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2023/09/15

■湯島サロン「コロナを取り巻く生きづらさ~ソーシャルキャピタルを考える」報告

「コロナを取り巻く生きづらさ」をテーマにした福山さんのサロンには、いろいろと生きづらさを感じている方や、逆にその中で生きやすさを見つけた方が参加されました。その対照が、私にはとても示唆に富むものでした。

福山さんは、看護師として病院で臨床に立ったこともあり、また大学で教育に、学会で研究に、さらには社会活動として実践の場に立つという、実に多面的な活動をされてきた方です。持ち前の明るさで、周囲を和ませる名人でもあります。湯島とのつながりは、福山さんの最近の活動分野でもある自殺対策支援センター・ライフリンクの活動から始まっています。

それもあって、今回も、話はCOVID-19の流行状況と自殺の推移から始まりました。
つづいて、CBRNE災害(化学・生物・放射性物質・核・爆発物によって発生した災害)が私たちの健康や行動、そして社会や経済にどんな影響を与えているか、を背景に、COVID-19が私たちの暮らしをメンタルヘルスにどう影響を与えてきたかを、ていねいに解説。そしてそうした状況のなかで、実際の現場でいろいろな活動に取り組んできた体験から、考えたこと・感じたことを話してくれました。

それをきちんとお伝えするのは難しいので、出てきたキーワードを紹介して、福山さんからのメッセージを感じてもらえればと思います。

コロナ禍で多くの人は「自粛生活」を余儀なくされましたが、それがさまざまな問題を引き起こしていることを、児童虐待や女性の産後うつなどを例にとって話してくれました。

自粛生活は、ある意味では家族のつながりを強めることにもなるわけですが、内向きのつながりが強まると、つながりのマイナス面が顕在化してくるという面もあります。そもそも「自粛」を要請されること自体が、生きづらさそのものですが、そうしたことがこれまで隠されていた「生きづらさ」を顕在化させてきた一面はあるでしょう。そしてさらにはそれが「生きづらさ」を爆発させる契機にもなった。

参加者のひとりも指摘していましたが、コロナ禍は多くの人が気づいていなかった「生きづらさ」を気づかせてくれたのかもしれません。気づいてよかった面もあれば、悪かった面もある。いずれにしろ、それを隠すのではなく、解決の方向に向けていくことが大切です。できれば、災い転じて福となす、へと持っていくことです。

「所属感」の大切さにも触れられました。
個人がどんどんバラバラの存在になってきて、かつてのような所属感がもたらす安心感や人とのつながりが弱まっている。そして逆に、自己責任が問われだしている。多くのことを自分で解決しなければいけない。それが生きづらさや自殺のリスクを高めている。かつての「絆」とはちがう、もっとゆるやかな「所属感」がもてるような人のつながりを、福山さんは大事にしたいと言います。
こうしたことはいずれも「ソーシャルキャピタル」につながっています。

実践者の福山さんは、そこで「地域力」をキーワードとして出しました。
「地域力」と言っても、地域の経済力とか観光集客力とか、そんな話ではありません。福山さんが言う「地域力」は、人と人との温かなつながりと支え合う関係のゆたかさです。それが福山さんの言うソーシャルキャピタルのポイントです。みんなが生きやすい地域社会を育てていくのは、そこに住んでいる地域住民です。そうした地域力こそが大事だというのです。
そうしたことにうまく取り組んでいる、たとえば徳島県海部町では、コロナ禍においても着実に自殺者数を減らしていると言います。

それに加えて、福山さんは「レジリエンス」という言葉を出しました。
福山さんが言うレジリエンスは「しなやかな回復力」のようです。
人生はいろいろあります。時に苦境に陥ることもある。そういう時に、周りから立ち直るエネルギーをもらえるような、ソーシャルキャピタルの豊かな地域社会では、個人のレジリエンスも地域社会のレジリエンスも高くなるというのです。

こういうキーワードをつなげていくと、福山さんが考える「生きづらさ」を「生きやすさ」に変えていく方策が見えてくるような気がします。

社会が生きづらければ、生きやすい社会に変えていけばいい。これが私の知っている福山さんの姿勢だったと思っていましたが、今回のコロナ騒動の衝撃はどうもかなり大きく、さすがの福山さんも、そう簡単には「生きづらさ」の解消にはならないと思っているようです。いまなお問題が山積みなのが現実です。

目先の問題にも、しっかりと向き合わなければいけない。
ご自分の実際の活動体験から、自殺念慮が想定される場合の対応策、といった具体的な話もしてくださいました。
たとえば、「TALKの原則」。
「誠実な態度で話しかける(Tell)」「自殺についてはっきりと尋ねる(Ask)」「相手の訴えを傾聴する(Listen)」「安全を確保する(Keep safe)」の実際の対応の仕方なども、質問に応じながら、わかりやすく話してくれました。

ほんの一部だけの紹介ですが、こうした話をお聞きした後、話し合いが始まりました。
参加していた「よりあい*ええげえし」の須田さん(前にサロンで話してくれました)が、コロナ禍のおかげで集まりにくくなったが、逆にそれを克服するためにみんなで勉強して、オンラインでのつながりの場をつくり、おかげでむしろ交流が深まったという体験を紹介してくれました。

高齢者の場合、オンラインでつながることの意味はとても大きいです。前々から言われていたことですが、そうは言ってもなかなか取り組めなかったのが、コロナ禍のおかげで、取り組まざるを得なくなり、動きが加速されたのだそうです。
ところが、それによって、コロナ禍以前よりも、交流の機会が増えたというのです。
高齢者である私も、そのメリットはよくわかります。
コロナは、悪いことばかり引き起こしたわけではないようです。

でも待てよ、とも思います。
たしかにオンラインで人のつながりの選択肢は増え、利便性も高まった。
でもそれで何か失われるものはないのだろうか。
そんな話し合いがひとしきりありました。

オンラインの世界の広がりは、私たちの生きやすさを応援してくれるはずです。
オンラインの居場所が生まれたおかげで、多くの人が新しい居場所探しを見つけたはずです。それに、オンラインつながりは、歳も障害も、距離も時間も、大きな制約にはならない。個人をエンパワーしてくれる要素もある。

でも、人と人の直接の触れ合いやオフラインの集まりも大事です。
利便性だけではなく、苦労しながらソーシャルキャピタルを育てていくことも大切ではないかと思います。

こんな話の展開の合間に、個人的な話も飛び出し、制度の話も話題になりました。
そうした話を聴いていて、ふと、私は思いました。
本当に「生きづらくなっているのだろうか」。むしろ、生きづらくなったという言葉に呪縛されて、私たちは勝手に生きづらさを創り出しているのではないだろうか。
生きづらさも生きやすさもある時代になってきたと捉えるのがいいかもしれません。

コロナ前から、生きづらさを実感してきている原川さんが、いずれにしろ、生きづらい社会にならないように、自分のできることから生きやすさを求めるのがいいという話をしてくれました。大切なのは、私たち一人ひとりの生き方なのです。
サロン終了後、参加していた鈴木さんからハガキが届きました。

前に新聞で、「コロナの3年間で個人の孤立化と人間関係の断絶が起きた。それに対する特効薬はない。ネット上のバーチャルな関係ではなく、身近な人とのつながりを再構築するしかない」とある人が書いていましたが、一人一人がそれを生活の場で実践するのが大事、という当たり前のことをサロンで改めて感じました、と書いてきました。
仮に生きづらさがあるとしても、人とのつながりを大切にすることはできるはずです。

ちなみに、サロンの最後に福山さんは、これまでの人生で、自分と縁のあった人たちの写真を並べて見せてくれました。だれにもそういう人が少なからずいるはずです。
そういう写真を並べて、時々、見るだけでも、もしかしたら「生きづらさ」感から解放されるかもしれません。
そんなことを思わせてくれたサロンでした。

Fukuyama20230910000

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