■湯島サロン「デモクラシーをどう思いますか?」報告
政治に関連する基礎用語(概念)を切り口に、改めて「日本の政治」のあり方を、できれば批判的にではなく、建設的(ビジョン的)に考えていくことを意図して、ちょっと「勉強会」的な要素も入れたサロンをスタートさせました。
果たして人が集まるかどうか心配でしたが、猛暑の中、4人の人が集まってくれました。
1回目のテーマは「デモクラシー」です。
日本では、デモクラシーと言えば、民主主義と同じ意味でつかわれることも多く、多くの人が肯定的に位置づけている考え方のような気がします。
しかし世界的に言えば、「デモクラシー」は必ずしもプラスの評価だけではありませんし、大きな時代の流れとしては、むしろデモクラシーへの逆風が強まっています。
デモクラシーが肯定的に評価されたのは、この100年ほどの短い間だけなのです。
私自身は、「デモクラシー」と「民主主義」は全く違ったものであり、そもそも古代アテネには民主主義などなかったと考えていて、こういう趣旨の話をしたサロンも過去に2回ほどやったことがあります。しかし、全く話し合いは盛り上がりませんでした。
それで最近はもうやめていたのです。
しかし今回諦めずに、最初に私からそういう話を少しさせてもらいました。
デモクラシー(民主政)とは、大衆(デモ)が主役になって国家を統治するという政治の在り方であるのに対し、民主主義とは成員一人ひとりの尊厳を尊重し合うという国家(社会)を構成していく上での基本理念だというのが私の考えです。
つまりデモクラシーは制度の話であり、民主主義思想の話です。
それを混同してしまうために、みんな考えることなく、デモクラシーはいいものだと受け入れてしまっているのではないか。その落とし穴にはまってはいけないというのが私の考えです。
そう考えれば、政治の世界は違って見えてきます。
それに古今東西、民主主義ではないデモクラシー国家はたくさんあります。
共和主義国家と言われた独立まもないアメリカにおいてさえ、その報告を書いているトクヴィルは、「多数者の専横」の危惧を表明しています。
つづいて、有名な「人民の、人民による、人民のための政治」が内在している価値と課題を少し整理させてもらいました。
これはちょっと話題を盛り込みすぎて消化不良になってしまいました。
そして最後に、話し合いのための共通基盤づくりにと思って、さまざまな国家(社会)の在り方の概念整理マップ(添付)のようなものを配布させてもらいました。
そこからいろいろと話し合っていこうと思ったのですが、そううまくはいきませんでした。
最初の出発点である、「デモクラシーと民主主義とは全く別のもの」という私の考えが、受け入れられなかったのです。入り口でストップがかかったのです。
私にとっては、あまりにも当然のことで、まさかそこで引っかかるとは思ってもいませんでしたが、理解できないと厳しく指摘されたのです。
私自身は、この考えはずっと持っていましたし、説明する必要などない自明のことだと思っていましたので、しっかりした論理的反論ができなかったかもしれません。
でもそこでの議論で初めて、私の話がこれまであまり受け入れられていなかった理由に気づかされました。つまり「公理」ではなかったのです。
民主主義も、私はすべての個人の尊厳を尊重し、それぞれの意見と都合を配慮し合うことと捉えていますので、多数決方式は民主主義的な手法とは位置づけておらす、デモクラシーの手法と捉えていましたが、どうもそれも私の独りよがりだったようです。
民主主義やデモクラシーという、誰も気楽に使う言葉さえ、人によっては意味合いが大きく違うのです。時に真反対にもなっている。そこから話し合いは始めないといけないのです。それに気づいただけでも私にはやってよかったサロンでした。
話し合いはとても刺激的でした。案内にも書いた「アゲインスト・デモクラシー」をほぼ全員が読んでいましたし、このサロンのきっかけになった「歴史の逆流」もみんな読んでいたので、そういう話にも飛びました。
人数が少なかったせいもありますが、なんとサロンは4時間も続いたのです。
にもかかわらず、結論が出ないのは当然ですが、合意も得られなかったような気がします。あえて言えば、添付の枠組みの真ん中にある「誰もが生きやすい社会」を目指すことに関しては、あまり反対はなかったような気がします。
ですから、「誰もが生きやすい社会を目指す政治(国家)の在り方」という点では、参加者の関心はそろったと言えるかもしれません。
ちなみに、ここでいう「国家」もまた多義的です。いつか話題にしたい概念です。
これに関しても、これまでサロンで何回も話題にしていますが、私の考える国家概念はなかなか理解してもらえずにいます。ほとんどの人が近代国民国家の概念、つまり国民を国家の一要素として捉え、政府によって統治される存在という枠組みから抜け出せずにいるように思います。
今回はアナキストを自認する人が参加していましたが、その人が考える国家は、そういう国家概念ではないでしょう。アナキストの立場で国家を肯定するのかという意見もあるでしょうが、アナキストにも社会がありますから、アナキズムに基づく国家があってもおかしくありません。まさにここにこそ「国家」や「政府」のパラダイム転回のヒントがあるはずです。
このサロンでは、こうした私たちが呪縛されている固定観念的常識を壊していくことを目指すサロンにできればと思っています。
次回は、もう一度、デモクラシーと民主主義を取り上げたくなりました。
できれば、「デモクラシーよりアナキズム」という問題提起をしてもらうと、さらにデモクラシーや民主主義への理解が深まるような気がしていますので、その適任者にお願いしてみたいと思います。
次回の日程は、とりあえず9月15日を予定していますが、正式に決定したらまたご案内します。
できれば参加者は、デモクラシー関連の本を何か読んできて、その紹介か感想をお願いできればと思います。
なお、このシリーズの一環ではないですが、同じ趣旨のサロンとして8月13日に、柿嶋さんによる「〈パブリック〉と〈公〉の違いを考える」サロンがあります。よかったらぜひご参加ください。
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