■節子への挽歌5781:お代はいりません
節子
民間癌量を話題にするサロンを呼びかけました。
早速に3人の方から参加申し込みがありました。
サロンの趣旨をしっかりと理解してくれている方たちです。
でも併せて、ちょっと勘違いしている方からの申し込みもありました。
その方も長年、癌療法も含めて、いろいろな試みに取り組んでいる方であり、今回、私の前立腺がんを心配してくださっている方です。
でもちょっと違うのです。
というのは、こう書いてきたからです。
「サロンの前に私に施術をさせてほしい、お代はいらない」。
繰り返しますが、彼女は純粋に私の癌を治したいと思っているのです。
でも私の発想とは真逆なのです。
私は自分だけが特別の施術を受けるという発想には嫌悪感があります。
よくいい医師を選べという人がいます。私も医師によって結果は全く違ってくることを実感していますので、その考えには賛成ですが、だからと言って自分だけが特別扱いされることは受け入れられません。みんな平等に運不運を分かち持つというのが私の理想ですから。
さらに「お代はいらない」というのも、私の発想ではありません。そもそもお代はいらないのが、当然で、もし私が被験体になるのであれば、私がいうべき言葉だからです。
それにそもそも「お代」などという発想があるアドバイスは、私には不要です。
また、「そんなものがあればガンはもっと減っているはずです。最低でもサイエンスに基づく検証が必要です」と繰り返し、こうした試みを非難してくる人もいます。
繰り返し攻撃されるといささかムッとします。
しかし、お代はいらないから施術したいという方も民間癌療法などインチキ療法だからかかわるな、というおふたりとも、私のことを思ってのことなのです。
正直、私にはいずれも不快ですが、ふたりの善意はよくわかります。
何の得にもならないのに、繰り返しコミットしてきてくれるのですから。
なぜ人は、こんなに親切なのか。
ムッとしたあり、反発したりする前に、感謝しなければならないのかもしれません。
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