■節子への挽歌5783:いつになっても本の廃棄ができません
節子
今日は万葉集サロンでした。
偶数月に万葉集サロンはやっているのですが、今回は特別版です。
歌を読むのではなく、万葉集とは何かを話し合うサロンです。
その報告は時評編に書きますが、このサロンのおかげで私の万葉集理解は全く変わりました。そして万葉集に大きな関心を持つようになりました。
そのテーマは「意識の誕生」、あるいは「人と人の関係」です。
講師役の升田さんに示唆されて多くのことを学ばせてもらっていますが、「万の言の葉」ともいうべき万葉集は、私がもう20歳若かったらかなりはまったかもしれません。
これまではどちらかと言えば、古代史的な視点からの関心でしたが、日本人の意識という視点からとらえると、そこに壮大なプロジェクトを感じます。
考えていくとわくわくしてしまう。
それで今日はいささか独りよがりの進め方をしてしまいました。
でも世界が見えてくると(たとえそれが誤解であろうとも)、どんどんと見えてきてしまう。
でも誰かにそれを伝えることはほとんどできない。
だから逆にまた自分の世界に浸ってしまう。
研究者とは、もしかしたらみんなそうなのかもしれません。
廃棄予定の段ボールから、むかし読んだ万葉集や日本語の本を引っ張り出してまた拾い読みをし始めていますが、新しい気づきがどんどん出てくる。
廃棄せずに残していてよかったですが、こういう体験をするとまた本が廃棄できなくなりそうです。
いつになっても、身辺の整理は着手できません。
困ったものです
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