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2023/09/10

■第25回益田サロン「心と言葉と時間 パート2」報告

益田サロンは新しいステップに入りました。一度、これまでのサロンでの議論を整理する必要があるかもしれません。これまでのサロン報告を一度、集約して、ご希望の方に送るようにしますので、希望者はご連絡ください。

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今回は冒頭、新しい「環境-生物」モデル図が出されました。
これまでは、同心円モデルに基づき、環境(のようなもの)が次々と生物(のようなもの)を生み出していき、それが重層的に積み重ねられる。そして、「本来の関係」を超えた関わり方が、時に、たとえば身体に病気を起こしたり、自然環境破壊を起こしたりしてしまうという話でした。つまり、空間的なイメージを基にした同心円モデルが、話の基本になっていました。

しかし、今回提出された新しいモデル図は、有名なミンコフスキー空間のような、円錐形の上にさかさまな円錐形が乗るというようなものでした。

これまでの同心円モデルは、下の円錐として立体化され、頂点に向かって、「生物のようなもの(たとえば「欲」)」を生み出してきた結果、頂点での相転移が創発され、新たなる逆円錐が生まれたというのです。ちなみに、益田さんは「相転移」という表現は使っていません。私の勝手な解釈です。

それを引き起こしたのが、身体の中に生まれた「脳」ではないかと益田さんは説明します。身体にとっては「無駄」な脳が、心の中に「欲」という生物のようなものを生み出し、さらにその欲が、名誉欲や金銭欲のような、身体とも心とも「本来の関係」を持たない「生物のようなもの」を生み出した。

この辺りは前回までに出てきた話ですが、それがついに相転移して、「時間」という要素が強くはいった「新たな空間」を生み出した。
益田さんは、それを有名なミンコフスキー空間のように描いてくれたのです。
ミンコフスキー空間は下記サイトにあるような空間です。
https://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E7%A9%BA%E9%96%93&tbm=isch#imgrc=4nj5MdWDe7W0fM

ここで2つの円錐をつなぐ交差点がとても重要なのですが、益田さんは、それを「脳」とか「言葉」とか「意識」とかいう言葉を使って説明してくれましたが、この「相転移」にこそ人間の特徴があると考えているようです。
これに関しては、参加者のなかに(私もそうですが)、動植物にも意識を認める人もいて、少し議論もありましたが、今回は深入りはやめました。

この交差点(交差空間)にこそ、大きな意味があると思うので、いつかここをじっくりと議論したいと思いますが、今回はまずは「相転移」、つまりこれまでとどう違うのかという話になりました。

問題は、相転移して何が生まれたのか、です。
益田さんは、逆円錐の世界では、これまでとは逆に「生物(のようなもの)が環境(のようなもの)を生み出し、育て、さらにその環境(のようなもの)に支えられる」ようになると言うのです。生み出す主客が逆転したわけです。これは「大事件」です。

そして、そこに「私欲」と「公欲」という言葉を与えました。
あえて「私」と「公」という言葉を選んだのは、先日、益田さんも参加した柿嶋さんのサロンで、その言葉が話題になっていたのが一因ですが、「欲」も「公・私」もイメージが強すぎて、誤解を生みそうな気がします。

事実、そうした話し合いがありました。心が生み出していった先にあるものを「欲」という言葉で統一していいのか、ということです。参加していた近藤さんは、欲には能動的な意味合いがあるが、心が生み出すのは能動的なものだけではないのではないかと指摘しましたが、私もソクラテスが言っている「人の持つ欲望と分別という2つの心」を思い出していました。
せめて仏教でいう「小欲」と「大欲」と言ってくれると受け入れやすいのですが、どうも「欲」という文字には抵抗があります。

むしろここは「意識」と「文化」と言ってもいいのではないかと私は思いますが、益田さんにはもっと深い思いがあるようで、受け入れてもらえませんでした。
たしかに、意識や文化と言ってしまえば、そこからは何も生まれないような気もします。益田さんが「欲」とか「公私」にこだわるところにこそ、意味があるのでしょう。
そこはこれからの課題です。

ともかく「生物と環境」の関係が、相転移し、新たな環境が生み出された。そういうなかで、人はどう生きていけばいいのか。それこそが益田サロンの大きなテーマです。

環境が生物を生み出してきたのが、生物が環境を生み出すようになった。言い方を変えれば、人こそが環境を創り出すことになったというわけですから、世界(観)は変質したのです。世界観が変質すれば、そこで存在する生物(のようなもの)のありようも変わるでしょう。支えるとはある意味では規制するということでもありますから。

ところで、生物(のようなもの)がつくりだす環境は下の円錐世界の環境とどう違うのか。環境が生物を支えていくという「本来の関係」はどうなっていくのか。「私欲」が生み出した「公欲」は、私欲を支えているというが、そもそも「支える」ということの意味を考え直さなければいけないのではないか。

というように、今回のサロンからはたくさんの疑問や課題、言い換えれば示唆が得られました。
あんまりたくさんありすぎて、とても報告できません。
近いうちにまた益田サロンを企画したいと思います。また益田サロンからのスピンオフサロン、たとえば「欲とは何か」「意識のクオリアとは何か」というようなサロンも考えたいと思っています。

益田サロンの翌日はいつも脳疲労で報告を書く元気も起きないのですが、今回は新しい気づきが山のようだったので、忘れないうちに報告を書きました。でも結局、思いついたことの半分も書けませんでした。益田さん自身もそうだと思いますが、益田サロンは考える宿題が次々と生まれるサロンです。

 

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