■湯島サロン「父を亡くして思うこと」報告
湯島のサロン仲間の林さんが父親を亡くしました。
3年前に病気が発覚、いつか見送る日が来ることを意識しながらの父親との交流、そして介護や病院、葬儀など、慣れないことを立て続けに体験した林さんは、誰かに話すことによって、気持ちを整理したくなったのかもしれません。湯島のサロンで話したいと言ってきました。
話題提供者は、自らの思いを解き放つ(説き話す)ことで前に進んでいく力を強め、参加者はその体験に触れることで避けがちな問題を考える契機にする。そんなサロンを目指しながら、なかなかそうしたサロンができずにいた私には、うれしい申し出でした。
林さんは、まず、父親が貧血により近所の内科を受診したことから話をはじめ、いろいろな経緯を経て、脳梗塞で緊急入院した病院で永眠するまでの経緯を、家族との交流も踏まえながら、淡々と話してくれました。
そしてその後、「家族の病気に関わる、ということ」「病院-医者-医療システムに対する素朴な疑問」「介護、介護システム、病気と死の狭間で思ったこと」「葬儀、見送る作法について思うこと」という4項目について、とても実感的な話をしてくれました。
お墓の話や、葬儀にかかる費用の話なども、話題になりました。
個人的な話なので、そう簡単には紹介できませんが、いずれも心に響き、また共感できる話でした。
参加者のおひとりは、今日は父親の命日なので、父親を偲ぶ思いで参加したと話されました。その人がどういう思いで話を聞いていたかは、知る由もありませんが、私も実は、妻を見送ったときのことや、いま自分が病院に関わっていることなどと重ねながら、話を聞いていました。
父親との関係を考えながら聞いていた参加者もいたでしょう。
いずれにしろ、林さんの思いは、淡々と語られたおかげで、逆に聴く人の心身に静かに入ってきたように思います。
こうした体験で、いろいろなことに気づく人は少なくないはずです。
自分が社会的な仕組みや行政が用意している支援の仕組みをあまりにも知らなかったことに気づく人も少なくありません。
林さんも、問題に直面して動いたら、いろんな仕組みがあることがわかったと言います。行政は一生懸命に伝えようとしていますが、人は自分の問題にならないと、そうしたことが見えてこない。それは私もよく体験することです。でもそれはいかにももったいない。
あるいは、制度は「仕組み」ではなく、そこに関わる人によって、全く違ったものになることに気づく人も多いでしょう。介護も医療も、支援制度も、要はそこに関わっている人によって、違ったものになりかねない。人との関係性の大切さがそこにある。
制度は人によってこそ活きてきますが、一回限りの関わりからは、お互いの体験知を活かせない。それでは制度は生きたものとして成長しにくい。
こうしたことを生々しく体験した人は、その体験を多くの人に知らせたいという思いが浮かんでくるはずです。しかし結局は、そういうことに動き出す気力は出てこずに、いつの間にか忘れてしまう人も多いでしょう。私もそうでした。
とりわけ人の死にまつわる「体験知」は、シェアされないように思います。
私自身がそうだったこともあり、林さんのお話を聞いていて、こういう体験知に自然と触れられ、語り合える場がもっとあっていいと改めて思いました。
しかしそれは同じ立場の人たちのグリーフケアの場ではなく、むしろ未来に向けて体験知を活かしていく場であってほしい。そんな気がします。そんなサロンをまた開きたいです。そしていつか常設の場にしたいとも思います。
林さんのような、体験を話すサロンをできれば定着させていきたいと思います。どなたか、思いを放したいという方がいたら、ご連絡ください。サロンを企画します。
私も今、幸いなことに前立腺がんが見つかり、癌体験をしていますので、いつか、その体験を語らせてもらおうと思っています。
参加者が少なかったのが、とても残念ですが、私にはとても感慨深いサロンでした。
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