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2023/08/15

■湯島サロン「〈パブリック〉と〈公〉の違いを考える」報告

柿嶋美子さんの「〈パブリック〉と〈公〉の違いを考える」サロンは、土地収用時の補償問題の問いかけから始まりました。

みんなが使う道路をつくるために土地が収用される具体的な事例に関して、地権者にどう金銭的な補償をすればいいか。参加者は2人ずつペアを組んで話し合い、それぞれが考えを発表。それを踏まえて、柿嶋さんはアメリカにおける裁判での判断を紹介しながら、日米の法理の違いを解説。そこから、パブリックという概念と日本における「公」の概念の違いを解説していってくれました。

Kakishima20230800

解説に入る前に、柿嶋さんはもう一つの問いを出しました。柿嶋さんはthe publicをかつて「公衆」と訳したことがありますが、それは誤訳だったのではないかと今は思っているそうです。それはなぜか。それを考えながら話を聞いてほしいというのです。

柿嶋さんはまず、〈パブリック〉と〈公〉の語源に関する話から始めました。

〈public〉の語源のラテン語には、「人々」という意味があり、したがって the publicと言えば、官職などについていない普通の人々のことで、「お上」ではない。アメリカでは、Publicが国家(state)に関することに多用されるが、それはあくまでも「広く人々に関すること」に政府が調整役として機能しているという国家像や政治観が関係しているというのです。アメリカは、デモクラシー(民主政)だけではなく、リパブリック(共和制)の文化にも支えられているのです。
英国とアメリカでは、パブリック・スクールへの政府の関わり方が違っているのも、それが影響しているように思います。

ここで大切なのは、〈public〉と〈private〉の関係です。両者は相互に支え合う関係にあり、〈private〉は〈public〉には包摂されない、ましてや一方が他方を支配する上下関係にはないのです。

説明不足ですみませんが、柿嶋さんはアメリカの政治観を示す文章を紹介してくれましたが、ここにすべてが表現されているような気がします。
Politics are the public actions of free men.

日本では、〈public〉は「公的」「公共」などと訳されますが、多くの場合、「公」はそもそも「朝廷」を表し、「官民」の「官」、つまりいわゆる「お上」の意味合いをもっています。言い換えれば、私たちの国家像や政治観がアメリカとは全く違う。
アメリカでは、〈private〉と〈public〉を支え合う関係にするために〈state〉(政府)があるのに対して、日本では〈private〉を統治するために、その上の存在として政府(お上)があり、〈private〉もまた国民(臣民)として、奉公的な存在になっている。

つづいて柿嶋さんは、「公」に関する日本の意味を話してくれました。
日本での「公」(おほやけ)の原義は「大きな家」ということで、「下から見上げて奉って言う語で、自らを「下げて」表現する謙譲語「わたくし(私)」と対語になっていること。そしてその「おほやけ」と「わたくし」が入れ子構造のように積み重なって、有機的なホロニックなヒエラルキーを構成していると解説してくれました。

このあたりの詳しい内容は、もしご関心があれば、柿嶋さんがPDFデータで送ってくださるというので、希望者は柿嶋さんもしくは私にご連絡ください。

説明が長くなってしまいましたが、いずれにしろ、「public/private」(水平構造)と「公/私」(垂直構造)とは全く違うにもかかわらず、私たちは「(和風)パブリック」や「公共」の罠にはまって、お上に従う文化から抜け出せないでいるように思います(これは私の私見です)。そろそろパブリックとか公共とかいうまやかしの言葉を捨てなければいけないと私は思っています。

長くなってしまったので、話し合いの紹介にまでいきませんでした。
私自身は、最初の土地収用の補償問題にこそ、〈public〉を考える示唆があるように思いましたし、また途中で柿嶋さんが出した〈republic〉という言葉や〈politics〉の説明文にも興味を持ちました。
視点を変えて、もう少しこのテーマのサロンを続けられればと思います。

かなり勝手な解釈と切り取り報告なので柿嶋さんから叱られそうですが、柿嶋さん、参加者のみなさん、補足・修正などよろしくお願いします。

なお、この話題は915日に予定している「アナキズム」をテーマにしたサロンにもつながっていきますので、よかったらそちらのサロンにもご参加ください。

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