■節子への挽歌5742:現実をどう捉えるか
節子
一昨日、湯島で映画「PLAN75」に関して感想を話し合うサロンを開きました。
私自身、参加が気が重かったサロンですが、いろんな人と話し合ってなんだかすっきりしました。時評編に報告を書いていますが、映画に対する私の感想も反転しました。
学ぶことの多い映画のような気がしてきました。
もちろん映画としては今もなお愚作というよりも駄作だとは思いますが。
あの映画を観ていて不思議だったのは、映画から生活音が何一つ聞こえてこなかったことです。それでリアリティを感じなかったのですが、最近のように、現実世界からメタバース世界へと多くの人の主軸が移りだしていることが、そこに示唆されているような恐怖感のようなものに気づいたのです。
もう私たちはすでに「PLAN75」を実際に受けているのかもしれない。そんな気がしてきたのです。
もちろん私も例外ではありません。
そう思ったとたんに、いまの生活そのもののリアリティが薄れてきていることに気づかされたのです。
リアリティがないのは、映画ではなく、現実のいまの生活です。
まあこんなことを書くと笑われそうですが、確かのこの数年、生活からどんどんリアリティが消えている。
いったいどうなっているのでしょうか。
暑さのせいでしょうか。
なんだか夢と現実が混とんとしてきた。
いよいよ胡蝶の夢の世界に入っていきそうです。
不思議なことが最近また増えているはずです。
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