブランカや供花が並んでいた時よりも、こういう感じが私には合うようですし、節子もきっと好むでしょう。

お供えの果物は杉野さんの幸水と野路さんの白桃。
これも節子好み。

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迎え火にはジュンもにこも一緒でしたが、雨が降ってきてしまい、雨の中の作業でした。
お墓の供花も、今年は地味でしたが、これは節約のようです。
何しろ今は収入がほとんどないので、経済的にはいろいろと大変なのです。
今年は、お盆でのみんなの会食もないようです。
いやこれは節約というよりも、私のせいですが。

久しぶりに帰ってきた節子と一緒にのんびり過ごしました。

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■8月オープンサロンのご案内

8月のオープンサロンのご案内です。

いつものようにテーマのない、出入り自由のサロンです。
何か話したい人、何も話したくなくて誰かの話を聞きたい人、行き場がなくて退屈な人、いつものサロンはテーマがあって敷居を感じている人、誰でも歓迎です。
サロンに一度も来たことのない人、私とは全く面識のない人は、特に歓迎です。

オープンサロンは申し込み不要です。
気楽にご参加ください。

〇日時:2023年8月23日(水曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2023/08/12

■湯島サロン「自動書記(チャネリング)による神示をどう受け止めるか」のご案内

最近、岡本天明の自動書記「日月神示」に関する本を読んだことをFBで書いて、だれかサロンで自動書記の話をしてくれないかと呼びかけたところ、内藤ふみえさんが引き受けてくれました。

イタコの血を継ぐ内藤さんは、岡本天明が自動書記を行った成田市の麻賀多神社や日月神社に参拝したり、大元教の出口家を訪れるなど、全国、神示の旅をした経験があり、ご自身もチャネラーとして活動していた時期があります。

しかし、数年前、あることがきっかけでチャネリングの奥の深さと危うさを知ってからは、チャネリングを現実を良くするための神示とスピリチュアルと捉えるようになったそうです。ご自身でもドラマティックな人生を過ごしながら、いまもスピリュアルズを現実に生かすことを支援する活動にも取り組んでいます。

「自動書記(チャネリング)」と言っても理解できない人も多いと思いますが、私の理解では、天の摂理が個人の右脳を通して、手を動かし、文字や数字や図形として形を表してくることです。これまでもたくさんの自動書記が世界を変えてきています。
私自身は自動書記の経験はないのですが、まわりには何人かの体験者がいますし、自動書記されたもの見せてもらったことも何回かあります。

今回は、内藤さんから「自動書記(チャネリング)現象」に関して体験的なお話をいただき、そうして示された「神示」をいかに現実にいかすかなどを話してもらおうと思います。
できるだけ参加者との質疑応答のスタイルをとりたいと思います。
自動書記体験のある方はぜひご参加ください。

いま啓示を受けている方も歓迎です。
もちろん自動書記など受け入れがたいという方も歓迎します。
世界を広げるサロンにできればと思っています。

〇日時:2023年8月26日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「自動書記(チャネリング)による神示をどう受け止めるか」
〇話題提供者:内藤ふみえさん(ヒーラー/現実創造マリアージュ・プロデューサー)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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■節子への挽歌5740:昨夜、アブラゼミが飛び込んできました

昨夜のことです。

ベッドで本を読んでいると外のベランダでセミが騒いでいます。
時々、セミの亡骸がベランダに落ちていますので、また部屋の明かりを目指して、セミが最後の力でここに飛んできたのだと思って、放置していました。
しかし、なぜか定期的に飛び立とうとして飛び立てないでいる感じが続いています。
気になって、起き上がってベランダを見たら、セミがベランダからまた外に出ようとしているような感じでしたが、力不足でベランダの壁を超えられないでいるようです。

それでセミを捕まえて、ベランダの外に向けて投げ出してやりました。
ところがです。
セミは外に飛び立たずに、すぐまた方向を変えて、なんと少し空いていた窓の中に飛び込んできたのです。

私の寝室は、実はまだあまりきちんと整理できておらず、パソコンやら書籍などが山済みで、部屋に入ってきたセミがどこに行ったのかわかりません。
そのままにしておくのも気になるので、部屋の電気をつけて探したら、見えにくいところにとまっていました。
つかまえたら、まだ足に力がありました。
部屋でまた鳴きだすと大変なので、もう一度、つかめて外に今度はゆっくりと逃がすことにしました。

ところがまたまたセミは部屋に飛び込んでしまったのです。
そのうえ、今度はどこに行ったのか見つかりません。
セミは今夜は部屋の中で過ごしたいのだろうと思わざるを得ない。
気になりながら、そのまま寝てしまいました。

しかしなんだかずっと気になっていました。
ここまでこだわるのは単に偶然なのか。

3時ころ、セミの小さなジーっという音で目が覚めました。
鳴き声にもなっていない小さな音というべきでしょうか。窓の網戸にとまっていました。
迷いましたが、3度目の試みをして、今度は無事、外へと飛びだっていきました。

まあそれだけの話なのですが、もしかしたらセミは節子で、何か夢を見せてくれるのではないかと思ったのですが、節子の夢は見られませんでした。

その代わり、とてもややこしい夢を繰り返し見ました。
私が迷子になっている夢です。
時々、見る夢の一つですが、舞台は全く新しいところでした。
もしかして、節子はまだ彼岸に達せず、現世で迷っているのでしょうか。
そんなはずはありません。
あるいはお盆が近いので、少し早めの帰省でしょうか。
送り火を待っていられなかったのでしょうか。

今年はまだお盆のお迎え棚をつくっていません。
明日、つくる予定ですが、その催促でしょうか。

アブラゼミですが、ちょっと小さめの、鳴かないアブラゼミでした。

 

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2023/08/11

■節子への挽歌5739:部屋から見える樹の茂み

節子

今日も暑い一日でした。
毎日の暑さ続きにもかかわらず、どうも夏という気がしない。
というか、私のなかでは最近、時計が止まってしまっているような感じなのです。
お盆が近いのに、お盆の準備もできていない。
来週は検査入院なのに、その準備もできていない。
夏休みなのでにこをどこかに連れていきたいのに、その働きかけもしていない。
やらなければいけないことのほとんどすべてが手つかずのままなのです。

朝、起きて、リビングに来て外を見る。
大きな樹の茂みが見えます。
それを見ていると何もしなくても何か幸せな気分になる。
節子がいたら、たぶん毎日がそういう生活になっていたはずです。
世のしがらみとは縁を切っていたかもしれません。

でも今は、世のしがらみとの縁だけが、私の生活かもしれない。
時々そんな気がしてしまう。
だから部屋から見える樹の茂みに引き込まれてしまう。

先日判明した前立腺がんの話はいいきっかけを与えてしまったのかもしれません。
そろそろ生き方を変えてもいいのではないか、そんなきっかけを与えてくれた。
誰かの相談を受けるものいいことですし、みんなが喜んでくれているサロンを続けることもいいことです。
でもそれらがないとしても、誰も困らないし、そもそもほんとは、それがあるからみんな付き合ってくれているだけであり、なくてもいいことなのかもしれません。

樹の茂みを見ていると、そんな気がしてならないのです。
悩んでいる人は小賢しく悩む前に、樹の茂みをみればいい。
部屋から見える樹の茂みは、いくら見ていても飽きません。

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2023/08/10

■節子への挽歌5738:野路さんからの白桃

節子

横浜の野路さんが桃を送ってきてくれました。
お礼の電話したのですが、お元気そうでした。
伴侶のやよひさんも元気そうです。

やよひさんは節子の友人です。
私も会ったことがありますし、節子がなくなった後、節子の着ていた衣服を素材に裂き織りで小さなバッグをつくってくれました。私はいまもこのバッグを時折使っています。

そのやよひさんが、節子がなくなってしばらくしてから階段で転倒し、頭を打って以来、記憶が失われ、大変だったようです。
いまはかなり記憶が戻ってきたようですが、今度は認知症なのか、野路さんは苦労されているようです。
でも、それでも、やよひさんは元気でそこにいる。
それがどれほど幸せなことかは、もしかしたらなかなかわからないのかもしれませんが、でも野路さんはいつも幸せそうです。
うらやましい。

昨日は桜桃、今日は白桃。
桃好きの私にはとてもうれしい贈り物です。

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■湯島サロン「祈りのサロン」報告

8月9日、長崎に原爆が投下された時間を含む時間を選んで、「祈りのサロン」を開催しました。原爆投下時間には、長崎の式典のライブ放映動画を見ながら、参加者全員で黙祷、その後、市長の話もみんなで聞きました。

猛暑と台風のためもあってか、参加者は4人と少なかったのですが、うれしかったのは、参加できないけれど、同じ時間に祈りますというメールを10人近くの人からいただいたことです。なかには祈りの内容も書いてきてくださった方もいます。

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最初に、長崎出身の鐘ヶ江さんが、長崎の9日は浦上天主堂のミサから始まると教えてくれました。今朝のミサのようすも録画して持ってきてくれました。長崎では朝、テレビで流れるそうです。浦上天主堂は、忘れていないのです。
ミサは信徒のためだけのものではないでしょう。広島の原爆ドームがそうであるように、人類の原爆体験の記憶をすべての人に向けてメッセージしているのだと思います。

話し合いは、祈りとはなにか、平和教育はなぜ行われないのか、など、いつものように広がりましたが、中心には長崎があった気がします。

実際に体験した地域の人と伝聞(知識)で知っている人とでは、やはり問題の捉え方が違うという話や、現地でも次第に実際の体験者が少な
なってきていることへの懸念も話題になりました。
だからこそ、何かが必要なのです。

市長の平和宣言を聞いた後の、長崎出身の鐘ヶ江さんの反応が私には印象的でした。被爆地の人たちの多くは、いまもなお、「現実の問題」として受け止めていることを感じました。知識としてしか知っていない私とは大違いです。
文字にすると、たぶん私と同じ感想なのですが、その意味合いは全く違う。そんな気がしました。同じ話も、現地の人とそうでない人とは受け止め方が違うのです。

大切なことは、その「現地」感覚を広げ、お互いの現地体験をつなげていくことだと改めて思いました。
狭い世界に引きこもって、別の世界の話だと傍観するのではなく、想像力を高めて、原爆被爆体験を自分の生活とつなげていく想像力が大切です。もちろん被爆だけではなく、ウクライナもフクシマも沖縄も、ですが。

先日サロンを開催した聖ヤコブを中心にしたサンティアゴ巡礼路世界のことを思い出しました。ナガサキ・ヒロシマ・フクシマをつなぐ新たな巡礼路世界はできないものなのか。そんなことをふと思いました。

長崎も広島も、平和宣言はいつも政府関係者に向けて呼びかけられますが、呼びかけるべきは、世界の政府ではなく、世界の人々ではないかといつも思います。
来賓者など、平和式典には不要です。
そう思うのは私だけかもしれませんが、いまの核兵器廃絶運動は私にはあまり共感できません。

ナガサキーヒロシマ巡礼路ができたら、私も歩いてみたいです。
まあできなくとも歩けばいいのですが、そう気づくのが私の場合、いささか遅すぎました。大いに反省しています。
でも、私たちは、そうした聖地候補地を意図的に矮小化しているのではないか。そんな気もします。

後半は祈りの話にもなりましたが、「祈りとは何か」、私自身わからなくなってしまいました。
祈りによって、心の安定を得て、すっきりするかと思っていたのですが、異常な疲労感を残したサロンになりました。

サロン終了後、鐘ヶ江さんから次のメールが届きました。

まさか、関東で皆さんと黙とうができるなんて、話題を共有できるなんておもってもいなかったので、私にとって本当に意味あるサロンでした。

そこで気づいたのですが、長崎出身の人や広島出身の人が友人知人と祈りの場を共有していったらどうでしょうか。
それが広がっていけば、何かが変わるような気がします。

鐘ヶ江さんから次のサイトも送られてきました。
よかったら見てください。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b65b2a55f36af3b4176a9696fef42059e9960740

https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20230806-OYTNT50011/2/

このテーマはもう少し続けたいと思います。
参加してくださった方、思いを込めてどこかで祈ってくださった方、ありがとうございました。

 

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2023/08/09

■節子への挽歌5737:祈りのサロン

節子

今日は78年目に長崎に原爆が投下された日です。
原爆投下と言えば、広島をつい思い出してしまい、長崎はどこか後ろに消えがちです。
それに気づき、今年はその日に湯島で「祈りのサロン」をすることにしたのです。
長崎出身の鐘ヶ江さんが今回も参加してくださいました。

サロンには参加者は少なく4人しか集まりませんでしたが、サロンには参加できないかがその時間は祈りをささげると連絡してくださった方が数名います。
それだけでもう十分です。
サロンの報告は時評編に書きます。

ところで案内に、前半は長崎と平和のために祈り、後半はそれぞれの思いを披歴し合って祈ろうと書きました。
それで私も何を祈ろうかと改めて考えたのですが、その祈りが出てこない。

前回、長崎の原爆のサロンを開催して、祈りの大切さに気付かせてもらってから、私の毎日は祈りから始まります。
仏壇、というか、節子の写真に向かって祈るのですが、特に何かを祈るわけではなく、世界の平安や今日がいい一日になりますようにというたわいない祈りです。
もちろん時に具体的に気になってることを思い浮かべます。
**さんが元気になりますように、とか、台風の被害がほどほどで収まりますようにとか、です。

でも改めてサロンで何を祈ろうかと思ったら思いつかない。
結局、私は「安らかに死を向けますように」という祈りをしようと思ったのですが、それは祈ることでもないだろうという気がしてきました。
そんな話をしたら、祈りは他力任せだから自分は嫌いだと参加していた鷹取さんから指摘されました。
私は決して「他力」意識はなく、祈りの守護は自分だったのですが、そう指摘されるとなんだか、祈りの意味が分からなくなってきてしまいました。

昨日はそんなこんなで、うまく祈れないサロンになってしまったのです。
祈るということは実に難しい。
そう思いました。

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2023/08/08

■節子への挽歌5736:すぎの梨園の幸水

節子

今年はなかなかすぎのさんのところに梨を買いに行けなかったのですが、今日、ユカに頼んで連れて行ってもらいました。
杉野さんの梨の幸水が節子の好みだったのですが、わが家も毎年、杉野さんのところから梨の幸水を買うようにしています。
自動車で10分ほどのところなのですが、私がもう運転しないので、なかなか簡単には来られません。

道の駅などで購入できることもあるのですが、杉野さんのところにはやはり顔を出すのが一番です。
杉野さんとの話がいつも面白いのです。

杉野家は4世代同居です。
私がよく話すのは杉野光明さんですが、いまはナシ園の仕事は主役を息子さんの耕資さんに引き継いでいます。
今日、行ったら耕資さんの6歳の息子が、梨の分別作業を手伝っていました。

今日は、梨のほかに最近手掛けている桜桃をもらいました。
すぎの梨園では、梨のほかにいろんな果物も作っています。
昨年は栗を始めたと言って栗をもらいました。

今日はまた面白い話を聞きました。
杉野さんがまとめた「もうひとつの柏」という小冊子をもらったのですが、その第一話に、地元で継承されている「送り大師」の話が書いてあります。
その話から、杉野さんがなんと山崎弁栄とつながっていることを知りました。
しかも、杉野さんのお名前の「光明」は、弁栄の「光明主義」からもらっているのだそうです。
なんということか。

これはもうサロンをやってもらわないわけにはいきません。
書きたいことが山ほどありますが、まあ追々と。

今年初めての杉野さんの梨の幸水は早速節子に供え、私たちもいただきました。
杉野さんは、節子につないでもらった縁なのです。

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■自動書記の体験談を話してくれる人はいませんか

中矢伸一さんの「日月神示 完全ガイド&アップデート」(徳間書店)を一応通読しました。
私に興味があると知った友人が1か月ほど前もってきてくれたのです。
岡本天命が自動書記したものを解読・解説した本です。

一気に通読するような本ではないので、時々、ゆっくりと読んでいましたが、あまりに違和感がないので、自動書記されたことにも納得しました。ここに書かれていることの多くは、私も何となく感じていることだからです。文字で読むのははじめてですが、私を包んでいるメッセージのような気もします。

 自動書記に関しては、私自身は経験してはいませんが、私の友人に降りた啓示を自動書記したものも以前何回か見ていますので、自動書記ということそのものには違和感は全くないのです。

自動書記の世界について、どなたか話をしてくださる人はいないでしょうか。
小賢しい人知の話を超えたサロンができないかと思っています。
天からの啓示には学ぶことが多いですから。

 

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2023/08/07

■節子への挽歌5735:生検のために入院することにしました

先日、前立腺がんの検査のためにMRIを撮りましたが、その結果も踏まえて、どうするかの相談に行きました。
一応、生検のために検査入院する予定ですが、問題は医師との相性です。

今日、お会いして相性に問題はなく、お任せすることにしました。
検査の1週間前から、脳神経外科の薬の服用を止めなければいけませんが、それも先週、了解を取ってきました。
8月中頃に入院することにしました。
4つ目の入院病院です。
さてどんな感じでしょうか。

ちなみにMRI検査の結果は、やはり癌の疑いは極めて高いそうです。
まあ私が写真を見ても、何とも言えませんが、医師の説明には納得できまあした。

今日は1時間ほど、病院で待っていましたが、いろいろと気になることが多くて、退屈しませんでした。
ここはあまりまだ経営コンサルタントに荒らされていないようで、人間の要素が残っています。
ですから何となく昔風の病院ですので、若い人向きではないでしょう。

待合室で隣の人に話しかけたら、その人は友人にこの病院はいいと聞いてやってきたのだそうです。
私が聞いている噂とは真反対です。
人のうわさはいろいろあるものです。

昔の癖で、いつも、この病院の経営指導を任されたら、見違えるように変化させられるなあというようなことを思ってしまいます。
直すべきことを考えていると退屈はしないものです。

でもまあ入院はいささか憂鬱です。
もちろん検査はもっと憂鬱ですが。

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2023/08/06

■9日は湯島で「祈りのサロン」です

広島での平和祈念式典のテレビの報道を見ています。
いつも思うのは、その時々の首相は、この式典に列席して一体何を感じているのだろうかという疑問です。
今回もこの疑問は消えません。
岸田さんも、この式典にふさわしいようには見えません。

まあ、そういう偏狭な考えが間違いなのかもしれませんが。
8時15分、テレビの画面の前で黙祷しました。

広島市長の話を聞きながら、この案内を書いています。
市長のスピーチにはいつも感ずるところがあります。
私はこれ以後はいつもテレビを消しますが。

3日後の9日は、長崎に原爆が投下された日です。
今年は9日の午前中に湯島でサロンを開きます。
長崎を思っての黙とうもしたいと思っています。

猛暑ですが、もしよかったら長崎を思い出しながら、これからの平和を祈るサロンに、ぜひご参加ください。
案内を改めてお届けします。

■湯島サロン「祈りのサロン」のお誘い(再送)

毎年、8月は原爆投下と戦争終結がマスコミでも大きく取り上げられます。
私も、戦争や原爆の悲惨さを思い出して、せめてそういうことには加担しない生き方をしようと毎年祈りをささげてきました。

しかし、実際の日本の社会は、このところ、急速に戦争や核武装へと向かっているような気配があり、毎年の報道はいったい何なのだろうかと思うことが多くなってきました。
そんな時、サロンに参加している人から、長崎や広島では今もなお、思いを新たにし、何かできることはないかと行動を促す祈りが継承されていることを教えてもらいました。
それで長崎出身の鐘ヶ江さんに「長崎の原爆をもっと思い出してほしい」というサロンをやってもらいましたが、そこで「祈り」の大切さに気づかせていただきました。
いまは、毎朝、短い祈りをさせてもらっています。

「祈り」は長崎や広島に限ったことではありません。
沖縄でも福島でも、あるいは最近多発している被災地でも、「祈り」は行われています。
でも、テレビで見る「祈り」も、他人事にしか感じなくなっている自分に気づくことが少なくありません。正直、私自身の「祈り」も形骸化していることは否めません。

しかし、鐘ヶ江さんのサロンの後、テレビで見る「祈りの風景」が少し違って見えてきました。自然と、一緒に手を合わせることも起こってきた。
祈る対象は違っているかもしれませんが、大きな意味ではみんながつながっている。
私が祈りたい思いや人ともつながっている。
それに気づくと、さまざまなことのつながりが「祈り」の中に感じられるようになってきました。
そうした祈りがつながっていけば、きっと世界は変わっていく。そういう「祈りの力」を、前回のサロンで気づかせてもらいました。

そこで、今年は、8月9日、長崎に原爆が投下された時間を含む時間でサロンを設定し、長崎での被災者に黙とうを捧げるとともに、各自それぞれの「祈り」を重ねて、「祈りのサロン」をすることにしました。

サロン前半では長崎を思い出し、11時2分(長崎への原爆投下時間)に全員で1分間の黙とう。前回サロンをしてくださった鐘ヶ江さんが、今回も参加してくださいますので、長崎風の黙とう作法も体験したいです。
そのあと、長崎をちょっと離れて、参加した人それぞれが、「祈りたい」ことを話し、「祈り」と「祈りの力」について、それをどう生かせるか、どう生かしていけば力となるか、話し合えればと思います。
「祈りたい」ことの告白はオフレコです。沈黙の告白もありです。
そして最後にみんなで、黙とうしたいと思っています。

なんだかよくわからないサロンですので、どう展開するかわかりませんし、何人集まるか全くわかりません。
少なくとも私は参加します。祈りたいことがたくさんありますので。
もし「祈りたい人」がいたら、一緒に祈りに来てください。

〇日時:2023年8月9日(水曜日)午前10時~12時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「祈りのサロン ― みんなで祈りましょう」
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■節子への挽歌5734:道教

節子

先日、「主書」をまとめた李さんに会った時、中国人の生活の基本にあるのは今なお道教と儒教の精神だと聞きました。
昨日、読んだ宮本雄二さんの「2035年の中国」にも「(中国においては)大きくつかめば有識者は儒学の世界を理想としたが、一般社会は仏教化した道教に導かれた。それが「義」という価値観に集約されるのであろう」と書いてありました。

2回も続けて「道教」という言葉に出合いました。
「老子」や「荘子」は断片的にはともかく、きちんと読んだことはありません。
若いころ流行した「タオ」も当時の本を何冊か読んだくらいで、あまり記憶に残っていません。

そこで、シリーズ世界の宗教の一冊「道教」を読むことにしました。
このシリーズは購入したものの、あまりに軽すぎて、2,3冊で読むのを止めてしまっていたのです。昨年、蔵書整理の時に全巻売却しようと思いながら、最後に今回は残そうと思った書籍の一部に残っていたのです。

パラパラと目を通しました。
『荘子』に出てくる「無用の用」と題したコラムが目につきました。
昔読んだ「次郎物語」を思い出しました。
私も中国の人たちと同じく、「仏教化した道教」に導かれてきたのではないかと思いました。

ちょっと今はバタバタしていますが、少し落ち着いたら、「道教」を読もうと思います。
『老子』『荘子』までには多分いかないと思いますが。

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2023/08/05

■節子への挽歌5733:4年ぶりの手賀沼花火

節子

4年ぶりの手賀沼花火でした。
1時間ほどに短縮した会話債でしたが、中身はかなり充実していて、新しい花火もありました。
ジュンが友人家族を呼んで、みんなで屋上で花火を楽しみました。風の具合もちょうどよく、花火がきれいに見えました。
ユカも入院を避けられたので、みんなと一緒に見ました。

ジュン家族は、招待客への料理作りなど絵、なかなか屋上には上がってきませんでしたが、そういえば、節子もこんなだったなと思い出しました。
私自身は、どんな料理よりも、来客とは一緒に時間を過ごすことが大切だと思っていますので、そうした接待スタイルにはさんせいできませんが、まあこれは人それぞれですから、仕方ありません。

花火はやはり音と響きが何とも言えません。
火薬のにおいも、打ち上げ場所の近くならではの楽しみです。

久しぶりに花火を満喫しましたが、なぜかどこかで楽しくない。
やはり花火には、いろんな思いが詰まりすぎているからかもしれません。
いや、歳のせいで、いろんなことへの素直な喜びを味わえなくなっているのかもしれません。

花火大会も終わりました。
秋に向かって、季節が変わりだすでしょう。
生活を立て直さないといけません。

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■湯島サロン「デモクラシーをどう思いますか?」報告

政治に関連する基礎用語(概念)を切り口に、改めて「日本の政治」のあり方を、できれば批判的にではなく、建設的(ビジョン的)に考えていくことを意図して、ちょっと「勉強会」的な要素も入れたサロンをスタートさせました。
果たして人が集まるかどうか心配でしたが、猛暑の中、4人の人が集まってくれました。

1回目のテーマは「デモクラシー」です。
日本では、デモクラシーと言えば、民主主義と同じ意味でつかわれることも多く、多くの人が肯定的に位置づけている考え方のような気がします。
しかし世界的に言えば、「デモクラシー」は必ずしもプラスの評価だけではありませんし、大きな時代の流れとしては、むしろデモクラシーへの逆風が強まっています。
デモクラシーが肯定的に評価されたのは、この100年ほどの短い間だけなのです。

私自身は、「デモクラシー」と「民主主義」は全く違ったものであり、そもそも古代アテネには民主主義などなかったと考えていて、こういう趣旨の話をしたサロンも過去に2回ほどやったことがあります。しかし、全く話し合いは盛り上がりませんでした。
それで最近はもうやめていたのです。

しかし今回諦めずに、最初に私からそういう話を少しさせてもらいました。
デモクラシー(民主政)とは、大衆(デモ)が主役になって国家を統治するという政治の在り方であるのに対し、民主主義とは成員一人ひとりの尊厳を尊重し合うという国家(社会)を構成していく上での基本理念だというのが私の考えです。

つまりデモクラシーは制度の話であり、民主主義思想の話です。
それを混同してしまうために、みんな考えることなく、デモクラシーはいいものだと受け入れてしまっているのではないか。その落とし穴にはまってはいけないというのが私の考えです。
そう考えれば、政治の世界は違って見えてきます。
それに古今東西、民主主義ではないデモクラシー国家はたくさんあります。
共和主義国家と言われた独立まもないアメリカにおいてさえ、その報告を書いているトクヴィルは、「多数者の専横」の危惧を表明しています。

つづいて、有名な「人民の、人民による、人民のための政治」が内在している価値と課題を少し整理させてもらいました。
これはちょっと話題を盛り込みすぎて消化不良になってしまいました。

そして最後に、話し合いのための共通基盤づくりにと思って、さまざまな国家(社会)の在り方の概念整理マップ(添付)のようなものを配布させてもらいました。

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そこからいろいろと話し合っていこうと思ったのですが、そううまくはいきませんでした。

最初の出発点である、「デモクラシーと民主主義とは全く別のもの」という私の考えが、受け入れられなかったのです。入り口でストップがかかったのです。
私にとっては、あまりにも当然のことで、まさかそこで引っかかるとは思ってもいませんでしたが、理解できないと厳しく指摘されたのです。
私自身は、この考えはずっと持っていましたし、説明する必要などない自明のことだと思っていましたので、しっかりした論理的反論ができなかったかもしれません。
でもそこでの議論で初めて、私の話がこれまであまり受け入れられていなかった理由に気づかされました。つまり「公理」ではなかったのです。

民主主義も、私はすべての個人の尊厳を尊重し、それぞれの意見と都合を配慮し合うことと捉えていますので、多数決方式は民主主義的な手法とは位置づけておらす、デモクラシーの手法と捉えていましたが、どうもそれも私の独りよがりだったようです。

民主主義やデモクラシーという、誰も気楽に使う言葉さえ、人によっては意味合いが大きく違うのです。時に真反対にもなっている。そこから話し合いは始めないといけないのです。それに気づいただけでも私にはやってよかったサロンでした。

話し合いはとても刺激的でした。案内にも書いた「アゲインスト・デモクラシー」をほぼ全員が読んでいましたし、このサロンのきっかけになった「歴史の逆流」もみんな読んでいたので、そういう話にも飛びました。

人数が少なかったせいもありますが、なんとサロンは4時間も続いたのです。
にもかかわらず、結論が出ないのは当然ですが、合意も得られなかったような気がします。あえて言えば、添付の枠組みの真ん中にある「誰もが生きやすい社会」を目指すことに関しては、あまり反対はなかったような気がします。
ですから、「誰もが生きやすい社会を目指す政治(国家)の在り方」という点では、参加者の関心はそろったと言えるかもしれません。

ちなみに、ここでいう「国家」もまた多義的です。いつか話題にしたい概念です。
これに関しても、これまでサロンで何回も話題にしていますが、私の考える国家概念はなかなか理解してもらえずにいます。ほとんどの人が近代国民国家の概念、つまり国民を国家の一要素として捉え、政府によって統治される存在という枠組みから抜け出せずにいるように思います。

今回はアナキストを自認する人が参加していましたが、その人が考える国家は、そういう国家概念ではないでしょう。アナキストの立場で国家を肯定するのかという意見もあるでしょうが、アナキストにも社会がありますから、アナキズムに基づく国家があってもおかしくありません。まさにここにこそ「国家」や「政府」のパラダイム転回のヒントがあるはずです。

このサロンでは、こうした私たちが呪縛されている固定観念的常識を壊していくことを目指すサロンにできればと思っています。
次回は、もう一度、デモクラシーと民主主義を取り上げたくなりました。
できれば、「デモクラシーよりアナキズム」という問題提起をしてもらうと、さらにデモクラシーや民主主義への理解が深まるような気がしていますので、その適任者にお願いしてみたいと思います。

次回の日程は、とりあえず9月15日を予定していますが、正式に決定したらまたご案内します。
できれば参加者は、デモクラシー関連の本を何か読んできて、その紹介か感想をお願いできればと思います。

なお、このシリーズの一環ではないですが、同じ趣旨のサロンとして8月13日に、柿嶋さんによる「〈パブリック〉と〈公〉の違いを考える」サロンがあります。よかったらぜひご参加ください。

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■節子への挽歌5732:罹病や通院は日常

節子

新潟の金田さんから電話がありました。
気になりながらも、私自身いろいろあって電話もせずにいましたが、お元気そうな声でした。
ただ聞けば、また今月下旬から入院だそうです。

まあ同世代と連絡をとるとほとんどがこういうような状況なのです。
まあ私も今年はたぶん2回ほどの入院を覚悟していますが、まあ声は元気なので、気取られることはないでしょう。
でもまあ罹病や通院は日常だと考えておくのがいいでしょう。
幸いにまだ私の場合は、そこまでは至っていませんが、老化に伴う正常な変化ととらえておけば、あえて愚痴ることもないし、誰かに報告することもないでしょう。

自宅療養しているユカに代わって、朝、洗濯をしたのですが、その後、干すのを忘れてしまい、お昼近くなって、それに気づき慌てて干しました。
気づいたらお昼、食事の支度をしなければいけない。
結局、部屋で休んでいたユカが起きてきて、指示を出してくれて、ありあわせのもので食事をしました。
やはり家事は苦手です。一人暮らしは向いていないようです。

朝からエアコンのきいた、あまり快適でない部屋で、あんまりおもしろくもないテレビドラマを見続けています。なんだかまったくやる気が出ない。
本を読みだすとすぐ眠くなってしまいます。
パソコンを開くとなにやらややこしい長いメールが何人かから届いている。
今日はメールやメッセンジャーを開かないようにしようと思っています。
ついついまた引きこもれてしまいますので。

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■節子への挽歌5731:いつまでも同じような生き方をしていていいのか

節子

昨日はいろいろと大変でしたが、最悪の事態は回避できました。
ユカの入院を覚悟し知ましたが、幸いに入院しないで済みました。
状況も好転しました。
ジュンはあまり好転していないようですが、いつもの頑張りで乗り切っています。
私もあまり改善されていませんが、まあ低位安定状況です。
ストレスのせいかもしれません。

というわけで、今朝はいつもの朝を迎えました。
ちょっと寝坊しましたが。

起きたらすでに室温が30度です。
何しろここは陽射しが入ってきますので、
窓にはわせる予定の琉球朝顔の生育が遅いのです。
暑すぎるのかもしれませんし、やはりプランターに育てているのでどうしても弱いのです。
まあ育てだした時期が少し遅かったこともありますが。

昨日、坪倉さんが湯島にメダカの稚魚を届けてくれました。
それで数匹を自宅に連れてきました。
みんな元気です。
湯島にも10匹以上いますので、この夏を超えるように、ケアしなければいけません。

昨日はサロンの前に、久しぶりの根本さんに会いました。
横浜通なので、節子がいれば、ぜひ一緒にって、私のあこがれのバンメンを食べに行きたいのですが、一人では行く気にはなれません。
どうやら今生ではもう食べることはかなわないようです。

サロンは4時間も続きました。
改めていろんなことを気づかされたサロンでした。
やはりもう私の存在意義はなくなっているような気が、ちょっとしました。
いつまでも同じような生き方をしていていいのか。
そんな思いをちょっと持ちました。

今日は久しぶりの手賀沼花火大会です。
ジュンの友達たちがやってくるようです。
私もユカも今回は誰も誘いませんでした。

花火への感激も、だんだん薄れてきてしまいました。
困ったものです。

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2023/08/04

■節子への挽歌5730:悪夢の8月だけは避けたいですが

節子

この週末は久しぶりの手賀沼の花火大会ですが、わがやはちょっと大変なことになってしまいました。
むすめ2人が体調を崩してしまったのです。

実は私も一昨日からまた少し胃腸の調子が悪化し、実は昨日の科学が悪物館の下見は行くか行くまいかだいぶ迷ったほどです。
でもまああ、倒れるのを用心するよりも、倒れる前にやっておけることをやっておいた方がいいというのが、私の方針なので、ちょっと無理していったのです。
でも結果的には、私の場合は、その無理さが幸いしたのかもしれません。
逆に娘たちは、どうも無理がたたったようです。

今日は、私も午前午後と湯島で約束が詰まっているので、出かけなければいけません。
いささか心配ですが、節子が守ってくれるといいのですが。
そんなこんなで、週末の花火はあまり楽しめそうもありません。
来週の予定もすでに一部キャンセルさせてもらいました。

あの悪夢の8月の再来にならなければいいのですが。

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2023/08/03

■節子への挽歌5729:国立科学博物館の下見

節子

昨日は湯島では午前中のミーティングだけだったので、午後、上野の国立科学博物館に対寄ることにしました。
にこと一緒に行く場所としてどうかの下見です。

オフィスから歩いて15分ほどですので、歩いていくことにしました。
ちょうど日材が強い1時半ころ、湯島のオフィスを出ました。
湯島天神にお参りし、不忍池経由で、行きましたが、さすがに暑い。
熱気で心身の邪念がすべて焼き尽くされるような快感もありましたが、さすがに暑くて、途中上野公園の日陰で一休みするほどでした。
しかし、強い日差しの中を歩くのは好きなのです。

科学博物館は子供連れでにぎわっていました。
ここに来るのは何十年ぶりでしょうか。
娘たちが子供のころ、家族みんなできたのは一度くらいですが、私自身は子供のことよく来ました。
大きな構造は当時とそう変わっていない気がしますが、地下が深くなっているような気がしました。内装はもちろん一変していました。

地下3階から地上3階まで、一応、全館見て回りましたが、どうもぴんと来ない。
にこは、あんまり喜ばないかもしれないという気がしました。
展示に動きが少ないのです。
意外性もあまりない。
たぶん類似の施設、科学技術館や未来科学館などとの役割分担があるのでしょうが、まさに旧来の博物館という感じです。

にこと一緒に来るかどうか、迷います。
帰りはさすがに疲れました。

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■節子への挽歌5728:改めて生活力のなさに気づかされます

節子

2日ほど前からユカが風邪気味です。
コロナの可能性も含めて大事をとっていますが、なかなか治りません。
老人も子供も、レストラン仕事人もいますので、家族の一員としては、コロナには慣れないのです。

まあそのため、買い物はやめ、食事作りもやめています。
そうなると、改めて私の生活力のなさがあらわになります。
私一人ならどうにでもなりますが、ユカの回復のためには、きちんと食べないといけません。

昨日は久しぶりにお米を研いでご飯炊きました。
おかずは基本的にあり合わせ材料をユカに聞きながらなんとかやっていますが、基本はインスタントものばかりです。
これでは病気はよくならない。
今朝。回復していなかったら、病院に行くと言っていますが、まだ起きてきません。

それにしても、私の生活力のなさは改善されません。
困ったものです。
娘たちとの同居がなかったら、もうとっくに人生を終わっていたでしょう。

あらためて感謝しなければいけません。
こういう娘たちを残してくれた節子にも。

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■第28回万葉集サロン「古代語1音節〈な〉に見る、〈わ〉の自己自立への道筋」のご案内

暑い日が続いています。
万葉の時代もこんな暑さの日はあったのでしょうか。
暑さを詠った歌もあるのかなあ、などということを気にしていたら、升田さんからは何やら難しいテーマが送られてきました。

「古代語1音節〈な〉に見る、〈わ〉の自己自立への道筋」

うっ !??
升田さんの解説です。

「な」の基本的な意味は「汝(あなた)」で二人称ですが、前回のサロンで少し触れたように「もとは一人称」であったという説があり、そこに、文法の規範を超えて「わ」と「な」との関係を考える重要な示唆があるように思っています。
大きく歴史的に観れば、神話から物語(前回、高橋虫麿で少し触れましたが)への橋懸かりと位置付けることも出来ると考えています。

今回は「事しあらば小初瀬山の石城にも隠らば共にな思ひわが背」(16-3806)を糸口として、禁止の形をとる「な―そ」の歌を取りあげていきます。「~しないで!ダメよ!」という「禁止」とは、何だったのか。

平安以降「な」を伴わず「そ」のみで禁止を表す。逆に、奈良以前は「そ」を欠いても「な」は必定というあり方は、「な」には歌の主としての「わ」の心を繋ぐ何かがあり、歌の意味に深く関わるところであったのだろうと思います。

以上が升田さんによる解題です。
安心しました。前回、消化不良だった話題を、今回はていねいに読み解いてくれるようです。
そして、いよいよ「自己自立への道筋」が解き明かされる。

この文章だけだとイメージが湧きにくいかもしれませんが、大丈夫です。歌を題材に、升田さんは、〈な〉と〈わ〉について解説してくれるでしょうから。
もちろん前回参加されなかった人のためにも、前回の要約を話してくれるでしょう。
「歌」はいろんなことを語ってくれているのです。その一端に触れられそうです。

升田さんは、「夏休み特別篇のような感じで歌を読んで見たい」と付け加えてくれています。
「夏休み特別篇」ですから、いつもとはきっと何かが違うでしょう。
暑さが解消できるとは限りませんが、豊かな時間を過ごせるはずです。

どんな質問も許される気楽なサロンですので、万葉集など読んだこともない人もどうぞ気楽にご参加ください。

〇テーマ:「古代語1音節〈な〉に見る、〈わ〉の自己自立への道筋」
〇日時:2023年8月20日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇講師:升田淑子さん(万葉集大好き研究者/元昭和女子大学教授)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

 

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2023/08/02

■節子への挽歌5727:湯島の58段の急階段

節子

サンティアゴサロンで、初めて湯島サロンに参加した人から楽しかったという長いメールをもらいました。
昨日、挽歌でメールを紹介した人もそうですが、湯島のサロンに来て、こういう場がほしかったと喜んでくれる人が時々います。
そういう人がいればこそ、サロンは勝手にはやめられません。
そういう場が生まれたのは、私だけの力ではなく、サロンに参加している人たちみんなの力なのです。そしてその礎を育てた節子のおかげもわずかばかりあります。だから昨日の人と同じく、経済的に維持が厳しくとも、やめられないのです。

しかし、今朝のメールに書かれてあったのは、場所と階段です。

オフィス良い場所にありますね!
気に入りました(╹◡╹)

ここは、パリのモンパルナス?
を思わせそうな「急階段」の登場にも。

逃げ切ることなく、登りきりコモンズ村に到着できました。

湯島のサロンの場所は、関東台地の突端の一つにあります。
昔は、海に面していたところでしょう。急な階段は実盛坂と言われますが、その上から昔は海が見渡せていたことでしょう。
いまはビルしか見えませんが、なんとなく雰囲気は感じます。

以前もある人が、佐藤さんは高台が好きですね、とメールしてきたことがあります。
我孫子の人ですが、彼女は私の自宅も知っていて、そこもまた高台の突端であることを知っているのです。
まあ、いずれも私が選んだのではないのですが。

実盛坂の階段は、最近改装されてしまい、それを残念がる人が少なくありません。
きれいになった途端に、なんだか非人間的になってしまったのです。

湯島のオフィスへの案内図に、私はこんな文章を入れています。

(途中)急な階段に出会いますが、途中で帰らないようにしてください。
人生には苦難はつきものですから。

過去に帰った人が一人います。
もっとも最近は、その横に誰でも使えるエレベータができたので、私はもう階段は使わなくなってしまいましたが。

この階段の利用が、私の健康を支えてくれた一つかもしれません。
実際、エレベータを使うようになってから、身体の具合が悪くなってきたような気もします。
また時々、階段を使おうかなと、ふと思いました。
でも一度、楽を体感すると、元に戻すのは難しいでしょうね。

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2023/08/01

■節子への挽歌5726:「ただ心配するだけでは何かが違う…」

節子

前立腺がんの検査で陽性になったと、気楽にフェイスブックに書いたのですが、どうもみんな心配してしまったようです。
高齢者が高齢者の病気にかかるのはよくあることで、さほど心配することはないという気がしていたのですが、必ずしもそうは思われないようです。
困ったものです。

心配して電話やメールをくれるのはほとんどが女性です。
男性は前立腺がんと聞いても周辺に多いせいかあまり驚かないのですが、女性はやはり「癌」という言葉の響きに影響されるのでしょう。
心配してくる人に対して、「癌がなんだ」というわけにもいかずに、いささか辟易しています。
私にとっては、そんなことよりももっと心配してほしいことはたくさんある。
私のがんよりも、いまの物価上昇を心配してほしいし、岸田政権の暴走に関心を持ってほしい。医療公害や原発再開を心配してほしい。そう思うのです。

でもちょっとうれしい心配のメールも届きます。
たとえばこんなメールです。

サロンの案内、いつもありがとうございます。
が、お体大丈夫なのでしょうか?
心配は良くないもの、と私は考えているのですがそれでも……

(中略)

祈りのサロンの日は午後から仕事なので、私は家で、サロンと同じ時刻の頃、「平和」と佐藤さんのご健康を祈ろうと思っています。
たまには有給休暇をとって仕事を休み、サロンに参加するのも良いかな、と考えています。
が、佐藤さんのお体も心配になります。
ちゃんと検査して欲しいな~と思っています。
ただ心配するだけでは何かが違う・・・そう思えました。

私自身もこれまでの私からもう一つ違う私へと成長しなくてはいけない時のように思えてきました。
どうしたら良いのか、、、いま一度自分の心と向き合い考えようと思います。
まだまだこれから、もっともっと佐藤さんのサロンに参加し、多くの事を話し学んでいきたいと思っていますので、
今後ともどうぞよろしくお願いします。

この方は、前回、サロンで自らのことをカミングアウトされた方です。
遠くにお住まいなので、経済的にもサロンに来るのは厳しい状況だと思います。
でも最近、よく来てくれるのです。

何よりもうれしいのは、「ただ心配するだけでは何かが違う…」という言葉です。
ではどうすればいいのか。
それは難しいのですが、「ただ心配するだけでは何かが違う…」と思うことにこそ、大きな意味がある。
私もそう思っているのです。
私のメッセージをしっかりと受け止めてくれた人がいることがとてもうれしいです。

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■節子への挽歌5725:孫との博物館行き計画

節子

ジュンが眼医者に行ったので、その間、にこが遊びに来ました。
たまたまユカが対応できなかったので、私が対応役です。
そこでダイヤモンドゲームで対決しました。

前回、オセロでいい勝負だったので、オセロをやりたかったのですが、にこがダイヤモンドゲームを選んだのです。
これはやはりちょっと手加減をしないといけません。
まだにこは慣れていないからです。
負けてもいけないし、勝ってもいけない。いい勝負にもっていくのは難しいのです。
そんなことを気遣っていたら、いささか大きく負けてしまいました。
これは不本意な負け方です。

勝負にチョコレートひとつ(人は子ではありません)を賭けていたのですが、めずらしくにこは勝ったと言って喜んでチョコレートを食べました。これはめずらしい。いつもは食べないのです。

夏休みに行く場所として、国立科学博物館の恐竜を勧めたのが失敗でした。
恐竜はあまり好きでないようです。
星や月や火星が好きだといので、じゃあ火星に行こうと提案しました。
これもめずらしく否定しません。
科学博物館ではいま天体の展示をやっているといいのですが、心配です。
天体と言えば、毛利さんが館長の未来科学館がいいのですが、ここはちょっと遠すぎる。
にこと私の2人ではちょっと心配です。

そこで今度、湯島の帰りに寄って確かめてこようと思います。幸いに最近は予約制ではなさそうです。
さて孫と2人の博物館行は実現するでしょうか。

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■湯島サロン「サンチャゴ巡礼で気づいたこと・変わったこと」報告

今年2回目のサンティアゴ巡礼サロンは、今春、スペインのサンティアゴ巡礼路を歩いた4人の人が集まってくれました。前回、巡礼の報告をしてくれた鈴木さんが、巡礼途中に出会った3人の方に声をかけてくれた結果、実現したのです。集まってくださった巡礼者は、31歳の井上さん、64歳の加藤さん、78歳の竹茂さん、そして鈴木さん。

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鈴木さんが進行役になって、それぞれからたっぷりと「新鮮な」巡礼体験の話を披露していただきました。これほどぜいたくに「サンチャゴ巡礼」に触れることはめったにないでしょう。4人のみなさんに感謝です。

一番若い井上さんは「なにより人との出会いが楽しかった」と話し出しました。そして100人近くの人と名前を交換し合ったというふれあいの一部を写真をつかって紹介してくれました。みんなとてもいい顔をしているのが印象的でした。
巡礼路では、ただ一言「ブエン・カミーノ!」(よい巡礼を!)と声をかければ友だちになれるし、気楽に声をかけられる雰囲気もあるので、みんな友だちになれるのだそうです。

お互いそれぞれに歩いているので、触れ合うのはわずかな時間ですが、繰り返し会うこともあり、そういう人のつながりが、個々のつながりを超えた大きな人のつながりを生み出しているようです。
巡礼路を歩いている人たちは、ある意味でみんなつながってしまうようです。先日話題になった、植物の世界の菌根菌ネットワークを思い出しました。
多様な人たちのゆるいつながりですが、何か問題が起こると(例えばある人が宿が見つからないとか)一致団結して気遣い合い支え合うこともあるそうです。たぶん情報もきっとすごい勢いでシェアされていくのでしょう。

最高齢の竹茂さんは、全く準備なく出かけたそうです。海外生活もあり海外旅行にも慣れていることもあって、そう特別のことではなかったのかもしれません。思い立ったのも昨年で、コロナ制約が明けたので、気楽に出かけてしまった。短パンとサンダルで出かけたそうですが、巡礼中はちょっと思いついて四国お遍路のスタイルを採用。これが巡礼者の話題になって、竹茂さんはどこでも人気者だったようです。巡礼者の「菌根菌ネットワーク」で広く伝わっていたわけです。竹茂さんは、みんなに見守られていたともいえるでしょう。一緒に写真を撮ってほしいと頼まれた数も100人を超えたそうです。

ところで、竹茂さんは、出発地のパリに着いた初日に、うっかりしてクレジットカードを紛失してしまったそうです。幸い現金も持って行っていたので、そのまま巡礼に向かったそうですが、クレジットカードが必要なことが起きた時に、巡礼で出会った人に頼んだらみんな快く貸してくれたそうです。サンティアゴ巡礼路の世界では、みんな人を信じ合い、お金も「人をつなぐ手段」に戻るようです。
竹茂さんは、足にまめができてともかく毎日歩くのが辛かったそうですが、それもまたみんなに伝わり支えられていたようで、ともかく「みんなに助けられた記憶」が一番残っていると竹茂さんは話してくれました。

加藤さんは、竹茂さんとは対照的に、サンティアゴ巡礼を知って以来、いつの日か出かけたいとずっと思っていたそうです。昨年退職したので今春、早速出かけたのです。
加藤さんは、自分探しのためだったと言います。改めて自分を見直し、自分は何者で、何をしたいのかを知りたい。そう思って巡礼に出かけたそうですが、実際には歩くのが精いっぱいで、そんな自分への問い直しをするような時間も余裕もなかったと言います。
しかし、加藤さんのお話を聞いていて、だからこそ(精いっぱい歩いていたからこそ)、加藤さんは自分探しに成功したのではないかと思いました。そもそも「自分探し」は考えて答えが出る問いではありません。

加藤さんは「巡礼は人生そのもの」だとも言いました。そして、人生は競争ではない、他者と比較するのではなく自分を生きよう、とも話してくれました。そうした言葉の端々に、加藤さんは巡礼できっと新しい自分に出合ったのだなと感じました。

3人の方のお話のほんの一部を紹介させてもらいましたが、鈴木さんの話も含めて、さまざまなエピソードやそれぞれの気付き、そして実際の巡礼の持ち物や巡礼生活のようすなど、話題は満載でした。なかにはお薦めのアルベルゲ(巡礼宿)の紹介、巡礼に適した靴の紹介などもありました。いずれにしろみんなまだサンティアゴ巡礼路の空気を感じさせるほどに、生々しいお話ばかりでした。
こんなに贅沢なサロンはそうないでしょう。

巡礼して何が変わったか。
こういう問いかけもありましたが、3人とも言葉での即答こそされませんでしたが、いろんな形で伝わってきました。それも、表現は少しずつ違っていても、4人ともみんな同じ思いを抱いているような気がしました。

たとえば、加藤さんは「何が起こってもそれを受け入れること」の大切さを語ってくれました。「他責」意識が強くなってきている状況への戒めのように感じましたが、ほかの人もこうしたことを実感されているように感じました。

毎日歩くだけでも幸せになれる。大聖堂に着いたという達成感よりも、巡礼が終わってしまったという喪失感のほうが大きかったという感想は、これも全員の思いのようでした。まさにこれは巡礼によって大きく変わったことのひとつかもしれません。

若い井上さんが、死に触れた、多様性の意味もわかった、とも言っていましたが、巡礼路の世界には、たくさんの生(と死)があふれているのでしょう。4人とも、それを心身で受け取ってきた。みんな、幸せとは何かも発見してきたようです。

巡礼が終わってから本当の巡礼がはじまったという言葉も出ましたが、みんな生き方が変わったのでしょう。もちろん生活環境は全く違いますから、巡礼生活のような生き方は難しいでしょうが、巡礼前と今とではきっと世界が変わって見えているのだろうなと感じました。

4人の報告だけでたっぷり2時間半、それから話し合いが1時間以上続きました。
それでも終わりそうもない。
参加者もみんなサンティアゴ巡礼世界に引き込まれてしまっていました。

サンティアゴ巡礼に世界中から集まる人たちは、どうも特別の平和な世界を創り上げるようです。大聖堂に向かうという目的を共有しているだけで、思想も生き方も違う多様な人たちが心を許し合って支え合う世界を創りだす。不思議な話です。
そういう世界が、なぜサンティアゴ巡礼路以外ではできないのか。

しかし、それは昔、日本にもあった(そして世界各地にあった)「懐かしい世界」なのかもしれません。
そうした世界がなくなってしまった。もしそうなら、そういう世界を取り戻したい。そんな思いが巡礼に集まる人たちにはあるのかもしれません。
世界が変わったなどと諦めずに、いまも巡礼路で行われているような、人のつながりが戻ってくることを念じたいと改めて思いました。
今回話してくださった4人の方は、そういう方向へと生き方が向かっているに違いありません。それは4人だけではない。世界中に戻っていくサンティアゴ巡礼者たちが、いつか世界を変えてくれるかもしれない。そんな気がします。

私は残念ながらサンティアゴ巡礼には行けないでしょうが、私もサンティアゴ巡礼者のような生き方をめざしたいと思います。私が子供のころにはまだ残っていた生き方です。できないはずがない。
みんながそう思って、生き方を少し変えるだけ、社会は少しずつ変わっていくかもしれません。そんな光を感じさせてくれたサロンでした。

ブエン・カミーノ精神を広げていくためにも、また4人のみなさんにサロンをお願いしたいと思っています。
なかなかサンティアゴまで行けない人のためにも。


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■節子への挽歌5724:久しぶりに雨の音で目が覚めました

節子

久しぶりに雨の音で目が覚めました。
私の寝室は、エアコンがないのでいつも窓を全開で開けて寝ています。
ですから雨の音も聞こえてくるのです。

久しぶりの雨です。
残念ながら雨はすぐにやんでしまいました。
でもベランダの手すりには水滴が残っています。

雨が降ると空気のにおいが一変しますし、肌触りも違います。
湿度計を見ると79%とすごいですが、なんとなく快適です。
気温は28度、今日も暑くなりそうです。
でも今はまだ風が気持ちいい。

5時過ぎに起きて、ルーチンの祈りをあげた後、パソコンを開きました。
暑いせいか、最近は届くメールが減っています。
幸いに気持ちを乱す報せはない。
心穏やかに過ごせる1日になってほしいです。

外からの風が気持ちいい。
雨のおかげで、とてもやわらかい。
セミの声も、いつもより静かです。最近のセミの声は時に投げやりな気がしていましたが。
メダカに声をかけ、ベランダの花に水をやり、曇り空をぼーっと眺めていました。

今日は全く用事を入れていない日です。
昔は毎週1日、用事を入れない日をつくっていましたが、最近は月に1日です。
もちろん用事のない日は、もっとありますが、意図的に完全空白の日をつくるようにしているのです。

だからと言って、その日は何もしないわけではありません。
ただその日は、外部に影響されることなく、思うように過ごせるのです。
ただ、時間がなくてできなかったことをやるのは趣旨に合いません。
やらなくてもいいことをやる。
これが「空白の日」を決めた目的なのです。

さてどんな1日になるでしょうか。

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