■湯島サロン「サンチャゴ巡礼で気づいたこと・変わったこと」報告
今年2回目のサンティアゴ巡礼サロンは、今春、スペインのサンティアゴ巡礼路を歩いた4人の人が集まってくれました。前回、巡礼の報告をしてくれた鈴木さんが、巡礼途中に出会った3人の方に声をかけてくれた結果、実現したのです。集まってくださった巡礼者は、31歳の井上さん、64歳の加藤さん、78歳の竹茂さん、そして鈴木さん。
鈴木さんが進行役になって、それぞれからたっぷりと「新鮮な」巡礼体験の話を披露していただきました。これほどぜいたくに「サンチャゴ巡礼」に触れることはめったにないでしょう。4人のみなさんに感謝です。
一番若い井上さんは「なにより人との出会いが楽しかった」と話し出しました。そして100人近くの人と名前を交換し合ったというふれあいの一部を写真をつかって紹介してくれました。みんなとてもいい顔をしているのが印象的でした。
巡礼路では、ただ一言「ブエン・カミーノ!」(よい巡礼を!)と声をかければ友だちになれるし、気楽に声をかけられる雰囲気もあるので、みんな友だちになれるのだそうです。
お互いそれぞれに歩いているので、触れ合うのはわずかな時間ですが、繰り返し会うこともあり、そういう人のつながりが、個々のつながりを超えた大きな人のつながりを生み出しているようです。
巡礼路を歩いている人たちは、ある意味でみんなつながってしまうようです。先日話題になった、植物の世界の菌根菌ネットワークを思い出しました。
多様な人たちのゆるいつながりですが、何か問題が起こると(例えばある人が宿が見つからないとか)一致団結して気遣い合い支え合うこともあるそうです。たぶん情報もきっとすごい勢いでシェアされていくのでしょう。
最高齢の竹茂さんは、全く準備なく出かけたそうです。海外生活もあり海外旅行にも慣れていることもあって、そう特別のことではなかったのかもしれません。思い立ったのも昨年で、コロナ制約が明けたので、気楽に出かけてしまった。短パンとサンダルで出かけたそうですが、巡礼中はちょっと思いついて四国お遍路のスタイルを採用。これが巡礼者の話題になって、竹茂さんはどこでも人気者だったようです。巡礼者の「菌根菌ネットワーク」で広く伝わっていたわけです。竹茂さんは、みんなに見守られていたともいえるでしょう。一緒に写真を撮ってほしいと頼まれた数も100人を超えたそうです。
ところで、竹茂さんは、出発地のパリに着いた初日に、うっかりしてクレジットカードを紛失してしまったそうです。幸い現金も持って行っていたので、そのまま巡礼に向かったそうですが、クレジットカードが必要なことが起きた時に、巡礼で出会った人に頼んだらみんな快く貸してくれたそうです。サンティアゴ巡礼路の世界では、みんな人を信じ合い、お金も「人をつなぐ手段」に戻るようです。
竹茂さんは、足にまめができてともかく毎日歩くのが辛かったそうですが、それもまたみんなに伝わり支えられていたようで、ともかく「みんなに助けられた記憶」が一番残っていると竹茂さんは話してくれました。
加藤さんは、竹茂さんとは対照的に、サンティアゴ巡礼を知って以来、いつの日か出かけたいとずっと思っていたそうです。昨年退職したので今春、早速出かけたのです。
加藤さんは、自分探しのためだったと言います。改めて自分を見直し、自分は何者で、何をしたいのかを知りたい。そう思って巡礼に出かけたそうですが、実際には歩くのが精いっぱいで、そんな自分への問い直しをするような時間も余裕もなかったと言います。
しかし、加藤さんのお話を聞いていて、だからこそ(精いっぱい歩いていたからこそ)、加藤さんは自分探しに成功したのではないかと思いました。そもそも「自分探し」は考えて答えが出る問いではありません。
加藤さんは「巡礼は人生そのもの」だとも言いました。そして、人生は競争ではない、他者と比較するのではなく自分を生きよう、とも話してくれました。そうした言葉の端々に、加藤さんは巡礼できっと新しい自分に出合ったのだなと感じました。
3人の方のお話のほんの一部を紹介させてもらいましたが、鈴木さんの話も含めて、さまざまなエピソードやそれぞれの気付き、そして実際の巡礼の持ち物や巡礼生活のようすなど、話題は満載でした。なかにはお薦めのアルベルゲ(巡礼宿)の紹介、巡礼に適した靴の紹介などもありました。いずれにしろみんなまだサンティアゴ巡礼路の空気を感じさせるほどに、生々しいお話ばかりでした。
こんなに贅沢なサロンはそうないでしょう。
巡礼して何が変わったか。
こういう問いかけもありましたが、3人とも言葉での即答こそされませんでしたが、いろんな形で伝わってきました。それも、表現は少しずつ違っていても、4人ともみんな同じ思いを抱いているような気がしました。
たとえば、加藤さんは「何が起こってもそれを受け入れること」の大切さを語ってくれました。「他責」意識が強くなってきている状況への戒めのように感じましたが、ほかの人もこうしたことを実感されているように感じました。
毎日歩くだけでも幸せになれる。大聖堂に着いたという達成感よりも、巡礼が終わってしまったという喪失感のほうが大きかったという感想は、これも全員の思いのようでした。まさにこれは巡礼によって大きく変わったことのひとつかもしれません。
若い井上さんが、死に触れた、多様性の意味もわかった、とも言っていましたが、巡礼路の世界には、たくさんの生(と死)があふれているのでしょう。4人とも、それを心身で受け取ってきた。みんな、幸せとは何かも発見してきたようです。
巡礼が終わってから本当の巡礼がはじまったという言葉も出ましたが、みんな生き方が変わったのでしょう。もちろん生活環境は全く違いますから、巡礼生活のような生き方は難しいでしょうが、巡礼前と今とではきっと世界が変わって見えているのだろうなと感じました。
4人の報告だけでたっぷり2時間半、それから話し合いが1時間以上続きました。
それでも終わりそうもない。
参加者もみんなサンティアゴ巡礼世界に引き込まれてしまっていました。
サンティアゴ巡礼に世界中から集まる人たちは、どうも特別の平和な世界を創り上げるようです。大聖堂に向かうという目的を共有しているだけで、思想も生き方も違う多様な人たちが心を許し合って支え合う世界を創りだす。不思議な話です。
そういう世界が、なぜサンティアゴ巡礼路以外ではできないのか。
しかし、それは昔、日本にもあった(そして世界各地にあった)「懐かしい世界」なのかもしれません。
そうした世界がなくなってしまった。もしそうなら、そういう世界を取り戻したい。そんな思いが巡礼に集まる人たちにはあるのかもしれません。
世界が変わったなどと諦めずに、いまも巡礼路で行われているような、人のつながりが戻ってくることを念じたいと改めて思いました。
今回話してくださった4人の方は、そういう方向へと生き方が向かっているに違いありません。それは4人だけではない。世界中に戻っていくサンティアゴ巡礼者たちが、いつか世界を変えてくれるかもしれない。そんな気がします。
私は残念ながらサンティアゴ巡礼には行けないでしょうが、私もサンティアゴ巡礼者のような生き方をめざしたいと思います。私が子供のころにはまだ残っていた生き方です。できないはずがない。
みんながそう思って、生き方を少し変えるだけ、社会は少しずつ変わっていくかもしれません。そんな光を感じさせてくれたサロンでした。
ブエン・カミーノ精神を広げていくためにも、また4人のみなさんにサロンをお願いしたいと思っています。
なかなかサンティアゴまで行けない人のためにも。
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