■節子への挽歌5786:「思いを解き放す(説き話す)場」
節子
我孫子の若い友人、林さんが最近、父親を見送りました。
2年半まではお元気だったのですが、2020年の12月に検査で病気が発見され余命宣告を受け、2年半経過後の今年の7月に永眠されたのです。
林さんからは、余命宣告を受けた父親とはどう接したらいいかなどと相談も受けていましたが、私としては、これまでと同じように、しかしできるだけ一緒にいる時間を増やした方がいい、という程度のことしか言えませんでした。
その林さんから
湯島で父を亡くして思うことを話すサロンをしたいなと思うのですが、可能でしょうか? 病気、病院、葬儀屋への愚痴みたいな話になりそうですが・・・
というメールをもらいました。林さんの気持ちが少しわかるような気がしました。
私も節子を送った後、誰かに話をしたかったのですが、話す場がなかった。たしかに家族を亡くした人の話は、あっけらかんとは聞けないでしょう。
でも話す方は、放すことに意味がありますから、過剰に反応してほしくない。でも、かといって、無関心には聞いてほしくない。
わがままというか、微妙なのです。
残念ながらサロンの参加者は少なかったのですが、こういう「思いを解き放す(説き話す)場」がとても大切だなと思いました。
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