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2023/10/18

■第30回万葉集サロン「天平の美女たちの自分探し」報告

今回の万葉集サロンは、2人の女性の歌を通して、多から他へ、そして「自分探し」が始まった天平時代の雰囲気に触れるサロンでした。
いまから1300年ほども昔の時代ですが、なんだか今の時代状況に似ているなあと感じながら、私も今回は歌を楽しませてもらいました。

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升田さんは、まず天平2年の太宰府での梅花の宴の話からはじめました。
当時、太宰府に左遷されていた大伴旅人を中心に、いわゆる筑紫歌壇の歌人たち(全員男性)が梅の花を題材に集まり、そこで詠まれた歌32首が万葉集に収録されています。
ちなみに、この32首の序文から、現在の元号の「令和」は創られています。

升田さんは32首すべてを資料で配布してくれましたが、升田さんによれば、梅の花を題材にした連想歌で、それぞれの歌にはあまり個性はないようです。
要するに、梅の花を愛でながら、みんなで詠いあったもののようです。

当時は梅の花を集まって愛でるのは男たちだったそうです。
梅は遣唐使が持ち帰ってきた外来の花で、天平時代に人気が広がった。ですから、梅の花を囲んでの宴も多かったのでしょう。ただ、匂い・香りを楽しむのではなく、白い色を楽しんだ。香りを詠った歌はまだなく、色も白。平安時代になるとむしろ紅梅が詠われ、匂いも詠われていくのだそうですが、これもちょっと興味ある話です。

ちょうど同じころ、というか、その少し前に、京のみやこでも盛んに梅の花を囲んでの宴が多かったようで、『懐風藻』から葛野王などの漢詩を少し紹介してくれました。
くわえて、大伴旅人がそうしたみやこへの思いを詠った歌も紹介してくれましたが、升田さんは、この太宰府の梅花の宴は、みやこの漢詩の宴に対抗する意識があったのではないかと言います。となると、なんだか大宰府の梅花の宴は、ちょっともの哀しくなる。
左遷された男たちが、恨めし気にみやこを思いながら、似たような歌を詠みあげては慰め合っている、そんなみじめさを感じます。

なかなか天平の美女は出てきませんでしたが、ここで紀少鹿女郞(きのおしかのいらつめ)と県犬養娘子(あがたのいぬかいのおとめ)が登場します。
梅を詠った歌は、万葉集には120首あるそうですが、女性が詠ったのは8首(詠い手は4人)。

まずは、紀少鹿女郞の歌。

ひさかたの 月夜を清み うめの花 心開けて 我が思へる君

清らかな月夜に梅の花を見ていると、私の心も晴々してきて…というような意味でしょうか。
升田さんは、この「心開いて」という表現に注目します。
これは万葉集では、ほかには出てこない表現だそうです。

男たちは、何やらたむろって、みやこへの望郷の念を強めながら、うじうじと同じような言葉を発しているのに対し、紀少鹿女郞はさっぱりと自分の心を開け放して、愛する人への思いを語っているのです。

県犬養娘子の歌も読み上げてくれました。

今のごと 心を常に 思へらば まづ咲く花の 地に落ちめやも

升田さんは、これは恋の失敗談だと言います。
「心を常に」。もし平常心で応対していたら、梅の初花のように散ってしまわなかったのに、という失恋の歌なのですが、ここでもあっけらかんと自らの心を開いている。
たむろって望郷の念をちらつかせているのとは大違い。

県犬養娘子の歌は、万葉集にはこの1首しかないそうですが、紀少鹿女郞にはまだ数種あります。
特に面白いのは、大伴家持との贈答歌です。

戯奴(わけ)がため わが手もすまに 春の野に 抜けるつばなそ 御食して肥えませ

「戯奴」は、たとえば「おまえさん」というような、ざっくばらんな関係を示唆するような気楽な呼びかけで、しかも前々回話題になった一人称としても二人称としても使える言葉で、この歌に対して家持もまた自らを「戯奴」(わたくしめ)と称して、返歌を送っています。
こうした気楽に呼び合う表現は非常にめずらしく、ここにも「自我」への気づきを感ずると言います。たしかに、こういうやり取りは、白鳳までの贈答歌とは全く違います。

紀少鹿女郞の歌は万葉集に12首ありますが、いずれもとても魅力的で面白い。
詳しくご紹介できないのが残念です。

ふたりの歌を読み上げた後、升田さんはまとめてくれました。

天平時代は、日本列島も律令国家へと大きく変わりつつある激動の時代でした。
人々の意識や人との関係性も大きく変わりつつあったのかもしれません。
そうしたなかで、「多」の中に自分を預けるのではなく、「多」のなかにそれぞれ違う「他」を見つけ、その表情ある「他」から、「汝」、そして「我」が生まれてきた。
そして「我」は、自らの中に「心」を見つけ、それを開いてみたら、一人称とも二人称ともいえる「複数の我」に気づきだした。

ちょっと升田さんの真意からずれてしまっているかもしれませんが、私はそんなように受け止めました。

ところで、冒頭に、今の時代状況に似ていると書きましたが、どこが似ているのか。
周囲を気にしながら権威や権力に従属して自己を失っているような男性集団と自分の人生をしっかりと生きようとしている女性たち。そこがなんだか似ているなあと感じたのです。

でもまあ最近は女性も男性化しているし、美女は少なくなっているのかもしれません。
念のために、美女とは美人という意味ではもちろんありません。
その話も升田さんからもありましたが、私が書くと不正確になりそうなので止めます。

次回の万葉集サロンは1217日です。ぜひご予定ください。

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