■第26回益田サロン「心と言葉と時間 パート3」報告
今回は、円錐の上に逆円錐を重ねた新しい「環境-生物モデル」の話から始まりました。
下の円錐世界を仮に「空間に生きている世界」、上の円錐世界を「時間に生きている世界」とすれば、「生物と環境」の関係は全く違う関係にあるというのが、益田さんの最初の指摘です。
「空間に生きている世界」では、同心円モデルで繰り返し説明されてきたように、環境(のようなもの)が生物(のようなもの)を生み出していくと同時に、本来の関係にある環境と生物はお互いに支え合っている関係にあります。
つまり生物のようなものは、本来の関係にある環境を決して壊さないのです。そうしたことは、病原菌と宿主の関係を例にして、これまで詳しく解説されてきています。
ところが2つの円錐の接点(益田さんはそれをとりあえず「ゼロ点」と表現しました)を境にして「生物と環境」の関係は大きく変わっていくのです。
端的に言えば、環境が生物を生むのではなく、生物が環境を創り出していく。
そして、その世界では、環境と生物をつなぐものとして、あるいは生物同士をつなぐものとして「言葉」が生まれ、それが抽象的な環境を生み出していく。
下の同心円モデルでは、体から心が生まれ、そこから欲が生まれ、さらに名誉欲や金銭欲のような、抽象的な欲が生まれてくる。つまり環境(のようなもの)が生物(のようなもの)を創り出していた。
しかし、ゼロ点を超えた上の「時間に生きている世界」では、「空間の生きている世界」で生み出された「欲」が主役となり、その欲が自らを実現するためにつながりながら、欲を実現するための環境を創り出していく。
益田さんは、それを「私欲が公欲」を創り出すというのです。
たとえば、それぞれがばらばらに私欲を実現していたら混乱が生ずるので、お互いに私欲を満たすための公衆(例えば公衆便所や売買のための金銭)の仕組みを創り出す、というわけです。これを益田さんは「公欲」と呼ぶのです。
上の世界と下の世界の違いは、たとえば言葉や概念があるかないかです。
ちなみに、上の世界を持っているのは人間だけだと益田さんは言います。
そして、公欲は、その上の円錐が別の人と重なるところに発生する。そこに「公」という概念が生まれるというのです。
かなり大雑把に整理しましたが、以上が私の理解した今回の益田さんの話です。
さらに益田さんは、こうした捉え方をすれば、人間が行っている3つの破壊行動(環境破壊、健康破壊、自殺)や引きこもりなどの問題を解決するヒントが得られるかもしれないと考えているようです。
世界を変えてしまう「欲」とはなにか。
そこが大きな問題のような気がします。
益田さんが言う「欲」は、体から生み出されたのに、体を超えて、どんどんと進んでしまう。体を維持するための食欲が、体を壊す過食になってしまい、さらには心さえ壊しかねない金銭欲や名誉欲を生み出してしまう。
そしてさらには「ゼロ点」を超えて、欲のための世界を創り出すになる。
私自身は、「欲」というよりも、ここは「意識」と言った方がわかりやすいような気もしますし(益田さんは賛成しませんが)、そもそも「公」という文字をこういう使い方をするには違和感があります。
しかし、逆に違和感や異論があればこそ、そこから学ぶべきことがあるはずです。何かが見えてくるようで見えてこない、そんな感じで話し合いは終わったような気もします。
そこでさらに次回は、これをベースにもう少し具体的に掘り下げられないか、ということで、「心と言葉と時間 パート4」を開催することになりました。
と言っても話し合いは今回の続きというわけではありません。
益田さんも、今回の話し合いを踏まえて、さらに持論を見直し新たな問題提起をしてきてくれるでしょう。それにまだ、テーマにある言葉と時間についての話はあまり出ていません。
さらにいえば、生物と環境の関係という最初のテーマにも新しい視点が加わってくるかもしれません。
次回はまだ日程は決まっていませんが、できれば11月下旬を予定しています。
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