■第28回万葉集サロン「古代語1音節〈な〉に見る、〈わ〉の自己自立への道筋」報告
今回はサロンに入る前に、琵琶の話がありました。
前回、琵琶が話題になったので、わざわざ琵琶を持ってきてくれたのです。
升田さんが以前琵琶を習いだしたのを知って、いつかきっと万葉集の琵琶語りが聴けるだろうと楽しみにしていました。もしかしたら今日は、その始まりかと期待しましたが、万葉集の弾き語りは聴けませんでした。ちょっとだけありましたが。
ちょっとだけではありましたが、琵琶と音声が組み合わさるとまったく新しい世界が開けます。
琵琶法師の語る平家物語と大勢の人々の手拍子や口囃子のなかで歌われる万葉の歌が重なって、改めて万葉集は声を通して味わうものであることを感じました。
今回の切り口は改めて音声言語です。音声言語である日本の言葉には、1音節の言葉にさえ、とても豊かな意味や働きが込められていたという話です。いや、たぶん今もその文化は続いているでしょうが。
その視点から、古代語における「な」や「そ」について考えていくと、生き生きした万葉の時代が見えてくる。
今の私たちのように、「文字」で読むのと、「音声」で歌を聴くのとは、おそらく意味合いは大きく変わるでしょう。いや当時でも、誰が歌うかで、そしてどう歌うかで、歌の意味合いは変わっていたのかもしれません。日本書紀には、「能(よ)く歌う男女」という文字も出てきます。
音声が文字になった途端に、歌はたぶん「変質」します。
文字は文化を豊かにさせると私たちは思いがちですが、もしかしたら逆なのかもしれません。
文字を現代的に読んでいるだけだと、万葉の時代にはなかなかたどりつけない。
そもそも、人と人の関係も、いまとは違っていたでしょう。今様に、一人称、二人称、三人称などと割り切ってはいけないのです。主語(歌の詠み手)だって柔軟にとらえないといけない。
この豊かな音声文化やひとのつながりは、文字の普及によって、9世紀ころには消えてしまったと言われていますが、今でも各地の方言にはしっかりと残っているように思います。
ところで、今回のテーマは、「〈わ〉の自己自立への道筋」を「な~そ」という禁忌表現から考えていこうという話です。〈な〉、つまり〈汝〉を今様の二人称と捉えていいのか。
升田さんは、万葉集ではなく、古事記にある大国主命の妻問いをじらすヌナカワヒメの歌から話し始めました。「今こそは 我鳥(わどり)にあらめ 後は汝鳥(などり)にあらむを 命(いのち)は な死せたまひそ」。
我鳥と汝鳥。〈わ〉と〈な〉。
いま、私は自分の意のままにふるまっていますが、後にはあなたのものになりましょう、だから死なないで待っていて、というような意味で読み解かれていることが多いですが、ここに升田さんは、〈わ〉と〈な〉が分離せず、自我が生まれる前の神話の世界を読み取るのです。人の思考はまだ関係の中で生まれていると言ってもいいかもしれません。
〈わ〉に関しては、これまで〈な〉や〈た〉との関係から、いろいろと読み解いてきました。神と対峙する多くの人〈た〉のなかに、切り離された〈な〉を見ることで、〈わ〉に気づき、そこから〈た〉が〈多〉から一人ひとりが違う〈他〉へと変わり、思いや考えを持った〈人〉が生まれてきた。そして、自我が生まれて、物語が生まれていく。
〈わ〉と〈な〉に関しては、高橋虫麿の歌を詠みながら、さらにそのダイナミズムを解説してくれました。
つづいてまたヌナカワヒメの歌に戻り、我鳥・汝鳥につづく、「な~そ」という、前回話題になった禁忌の表現の持つ表現に焦点が移りました。
「な死せたまひそ」は「死んじゃだめよ!」「死なないで!」という意味です。一般には、「な~そ」の「な」に禁止の意味があるとされていますが、本来は「そ」にこそ、禁止の意味があると升田さんは言います。
ただし、古代にあっては、「そ」には2つの「そ」があったのです。
今では50音(ごじゅうおん)と言われるように、母音を5つにして日本語の音が整理されていますが、万葉の時代はもっと豊かな音声が生きていたのです。そしてひらがなではなく、万葉仮名を使っていたころは、発音の違いによりも、使われる文字もまた違っていました。だから万葉仮名も1000近くあったのです。
現在の通説では、大きくは甲類と乙類の2系統に分けられていますが、今回、話題の「そ」にも甲類の「そ」と乙類の「そ」の2系列があったのです。もちろん当時は「発音」も違い、それに充てられた万葉仮名(文字)も違っていたのです。
そして、「乙類のそ」には強い禁止の意味がこもっていた。
その例をいくつか紹介してくれましたが、逆に「甲類のそ」には、たとえば「そら」(空)とか「そがそがしい」(すがすがしい)とかのように、明るい肯定的な意味がこもっていたのです。
それが今では一緒になってしまい、文字でも声でも区別できない。
前回の報告でも書きましたが、万葉の時代には「な」だけでも禁止の意味を持っていたそうですが、次第に「な」がなくなり、「そ」だけで禁止を表現するようになっていきます。
では「な」はどんな意味があったのか。
そこから升田さんは、〈な〉と〈わ〉の関係性をていねいに読み解いてくれました。〈な〉には自分と相手を重ねて考える、深い思いや願いがこもっている。思いを共にするという強い関係が含意されているのです。禁止するというと相手を制約するような意味合いを感じますが、その反対なのです。であれば「な~そ」は禁止の表現ではなく、願望というか支え合いや愛情の表現ではないかという気さえしてきます。
升田さんは、「意識化とは否を言うことから始まる」という心理学者ノイマンの言葉も紹介してくれましたが、禁忌とか禁止には、単に閉じ込めたり封じ込めたりするのではなく、むしろ積極的で創造的な意味合いがあるようです。
これは私には大きな発見でした。
これだけの説明ではわかりにくいと思いますが、こうした話を通して、升田さんは、万葉人たちが、次第に自我を意識し、自己を自立化していったことを紹介してくれたのです。そして、それぞれが自らの物語を生み出す時代が開けていくわけです。
今回もまた盛りだくさんの内容でしたが、話し合いもまた示唆に富むものでした。
昔の人たちがどう発音していたかをどうやって調べるのか、英語の命令形には主語がないがそれと〈な〉と〈わ〉の話は関係ないか、アイヌの人たちの発声音は今も文字にしにくく発音記号でも表現しきれない、沖縄では「ん」で始まる言葉がありしりとりができない、など、いろんな話題が出ました。一つひとつを深堀したいことばかりです。
どうやってそうした豊かな音声文化を文字に記録していったかという話も出ました。
そこからまた万葉集の成り立ちに関する基礎的な話題になり、改めてもう一度、万葉集に関する基礎知識のサロンを升田さんにやってもらおうということになりました。
万葉集の歌を読むサロンとは別枠で、9月に万葉集基礎講座を開催してもらうことになりました。
いまさら訊けない万葉集の基礎知識を気楽に訊けるサロンです。
万葉集サロンに「敷居」を感じていた方にはお勧めです。
ちなみに今回の万葉集サロンの資料は升田さんがきちんとレジメも付けてくれていますので、読むだけでも少し理解できます。ご関心のあるにはデータでお送りしますので、ご連絡ください。
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