■湯島サロン「祈りのサロン」報告
8月9日、長崎に原爆が投下された時間を含む時間を選んで、「祈りのサロン」を開催しました。原爆投下時間には、長崎の式典のライブ放映動画を見ながら、参加者全員で黙祷、その後、市長の話もみんなで聞きました。
猛暑と台風のためもあってか、参加者は4人と少なかったのですが、うれしかったのは、参加できないけれど、同じ時間に祈りますというメールを10人近くの人からいただいたことです。なかには祈りの内容も書いてきてくださった方もいます。
最初に、長崎出身の鐘ヶ江さんが、長崎の9日は浦上天主堂のミサから始まると教えてくれました。今朝のミサのようすも録画して持ってきてくれました。長崎では朝、テレビで流れるそうです。浦上天主堂は、忘れていないのです。
ミサは信徒のためだけのものではないでしょう。広島の原爆ドームがそうであるように、人類の原爆体験の記憶をすべての人に向けてメッセージしているのだと思います。
話し合いは、祈りとはなにか、平和教育はなぜ行われないのか、など、いつものように広がりましたが、中心には長崎があった気がします。
実際に体験した地域の人と伝聞(知識)で知っている人とでは、やはり問題の捉え方が違うという話や、現地でも次第に実際の体験者が少な
なってきていることへの懸念も話題になりました。
だからこそ、何かが必要なのです。
市長の平和宣言を聞いた後の、長崎出身の鐘ヶ江さんの反応が私には印象的でした。被爆地の人たちの多くは、いまもなお、「現実の問題」として受け止めていることを感じました。知識としてしか知っていない私とは大違いです。
文字にすると、たぶん私と同じ感想なのですが、その意味合いは全く違う。そんな気がしました。同じ話も、現地の人とそうでない人とは受け止め方が違うのです。
大切なことは、その「現地」感覚を広げ、お互いの現地体験をつなげていくことだと改めて思いました。
狭い世界に引きこもって、別の世界の話だと傍観するのではなく、想像力を高めて、原爆被爆体験を自分の生活とつなげていく想像力が大切です。もちろん被爆だけではなく、ウクライナもフクシマも沖縄も、ですが。
先日サロンを開催した聖ヤコブを中心にしたサンティアゴ巡礼路世界のことを思い出しました。ナガサキ・ヒロシマ・フクシマをつなぐ新たな巡礼路世界はできないものなのか。そんなことをふと思いました。
長崎も広島も、平和宣言はいつも政府関係者に向けて呼びかけられますが、呼びかけるべきは、世界の政府ではなく、世界の人々ではないかといつも思います。
来賓者など、平和式典には不要です。
そう思うのは私だけかもしれませんが、いまの核兵器廃絶運動は私にはあまり共感できません。
ナガサキーヒロシマ巡礼路ができたら、私も歩いてみたいです。
まあできなくとも歩けばいいのですが、そう気づくのが私の場合、いささか遅すぎました。大いに反省しています。
でも、私たちは、そうした聖地候補地を意図的に矮小化しているのではないか。そんな気もします。
後半は祈りの話にもなりましたが、「祈りとは何か」、私自身わからなくなってしまいました。
祈りによって、心の安定を得て、すっきりするかと思っていたのですが、異常な疲労感を残したサロンになりました。
サロン終了後、鐘ヶ江さんから次のメールが届きました。
まさか、関東で皆さんと黙とうができるなんて、話題を共有できるなんておもってもいなかったので、私にとって本当に意味あるサロンでした。
そこで気づいたのですが、長崎出身の人や広島出身の人が友人知人と祈りの場を共有していったらどうでしょうか。
それが広がっていけば、何かが変わるような気がします。
鐘ヶ江さんから次のサイトも送られてきました。
よかったら見てください。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b65b2a55f36af3b4176a9696fef42059e9960740
https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20230806-OYTNT50011/2/
このテーマはもう少し続けたいと思います。
参加してくださった方、思いを込めてどこかで祈ってくださった方、ありがとうございました。
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