■がん民間療法体験28:補完代替医療と民間療法
この報告では「民間療法」を思い切り拡大解釈していますが、一般には、民間療法は補完型の代替医療に位置づけられています。
米国の国立補完代替医療センター(NCCAM)によれば、補完代替医療の定義は「一般的に従来の通常医療と見なされていない、さまざまな医療ヘルスケアシステム、施術、生成物の総称」とされています。
日本では公的機関による定義はないようですが、厚生労働省は『「統合医療」のあり方に関する検討会』(2012~13年)で、「統合医療」を「近代西洋医学を前提として、これに相補(補完)・代替医療や伝統医学などを組み合わせてQOLをさらに向上させる医療であり、医師主導で行うものであって、場合により多職種が協働して行うもの」と位置づけています。
統合医療は、近代西洋医学と代替医療とを相補的に総合して考えていこうという方向で、私も一時、統合医療研究会に参加していたこともあります。
その根底にある思想は、「病治のための医療ではなく、健康のための医療」への思想の転換です。私は「代替医療」はむしろ「通常医療」の上位に位置する包括的な概念だと捉えています。ですから、「西洋医学か民間療法か」という問題設定はそもそも成り立ちません。目的は「いい人生」なのですから、対立概念ではないのです。
厚労省が「補完」とか「代替」とかいう区分けをするのは違和感がありますが、少なくとも相乗効果を目指していることはもっと広く知られていいと思います。そういう思想に基づけば、富裕層向けにむやみに高価なサプリメントも適正化されるでしょう。怪しいサプリメントや療法も駆逐されていくでしょう。
特に民間療法が話題になるのは、がんに関してですが、厚労省の『がん補完代替医療ガイドライン』(2008)にも、民間療法に関してしっかりと言及されています。
産業化してしまった病院でも、統合病院への取り組みは一時かなり進んだような気がしますが、最近はまた停滞しているようにも思います。
というわけで、民間医療は医療の世界ではしっかりと評価されているのです。
誠実な医師たちも、しっかり取り組んできています。
ただし医療産業や金銭主義に陥って病気を治すことの役割に呪縛された多くの医師たちは見えなくなっているように思います。
最近起こったパンデミック騒ぎは、おそらくそうした動きと無縁ではないでしょう。
恐怖を植え付けられれば、「いい生活」など望みうべきもありません。その方が、私には怖いですが、多くの人は「病気」の方を怖がるようになっています。
自らで、あるいは自分たちで、守る術を奪われてしまったからではないか。
そういう思いが、今回の私の試みにはあるのです。
医療を医療産業や生政治の権力者たちに任せるのではなく、私たちみんなの手に取りもどっしたいのです。
今日はちょっと理屈っぽい話を書いてしまいました。
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