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2023年9月

2023/09/30

■がん民間療法体験11:「民間療法」とは安心感を持つための知恵

この体験報告のおかげで、いろんなことに気づかされます。
人生において何が一番大切かを考えるヒントももらえるような気がします。

私を心配して、私のがん民間療法体験に否定的なコメントをくれる方もいますが、たぶん一番真剣に考えているのは患者当人です。その当人の思いが間違っていることはたぶんにあり、考え直すことを働きかけてくれることには感謝すべきでしょうが、実際には「否定」されると不安になります。この「不安感」こそが、治療にとっては最大の敵のような気がします。
この数週間、そのことを痛感します。

この報告では、私がいかにも脳天気にいい加減にやっているように見えるかもしれませんが、いざとなったら私が痛さや症状を背負い込むわけですから、一番真剣に考えているのは私だろうと思います。ですから前にも書きましたが、医師から早く手術をしたほうがいいと言われれば、迷いますし、民間療法など無意味だと言われれば不安になる。骨への転移は大変だぞ、と言われれば、不安が高まって、なんだか腰の骨が痛くなってくる。
ともかく、自分の問題として(つまり知識としてではなく)、常に「不安」を背負っているのです。

これは私だけの話ではないでしょう。
病気になった患者当人は、不安に覆われている。
その不安をあおるようなアドバイスは、たとえそれが正しくとも患者の病気にはいい影響を与えることはないでしょう。
病気は生命体に生ずる現象ですから、その生命体の心身、つまり意識と無縁なはずがありません。生命体は機械ではないからです。
プラセボ効果の多くの実験結果からも類推できるように、時には薬も毒になる。
相手を思ってのアドバイスが相手の不安を高めて免疫を低下させることもあるでしょう。
私自身、いろんな人のアドバイスで、不安になって心身がおかしくなることもある。
だからあまり否定的でドグマティックな意見は無視したいのですが、それがまた難しい。
無視するとさらに怒られる。そして私もさらに滅入ってしまう。

いやこれは他人事ではないのかもしれません。
これまで私は、病気の人にどういう声かけをしてきただろうか。
いや、いまも闘病中の友人知人にどう接しているだろうか。
私としては妻の闘病に付き合った経験から、それなりの自負があったのですが、どうもまだまだきちんと対応できていないのではないかと、思い知らされています。

最大の薬(療法)は、やはり安心感を患者に持ってもらうことではないかと思います。
いや、安心感をしっかりと持つことこそが、患者にとっても一番大切なことでしょう。
「民間療法」とは、そうした安心感を持つための知恵なのではないか。
そんな気がしてきています。

安心感さえ持てれば、病気はそう問題ではなくなる。
よく言われるように、病気になるとわかってくることがたくさんあります。

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■湯島サロン「自死遺族としてみんなが生きやすい社会を考える」のご案内

いまの社会が生きづらいか生きやすいか、は湯島のサロンでよく話題になることです。
立場や捉え方によって、その評価は変わってきますが、しかし、いずれにしろ「より生きやすい社会になればいい」ということではみんな一致していると思います。

しかし、「生きづらさ」とは何だろうか、と考えると、これもまた難しい話です。ある人にとっての「生きやすさ」は、ある人にとっての「生きづらさ」になることだってあるかもしれません。そのため、抽象的な議論はなかなかかみ合わないことが多いのです。

今回は、「生きづらさ」の先にある「自死」問題に、自死遺族という立場で長年取り組まれてきた南部節子さんに、ご自身の体験や活動、そうしたことからの思いなどを話していただき、「みんなが生きやすい社会」について話し合えればと思います。
「自死」の問題を切り口にすることによって、「生きづらさ」を具体的に話しやすくなるかもしれませんし、何よりも今また「若者の自死」の増加などが問題になっているなかで、「自死」そのものはしっかりと考えていくテーマでもあります。

私も一時期、自死の問題にコミットさせてもらいましたが、そうした活動を通して、自死は決して他人事や特殊な事件などではなく、誰の隣にも、あるいは自分にもやってくる日常につながる問題であることに気づかせてもらいました。

ちなみに南部さんは、「ゆったりカフェ龍の会」の代表として、誰もが住みやすい社会に向けての地域活動にも取り組んでいます。
https://izoku-center.or.jp/doc/ryunokai2020.pdf
「ゆったり」という言葉に、南部さんの深い思いを感じます。
そうした何気ない日常にも自死はつながっている。逆に言えば、そういう何気ない日常の暮らしのなかに、自死をふせぐものがあるのかもしれません。

いささか重いテーマですが、いつものように「明るく前向きに」話し合えればと思っています。
みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2023年11月5日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「自死遺族としてみんなが生きやすい社会を考える」
〇問題提起者:南部節子さん(ゆったりカフェ龍の会代表)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2023/09/29

■がん民間療法体験10.アーシング

今日は癌民間療法を休んで、無為に過ごす予定だったのですが、午後から陽射しに誘われて散歩に出て、手賀沼公園に行ったら、先日のサロンで話題になっていたアーシングを思い出しました。
大地のパワーをもらおうという健康法です。

幸いに手賀沼公園の広場は、暑さと陽射しのせいか、誰もいません。
これはいいと思って、裸足になって広場を歩きました。
ちょうど今、手賀沼公園は野草を刈り取ったところで、いささかチクチクしましたが、気持ちがいい。
少し歩き回った後、木陰で寝転ぶことにしました。
実に気持ちがいい。見上げると空もとてもきれいです。
ついでに自分の写真(本当は大の字姿を撮りたかったですが、できないので顔のアップ)を撮ったら、目より鼻の穴が数倍大きいのが目立つのでアップしたくなかったのですが、まあ雰囲気を伝えたくてついでに載せました。

一人でなければ、もうしばらくここで大の字で寝ていたかったのですが、寝込んだら遺体に勘違いされそうなので、残念ながら5分ほどでやめました。
あまり帰りが遅いと娘から電話が入りかねませんし。

しかし裸足で歩くのは実に気持ちがいい。
大地と触れ合うというこの健康法は私向きです。
正規の取り組みプログラムとして採用することにしました。
先日のサロンでは、アーシングマットなどの紹介があったのですが、私の場合は、直接に大地に触れあうことは以前からの関心事でしたので、それを取り入れることにしました。

というわけで、がん民間療法体験は、休んだのは半日で終わってしまいました。
水素風呂も飲み物も、復活します。

新しいメニューがあると、やはり飽きません。
ただ明確な成果がいずれからもまだ確信できないのがちょっと残念です。

 

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■がん民間療法体験9:民間療法疲れ

40日の奇跡」実現のため、いろいろな人からたくさんのアドバイスをもらったので、頑張って2週間ほど経過しました。
特にこの10日ほどは、できるだけ在宅時間も増やして、いろいろ取り組んできました。
どんどん新しいアドバイスもあり、実に楽しく面白く、飽きっぽい私としては不思議に続いてきました。いやつづくというよりも、何か楽しさもありました。
40日の奇跡」は起こりそうな気がしてきました。

ところが昨日、なんだか毎日、同じような生活になっているのがなんとなく私らしくないなあという気がしてきてしまいました。
「迷い」がちらちらしてきてしまったのです。これは危険なシグナルです。
ある人から、佐藤さんは3日は続くからと言って、3日分のサプリジュースを持ってきてくれたのですが、まさに3日続いた日に、続いているようなのでとまたどさっと持ってきてくれました。それもだんだんルーティン化していたのです。

新たなルーティンも生まれていました。
また報告しますが、たとえば「水素ガス吸入」や「アーシング」です。

今朝は寝坊をしてしまいました。
いつもよりも2時間近く遅い7時です。
ルーティンが崩れてしまいました。

と同時に、何か「癌民間療法」疲れが出てきてしまいました。
わがままな私は、こういう時は、素直に自分の感情に任せて、ルーティンを壊してしまうのですが、今回はそう簡単にはいきません。
何しろたくさんの人が、見守ってくれているからです。

私の妻もそうですが、長い闘病生活をしている人は、どこかでそのルーティンから抜け出すことも望んでいるのかもしれません。
私の娘は、…しなければいけない、とか、…するべきだという思いが一番のストレスだといつも言っています。そのくせ、彼女は、そうしたことを過剰に意識して、自らを生きづらくしているようにも見るのですが、その娘がいればこそ、私の身勝手なこの癌民間療法もつづいているのかもしれません。

というわけで、今日は癌民間療法のお休み日にすることにしました。
義務感から解放されることもまた、「癌民間療法」の一つです。
療法が義務になってしまってはいけません。

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2023/09/26

■緊急湯島サロン「民間癌療法を話し合うサロン」報告

きわめて個人的な動機からのサロンにもかかわらず、大勢の方が参加してくれました。最初に私が取り組んでいる民間療法を紹介したために、私の癌治療の話が中心になってしまいました。
でもそのおかげで、逆に明るく気楽に話せる流れができたかもしれません。それに実際の生身の癌患者(ほかにもいらしたのですが今回は私が主な対象者でした)がいるので、話が具体的でわかりやすい。できればこんな感じで、こういうサロンを定期的に開催したいと思っています。

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最初にまず、私が前立腺癌に発症していることがわかった時点でフェイスブックなどに書いたら、いろんな方からアドバイスをもらいましたが、その中から民間療法に関するものを紹介し、私が取り組みだしているものを紹介させてもらいました。
サロンの中で参加者のみなさんからいただいたことも追加したリストを最後に書いておきます。このリストはこれから少しずつ豊かにしていきたいと思っています。

私としてはせっかく癌になったのですから、その機会をできるだけ活かしていきたいと思い、主治医を説得して手術などの治療を少し延ばしてもらい、40日の余裕をもらいました。
11月初めの再検査で、医師が明確な効果があると認めない場合は、たぶん摘出手術をする予定ですが、もし民間療法の成果が出れば、手術をさらに延ばせます。ですからその間に、何らかの知見が得られればと思っていますが、その話をだしてしまったために、なんだか「40日の奇跡起こし」プロジェクトの話し合いになってしまった感があります。というわけで、私がこれから取り組む課題がたくさん出てきました。
まあこんな機会はめったにないので、私としては真剣に取り組もうと思っています。

ところで私が取り組んでいる民間療法ですが、「重曹水・クエン酸水の服用」と「水素風呂温浴療法」です。私の体験を少し話させてもらいましたが、そこから関連した様々な知見や療法が話題に出てきました。
とくに後者に関しては、水素水や水素吸入に詳しい参加者がいて、体験談も含めていろいろと紹介してくださいました。楽しく示唆に富む話でした。こういう話し合いは当事者にはとても参考になります。

私の場合は、いずれもまだ始めてから1週間ほどですので、成果を報告するまでには至っていませんが、「重曹水・クエン酸水」のサロンが1012日にありますので、その時に報告させてもらおうと思います。

サロンでは、だれでも手軽に取り組める療法として、「リンゴと人参とレモンのジュース」の紹介がありました。その方はご自分でも明らかな効果を得ており、紹介した友人も効果を体験しているそうです。私もこれを第3のメニューとして取り組むことにしました。
実際に体験されて効果を確認した方の話は説得力があります。ネットで読んだり間接的に知っただけでは、私のような怠惰な人間は聞き流して終わりでしょう。やはり実際に体験した人による話し合いの場は大切です。

話し合っていると、特に癌対策というよりも、がんに侵されないようなしっかりした免疫を高めていることがポイントのようです。ですから今回出された療法は、別に抗癌対策ではなく、病気にならない健康体づくりの知恵なのです。
だとしたら、こういう話は誰にも無関係な話ではありません。ちなみに「重曹水・クエン酸水」も抗癌療法というよりも、免疫向上法と言ってもいいでしょう。事実、最後のリストには、私たちの生き方や暮らし方に関するものも少なくありません。
そういう流れから、「牛乳断ち」「砂糖断ち」など食生活に関する話題もたくさん出ました。これは改めてサロンを開きたいと思います。

民間療法とは基本的には、自らの心身の免疫を高めることなのかもしれません。
そう考えれば、癌は私たちに、生き方を質すように働きかけてくれているのかもしれません。もしそうなら、癌の好意を無にしてはいけない。
今回、改めてそういう思いを実感しました。

しかし、実際に医療現場で活動していた人から、サロンの後、骨への転移の大変さも教えてもらいました。骨への転移は私も避けたいです。主治医もそれを心配してくれているのですが、医師の意見も尊重して、ぎりぎりまで被験体験をしていければと思っています。

いずれにしろこのサロンは、何らかのかたちで継続していきます。
私の40日後の結果も、またサロンで報告させてもらうつもりです。

〔サロンで話題になった民間癌療法〕
抜けがあるかもしれません。その後、またいろんなことが届いています。

・重曹水・クエン酸水を毎日飲む。
・1日2回以上ゆっくりと湯船につかる
・水素風呂・水素ガス・水素水
・温泉療法:不老閣(ラジウム温泉)・やわらぎの湯(ラジウム温泉 岩盤浴)
・マコモ風呂
・毎日8000回ありがとうをいう
・有機野菜や玄米を中心にした食生活
・できる限り天然由来の食材や調味料を使う
・りんご・人参・レモンジュース
・ドイツのフィットラインジュース
・AHCC(サプリ)
・掌療法
・官足法
・あんずやビワの種
・牛乳断ち・砂糖断ち
・自分の尿の飲用
・よく寝てきちんと食べて健やかに過ごす
・適度な運動・水分の確保・体温の保持・十分な睡眠・立派な姿勢と呼吸
・アーシング/アーシングマット
・プラセボ効果

 

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■民間癌療法体験報告8:牛乳断ち・砂糖断ち

癌療法は基本的には、自らの心身の免疫を高めることに尽きるのかもしれません。
そう考えれば、癌は私たちに、生き方を質すように働きかけてくれているのかもしれません。もしそうなら、癌の好意を無にしてはいけない。
今回、改めてそういう思いを実感しました。

そういう視点から、先日の「民間癌療法」サロンでは、さまざまなアドバイスをもらいました。私たちのいまの生き方には、どうも大きな間違いがある。
その一つが、「牛乳断ち・砂糖断ち」です。

私は牛乳はあまり好みではないのですが、牛乳需要が落ちて、牛乳が廃棄され、酪農家が困っているというニュースを時々集中的にマスコミ(というか政府)が流すのを真に受けて、頑張って飲もうと思ったりしてできるだけ飲むようにしています。でも牛乳は苦手です。私の体質には合わないようです。サロンでは牛乳断ちを勧められました。特に高齢者にはよくないと言われました。
酪農家の人たちには申し訳ないのですが、95%牛乳断ちを決意しました。95%というのは、いささか未練がましいのですが、完全に牛乳を否定したくはないのです。

もう一つ言われたのは「砂糖断ち」です。
これも昔からよく言われていますが、できずにいます。私はいまなおコーヒーはブラック党ではなく、砂糖も牛乳もいれている。娘が時々、砂糖はよくないからと言って、オリゴ糖などを買ってきてくれますが、ついつい砂糖を使ってしまっています。

でも今回は、「砂糖断ち」は決意しました。ただし甘いものを完全拒否ではないので、いささか中途半端ではありますが。
いずれにしろ、いずれも一昨日から実行しています。

「断ち」ということで言えば、麦や塩に関しても、注意を勧められましたが、塩は天然塩を使っているのであまり問題はないのですが、私の場合、朝はパン食なので、これが問題です。
米粉パンも増えているというのですが、いままだ決めかねています。
ふんだんにお金をかけてしまえば、民間療法にはならないからです。
それに嗜好に合わないものを食べるのも、私としては避けたい。
玄米も以前勧められて試してみましたが、どうも私には合いません。

今回は「40日の奇跡」が目標ですから、ちょっと無理をして、朝食もどうするか考えようと思っていますが、今日は今まで通りのフジパンの「本仕込」を食べてしまいました。残念ながらおいしかったです。

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■第26回益田サロン「心と言葉と時間 パート3」の案内

益田サロンは前回、円錐の上に逆円錐を重ねた新しい「環境-生物モデル」に基づいて、意識の誕生によって、生物と環境の関係が新しい局面が開かれたこと、そこに人間の特異性があり、そこから、たとえば「環境破壊」「健康問題」、あるいは「自殺問題」などを考えていくと、これまで気づかなかった示唆が得られるのではないかというところで終わっていました。

また益田さんは、「私欲と公欲」という言葉にこだわり、「欲とは何か」と「公と私の捉え方」に関しても、問題提起し、こうしたことに関連して、意識や言葉、あるいは時間と空間へと話題は広がっていました。

今回は、前回のモデル図を使いながら、「心と言葉と時間 パート3」として、さらにそうした議論を深めたいと思います。環境(のようなものの)の捉え方や生物と環境の関係における「本来性」とは何かも、議論できればと思います。

なお参加される方は、前回(「心と言葉と時間 パート2」)の益田サロンの報告をお読みいただいて参加してくださると話がわかりやすいと思います。もしお手元になければご連絡いただければお送りします。

益田さんと一緒に、生物と環境の切り口から、私たちの生き方や社会とのかかわり方を、ちょっと違った視点で話し合えればと思います。
みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2023年10月27日(金曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「心と言葉と時間 パート3」
〇話題提供者:益田昭吾さん(細菌学者/慈恵医大名誉教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2023/09/25

〔民間癌療法体験報告7:「病の最良の薬は人である」〕

現在、3つの療法を取り入れていますが、実はもっと根本的な大きな療法にも取り組んでいます。
それは、すべての人を信じ、感謝するという療法です。

フェイスブックでは、当初、私の判断を批判し、早く医師の指示に従うべきだとか、逆に医師の指示に従わないほうがいいとか、前立腺がんなど気にせずに放っておいても大丈夫とか、そんな書き込みもありました。そういう否定的なコメントに、当初は少しムッとすることもありましたが、そういう人もみんな、私のためを思って心配してくれているのだと気づいてからは、すべての書き込みを(時には少しムッとしながらも)感謝するようにしています。

ともかくみんなが気にしていてくれる。その思いをしっかりと感謝しながら受け止める、というのが民間療法のすべての基本に置こうと思っています。

民間療法の基本にあるのは、人のまなざしであり、それへの感謝の念をしっかり持つということです。ですから、私の毎日の癌療法は、朝一番に仏壇の大日如来に向かっての感謝の祈りから始まるのです。

セネガルの格言に「人の病の最良の薬は人である」というのがあるそうです。
そういえば、「人薬(ひとぐすり)」という言葉も聞いたことがあります。
先日のサロンで改めて実感したのは、友人知人たちの心遣いや思いです。
それこそが病を治す最良の薬だと、つくづく思ったのです。
ですから、誰かが提案してくれたことは、基本的には頑張って取り組もうと決意したのです。
そういう思いを持てば、もう病は半分は克服したようなものだという気さえします。

いつも感謝の念を忘れない。
療法に取り組んでいるときには、その効用を確信する。
そう思うと、療法への取り組み自体が楽しくなります。
取り組むこと自体もまた療法。

私のような三日坊主が、今回は続いているのは、みなさんの、いわゆる〈目薬〉、つまりケアの目のおかげのような気がします。

 

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2023/09/24

■節子への挽歌5792:お彼岸の墓参り

お彼岸の昨日、お墓に行けなかったので、今朝、お墓に行ってきました。
娘が、庭で咲いていた彼岸花もいれてくれました。

私はいつもここで声を出して般若心経を唱えています。
そして、お墓であるにもかかわらず1礼2拍します。
私は、お寺も神社も、基本的に1礼2拍して、祈りを捧げます。
ルールに反していますが、そもそもたかだか150年ほど前に改悪された寺社別々のしきたりには賛同していません。
もちろん自宅の仏壇も、同じスタイルですが、時に気分で1拍や3拍のこともあります。

お墓があるのは、我孫子の久寺家にある宝蔵院です。
ここは新四国相馬霊場88か所巡りの84番札所です。
数年前に、ある朝、突然思い立って、自宅近くの興陽寺から歩きだし、3日で宝蔵院に到着しようとしたのですが、サンダルで歩き出したため、28.5キロ歩いたところで歩けなくなって、娘に救援に来てもらったことがあります。
当時に比べると、情報がだいぶ整備されてきたようなので、来年はできれば再挑戦しようと考えていますが、どうなりますか。

一応、今日はその意向を伝えてきました。
宝蔵院の本尊は地蔵菩薩です。
40日の奇跡祈願もしてきました。

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■民間癌療法体験報告6:新たに「レモン・にんじん・りんごジュース」が加わりました

昨日、湯島で「民間癌療法を話し合うサロン」を開催しました。

たくさんの人が参加してくださり、いろんな療法について話し合いができました。
その中で、私にも簡単にできる方法がありました。
「レモン・にんじん・りんごジュース」です。
これも知る人ぞ知るものだそうですが、教えてくださった方はご自分でも効果を確認しているばかりか、友人にも紹介して成果を上げているそうです。
知っている人も少なくありませんでしたが、意外と実際に毎日飲んでいる人は少ないようです。

要は、レモンとにんじんとりんごをミキサーでかけて飲むというそれだけですが、ビタミンCがたっぷりですので、「ビタミンC療法」と呼ぶことにします。
これなら私でも毎日できそうです。

私はいま、青汁とバナナと豆乳をミキサーにかけたものを毎朝、娘につくってもらって飲んでいますが、これを今度はりんごと人参とレモンをミキサーに変えようと思います。
青汁を入れてもいいかどうか確認するのを忘れてしまいましたが、実践者は、レモンとにんじんとりんごを基本に、季節季節の果物を入れているようですので、問題はないでしょう。レモンは国産でなければいけないそうですが。

今日の朝は材料不足で間に合わなかったのですが、午後、レモンとりんごを買ってきて作ってみました。
りんごがあんまりおいしいリンゴでなかったのと、どうも量を間違ったようで、あんまりおいしくなかったです。でもまあこれなら続けられます。
ちなみにこのジュースは洛陽高穂さんという人のお勧めのようで、「今あるがんが消えるレモン・にんじん・りんごジュース」という本も出ています。

だんだん飲み物が増えてきました。
実は私は、脳の血管が2本ほど消えかかっているので、脳神経外科の医師からともかく水分をよく飲めと言われています。しかしどうも水が苦手なのです。こうしていろんな形で飲み物を増やしていくことは、そういう面でも好都合です。
逆にコーヒーは減らした方がいいと言われているので、少しずつ減らそうと思います。

ところで、この水分ですが、これももしかしたら民間療法にとっての重要な要素かもしれません。これはもう少し考えてみないとわかりませんが。
水を使った療法もいろいろとあります。

 

 

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■映画会サロン「私の父もそこにいた~証言によるベトナム残留日本兵の存在」のご案内

また映画会サロンのお誘いです。

今回取り上げる映画は、「私の父もそこにいた~証言によるベトナム残留日本兵の存在~」。
敗戦後、長らくベトナムにとどまり、1954年にようやく日本に戻ってきた父親のことを知りたくなった一人の女性が、父親の足跡を探していく中で、日本の戦後と向き合っていくというドキュメンタリー映画です。

その女性、添野江実子さんは、その史実を風化させないため、そして、後世に語り継ぐために、映画製作を決意し、クラウドファンディングなどで呼びかけ、映画完成後は、上映会の開催や講演などを行っています。

この映画「私の父もそこにいた」(40分)は、ネットのアジアンドキュメンタリーズでも無料で観ることができます(サイトの一番下の方に出てきます)。
https://asiandocs.co.jp
できれば事前に見てきてくださってもいいですが、当日もサロンの冒頭に上映させてもらいます。

サロンでは映画を観た後、添野さんの思いもお聞きしながら、「戦争と国家」を改めて考えてみたいと思いますが、それに加えて、なぜ添野さんが映画をつくろうと思い立ったのか、そしてどうやってそれを実現したのか、それによって何が起こったのかも、ぜひともお聞きしたいと思います。
思いを強めて活動を起こせば実現する、そして変化が起こっていく。
添野さんのそんな体験と、今の心境や活動に関しても、いろいろとお聞きできると思います。
いろいろな意味で、ぜひ多くの人に参加していただきたいサロンです。

今年は、日本とベトナムの外交関係樹立50周年です。ベトナムは日本に大きな影響を与えた国の一つですが、これを機会に、ベトナムへの関心も高められればと思っています。
みなさんの参加をお待ちしています。

〇日時:2023年10月21日(土曜日)午後2時~4時半
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「証言によるベトナム残留日本兵の存在/戦争と国家を改めて考える」
〇問題提起者:添野江実子さん(映画「私の父もそこにいた」プロデューサー/アロマセラピスト)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■民間癌療法体験報告5:40日の奇跡は起こるか

昨日は湯島で、「民間癌療法」を話し合うサロンでした。
前立腺がんになった私の勝手な呼びかけのサロンだったのですが、私を心配して参加してくださった方もいます。みんなのサロンと言いながら、何やら勝手に使ってしまったような気がして、一部の参加者には申し訳ない気がします。

サロンの報告は改めてしますが、私は大きな元気をもらいました。
ともかく40日で、医師が認めるような成果をあげなかったら、医師に従うという姿勢を基本にしていますので、この40日でがんが消えるか大きく後退しなければ、手術することになり、せっかくもらった癌の民間療法実験ができなくなってしまいます。

サロンの前は、40日では成果をあげるのは無理だろうなとどこかで思っている自分がいました。
しかし、昨日、みなさんからのエールやアイデアをもらい、40日で成果をあげようと強く思いました。参加してくださったみなさんに深く感謝し、みなさんからの提案は可能な限り挑戦しようという気になりました。可能な限り、ですが。
成果が出れば、手術を避けて、もう少し癌とも付き合えて、民間療法への挑戦ができますから。

しかし、実際に医療現場で活動している人からは、サロンの後、骨への転移の大変さも教えてもらいました。それを聞くといささか思いが揺らいでしまいますが、その人も私を元気づけるために言ってくださったのです。

昨日のサロンで、またやりたいこともいくつか出てきてしまいました。
困ったものです。
しかし、そのためにも、40日の奇跡を何とか起こしたいと思い出しています。
参加者への感謝をしっかりと残しておきたくて、報告とは別に書き残したくなりました。

さて今日も朝から「アルカリ療法」と「水素風呂温浴療法」です。
それにまた報告しますが、定番プログラムが今日から一つ増えました。

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2023/09/23

■民間癌療法体験報告4:水素水温浴療法の具体的な取り組み方

水素水風呂は、特別の装置が必要なため、取り組みを迷ったのですが、今回はともかく40日のうちに成果を出さないといけないので、友人の強い勧めを受けて取り組むことにしました。
具体的には某社の水素生成器を利用することにしました。
水中で電気により水素を生成させる装置で、浴槽に電極を入れておくとそこから水素が発生する仕組みになっています。

私の場合、前日のお風呂の水を排出する前に、水素生成器を浴槽に入れたまま、沸かしなおし、沸き上がった後で浴槽に浸かります。そして、身体の近くに生成器を近づけながら、20分過ごします。
夕方か夜は、新しいお風呂ですが、その時も水素生成器を入れてお湯を沸かします。そして入浴時。朝と同じように最後の20分は浴槽に深く使ったまま過ごします。

在宅の時はお風呂を早く沸かしてもらい、夕方と夜寝る前に入ることもありますが、基本は毎日2回、各20分です。
まあそれだけのことなのですが、それに伴って少しだけ追加していることがあります。

最初の15分はお湯につかっているだけですが、最後の5分では、2つのことを行っています。
まずは足の裏をもみほぐすことです。
民間療法の一つに「官足法」というのがあって、以前、妻に施術していました。
その時のテキストなどは廃棄してしまったので、いまはともかくその時やっていたことを思い出しながらただ左右1分ほど、つぼだと感じているところをもんでします。

それが終わると深呼吸です。大きく吸って思い切り吐く。ただそれだけを510回ほど行います。これは以前からやっていたことですが、水素風呂の場合、水素イオンが浴室に広がっているはずなので、何やら気分的にはなんだか効用を感じます。

水素風呂だけが目的ではありません。
癌は熱に弱いと言われていますので、水素風呂とは関係なく、毎日の温浴や温泉療法を勧めてくれた人が複数います。
それも兼ねているのです。

朝起きてすぐと、夕方もしくは寝る前、ゆったりと浴槽に浸かって、思いを巡らすのは、それだけでも心の平安につながります。まあ時には、逆になることもないわけではありませんが、それでも1日2回の無為の時間は、これも療法につながっているかもしれません。

まあ誰でもできるわけではないの、あんまり参考にはならないかもしれませんが、水素風呂の効果がこの40日で確認できればと期待はしています。
まだ確たる報告をできるまでにはなっていませんが。

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■民間癌療法3:アルカリ療法の具体的な取り組み方

「アルカリ療法」に関しては、基本は重曹水とクエン酸水の服用です。
これはすでに服用している人たち数人から勧められたのですが、最初は実際にどう飲めばいいのかわからず、試行錯誤からはじめました。
そのため、最初はいささか量が多すぎて、胃腸の具合を痛めたようです。
いまは、重曹もクエン酸も1日、2.5gを目安にしています。

重曹は朝起きて最初に飲みます。
重曹だけだとまずいので、これも友人のお勧めで、蜂蜜を少し加えます。
蜂蜜は、これも友人の勧めで、非加熱の蜂蜜。2.5gの重曹を普通のコップ1杯の水に溶かし、そこにはちみつを少量入れて、それを飲みます。

それを飲んだ後、水素風呂に20分ほど浸かり、10分のテレビ体操(毎日録画)をしてから朝食。朝食はいまのところ以前のままです。
食後、クエン酸水を飲みます。
クエン酸水は重曹水ほど飲みにくくないので、いまはそのまま飲んでいます。量はこれも2.5gをコップ一杯の水で薄めて飲みます。

まあ基本はそれだけですが、在宅している日は、午後に、梅干を一つをお湯でといて飲みます。梅干だけだと美味しくないので、これに昆布茶を入れます。

さらに夕方、特に外出していた日は、朝の半分くらいの薄目の重曹水とクエン酸水を飲むことがあります。これは気分次第です。

なお塩化ナトリウムのとりすぎに注意というアドバイスをもらいました。
1日、3gが目安だとアドバイスし、私の体感的にもそうなので、いまは小さじ半分が基本です。
また長期に継続する場合は、消化機能の低下に気を付けるようにとのアドバイスももらいました。

さらに、重曹は高血圧に悪いそうなので注意するようにとのアドバイスももらいました。
このように、民間療法にも当然、副作用のようなものはあるのは当然です。

個人差もありますし、状況によっては、効果が反転することもあります。まあそこが生命の面白さなのでしょうが。

なお、FBへのコメントで、がん治療として炭酸水素ナトリウムを単独または他の抗がん剤と組み合わせて投与した研究から得られた知見をまとめ、臨床において炭酸水素ナトリウムを安全かつ効果的に使用するための方法について考察した論文も紹介してもらいました。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC7249593/?fbclid=IwAR3DB_zpKCwvxyhIGqlueq82hvUOU0EYy9KFUJOw0el4VW75ZCwtDYZ1XBM
この要旨も教えてもらいましたので、関心のある方はご連絡ください。

今回は、いま私が取り組んでいるアルカリ療法の概要を報告させてもらいました。

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2023/09/22

■節子への挽歌5791:兄への報告

節子

前立腺がんへの対応をどうするのか、兄がうるさいので、一応、これまでの経過とこれからの考えをきちんと話そうと思い、一緒に食事をすることにします。
またけんかになると悪いので、ユカにも同席を頼みました。

兄は早く手術をしろとうるさいのです。
自分はいろんな癌体験があるので、何もしない私が気になるのでしょう。
兄は近代西洋医学をほぼ信頼していて、コロナワクチンもきちんと打っています。
私よりも高齢ですが、いまもまだ健康で、ボランティア活動も熱心です。
だから私よりもたぶん経験も知識も、実績もあるという思いが強いのでしょう。

今回は一応、これまでの経緯をきちんと話し、これからの考えも伝え、w他紙の思うようにやるので心配は不要と言いました。
まあ幸いに異議申し立てはなく、話は平穏に終わりました。
でも価値観や何晏が得方の違いを、改めて感じました。
兄弟なのに、どうしてこうも考えは違うものなのでしょうか。

前立腺癌になったおかげで、友人知人の考えもいろいろと伝わってきます。
それが実に面白いのですが、それへの対処の仕方は、実にまた悩ましい。

まあしかし、いずれにしろ兄が理解してくれたので、ちょっと安心です。
でも本当に理解してくれたかどうかはわかりませんが。
兄弟ほど、理解し合うのが難しい関係はありませんから。

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■9月オープンサロンのご案内

なかなかオープンサロンが開けずにいますが、9月の最終日30日にオープンサロンを開催します。
いつものようにテーマのない、出入り自由のサロンです。

オープンサロンは何でもありで、誰でも歓迎です。
申し込み不要です。当日、気が向いたらどうぞ。
初めての方も大歓迎です。
ともかく気楽なサロンですので、気楽にご参加ください。

今回は、福山さんお薦めのサザコーヒーの「渋沢栄一仏蘭西珈琲物語」を用意させてもらいます。
最近、暑いせいか、ホットコーヒーはいつも残ってしまっていましたが、そろそろホットの季節です。

〇日時:2023年9月30日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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2023/09/21

■節子への挽歌5790:今日はすごい雨でした

節子

今日の我孫子は、夕方、短時間でしたが、すごい雨でした。
いつも利用している近くの隧道は水があふれて、動けなくなった車が水に浮かんでしまっている風景がテレビでも報道されていました。
わが家のベランダも、一気に5センチ以上の水がたまったほどです。
あまり長期的ではなかったの、手賀沼は大丈夫だったようですが、下のふれあい道路は一時、水で通行止めになっていました。

ちょうどその時、ジュン親子は自動車で出ていたのですが、幸いにうまく帰宅できました。
ただこの辺りも雨で水が出たり、がけ崩れがあったりの危険地域ではあります。

でも節子が選んでくれたわが家の場所は、雨でも大丈夫でしょう。
これも節子のおかげです。

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■民間癌療法体験報告2:アルカリ療法と水素温浴療法

まずは基本に置く2つの療法を説明します。

その前に、「民間療法」という言葉が誤解を招きそうですので、それについて。
ウィキペディアには、「民間療法とは、広義には民間で伝わった療法のこと、狭義に科学的根拠に基づかない手法」とあります。しかし、ここでいう「民間療法」とは、医療界が制度的に承認していない療法を指します。これに関して書きだすと際限がないので、とりあえずは、生活者たちの間で伝承されたり、口伝で広がっている療法というようなあいまいな定義で進めさせてください。なかにはしっかりした「科学的根拠」に基づくものもありますし、一部の医療施設で取り上げられているものも含めます。
さらに言えば、「祈り」のような、精神的なものも、含めたいと思っています。

私がまず取り組もうと思っているのは、「アルカリ療法」と「水素温浴療法」です。
「アルカリ療法」は、いまのところ、毎朝重曹水を飲み、日中にクエン酸水を飲むという、それだけです。
「水素温浴療法」は、誰でも簡単にできるというわけではないのですが、水素発生器を使った水素風呂に、朝晩2回、20分温浴するということです。
「民間療法」にしては、簡単すぎるとお叱りを受けそうですが、とりあえずはこれを基軸にしていこうと思います。

ただ効果を確認する時間は40日しかありません。
40日で効果を出さないと、私の場合は、癌の摘出手術なり放射線治療なりをする約束をしていますので、これを補強することも考えたいと思っています。
たとえば、以前から時々飲んでいる梅干・昆布茶です。私は脳の血管が2本ほど切れかかっていて、ともかく水を飲めと脳神経外科の先生から言われていますが、水が苦手なので、以前から在宅時は毎日、マグカップいっぱいの梅干・昆布茶を飲んでいました。これを「アルカリ療法」に復活・追加させました。

「水素温浴療法」は、癌対策には身体を温めることだというので、入浴時間を長くしていましたが、それを知った友人が、私に水素風呂を勧めてくれました。
費用もかかるので、これを対象にすべきかどうか迷ったのですが、40日という限られた期間で成果を上げるためには、と思い、水素風呂を使っている人の強いお勧めもあり、取り入れることにしました。別の友人からは水素ガスも薦められましたが、今回はそこまでは広げないことにしました。
いまのところ、毎日2回の20分水素風呂温浴は続けています。

いまのところこの2つが基軸です。
でもそれ以外にも、友人知人から勧められていることはできるだけ取り入れています。
たとえば、私は毎朝、コーヒーを飲みますが、砂糖を使っていました。それを「オリゴ糖」に替えました。
生活面ではよく寝ることと適度な食事に努めるようにしています。
精神面では(これが大事だと思っていますが)、すべての人を信頼し、人を疑わないようにしています。民間療法ってのは、そもそも「信ずること」が効果を出す決め手ではないかとさえ思っていますので、この2つの療法が必ず効果を出してくれるものと確信しているのです。

さてさて40日で、効果が出るでしょうか。

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■湯島サロン「父を亡くして思うこと」報告

湯島のサロン仲間の林さんが父親を亡くしました。
3年前に病気が発覚、いつか見送る日が来ることを意識しながらの父親との交流、そして介護や病院、葬儀など、慣れないことを立て続けに体験した林さんは、誰かに話すことによって、気持ちを整理したくなったのかもしれません。湯島のサロンで話したいと言ってきました。

話題提供者は、自らの思いを解き放つ(説き話す)ことで前に進んでいく力を強め、参加者はその体験に触れることで避けがちな問題を考える契機にする。そんなサロンを目指しながら、なかなかそうしたサロンができずにいた私には、うれしい申し出でした。

林さんは、まず、父親が貧血により近所の内科を受診したことから話をはじめ、いろいろな経緯を経て、脳梗塞で緊急入院した病院で永眠するまでの経緯を、家族との交流も踏まえながら、淡々と話してくれました。
そしてその後、「家族の病気に関わる、ということ」「病院-医者-医療システムに対する素朴な疑問」「介護、介護システム、病気と死の狭間で思ったこと」「葬儀、見送る作法について思うこと」という4項目について、とても実感的な話をしてくれました。
お墓の話や、葬儀にかかる費用の話なども、話題になりました。
個人的な話なので、そう簡単には紹介できませんが、いずれも心に響き、また共感できる話でした。

参加者のおひとりは、今日は父親の命日なので、父親を偲ぶ思いで参加したと話されました。その人がどういう思いで話を聞いていたかは、知る由もありませんが、私も実は、妻を見送ったときのことや、いま自分が病院に関わっていることなどと重ねながら、話を聞いていました。
父親との関係を考えながら聞いていた参加者もいたでしょう。
いずれにしろ、林さんの思いは、淡々と語られたおかげで、逆に聴く人の心身に静かに入ってきたように思います。

こうした体験で、いろいろなことに気づく人は少なくないはずです。
自分が社会的な仕組みや行政が用意している支援の仕組みをあまりにも知らなかったことに気づく人も少なくありません。
林さんも、問題に直面して動いたら、いろんな仕組みがあることがわかったと言います。行政は一生懸命に伝えようとしていますが、人は自分の問題にならないと、そうしたことが見えてこない。それは私もよく体験することです。でもそれはいかにももったいない。

あるいは、制度は「仕組み」ではなく、そこに関わる人によって、全く違ったものになることに気づく人も多いでしょう。介護も医療も、支援制度も、要はそこに関わっている人によって、違ったものになりかねない。人との関係性の大切さがそこにある。
制度は人によってこそ活きてきますが、一回限りの関わりからは、お互いの体験知を活かせない。それでは制度は生きたものとして成長しにくい。

こうしたことを生々しく体験した人は、その体験を多くの人に知らせたいという思いが浮かんでくるはずです。しかし結局は、そういうことに動き出す気力は出てこずに、いつの間にか忘れてしまう人も多いでしょう。私もそうでした。
とりわけ人の死にまつわる「体験知」は、シェアされないように思います。

私自身がそうだったこともあり、林さんのお話を聞いていて、こういう体験知に自然と触れられ、語り合える場がもっとあっていいと改めて思いました。
しかしそれは同じ立場の人たちのグリーフケアの場ではなく、むしろ未来に向けて体験知を活かしていく場であってほしい。そんな気がします。そんなサロンをまた開きたいです。そしていつか常設の場にしたいとも思います。

林さんのような、体験を話すサロンをできれば定着させていきたいと思います。どなたか、思いを放したいという方がいたら、ご連絡ください。サロンを企画します。
私も今、幸いなことに前立腺がんが見つかり、癌体験をしていますので、いつか、その体験を語らせてもらおうと思っています。

参加者が少なかったのが、とても残念ですが、私にはとても感慨深いサロンでした。

 

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■第2回中国現代文学サロン「桃郡梅さんの『秘密の袋』を読む」のお誘い

いよいよ中国現代文学サロンで、実際の作品を読み合うサロンの始まりです。

最初に取り上げるのは、予告通り、桃郡梅さんの『秘密の袋』です。
作品はすでに関心のある人には掲載されている中国現代文学翻訳会の『中国現代文学』19号を貸し出していますが、まだ読まれていない方は、湯島にありますので、ついでの時にでも借りていって読んでください。
既に読んだ方はついでの時に返却してください。部数に限りがあり、回し読みさせてもらっていますのでよろしくお願いいたします。
また『中国現代文学』19号はネットで購入もできます。

短編ですので、必ず参加される方は読んでおいてください。
なおサロンの当日、希望者がいれば、サロン開始前に湯島に早めについて読むことができるようにしたいと思いますので、希望者は必ず事前にお申し出ください。

案内役は、同作品の翻訳者でもある中国現代文学翻訳会の葉紅(ようこう)さんです。
いまの中国の人たちの暮らしや考え方に触れていければと思います。
中国の現代小説を読んだことのない人ももちろん大歓迎です。私も初めてです。

どんな展開になるか、まだ予想もつきませんが、楽しい会にしたいと思います。
継続的に開催していく予定です。
参加ご希望の方は事前に連絡をください。

〇日時:2023年10月8日(日曜日)午後2時~4時
〇場所:CWSコモンズ村湯島オフィス
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「桃郡梅さんの『秘密の袋』を読む」
〇案内役:葉紅さん(中国現代文学翻訳会会員/駿河台大学教授)
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

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2023/09/20

■民間癌療法体験報告1:これから40日の民間癌療法を始めます

8月はじめに前立腺がんが判明しました。

その後の検査で、まだ骨などへの明らかな転移は認められませんでしたが、あまりいい種類の癌ではないそうで、3か月以内には治療を始めた方がいいと医師から言われました。
1か月ほど、無為に過ごしてしまいましたが、1週間ほど前から、友人知人から教えてもらった民間療法を始めました。
摘出手術をしようと考えていましたが、せっかくの機会なので、民間療法が果たしてがん対策に効果的なものかどうかを試してみたくなりました。

そこで、今日、主治医に相談に行ってきました。
決心がつきましたかというので、1~2か月、手術を延ばして、民間療法を試させてもらえないかと相談しました。
当然ながら医師は反対でしたが、結局、2か月にわたって、医師の了解も得て、民間療法に取り組み、11月初めに、検査をして結果を見ようということになりました。

ただ本当に民間療法で癌が改善されているかどうかは判断が難しいと言われました。
よほどはっきりした状況変化が出れば別ですが、1か月程度ではそれは難しいので、結局、先延ばししているうちにタイミングを失することになるというのが医師の懸念です。

それもよくわかります。
一番の懸念は骨への転移です。それは痛いそうなので避けたい。

でもせっかく、天から与えられた癌体験です。
何かこの機会を活かせないものかと考えます。
それでいい結果が出るかどうかはわかりませんが、ともかくこの1か月、民間療法に精出そうと思います。民間療法に成功した事例は本にもなってたくさん出ていますが、私はそういうのを読んだことがありません。読んでも参考にならないからです。ですから、この私の報告もきっと誰の役にも立たないでしょう。でもなんとなく、報告しておきたい気分なのです。何しろ冷静に考えたら、全く無駄な行為のように思えますので。

まあ、そんなわけで、これから体験報告をしていきます。
いつものように、冗長な報告になると思いますが。
とりえず、いまのところの2本柱は「アルカリ療法」と「水素温浴療法」です。
これから増えていくか、あるいは見直していくかはわかりません。
何しろ私も初体験ですから。

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■節子への挽歌5789:吉凶?

節子

今日、病院から返ってくる途中のことです。
人通りの少ない大通りで、小学1年生らしい女の子が一人、重そうなランドセルを背負って歩いてきました。頑張っているなと思って、遠くから見ていたのですが、近くに来たら、突然、私の顔を見て大きな声で、「こんにちは!」というのです。
あれ!知っている子かなと思ったのですが、知った顔ではありません。
そもそもこの辺りに住んでいる友人はいません。

私も反射的に、大きな声で、「こんにちは!」と返しましたが、つい、ついでに「元気がいいね!」と言ってしまいました。
まあそういうやり取りはありましたが、そのままお互いすれ違いましたが、気になって、すぐ振り向きました。そうしたら彼女もまた、タイミングよく振り向きました。
それでまた「すごいね!」と、私はわけのわからない言葉を発してしまいました。
何がすごいのかわかりませんが、その子のリズミカルな歩き方と元気のいい「こんにちは」が、実に快かったのです。

それでまた、振り向いたら、今度もまた、その子も振り向いています。なんというタイミングのよさか。
そして3回目、かなり離れてから振り向いたら、またもや顔が合い、その子は手までふっている。そして、曲がっていきました。

あの子はいったい誰だったのでしょうか。
ランドセルも含めて、なんとなく緑の雰囲気の女の子でした。

病気で医師と話してちょっと元気をなくしていましたが、それを知って慰めに来てくれたのでしょうか。
あの歩き方は、ちょっと尋常ではなかった気がしないでもありません。

FBで書いたら、読んだ人からそれは「吉凶」だと書き込みがありました。
そう思うのがいいので、そう思うことにしました。
なかには節子だったのではないかという人までいましたが。

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■節子への挽歌5788:医師との相談し手術を少し延ばしました

節子

前立腺がんをどうするかについて、医師と相談しに病院に行きました。
医師は言うまでもなく、できるだけ摘出手術か放射線治療をするように勧めています。
でもせっかくの機会ですので、私としてはいわゆる民間療法も試してみたい。
言葉を選びながらそう相談しましたが、医師はやはり反対で、民間療法の効果はそう簡単には出ないが、どうやってそれを判断するのかと問われました。

たしかにそれも理解できます。
よく癌が消えたなどという報告がありますが、それほどうまくはいかないでしょう。
それに癌かどうかはさほど明確ではない。
私の場合、「明らかな骨や他所への転移は認められなかった」ということですが、それはどうじに「明らかに転移していないとも認められなかった」ということです。いつ、転移するかわからない。

いろいろと話した結果、もし明らかな効果が見られなかったら、11月から標準医療に復するという前提で、医師は私の民間療法への取り組みを認めてくれました。
医師には結果はもうわかっているようで、11月には手術になると思っているようです。
たぶんこれまでの経験知からなのでしょう。
医師はやはり転移を心配しているようです。

医師と話していると、やはり医師に従ったほうがいいかなという思いになりがちです。
ふらふらしている自分が、いささか情けなくなりますが、まあ10月いっぱいは、判断せずに民間療法を体験することにしました。

まあそんなわけで、あんまりすっきりしませんが、10月いっぱいは標準治療的な処置はとらないことにしました。
さてどうなりますことやら。

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2023/09/19

■節子への挽歌5787:節子との思い出のある無用の長物

節子

大学を卒業して会社に入り、最初のボーナスで買ったのが、パイオニアのオーディオセットでした。
オーディオセット自体は壊れてしまいましたが、このスピーカーボックスだけは愛着があり捨てられずにいました。転居の度に迷いながら残してきたのです。
でも転居しなくなってからは、奥にしまわれ忘れてしまっていました。

地下室の整理をしていたジュンがどうするのかと言ってきましたので、廃棄してくれと言ったのですが、廃棄当日になって、また気が変わってしまいました。
ゴミにしない方策はないものか。

もう一つ同じような大きな無用の長物があります。
日本で最初期に商品化された富士通のワープロ「オアシス100」です。
懸賞論文の賞品でもらったものです。これを使って最初に書いた社内レポートは話題になりました。当時はまだ会社にもワープロは入っていませんでした。
これも捨てられずに廊下の隅に長年置かれたままです。
これにも思い出が山のようにあるのです。

いずれも節子との思い出がたくさんあるのです。
さてさてどうするか。
節子が健在であれば、いずれも多分輝きを失わずにいるのでしょうが、いまとなったはまさに「無用の長物」です。

さてさてどうするか。

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■第29回万葉集サロン「改めて万葉集基礎講座」報告

2回目の「万葉集基礎知識」のサロンには10人を超す人が参加しました。

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万葉集基礎講座と言っていますが、教科書的な基礎講座ではありません。
万葉集を「日本最古の歌集」というような「常識的な」捉え方をしてしまうと、升田万葉集サロンの面白さを十分に受け止められないばかりか、そもそも万葉集本来の面白さにもたどり着けないような気がします。

そこで、これまでの升田万葉集サロンの話を踏まえて、全回参加させてもらっている私の視点で、升田さんに問いかけながら、万葉集とは何かを復習的に少し整理しようという試みでした。
欲張りすぎたため、あんまりうまくいったとは思えませんが、万葉集はただの「歌集」ではなく、まさに「万(よろず)の言の葉」を集めたものだということは少し伝えられたかと思います。

「万葉集」に収められているのは「うた」だけではありません。漢詩や漢文、さらに日記、手紙のようなものまであります。歌番号は与えられていませんが、23回目のサロンでも取り上げた「沈痾自哀(ちんあじあい)文」のような長文もある。

問いかけは、「言葉があって歌が生まれたのか、歌があって言葉が生まれたのか」というところから始めさせてもらいました。一般には、言葉があって、歌が生まれたと思いがちですが、実際には、歌や言葉よりも、まずは単純な感動的な叫びのようなものがあったのではないか。そこから考えていかないと、万葉集の魅力も意味も読み取れないのではないか。

神事における神への挨拶と言われる「警蹕(けいひつ)」の叫び、あるいは生活の中で自然と出てくる身体からの(条件反射的な)発声、そこからすべては始まったのではないか。そこから多音節の音声が増えていき、鳥の鳴き声のような「うた」が生まれたのではないか、というのが私の最初の問いかけでした。

升田さんは、その問いかけに、「古事記」や「出雲風土記」の記事を使いながら、話をしてくれました。それ自体も、とても面白い話なのですが、そこに入ってしまうと、基礎講座になりません。無理やり説明を切り上げてもらって、先に進めました。

そうして生まれた音声言語が漢字との出会いで文字化され、記録されるようになった。そして文字言語として、「ことば」も大きく変わっていった。いわゆる「ヤマトことば」の誕生です。
そこで考案されたのが万葉仮名。その万葉仮名で書き留められて整理されて「万葉集」が出来上がったわけです。「万葉集」は漢字の羅列だったのです。

そこで、万葉仮名とは何か、についての解説をしてもらいました。万葉仮名は50音図どころか、970以上もあるそうです。かつては970音もあったというわけではありませんが、同じ「そ」でも少なくとも甲類・乙類と万葉仮名には2種類が確認されていますから。万葉仮名で記録される当時の「ことば」はいま以上にたくさんあったことは間違いない。いまではもう発音できず聞き分けられない音声(ことば)もあったわけです。
サロンに参加されていた中国出身の葉さんは、万葉仮名はすごい発明だと言いましたが、もし万葉仮名がなければ、日本の言葉は全く違ったものになっていたかもしれません。

身体から発する意味を持たないような発声が、みんなにシェアされて、やがてことばとなり、そのことばがつながりだして「うた」になり、そこから「言葉」が生まれ、さらにそれが文字を通して記録されることによって、言葉として完成された。そうした一連の様々な段階のものが、万葉集には集められている。まさに「万の言の葉」辞典ではないかと思います。

「うた」とはなにかの話も少しありました。以前も話題になりましたが、「うた」の語源にはいろいろな説があります。「打ツ」という動詞の名詞形、つまりリズムをとるということに求める説もありますが、「ウタタ」という、心持が湧き上って来て止めどもないという意味を持つ言葉の仲間に語源を求める人もいます。ウタタはウタガヒ(疑)のウタとも語根が同じです。叫びから「うた」が始まったと思う私は、この方が納得できます。「うた」は意識や技法の前に、もっと自然に生まれたに違いないと思いたい。

ではどうして世間で歌われていた「うた」が集められ文字に記録されたのか。
これまでのサロンでも「部領使」「撰善言司」「能く歌ふ男女」といった言葉が出てきていましたが、改めて升田さんは、歌を集める仕組みを簡単に説明してくれました。いずれにしろ、国家がある意図をもって、集めたのです。歌を集めるのは重要な国家事業だったと思います。
私は、そうした動きに、中国を統一したという秦の始皇帝の文字言語政策を思い出してしまうのですが、そこまで発想を飛躍させなくとも、国家による日本列島住民たちをまとめていく上で、「言葉」が大きな役割を果たしたことは否定できません。

というわけで、私自身は、万葉集は日本という「くに」を創り上げていく壮大なプロジェクトの記録という受け止め方をしているのです。文学書でも歴史書でもない。そこには日本国の誕生のプロセスが記録されている。これは完全に私見です。すみません。

サロンでは、さらにそこから「万葉集の概要」「誰がなぜ万葉集を編纂したのか」「万葉集450年の時代区分」「万葉集のその後と和歌の誕生」と続けたかったのですが、時間が不足したため、そこは超特急ですませました。

そして最後に、升田万葉集サロンの大きなテーマである「意識の誕生・物語の誕生」へと話題を進めました。
私がこれまでの升田さんの話を聴いて、簡単にまとめたのが次の文章です。

個人意識のない生命「た」(多)のなかから、「な(汝)」があらわれ、そこから「わ(我)」や「あ(吾)」の感覚が生まれ、そして「た(他)」が意識されるようになり、改めて意識された「わ」がうまれてきた。そして、「多」にむけて「放(はな)す」ための発声が、次第に「他」とともに「象(かたど)る」ことを目指す「語る」へと変わり、そこから物語が生まれ、社会が生まれた。

いささか簡単すぎるまとめですが、サロンが長くなっていたため、升田さんからはとりあえず、これでいいと言われました。このあたりは改めて、一度また、升田さんにゆっくりと話してもらうサロンを企画したいと思います。何しろこれこそが、升田万葉集サロンの核心ですから。

升田さんは、万葉集を、単なる文学書として、あるいは古代史の歴史資料として、だけではなく、そこに「自我の誕生」「物語の誕生」という大きな物語を見つけているのです。
それが私には、「壮大な国家プロジェクト記録」に読めてしまうわけですが。

「万葉の時代は、神々の世界から人間の世界へ、集団から個人へと目ざめていくプロセスをたどるという時期」という、昔読んだ木俣修さんの「万葉集」(NHKブックス)の言葉が私の万葉集理解の出発点なのですが、升田さんの話を聴いて、改めてその言葉を思い出しました。

いつもながらの中途半端な報告ですが、サロンでの質問をリストアップしたレジメを添付します。
ダウンロード - e4b887e89189e99b86e585a5e99680e8ac9be5baa7e3819de381aeefbc92e383ace382b8e383a1.docx

参加者から、今回のような「歌を中心にしない万葉集サロン」も時々やってほしいというリクエストもありました。升田さんが賛成して下さればぜひ実現したいです。

なお、これまでの升田さんの万葉集サロンの報告文を集めた総集編をつくりましたので、ご希望の方は私宛にご連絡いただければデータで送ります。

  次回(1015日)はまたいつものように、歌を読む万葉集サロンです。

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2023/09/18

■節子への挽歌5786:「思いを解き放す(説き話す)場」

節子

我孫子の若い友人、林さんが最近、父親を見送りました。
2年半まではお元気だったのですが、2020年の12月に検査で病気が発見され余命宣告を受け、2年半経過後の今年の7月に永眠されたのです。

林さんからは、余命宣告を受けた父親とはどう接したらいいかなどと相談も受けていましたが、私としては、これまでと同じように、しかしできるだけ一緒にいる時間を増やした方がいい、という程度のことしか言えませんでした。

その林さんから

湯島で父を亡くして思うことを話すサロンをしたいなと思うのですが、可能でしょうか? 病気、病院、葬儀屋への愚痴みたいな話になりそうですが・・・

というメールをもらいました。林さんの気持ちが少しわかるような気がしました。

私も節子を送った後、誰かに話をしたかったのですが、話す場がなかった。たしかに家族を亡くした人の話は、あっけらかんとは聞けないでしょう。
でも話す方は、放すことに意味がありますから、過剰に反応してほしくない。でも、かといって、無関心には聞いてほしくない。
わがままというか、微妙なのです。

残念ながらサロンの参加者は少なかったのですが、こういう「思いを解き放す(説き話す)場」がとても大切だなと思いました。

 

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2023/09/17

■節子への挽歌5785:にことユカとマック

節子

めずらしくにこから、本を買いに行ってもいいという要望がありました。
なにやらほしい本があるのだそうです。
本だけはいつでも無条件に買ってあげると言っていますので、ここは喜んで付き合うことにしました。行きたい本屋さんが、ちょっと遠い、ショッピングモールにあるので、ユカに頼んで車で行くことにしました。

本はもう決まっていました。私の好みではありません。
それで私好みもいくつか推薦しましたが、すべて拒否。
今回はこの1冊でいいのだそうです。どうもにこの本の趣味と私の趣味とは大きく食い違っていますが、こればかりは仕方ありません。

本を買った後、今度はマックに行こうというのです。
にこから言い出すとは、これもうれしい話です。
でもよりによってマックとはと思いましたが、付き合うことにしました。ここでもなにやらお目当てがあるようですが、店頭はかなり行列しています。今日は何かイベントがあったようで、ともかくショッピングモールは大混雑。ユカに任せて、私は近くのフードコートの空席を何とか探して、そこで待つことにしました。
待つこと10分以上、こういう社会は実に私には苦手です。

にこはナゲットセットを頼んだようです。

私にはソフトクリームを買ってきてくれました。
そして私にも、ナゲットとフライドポテトを食べてもいいよと勧めるのです。
ちょっと機嫌がいいので、例の「ぴょんぴょんうさぎ」の画像のFBへのアップを交渉しましたが、やはりダメ。にこは一度決めたらなかなか動かない。

結局、ナゲットは自分はあまり食べず、半分以上を私とユカにくれました。なんで食べないのかと訊いたら、夕食用にお腹を空けておくというのです。マック嫌いの私においしいナゲットを食べさせたかったのでしょうか。いや、そんなやさしい孫ではない。なにしろ写真のアップを許可しないのですから。
ちなみに、ナゲットを一緒に食べている今日の写真も、許可が出ませんでした。面白い写真が取れたのですが。

どうも私はにこには全く信頼されていない。
私の提案はほぼすべて無条件に「ノー」ですから。孫と付き合うのは疲れます。

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■節子への挽歌5784:にこの「ぴょんぴょんうさぎ」が県展に出品されます

節子

にこが夏休みの宿題で作った工作作品「ぴょんぴょんうさぎ」が、県の大会に出品されることになりました。出展前にいま、近くのアビスタで、我孫子市内の「小中学校科学作品展」で展示されているというのです。
家族以外は撮影禁止だというので、にこに案内してもらうことにしました。にこはもう昨日、家族みんなで見に行ったので、行きたくないと渋っていましたが、なんとか説得して、ふたりで見に行きました。

会場の入り口近くににこの作品が展示されていました。でもそこには、作品に触らないでくださいと書かれている。動かしてみなければ、意味が分からない作品も多いのですが、これではせっかくの作品の面白さが伝わらない。
作者でも作品には手を触れられないようですが、作者は写真だけはとってもいいそうです。それでにこと作品の写真を撮りました。しかし、なぜかにこは社員は公開するなというのです。
動かない写真は何も伝わらないからかもしれません。

作品の題名は「ごはんですよ!」です。
ごはんですよという声に、うさぎがぴょんぴょん跳ねるのです。

券の作品展に出す前に、一度、作品が戻ってくるそうです。
その時に動画を撮って、アップしたいと思います。

まあにこが許可すればですが。
なにしろいま、にこは私の要請にはすべて「ノー」ですから、許可が出るとは限りませんが。

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2023/09/16

■節子への挽歌5783:いつになっても本の廃棄ができません

節子

今日は万葉集サロンでした。
偶数月に万葉集サロンはやっているのですが、今回は特別版です。
歌を読むのではなく、万葉集とは何かを話し合うサロンです。
その報告は時評編に書きますが、このサロンのおかげで私の万葉集理解は全く変わりました。そして万葉集に大きな関心を持つようになりました。

そのテーマは「意識の誕生」、あるいは「人と人の関係」です。
講師役の升田さんに示唆されて多くのことを学ばせてもらっていますが、「万の言の葉」ともいうべき万葉集は、私がもう20歳若かったらかなりはまったかもしれません。
これまではどちらかと言えば、古代史的な視点からの関心でしたが、日本人の意識という視点からとらえると、そこに壮大なプロジェクトを感じます。

考えていくとわくわくしてしまう。
それで今日はいささか独りよがりの進め方をしてしまいました。
でも世界が見えてくると(たとえそれが誤解であろうとも)、どんどんと見えてきてしまう。
でも誰かにそれを伝えることはほとんどできない。
だから逆にまた自分の世界に浸ってしまう。
研究者とは、もしかしたらみんなそうなのかもしれません。

廃棄予定の段ボールから、むかし読んだ万葉集や日本語の本を引っ張り出してまた拾い読みをし始めていますが、新しい気づきがどんどん出てくる。
廃棄せずに残していてよかったですが、こういう体験をするとまた本が廃棄できなくなりそうです。
いつになっても、身辺の整理は着手できません。
困ったものです

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2023/09/15

■癌診断を受けての体験と私見10:癌はやはり人騒がせな病気です

実は昨日、民間癌療法をテーマにしたサロンを開催することを思いつき、案内を出しました。
すぐに3人の人から真面目な参加申し込みがありました。私の趣旨を多分すぐ理解してくれたのでしょう。
ビジネス関係はお断りと書いたのですが、そういう関係者からも申し込みがあり、サロンの前に私に特別に無料で施術してもいいと言ってきてくれました。
お気持ちはありがたいのですが(悪意は皆無なのは確実です)、特別に、とか、お代はいらないとかいう発想は私にはまったく向いていません。そういう発想は基本的に生理的にノーなのです。その方の好意は辞退させてもらいましたが、たぶん私の思いは伝わっていないでしょう。

もうひとり、ともかく私に手術をさせたくないと言って、会いに来てくれた人がいます。それもこれを1~2か月試みて癌が消えたら手術をしないで済むでしょうと高価な装置まで持参し、ともかく使ってみてほしいというのです。これだけ聞くとなにやら悪徳商法の売り込みのような気がしますが、その人はそういう人ではないのです。
まあ長く人生を続けていると、そういう区別はつけられるのです。時々、いやしばしば間違えることもありますが、まあ人間ですから。。
彼女はずっとそれを自分で使用し、癌ではないですが、いろんな意味での免疫が向上したので、その効果には確信を持っているのです。そしてともかく私の免疫を高め、手術の魔手から守ってやろうというわけです。
彼女は抗癌治療に踏み出せば、元に戻れなくなると、自分の両親などの体験から確信しているのです。だからともかく抗癌治療の開始の先延ばしを勧めてくれるのです。その熱意にほだされたというか、結局、試すことにしました。

一方では、民間癌療法のサロンをやること自体に対しての非難も続いています。
さすがに私もムッとして、「御説はわかっていますので、もうあまり人に考えを押し付けるのを止めませんか」とコメントを返しましたが、ある意味では、費用まで負担して私にある処方を経験させようとしている人と私を非難し続ける人とは、同じなのです。
自分には何の得にもならないのに、そこまでコミットしてきてくれているのだからです。
人との関わりは、本当に不思議です。

癌は、いろんなことの気づかせてくれます。
癌と風邪とどこが違うのか、などと軽く考えたいと思っていましたが、それは難しい。
自分がどう考えていようと、癌というとやはりみんな身構えてしまう。
そして「自説」を強く押し出してくる。

今日は手術はやめようかなと思いだしているのですが、そんなことを兄に伝えたら、また大喧嘩になりかねない。
いやはや、癌はやはり人騒がせな病気なのです。
でもあんまり特別視するのはやめました。
「癌診断を受けての体験と私見」などともったいぶって、何かを書くのはやめることにします。
しばらくは「体内の癌」をなくす努力をしてみようと思います。
「思いやりネットワーク」という「菌根菌ネットワーク」動物版を確信しながら。

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■節子への挽歌5782:水素風呂

節子

節子がいなくなってから、また地元の我孫子での活動を少し始めだしました。
背中を押してくれたのが、音楽で我孫子を元気にしたいと活動してる宮内さんです。
宮内さんと一緒に、緩やかなグループを立ち上げました。
その最初の集まりは自宅でやったのですが、そこに参加した鈴木さんからこんなことから始まる長いメールが来ました。

私にとって佐藤さんは、お父さんのような存在です(勝手にすみません🙇)。

その次に書かれていたのは、自分が愛用している水素風呂をぜひ試してほしい。そして癌が小さくなって手術をしないで済むようにしてほしい。手術をしたらもう元には戻れませんから。
ともかくセットを持っていくので、早く始めてほしい。効果が出てこないと手術を止められない。

いかにも鈴木さんらしい。
結局、近くのサイゼリアで会いました。
あった途端に手術したら元に戻れないと繰り返すのです。
身内の体験からの話でしょう。
鈴木さんは看護師なので、それがよくわかるのでしょう。
話しているうちに、彼女の言うことに大きく影響されてしまいました。
結局、セットを2か月無料でレンタルさせてもらい体験することになりました。

ちょうど、水素風呂とは全く別の「温浴療法」の勧めで、4日前から12回、20分の入浴を始めていたのです。
それもあって鈴木さんは勧めてきてくれたのですが。

というわけで、明日から毎日、朝晩2回の水素風呂20分入浴を始めます。
何が起こるでしょうか。

鈴木さんに、これで骨への転移が始まったらどうしてくれるのかと訊いたら、それは佐藤さんが転移を望んでいたということです、というのです。
なるほど、それは一理ある。奇妙に納得してしまいました。

さて私の癌体験は新しい局面に入りました。

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■湯島サロン「コロナを取り巻く生きづらさ~ソーシャルキャピタルを考える」報告

「コロナを取り巻く生きづらさ」をテーマにした福山さんのサロンには、いろいろと生きづらさを感じている方や、逆にその中で生きやすさを見つけた方が参加されました。その対照が、私にはとても示唆に富むものでした。

福山さんは、看護師として病院で臨床に立ったこともあり、また大学で教育に、学会で研究に、さらには社会活動として実践の場に立つという、実に多面的な活動をされてきた方です。持ち前の明るさで、周囲を和ませる名人でもあります。湯島とのつながりは、福山さんの最近の活動分野でもある自殺対策支援センター・ライフリンクの活動から始まっています。

それもあって、今回も、話はCOVID-19の流行状況と自殺の推移から始まりました。
つづいて、CBRNE災害(化学・生物・放射性物質・核・爆発物によって発生した災害)が私たちの健康や行動、そして社会や経済にどんな影響を与えているか、を背景に、COVID-19が私たちの暮らしをメンタルヘルスにどう影響を与えてきたかを、ていねいに解説。そしてそうした状況のなかで、実際の現場でいろいろな活動に取り組んできた体験から、考えたこと・感じたことを話してくれました。

それをきちんとお伝えするのは難しいので、出てきたキーワードを紹介して、福山さんからのメッセージを感じてもらえればと思います。

コロナ禍で多くの人は「自粛生活」を余儀なくされましたが、それがさまざまな問題を引き起こしていることを、児童虐待や女性の産後うつなどを例にとって話してくれました。

自粛生活は、ある意味では家族のつながりを強めることにもなるわけですが、内向きのつながりが強まると、つながりのマイナス面が顕在化してくるという面もあります。そもそも「自粛」を要請されること自体が、生きづらさそのものですが、そうしたことがこれまで隠されていた「生きづらさ」を顕在化させてきた一面はあるでしょう。そしてさらにはそれが「生きづらさ」を爆発させる契機にもなった。

参加者のひとりも指摘していましたが、コロナ禍は多くの人が気づいていなかった「生きづらさ」を気づかせてくれたのかもしれません。気づいてよかった面もあれば、悪かった面もある。いずれにしろ、それを隠すのではなく、解決の方向に向けていくことが大切です。できれば、災い転じて福となす、へと持っていくことです。

「所属感」の大切さにも触れられました。
個人がどんどんバラバラの存在になってきて、かつてのような所属感がもたらす安心感や人とのつながりが弱まっている。そして逆に、自己責任が問われだしている。多くのことを自分で解決しなければいけない。それが生きづらさや自殺のリスクを高めている。かつての「絆」とはちがう、もっとゆるやかな「所属感」がもてるような人のつながりを、福山さんは大事にしたいと言います。
こうしたことはいずれも「ソーシャルキャピタル」につながっています。

実践者の福山さんは、そこで「地域力」をキーワードとして出しました。
「地域力」と言っても、地域の経済力とか観光集客力とか、そんな話ではありません。福山さんが言う「地域力」は、人と人との温かなつながりと支え合う関係のゆたかさです。それが福山さんの言うソーシャルキャピタルのポイントです。みんなが生きやすい地域社会を育てていくのは、そこに住んでいる地域住民です。そうした地域力こそが大事だというのです。
そうしたことにうまく取り組んでいる、たとえば徳島県海部町では、コロナ禍においても着実に自殺者数を減らしていると言います。

それに加えて、福山さんは「レジリエンス」という言葉を出しました。
福山さんが言うレジリエンスは「しなやかな回復力」のようです。
人生はいろいろあります。時に苦境に陥ることもある。そういう時に、周りから立ち直るエネルギーをもらえるような、ソーシャルキャピタルの豊かな地域社会では、個人のレジリエンスも地域社会のレジリエンスも高くなるというのです。

こういうキーワードをつなげていくと、福山さんが考える「生きづらさ」を「生きやすさ」に変えていく方策が見えてくるような気がします。

社会が生きづらければ、生きやすい社会に変えていけばいい。これが私の知っている福山さんの姿勢だったと思っていましたが、今回のコロナ騒動の衝撃はどうもかなり大きく、さすがの福山さんも、そう簡単には「生きづらさ」の解消にはならないと思っているようです。いまなお問題が山積みなのが現実です。

目先の問題にも、しっかりと向き合わなければいけない。
ご自分の実際の活動体験から、自殺念慮が想定される場合の対応策、といった具体的な話もしてくださいました。
たとえば、「TALKの原則」。
「誠実な態度で話しかける(Tell)」「自殺についてはっきりと尋ねる(Ask)」「相手の訴えを傾聴する(Listen)」「安全を確保する(Keep safe)」の実際の対応の仕方なども、質問に応じながら、わかりやすく話してくれました。

ほんの一部だけの紹介ですが、こうした話をお聞きした後、話し合いが始まりました。
参加していた「よりあい*ええげえし」の須田さん(前にサロンで話してくれました)が、コロナ禍のおかげで集まりにくくなったが、逆にそれを克服するためにみんなで勉強して、オンラインでのつながりの場をつくり、おかげでむしろ交流が深まったという体験を紹介してくれました。

高齢者の場合、オンラインでつながることの意味はとても大きいです。前々から言われていたことですが、そうは言ってもなかなか取り組めなかったのが、コロナ禍のおかげで、取り組まざるを得なくなり、動きが加速されたのだそうです。
ところが、それによって、コロナ禍以前よりも、交流の機会が増えたというのです。
高齢者である私も、そのメリットはよくわかります。
コロナは、悪いことばかり引き起こしたわけではないようです。

でも待てよ、とも思います。
たしかにオンラインで人のつながりの選択肢は増え、利便性も高まった。
でもそれで何か失われるものはないのだろうか。
そんな話し合いがひとしきりありました。

オンラインの世界の広がりは、私たちの生きやすさを応援してくれるはずです。
オンラインの居場所が生まれたおかげで、多くの人が新しい居場所探しを見つけたはずです。それに、オンラインつながりは、歳も障害も、距離も時間も、大きな制約にはならない。個人をエンパワーしてくれる要素もある。

でも、人と人の直接の触れ合いやオフラインの集まりも大事です。
利便性だけではなく、苦労しながらソーシャルキャピタルを育てていくことも大切ではないかと思います。

こんな話の展開の合間に、個人的な話も飛び出し、制度の話も話題になりました。
そうした話を聴いていて、ふと、私は思いました。
本当に「生きづらくなっているのだろうか」。むしろ、生きづらくなったという言葉に呪縛されて、私たちは勝手に生きづらさを創り出しているのではないだろうか。
生きづらさも生きやすさもある時代になってきたと捉えるのがいいかもしれません。

コロナ前から、生きづらさを実感してきている原川さんが、いずれにしろ、生きづらい社会にならないように、自分のできることから生きやすさを求めるのがいいという話をしてくれました。大切なのは、私たち一人ひとりの生き方なのです。
サロン終了後、参加していた鈴木さんからハガキが届きました。

前に新聞で、「コロナの3年間で個人の孤立化と人間関係の断絶が起きた。それに対する特効薬はない。ネット上のバーチャルな関係ではなく、身近な人とのつながりを再構築するしかない」とある人が書いていましたが、一人一人がそれを生活の場で実践するのが大事、という当たり前のことをサロンで改めて感じました、と書いてきました。
仮に生きづらさがあるとしても、人とのつながりを大切にすることはできるはずです。

ちなみに、サロンの最後に福山さんは、これまでの人生で、自分と縁のあった人たちの写真を並べて見せてくれました。だれにもそういう人が少なからずいるはずです。
そういう写真を並べて、時々、見るだけでも、もしかしたら「生きづらさ」感から解放されるかもしれません。
そんなことを思わせてくれたサロンでした。

Fukuyama20230910000

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■時代の劣化をつくづく感じます

昨日は、体調がもう一つだったので、約束をキャンセルさせてもらって、自宅で過ごしていました。
体調はだいぶ良くなってきてはいましたが、思考力や気力が出てこないのです。
それで、ついつい録画していた西部劇を3本も続けて、というか並行してというか、時に早送りして、3本も見てしまいました。
学生の頃は、映画館でも3本建てなどというのがあって、通っていましたが、3本の映画を続けて観るのは久しぶりです。

問題はその3本の映画です。なぜ3本を一緒に観たか。
その3本は次の作品です。
「誇り高き男」「リオ・ブラボー」「エル・ドラド」。

西部劇が好きな方ならすぐわかるでしょうが、3本とも同じ筋書きの作品です。
いずれも何回も見ているのですが、あきません。
高校・大学生時代は西部劇が好きだったのです。

最初に西部劇を見たのは、小学校6年の時でした。
作品は「ブラボー砦の脱出」が最初で、次が「シェーン」でした。
それ以後は何を見たか覚えていませんが、その2作品ですっかり西部劇ファンになってしまったのです。しかし、マカロニウェスタンが出てきてからは、映画館で西部劇を見ることはなくなりました。私の好みではなくなったからです。

昨日は久しぶりに、若いころに戻って、西部劇に浸ってしまっていました。
あの頃は、いまよりもずっといい時代でした。映画にそれがはっきりと表れています。
映画は、まさに制作時の社会状況が映し出されています。

最近の映画もテレビドラマも好きになれません。面白くはあるのですが。
私にはとても乱れてしまった時代に思えてなりません。観ていると、気持ちがすさんでくるような気がするのです。そしてそれを面白がる自分に気づくと、なんだか古い映画を観たくなる。
昔の映画は何と穏やかだったでしょうか。犯罪や悪人にも文化がありました。

1960年代までの西部劇は、基本的には勧善懲悪でした。
だから私は好きなのです。

 

https://moviewalker.jp/mv9604/

https://eiga.com/movie/6042/

https://www.youtube.com/watch?v=rRvhjEqPA0g

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2023/09/14

■節子への挽歌5781:お代はいりません

節子

民間癌量を話題にするサロンを呼びかけました。
早速に3人の方から参加申し込みがありました。
サロンの趣旨をしっかりと理解してくれている方たちです。

でも併せて、ちょっと勘違いしている方からの申し込みもありました。
その方も長年、癌療法も含めて、いろいろな試みに取り組んでいる方であり、今回、私の前立腺がんを心配してくださっている方です。
でもちょっと違うのです。

というのは、こう書いてきたからです。
「サロンの前に私に施術をさせてほしい、お代はいらない」。

繰り返しますが、彼女は純粋に私の癌を治したいと思っているのです。
でも私の発想とは真逆なのです。
私は自分だけが特別の施術を受けるという発想には嫌悪感があります。
よくいい医師を選べという人がいます。私も医師によって結果は全く違ってくることを実感していますので、その考えには賛成ですが、だからと言って自分だけが特別扱いされることは受け入れられません。みんな平等に運不運を分かち持つというのが私の理想ですから。

さらに「お代はいらない」というのも、私の発想ではありません。そもそもお代はいらないのが、当然で、もし私が被験体になるのであれば、私がいうべき言葉だからです。
それにそもそも「お代」などという発想があるアドバイスは、私には不要です。

また、「そんなものがあればガンはもっと減っているはずです。最低でもサイエンスに基づく検証が必要です」と繰り返し、こうした試みを非難してくる人もいます。
繰り返し攻撃されるといささかムッとします。

しかし、お代はいらないから施術したいという方も民間癌療法などインチキ療法だからかかわるな、というおふたりとも、私のことを思ってのことなのです。
正直、私にはいずれも不快ですが、ふたりの善意はよくわかります。
何の得にもならないのに、繰り返しコミットしてきてくれるのですから。

なぜ人は、こんなに親切なのか。
ムッとしたあり、反発したりする前に、感謝しなければならないのかもしれません。

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■緊急湯島サロン「民間癌療法を話し合うサロン」のご案内

今回は、きわめて個人的な動機からのサロンのお誘いです。
勝手なことですみません。

湯島サロンの常連で、癌で亡くなった方が何人かいます。
癌を克服した人も何人かいます。いま癌と共にある人もいます。

実は私も最近、前立腺癌だと言われました。
それを話したらいろんな人がいろんな療法を教えてきてくれました。
いわゆる民間療法で癌が消えたという話もありました。
なかには癌予防策もありました。

私は幸いに医師から23か月以内に治療を始めたらいいと(たぶん)言われています。そこで実際にいろいろと巷で言われている民間療法を試してみようと思いつきました。医師にもその旨伝え、手術はぎりぎり先延ばししてもらおうと思っています。こういう形で、自分が被験の場を提供できることにようやく気づいたのです。このひと月、無為に過ごしたことが悔やまれますが、全く無為だったわけでもありません。
しかしこれからは「意図」をもって、被験者になろうと思いました。

同時にいろいろなことを試してしまうと、わけがわからなくなるかもしれませんが、まあ民間療法を集めてみるのも誰かの役に立つかもしれません。
予防策にはなるかもしれません。

というわけで、癌治療のための民間療法を話し合うサロンをやることにしました。
私が実際に実行するためには、できるだけ早くと思い、急な開催になりますが、参加できない人はメールででもお知らせいただければ、集約して報告するようにします。
あんまり面倒でなく、あんまり費用がかからないものは、私が実際に試してみようと思います。結果ももちろん報告します。

私は17年前に妻を癌で見送りました。
その時もいろいろと調べてそのいくつかを試みましたが、いずれも(たぶん)成功しませんでした。その後、そうした情報をさらに集めて紹介していこうと思ったのですが、妻を見送った後、気力が失せて、集めた資料もすべて廃棄してしまいました。

被験体としてはいささか高齢すぎて適切ではないかもしれませんが、逆に失敗しても困る人はそう多くはないでしょう。
主治医が、こういうことに理解をしてくれる人かどうか心配ですが、来週、相談に行ってこようと思っています。主治医から拒否されても、サロンだけでもやって、誰かに予防策として引き継いでもらえればと思っています。

民間療法に否定的な方や民間療法をビジネスにしたい方は、できればご遠慮ください。楽しいサロンにしたいと思っていますので。
「楽しい時間を過ごすこと」こそが、最高の民間医療だと思っていますので。

〇日時:2023年9月23日(土曜日/秋分の日)午後2時~4時

〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「民間癌療法を話し合う」
〇会費:500円
〇参加申込先:qzy00757@nifty.com(佐藤)

 

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■癌診断を受けての体験と私見9:養生による免疫力の向上

私の前立腺がんの発見は8月7日ですので、もうそれから1月以上経過しています。
考えてみると、その間、いろいろと検査はやりましたが、治療は一切やっていません。
病気がわかっているのに、すぐには何の処置もしない。
それが癌治療の特色の一つかもしれません。
簡単に癌に効く薬などはないのでしょう。

癌だとわかったのだから、すぐに治療を始めるべきだという人がいます。たしかにそうですが、癌治療には副作用的な問題もありますから、そう簡単ではないのでしょう。
でも考えてみると、癌は何かと不思議な病気です。

そういえば、私の妻が胃がんになった時もそうでした。
手術をできるだけ早くしようということでしたが、それまでの間は特に何の対策もなかった気がします。
ただその時も、いろんな人がいろんなアドバイスを下さいました。
自分でできる「民間療法」にどうしても関心が行く。

いま思い出しても、いろんなことがありました。
正直、私はただおろおろするだけでした。その時に一番落ち着いていたのは妻でした。
いまとなって、あのときの妻の思いがようやく理解できました。

この間、私は全く治療していなかったわけではありません。
癌が判明してから、睡眠を十分にとるようにしています。
お風呂にゆったりと入り、疲れを残さないようにするのも、その一つです。
それが癌対策?と言われそうですが、私の病気治療の基本はいつもそこからです。

さらに詳しく状況が分かった時点からは、友人知人が勧めてくれた民間療法を採用しています。そんなのはインチキで即やめろというコメントもありましたが、人の親切をしっかりと受け入れるのも、私の養生策の一つなのです。
しかし、基本は、「心安らかにして、よく寝て(休んで)、きちんと食べて、楽しく暮らす」ことが私の養生策です。

病気を治すのは医師ではなく、自分です。
生命にはそれだけのパワーがある。もし治らなかったら、それもまた生命にとっての健全なあり方なのでしょう。そう思えば、おろおろする必要などない。

ただ、普段、いい加減に生きている私のような人間には、別の意味での「おろおろさ」は生まれることはある。きちんと生きていれば、おろおろすることなどないのです。
その意味で、病気は生き方を質してくれるいい機会なのです。

今回、改めてそのことを思い出させてくれたのです。
長くなったので、今回はここまで。

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2023/09/13

■ジャニーズ問題への私見

連日、ジャニーズ問題がテレビをにぎわしています。
私には、解決に向けて何も動き出しておらず、またいつものように、マスコミが新しい金儲け素材として取り上げているようにしか思えません。
ですからこの関係の報道には辟易しています。

そもそも問題は簡単で、当たり前の当然の話を、もったいぶって解説しているような話ではない。統一教会の話題と同じように思えてなりません。
もっと取り上げてほしい材料はたくさんある。
あまりに乱暴で粗雑な語り方ですみませんが。

そもそも問題の会社の社名存続に、会社側の姿勢は明確に出ています。
問題を全く恥じていないのです。悪いと思っていない。
名前は体を表す重要な存在です。それを存続させるということは、これまでも同じ理念で行くということです。体質はたぶん全く変わらないでしょう。新社長の東山さんは、なぜ自分の考えを通せなかったのか。要するに彼は変わっていないのです。悪い意味での忖度しているだけの話でしょう。
私には東山さんは、もう同罪の加害者側に加担した存在にしか見えません。鬼畜に加担したらダメでしょう。鬼畜に見えてしまっても仕方がない。
そもそもここまでずっと放置してきたジャニーズ関係者は、みんな同罪でしょう。
ビッグモーターの社員と、どこが違うのか。

おかしな組織は、経営者だけで成り立っているわけではありません。
社員がみんなで作っているのが会社です。
いまだに社員の中から、なぜ経営者への異議申し立てが起きないのか、そこにも問題の本質を感じます。ジャニーズ所属のタレントは、全員、加害者です。ジャニーズの恩恵を受けてきているのですから。
そもそも自分が所属している組織がどんな組織なのかに無関心でその恩恵を受けていること自体が、私にはありえない話です。

人は間違いを犯します。
でも間違いに気づいたらしっかりと向き合って、自らを正さないといけない。
私には、事態は解決ではなく、さらなる悪化に向かっての次のステップへと進んでいるようにしか見えないのです。

 

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■節子への挽歌5780:民間癌療法サロン

節子

民間癌療法をテーマにしたサロンを思いつきました。
すでに私の前立腺がんのおかげで、いろんな人が教えてきてくれていますが、こういうことを気楽に話し合える場があってもいいなと思いついたのです。

節子もいろいろとチャレンジしました。
でもいずれも節子を救ってはくれませんでした。
いまから思えば、私がしっかりと考えていなかったからです。
冷静に考えれば、節子を救えなかったのは、私のせいでしょう。
このころ、いろいろと悔いばかり出てきます。

節子を見送った後、当時集めた民間療法を整理してネットで発表し、さらに集めていくシステムをつくりたいと思いながら、全くその気力が出なくなって、結局、当時集めた資料も廃棄してしまいました。
しばらくは「癌」という文字を見ただけで、目をそむけたくなるような状況になってしまっていました。いまから考えれば、異常としか言えません。

今回、ようやく、自分が癌に見舞われるという幸運を得ました。
何かできることはないか。
そこで思いついた一つが、民間癌療法を楽しく語り合うサロンです。

一回だけのサロンではありません。
月に1回、癌患者が集まって、楽しく話し合う場です。
セルフヘルプグループではありません。
もっと明るく、前向きな集まりです。
基本ができたら、リモートがあってもいいです。

そんな構想を当日提案しようと思います。
気づくのが遅かったのが悔やまれますが。

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■癌診断を受けての体験と私見8:ガイドラインから外れた療法実験

私が前立腺癌だと知って、ある人が「前立腺癌診療ガイドライン」を送ってきてくれました。300ページ近い大部のものです。
もちろん私が読んでもわかるはずもない。私は、どうも資料集めが好きだと思われているようですが、実は文書を読むのがいたって苦手なのです。
本はよく読みますが、その読み方は、自分の興味のある部分を拾い読みするタイプなのです。ですから600ページの本も2日で読み終えられるのですが、それを果たして読んだと言えるかどうかは疑問です。
もちろん精読する本もありますが、それはよほど興味をひかれた場合です。

それはともかく、私は「ガイドライン医療」がどうも好きになれないのです。
でも医療訴訟が増えている状況では、医師側は自衛のためにどうしてもガイドラインに従わざるを得ないのでしょう。

数年前に友人が胃がんになり、セカンドオピニオンを聞きに行くことになりました。私にも同行してほしいというので同行しましたが、その時の「セカンドオピニオン」はほぼすべてガイドラインに従っていた気がします。
それではセカンドオピニオンの意味がないと思いました。

数年前に、知人が「医療制度改革の比較政治」(春風社)という本を出版しました。
http://cws.c.ooco.jp/books.htm#170618
それを読んで、近代医療の行く末を見てしまった感じでした。

以来、医師との付き合いは、すべてその医師の人間性だけを信ずるようにしています。
そしてそれは、いわゆる無駄話や話し方、あるいは態度から感じています。
言い換えれば医師の専門的な言葉は、あまり私は聞いていないのです。
むしろ横にいる看護師にはいろいろと訊きたいことがありますが、残念ながら今の日本の医療制度ではそれは難しい。

今回、いろんな人が「民間医療」と言われる対策をいろいろとアドバイスしてきてくれました。
そもそも近代西欧医療は、そうした民間療法からアイデアやヒントを得てきていますが、それゆえにこそ、今では民間療法を貶めるような姿勢を強めています。

もちろん民間医療にも、怪しいものが少なくありません。
なかには近代医療に真似て収益事業化しているものも多いような気がします。
しかし、私は常に体験の中にこそ真実があるという考えですので、民間療法を高く評価しています。だからと言って、それに無条件に従うわけではありません。なぜなら、病気とは各人各様の現れ方をするからです。友人には効果があったとしても、私には逆効果かもしれません。
でも、試してみないとわかりません。それに人生には危険はつきものです。ですから、どんな提案も、よほどのことがなければ私は一度はトライしようという生き方をしているのです。

今回はちょうどいい機会です。
私は今、癌を抱えていますが、医師からはこれからどういう治療をするか、今月中に決めてくださいと言われているのです。余裕時間がある。
そこでいろいろと試してみて、癌がどうなっているかを確認できる期間をもらったということです。
手術はできるだけ先延ばし、その実験に取り組もうかと思いついたのです。

それでいま重曹水を飲み、1日3回、ゆっくりとお風呂に入りだしたのです。
ほかにもいろいろとあるでしょう。
お勧めのメニューがあったら教えてください。
でもあんまり面倒なのと費用が掛かるのは、私にはできませんが。

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2023/09/12

■節子への挽歌5779:心身不調

節子

腹痛はほぼ収まりましたが、心身不調に陥りました。
ともかくすっきりしない。
前立腺がんのことが気になるということは、皆無なのですが、どうも疲労感がどっと出てきた気がします。
一番気になるのは、のどの不調です。
のどがともかくすっきりしない。

というわけで、先日買った長椅子に1日座りっぱなしです。
私は怠惰になると全く動けなくなってしまいます。
こうした状況が続くと人は鬱になってしまうのでしょうか。

信頼できる伴侶がいたら、こういうことには絶対ならないのですが。
一人で生きるのはやはり大変です。

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■癌診断を受けての体験と私見7:性格の悪い私の隠された感想

古代ギリシアの哲学者のタレスは、人間にとって難しいことは何かと問われて「自己自身を知ること」だと答えたそうです。そして、では容易なことは、という問いに対しては、「他人に忠告すること」だと言ったそうです。
とてもよくわかりますが、私は「自己自身を知ること」も、そう難しいとは思っていません。自分が「他人に忠告すること」の中に、自己自身が含意されているからです。忠告だけではなく、「他人を批判すること」も、そこに含めてもいいでしょう。

いずれにしろ、自己自身を知ることも容易です。自分が他人に忠告したり、他人を批判したりしていることは、自分を語っていることなのです。
ということは、誰かが私に忠告したり批判したりしている内容は、その人を知るうえで最高の材料というわけです。

いささかとげのある話から書きだしましたが、今回の癌診断に関する私の書き込みへのコメントは、改めてそれを確信させてもらいました。
同時に、そうしたコメントに対する私の返信にもまた、私の本性を読み取れるはずです。

とはいうものの、私はどんな場合も、ある人がしてくれた「忠告」は基本的には無視しないようにしています。
生理的に受け入れられないようなこともありますが、でもみんな、善意で忠告してくれていますので、無視はできません。
どんな忠告も、とりあえずはできる範囲で試してみます。

今日は、おふたりからお薦めのあった、温浴療法にチャレンジ、朝風呂に20分、夕風呂に20分入りました。寝る前にまた入ります。
まあ、できれば3日は続けます。
それが私のルールなのです。

それにしても、人はどうしてこうも親切なのでしょうか。
忙しいはずなのに、私のいろいろと忠告してきてくれるのです。
つまり、やはりひとはみんな性善なのです。
誰かに忠告したいのです。
ちなみに「批判」も、ある意味での「忠告」です。

今週、エーリッヒ・ノイマンの「意識の起源史」を読んでいました。
その分厚い本の本論は「ウロボロスとは原初を宇宙論的・人類史的・系統発生的にシンボル化したものである」という見出しから始まります。
忠告し合うのは、植物の菌根菌ネットワークと同じ忠告ネットワークの現れなのかもしれません。

今日も1日、休んでいました。
もう大丈夫でしょう。明日からもう少しまともな体験報告を書きます。

 

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2023/09/11

■節子への挽歌5778:またまた腹痛

節子

朝からお腹がどうも痛くて苦しい。
昨年秋に病院に検査に行ったらそのまま入院になってしまった時と似た状況です。
また病院に行くと大変なので、様子を見ていたのですが、だんだんひどくなってきて、冷や汗まで出てくる。思考力は失われ、気力も出てこない。

ユカに、「もしかしたら毒を盛ったのか?」と訊いたら、いつものように「はいはい」といなされました。まあ冷静に考えれば、今のところまださほど介護迷惑はかけていませんし、遺産も私の葬式代も足りない程度なので、私に毒を持っても、なんの意味もない。

となると、心当たりは、数日前から飲みだした「重曹水」。
でもそんなことを書いたら、またFB上での論争がヒートアップしかねない。
いや、風邪かもしれないし、コロナかもしれない。
いや熱中症かもしれない、などと詮索しているうちに、ようやく夕方になって、収まってきました。もう大丈夫でしょう。
昨日のサロンで、福山さんが「レジリアンス」という言葉を使っていましたが、私にもまだ残っているようです。

しかし、最近は心身がかなり不調を起こしやすくなってきてしまいました。
まあ、これが「健全な老人」のあり方なのでしょうが。

 

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2023/09/10

■癌診断を受けての体験と私見6:やはり人はみんな性善です

検査結果が出たので、FBで予告しておいた通り、これまでのFBへのコメントをすべて読み直し、必要を感じたものには返信しました。
また新たなメールも届きだしたので、それにも即返信するようにしました。
これが意外と大変でした。

FBのコメントにコメントを返すのはそう簡単なことではありません。
それにだいたいにおいて、コメントする人は、私の記事(今回に限ったことではありません)」をほとんどきちんとは読んでいません。それは私自身がそうですから、よくわかります。書いた人の思いをきちんと読み取ることは、難しい。私の体験では、ほとんど無理なのです。だから私は、直接会ってでない限り、議論はあまりしたくないのです。

でもご多用のなか、わざわざ私の「出来事」に関心を持って、アドバイスしてきてくれるという心遣いには、たとえ「ムッとする」ようなコメントであっても感謝します。時に、あんまりムッとしすぎて、感謝の念を忘れてしまうことがないとは言えませんが。
しかし、ほとんどのコメントが、繰り返し読めば、そこにコメントした人の愛(思いやり)が感じられるのです。

なかには、ただ「いいね」を押しただけの人もいますが、普段は決して押すことのないだろう人が、押してくれているのに気づくと、それだけでなんだかとてもうれしい気がします。
そういう「意外な人」の「いいね」にも、今回、いくつか気づきました。

ただ余計なことをまた追加すれば、必ずコメントしてくれる人のコメントがないため、不安に陥っていることもあるのですが。何事もなければいいのですが、いまはまだ確認する勇気がありません。

というわけで、今回また改めて、人はすべて性善だという私の考えの正しさを確信した次第です。
話は全く違いますが、そういう思い(性善説への確信)で世界を見ると、殺伐とした昨今の事件も違って見えてくるのです。

前立腺がんとは関係ない話になってしまいました。
でも改めてそんなことを体験させてもらったのも、前立腺癌騒動のおかげです。
夕方、もう一度、コメントに関する私見を書きます。ちょっとコメントした方の気分を害する内容になるかもしれませんが。

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■第25回益田サロン「心と言葉と時間 パート2」報告

益田サロンは新しいステップに入りました。一度、これまでのサロンでの議論を整理する必要があるかもしれません。これまでのサロン報告を一度、集約して、ご希望の方に送るようにしますので、希望者はご連絡ください。

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今回は冒頭、新しい「環境-生物」モデル図が出されました。
これまでは、同心円モデルに基づき、環境(のようなもの)が次々と生物(のようなもの)を生み出していき、それが重層的に積み重ねられる。そして、「本来の関係」を超えた関わり方が、時に、たとえば身体に病気を起こしたり、自然環境破壊を起こしたりしてしまうという話でした。つまり、空間的なイメージを基にした同心円モデルが、話の基本になっていました。

しかし、今回提出された新しいモデル図は、有名なミンコフスキー空間のような、円錐形の上にさかさまな円錐形が乗るというようなものでした。

これまでの同心円モデルは、下の円錐として立体化され、頂点に向かって、「生物のようなもの(たとえば「欲」)」を生み出してきた結果、頂点での相転移が創発され、新たなる逆円錐が生まれたというのです。ちなみに、益田さんは「相転移」という表現は使っていません。私の勝手な解釈です。

それを引き起こしたのが、身体の中に生まれた「脳」ではないかと益田さんは説明します。身体にとっては「無駄」な脳が、心の中に「欲」という生物のようなものを生み出し、さらにその欲が、名誉欲や金銭欲のような、身体とも心とも「本来の関係」を持たない「生物のようなもの」を生み出した。

この辺りは前回までに出てきた話ですが、それがついに相転移して、「時間」という要素が強くはいった「新たな空間」を生み出した。
益田さんは、それを有名なミンコフスキー空間のように描いてくれたのです。
ミンコフスキー空間は下記サイトにあるような空間です。
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E7%A9%BA%E9%96%93&tbm=isch#imgrc=4nj5MdWDe7W0fM

ここで2つの円錐をつなぐ交差点がとても重要なのですが、益田さんは、それを「脳」とか「言葉」とか「意識」とかいう言葉を使って説明してくれましたが、この「相転移」にこそ人間の特徴があると考えているようです。
これに関しては、参加者のなかに(私もそうですが)、動植物にも意識を認める人もいて、少し議論もありましたが、今回は深入りはやめました。

この交差点(交差空間)にこそ、大きな意味があると思うので、いつかここをじっくりと議論したいと思いますが、今回はまずは「相転移」、つまりこれまでとどう違うのかという話になりました。

問題は、相転移して何が生まれたのか、です。
益田さんは、逆円錐の世界では、これまでとは逆に「生物(のようなもの)が環境(のようなもの)を生み出し、育て、さらにその環境(のようなもの)に支えられる」ようになると言うのです。生み出す主客が逆転したわけです。これは「大事件」です。

そして、そこに「私欲」と「公欲」という言葉を与えました。
あえて「私」と「公」という言葉を選んだのは、先日、益田さんも参加した柿嶋さんのサロンで、その言葉が話題になっていたのが一因ですが、「欲」も「公・私」もイメージが強すぎて、誤解を生みそうな気がします。

事実、そうした話し合いがありました。心が生み出していった先にあるものを「欲」という言葉で統一していいのか、ということです。参加していた近藤さんは、欲には能動的な意味合いがあるが、心が生み出すのは能動的なものだけではないのではないかと指摘しましたが、私もソクラテスが言っている「人の持つ欲望と分別という2つの心」を思い出していました。
せめて仏教でいう「小欲」と「大欲」と言ってくれると受け入れやすいのですが、どうも「欲」という文字には抵抗があります。

むしろここは「意識」と「文化」と言ってもいいのではないかと私は思いますが、益田さんにはもっと深い思いがあるようで、受け入れてもらえませんでした。
たしかに、意識や文化と言ってしまえば、そこからは何も生まれないような気もします。益田さんが「欲」とか「公私」にこだわるところにこそ、意味があるのでしょう。
そこはこれからの課題です。

ともかく「生物と環境」の関係が、相転移し、新たな環境が生み出された。そういうなかで、人はどう生きていけばいいのか。それこそが益田サロンの大きなテーマです。

環境が生物を生み出してきたのが、生物が環境を生み出すようになった。言い方を変えれば、人こそが環境を創り出すことになったというわけですから、世界(観)は変質したのです。世界観が変質すれば、そこで存在する生物(のようなもの)のありようも変わるでしょう。支えるとはある意味では規制するということでもありますから。

ところで、生物(のようなもの)がつくりだす環境は下の円錐世界の環境とどう違うのか。環境が生物を支えていくという「本来の関係」はどうなっていくのか。「私欲」が生み出した「公欲」は、私欲を支えているというが、そもそも「支える」ということの意味を考え直さなければいけないのではないか。

というように、今回のサロンからはたくさんの疑問や課題、言い換えれば示唆が得られました。
あんまりたくさんありすぎて、とても報告できません。
近いうちにまた益田サロンを企画したいと思います。また益田サロンからのスピンオフサロン、たとえば「欲とは何か」「意識のクオリアとは何か」というようなサロンも考えたいと思っています。

益田サロンの翌日はいつも脳疲労で報告を書く元気も起きないのですが、今回は新しい気づきが山のようだったので、忘れないうちに報告を書きました。でも結局、思いついたことの半分も書けませんでした。益田さん自身もそうだと思いますが、益田サロンは考える宿題が次々と生まれるサロンです。

 

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2023/09/09

■節子への挽歌5776:「終活」していた友人

節子

前立腺癌騒動は一段落しましたが、その余波はまだ残っています。
予想もしていなかったことも起こっています。

友人が、私に触発されてか、自らのこの1年の病気をカミングアウトしたのです。
時々会っていただけでなく、病気で入院したという話も聞いていましたが、まさかそんなに大変だったとは気づきませんでした。
「終活」という言葉さえ何回も使うほど、深刻だったようです。

友人がそんなに大変だったのかと思うと、やはり気になってしまいます。
ということは、私が何気なく書いた今回の癌のことも読み手には意外と衝撃的なのかもしれません。そして同時に、しかしどうしていいかわからない。つまり対処の仕方がわからず、戸惑ってしまう。

私の病気報告も、読んだ人にとっては、戸惑うことの多い話だったのかもしれません。
なんでも話せばいいというものではないのでしょう。
読み手のことを全く考えていなかったわけです。

メールもコメントも、煩わしい気がしていましたが、書いた以上は、やはりきちんとコメントは受けなければいけません。
改めてそう思いました。

明日からはもう少しきちんとコメントを返していこうと思いました。
まだまだ未熟で、困ったものです。

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■癌診断を受けての体験と私見5:転移はしていませんでした

転移を覚悟して病院に出向きました。

呼ばれる前に、待合室で、前回病院からもらった「前立腺がんのすべて」という小冊子を読みました。そこに、重粒子線療法のことも書かれていました。
基礎知識はしっかりと踏まえて、後は医師と相談です。

ところが、呼ばれて診察室に入っていったら、医師は私の顔を見てこういうのです。
「佐藤さん、他所への明らかな転移は見つかりませんでした」
うん!? 予想が外れてしまい、どう受け止めたらいいか。
でも自然と「よかったです! ホッとしました」と即、身体は反応していました。
考えていた私とは別に、素直な私が反応したのです。
やっぱり心配していたのです。

ここで少し説明しておかなければいけませんが、私は今、3人の私と同居しています。
「身体に動かされている私」と「身体を動かしている私」と、「その2人の私を見ている私」です。そして、さらにその3人を見ている私もいるのですが、この記事を書いている私は、たぶんその4人目の私なのです。ちなみにその4人目の私は3人の私と同居しているわけではありません。たぶん3人の私が死んでも、どこかで存在し続けると思っています。まあ死んでみないとわかりませんが。

話が逸れてしまいました。
前立腺がんの話でした。

ともかく転移がないということになったので、なんだか拍子抜けしてしまったのですが、医師は改めて対処策を説明してくれました。
「癌摘出手術」「放射線療法」「化学療法」が選択肢ですが、放射線療法を選んだ場合は、私の場合(に限らないかもしれませんが)、摘出手術はできないそうです。その一方で、摘出手術は身体に負担をかけることは言うまでもありません。
摘出手術の場合は、いまの病院で大槻医師に頼むことになります。
放射線療法の場合は、柏のがんセンターなどを紹介してくれるとのことでした。
妻がお世話になったところです。

進行具合に関しては、月単位で考えればいいが、私の場合の癌は「あまり顔つきの良い癌ではない」ので、放置はできないと言われました。今月中にどうするかを決め、来月くらいから治療に入ったらどうかというのが医師の話でした。

とても納得できました。
病状に関しては、写真を使いながら説明してくれました。
医師の説明は聞いても私にはいつも理解できませんが、まあ、私にとって都合のいい話だけを受け入れて、納得したというのが正しい表現ですが。
要するに「転移はしていなかった」「前立腺がんは悪性なので処置しないといけない」の2点が、私が納得した検査結果です。

この結果を早速にFBも含め、家族や親族に伝えました。
さてそこからがまた面倒になっていくのですが、とりあえず検査結果を聞いて帰宅しました。
生活を大きく変えなくてもよさそうです。

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■癌診断を受けての体験と私見4:人は期待に応えたくなるもののようです

検査結果の話に行く前に、もう少し寄り道しようと思います。

いろんな人からのメールやコメントで、少しは病人らしく心配しなければいけないのかと思いだしたものの、実際には気分は全く変わりません。
癌になった人は周囲にたくさんいますし、両親も妻も癌で見送りました。癌で見送った友人も少なくありません。

しかしだからと言って、癌というだけで特別な思いを持とうとは思いません。特別視してしまうと、「癌」に支配されかねないからです。
それに命あるものは、病にかかるのは仕方がない。それが生きるということだからです。一応、その程度の心得は私も身につけています。
ですから、骨や他所への転移があるかもしれないと指摘されても、特に不安を感じたりはしませんでした。ある意味、それは最初のデータの意味の説明を受けた時に覚悟しましたから。生検で検査入院した時も、したがって何の憂いもなく、久しぶりの入院を楽しんでいました。

ところが、です。
検査結果を聞く日が近づいてくるにつれて、体調不良を感ずるようになってきたのです。
私への投稿のコメントはきちんと読まないようにしてはいましたが、目には入ってくる。みんな私の癌を心配してくれているのが伝わってくる。だとしたら、その心配には応えなければいけないという無意識が働いていたかもしれません。

ともかく、手足のしびれ、ほてり感、右腰の骨の痛み、胃腸の違和感、と次々と不調が起こりだしたのです。
なかには、これまでもおかしかったこともあるのですが(高齢になるといろんなところがおかしくなるのは健全な老化現象です)、それももしかしたら癌が転移しているからではないかなどと思うようになってきました。
娘に「癌になったのだから大事に扱えよ」などと言っていた冗談が、だんだん実体を持ち出してきたわけです。

それが一挙に「転移しているな」と思えるようになったのは、病院に行く3日前です。
庭にヒヨドリが巣をつくっていたのですが、それが孵化し、誰も知らないうちに巣立ちしたのですが、なんと2羽が巣立ちに失敗して地面に落ちて死んでいたのです。
その種の出来事に、意味を感ずる私としては、いささかいやな事件です。

そしてFBを開いたら、私の書き込みとは全く関係ないのですが、前立腺がんが骨に転移したという父親のことを書いている人がいました。読む気はなかったのですが、最初の数行が目に入ってしまった。ともかく痛みがすごかったそうです。
こういう記事が目に入るのも、偶然ではないでしょう。
癌になるのも、死ぬのも、私にはあまり気にはならないのですが、痛いのは避けたい。

というわけで、私のなかでは「転移しているな」という思いが一挙に高まりました。
でもだからと言って、滅入ったり、不安になったりしたわけではありません。
でも転移したとなると、対応は全く変わってきます。
まあそれからいろいろとあるのですが、あまり長くなるといけないので一切省略。

要するに、自己暗示にかかりだして、癌の転移の兆しを探すようになってしまったのです。そうしたらいくらでも見つかってくるものです。そう思うとますます不調は高じます。人の身体は、気持ちでいかようにも変えられるようです。
さらには、これまでの医師や技師の対応を思い出したら、そこでもみんなが転移を確証していたのではないかと思えることがいくらでも思い出せるのです。人の態度も、自分の思いでいかようにも解釈できるものなのです。

というわけで、検査結果を聞きに病院に行った時には、転移は間違いないな、という気分だったのです。

 

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2023/09/08

■節子への挽歌5775:台風のなか、久しぶりのサロンでした

節子

台風が関東にもやってきました。
その中を、湯島で久しぶりのサロンでした。
別に意図したわけではなかったのですが、たまたまこの2週間、湯島でのサロンは泣か合ったのです。
そのため前立腺癌騒動にも在宅で対処できました。
サロンがあると、人とも出会うので、それに伴い、いろんなことが発生するので、落ち着かないのです。

久しぶりのサロンでしたが、台風の関係や、最近また流行しているコロナ感染症のた、え参加予定者も少なく、6人のサロンになりました。
このくらいの人数だとしっかりと話し合えるのである意味では理想的です。
テーマは「心と言葉と時間」でしたが、私の関心事は「意識の誕生」でした。

たまたま今、エーリッヒ・ノイマンの「意識の起源史」をゆっくりと読んでいます。
分厚いのと難しいので、いつものような読み方ではなく、気分に任せて読んでいるので、もう1週間近くになりますが、200頁にもたどり着いていません。600頁ほどの本ですので、まだまだかかりそうです。
あんまり理解ではきていないのですが、なんとなく感じはつかめていて、共感できます。
いま渦中にある前立腺がんにどう対処するかにもつながっているのです。

動植物に限らず、あらゆるものと話をしているタカイさんと帰り道話をしました。
彼女から、元気が出るジュースや何やらよくわからない粉末をもらいました。
これを飲むと元気になるので飲むようにと言われました。

いろんな人が気遣ってくれる。
それだけで私は元気になるので、特に元気ジュースを飲まなくてもいいのですが。

台風は湯島と我孫子は、どうも避けてくれたようです。
台風まで私を気遣ってくれているようで、申し訳ない気がします。

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■癌診断を受けての体験と私見3:癌の進行度と他所への転移の確認検査

検査は3段階になりました。

まずはMRI検査で確認したところ、ほぼ確実に癌と判明。詳しく調べるために、生検することになり、検査入院することになりました。
生検のためには万一を考え、現在脳神経外科の関係で服用している「血液サラサラ」の薬を1週間ほどやめなければいけません。それは別の病院の医師の許可を得なければいけないので、改めてその了解を文書でもらわないといけません。同じ病院であれば、たぶん電話一本で済むのでしょうが、そうもいかない。
ここでも日本の医療体制の問題を少し感じました。イタリアのテレビドラマの「DOC」が、私には理想の医療施設を描いたものに感じていましたが、ああいう体制になるにはまだまだのようです。

まあそんなこんなで生検のための入院は、2週間ほど後になりました。
この辺りはFBに書き込んでいますが、いろいろと新しい体験もあって、不安や苦痛は皆無。むしろ暇な老人にとっては、退屈しない時間になりました。そもそも自覚症状などは全くなく、普段と変わりもありませんし。

状況はFBに書き込んでいたため、いろんな人がコメントを書き込んだり、メッセージを下さったりしていました。
個人的に頂いたメッセージには、その都度、返信していましたが、FBへの書き込みはあまり読まないようにしました。検査結果もわからない中で、いろいろと降り回されたくなかったからです。

「生検」に関しても、体験を詳しく書いてきてくださった方がいました。お忙しい中を、その合間をぬって個人的に送ってきてくださったのですが、その記述がまた実に生々しく、検査も大変なのだと伝わってきました。それで、その方には大変申し訳なかったのですが、読むのを止めてしまいました。あまり「予断」を持ちたくなかったからです。

これは生検に限りません。
いろんな人が、「前立腺がん」に関わる体験談や周囲での事例を送ってきたり、コメントして下さったりするのですが、病気は個人との関係性において、表情が違います。ですから、体験談や考えは参考にはなるのですが、あくまでも参考であって、決めつけられるとなんだか違和感を持ってしまいます。それに、意見が真反対の人同士のコメントで、お互いを否定するような雰囲気に触れるのは、気分がよくありません。みんな新設に行っているのでしょうが、他者を否定してのコメントは私の趣味には合いません。

それにしても、改めて病気になった人に声をかけることがいかに難しいかを思い知らされました。
私が一番うれしかったコメントは、最近父親を見送った人からの「お大事にとしか言えないのが歯痒いです」というメッセージでした。
話が飛躍しますが、統一教会などの新興宗教がなぜH路がるのかにもつながっている話のような気もしました。

話を戻します。
残念ながら、生検で癌は確実になりました。問題は骨や他所への転移です。そこで全身のMRIとCTの検査を受けることになりました。

これも私には面白い体験でしたが、あまりに検査のことばかりFBで書いたので、ある人が心配して、「西洋医学に体を任せたら殺されますよ」とコメントをくれました。その方は、続けて、「佐藤さんほど多方面に渡る情報を長年集め続けている方が西洋医学を信じているようであることに驚きました」と書いてくれましたが、私は情報を集める性癖もなく、西洋医学も絶対視しているわけではないのですが、誤解されてしまっているようです。
私がどれほど誤解されているかは、今回、あらためて思い知らされたことです。

さて、これで検査は終了、後はその結果を聞いて医師と相談するというところまで来ました。

 

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2023/09/07

■癌診断を受けての体験と私見2:癌患者は癌患者らしくすべきなのか

検査を受ければ、どんな場合でも、陰性か陽性か、結果はでます。
今回、私の場合は、陽性で、しかもデータはかなり悪かったのです。
だから医師は慌てたのでしょうが、私はそのデータがどのくらいよくないのかもわかりません。何しろ知識がないからです。
それで、やはりそろそろ癌と付き合う年齢になったのだという程度の受け止めでした。
そろそろ認知症傾向が出る年齢だなというのと、そう変わらない感じでした。

ですから、なんの心配もなく、FBにも「癌に出合ってしまった」と書きました。
そして、これまた気楽に、体験者の方、何か注意したらいいことがあれば個人あてに教えてくださいと書いてしまったのです。
自分で前立腺がんに関して調べるようなことは私には苦手なのです。
私は、いろいろなことしっかりと調べて対処するというイメージを持ちの方が多いようなのですが、全くそうではないのです。現地調査や体験者から話を聴くのは好きですが、ネットや文書での資料調査は嫌いなのです。読んでもよくわからない。体験者から聞く話が一番わかりやすいと思っているからです。

これが間違いでした。
予想以上にメールが届きだしたのです。
しかも私を元気づけるメールです。

別に滅入ってもいないし、ましてや生活が変わるなどとも思ってもいなかったのですが、いろいろな人のメールを読んでいたら、なんだかかなり危険な病気らしい。もしかしたらもう今のような生活はできなくなるかもしれない。なかには死を感じさせるものもある。

一方では、高齢者は誰もがかかる病気で心配はないという、それとは対照的なメールも届きました。要するに、別に騒ぐ話じゃないというわけです。しかし、そこには病気を克服した人はみんな今はもう元気で長生きしていると書いてある。性格の悪い私としてはどうも深読みしたくなってしまう。

まあ、いずれにしろ、そういうメールやFBのコメントを読んでいるうちに、なんだかしっかりと病気対策して、いわゆるがん患者らしく、嘆き悲しみ、未来を心配しなければいけないのではないか。気が滅入ってしまわないといけないのではないか。そうしないとみんなを裏切ることになるのではないかという気がしてきたのです。
癌患者は癌患者らしく、というわけです。

そして、それからが不思議なのですが、そう思いだして、みなさんからのメールやコメントを読んでいるうちに、その「期待」に応えなければいけないような気がしてきたのです。

というわけで、ある時期から、メールやコメントは基本的に読まないようにし始めました。何しろまだ検査結果さえもがわからないのですから。
そこでFBにも、検査結果がわかるまでは「推定無病」ということで、考えるのを止めましたと公言したのです。

これがまたよくなかった。
人生はなかなかうまくいかないものです。

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■癌診断を受けての体験と私見1:事の発端

7月21日、かかりつけの医師に勧められて、初めてやった前立腺がん検査の結果が陽性に出てしまいました。
それも異常な高値(PSA値が50を超えていました)だったので、医師は私が相談に行っていた胆嚢摘出手術よりもこっちが優先だと言って、すぐに病院を紹介してくれました。医師は、癌だと思うがもっとデータが高い人も回復した事例があるから、と(多分)慰めてくれました。

私は、別に癌だからと言って、驚くことはありません。癌であろうと風邪であろうと、病気は病気ですから、生きている以上、病気になるのは自然のことだからです。
このことは、あまり深く考えることもなく、いつものように、FBに書き込んでしまいました。

1週間後に、紹介状を持って、病院に行き、検査をしました。
やはり癌の疑いが濃厚なので、生検しようということになり、検査入院しました。
それもそのままFBに書きました。
そこから、今回の「騒動」が始まりました。

いや「騒動」などというと不謹慎ですが、私にとっては、まさに「騒動」。
最初はただ病気になっただけではないかと思っていましたが、話が広がるにつけて、だんだん私自身の意識が変わってきてしまいました。

そして昨日、どの程度の癌かがだいぶ判明し、医師と相談し、どうするかを今月中に決めることになりました。
というわけで、話はいささか退屈なところに落ち着いついてしまったのですが、私自身はいろんなことに気づかされた1か月半でした。

以前10日ほど入院した時と同じく、この間の体験を少し書き残しておきたくなりました。
心配してくださった方には、一部、失礼なことも書くと思いますが、何回かに分けて書き残すことにしました。いつか湯島でサロンもしたいと思っています。

今回はとりあえずの予告編です。

 

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■節子への挽歌5774:毎朝、重曹水を飲むことにしました

節子

昨日は癌の検査結果をメールやコメントくださった人に返信し、さらにまたFBに書いた報告へのコメントが続いたので、それに即メッセージを返していました。
いささか疲れました。
自らをさらけだして生きるのも結構疲れます。

しかし意外な人がFBを読んでいるのだと気づかされることも少なくありませんでした。
私もそうですが、FBは読んだからと言って「いいね」を必ず押すものでもありません。
ですから誰が読んでいるかも普段は気づかないのですが、こういう記事にはいつもは「いいね」しない人も「いいね」してくれるのでしょう。
おかげで、しばらく交流が途絶えていた人とも交流が戻りました。

ところで、今日から毎朝、重曹水を飲むことにしました。
何人かの人が勧めてくれたのですが、毎朝飲んでいるジュースで薄めて水よりはいいことは間違いないでしょう。
またこれとは別にクエン酸水も飲むことにしました。これは朝ではないのですが。さて効果は出るでしょうか。
効果を見るためには、癌の摘出手術も少し遅らせた方がよさそうです。

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2023/09/06

■節子への挽歌5773:検査結果は大事なし

節子

がんの転移に関する検査結果は、予想に反して、シロでした。
私は、たぶん転移はあって、ただどこに転移しているかが問題なのだと思い込んでいました。
しかし、大槻医師は、診察の開口一番、「明らかな他部所への転移は見られない」と言い出したので、最初はぴんと来なかったのですが、すぐに安堵しました。
写真も見せてもらいましたが、完全にシロというわけではないようですが、まあ今のところは大丈夫でしょうということです。
ただ、前立腺癌そのものは、医師の表現を借りれば、「顔つきの悪い癌なので摘出か放射線治療が必要」ということでした。

実は私は転移を覚悟していました。
何しろPSA値が50を超えていたのと最初の検査結果の時の医師の表情が厳しかったからです。それに最近どうも、なんとなく癌を思わせる気がしていたのです。

正直、ホッとしました。面白さにはいささか欠けました。
もし骨に転移し、ステージは4ですね、と言われたら、果たして心を平安にしていられるかどうか、試してみたという思いがどこかにあったのです。
慌てふためく自分に合えるかもしれない。それもまた興味深いことです。

でもまあ大ごとにならずによかったです。
10月にはたぶん前立腺がんの摘出手術をやろうと思っています。
今回の主治医の大槻医師とは相性が合いました。
放射線治療は何回もいかないといけないので、基本的には私向きではありません。
そんなわけで、当面の生活は変わりません。

節子も安堵しているでしょうか。
それともそろそろ来ると思ったのにまだなのとがっかりしているでしょうか。
まあいずれにしろ、節子もまた私と一緒にいるので、彼岸がいいか、此岸がいいかという話なのですが。

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■節子への挽歌5772:重粒子線治療

節子

癌の話をFBに書いたら、山形市に住むMさんから「重粒子線治療」という療法があり、山形で受けられるので、ぜひ、という連絡がありました。しかも、私のことをよく知っているTさんがそれに関係しているので、連絡を取るようにTさんにも伝えておいたというのです。
その時には、ありがとうございますと答えておきましたが、検査結果が陽性になり、癌が確実になったら、また長いメールが届きました。ともかくTさんが待っているので、早く電話してくださいというのです。
でもまだ転移しているかどうかも明確ではなく、私自身、考えるのを先延ばししていたのですが、繰り返し連絡があるので、Tさんに電話しました。

Tさんは、いま公職にありますので、日曜日に電話したのですが、あいにくたまたまその時にはイベントの最中で、電話に出られなかったのでしょう。
後で電話がかかってきました。
私が考えていた通りの状況でした。

「重粒子線治療」は、関東でも受けられる野江、山形にわざわざ来ることもないと思い、逆にTさんは私への電話を控えていたそうです。
Mさんの親切とTさんの適切な判断に、改めてうれしく思いましたが、まあこんな感じで、「癌騒動」は広がっているわけです。

それはともかく、Tさんと久しぶりに電話で話せたのはよかったです。
自治体との仕事関係で出会った人で、いま目覚ましい活躍をしている一人がTさんです。
久しく会っていませんが、うわさは時々届いています。
Tさんは、もし山形で重粒子線治療を受けるようなことになれば力になりますよと、いろいろと調べてきてくれました。
治療はともかく、山形に行きたくなりました。
山形市には、会いたい人が数人います。
もう長いこと行っていませんが、時々、FBでそれぞれの活躍には触れています。

ちなみにTさんは、いま副市長で、私が電話した日は、まさに市長選挙の初日だったのだそうです。
副市長として、現在の市長を応援するため、忙しい中を電話してきてくれたのです。
うれしいことです。

今日は転移状況を聞いて、これからの対応を相談する日です。
重粒子線治療に関しても訊いてみようと思います。
今では健康保険対象になっているので、私でも受けられるだろうとMさんもTさんも言っていますので。

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2023/09/05

■裁判もまた事件

辺野古埋め立てを巡る訴訟で、最高裁は県の訴えを棄却しました。司法が繰り返し行っている、難しい判断からは逃げるといった姿勢をまた感じてしまいます。なぜこれほどに、国家の力は強いのか。もっと現地と、つまり現実としっかり話し合い、問題を可視化していく姿勢を司法は持たないのか。

今朝の朝日新聞の沖縄県知事の写真の表情に、とても共感しました。
5人の裁判官も、この写真をしっかりとみてほしい。
私たちも、いまの沖縄にもっと関心を持たなければいけないと改めて感じます。
ウクライナよりも、沖縄であり、フクシマだろうにといつも思います。

統治行為論で一度、逃げて以来、日本の司法は統治者の道具に成り下がってしまったのでしょうか。
冤罪を疑われる事件に対しての、執拗な司法のこだわりは異常としか思えない。
司法への不信感は、テレビのドラマにも盛んに取り上げられます。

最近見たドラマ「事件」の最後で、主人公が「裁判もまた事件なのです」と語っていましたが、全くそうです。
そう考えると、裁判官がみんな加害者に見えてくる。

困ったものです。

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■節子への挽歌5771:やはり気が重くなってきました

節子

やらなければいけないことがだいたいすべて終わったので、自分の前立腺がんに関してFBにいろんな人からもらっているコメントを読もうと思っていたのですが、いざとなると読む気が起きません。
今日もまた、ある人から「前立腺がんのガイドライン」という資料がデータで届きました。みんな新設で送ってくれるのですが、やはり読む気が起きない。
いやそれどころではなく、読まなければいけないと思うとますます気が重くなって、なにもやる気が起きないのです。
困ったものです。

それに気楽に読める本もない。
たまたま升田さんから借りていたエーリッヒ・ノイマンの「意識の起源史」があるので、昨日から読み出しましたが、面白いのか面白くないのか、よくわからない。
私に苦手な記述が多いのですが、テーマ自体や扱われている題材には興味がある。
一部を残しておきたくなって、スキャナーで読み取ろうとしたら、スキャナーが壊れてしまいました。
まあ最近調子が良くなかったのですが、ハード的に壊れてしまったようです。

それでユカに頼んでスキャナーを買いに行くことにしました。
いま使っているのだとかなり高いのですが、もっとシンプルなものがありました。
でもお店だと12000円。ネットだと1万円以下だとわかったので、ネットで購入することにしました。
何しろ最近は現金貧乏で、お金がないのです。

前立腺がん治療は大丈夫でしょうか。
まったく困ったものです。

帰ってきて、またやることがない。
FBの前立腺がん関係のコメントを読んで、きちんとコメントをか悪とFBで書いたのですが、どうもその気が起こらない。
平常心を保つどころか、結果を聴く前から、気が重くなってしまうと、私もどうも思っていたほど、強くないようです。
明日、医師から結果を聞いて、どうなるでしょうか。
いささか憂鬱ですが、楽しみでもあります。

コメント返信はもう少し先延ばしして、テレビでも見ることに省と思います。
なんだか身体も、いろんなところが不調になってきた。

本当に困ったものです。

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2023/09/04

■節子への挽歌5770:10本の赤いバラ

17回忌は、もう一つのハプニングがありました。
ハプニングというよりも、私がただ忘れていただけのことです。

会食から戻ったら、10本のバラが届いたのです。

Bara
誰からだろうと思ったら、私の小学校時代の友人からでした。
そういえば、彼女は3年ほど前から毎年、この日に花を送ってきてくれていました。
去年はたしかゆりでしたが、今年はバラ。それも赤いバラ。
節子の好みを知っているようです。

今年から特別の供花をやめて、日常の花にしようと思っていたのですが、今年もまたなんだか華やかになりました。

今朝、その友人からメールが届いていました。
こんなことが書かれていました。

かけがえのない人
一心同体の人
私のすべて
私はこわれてしまった

壊れてしまった修さん

節子さんが亡くなった前後数ヶ月の修さんのフェイスブックを毎年読みます。なぜプリントアウトしたものを持っているのかわからないのですが(私はパソコンがダメなのでまったく心当たりがないのです。フェイスブックなるものも知りませんでしたし。おそらく***さんが下さったのだと思っています)

十七回忌・・・一瞬であり、無限でもあります。

よく耐えてきましたね。

 

彼女の手元にあるのは、フェイスブックではなく、たぶん、この挽歌のブログでしょう。
私には今はもう読む気が起きないのですが、それを毎年読んでくれているとは驚きです。
彼女は、節子とは面識がありますが、親しかったわけではなく、そう話したこともないはずです。
私とさえ、小学校卒業後、長らく交流もありませんでした。
それが今年になってから、ある偶然から湯島の近くに転居してきたのです。

今回の10本の赤いバラに添えてあった言葉です。

8月31日の夜 スーパームーン
月は世世に移れど
輝きは失せず

花の咲みは
穏やかにして
今日も 美しきかな

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2023/09/03

■節子への挽歌5769:普段着の17回忌法要は無事終わりました

節子

完全普段着の17回忌法要は無事終わりました。
私が一番の普段着でした。
ご住職に、最初に今日は思いきり普段着の法要にさせてもらいましたと言い、快く了解を得ました。
Tシャツ、白パンツ、そしてサンダル。

17_20230903200001 17

ご住職の説話も、私の生活につながるようなとてもいい内容でした。
恩送りが平和な社会をつくっていく、というような話でした。
17回忌を終えて、節子もいよいよ胎蔵界入りですね。

お寺での法要を終えた後、みんなで柏の銀座アスターで会食しました。
今回は外が展望できる個室が取れたので、とても気持ちのいい時間になりました。
にこは、うどんがいいと言っていましたが、お蕎麦もうどんくらいおいしいと喜んでいました。

ところで、お墓でまた、奇跡的なことが起こりました。
法要前にお墓をきれいしておこうとお墓に立ち寄ったのですが、節子が生前親しくさせてもらっていた書の先生の東さんが、偶然にもご家族と一緒にお墓参りに来ていたのです。
お墓はすぐ近くなので、時々、東さんはお線香を一本だけ、節子にも上げてくださっているのです。
お墓でお会いするのは初めてです。
というよりも、私は葬儀の時にしかお会いしていませんので、それ以来、初めてなのです。
それにしても余りのタイミングのが、本当に奇縁です。
節子の仕業でしょうか。
東さんもさすがに歳を取られていましたが、お元気そうでした。

そんなわけで、とても節子を感じる17回忌になりました。

 

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■節子への挽歌5793:手賀沼公園の原っぱで孫と50メートル競走

にこを誘って、手賀沼公園に行って、50メートル競走をしました。
私は裸足で、一応、3回とも全力疾走しましたが勝てません。
まあほんの一瞬の差なのですが。

なぜそんなことをしたかと言えば、私が原っぱをはだしで思い切り歩きたかったからです。
それと、競争に勝てば、にこが夏休みに制作した工作作品の動画をフェイスブックに公開する許可が下りるからです。
にこは、なかなか許可しないのです。

それで距離を伸ばして100メートルにし、その間、孫には一人で100メートル走らせて疲れさせました。ところがそれでも勝てず、差はむしろ広がりました(と言っても1秒差もありませんが)。
終わった後、大地に寝ころびましたが、孫は嫌がりました。
草や土や虫がつくからのようです。
困ったものです。

さて孫に勝てることはないでしょうか。

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■節子への挽歌5768:今日から節子なき時代は17年目

節子が亡くなってから昨日でまる16年目が経過、今日から17年目に入ります。
亡くなったのは9月3日の午前0時でした。
この挽歌は、毎日書いていたので、本来であれば、挽歌番号と節子がいなくなってからの日数は一致しているはずなのですが、今年は2回ほど、書けないでいた時期があったので、80ほど数字がずれています。
年内には追い付く予定ですが、残念ながら今年の命日には一致させることができませんでした。

しかしまさか、節子のいない社会を16年も生き続けるとは思ってもいませんでした。
節子も呆れているかもしれません。
節子のいない人生は無意味だなどと言っていたのですから。
まあそれは決して嘘ではなかったのですが。

しかしこれだけの時間がたつと、なんだか死にもなじみが出てきてしまいます。
というよりも、節子がいまもすぐ隣にいるような気さえするのです。
うまく表現できませんが、私自身ももう死んで冥界にいるような気がしていますので、自分の死もなじめてしまうのです。

自分だけではありません。同世代の友人知人に関しても同じで、先日、私よりも高齢な友人から電話で退院の連絡がありましたが、退院でも冥界入りでも、いまの私には同じように受け止められてしまうのです。
まあこんなことは相手には言えませんが、冥界からの電話だという気さえする。

まあ言い方を変えれば、節子のいないこの世は私にとっては冥界のようなものなのかもしれません。だから未練がないのでしょうか。

節子なき時代の17年目が始まりました。

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2023/09/02

■節子への挽歌5767:明日は17回忌

節子

明日は節子の17回忌です。
今回はすべて、ユカに任せました。
お寺との打ち合わせも、お供えの準備も、終わった後の会食の会場予約も、すべてです。
家族以外は兄夫妻に声をかけただけですか。
しかも完全な平服で、私はいつも湯島やコンビニに行っているのとまったく同じ服装です。
黒のTシャツと白いパンツ、それにサンダル。
まあ節子ですから、許してくれるでしょう。

懸案だった苦戦の原稿書きは、依頼状をよく読んだら字数は5800字だったので、500字ほどの削除ですみました。
早速編集担当者に送りました。
これでだいたいさぼると他者に迷惑がかかりそうなことは終了です。
まあ自分や家族関係では、まださぼっていることはたくさんあるのですが。

原稿が予想以上に早く片付いたので、ちょっと気になっていた万葉集関係の本を読みました。

もう半世紀ほど前に読んだ「万葉びとの時代」という角川書房から出た「日本文学の歴史」全集の第2巻です。第1巻は書棚から探し出して、以前読んだのですが、この第2巻が見つからずに気になっていたのですが、図書館にはあるだろうと気がついて借りだしてきていたのです。
これを読みだしたら、実に面白い。内容はすべて忘れていましたが、ともかく面白く、一気に読み終えてしまいました。もちろんいつものように興味のある所の拾い読みですが。

さてこれからは前立腺がん対策です。
実際には5日からスタートですが、ある人への電話を早くかけろと友人が繰り返し言うので、電話してみました。
残念ながら電話には出ませんでした。電話番号が変わってしまっているのかもしれません。まあ、公職にある人だから忙しいのかもしれない。

しかし、自分の問題を考えるのは、どうも気が進まない。
誰か代わりにやってくれるといいのですが。

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■節子への挽歌5766:何とか原稿が書けそうです

節子

久しぶりの原稿書きに苦戦しています。
来月、日本子どもNPOセンターが「こどもNPO白書2023」を刊行するのですが、先週、突然、代表理事の小木さんから、白書の最後に「まとめにかえて」というのを入れることになったので、それを書いてくれと言ってきたのです。
急に言われても、最近はそのNPOとの接点も弱くなっているし、第一、白書の内容さえも全く知らないので、断ろうと思ったのですが、ともかく一度、白書の原稿を読ませてほしいと言っていたのです。

大部の白書の原稿が届いたのは1週間ほど前ですが、あまりの大部さにいささか躊躇して、読みだしたのが3日前です。一応、読み終えましたが、どうまとめたらいいか難しい。
小木さんは、毎回(この白書の刊行は今回で3回目)、刊行後にコメントを書いてくれるのでそういう内容でいいというお話だったのですが、刊行後の書評と白書そのものに入れるのとでは違います。

まあしかし、断るでもなく引き受けるでもなく、返事を延ばしてしまいましたが、締め切りが明日なのです。
それでがん検査の合間にと思い、一昨日から書き出しました。
ところがこれが難しい。
久しぶりの原稿書きということもあって、うまく書けない。
苦戦に苦戦を重ねていました。

そんなわけで、自分の癌のことを考えるのは先送りです。
そうしたら、今度はFBで、ある人からせっかくコメントしているのに、反応がないと怒られる始末。まったく人生は難しい。

何とか今朝、早く起きて書き上げました。
ところが文字数が大幅に超過して、5000字のところが7000字になってしまった。
今日はその文章を吟味し、5000字に収める作業をしなければいけません。
でもなんと書き上げられそうです。
ホッとしています。
後は明日の節子の法事が終われば、大きな宿題からは解放されます。

まあその先は決して愉快なものではなさそうですが。

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2023/09/01

■節子への挽歌5765:「癌」というマジックワード

節子

FBで、前立腺がんが見つかったことを書いたら、いろんな人からメッセージが届きだしました。
その反響の多さにいささか驚きました。

そこにこんなコメントもありました。

私だったら、聞かれたら話すが自分から話すだろうか
佐藤さんは自ら語ったわけで...。そのためでしょうか、このように直接的に病気の話が出来てしまう。
今後、実際に私の場合はどうなるのでしょうかね

私の場合、特に癌だから書いたわけではなく、すべてを公開した生き方を基本にしているため、当然の行為として癌が疑われ、検査したらがんだったと書いただけなのですが。
それによってすぐに何か生活が変わったわけでもない。
心配して電話してきた人から、元気そうでよかったと言われて、癌になったらショックを受けて落ち込まなければいけないのかという気さえしました。
まあそういう、いわゆる「常識」から私はかなり外れているので、癌だと言われても、まだ正直、ピンと来ていないのです。
困ったものですが。

それにしてもいろんな人が言ってきてくれる。
療法のお勧めもあれば、***さんが力になってくれるので電話してくださいという連絡もある。
今朝は、人一倍、健康に関心のある友人が、北杜市の温泉を勧めてきてくれて、よかったら一緒に行こうと言ってきてくれました。
そういうアドバイスに対応していくと忙しくなりそうです。
でもそういうのがどうも苦手なのです。

それにもう十分に生きてきたので、まあそんなに無理するよりも、いまをしっかり生きるのがいいような気もするのです。
困ったと言えば、本当に困ったものなのですが。

それにしても「癌」という言葉の持つ力には驚きます。
これが何かあまりよく知られていない難病だったら、こういうことにはならないでしょう。
この言葉の力を、もっといい方向で生かせないものか。
そんな気がふとしました。

ところで今日もまた、その癌のための検査です。
友人たちが言うように、検査よりも養生だろうという意味も少しわかるような気がします。
今日で検査は終わるので、そこから対策を考えだそうと思います。

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